漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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新章スタートです。


39.建国祭(1)

ユークリネ公爵家の正面玄関前に一台の箱馬車が到着した。一見、どこにでもある普通の二頭立て馬車だが、その御者台から降りてきた人物が以前、ガヤムマイツェン侯爵を乗せて公爵家を訪れた事のある御者だと気づいた家令は素早く後ろに控えていた従者にサラタを呼びに行かせる。

と同時に見覚えのある御者がゆっくりと馬車の扉の前に立ち、その取っ手に手を掛ける前に家令はその正面に立ち深々と頭を垂れた。

ガチャリ、と重厚な音がして微かな高音が響き扉が開くと騎士団長の略装に身を包んだ青年が降りてくる。

 

「……だから、僕まで一緒に来る必要はなかったんだよね?」

 

馬車を降りながらアッシュブラウンの髪を揺らし、軽く後ろを振り返りつつ不満げな声を発している青年に続きもう一人、こちらは家令も見知っている青年が漆黒の目を細め、その上の眉尻を下げた顔で降りてきた。

 

「まあまあ、どうせお前も市場に行くんだろ」

「それはそうだけど……」

「ユージオと一緒に城を出た方が自然だしさ」

「……要するに僕はカモフラージュに使われたわけだ……」

 

どうやら馬車の中から続いていたらしい二人の言い合いはなかなか終わりを見せず、ユークリネ公爵家の家令が言葉を発するタイミングを探っている間に屋敷の中から小走りでやってきたサタラが到着する。

 

「……っ!、こ、侯爵様、どうして……」

 

まるでここに居るはずのない人物を目にしたかのようにサタラの表情が大きく乱れ、見開かれた瞳と同様に珍しくも言葉を失って開いたままの口からは空気の出入りさえ止まってしまったようだ。その異変に気づいたキリトゥルムラインは一旦会話を打ち切るとユージオの肩を押しやって家令と侍女頭の前に進み出た。

 

「約束通りアス……リューシナ嬢を迎えに来た。こっちはルーリッド伯爵家のユージオ。ちょうど市場に行くと言うから乗せてもらって来たんだ。このままこの馬車で行った方が安全だろ。こう見えても第四騎士団団長だから人柄と腕はオレが保証する」

 

随分と簡単な紹介に頭痛のする思いだったユージオはそれでも気を取り直して小声で「こう見えても、って……」と言いつつ公爵家の使用人達に爽やかな笑顔を向けた。

 

「初めまして、ユージオ・ロワ・ルーリッドです。いつぞやは我が家の夜会へこちらのアスリューシナ公爵令嬢様にお越し頂き、我が父も大変喜んでいました。今日はこちらのガヤムマイツェン侯爵が建国祭の花火を見に中央市場へ赴くと聞いたので同行したのですが……申し訳ありません、まさかアスリューシナ侯爵令嬢様とお約束があったとは存じ上げず……」

 

どうやら自分はとんだお邪魔虫なのだと居心地の悪い思いでいると、すかさずキリトゥルムラインが「だからいいんだって」と言葉を被せてくる。

 

「市場までオレ達を乗せてくれれば。どうせお前は買い物を済ませたらすぐ城に戻るんだろ?」

「そのつもりだけど。何か珍しい物を買ってお土産にすれば少しは気も晴れるだろうし……昼間にパレード用の王室専用馬車から市井を眺めていたら色々と目にされたようで」

「さすがに御自ら出向くわけにはいかないもんな。こっちは大丈夫だ。花火が終わる頃、うちの馬車が迎えに来ることになってる」

 

建国祭の夜、中央市場で花火を見てみたいというアスリューシナの願いを叶える為、キリトゥルムラインは数日前の深夜、いつものように彼女の元を訪れ少し決断を渋っていた公爵令嬢の耳元に「ずっとオレが傍にいるから」と囁いて了承を取り付けた。そして今日、日中に王都内の王族のパレードでキリトゥルムライン曰く、騎士団に所属していない年若い称号持ちという下っ端ならではのこき使われ方を存分に味わった後、日暮れ間近にようやくお役御免となってアスリューシナを迎えにやって来たというわけだ。

キリトゥルムラインとしてはすぐにアスリューシナが少し不安げな笑顔で現れると予想していただけに、サタラの態度が腑に落ちず家令へ挨拶の言葉も掛けずに侍女頭へ「公爵令嬢は?」と問いかけた。

直前になってやはり不安が膨れあがってしまったのだろうか?、とこちらも僅かに表情を曇らせると、サタラは血の気を失ったように蒼白の顔で「もう……お出かけになっております」と細く弱々しい声を絞り出す。

 

「?……どういう意味だ?、今日はオレが迎えに来ると……」

「先程、ガヤムマイツェン侯爵様からの使者と名乗る者が馬車でやって来たのです」

「なんだって!?」

 

キリトゥルムラインの驚きの声が響くと同時にその場に緊張が走る。

すぐにサタラがこれ以上はないという位、腰を折り頭を下げた。

 

「申し訳ございませんっ……今宵の外出の件は私共と侯爵様しか知らぬ事と思い込んでおりましたので、侯爵様の名を聞いてすっかり信用してしまい……」

 

頭を上げずに言葉を続けていると両肩をきつく掴まれ「サタラッ」と焦り声で名を呼ばれた侍女頭は二、三度身体を大きく揺さぶられて、思わず顔を上げる。するとそこには見た事もない程怒りで漆黒の目を染めた侯爵の顔が眼前に迫っていた。その目を見ていられず、ぎゅっ、と両目を固く瞑って、もう一度「も、申し訳ございませんっ」と謝辞を口にすると、キリトゥルムラインの肩を友の手がぽんっ、と叩く。それで我に返ったのかキリトゥルムラインはサタラの肩を握りつぶしそうな程力を込めていた自分の両手に気づき「……すまない」と小さく言って一歩彼女から離れた。

しかしサタラはちぎれる勢いで頭を横に振り続ける。

 

「いいえっ、いいえっ、私の過ちですっ。見ず知らずの者を簡単に信じてお嬢様を送り出してしまいっ……うぅっ……」

 

事態の大きさと自らの失態に責任を感じているのだろう、サタラが声を詰まらせると責任を分け合うように家令がぴたりと横に付き現状を語り始めた。

 

「侯爵様、侯爵様からの使者と名乗った者はきちんとした身なりと言葉遣いで誰が見ても上位貴族の従者と言える振る舞いの男でした。しかも乗ってきた馬車も馬も一流の仕様で、加えて本日の中央市場への外出を知っていた為、私共はすっかり信用してお嬢様をお預けしてしまったのです」

「アスナ一人でか?」

「いいえ、そこが私共の信用を更に深めたのですが、その男はお嬢様はもちろん、専任護衛であるキズメルの名まで知っておりました。そして侯爵様が迎えに行くのが遅くなりそうなので、直接中央市場で待ち合わせをしたいから迎えの馬車にキズメルも同乗して来て欲しいと、こう申したのです」

 

家令の言葉にキリトゥルムラインがわずか安堵の表情を浮かべる。

 

「なら、アスナはキズメルと一緒なんだな」

「左様でございます」

「アスナが馬車に乗って出て行ったのはどれくらい前だ」

「およそ半刻ほど前かと」

 

冷静に状況を語る家令に対し、キリトゥルムラインは途端に眉間に皺を作り「ちっ」と舌打ちをした。

 

「……そこまで時間が経っていてはどこを探せば……」

 

思案に暮れていると背後から羽ばたきの音が聞こえ、それに気づき振り向いたキリトゥルムラインの肩に鳩が見事に着地する。くるっぷ、くるるぅー、と小首を傾げながらジッと侯爵を見つめる豆粒のような丸い目には気のせいか熱誠なる訴えが浮かんでいた。

 

「ヘカテートっ、よくこの夕暮れに飛んでこれたな」

 

友の小さな相棒とも言える肩の上の鳩に驚きの声で賛辞を送ったキリトゥルムラインが労いを込めてその頭をくるくると撫でれば、ヘカテートと呼ばれたコノハバトは元より大きく膨らんでいる胸をより一層誇らしげに張り、木の葉色の羽を自慢げに一回だけ羽ばたかせる。

今のような日暮れ時は昼行性と肉食で気性の荒い夜行性の両方の鳥の活動時間が重なり、猛禽に襲われやすい鳩は早めに巣へ戻るのが通常だと言うことをヘカテートと故郷を同じくするキリトゥルムラインの幼なじみが知らないわけがない。自分がガヤムマイツェン侯爵領から生活拠点の場を王都に移す時、ずっと暮らして来た故郷を離れ同行してくれた幼馴染みとその相棒が珍しくも多少無茶な行動を起こした意味を瞬時に理解したキリトゥルムラインは急いでヘカテートの足に括られている伝達紙を取り出した。

 

「……キリト?」

 

それまでずっと黙って事の成り行きを静観していたユージオがさすがに我慢しきれず、その場を代表するように説明を求めるとキリトゥルムラインは読み終えた紙を片手で握りつぶし「よく知らせてくれた。空筒で返せばシノンには了承の意味だと分かるから。ここから先はオレに任せてくれ」とヘカテートに小声で言うと空へと飛び立つ手助けをして、その力強い飛行を見送る。それからユージオ、家令、サタラ、と一様に不安げな瞳で自分を見つめてくる三人に対してキリトゥルムラインは今知り得た情報を明かすべく深刻な視線を彼らに返した。




お読みいただき、有り難うございました。
コノハバト(木の葉鳩)のヘカテートもアスナの事は大好きです。
この鳩と相棒がアスナと知り合うお話は……「【番外編・2】顔の見えぬ友」を
お読み頂ければと(苦笑)

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