漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナを迎えに来たキリトゥルムラインとユージオは
既に彼女がキズメルと共に屋敷から連れ出されている事を知り……。


40.建国祭(2)

「まず間違いなくアスナとキズメルは中央市場に向かっている……いや、この場合、連れて行かれている、と言った方が正しいだろう」

「本当でございますかっ?」

 

平素のサタラからはあり得ないほどの必死さで侯爵の言葉の真偽を問う姿に誰も咎める言葉を持たなかった。当然、その言葉を向けられたキリトゥルムラインも不快な思いなど一切抱かず、侍女頭の沈痛な面持ちを正面から受け止めると小さく頷いて「今、知らせが届いたからな」と手の中のクシャクシャになった紙片に目を落とす。

 

「オレの所に目の良い幼馴染みが居るんだ。だからここ数日、あの侯爵の動向を見張ってもらっていたんだが、今、アイツは中央市場の外れにいる。馬車の中から一歩も出ずに誰かがやって来るのを待っているらしい」

「それは……僕らの様に市場に遊びに、ってわけではなさそうだね。その誰か、がアスリューシナ公爵令嬢様か」

 

名を口にせずとも隣の友が言う「侯爵」が誰なのかを悟ってユージオの顔も不快を露わにした。その推測に肯定の視線を送ったキリトゥルムラインの瞳が段々と怒気を孕んだ黒へと変わっていく。

 

「あの侯爵家は情報収集能力に長けているからな。しかも前回アスナに接触した際にキズメルの顔も名も本人が知ってしまったようだし……」

「……あのミミズトカゲ……」

 

サタラの低く震える声がキリトゥルムラインの耳に届く。前で合わせている両手は血管が浮き出る程に固く握りしめられ、その両肩は怒りで小刻みに揺れていた。

聞いた事もない単語にキリトゥルムラインとユージオの両者は一瞬言葉を失う。しかしそんな反応など視界に入っていないサタラはカッと目を見開き、隣の家令に食ってかかるように身を乗り出した。

 

「今すぐに全護衛を市場に向かわせて下さいっ」

 

しかしその要請に家令が返答する前に「それには及ばない」と鋭い声が割り込んでくる。

 

「ガヤムマイツェン侯爵様……」

 

疑問と不満を同居させたサタラの声を跳ね返すように「オレが行く」と力強く言い放つと、すぐそばから「僕もね」と柔らかくも誠実な声が添えられた。プライベートとは言え王国の第四騎士団団長を務める伯爵令息までをも巻き込んでいいのだろうか、と家令が口を開きかけた時だ、またもやキリトゥルムラインの否定の声がその場を制する。

 

「いや、市場にはオレだけで行く」

「キリトっ」

 

予想外の言葉に今度はユージオが隣のキリトゥルムラインとの距離を詰めた。間近に響いた驚声を片手で制するとキリトゥルムラインは強い意志を宿したまま口の端を上げて「そのかわり……」と友の澄んだブルー・ドナウの瞳を覗き込む。

 

「ユージオは城に戻り、ユージーン将軍に近衛騎士団の出動申請の口利きをしてもらってきてくれ」

 

事も無げに告げるとんでもない要求にユージオは目を見開き、何度か口をパクパクと開閉させてからようやく悲鳴に近い声を上げた。

 

「冗談だろっ、キリト!、国王の近衛騎士団だぞっ。第一騎士団より更に側近で普段はその姿を見せず影のように王を護り……」

「知ってる」

「彼らがその役目の為に剣を振るうのは王の生命(いのち)に関わる時のみ、それ故、彼らの剣が眠りについているという事は国が安泰の証とされ近衛騎士団は別名『スリーピング・ナイツ』とも呼ばれて……」

「だから、知ってるって」

「その『スリーピング・ナイツ』をお前の私情で眠りから起こせるわけないだろうっ」

「時間がないんだ、どうせあそこのメンバーは今日の任務を終えて中央市場に繰り出してるさ。オレはそれを捕まえる」

「捕まえるって……キリト、団員達を知ってるのかい?」

「ああ、ユージーン将軍の立ち会いで一度だけ団長と手合わせをした事がある。あの連撃の速さ、化け物レベルだったよ。受け流すだけで精一杯だった」

「……彼女の剣を流せるヤツもそうはいないんだけどね」

 

各騎士団の団長クラスならば『スリーピング・ナイツ』の存在は形貌もちろん、剣の腕前と共に畏怖に近い感情で記憶している。今の団長は前団長とは双子の姉妹で、二人共しなやかながら高速の剣技を得意としていた。事実上、全騎士団最強の近衛騎士団団長の剣を受け流す程の技量を持っているキリトゥルムラインに対し、ユージーン将軍が諦める事なくつきまとう理由が理解できて、こんな状況ではあるがユージオは溜め息まじりに苦笑を漏らす。

そのユージオの反応にじれったさを募らせたキリトゥルムラインは話を打ち切るように「とにかくっ」と射貫くような視線を友に突きつけた。

 

「事は急を要するんだ。第四騎士団の団長であるお前が申請する書類にユージーン将軍の口添えがあればこの時間でもどうにかなるだろっ」

「……でもキリト……」

 

それでも渋るユージオへ更にキリトの瞳の熱量が増した。普段ならぶつけるはずのない苛立ちの声を抑えきれない。

 

「相手は三大侯爵家なんだぞっ、超法規的特権を持つ近衛騎士団の人間くらい立ち会わせないとアイツはまた何度でもアスナを怯えさせるっ」

 

確かに互いが最高位の三大侯爵家ではその権威が通じないのは相手も同じなのだ。今回、無事にアスリューシナを取り戻したとしてもキリトゥルムラインの追求など、のらりくらりとかわしてしまうだろう。しかし国王直属の近衛騎士団であれば話は別。一部、王と同格特権の行使力を有している彼らの言葉ならばいくら三大侯爵家でも逃れる事は出来ない。

今回でかの侯爵と完全に決着をつけなければならないと強い決意を固めていたキリトゥルムラインが、将軍を動かす躊躇いに最後の一歩踏み出せずにいる様子の第四騎士団団長へかつてない程、声を荒げた。

 

「将軍にはそれくらいの貸しがあるはずだっ!」

 

事ある毎に剣の相手をさせられ、正規の騎士団には回せない依頼を引き受けた事も一度や二度ではない過去を知っているユージオはとうとう諦めたように肩の力を抜き、一言だけ「わかったよ」と折れる。

その言葉で少し冷静さを取り戻したキリトゥルムラインが僅かに語気を緩めて悔しさに肩を落とした。

 

「オレには……正規に剣の塔を動かす力は何もないんだ…………だから……」

 

共に公爵令嬢を救い出す、とは違うが、やはり共闘という意識で頼られているのだと感じたユージオは自分にこそ出来る闘い方と思い、しっかりと頷き、友の肩を掴む。

 

「任せて、キリトが公爵令嬢様を取り戻す頃には、近衛騎士団が公的に動いていた事にしてみせるから」

 

どちらにしても未だ登城したままのユークリネ公爵にも事の次第を説明する者が必要だと考えたユージオは「なら、僕はうちの馬車で城に戻るけど……」と、気持ちを切り替えて今後の手はずに関し、素早く言葉を交わした。

 

「じゃあ、キリトも気をつけて」

 

馬車に乗り込む間際、一瞬だけ振り返って言葉以上の思いを伝えてくる澄んだブルー・ドナウに信頼の深黒で見つめ返したキリトゥルムラインは「ああ」とだけで全てを受け取ってから、馬車が走り出す音を背で感じつつ自分は公爵家の家令が用意してくれた馬車へと急いだ。

 

 

 

 

 

家令からの紹介を兼ねた説明では、今、可能な限りのスピードで侯爵を乗せている馬車を操っているのは、アスリューシナが辺境伯の元から王都に戻り、中央市場を訪れるようになった頃から御者台に座している公爵家の御者だ。口数は少ないが真面目で機転の利く男だと言うことでアスリューシナからも絶対の信頼を得ており、御者ではなくもっと上級の屋敷内の仕事を任せる話も早々に出たのだが、市場への往復を任されている事が自分の役目だと誇りを持っていた男はその昇進話を丁重に断ったらしい。

それ以来、アスリューシナの外出の際は中央市場でなくともこの男が御者を務めている。

ガヤムマイツェン侯爵を市場まで送る箱馬車を早急に手配した家令は、使用人の三分の一が建国祭休暇を楽しんでいる状況下で緊張の中に珍しくも安堵の色を浮かべ、キリトゥルムラインに胸を張ったのだった。

 

「この男が屋敷に残っていたのは幸いでございます。彼ならば、間違いなく安全で最も早く侯爵様を市場までお連れ出来ますから」

 

公爵家から市場までで男が知らぬ道はないのだろう、という予想は初めて男の手綱さばきを見たキリトゥルムラインでも容易に想像が出来た。馬の扱いはもちろんだが、馬車の大きさを熟知している道選びと建国祭ならではの人出の多さを予測した道筋の判断力には感嘆するしかない。この男のお陰であの侯爵が同乗してきた日も、アスリューシナとの二人だけの時間が最小限で済んだのだと思い、瞬く間に市場の外れに到着した馬車から降りたキリトゥルムラインは低頭している御者に向かい顔を上げさせ、しっかりと視線を合わせて謝辞を伝えた。




お読みいただき、有り難うございました。
サタラが……サタラが……激おこでございます(ひぃっ)
そして、やっとこさ存在が明らかに出来ました!
国王の近衛騎士団『スリーピング・ナイツ』!!
「特にあそこの騎士団長とかなぁ……」はここの騎士団長のことです。
(「29.触れる心」参照……苦笑)

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