漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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公爵家の馬車で中央市場に到着したキリトゥルムラインは……。


41.建国祭(3)

少し物言いたげな目をした公爵家の御者だったが、身分の差を考えれば視線を交わす事すら不敬なのは十分承知しているのだろう、その代わりにとばかり男はキリトゥルムラインに向かって深々と頭を下げた。それは数刻前に馬車で公爵邸を出る際、屋敷に居る使用人達全員なのか?、と唸らせるほどの人数が自分に向かい一斉に頭を下げた情景を思い起こさせる。

正面玄関に姿を見せることの出来ない下級の使用人達でさえ柱の陰や門まで続く庭園の隅から黙礼を送ってくれた。それほど彼ら彼女らにとってのアスリューシナの存在の大きさを感じ取ってキリトゥルムラインは改めて気を引き締める。

そして一刻も早くアスリューシナを救い出す為、キリトゥルムラインは建国祭によって盛大な賑わいをみせている中央市場の人混みの中へと身を溶け込ませた。

 

 

 

 

 

公爵家の馬車から離れたキリトゥルムラインはさほど時間を掛けることなく協力者達を得ていた。アメジスト・バイオレットの長い髪を揺らす小柄な少女はほぼ全速で走っている侯爵の俊敏な動きに引けを取らない素早さで彼の斜め後ろを人波を縫うように移動している。

そして侯爵の少し前方の地面にはこれまた人々の足の間を器用に蛇行しながら二人を先導している真っ黒な犬がいた……トトだ。

片足を引きずっているとは言えその小柄な体格を生かして最強クラスの騎士ででさえ追いつけない獣ならではの身軽さでトトは人々の間をすらりすらりと避けながら市場の外れへと二人を誘導していく。そんな二人と一匹の真剣な表情など周囲の人々は気に止めることなく、自分達の脇や足下を驚く速さで通り抜けていく突風に意識が持って行かれるのは一瞬で、すぐさまもうすぐ始まろうとしている花火の打ち上げに期待を膨らませていた。

 

「……キリト、あのワンコロ、すごいね」

 

この国の三大侯爵家を相手に何の気負いもなく砕けた呼称を小声で口にするのは、弱冠十四歳で近衛騎士団団長を務めるユウキだ。

キリトゥルムラインの読み通り、彼女は王城での任務を終えて仲間達と中央市場へ繰り出したものの、人の多さにはぐれてしまったらしく、それでも心細さや困惑といった感情とは正反対の表情で建国祭の時だけ屋台店で売られているプレットを大口を開けてかぶりついていた所を侯爵に捕獲された。

プレットとは麦の粉と溶き卵と少量の水を合わせた生地を薄くのばし、そこに茹でて潰したジャガイモと薄く切った塩漬けの豚肉を乗せコケモモのジャムを塗る。煎った木の実を味のアクセントとしてパラパラとまぶし、最後にトロトロに溶けたチーズをかけてくるくるっ、と巻いて食べるのだ。

結構なボリュームがあるのでわざわざ飲食店で席が空くのを待たなくても歩きながら食べられ、お腹もふくれる。建国祭が賑わいをみせるからこそ生まれた伝統料理かもしれない。

この期間しか食べられない上に訪れる人が多ければ多いほどプレットの味の審査も厳しくなり、結果、毎年中央市場でプレットを出す店の競争率はすさまじい事になっていた。どこのプレットを食べてもハズレはなく、それでいて基本は押さえていても店独自の味の工夫や素材の変化がある為、期間中に全店舗を制覇しようと試みる者も少なくない。

かく言うキリトゥルムラインもアスリューシナと建国祭で市場を巡る時は絶対にこれを勧めようと思っていたくらいだ。

本来なら、陽の落ちた中央市場に二人で訪れ、その盛況ぶりや人々の活気にキラキラとナッツブラウン色の瞳を輝かせるはずだったアスリューシナの足取りを追うため、市場にやって来たキリトゥルムラインはまず『スリーピング・ナイツ』のメンバーを探す事を第一とした。

この群衆の中から特定の人物達を見つけ出すには……当然闇雲に探し回っても無駄に時間を使うだけだ。既に夕闇が迫っている時間帯では数え切れない程の灯火がある市場内とは言えお目付役である幼馴染みの目はあてに出来ないし、そもそも彼女は団員達の顔を知らない。ならば、と市場の事は市場の人間に聞くのが一番と考えたキリトゥルムラインは気安い関係にある古参の店主達に片っ端から声をかけた。

もちろん、普段以上に忙しくしている古狸達だったが「エリカの為に人を探している」と言えば、みんなが手を止めて耳を傾けてくれ、情報を提供してくれる。店主達はみな建国祭の期間だからこそ、自分達の店の周囲にはより気を配っていた。その根底にはもう二度と十四年前のような事件は起こさせたくないという決意があるように感じたキリトゥルムラインは一人一人の店主に丁寧に礼を言い、そして短時間で近衛騎士団団長の下まで辿り着いたのである。

時間もない、アスリューシナの秘密を漏らすわけにもいかない、で、事の次第をおおまかにしか説明できないキリトゥルムラインにとっては果たしてこれで近衛騎士団団長が公に動いてくれるのかどうかは五分五分の賭だった。

単に剣の腕が立つから、というだけで協力を求めているなら知り合いとしての同行には何の問題もなかっただろう。しかしキリトゥルムラインは騎士団長としてユウキの行動を求めているのだ。当然、彼女の持つ実力とその特権行使力を含めて。

しかし侯爵の心配は杞憂にすぎず、話を聞き終わった騎士団長は頭部を飾る服装と同色のリボンカチューシャを指で触り「うーん」と唸ったかと思えば、すぐにルビー色の瞳を細めて「いいよ」とあっさりと承諾の意を示してくれたのだ。

 

「その代わり、今度、またボクと手合わせしてよね。それとキリトが助けだそうとしている女の人……アスナって人にちゃんとボクを紹介してくれる事」

 

少女でありながら自分の事を「ボク」と呼ぶユウキからの要求にキリトゥルムラインは一も二もなく首を縦に振る。ユウキをアスリューシナに紹介する、については一抹の不安はあったが、今から他のスリーピング・ナイツのメンバーを探す余裕は時間的にも精神的にもないし、折角騎士団最強と謳われる彼女を見つける事が出来たのだ、これ以上頼りになる存在はいない。

それにバランスの面から言えば褒められる事ではないが、キリトゥルムラインは自分と同じように防御を捨てていると言ってもいいくらい攻撃に特化したユウキの剣技に親しみを抱いていた。とは言っても一振りの破壊力を重視している自分とは違い彼女の剣は攻撃範囲が広く多数を相手にした場合の各個撃破向きなのだろうが、タイプの違う騎士と組む方が何かと戦いやすいのは確かだ。

こうしてユウキとの協力関係を結べ、まずは第一段階をクリアしたと安心した直後、キリトゥルムラインの足下に更なる助っ人が走り寄ってくる。

夜の闇に紛れるにはこれほど最適な存在はいないだろうと思える真っ黒な毛並みを興奮で震わせているトトはまさに狂ったようにキリトゥルムラインに吠えかかった。その剣幕に一瞬怯んだ二人だったが怒号のような声とは裏腹に何かを訴えかけるような黒い瞳に気づくと、キリトゥルムラインはすぐに片膝を落としてトトの目の前まで顔を近づける。

以前、アスリューシナの乗った馬車が無頼な男共に囲まれた時、このトトが普段とは異なる行動を取ったとエギルが言っていたのを思い出した彼は、辺り構わず真っ黒な犬に話しかけた。

 

「もしかして……ア、エリカの居場所を知ってるのか?」

 

その言葉を肯定するように、ピタリ、とトトの咆哮が止まる。

まるで心が通じ合っているかのような一人と一匹のやり取りを見ていたユウキが少し感心したように眼を見開いて唇の両端を上げた。しかし、そんな反応を見る事すら時間の無駄だと言いたげなトトは完全にユウキを無視してすぐさま向きを変え、目指す方角へ向かって全力で走り出す。

キリトゥルムラインは慌てて立ち上がり、隣のユウキに「あの犬がアスナの所まで連れて行ってくれる」と早口で告げるやいなや、自らも姿勢を低くしてトトの後ろ姿を追いかけ始めたのだった。

 

 

 

 

 

トトの走りは近衛騎士団団長が褒めるに値するすばしこさで、キリトゥルムラインも犬相手だからと気を抜いているわけでもないのに、追いつく気がしない。キリトゥルムラインの目は自分が通り抜ける為の僅かな空間を人混みの中で探すと同時に先導者を見失わないよう地面を這う小さな黒いモップもどきを常に視界の端に納めている。

この追いかけっこがいつまで続くのかと再び焦りの色が苛立ちと共に胸の内で膨れそうになった時だ、自らの斜め後ろに影のように付いて来ていたユウキが何かを懐かしむような声で小さく語りかけてきたのだ……あのワンコロ、すごいね、と。

その言葉でキリトゥルムラインは改めてトトの足の動きを後ろから観察した。

確かに片足とはいえ不自由なのは一目瞭然で、なのにその速さは普通の犬以上のスピードを出している。

トトのやつ、アスナの前では随分と後ろ足をかばった歩き方をしてたくせに……それは彼女の気を引くための芝居だったのではないか?、とジト目で疑いを抱いていると、先程と同じように柔らかなユウキの声がキリトゥルムラインの耳にゆっくりと注ぎ込まれた。

 

「片方の後ろ足は完全に骨が曲がってるよね、なのに全身のバランスを補正しながらこの距離を走り続けるなんて普通なら無理だよ。痛みを堪えている様子もないし、痛覚の神経がいっちゃってるならあんなに激しく動かす事も出来ないと思うんだけどなぁ…………まるでこの国の初代王妃、ティターニアの恩寵を受けたワンコロみたいだ」

「ティターニア王妃の……恩寵?」

 

昔の思い出話をするように軽く言い放ったユウキの言葉に何かずしりと重たい真実が隠れているような予感がして、キリトゥルムラインは思わず背筋を震わせながら振り返る。その反応に少しの息切れも見せず、むしろわくわくとした興奮気味の笑顔のユウキは「見失っちゃうよ」と黒犬を人差し指でつんつん、と示し、キリトゥルムラインの意識をトトへと戻した。




お読みいただき、有り難うございました。
ご本家(原作)様では交わることのないキャラクター達が
入り乱れております(苦笑)
「プレッタ」は実在しない食べ物ですが、スウェーデン料理の
あれこれを参考にさせていただきました。
(パンケーキの事を「プレッター」と言うそうです)

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