漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

62 / 83
十四年前からアスリューシナの「癒やしの力」を知り、それを手に入れて自分の為に
使おうと画策していたオベイロン侯。
そこに遠くから花火を始める合図の鐘の音が聞こえてきて……。
新章「決着」です。


48.決着(1)

今まで一度として『建国祭』の花火を目にした事のないアスリューシナにとって、それはとても小さかったが聞いたことのない高音で、不思議さから音の根源を探るようにカーテンの閉め切られている窓へと顔が動く。その行動の意味を読んだオベイロン侯は令嬢から視線を外されたにもかかわらず、機嫌を損ねるどころか薄ら笑いすら浮かべてアスリューシナに触れていた手を引っ込め、屈んでいた腰を伸ばして同じように窓へと身体を向けた。

 

「あの音はね、花火の合図なのさ」

 

声を封じられている彼女からは何の言葉も漏れ聞こえないが「花火」という単語に対する僅かな反応に、ふっ、と哀れみに近い目で侯爵は令嬢を見下ろす。

 

「まさか君があの男と一緒に下賤の輩に混じって花火を見ようとするなんてね……僕はちゃんと屋敷にいるように、と言ったはずだが?、アスリューシナ……勝手に抜け出すなんていけない子だなぁ。まあお陰で君を迎え入れる事が出来るんだから、最後にあの男も役に立ったということか……」

 

勝手に抜け出したなどと、今回の花火見物の約束を利用して自分を拉致した人間に言われる筋合いではない、と視線を戻して侯爵を見上げれば、その反抗的な瞳が勘に障ったのだろう、弧を描いていた眉をぐにゃり、と歪めて、それまで恋狂うように触れていた彼女の髪をいきなりガッ、と掴んで引っ張り上げた。

 

「なんだいっ、その目はっ」

「う゛っ」

 

アスリューシナの塞がれている口奥から思わず声が漏れる。痛みに耐えながらも屈しない光を宿したまま侯爵を射るように見つめていると、髪を持つ手の力を緩めることなくオベイロン侯は激情を狂喜に変えた。

 

「まあ僕を見るそんな目もどれほど保てるのか楽しむとしよう。三十分? 一時間? そろそろ馬車も来る頃合いだ。領地に着くまでかな?」

 

更に髪を引きアスリューシナの苦痛に顰められた顔を自らの方へと向かせた侯爵は唇を三日月型にして赤い舌を出し、それをゆっくりと彼女へと近づけてくる。長く伸びたそれが恥辱と僅かな痛み、それに圧倒的な怒りで震え続けているかんばせに届きそうになった瞬間、思わずぎゅっ、と瞑ってしまった両瞳から大粒の涙がひとつずつ、彼女の頬を滑り落ち「っんう゛」と息を詰める声が彼女自身の耳まで届こうかという時、突然部屋全体が震える程、大きな音が響き渡った。。

 

バンッ!

 

決して薄くはない部屋の扉が一発で蹴破られる大壊音に咄嗟に振り返ったオベイロン侯とその従者はそこに現れた、けれどありえるはずない人物の登場に声も出ず、驚愕のあまり身動きすらとれない。反対に力業で部屋への侵入を果たした青年は目の前の光景を視界に収めた途端、ぶわり、と漆黒の瞳に黄金色の怒炎を宿らせた。

さして広くもなく調度品もない、ほぼ四角い空間と言っていい部屋の中には三つの人影。

一人は見知らぬ人物だが、剣を携えながらも上品な身なりで壁際に控えているので護衛を兼ねた従者だろうと判断し、ユークリネ公爵家を訪れ公爵令嬢を連れ出した人物と推測する。

中央にいる男は自分と同じ最高位の爵位持ちだが、もともとそりが合うとは思っていなかった人物で、その認識はここ数ヶ月で確信に変わり今では嫌悪と怒気を真正面からぶつける対象となっていた。

そして、その不埒な侯爵たる男の手にはこれまで自分がそれは大事に大切に優しく触れてきた愛しい人のナッツブラウン色の髪がこともあろうに鷲づかみにされていて、その所行と共に目に飛び込んできたのは口を布で覆われたアスリューシナの苦しそうな表情と椅子に腰掛けている膝の上には自由を奪われた両手、そして腕には切りつけられた無数の傷……そこから一瞬で状況を把握した侵入者の青年は立ち尽くしている男二人の混乱を「遅い」と冷たい囁きで評すると同時に床を蹴り、僅か数歩の疾走で自分の間合いまで従者との距離を詰める。

瞬きひとつの間に眼前まで現れた侵入者に対し、従者は言葉を発するより先に反射的に腰の剣を抜こうとするが、相対している青年は低い姿勢のまま右手に携えているどこの誰かも知らない人間から奪った剣の刃先を流れる動作で床と水平に滑らせ、従者の衣服の袖はもちろん上腕部の筋肉にまで刃を食い込ませて剣を抜ききった。

すぐに鮮血が溢れ出す。従者が咄嗟に剣の柄を握っていない手で出血部分をおさえつつ、よろめいて壁に背をぶつけると、青年は時を逃さずバランスを崩した相手の顎下に剣を持ったままの右ひじを強く押し当て、壁と挟んで気道を塞ぎ、反撃の隙を与えず鳩尾に左手の拳をめり込ませた。

「げふっ」と短い息を口から吐き出すと同時に、負傷しながらも応戦を試みた従者の剣が手から離れてその役目を果たすことなく足元に落ちる。青年はそれをすぐさま足先で蹴り飛ばし従者から身を離した。

喉と上腹部の支えを失った従者の身体は壁に沿ってずるずると崩れ落ち、最後にはだらしなく床に伏す。

それから自分の従者があっけなく失神した現状にオベイロン侯が舌打ちをする音を耳にした青年はゆっくりとその音源へ振り返った。

怒りの収まらない黒い視線を向けられても、どこか冷めた目で見返しているオベイロン侯はそれまで公爵令嬢の白い皮膚に赤い線を引いていたナイフを今は彼女の細い首筋へと当てている。

それを見た漆黒の瞳が更に大きく見開かれた様を眺めてオベイロン侯は自分の優位性に目を細めた。

 

「これはこれは、若きガヤムマイツェン侯爵殿。どうやってここまで迷い込まれたのです?。しかも私の従者にいきなりの乱暴狼藉。三大侯爵家の当主がなさる事とは到底思えませんが」

 

公爵令嬢に刃物を突き付けておきながらの口上に益々の憤激で剣を握っている右手が小刻みに震える。しかしオベイロン侯の手から髪を解放されたアスリューシナは首元のナイフへの恐怖など微塵も見せずに涙の滲む瞳をまっすぐキリトゥルムラインへと向け「キリトさま」と動かせない口元から声に出せない喜びを表した。

くぐもった声では聞き取ることは困難だったが、それでも自分の名が嬉しげに呼ばれたのだと確信したキリトゥルムラインは一旦、怒気を静め、僅かな笑みさえ浮かべてゆっくりと頷く。言葉にされなくてもアスリューシナにはそれだけで充分だった。

彼女の瞳に灯った安堵の色に応えるべくキリトゥルムラインは改めてオベイロン候へと視線を合わせる。

 

「乱暴狼藉、と言うならオベイロン侯、あなたが今ナイフを突きつけているユークリネ公爵令嬢はどうなんだ」

 

三大侯爵家同士として礼節をわきまえた会話をする気など毛頭ないのだ、と強い口調で訴えればこれまたオベイロン侯の方もガヤムマイツェン侯爵を小馬鹿にしたように、ふっ、と鼻で笑った。

 

「彼女はこれから共にアーガス領へ行き、そこで婚姻の義を執り行い私の妻となる身なのだよ。だからこのご令嬢は既に私のものというわけさ」

 

その言葉に表情を取り繕う事さえ出来ずキリトゥルムラインの顔が歪む。そんな反応さえもオベイロン侯にとっては優越感を膨らませる材料にしかならなかった。

 

「ガヤムマイツェン侯、これはね既に彼女が幼い頃から決まっていた事なのさ。だいたい君は彼女の何を知っているのかな? 彼女がどれ程希有な力の持ち主か、そしてその力が誰の為にあるのか……」

「ならば反対に問おう。オベイロン侯、あなたは彼女のその力以外の何を知っている?」

 

問いを投げかけられるとは予想もしていなかったのか、オベイロン侯の満足げな笑みが止まる。

 

「力以外、だって?…………この僕に相応しい公爵令嬢という高貴な身分。美しい容姿……」

「そんなの、他の貴族達でも知ってることだろう」

「…………僕はね、彼女の力さえあればいいんだっ」

「彼女の優しい心は?、彼女がどれほど周囲の人間に愛されているか。少し意地っ張りなくせに、ふとした瞬間、子供のように無邪気に笑う姿。屋敷から出られなくても、そこで健気に明るく過ごす日常を……お前は何も知らない」

「そんなもの、知ったからと言って何になる。僕は十四年間もこの『癒やしの力』を待ち続けてきたんだ。たまたま彼女の力を知っただけの奴に好き勝手を言われる筋合いはないっ」

「十四年……?」

「ああ、そうさ。まだ彼女が王都で過ごしていた子供の頃にね、今日のような『建国祭』の時さ。力を確かめたくて彼女を誘拐させたんだが、彼女は自身に力を使わず、僕が切りつけてやった公爵家の下男の傷を治したんだ」

 

オベイロン侯の言う下男がキズメルの父親であることを瞬時に理解すると同時にアスリューシナが王都から辺境伯の元へと移された原因の誘拐事件が目の前にいる男の仕業だと知ったキリトゥルムラインは痛みを覚えるほどの憤りで目の奥を熱くした。




お読みいただき、有り難うございました。
最後に二人が顔を合わせたのが34話だったので……14話ぶりの対面です。
大変お待たせいたしました(当事者の二人とか、読み手さまとか)
本当に堪えて、待って、ここまでお付き合いいただき感謝です。
(軽く半年以上「キリアス」してない「キリアス」タグの作品って……)
やっと「決着」がつきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。