漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナの「癒やしの力」を見る為にキリトゥルムラインを
傷つけたオベイロン侯は……。


50.決着(3)

足元に崩れ落ちたキリトゥルムラインと、少し離れた場所に倒れ込んでいるアスリューシナ、そこに血まみれのナイフを持つオベイロン侯が立ったまま見下すような目で深い傷口から血を流し続けている若き侯爵に向け「ふんっ」と鼻を鳴らす。

 

「僕はね、何の苦労もなく侯爵家の当主の座を譲り受けた君のような人間が一番嫌いなんだ。しかも今度は僕のものであるアスリューシナにまで近づくなんてね」

 

真っ赤な血が止まることのなく流れ出てくる腕を抱え込むようにして、堪えきれない呻き声を漏らしているキリトゥルムラインを眺めつつ、勝ち誇った声で「気が変わったよ」と言いながらオベイロン侯は数歩分移動すると片膝をつき倒れているアスリューシナを抱き起こした。

 

「奥の部屋にアスリューシナの護衛役を自負している女使用人が残っていたんだった。『癒やしの力』はその人間で試してみることにしよう」

 

いい考えだろう?、と言いたげな視線を送られて、アスリューシナは信じられない者を見る目でそれを返した。今すぐにでも処置を施さなければ、元通りに動かすことは叶わないキリトゥルムラインの腕の傷をこのままにしておけと言うのか。もとはと言えば『癒やしの力』を見たいが為の所行であったはずであって……怒りと恐怖で全身が震え始めた時、アスリューシナは唐突に目の前の男の真実に気づいてしまった。

 

(……最初から、キリトさまを傷つけたかっただけなんだわ……)

 

今までこれほど一人の人間に対して憎悪を覚えたことがあっただろうか、というほどにアスリューシナの頭の中は負の感情で一杯になっていた。オベイロン侯の拘束から逃れてすぐにでもキリトゥルムラインの元に駆け寄り傷を癒やさなければ、と焦るが両手は縛られたままだし、言葉を発する事もできない。床に倒れていた状態から起こされた上半身は未だオベイロン侯の腕の中で、自由に動かせる両足で足掻いてみるが、それも空しい抵抗に終わっていた。せめても、と射殺すような強い眼差しで睨み付けるが、それを見たオベイロン侯は嬉しそうに口元を引き上げて逆に顔を近づけてくる。

 

「その瞳の色も伝承どおりだよ」

 

怯むことなく強い視線のままでいると、そこに引き寄せられたオベイロン侯が更に顔を近づけてきて、慌てたアスリューシナが身を逸らせようとすれば、その思考を先回りした侯爵がそれを許すまじと令嬢を拘束している手に力を込めた。希有な色を持つ瞳にぼやけて映るほど憎き侯爵の顔が間近に接近してくる時間は恐怖しか生まない。

その感情を察知したのか、単にアスリューシナへと近づくオベイロン侯を阻止したかったのか、荒い息のままキリトゥルムラインは侯爵の背中に「伝承とは、何だ」と苦しげな声を投げつけた。

同じ三大侯爵家でありながら、相手より自分の知識が勝っていると敏感に反応したオベイロン侯がすぐさま顔を振り向かせる。

 

「ガヤムマイツェン侯爵家にはそんな事も伝わってないのかい?…………いや、当然か。何せ『蛮行のガヤムマイツェン家』だからね」

 

家名の前に付けられた悪意のある単語に「蛮行、の……?」というキリトゥルムラインの呟きと共にその眉が痛みとは違う意味でうねる。

 

「そうさ、この国の初代アインクラッド王が国を統治する時に協力した三家を表す言葉だよ。『陰影のヒースクリフ家』『詭謀のオベイロン家』そして『蛮行のガヤムマイツェン家』。アインクラッド王の為にヒースクリフ家が密かに情報を集め、それを元にオベイロン家が策を練る。それを実行するのがガヤムマイツェン家というわけさ。はるか昔からガヤムマイツェンの人間は頭を使うより力に訴える方が得意だったとみえる。きっと我がオベイロン家が立案した計画がなければなし得なかった成果も、さも自分の手柄のように吹聴していたんだろう。今、まさにアスリューシナを僕からかすめ取ろうとしているようにねっ」

「そんな……」

 

あまりの言いように言葉を詰まらせたアスリューシナの声を聞いたオベイロン侯が再び彼女の瞳を覗き込む。

 

「一般的に国民が認識している初代王妃ティターニアを象徴する色はナッツブラウン色の髪だが、実はもう一つ存在する珍しい色がこの瞳なのさ。覗き込まなければわからない程だからね、気づいている人間が少なかったのか、平民共にまで知れ渡っていないんだ」

 

選ばれた一部の者しか知り得ない情報なのだと言いたげな口調や、表情からは優越意識がひしひしと伝わってきて、けれどそれを受けるアスリューシナには尊敬や羨望とは真逆の感情しか抱けず、むしろ言葉を尽くしてもわかり合える部分など僅かにもないのだと強く認識する。

逆に感情を高ぶらせたままのオベイロン侯は背後で苦痛に顔を歪めている存在など虫けらの扱いで、今度は視線さえ与えずに憐れみの唇を形取った。

 

「だからね、同じ三大侯爵家と呼ばれていても、所詮ガヤムマイツェン侯爵家など今のこの国では平民並みの知識しかないということなんだよ」

 

アスリューシナの持つ『癒やしの力』が自らには使えない事を知らずにいた事実は棚に上げ、自らの存在価値を高める為なら相手をどこまでも蔑む言動に吐き気さえ覚えたアスリューシナが首元の痛みさえ忘れて、つっ、と顔を背けると、その拒絶反応すら彼女の意思をねじ伏せる材料としたいオベイロン侯は場違いなほどに空とぼけた声をわざとらしく吐く。

 

「それにしても馬車は遅いな。待ちくたびれてきた。…………ああ、折角三大侯爵家のひとり、ガヤムマイツェン侯がいるんだ、彼を立ち会いに誓いの口づけだけでも済ませてしまうおうか、アスリューシナ?」

 

こんな状況下で発する内容としは正気さえ疑いそうになる発言に、その意図も心情もおもんばかる余裕すらなく、瞳を大きく見開いてオベイロン侯へと振り向けば、待ってましたとばかりに侯爵の唇がいやらしくうねり、ナイフを持ったままの手がアスリューシナの口に噛ませていた布をはぎ取った。

突然の予測不能な行動にアスリューシナが硬直するとすかさずオベイロン侯の人差し指がふっくらとした彼女の柔らかな唇に押し当てられる。その弾力を味わうように僅かな圧を加えたまま下唇を左から右へなぞられるにつれ、感触を意識したアスリューシナが小刻みに震え始めた。嫌悪しか抱いていない男の指が自分の唇に触れている事実と同時に彼が持つ血塗れた凶器の刃がすぐそこに見えるせいだ。

顔を背ける事すら出来ずに頭の中が真っ白になっているうちに、指の腹だけの接触では終わるはずもなく侯爵自身の顔が迫ってくる。最後の拒絶を表す大粒の涙がアスリューシナの両の瞳から溢れ落ちた時だ、地を這うような低い声が二人の耳に届いた後、ゆらりとひとつの影が立ち上がった。

 

「やめ……ろぉっ」

 

オベイロン侯に切り裂かれた右の上腕部からは未だ紅血が止まる気配もなく流れて出ているせいで貧血気味のひどい顔色を晒しながら、短い息を肩でしているキリトゥルムラインの傷口を押さえていたはず左手は倒れ込みそうな身体のバランスを取るためか、背中に隠れている。腰を上げた為に筋肉と共に腱の切れた右腕は持ち主の意思が伝わらず哀れなほど無力に、ぶらん、と重力に従って揺れ、その揺れに沿うようにポタポタと落ちる血が僅か宙を舞った。

けれどそんな右腕にも、その痛みすらも意識の外に追いやって、最後の力を振り絞るようにキリトゥルムラインの足が床を踏み込み、二人の元へと身体を高速に押し出す。

逆にあとほんの少しでアスリューシナの唇を奪える邪魔をされたオベイロン侯は忌々しげに表情を歪め、それでも彼女の上半身とおとがいを捕らえたまま身体を捻った。

そこに生まれたほんの僅かな空間……アスリューシナとオベイロン侯の間にキリトゥルムラインは左腕を伸ばす。

いや、実際、その空間に割り込んだのはいつの間にかキリトゥルムラインの左手が拾い上げていたオベイロン侯の従者が落とした長剣だった。

煌めく刀身の輝きに瞬時に反応したオベイロン侯が「ひぃっ」と空気を吸い込みながら令嬢を突き放す反動を使って身をかわすが、勢い余ってそのまま無様に尻をつく。咄嗟に身体を支える為、一旦は床に手を着くがすぐさま怒り心頭の形相で「……死ね、小僧ぉぉぉ!」と上体を起き上がらせると同時に右手に持ったナイフの刃先をキリトゥルムラインの心臓めがけ一直線に突き出してきた。

 

「キリトさまっ」

 

オベイロン侯とは反対の方向に突き飛ばされた恰好になったアスリューシナが座り込んだ状態のまま自分に背中を見せて立っているキリトゥルムラインの名を叫ぶ。

ほぼ気力のみで身体を動かしているキリトゥルムラインだったが、その声をしっかりと受けて左手を瞬時に振り上げ、自分に向かってくるナイフを剣で弾き飛ばした。その衝撃でオベイロン侯の身体が大きく仰け反る。その腹部を力いっぱい蹴り込んだキリトゥルムラインは刹那、全身を激高させて容赦なく侯爵のこめかみから両眼に横一線、真っ直ぐに剣先を滑らせた。

 

「ヒィィィッ!!」

 

これ以上ない程オベイロン侯の口が湾曲し、その合間から甲高い悲鳴が吹き上がる。両手で目元を強く押さえ込み、うずくまってカタカタと痛みに震えるその矮小な姿を見下ろしながらキリトゥルムラインは大きく息を吐き出した。

 

「もう二度と、お前の目にアスナの色は映させない」

 

かつて子供だったオベイロン侯がヨフィリスに与えた魂さえも抉るような深傷ではない事実が、キリトゥルムラインの目的が侯爵の視力を奪うことのみであると証明している。痛みの中でもその声が届いたのか、オベイロン侯は両手で覆ったままの顔を持ち上げた。

 

「お前みたいな小僧がこの僕をっ……なぜだっ、利き手は使い物にならなくしたはずなのにっ」

「……オベイロン侯爵家にはそんな事も伝わってないのか?」

 

仕返しとばかりに青ざめた顔色のままキリトゥルムラインの口の片端が不敵に上がった。




お読みいただき、有り難うございました。
やっとアスリューシナからオベイロン侯を引っぺがす事が
出来ました(苦笑)
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