漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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屋敷へ戻る為に先に馬車に乗ってアスリューシナを待つ
キリトゥルムラインでしたが……。


53.決着(6)

アスリューシナが運び込まれるのを待っているキリトゥルムラインの耳に馬車のすぐ側からユウキとユージオの会話が途切れ途切れに聞こえてくる。どうやらアスリューシナが監禁されていた部屋で気を失っているオベイロン侯爵とその従者の身柄も拘束した旨の報告を受けて、今後の対応を相談しているようだ。

けれどその声のすぐ隣をキズメルが「失礼いたします」と通り抜け、馬車の踏み台に足をかける。アスリューシナの身を車内の座席に横たえる為、一旦馬車内に入ってくるのだろうと思っていたキリトゥルムラインだったが今度はユウキの声だけがやけに大きく「ちょっと待って」と耳に飛び込んできた。

 

「ちょっとだけ」

 

中途半端な恰好で動きを止められたキズメルは、それでも今回の事件の恩人に対しては明かに年下ではあるものの不敬な態度を取ることはなく、持ち上げた足を再び地に下ろす。その行為にユウキは「ごめんね」と小さく謝ると、ちょうどアスリューシナのおでこあたりと思われる部分をマントの上からそっと撫でた。

 

「まったく、君は……こんなボロボロなのに一瞬の躊躇いもなく力を使ったんだろうね。そんなとこ、まるでティターニアみたいだ」

 

きっとユウキが口にしている言葉の意味を本当に理解できる人間はここには一人もいない。けれどユウキは構わずに、独り言のような台詞を紡いだ後、ゆっくりと顔を動かし、キズメルを見上げた。

 

「十四年前、僕達は間に合わなかった……。ロイヤルナッツブラウンの子供がいるって耳にして、すぐに王族の血を引く家系をしらみつぶしに調べて……その途中だったんだ、彼女が攫われたのは…………今度は、ボク、間に合ったかな?」

 

いつものユウキらしい自信に満ちた笑顔はすっかり影を潜めていて、まるでかつての誘拐事件は自分にも責任の一端があるのだと言いたげに純度の高いルビー色の瞳が不安で波打っている。常識で考えればアスリューシナが攫われた十四年前、目の前の少女たる風貌のユウキは一体何歳だったのだ?、と不可解に思ったキズメルだったが、それでもユウキが巫山戯てなどいないのは十分に伝わったのでここは専任護衛としての言葉を選んだ。

 

「……この方は公爵家の方々にとってもそこで働く者達にとっても大事な存在なのです。再び、その御身がこの地から離れてしまうのでは、と生きた心地がしませんでした」

 

自然とアスリューシナを抱く手に力が籠もり、マントに阻まれているとはいえキズメルは意識を手放している主人に苦痛と安堵を混ぜ合わせた視線を落とした。けれどすぐに見つめる対象者を変えて固かった表情の唇の両端をゆっくりと上げる。更にいつもの鋭い眼光は緩く優しげな光となってユウキを照らした。

 

「アスリューシナ様をお助けくださり、本当に有り難うございました」

 

そこに喉に何かを詰まらせたような、げふっ、とも、ごふっ、ともつかない、かなりわざとらしい咳払いが数回、馬車の中から聞こえて、入り口で向かい合っていた二人が不思議そうに顔を向けると車内の暗闇から薄ぼんやりと見分けがつく距離までキリトゥルムラインが顔を出してくる。

 

「もういいか?」

 

血の気のない顔は明らかに身体の不調を訴えているが、存外にもその表情は苦しげ、と言うよりむしろ申し訳なさそうに眉はハの字を描いていたので、二人の会話を遮った負い目か、はたまたいつまで待っても公爵令嬢が運び込まれないじれったさからなのか、とキズメルは判断を迷いながら、それでも待たせていたのは事実なので「申し訳ありません」と謝罪をしてユウキに一礼を捧げ、今度こそアスリューシナを抱いたまま馬車に乗り込んだ。

なるべく振動を与えぬように空いている片側の座面に主人を下ろそうとすれば、いつの間にか車内の際奥まで移動していたキリトゥルムラインが「キズメル」と背後から声をかけ、その動きを止めさせる。嫌な予感はしたものの、未だ主人を抱いたまま振り返ると、そこには当然のように両腕を広げている侯爵がいた。

 

「ですが……」

 

すぐにキズメルの頭の中では侯爵の要請を拒む理由が幾つかは浮かんだものの、多分、それら全てを口にしてもこの方が引く事はないだろう、と続くはずの言葉を全て飲み込み、代わりに一拍おいてから「お願い、致します」と厳かな声と共にキリトゥルムラインに自分の大切な主の身を託すべく彼の膝にアスリューシナの頭が乗るよう横たえる。そして車内の床に片膝をついたままキズメルは深々と頭を下げた。

 

「ガヤムマイツェン侯爵様、アスリューシナ様を救っていただき、本当に……本当に有り難うございました。心から感謝いたします。今回の失態で私は専任護衛の任を解かれるでしょう。これが最後の機会かと思いますので、このような場所で勝手に口を開きました無礼をお許し下さい」

「キズメルは……真面目だな」

 

思いも寄らない返事に思わずキズメルが顔を上げる。するとそこには暗い車内で目が慣れてきたお陰で、ハッキリとわかるほど愛しさに目を細めているキリトゥルムラインがいた。しかしその視線はキズメルに落とされたものではない。自分の膝の上に乗せられてすぐ、思うように動かせない腕のせいで気ばかりが急いていたが、ようやく包んでいるマントを剥ぎ、現れ出たアスリューシナの青白い面立ちに注がれているのだ。

通常よりも力の入らない状態だが、それでも彼女の頭部と肩を離すまいと言わんばかりに出来る限りの力で抱き寄せている。

何の感情も読み取れない寝顔を見守りながらキリトゥルムラインは声だけをキズメルに向けた。

 

「だいたいそんな事、アスナが望むはずも許すはずもないだろ。キズメルの主人はびっくりするくらい優しくて頑固者だし。今回の件を失態とみなされ、ユークリネ公爵から何らかの処分を受けるとなれば、サタラだって、もしかしたら、あの公爵家の家令だって自ら同様の処分を請うくらいの勢いで猛省してたぞ。そうなればアスナの守りは穴だらけになる。それはオレとしても避けたいしな。それどころか、きっとアスナはキズメルが十四年前のお父上のようなケガを負っていない事を喜ぶと思うけど……」

「……侯爵様」

「それに……」

 

少し言いよどんでから、こそり、と盗み見るようにキリトゥルムラインの瞳だけがキズメルの反応を覗う為に動く。

 

「そう遠くない未来にキズメルはアスナの護衛から外れる事になる……と思う」

 

今回の件での処分としては護衛解雇について否定の言を述べてくれたキリトゥルムラインの口から同義の言葉を聞き、驚きで声すら出ないキズメルは目を大きく見開いたままその理由を全身で問いかけた。

 

「キズメル、さっきユウキに言ってたよな、アスナが公爵家から離れてしまう事を恐れてたって」

「……はい」

 

かろうじて肯定の意を伝える二文字は口から出たが、キリトゥルムラインの言わんとする事がわからず、先を急かすように身を乗り出す。

 

「でも、それが……アスナが願う結果だとしたら……受け入れてくれるか?」

「アスリューシナ様の願い?」

「そう……いや、違うな。アスナとオレの願い……かな。もちろんアスナは中央市場にだって行きたいだろうから基本、王都の屋敷で過ごす事になると思うけど、領地にも一緒に行く約束をしてるし……」

「ご領地……どなたのですか?」

 

思考の働きが一気に錆び付いてしまったようでキリトゥルムラインの発言の内容が全く理解できずにいるキズメルは「領地」と聞いて、我がユークリネ公爵家に「領地」はございませんが、と単純な問いを口にした。

 

「こんな所でまさかのアスナと同じ反応なのか?。言っとくけど領地には遊びに来いって約束じゃないからな」

「とおっしゃいますと……ガヤムマイツェン侯爵家のご領地に、侯爵様とアスリューシナ様がいらっしゃるというお話なのですね」

「ついでに確認の為に言うとアスナが過ごす王都の屋敷はユークリネ公爵家じゃなくて、オレんとこの屋敷だから」

「侯爵様のお屋敷にユークリネ公爵令嬢様をご招待下さる……」

「んじゃなくて……それなら普通にキズメルが護衛で付いてくればいいだろ」

「……だとしますと?」

 

……サタラはすぐにわかってくれたんだけどな、と言う小さな呟きは無視して、いやもう、ここまでくると目の前の青年が自分の大切な主人について語っている事を理解したい一心で身分差さえも無視で更にずずいっ、と身を寄せる。その一種心理的圧迫感すら与える切羽詰まったキズメルの顔が迫ってきて、キリトゥルムラインは予想外の場所での緊張を強いられた。

 

「要するに、だ……アスナが、だな……オレの屋敷で……公爵令嬢ではなく…………侯爵夫人として過ごすってゆー」

「令嬢、ではなく…………夫人、として?」

 

ポカン、と言う表現がこれほど的を射ている言葉なのか、と納得できる経験もそうはないだろうな、と思わせるほど、普段のキズメルからは想像も出来ない放心状態の顔に、うっすらと頬を染めたままのキリトゥルムラインは、忍び込むような小声で「キズメル?」と様子を覗う。

己の名を聞いて自分を取り戻したキズメルは、パチパチッと瞬きを数回繰り返すと、サッ、と前進した分、素早く身を引き、深く、深く頭を下げた。

 

「ガヤムマイツェン侯爵様、先程、受け入れてくれるか?、とお尋ねになりましたが……」

「あ……ああ」

「私は……アスリューシナ様がご自身の素直なお気持ちのまま笑顔で屋敷を出られるのでしたら、こんな嬉しい事はないのです。私は専任護衛の任を全う出来たのだと父に胸を張れるでしょう」

「……なら?」

「はい、ユークリネ公爵家から侯爵様の元へとアスリューシナ様を送り出すその日まで、我が公爵様がお許し下さるのでしたら、誠心誠意、最後まで護衛役を務めたいと思います」

「頼むよ、キズメル」

 

頭を低くしたままのキズメルが見る事は叶わなかったが、そこには願う未来にまた一歩近づけたのだと確信する喜色の黒い瞳があった。




お読みいただき、有り難うございました。
はい、今回の誘拐事件、キリトが頼まなくても、どこかの段階で
ユウキは関与してきたでしょう。
それが彼女の意思でもあり、約束でもありますから。
そしてキズメル……鋭く察する事が出来るのは敵の気配とかで、全く
鈍感な分野もあるようです。

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