先に馬車で事件現場から離れ、残された者達は……。
キリトゥルムラインとアスリューシナを乗せた派手馬車を見送ったユウキに「じゃ、ボク達は後片付けだね」と、まるでお茶会か何か少人数の楽しい集まりがお開きになった様な言葉を掛けられたユージオは彼女の隣でほんの少し表情を柔らかくした。
もちろんユージオが「お茶会」で思い浮かべるのは警護対象者である王女や自分の母が取り仕切る催しで、王女の茶会は当然彼女のすぐ後方に控える為、席に着座する事もなければお茶を啜る事もない。
母の茶会に呼び出された時は少し複雑だ。ユージオに同席を促した時、母が招くのは社交界でも若く独身の淑女達ばかりで、そのただ中に唯一の男性として出席する身をとしては彼女達全員に過不足亡く配慮しながら薔薇茶を飲み、母の相手もするという修練に近い時間を過ごさねばならない。
だから母からの茶会の誘いには出来るだけ断りの返事を入れているのだが、さすがに二度、三度とつれない態度を示していると奥の手とばかりに父が腰を上げてくる。多分、母が泣きつくのだ。可愛い三男坊が母親の願いを蔑ろにしているとか、ユージオにしてみれば首を傾げるしかない言いがかりをつけ、公爵である夫が自分には滅法甘い事を熟知している母の最終手段である。
ユージオの父と母は互いに幼い頃から家同士で交流のあった、所謂幼馴染みだ。
とは言え上の二人の兄達から聞いた話では、母の実家の爵位がさほど高くなかった為、二人を夫婦に、とは双方の家も考えてはいなかったそうだ。そして十代の頃の母は「社交界の薔薇」と呼ばれるほど艶やかで煌びやかな令嬢だったらしい。ただ、その二つ名には母の美しさを表すと同時に裏では薔薇特有の棘を示す名でもあった。
要するに下級貴族だから、と母に対し傲慢な態度で言い寄った男性貴族達はまさに「棘で痛い目にあう」の如く容赦ない返り討ちにあっていたのである。そして、その棘に刺されない唯一の男性が現在のルーリッド伯爵だったわけだ。
青薔薇伯爵家の子息だけあって薔薇の扱いを熟知していたからなのか、母が父にだけは棘を出さなかったのか、真相は誰も語らない。
とにかく、結婚をした後、伯爵夫妻となり三人の子をもうけ、その息子達が自立した今でも時間を合わせては本邸の薔薇園を眺めながら二人で楽しそうにお喋りをしている両親で……そして、その時ばかりは厳めしい父の眉毛がこれでもか、と下がっているのである。
今だに一輪でも鮮やかに咲き誇り、凛とした存在感と優美な芳香で父を魅了し続けている「麗しきルーリッド伯爵家の薔薇」は健在だ。
そうしてユージオも父から要請がかかれば母の願いを断ることなど出来るはずもなく、渋々茶会ギリギリの時間に実家である公爵邸に戻り、茶会なのだから、と開き直って菓子を口に運び、ティーカップのお茶の味を堪能していると第四騎士団団長の背後に音も無く忍び寄ってきた公爵夫人は低い声を震わせる。
「お茶なんて飲んでいる場合ではないでしょう」と…………母上、僕は茶会に呼ばれたのですよね?、と言い返したいのをぐっ、と堪え、ついでに今日の半休許可を貰うため、王城の彼女の私室で「実家に呼び出されたので半日、お側を離れます」と告げた時にジトッとした目で見られたやるせなさを思い出し、それもごくっ、と薔薇茶と一緒に飲み込む。
結局、茶会では埒が明かないと大々的な夜会まで催されたわけだが…………ユージオがいずれかの令嬢を選ぶわけもなく、それどころか主催者の伯爵がとある公爵令嬢をいたく気に入ってしまい、口約束とは言え本邸にまで招待してしまったのは大誤算だったわけだけど、とそこまでを思い出したユージオは「ああ」と内で納得の頷きを繰り返した。
さっき馬車内でユークリネ公爵令嬢様を自らの膝の上に抱き寄せた親友の顔は…………本園の薔薇を眺めているはずなのに、その実、隣に座っている母にずっと優しい眼差しを注ぎ続けている自分の父と同じだったのだ。
あの目をする男は何があってもその目に映す人物を変える事はないし、あの目に映る者はその視線から溢れんばかりの愛情を受け取る覚悟をしっかりと持っている人物であるとユージオは生まれた時から知っている。自分も早くそんな視線を素直に彼女に注げるよう、あちらこちらへ動かなければならないな、と決意を新たにし、アメジスト・バイオレットの髪を揺らして先を歩き始めた彼女に追いつくため早足で駆け寄りながら「近衛騎士団長殿、中央市場で買える建国祭のお土産で何かオススメはありますか?」と声をかけた。
既に扉は蹴破られ、室内の壁には所々に飛び散った血痕が付着し、床には未だ乾ききっていない血だまりさえ点在している惨状と評して差し支えない状態の空間中央に二人の男がいた。ユージオがユウキに呼ばれ、初めてこの部屋に入った時は椅子や血塗られたナイフ、剣などが無造作に床に転がっていたが、ユージオの部下が回収したのだろう、今は倒れていた椅子も部屋の出入り口のすぐ横に普通の状態で置かれ、その上に証拠品となる刃物の他、数本の紐布等がまとめられている。
ユウキは部屋に入るとすぐその椅子の前に立ち鞘に収まっている一本の剣を手に取って眺めていた。その後ろ姿を黙って見ていたユージオだったが、彼女の向こうに見える紐布にも血の染みが付いている事に気づき、その血が誰のものなのかが容易に想像出来てあからさまに嫌悪の表情を浮かべる。夜会の際にあまりジロジロと観察したつもりはなかったが、リンゴジュースの入ったゴブレットを持つ公爵令嬢の手はとても白くて細かった。いくら布製とは言え血染みを作るほどなのだ、友の腕の中で気を失ったまま馬車に揺られている令嬢の肌には痛々しい傷跡がついてしまっているのだろう。
そんな見るだけで胸の痛みを覚える証拠品があると言うのに、それらを『法の塔』へ持って行き、事の次第を報告しても、この国の三大侯爵家当主に厳罰が下ることはないのだ。下手をしたらこちらの虚偽が疑われる事態にもなりかねない。それほど建国当初から続いている三大侯爵家の権力は強大だった。
今回は同じ三大侯爵家であるガヤムマイツェン侯爵も当事者であるから一方的な判断は下されないはずだが、それでもキリトゥルムラインが言ったとおり、オベイロン侯ならばそう時間を要せずとも再び公爵令嬢の前に姿を現す事が可能な程度の軽い咎しか受けないに違いない。
そんな理不尽さと己の無力さにギッ、と両手の爪が握り込んだ手の平に食い込む。
と同時にユージオは中央の床にいる二人の内、あぐらをかいて座っている男を睨み付けた。
彼の隣にいるのは服装からして従者らしく、未だ気絶した状態で手足を縛られ目と口をそれぞれ布で括られたまま横たわっているが、ユージオが視線をそらせずにいる男はしっかりと意識を保っており、従者と違い一目で最高級とわかる生地に先刻見送った馬車を思わせる装飾品を散らした衣服を身につけていた。身体のどこも拘束されてはおらず、こちらは医療行為として目元をきつく布で幾重にも覆われただけのオベイロン侯はしきりと音のする方向に反応して神経質な動きをしている。こんな状況になっても反省や後悔などは微塵もないのだろう、室内に控えている第四騎士団の騎士達に噛みついても無駄な事は既に知っているようで、新たな二組の足音が目の前で止まるやいなや歪に口の端を捻り上げた。
「今度は誰がやってきたんだ?、話の分かる者かい?、この僕が誰なのか知っているんだろうな?」
「……オベイロン侯」
「ああっ、ようやくまともな人間が来たらしい。いつまで僕をこんな床の上に座らせておくつもりなんだ。さあ、早く医者を呼ぶか、屋敷まで送り届けてくれ」
侯爵名を漏らしたユージオの声を自分への返答と勘違いしたのか、どこまでも他者を見下した下命口調を投げつけられ、部下からでさえ平時は優しく温厚と評判の第四騎士団団長の表情も苦々しいものに変わる。けれど場の空気を感じ取ることなくオベイロン侯は更に喋り続けた。
「そうだ、僕の花嫁はどこだ?、ちゃんと両の手を縛っておいたはずなんだ。くそっ、こんな目では不自由で……」
両目の傷の痛覚さえ段々と高ぶっていく精神に凌駕されているのか、興奮と苛立ちを混ぜ合わせた耳障りな声が発した言葉の意味を捉えた瞬間、ユージオのクロムグリーンの瞳がボワッと燃え上がる。
「ぁがっ!」
ユージオが一歩を踏み出す前に、先刻から開きっぱなしだったオベイロン侯の口内へユウキが剣を鞘のまま突き刺した。
「うるさいな。少し静かにしてよ。それともこのまま先端を押し込んで喉を潰してあげようか?」
どうやら少女の声に聞き覚えがあったらしい……冷ややかなユウキの言葉と共に腹部への痛みを思い出したのか、一層激高するかと思われたユージオの予想に反して威勢の良かったオベイロン侯の両肩が項垂れる。その反応にひとつ頷いたユウキだったが、独り言のように小さく「ボクはそれでもいいんだけどなぁ」と言ったのが聞こえたらしく侯爵は慌てて身体を逸らせ己の口から唾と一緒に鞘を吐き出した。再び口を開けば問答無用で一直線に喉までを貫かれると警戒しているのだろう、屈辱のせいか顔を赤らめ小刻みに震えてはいるが今度は逆に「話せ」と言われても拒絶するつもりなのか唇を強く引き結んでいる。
室内が静寂になったところでユウキは改めてオベイロン侯の正面に立つと左手で鞘を目線の高さに水平に持ち、ゆっくりと右手で柄を握って剣を引き抜いた。
チラリと鞘の先に目をやって「汚れちゃったけど、ボクの剣じゃないし、いいや」と言って床に放る。
真っ直ぐに剣先を落としオベイロン侯の頭のすぐ上にかざすと、隣にいるユージオにニコリ、と笑った。
「見届け人になってよ」
初めて近衛騎士団の超法規的特権行使の場に立ち会うユージオは自分よりも小柄な少女の笑顔の奥に潜む威圧感に自然とその場で膝を折る。今から少女が口にする言葉は王の言葉と同義であり、その行為もまた王の代行なのだ。
ユージオが片膝を床に着いた事で室内にいた騎士団員達もそれに倣う。場が整った事を認めてユウキが徐に唇を動かした。
「アインクラッド国王の名の下に言い渡す。オベイロン侯、君の爵位は剥奪、次の当主が決まるまで爵位と領地は国王預かりとする。君の処遇は生涯、視力を失ったままでの幽閉だ」
いきなりの裁断を聞いてビクリと肩を揺らしたオベイロン侯が咄嗟にユウキに向かい顔を上げる。何が行われたかも理解できなかっただろう。見えずとも目の前にいる少女がこの国の王の名で三大侯爵家当主である自分に罪人の烙印を押したのだ。おふざけでもあり得ない事だった。納得など到底できるはずもない。
布で覆われていない部分のオベイロン侯の顔の皮膚全てが沸騰して真っ赤になっていた。
「ばかなっ!!」
堪らずに立ち上がろうと腰を浮かせたせいで、すぐ頭上にあった剣の刃が頭頂部に当たる。柄を握る手に伝わってきたその感触にユウキは笑みを深めた。
「ああ、それよりも、今、この場で頭から真っ二つに切り割って欲しいのかな?」
楽しげな口調とは裏腹にそれが冗談ではない事がいつの間にか部屋を満たしているユウキの怒気で伝わったのか、実際に頭に触れている剣刃で実感したのか、オベイロン侯は一気に顔色をなくしてへなへなと床に座りこんだ。その哀れな姿を見下ろしてユウキはさっきよりも細く薄い声で心を吐露する。
「私利私欲で彼女に手を出そうなんて、なんて愚かなんだろうね君は……建国当初のオベイロン侯はとても賢い人だったのに……」
固く冷たい声だったが、最後だけはほんの少し柔らかみを帯びていた。けれど一瞬で表情を切り替えたユウキは抜け殻のようになってしまったオベイロン侯を一瞥して怒気を霧散させ、隅に控えていた騎士達を手で呼び寄せる。
「こいつ、もう侯爵じゃないから、手足を拘束して構わないよ。あと、面倒だから口も塞いでおいて」
直属の上司はユージオであるのだが、その彼が膝を折る人物なのだから、と騎士達はユウキの命に素早く従った。持っていた剣を神速でひとはらいするとユウキは振り返り、未だ膝を折っているユージオに「はい」と渡す。
「この剣は城に運んでおいて。大罪を犯したかつてのオベイロン侯爵の両目を潰し、口に突っ込まれて、最後には頭かち割っちゃうかもしれなかった剣って事で戒めに新たな当主が決まったら王様から下賜してもらうから」
「……それは構いませんが……」
思わず受け取ってしまった剣だったが、そんな曰くをそのまま王城で申告するわけにもいかないよね、とユージオは内心、頭を抱えた。とりあえずすぐ近くに落ちている鞘を拾い、剣を収める。オベイロン侯失脚理由のひとつ、として持ち込み、詳細はまた後で考えようと問題を先送りにしておいてから、ふと、違和感に気づき顔を上げた。
「近衛騎士団長殿、他の証拠品は?、運ばないのですか?」
「んー?、あとはいいよ。今回の一件はこれでおしまい。ユークリネ公爵家だってガヤムマイツェン侯爵家だって事件として公にはしたくないはずだよ。首謀者の処罰はもう決まったし、これ以上話を広める必要もないしね。お金で雇われた人達やオベイロン侯の屋敷の人間への対応はそこの従者君がやればいい。もう従うべき主はいないんだ、一緒に幽閉されたくなければ、そのくらい喜んでしてくれるよ」
「そう……ですね」
三大侯爵家当主による公爵令嬢の誘拐監禁など本来ならあってはならない出来事だ。今回の事件が明るみに出れば社交界はその話題で持ちきりになるだろうし、加えて令嬢を救い出したのが同じ三大侯爵の別の当主と知られれば事態は更に収拾がつかなくなるだろう。ただでさえ病弱な公爵令嬢にこれ以上の心労を与えたとなればそれこそユージオの親友が怒りを爆発させる事は想像に難くなかった。その点、第四騎士団の部下達だけなら事の次第について箝口令を敷くのはたやすい。
「それが、いいのでしょう。では……」
「うん、この家は残りの証拠品と一緒に全部燃やして」
「承知しました」
スッと立ち上がり渡された剣を両手で持ったまま部屋を出ようとしたユージオにユウキが「ああ、それと」と言葉を加えた。
「第四騎士団の団長サン、この短時間でボクの行動を『スリーピング・ナイツ』の公式任務として認めさせたのはさすがだよ。これならお姫様の隣に並んで立てる日もそう遠くないかも」
まさに、ニカリ、と無邪気な、それでいて腹に一物ありげにも見えるユウキの笑顔に、ユージオは驚きと畏怖をまぜこぜにしたような感覚がゾクゾクと背筋を這い上がって来たような気がして、ぶるり、と身体を震わせる。
「え?……っと、それって……あの……近衛…騎士団長殿…………」
「ボクからも王様に進言してあげるねっ」
完全にユージオが止まった。思考も、呼吸も、当然手足の筋肉も顔の表情筋すらも動かない。そんな反応を今度こそ心から楽しむように「ふふっ」と満面の笑みを浮かべたユウキはトン、トン、と足取りも軽くユージオを追い越して部屋を出て行ったのだった。
お読みいただき、有り難うございました。
ルーリッド伯爵夫妻の馴れ初め、スピンオフで一本書けそうな
気がします(苦笑)
真実は……本当の棘は青薔薇の棘、という事で言い寄ってくる男共を
ルーリッド伯爵家の嫡男が排除していたのかも…………。
とにかく、これで「決着」の章は終わりです。
そしてやっと本当に最終章……。