カウントが500を迎えました事に感謝の意を込めまして
『漆黒に寄り添う癒やしの色【外伝】〜近衛騎士団誕生の物語〜』をお届けしたいと
思います。
さて、お読みいただく前にお願いが二つ……。
ひとつ、本編の42話「建国祭(4)」あたりまでお読みいだだいていないと、ちんぷん
かんぷんな内容となっております。
未読の方はそちら(本編)を先にお読み頂きますようお願い致します。
ふたつ、【外伝】なのでメインはキリトゥルムラインとアスリューシナではありません。
しかしっ、登場する二人の男女をキリトとアスナに脳内変換してお読み下さい。
そうすれば、あら不思議、ちゃんと「キリアスSS」の出来上がりです(苦笑)
その為、男女二人の容姿については、ほぼ描写を控えております。
では、キリトゥルムラインとアスリューシナが存在していた時代より遙か昔の物語をお楽しみ下さい。
(後日、順番を「決着」の章の次に移動させていただきます)
カサカサッ、カサッ、と細い獣道を草をかき分けて近づいてくる足音と共に探し人の名を呼ぶ少女と思しき声が聞こえてくる。
「ティターニアー、ティーターニーアー」
妙に間延びしてはいるものの少女の気性なのか、どこか潔さを感じさせる声は本気で名前の主を探しているのかどうか怪しさを存分に孕んでいた。
「こっちだ、ユウキ」
お目当ての名の女性とは似ても似つかない青年の声に呼ばれ、ユウキはそのまま急ぐでもなく面倒くさそうな歩調で声の主がいる辺りへと近づいていく。もう少し先には流れが緩やかな浅瀬の川があるはず、と自分の記憶と推察が間違っていなかった事を確信した時、川を背にして地べたに座り込んでいる青年が軽く手を振って合図を送ってきた。同じように手を振り返し、こちらが立ったままならば未だ成長期ではあるが年齢平均より幾分低い自分の身長でも目の前の男を見下ろす形で呆れ声を贈る。
「おはよう。朝っぱらからこんな所で何してるの?」
そう問いかけてはみるがユウキはこの男がなぜ何の為にここに居るのかなどわかりきっていて、それでも何と答えるかが知りたくて少し冷ややかな視線を外さずにいると、案の定、男は座ったまま立てていた片膝の上に肘を乗せ、自らの髪をくしゃり、と掴んで返す言葉選びに困っているのか眉間に皺を寄せた。
ユウキと目を合わせず「あー」だの「うー」だのを数回繰り返した後、降参するように顔だけを川の方向へ回し声を張り上げる。
「ティア!、ティターニア!、ユウキが来たからオレはもういいだろ?」
すると一呼吸置いて澄んだ声が川辺から飛んできた。
「もうっ、しょうがないなぁ」
「そろそろ時間なんだよ」
「わかったわ。私もすぐに行くから残しておいてね」
「りょーかい」
やっとお役御免だと言いたげに少しホッとした表情を浮かべた青年は身軽に立ち上がるとユウキの肩をポンッと叩くだけで引き継ぎを完了させ、たった今ユウキがやって来たばかりの道を足早に逆戻りしていく。その後ろ姿を胡乱げな目で見つめたままのユウキは川辺の方角からカサリ、と音がしたのに気づいて溜め息をつきながら今度こそ目当ての女性へと振り返った。
「ティターニア、朝から拠点を抜け出して沐浴?」
「んー、だって昨夜はここに到着したの遅かったから」
「だからって勝手に野営地を離れたら危ないじゃないか」
「この辺りはもう大丈夫よ。野宿続きでお風呂にも入れてないし、髪の毛ベタベタなんだもん。それにちゃんと見張りがいたでしょ?」
「あのねぇ、明日、城に戻ればすぐに国王の即位式が待ってる男を水浴びの見張り番にするなんてティターニアくらいだよ」
両サイドの腰に手を当てて少し偉そうに意見してみたが、胸を張ってみたところでスラリとした完璧と評していいスタイルを保持しているティターニアの小さなかんばせはユウキの頭二つ分は上に位置している。しかも小言を言われた方はまだ乾ききっていないせいで水滴を小さな水晶の粒のごとくまぶした目映いナッツブラウンの髪を僅かに揺らしてクスッと笑うだけだ。さっきの男にしても渋々といった感は出していたが、他の者にその役目を譲る気など更々ないことをユウキも知っていた。ユウキに後を託したのは既にティターニアの沐浴が終わる頃だと見当をつけていたのと、剣士として申し分ない腕を持つユウキが彼女をとても大切に思っている事を知っていたからで……とそこまで推測をしてからユウキが小首を傾げて頬に人差し指を当て斜め上を見つめる。
「あれ?……いつもならボクがティターニアにべったりするの嫌がって傍を離れたりしないのに、珍しいね」
「うーん、そろそろ丁度良い時間なんじゃないかな」
「何が?」
「どうもタイミングが難しいみたいで、他の人には任せられないんですって」
「だから、何の話?」
「……野営地のたき火でね……」
「うん」
「お芋、焼いてるの」
「……」
基本、普段の時もどんな激しい戦闘中でも笑顔で周囲を安心させるユウキだったが、この時ばかりは驚きと呆れが全身を覆い尽くしていて、そんな歳相応の反応が可愛らしいと感じたティターニアは再び桜色の唇からクスクスと笑い声を漏らす。それからまだ少し湿り気の残る髪をパサッと後ろにはらって「私達も行こっ」と自分と同じ『スリーピング・ナイツ』に属する最強剣士ユウキに手を伸ばした。
痛みと微熱に耐えるように大きめのクッションを抱きしめ、そこに顔を埋めて浅い眠りの中を漂っていたティターニアの髪に誰かが優しく手を差し入れてくる。傷口がベッドの敷布に当たらないよう身体を横向きにしているせいで長い髪が顔を覆い隠しているからだろう、何回かナッツブラウン色の髪を梳いてようやく出てきた火照り顔の頬に躊躇いもなく触れ、小さく「ティア……」と呼びかけてくる声に長い睫毛が震えた。
寝ぼけたような虚ろな瞳が色を見せ、ぼんやりと開いた唇から「おかえりなさい、陛下……ケガは?」とたとたどしい声が問うてくる。その声を聞いて、ふっ、と安堵とも苦笑ともとれる吐息を落とした青年王は頬に触れていた手を額に移動させ「まだ少し熱いなぁ」と呟いてから彼女の耳元に唇を近づけるため身を屈めた。
「ただいま、ティア。ケガはしてない。今回は調停会議に出かけただけだから……忘れたのか?」
身体の不調も手伝って王の不在はいつもより心細さが増していたのか、意識ははっきりしていないものの泣きそうな顔で見上げてくるティターニアに王は堪らず「ああ、もうっ」と苛立ちを込めた顔で自分の妃を睨んだ。
「侍女を庇って自らがケガをするなんて……このお転婆王妃っ」
口では彼女の行動を咎めているものの、手はひたすら優しく額や頬を撫でている。
背後から切りつけられた肩の傷はそれほど深いものではなかったが、それでもそれが原因で熱を出し王の帰城にすらベッドから起き上がれない状態はさすがに王妃として褒められた話ではない。それでも自分はちゃんと出迎えをするつもりだったのだと告げようと口を開きかけたティターニアより先に王の言葉が続いた。
「王都に戻った途端、城下の民までティアを心配する声と敬愛する話ばかりで誰もオレの帰還なんて気にしてなかったぞ。城内なんてもっとだ」
長き戦乱の世に終止符を打つ第一歩として隣国で行われた停戦に関する会議に出席してきた王は、自他共に認めるところである苦手な腹の探り合いによる交渉の場をなんとか乗り切って帰国したと言うのにそれを労う声がひとつもない事に随分と不満気だ。自分にだけ見せる少し拗ねたような顔にティターニアは軽く口角を上げてからよろよろと両手をついて身を起こした。
すぐに寝室の隅に控えていた侍女達が「お妃さまっ」と駆け寄ってきて肩に痛みを生まないよう、ふわりと軽いストールを後ろからかけてくれる。その気遣いに弱い笑顔で感謝の意を伝えてからぺたり、とベッドの上に座ったティターニアは柔らかな笑みで改めて王に正面から向き合った。
「お疲れさまでした、陛下」
すると王妃が横たわっていたベッドの端に乗り上げるようにして腰を降ろした王が困ったように笑ってから「うん」と小さく頷きつつ大きく両手を広げてくる。その胸の中にぽふんっ、と頭から倒れ込んだティターニアは心底安心したように深々と息を吐いた。
自分の腕の中で「よかった、無事に帰ってきてくれて……」と小さな声を拾った王は益々眉尻を落として「オレよりティアの方がケガしてるじゃないか」と呆れの混じった声を落としつつ、彼女の細い身体を緩く抱きしめる。
「戦場から戻ってくる度、オレに『癒やしの力』を使うくせに……オレはティアの傷を治してやれない……」
「こんなの……たいしたケガじゃないのに……みんなが大げさなだけ」
後ろに控えている侍女達の殺気じみた否定のオーラを感じて王は傷に響かぬよう注意深く薄い背中を撫でた。たいしたケガではないと言いつつも青年王の胸に力なく落ちてきた妃の顔は未だ熱で火照っており、身体も腕ごとくたり、と力無く内に収まっている。
「詳細は聞いた。城の前庭で慈善事業のバザーの最中に切りつけられた、って」
「……うん」
「でも狙われたのは侍女だったんだよな?」
「私付きの侍女だよ……主の私が守らなきゃ…………ああ……ホントに、剣を持っていればよかった……」
王妃となるまでは腰にあるのが当たり前だった細剣を所持していなかった事に心底後悔している声で告げられて王の思考が一瞬止まった。
「ちょっと待った。バザーで帯剣してる王妃ってどうなんだ……それに護衛の騎士達の立つ瀬が無いだろ」
「だって……せっかく城下のみんなが……来てくれているのに……あまり近くに騎士がいると……物々しいでしょ?」
「だから少し離れた場所に控えさせてたのか」
暴漢が彼女達に近づけた理由はわかったがそれでも騎士達の失態である事に違いはなく、帰還途中に王妃が城の敷地内で傷を負わされたと知った時、自分に付いていた騎士の怒髪天を衝く顔が今でもありありと浮かんだ。
『城にいる騎士達は何やってるのさっ』
ワインレッド色の瞳が更に赤く燃え上がり、眉を吊り上げて怒りに震えているユウキは王を、きっ、と睨み付けて宣言する。
『もうお前の護衛騎士なんかやらないっ、これからはボクがティターニアの側に付くからねっ』
確かに今回は戦場に出るわけでもないのでユウキ達は城に置いていくつもりだったのだ……けれど何が起こるかわからないから、と半ば無理矢理に王妃から強要された『スリーピング・ナイツ』の同行に、それを受け入れた王も自分の判断を後悔していた。
ティターニアはいざとなると「癒やしの力」を使う事を全く躊躇わない……その後、自分がどれほど辛い思いをしなければならないかわかっていても。そして婚姻をかわして自分達がこのアインクラッド王国の王、王妃となった後、初めて戦いに彼女を同行させず、それでも熾烈な戦場を収めて数多の傷を負いながらも愛しい妻の待つ城へと帰還した時、彼女は腰に手を当てて眉を逆ハの字にし、柔らかな頬をぱんぱんに膨らませたのだ。
『まったくっ、わたしのバックアップなしじゃ、背中が隙だらけなんだからっ』
そう言ってすぐさま抱きついてきたティターニアは表情を一転させてふわり、と笑い「おかえりなさい、陛下」と言うやいなや意識を失ってその場に倒れ込んだ。それから三日三晩高熱にうなされ続ける彼女を痛みの消えた身体で見守る事しか出来なかった青年王は、そこで初めてユウキから彼女の「癒やしの力」について聞かされたのだ。それからはいくら王が拒んでもティターニアは力を使うことをやめなかった。
だからと言って今回のような事件において、侍女がケガをしても力で治癒すればいいのだから、とは彼女は考えない。目の前で大事な人が傷つけられそうになれば身を挺してかばってしまう。
そんな彼女だとわかっているからユウキも騎士達に怒りを覚えたのだろうし、それ以上に殺気さえ纏ったのは切りつけた犯人にだ。いや犯人に対する感情としては青年王のそれはユウキ以上だったろう。伝令から王妃のケガの程度を確認した後、王はそれまで聞いたこともないような低い声を発した。
『それで、王妃を傷つけるという大罪を犯した痴れ者はもちろん生け捕りにしたんだよな?』
射殺すような視線と無慈悲の表情、否定を許さない物言いに使者は声もだせず震えながら首を縦に振るしか出来なかった。続けて王の隣に控えていた未だ少女と呼ぶにふさわしい容姿の最強剣士は反対に感情を爆発させて王妃付きの護衛騎士達の失態を罵り、勢いそのままぞんざいな口調でこともあろうか王を「おまえ」呼ばわりしたのである。
その後、それまで以上に帰還の足を速めて王都に戻り、城に入る前に今回の会議には同行させず留守を任せていた高官と合流して実は標的とされていたのが王妃の侍女だったいう事件の経緯を聞いた王とその護衛騎士は二人揃って大きな溜め息をついた。
『ったく、ありえないだろ、ユウキ。王妃が侍女を庇ってケガをするって……』
『まあ……ティターニアらしいよね。剣士だった頃も、そんな感じだったもん』
『ティアの持つ知識と経験と頭の回転の速さは国を守る為に使ってもらいたいんだけどな……オレとしたことが肝心の正義感と行動力を忘れてた』
痛む頭を抑えるように片手を額に当てている王に向かい、ユウキは幾分身長差がある分、下から挑戦的な視線で見上げて唇の両端をフフッ、と引き上げる。
『それで?……もちろん罪人の尋問はボクがやっていいんだよね?』
『うーん、お前に任せると尋問が拷問になる気がする……』
『ならどっちにするか決めてよ。城に帰ったら王様が一番に会いに行くのはティターニア?、それとも罪人?。罪人だって言うなら、ボクがティターニアの所に行くっ』
『…………ユウキ、尋問は頼んだ』
『おっけー! 任しといてよっ』
尋問を任ぜられたはずなのに、両手を交互にさすりながら『腕が鳴るなぁ』と不敵な顔つきで笑うユウキに、王は『オレに目通りさせるまでは人間とわかるようにしておけよ』とだけ念押しをした。
かくして帰城した王はすぐさま王妃の元へ、ユウキはその後ろ姿を見送った後、再び瞳を冷たく燃やして王妃を傷つけた罪人の元へと向かったのである。
青年王は、今頃地下牢ではどんな尋問が行われていることか、と、ふと気にはなったが調停会議で隣国に赴いていた間ずっと離れていた王妃を抱きしめている手を離すことは出来そうになく、加えて発熱で彼女の香りがいつもより濃く鼻腔を刺激して、くらり、と軽い酩酊状態に陥る。
多分、生かされている事自体を終わりにして欲しいと懇願するくらいユウキに遊ばれているだろうが、個人的な感情であれ、報酬のある仕事であれ、結果的にはこの国の王妃を害したのだ、それがどういう事なのかをしっかりと心と体に刻みつけさせねばならない、と青年王が今回の罪人の査問をアスリューシナ大好き最強剣士に任せた事で大凡の解明は望めるだろうと踏んだとき、コンコン、と控えめな叩音が寝室の扉の外から響いた。
寝室といった極めて私的な空間で国王夫妻が共に居る場合、侍女達は基本、控えている間は何も目にしていないし、何も聞こえていない。逆を言えば主である二人が求めなければ存在を空気の如く消しているので、ここで王や王妃が何をしても外に漏れる事はないし、漏らすような人材は起用していない。とは言え先程のように王妃が望まなくてもストールを用意するといった気転も必要なのだが、このノックに対しては扉の一番近くにいた侍女が伏せていた顔を上げ無言で王に対応を伺う。
王妃を包み込んでいた王はその問いに僅か視線だけで肯定を伝えると、侍女は恭しく一礼を捧げてから細く扉を開いた。
扉の向こう、王妃の居室には寝室までは付き従うことの許されていない若い侍女が銀盆を手に直立不動の姿勢で全身から緊張を放っている。本来ならばすぐに用件を告げなければならないのだが、上下の唇が縫い付けられてしまったように全く動く気配がない口に扉を開けた侍女は困り笑いで少し眉尻を落とし、カチコチに固まっている彼女の隣にいたもう一人の侍女に代行を促した。
王妃付きの侍女となってまだ日の浅い彼女がこうなってしまう事は予測できていたのか、特に咎める言葉もないまま銀盆にのっている陶器の小瓶についての会話が始まってもなお石化し続けている新米侍女は、そのやりとりすら耳に入らず筆頭侍女から与えられた言葉のみを呪文の様に頭の中で繰り返している。
『王妃様についてはどんな事も外で話してはいけません。特に陛下とご一緒の時は何も見ていない、何も聞いていない、を貫くのです』
これは侍女になるために王都にやって来て、まだ世間をあまり知らず少し素直すぎる彼女に向けてのちょっと極端な言いつけだった。けれど、こうでも言っておかないと人の良い彼女は大好きな王妃の素晴らしさをプライベートを含めて乞われるまま口にしてしまうのだ。
とにかく視線を自分が持つ盆の上の小瓶に定め、緊張のあまりじわり、と滲んできた手汗でその盆を取り落とす事がないよう神経を集中させていた彼女だったが、幸か不幸か、目と耳の機能は封じておいたものの隣の先輩侍女が自分の役目を代任してくれている間に鼻に届いてしまった王妃の寝室の香しさに導かれ、つい無意識に顔を動かしてしまう。
何の匂いだろうか?、と思わず鼻をひくつかせて扉の隙間に顔を突っ込み、視線を巡らせて見てしまったものは部屋の中央に位置しているベッドの上で身を起こしている王妃とその王妃を繊細な壊れ物のように優しく大事に扱っている王だった。
彼女とて王妃付きの侍女なのだから、城で働くようになってから王を目にする機会は当然何回かあり、無邪気に笑っていたり、真剣に政務に取り組んでいたり、たまに怖いくらいの厳しい声を発していたり、とそんな姿から素直に感情が表に出やすい人なんだな、という印象を持つに至っていた。良く言えば少年のように真っ直ぐだが、言い方を変えれば単純でわかりやすい、と言ったところだろうか。国の為、民の為、その大いなる意志を貫く姿の後ろで周囲の細かなフォローを王妃がしているように感じていたのだが、今の王は自分の腕の中にいる王妃に対し、慈しみの中にも心配や困惑、僅かな憤りも混じっていて何とも表現しづらい面立ちとなっている。
しかし、逆に王の腕の中にいる王妃にいつもの高貴さと清楚さ、それでいて親しみやすさを併せ持つ完璧な存在といった雰囲気はなく、ただひたすら自分の身を安心して任せられる王に甘えきっていて…………なんと言うか、とても愛らしいのだ。
ここで新米侍女は自分の心臓が大きく跳ねる音を確かに聞いた。
けれど無情にもその音が合図のように両手で支えていた銀盆は、それごと寝室内にいる侍女の手に渡り、開いていた扉は目の前でぱたり、と閉ざされたのである。
結局、一言も声を発する事の出来なかった彼女はいつの間にか役目が終わっている事に気づいてから、消えた盆を持っていた腕の形そのままに助けてくれた隣の先輩侍女へ顔だけを動かした。
「……か……かわいい……」
「あー、見ちゃったのね」
「なっ、なんですかっ、あの可愛さはっ」
「王妃さまのあのものすごっく可愛らしいお顔はね、プライベートで陛下とご一緒の時にしかなさらないレア中のレアなの」
「えーっ、だったら専従侍女の皆さんは王妃さまのあんなお姿をいつもご覧になってるって事ですか?」
「まぁ、いつもってわけじゃないと思うけど、王妃さま専従ともなれば口の堅さも超一級だから、そのへんの情報は降りてこないのよねぇ」
ふぅっ、と悩ましげに息を吐き、困ったように片手で頬を支えた侍女は興奮気味の後輩侍女が純朴と言っていい瞳をやる気に満ちた色で輝かせ「私、専従侍女になりたいですっ」と声高らかに宣言する姿を見て、一瞬だけ王妃付き侍女とは思えない顔つきで「ちっ」と舌打ちをする。しかしすぐさま笑顔に戻り……残念ながら片方の頬だけは僅かに歪みが残っていたが……優しげな声色で後輩侍女を窘めた。
「そんなの王妃さま付きの侍女全員が思ってることよ」
「へ?……ぜ……全員ですか?」
当然でしょう?、と少々呆れの意味も含めた視線で教えれば、後輩侍女はわかりやすく驚きで目を見開き口をポカーンと開ける。王妃付き侍女と言ってもそれこそ何十人といるのだ。単に所属が王妃付きと言うだけで直接王妃と関わる役目はほとんどなく、王妃の私室の掃除やドレスなど服飾品の手入れなど身の回りを整える事が主な仕事で、当然、王から贈られた貴重な石が使われているアクセサリーなどの品々は触れさせてもらえないし、王妃の近くに控える事も出来ない。それでも王妃からは分け隔てなく「有り難う」と声をかけてもらえるが、それにすら声で応じる事は禁止されていて深々と頭を下げるしかない。
けれど専従侍女は違う。
常に王妃に付き従い、その御身に触れる事を許されている。浴室ではかの身を清め、着替えを手伝い、髪をくしけずる。時には王妃としての政務をサポートし、時には話し相手として言葉を交わせるのだ。
「私……王妃さまとお喋りしながらあの長くてお美しい髪を梳かしてみたいです……」
その光景を思い描いているのか、夢現のように顔を蕩けさせている後輩侍女にさすがの先輩侍女も同意の頷きを示してくれる。
「わかるわー。王妃さまだけだもの、あんなに綺麗なナッツブラウン色の髪って。あの絹糸のような艶髪を専従侍女が結い上げている間、とっても涼やかなお声で会話をされているのを遠くでこっそり盗み見るしか出来ないこの身が不甲斐ない。あーっ、私も早く専従になりたいなぁ」
「どうやったらなれるんですか?」
「基本、人員に空きができたら、ね。今回の事で一時的にせよ補充がされると思うけど……」
「あ、襲わそうになった侍女さん、寝込んじゃったんですよね?……お気の毒に、見ず知らずの男の人から切りつけられるなんて、怖いですよねぇ」
「はい?、何言ってんの?。専従侍女がそんな理由で寝込むわけないでしょ。いざとなったら度胸も根性も天下一品なんだから。だいたいその侍女、騎士達が駆けつけるより先に短剣を持っている犯人の腕に噛みついたのよ。それはもうガッブリ、深々、と」
「……ガッブリ、深々、ですか……」
「肉を食いちぎる勢いでね。その時の血まみれの形相といったらもう、悲鳴を上げている犯人の男から彼女を引きはがした時の騎士達でさえドン引きしてたわ」
「うわぁ……」
まだまだ新米の身ということでバザー会場にさえいられなかった侍女も想像しただけで頬をひくつかせ苦笑い状態だ。
「当たり前でしょ。なんせ崇敬している王妃さまのお身体を傷つけたんだから。さすがに筆頭さまは冷静で素早く王妃さまを支えて応急処置とその後の指示をなさってたけど、他の専従達は完全にプッツンしちゃって、みんなして『うちの王妃さまにーっ』って男取り囲んで殴る蹴るのフルボッコ。それを宥めるのに騎士達もてんやわんやで……あぁ、私も売り子のお役目じゃなかったら参加したのにっ」
どうやらバサーの売り子を務めていた侍女達は事件の起きた場所より少し距離があったらしく、犯人に報復行為をするより集まっていた城下の民達への対応に追われていたらしい。
「えっと、じゃあ襲われた侍女さん、なんで寝込んでらっしゃるんですか?」
「そりぁ、自分を庇って王妃さまがケガをされたからよ。その場が収まってからようやく状況が飲み込めたのか、泡を吹いて倒れたの」
「……なるほど……」
「でも、王妃さま付きになって日も浅いあなたじゃ専従には選ばれないでしょうから、私も焦る必要はなかったわね」
先程の舌打ちはライバルが増えた事への正直な気持ちから出た音だったようだが、落ち着いて考えてみれば可能性はゼロに等しいのだと納得してすぐに優越感を漂わせる笑みを浮かべた。
「えーっ、そんなのわからないじゃないですかぁ」
「わかるわよ。まず筆頭さまのお眼鏡にかなうのが第一条件だけど、最終審査はユウキさまだもの。無理無理」
「ユウキさまって、あの『スリーピング・ナイツ』の?」
「そう。王妃さまがまだこの国の王妃となられる前から仲良くされていたんですって。なんたってあの陛下と張り合う程、王妃さまへの愛をお持ちだからユウキさまに認めていただけないと専従にはなれないの」
専従侍女の選抜方法を初めて知った若い侍女は、陛下と張り合うほどの王妃さまへの愛、と聞いてさっき覗いてしまった寝室内で一回だけしか聞いていないのに耳にこびりついて離れない青年王が妃の耳元で囁いた「ティア」という王だけが口に出来る王妃の愛称が、どこまでも甘くやわらかな声で形作られていた事を思い出す。続いて、それに応えるように熱のせいで緩慢な動きながらも背を伸ばし、王の顔に火照る頬をすり寄せていた王妃の愛らしい笑みを想起して、知らずに顔全体を赤くしつつも決意を固めて「でも、私、諦めませんからっ」と力強く両の手のグッと握り込んだ。
そんな風にまたひとり、専従を目指す侍女が誕生しているのも知らず、寝室内ではそのきっかけとなった国王夫妻の手元に銀盆に載せられた素朴な白焼きの小瓶が届けられていた。
未だ自分の腕の中でいつもより浅い呼吸を続けている王妃を抱き支えている青年王は盆を持つ侍女の隣にいる筆頭侍女へ「これは?」と短く問いの言葉を口にする。
「ガヤムマイツェン侯爵さまから、との事です」
それだけで心当たりがあったのか「ああ」と納得した王とは逆に、すっかり王の胸板に身を寄りかからせていた王妃はゆっくりと顔を上げて振り返るようにして小瓶を見つめた。
「ガヤムマイツェンさま?……陛下が侯爵位を……お授けになった……」
青年王はアインクラッド王国を建国するにあたり、それまで自らが治めていた土地と共にいち早く恭順の意を示し、国境を確立するまで各地での静定に力を貸してくれた領主達には爵位を与え引き続き自分達の土地を領地と認める命を下している。中でも元々広大な土地を領有し、青年王の擁立に尽力してくれた三人には建国と同時に爵位の中でも他の貴族とは一線を画す「三大侯爵家」と呼ばれる地位を与えていた。
その御三家のひとり、ガヤムマイツェン侯爵とは殊更馬が合うのか、青年王は今回の調停会議にも同行させていたのだが……。
「帰城の途中でティアのケガの報告を受けた時、あいつも側にいたからな。なんでもよく効く傷薬があるから城に届けさせると言っていたけど……随分早いな」
「ガヤムマイツェンさまは……気の良いお方ですものね……」
「そうだな。他の三大侯爵家の二人と比べれば要領が良いとは言えない性格だけど多少感情表現が苦手な部分を差し引いても、かなりの剣の使い手だし、剣筋に似て何て言うか一本芯の通ったものがあると思う」
『スリーピング・ナイツ』はメンバー同士の仲間意識が強いせいか、所属していない青年王としては最も信頼の置ける協力者達と言った捉え方らしく、同じように共に剣を携えて戦場を駆けたガヤムマイツェン侯爵の方が同士に近い感覚なのだろう。もちろんコンビネーションにおいては元『スリーピング・ナイツ』の細剣使いであるティターニアに勝る存在はいない。
「ユウキ達にも爵位と領地を、って言ったんだけどなぁ」
国を起ち上げる為の力添えという意味では三大侯爵家の当主達よりもずっと前から側にいてくれた剣士達だ、当然それ相応の処遇を、と思っていたのだが…………小瓶を見ていたティターニアの眼差しが青年王の元へと戻ってきて話の続きを促すようにパチパチとはしばみ色を見え隠れさせる。
「『そういうのはいらないっ』てさ」
少し頑張ってみた口真似が可笑しかったのか、それともユウキの返答が予想通りだったのか、王妃は熱と痛みに耐えながらも口元を綻ばせてから「そう言うと……思った」と呟く。王としてもユウキ達の意志は尊重するつもりだったのでその提言は早々にひっこめ『だったら他に願う事は?』と聞いてみたところ、ユウキは『スリーピング・ナイツ』全員が望む唯一を王にねだったのだ。
『「癒やしの力」で悲劇が起きないよう、この先もずっとこの国を見守っていきたいなぁ』
それはつまり城に留まってティアの側にいたいって事だよな?、と解釈した王は二つ返事でその要望を受け入れた。王としても気心が知れていて尚且つ「癒やしの力」を持つ自分の妃を大切に思ってくれている彼女達が近くに居てくれるのなら願ったり叶ったりだ。しかし、そんなユウキの希求の言葉を聞いたティターニアは、ふぅっ、と深く息を吐き出してから王に身を預けつつもどこか遠くを見つめるように視線を彷徨わせた。
「なら、もしもこの先……同じ力を持つ者が現れても……大丈夫なのね」
「ティア?」
一体なんの話をしているんだ?、と問いかけようとするより先に王妃は安心したように王を見つめ返し、少し寂しげに微笑んだ。
「『スリーピング・ナイツ』のみんなは……私が仲間に入る前から、ずっと一緒なの。私には……この『癒やしの力』があるけど……彼女達にはまた別の力が……あるから、きっと……陛下や私がいなくなっても……この国を見守ってくれる。だから……どうか彼女達を、王直属の近衛騎士団に……任命を、陛下」
普段は政に関しサポートはしてくれるものの、積極的な申し出を口にするような事はしてこないティターニアの献言に王は理由を問うよりも驚きでつい自然と「ああ、そうだな」と口にしてから我を取り戻すが、爵位の代わりと思えば別段無茶な話でもないだろう、と改めて強く頷く。受け入れてもらった事に心底安心したような王妃にますます訳が分からず眉根を寄せて不思議顔で覗き込んではみるが、王妃は今度こそ屈託のない笑みを浮かべると、この話はおしまいなのだと言うように王の腕の中で細い身体を捻り震える手を小瓶へと伸ばしながら「では……中身は傷薬なのね」と話題を戻した。しかしその手を自らの手で捕まえて引き戻し、かなり無理をして会話をしていたのだとわかるほど肩で息をしている王妃の背を再びゆっくりと摩り始める。
そこにタイミングを見計らった筆頭侍女が徐に口を開いた。
「陛下、では早速私どもがこの薬を王妃さまに……」
「それはオレがやるから下がっていいよ」
一見、優しげに見える笑顔と言葉だが、筆頭とそれに続く専従侍女達はそれが自らの発言を撤回する気など欠片もない王の決定事項なのだと瞬時にわかってしまい、こちらも貼り付けたような笑顔で受け止める。唯一、王妃だけが咎める声で「陛下」と顔を上げるが、そんな声もどこ吹く風で妃の耳に口を寄せ、小声で「胸元のリボンをほどけばいいんだから、オレでも出来る」と寝衣の扱いも心得ている旨を告げれば益々王妃の眉間に皺が寄るが頬はそれまでの発熱以外の熱が加わって更に朱が差していた。
王妃に関しては言い出したらきかない方なのだと熟知している専従侍女達は王が傷薬の小瓶を受け取ると、次々に一礼をしてから部屋を辞していく。最後に筆頭侍女がジッと王の顔を睨み付けていると言って差し支えない視線を送れば、王は軽く肩をすくめた。
「薬を塗るだけだろ」
「そうでございます」
「半月ぶりのティアなんだ。少しゆっくりさせてくれ」
「私どももケガを負われ熱をお出しになっている王妃さまにはゆっくりお身体を休めていただきたいと思っております」
「なら問題ないな」
含みのある、ニヤリ、とした口元で返されたものの、いちを釘は刺せただろう、と判断したのか筆頭侍女は深々と頭を下げた後、静かに部屋を出て行った。
寝室に二人きりとなった途端、青年王は「オレって信用ないんだなぁ」とぼやきながら宣言通り手際よくスルスルッと王妃が身に纏っている絹衣を脱がせる為のリボンをほどく。ゆるんだ襟元はすぐに肌を滑り落ち彼女の華奢な両肩を露わにした。白い肌が発熱のせいでいつもよりじんわりと温かく、淡い薄紅色に染まっている。
こくり、と喉が鳴り王妃の香りに引き寄せられて思わずケガをしていない方の肩先に唇を押し付ければ、彼女が「っつ」と羞恥で息を詰めるのと同時に、ぴくっ、と両腕を跳ねかせた。けれどその反射運動が傷に響いたのだろう、甘さの抜けた息を抑え込んだのがわかって、青年王は急いで顔を上げ「ごめん、ティア」と子供のような口調で謝るが、王妃はただ顔を横に振って謝罪の必要がない事を伝える為に自ら身体をすり寄せ密着させる。
纏っていた後ろ身頃は既に腰の位置まで落ちていて、滑らかな背中の上を王妃特有のナッツブラウン色を備えた長い髪が覆っているが、片方の肩には違和感しかない白い帯状の布が巻き付いていた。それを痛々しそうに見つめる王の瞳に強い情欲の色はなく、久方ぶりに触れるしっとりとした王妃の肌に慈しみを込めた手が何度も往復する。
今度は心地よさそうに息を吐く王妃が愛おしくて、同時にこんな事しか出来ない自分が歯がゆくもあり、堪えきれない感情のまま「ティア、ティア」と何度も名を呼べば王妃も艶事の時にしか呼ばない王の名を口にした。
今度は慎重に、ゆっくりと白布で覆われていない肩から首筋にかけて微熱を吸い取るように何度も唇で触れる。ティターニアもそれに応えるように自ら顔を反らし、細い首を差し出して王からの久方ぶりの愛撫を受け入れた。熱があるせいで浅い呼吸を繰り返している唇を塞ぐことは我慢して青年王の愛撫は王妃のおとがいから頬に移動する。けれど無防備に薄く開いている桜唇への誘惑に抗いきれず、一瞬だけ寄り道をして上唇と下唇を交互に食んだ後、鼻先、瞼へとその存在を自らの唇で確かめ続けた。
こめかみを経て耳たぶを再び唇で甘噛みしてから、ここならば、と遠慮無く舌を這わせば、すぐにティターニアの息づかいに色が加わる。甘さを含んだ吐息に混じって時折、誘うように漏れる短い声をもっと聞きたくて彼女の耳を攻め続けていると、王妃が掠れた声で「……陛下」と、いつもの呼称を口にした。自分の名ではない事にティターニアの限界を悟り、さすがにこれ以上はダメだよな……、と彼女の体調を慮って理性を総動員させ、唇を離してベッドの上に置き去りにされていた薬の小瓶を手を伸ばしつつ既に真っ赤に染まった美味しそうな頬を見ないようにして蓋を開けた。
一旦肩を覆っている白布を解くため密着していた身体を離せば最後の抵抗とばかりに王妃が「ううっ」と恥じらいで唸りつつ寝衣の前身頃を両手でかき合わせる。けれど先程までの行為を想起させる甘い「ティア」という呼びかけにすぐに陥落してしまい、後はされるがままに傷口を王の目にさらす事となった。
未だ塞がっていない生々しい赤い刀痕を目にした途端、傷口に注ぐ視線を導火線に一気に負の感情が引火しそうになるが、それをふるり、と顔を振ることで散らし、青年王は改めて瓶から軟膏をすくい取る。「塗るよ、ティア」と声を掛けてから薬のついている指を傷口へと這わせば最初の一回だけ肩を揺らした王妃だったが、それ以降は小さく震えるだけで痛みに耐える様に、王の内で再び抑えきれない犯人への殺気だった感情がわき上がってくる。けれどそれを敏感に感じ取った王妃は握りしめていた手を青年王の背へと伸ばし、ゆるり、と抱きしめた。
「ティア……」
こんな時だ……痛みに耐える姿を目にする青年王の頭にほんの少しの後悔がよぎる。もしも妃として娶らなければ、自分の傍に引き留める事をせず、剣士として旅を続けていたらこんな辛い思いはさせずに済んだのかもしれない、と……。これまで剣士としての彼女は「癒やしの力」を使う事はなかった。もともと『スリーピング・ナイツ』はメンバー全員が桁外れの実力者達ばかりだったし、青年王も皮肉なことに彼女が一緒に戦ってくれれば大きなケガなど負うことはなかったから。それでもユウキ達がティターニアの力を知っていたのは、青年王と出会う前、旅の途中で世話になった人達や出会った動物達に彼女がほんの少しだけ力を使っていたからだ。自分が戦場で受けるような深い傷を癒やすのではなく、彼女が僅かに体調を崩す程度の力を……。
ケガの痛みに耐え、熱に耐えている今の彼女を見れば、以前のような力の使い方のほうがどんなにか周囲にも彼女自身にも優しい事なのだと想像できて青年王は苦しげに表情を歪めた。
けれどティターニアはそんな王の顔など見なくてもその胸の内全てがわかるのか、依然として弱々しく腕を回したままその胸に顔を埋め、染み込ませるように唇を動かす。
「私なら……大丈夫……」
「でも……」
「今回の事は……きっと私が……原因だから……」
「ティア?」
「だけど……頑張って、みんなを、陛下を……守るから……だから、陛下は……私を……守ってね……」
結局、もう彼女を自分の腕の中から解き放つ事など出来るわけもなく、ならば既に覚悟を決めている王妃に倣い青年王は唯一その身を委ねきってくれる彼女の想いに応えるべく見事なナッツブラウン色の髪にそっと誓いの唇を落とした。
「うん、ティアの事はオレが守るよ、絶対に」
その言葉に深く安堵と喜悦の息を吐き出したティターニアは自分を包み込んでくれる腕のぬくもりと髪を梳いてくれる手の動きに誘われるようにゆっくりと意識を沈ませていった。
帰城してすぐにこの寝室で見た表情より随分と心やすくなった王妃の寝顔に王も肩の力が抜ける。もうしばらくはこのまま彼女を占有していたいが外気に晒されたままの傷口や肌は色々とよろしくないなぁ、と思案していると、頃合いを見計らったように遠慮がちな音が聞こえて、それが寝室の扉を叩いているのだと気づいた後、ゆうに深呼吸五回分ほどの時間を空けてから筆頭侍女ひとりだけが室内へと入ってきた。特に二人の現状については顔色を変えることなく、王妃のケガの状態のみを確認すると静かに「薬の塗布は終わっているようですので、そのまま王妃さまをお支えになっていて下さい」と告げた後、手際よく手に持っていた新たな布を患部に巻き付けていく。
寝衣を整え終わった後でもいまだ青年王はしっかりと妃を抱きしめていて、どうやら自分から身を離しベッドへ横たえる気はないらしい、と理解した筆頭侍女はそれでも王妃の体調の為に、と口を開きかけると、ちょうどそのタイミングで王が彼女を横向きに抱え直す。
体勢が変わっても安心しきっている王妃の眠りは少しも妨げられる事なく、ただちょっとだけ離れてしまったぬくもりを追いかけるように、王の胸元へと鼻をすり寄せ顔の半分をピタリ、とくっつければ満足そうに口元を綻ばせた。そんな表情を見せられては発する寸前の苦言でさえ飲み込むしかない。
寝ていても求められているとわかる仕草に青年王の表情も緩みきっていて、更に王妃を自分の身に引き寄せ愛しそうに手の甲をなで、腕をさすって、柔らかな頬をつつき、耳たぶを弄れば「っんくぅ」と、くすぐったそうな声があがり、益々王の目尻がさがる。
さすがの筆頭侍女もこれは見ていられない、と小声で「陛下、ほどほどにお願いします」とだけ懇請して早々に寝室から退去した。
それから深い眠りに落ちている自分の妃を飽きもせず姿を愛で、香りを愛で、ほんのり火照っている肌の感触を愛で、寝息を愛でていると再び、今度は躊躇いのない叩扉の音が王と王妃の空間に侵入してくる。
わかりやすく不機嫌な顔となった王が視線を王妃から上げれば、そろそろやって来るだろうと予想していた少女が扉を開け、それでも立てる音を最小限に、加えてこちらも王に引けを取らない不機嫌顔を晒しながら無遠慮な足取りで二人のいるベッドサイドへとやって来た。
取り上げられまいとするように王妃を抱く腕に力を込めるこの国の最高位の男を冷ややかな目で眺めてから、ふぅっ、と一息で表情を切り替えたユウキはそろり、とティターニアの顔を覗き込む。安らかな寝顔に束の間穏やかな笑みを浮かべるが、すぐにその口元は切ない哀痛を含んだものへと変化した。
「なに、この顔。隙だらけだね。旅をしている時はこんな顔、見たことないよ……」
そのままちょっと悔しそうに王を見上げると、それがティターニアを『スリーピング・ナイツ』の剣士から自分の妃としたユウキからの是認だと気づいた青年王が少女の訪問による苛立ちを消して、片方の口の端を上げ「可愛いよな」と同意を求める。その得意気な言い方が癪に障ったようでユウキはギロリ、と青年王を睨み付けた。
「ティターニアが可愛くて、強くて、優しくて、賢いのなんてお前よりずっと前から知ってる」
相変わらず私的な場では少女から「お前」呼ばわりされる王だが、これは『スリーピング・ナイツ』に出会った頃からなので、別段気にもとめず、それよりも自分の妃への賛辞に王がこの上のなく嬉しげに頷くと、逆にユウキは勢いをなくした声で付け加えるように本心を落とす。
「でも……こんなに安心しきった寝顔は知らない……」
哀しそうな、寂しそうな物言いに王は思わず王妃に触れていた手を伸ばし、少女の頭をポン、ポン、と撫でた。
「なら、ティアがずっと安心して寝られるようにオレ達が守らなきゃ、な」
「守る」という、その言葉が単にティターニア個人に対しているのではないと理解したユウキは元来の明るさを取り戻して「もちろん」と頷くと、恋い慕うような視線でもう一度王妃の寝顔を見つめる。ティターニアの事となるとたまに歳相応の感情を発露させるユウキが落ち着いたのを感じた青年王は次に己の立場を匂わせる目で最強騎士へ問いかけた。
「それで、どうだったんだ?」
具体的な言葉を示さず、既に全容を把握している事を前提とした挑戦的な顔つきへ負けじとユウキの瞳も怪しく光る。
「うん、地下牢のまぬけ君ね。素直なもんだったよ。既に全身痣だらけで歯は折れてるし、顔は腫れ上がってたし」
楽しそうな口調にそぐわない内容だったが、王が疑問を口にする前にユウキは「ボクの出番、あんまりなかったなぁ」と残念そうに呟いてから、王に向け満面の笑みを送った。
「骨、二、三本折ったくらいで聞きたい事ペラペラ喋ってくれちゃった……あ、言われたとおり、ちゃーんと人間ってわかる状態にはしてあるから安心してね」
その報告に「安心」とはほど遠い感情を抱えつつも、そこは国王として至極平然とした顔で「そうか」と受け取ってから「それにしても」と問わずにはいられない疑問を吐き出す。
「既にボロボロだったのか?、護衛騎士達には過度な制裁は加えないよう言っておいたと思うが……」
「騎士達には、で、もともと侍女達には言ってないでしょ?」
「あー……そういうことか」
今回の事件現場で王妃から少し距離のある場所にいた騎士達と違い、専従侍女達は常に影のように王妃に付き従っている事を今更のように思い出した王は、彼女達が王妃を敬愛するあまり、その全てに過剰反応を示す性質をも思い出して、うーん、と唸りつつも溜め息を漏らした。その存在は心強くもあるのだが時には矛先が国の王であり、王妃の伴侶である自分にさえ向けられるのは納得できない、と常日頃感じていた不満を思うものの、こと、あの集団に関してはどうも苦手意識も存在していて……と、そこで自分が意見を言うより専従侍女選抜の最終決定権さえ握っている存在が今、目の前にいる事に気づく。
「ユウキから侍女達に言っておいて欲しいことが……」
「そうだね、ボクも言おうと思ってたんだ」
被せるような返答を意外に思った王が「おっ?」と瞠目しているとユウキは真面目な顔つきで少し唇を尖らせた。
「殴る蹴る噛みつく、もいいけどさ。ああいう時は、まず相手の肩を外さなきゃ」
「ほへ?」
「両腕が使い物にならなければ手出しはされないし、逃げようとしてもバランスが取りづらくて上手く走れないしね」
先程までの歳相応さなど微塵も感じさせない非道な言葉と、それが冗談でも何でもないのだと確信できる真剣な表情に王は明後日の方向を見ながら「……そうだな」と肯定するしかない。それからユウキは真顔のまま、どうやら今のところ人と認識できるらしい状態の犯人から知り得た情報を王に明かした。
「結論から言うと今回の騒動、目的はティターニアに『癒やしの力』を使わせる事。襲う侍女は誰でもよかったみたい。地下牢の男は最近この国にやって来た流れ者で城下をふらふら歩いてたら声をかけられたって。前金で相当な金を掴まされたらしいよ。首尾良くティターニアが力を使えば更に同額を貰える話になってたらしい」
「……狙いは力の確認か、或いは城下の民をその力の目撃者とさせる事か……」
「両方……かもしないけどね。多分バザーに来ていた人間の中に今回の依頼主がいたと思うけど、さすがに今から全員を探し出して調べるのは無理だし」
「依頼主が首謀者とも限らないしな。となると、今回の調査はここまでか……」
これ以上打つ手がないと悟った王は悔しげに下唇を噛む。この後、下手人の顔は見るつもりだがユウキが語った以上の事を聞き出すのは無理だろうし、ティターニアを傷つけた腹いせだけで更に痛めつけるわけにもいかないだろう。
「ティアが……自分が原因だろう、と言っていたけど、その通りだったな」
「まあね、一所に留まればどうしたって人の目には触れるし、口の端にも上る。なんたって王様がケガをして帰ってくる度に力を使うんだから、どれだけの人間がその力を目撃してきたか、それがどんな風にどんな奴に伝わるかなんて予測できないしね」
再び国の城という場所に留まらせた原因である自分との婚儀と、力を使わせてしまう自分の存在に後悔が湧き出そうになると、それを吹き飛ばす少女の声が真っ直ぐ青年王の耳に飛び込んで来た。
「でも、そんなのティターニアもわかっててやってるんだから、ほんと、まいっちゃうよ」
お陰で信用に足る騎士達と侍女達を自分が選別しなければならないのだと零す少女は王や王妃より年下である事を忘れさせるくらい大人びた笑顔で肩をすくめ、やれやれ、と溜め息をつく。けれど王妃が力を使うのは王の凱旋の時とは限らない。むしろこのまま調停会議が滞りなく進み戦いが収束すれば、これまでのように数日寝込む程強い力の必要性はなくなるだろうが彼女が力を封印する事はないだう。既に力の存在が広まっているのなら、今後、同様の事件が起きないとも限らず、ならばどうすれば王妃を守れるだろうか、と王は潜考する。
それからしばし王妃の長い睫毛を見つめていた王はゆっくりと顔を上げ、ユウキに視線を伸ばして「頼みがある」と切り出した。王位に就く前、出会ってから一緒に各地を旅している間もこの青年王は『スリーピング・ナイツ』に向け何かを命令とした形で口にした事は一度もない。
「ティアの『癒やしの力』の存在を今更否定するのは難しいだろう。だったら、その力、王妃は王にしか使わない、と噂を流してほしい」
「……なるほどね」
力の使用をティターニアにやめさせる事は無理だとわかっている二人ならではの合意だった。どのみち今後は僅かな力の使用による反動の体調不良は頼もしい侍女達がいれば隠し通せるばずだ。そうしていずれは力が存在した事実は消えるか、またはおとぎ話のような浮言として語られるようになるだろう。それまでは自分が標的となればいい。『癒やしの力』を見たければ王を害する他ないのだと知れ渡れば敵は自分にのみ寄ってくるし、自分に降りかかってくる火の粉ならばどうとでも出来ると王は考えた。当然、本当に害されてティターニアに力を使わせるような展開になるわけにはいかないのだが、ひとつ気が進まないのは、この場合、襲われるとすれば王妃が同席しているか近くにいる場合に限られるという点だ。
彼女が王の負傷にいち早く駆けつけ、力を使わねば敵も目的は達成されない。
となると今後、王妃はもちろんだが自分の護衛も多少強化すべきか……と考えたところで青年王は王妃の願いを思い出す。
「ユウキ、領地や爵位の代わりにティアが『スリーピング・ナイツ』をオレ直属の近衛騎士団にして欲しいと言っているんだけど、どうだ?」
「近衛騎士団か……悪くないね。本当はティターニアの専属になりたいけど、王様直属の方が何かと自由に動けて都合が良さそうだし。ならさっ、ボクからもひとつお願いがあるんだけど」
まるでおやつのパンケーキをもう一枚ねだるような気軽さでユウキは無邪気な笑みを王に向けた。
「近衛騎士団には王様と同じ超法規的特権を使わせてよ」
思いもよらない提案に一瞬、驚いた様子の王だったがすぐに「そうだな」とこちらも高官達を納得させる苦労など知らぬふりで受け入れる。王からの容認に気をよくしたユウキは目を細めて静かな寝息を立てているティターニアの頭を撫でた。
「きっとボク達は、ずっとこの色を見守っていくんだろうな」
ナッツブラウン色の髪をすすっ、と毛先まで指で梳き、最後に指に絡ませてくるくると遊ぶユウキはその色から視線を外さずに遠い過去を懐かしみ未来にまで思いを馳せる。
「ボク達『スリーピング・ナイツ』はティターニアに出会う前からたくさんの国を渡り歩いてきたんだ。ボク達が最高に楽しめる国を探してね。それはティターニアが仲間になってからも変わらなかった。そして今はそのティターニアが王妃になった国にボク達はいる。ボク達はようやく見つけたんだよ、ボク達がいるべき国を」
「ティアも同じような事を言ってたな。オレや自分がいなくなっても、ユウキ達ならこの国を守ってくれるから同じ力を持つ者が現れても大丈夫だ、って」
今度はユウキが驚きで言葉を無くす番だった。けれどすぐに破顔して小さく笑い声を漏らす。
「やっぱりティターニアには敵わないな。気づいてたんだ、ボク達の力のこと」
「オレには何の事なのかさっぱりなんだけど、確か『スリーピング・ナイツ』のメンバーには自分とは違う力があるとか……」
「ふふっ、ティターニアが可愛くて、強くて、優しくて、賢い事は王様より知ってたはずなのにね。だったら大好きなティターニアの期待には応えなきゃ」
そう言うとユウキは表情を改め背筋を伸ばし、青年王の正面に直立すると、スッと片膝を床につき片手を胸にあて目を伏せて頭を垂れた。
「略式だけど……『スリーピング・ナイツ』の総意として誓うよ。この先、何があろうと『癒やしの力』を持つ者を見守り続けるって」
真摯な少女の声が室内に静かに響く。それに対し青年王も真っ直ぐに王として問いかけた。
「共に在り続ける、とは言わないのか?」
顔だけをあげた最強騎士は真剣な表情を崩して悪戯を仕掛ける前触れのような意味深い笑みを返す。
「だって『癒やしの力』が寄り添う唯一の存在はいつだって他にいるからね。ボク達はそれを見守るだけ」
既にティターニアをその腕の中に囲い、他者と共に分け合うなんて許すはずもない男が何を言ってるのさ、と冷ややかさを混ぜた目で見れば王はやわらかな笑顔で、この国の王として、『癒やしの力』を持つ女性を伴侶とする者として、心からの感謝を込め「ありがとう、ユウキ」と誓いを受け取った。
その後、王妃のケガが回復する頃には王直属の近衛騎士団新設は決定となっており、速やかに就任式が執り行われた。と言っても城に務めている者達にとってはそれまでと別段変わった事はなく、ユウキ達『スリーピング・ナイツ』のメンバーは城内において自由に過ごし、時には王と一緒に騎士達と模擬戦を行ったり、ユウキに関しては王妃が王の為にと用意した手製のおやつをつまみ食いしたり、と楽しげな様子を振りまく日々が続いた。
ただ、時折、王妃の近くで切迫した剣と剣とがぶつかり合う響きを耳にした者もいたようだが、その原因も結果も公にならないまま時は過ぎていく。
そうしてアインクラッド王国の王が代を重ねるにつれ、ナッツブラウン色の髪を持つ女性の出生率は減っていき、『癒やしの力』の名前すら知る者がいなくなっても王直属の近衛騎士団はメンバーを代えることなく密かに存在し続けた。いつしか現れるかもしれない初代王妃と同じくらい色鮮やかなナッツブラウン色の髪を持つ女性を見守る為に……。
お読みいただき、有り難うございました。
いかがでしたでしょうか?
ついに読み手様の脳内変換に頼る作品を書いてしまいました(苦笑)
当然、初代アインクラッド王とその妃はキリトやアスナと全く異なる容姿なのですが
王妃の名前がティターニアですし、ユウキと一緒に【スリーピング・ナイツ】だったので
こんなパラレル風なのも「あり」かと思いまして。
次の【外伝】は「〜スポ根上等!汗と涙の専従侍女への道〜」です(嘘ですっ)