漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナとキリトゥルムラインの会話は進んで……。


07.訪問者(3)

興奮して思わず声を荒げてしまった己の所業を恥じ入っているアスリューシナを前に、キリトゥル

ムラインはそれまでの軽快な口調を改めてゆっくりと話し始める。

 

「アスナ……オレ、謝りたいって言っただろ」

「え?……あ、はい」

 

今までと違った声振りに気づいたアスリューシナは、俯いていた顔を上げて、こくんと頷いた。

 

「それはアスナの足のことだ」

 

そう言ってキリトゥルムラインは視線をアスリューシナの足下へと落としたが、肝心の足首は

ナイトドレスの裾に隠されてしまい、その状態をうかがい知ることは出来ない。

 

「そう言えば、どうして私が足を痛めてるって……」

 

(兄にも侍女達にも気づかれなかったのに)

 

「まあ、順を追って説明すると、オレはパイ発案の礼が言いたくてここ一ヶ月『エリカ』という

人物を探すため頻繁に中央市場に通ってたんだ。それで今日も昼間に市場の横の噴水のある広場で

行き交う人達に目をやりながら鶏のタレ焼きを食べていたら、ちょっと油断したすきに持っていた

皮袋を小男に盗まれてさ……」

 

(え?、それって……)

 

「市場の人混みに逃げ込んだ小男を追いかけたんだけど、なかなか捕まえられなくて……」

 

(まさか鶏のタレ焼きをくわえたまま?)

 

「その時、その小男を転ばせてくれた人がいてさ」

 

「(やっぱり、あの……)鶏肉男!!」

「あ゛?」

 

気づけばアスリューシナはこっそり自分が付けたネーミングを両手をグーにして力いっぱい言い

放っていた。あわあわと口をおさえたが時既に遅し。その様子を驚きの目で観察していた

キリトゥルムラインがすぐさま疑惑の色を混ぜ込んで睨みつける。

 

「なんなんだ?、その『鶏肉男』って……」

 

一瞬にしていぶかしげな視線を浴びたアスリューシナは両手をパタパタと降ってその眼差しを

払いのけ、興奮のせいで色づいた頬にわざとらしい笑みを添えて侯爵を見つめ返した。

 

「なっ、なんでもありません。それよりやっぱりあの小男は悪者だったのね。それにしてもあんな

男に物を盗られるなんて、ちゃんと護衛をつけた方がいいと思います」

「一応いるんだけどな。でもあれは護衛って言うよりオレのお目付役って感じか。目の

いいヤツだから高台から常に注視を光らせてる射手なんだ。オレがあの小男を見失っていたら、

ヤツの足でも射貫いて援護してくれただろうけど……そういうアスナだって、ちゃんと護衛が

庇ってくれようとしたのに、それをかわして足を出してたじゃないか。隣にいた長身の女性、

あれ護衛だろ?」

 

どうやらなにもかもお見通しのようだった。

折角護衛として公爵家の令嬢の身を守ろうとしたというのに、当のご令嬢はその身を逃走者に

向け、あろうことか足まで出したのだ。小男が豪快に転がっている様へ周囲の目が釘付けに

なっている間にすぐさま人混みに紛れ市場の端に停まっている公爵家の馬車まで引きずられる

ように移動する間、ずっと専任護衛のキズメルに小言を言われ続けたことを思い出してアス

リューシナの肩が震えた。

 

「だっ、だって、あの小男、女性や子供を突き飛ばしても平気なんですもの。腹が立って!」

 

同じ台詞を何度もキズメルに訴えたのだが「だからと言ってお嬢様が足をお出しになって

いい理由にはなりません」と取り合えってはもらえなかった。

ところが、隣の青年は「ま、そうだよな」とポツリ、肯定の言葉を口にする。

 

「でも護衛としては立場がないだろ。まあ、そのお陰でこっちは無事、盗まれた物を取り戻せた

から……ホント、助かった。……皮袋の中身、これだったんだ」

 

そう言って内ポケットから無造作に小さな皮袋を取り出し、逆さまにして振ると、キリトゥルム

ラインの手のひらにコロンと何かが転がり落ちてきた。

 

「……指輪?」

 

アスリューシナが顔を近づけてよくよく見れば丁寧な細工の施された二本の剣が交差している

文様のインタリヨが刻まれている。

 

「ああ、ガヤムマイツェン家の紋章さ。この指輪が爵位継承の証なんだ。これがないとオレは

侯爵の身分を剥奪されかねない」

「そんな大事なもの!……なんで市場に持ってくるんですっ」

「夜に王城に行くのに必要だなーと思って用意してて、ついポケットに入れたんだろうなあ」

「だろうなぁ……って、ガヤムマイツェン侯爵さまっ」

「だからキリトでいいって」

 

なんでもない事のように無造作に指輪をしまうのを見ながら、アスリューシナは真剣な面差しで

キリトゥルムラインを見つめた。

 

「……ガヤムマイツェン侯爵さま……市場に行かれる時はもっと近くに身辺警護の者を付けて

ください」

「ウチの家令と同じことを言う……心配してくれてるって事で、いいのか?」

 

わざとらしく微笑むキリトゥルムラインの言葉で一気に冷静さを欠いたアスリューシナは、侯爵の

視線から逃れるように朱の差した顔を背けてもごもごと口を動かす。

 

「べっ、別にそういうつもりでは……そっ、それに、窃盗事件なんて市場の評判が……」

「とにかく、そのケガの原因はオレだから……ごめん」

 

謝罪の言葉が耳に届き、アスリューシナは慌ててキリトゥルムラインに向き直って首を横に

振った。

 

「気になさらないで下さい。これは私の判断でしたことです。多少痛い思いはしましたが、

あの小男の転がりっぷりを見てスッとしました」

「……それは同感」

 

思わず互いに顔を見合わせて微笑む。

自然と緩んでしまった頬を「あっ」とすぐさま引き締めたアスリューシナは、「コホンッ」と

場を仕切り直してキリトゥルムラインに少々きつめの視線を向けた。

 

「とにかく、今後も市場にお出かけになるのでしたら身辺に気を配ってください。物を盗まれる

のも困りますがお怪我でもされたら一大事です」

 

その言葉を受けて侯爵が頭を掻きながら眉尻を下げた。

 

「自分の足をわかって言ってるのか?、アスナ……それに……これでも騎士(ナイト)の称号も

持っているんだが……?」

「えっ?」

「信じられないって顔だな。なら今度、略綬を持ってくるよ」

「いえ、そんな、そこまでしていただかなくても……それに今度って……」

「ガヤルマイツェン家の紋章を見ただろ。二本の剣が示すように、我が家は剣士の家系で、

男は必ず騎士の称号をとる事が義務付けられているし、女だって剣は扱える。そのお陰か妹なんか

未だ庭を駆け回っている方が楽しい様子で……」

 

故意なのかそうでないのかアスリューシナの疑問をはぐらかしたまま「全く困ったヤツさ」と

妹の評価を告げた侯爵の顔が穏やかな笑みを作る。その表情から本気で困っているのではない

事など一目瞭然だった。「兄のとしての顔」をのぞかせたキリトゥルムラインを見て、答えの

得られなかった自分の疑問は一旦置いてアスリューシナもふわりと微笑む。

 

「仲がよろしいんですね」

 

一瞬言葉に詰まった様子の侯爵だったが「そうだな」と認めてから「あっ、そうだ」と思い

出したように再び内ポケットに手を入れた。




お読みいただき、有り難うございました。
ガヤムマイツェン家に仕える射手さんは……ええ、あのお方です。
出番は当分先になります。
と言うか「当分先」の人ばっかりです。
あの人やこの人も……。
まずはメインの二人の想いを深くしていただかないと、ですから(笑)

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