漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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最終章、スタートです。


55.寄り添い合う(1)

ユークリネ公爵が建国祭の為に参上していた王城から血相を変えて自分の屋敷へと戻った時、正面玄関では言い争うような勢いのある声が入り乱れていた。

 

「っ、お気持ちはわかりますがっ……」

「とにかく、今はお待ち下さいっ」

 

長年、公爵家の家令を務めている男は「沈着冷静」を絵に描いたなような人物なのだが、珍しくも必死さを窺わせる声と動作で一人の人間を落ち着かせる為にその腕を取り、振り払われまいと力を込めて押しとどめている。同様に家令の隣にいる侍女頭も懸命の説得に、知らず力が籠もっているのだろう、祈るように自分の両手を胸元で固く握り、懇願の言葉を繰り返していた。

この一大事に一体何をやっているのか、と公爵が眉間の皺をより深くさせて近づくと、その騒ぎを数歩手前で眺めていた青年が「そこまでだ」と冷静な一言でその場を平定させる。

 

「父上がお戻りだよ」

「……コーヴィラウル、帰っていたのか」

 

騒ぎの中心人物もそれを宥めようとしていた屋敷の者達も完全に周囲が見えなくなっていたようだが、公爵家嫡男の一言で我を取り戻し、素早く彼の後ろへと一直線に並ぶと自分達の醜態の反省も相まっていつもより深く頭を垂れている。この場に秩序が戻った事で僅かな休心を得た公爵は息子の前に立つと「よく戻って来てくれた」と労いを口にしてら「それにしても……」と自問のように声を潜めた。

 

「このタイミングて帰ってくるとは……お前らしい、と言うか…………いや、今は心強い」

「正確には、まだ屋敷には入れてもらってないんですけどね」

 

この場の空気を和らげる口調で少し戯けて言うと、公爵は今更ながら息子が旅支度の格好のままだという事に気づき、自分も相当平静さを欠いていると自覚する。

 

「どこまで把握している?」

 

共に事に当たれる存在に内で感謝して気持ちを前に向かせ、まずは今、得られる全てを知っておきたい、と公爵が問いかけると、無駄を省いた言葉に父の聡明な頭脳が働き始めたのを感じたコーヴィラウルは自身も声音を改め背筋を伸ばした。

 

「アスリューシナとキズメルが屋敷から連れ去られて既にかなりの時間が経っています。犯意の持ち主はオベイロン侯爵だとガヤムマイツェン侯が断定され、後を追ってお一人で中央市場へ……」

「ガヤムマイツェン侯が?、私は城で第四騎士団団長のルーリッド伯のご子息から聞いたが……」

「はい、ガヤムマイツェン侯とルーリッド伯のご子息は揃って我が屋敷まで来られ、アスリューシナの不在から今回の謀略を知り父上に知らせる為、伯爵子息は城へと。どうやらガヤムマイツェン侯は前々からかのアノ侯爵の動向を気に掛けてくれていたようで……」

「なぜガヤムマイツェン侯爵がそこまで?」

「そりゃあ、父上…………とられたくないからでしょう」

 

困り笑いに緩んだコーヴィラウルの顔は一瞬で、すぐに「今現在は……」と表情を引き締める。

 

「ガヤムマイツェン侯を乗せたうちの馬車は既に戻ってきています。御者はアスリューシナ専属のあの者を付けたそうですから、市場までは問題なかったでしょう。そこに俺達が帰還し、俺と一緒に事の次第を聞いた途端、自分も探しに出ます、と俺の護衛が殺気立ち、それを静める為にちょっとした騒ぎに……」

「申し訳ございません」

 

この場を代表して家令が口を開いた。その謝罪が何に対してなのか、深く追求することなく公爵は久方ぶりに会う息子の専任護衛を見つめる。

 

「……ヨフィリス……気持ちはわかる。お前とて娘、キズメルの行方は心配だろうが……」

「そうではありません」

 

主の声を遮ると同時にヨフィリスが顔を上げた。未だ痛々しさの残る一筋の傷が片方の瞼を縫い付けているが、それ以上に痛みに耐えるかのような苦衷の表情が見る者の心を締め付ける。

 

「我が娘が専任護衛としてお側に仕えていながらこのような事態に…………再びお嬢様があの時のような思いをされているのかと思うと……」

 

十四年前、アスリューシナが囚われの身となっていた姿が開かない瞼の裏に焼き付いているヨフィリスは声を震わせた。その声に誘われ、この場にいる者達全員が十四年前の悲惨な記憶を呼び起こしかけた時だ、若々しくもハッキリとした否定がその場の空気を今に引き戻す。

 

「違いますよ…………十四年前とは。それこそアスリューシナの側にはキズメルがいます。時間は経っていますが、既にガヤムマイツェン侯爵もルーリッド伯爵子息も動いてくれているのです…………何より……」

 

コーヴィラウルの声が一段と低くなった。

 

「今回は首謀者が特定できている」

 

今の今まで使用人達の前でも、父親である公爵の前でも、どこか達観した様子で事件から一歩手前に退いた位置に自らを置き、感情を高ぶらせる事なく穏やかに対処していたコーヴィラウルの瞳が初めて熱を帯びた。いや、表に出ていなかっただけで、既に内で渦巻いていた怒りの炎が抑えきれず、瞳に漏れ出たと言うべきだろうか。

そう、十四年前とは違うと言うのなら、アスリューシナの兄とて、あの時、無邪気にも午睡を満喫している間に大切な妹を奪われてしまった無力な少年ではないのだ。ユークリネ公爵の片腕と称されるほどに知識を得、知恵もつき、物事の対応力も養ってきた。父とはまた違う独自ルートも幾つか持っている。

十四年前のような後悔で押しつぶされそうな結末は一度味わえば十分だった。

聞けば、ガヤムマイツェン侯は王の近衛騎士団さえ動かすつもりのようだ。ガヤムマイツェン侯とアスリューシナの二人の進展具合はサタラから報告を受けている。あの青年ならば妹の救出はまず間違いなく成し遂げてくれるだろう。自分が動くのはその後だ、とコーヴィラウルは猛り狂う憤炎をかろうじて御し、再び人畜無害な笑みを浮かべて「とりあえず、今は……」と口元を緩ませた。

 

「屋敷に入れてもらえるかな?、馬車の中に客人もいるんだ」

 

 

 

 

 

中央市場での花火もとうに散り、市井の民達は祭りの興奮を抱いたまま、ある者は我が家へ、ある者は酒場へ、またある者は自分の持ち場へ、とそれぞれの居場所へ身を収め終わった頃、貴族の屋敷が建ち並ぶ一画を闇夜を切り裂くような猛烈な勢いで走り抜ける一台の馬車があった。それぞれの屋敷の門番達は何事かと首をひねったが、すぐに蹄と車輪の音は小さくなっていったし、主家に害が及ばないのであれば余計な関心事は身を滅ぼす種だと知っていたので誰もその正体を探ろうとは思わなかったのである。

しかし、ユークリネ公爵家の門番達だけは例外だった。

近づいてくる馬車に期待と不安の目を凝らす。

自分達が仕える公爵家の令嬢が不埒者によって連れ去られた事実は既に屋敷にいる使用人全員に通達されていた。

暗闇の中から馬の姿と馬車の輪郭が朧気に近づいて来て、その御者台で鞭を振るう人物が自分達と同じ使用人仲間であり令嬢の専任護衛を務めている女性だと気づき、その彼女の必死な形相までもが見分けられた時、門番達は様々な感情と憶測を封印して馬車の速度を落とさせないよう即座に門扉を動かしたのである。

一切スピードを緩めず公爵家の敷地内へと馬車を駆け込ませたキズメルは正面玄関の手前で手綱を力いっぱい引き締め、馬を失速させた。それまでずっと全力疾走を求められていた馬達は突然の正反対の指令に抗い、夜空にいななきを響かせる。

しかし、その高音の咆哮を合図とするように蝋燭の灯りが消えていない公爵家の内側から重たい扉が開き、次々に使用人達が飛び出してきた。

 

「キズメルっ」

 

興奮が収まらず未だ鼻息荒く跳ねるように足踏みを繰り返し頭を振り動かしている馬達を御者台で懸命に静めようとしているキズメルの耳に緊迫した父の声が突き刺さる。えっ?!、と驚きと共に顔を向けると、駆け寄ってくる使用人達の先頭に怒りと安堵を同居させた父の顔があった。

 

「……父……上?」

 

一瞬、意識が逸れた隙を突くように再び馬達の動きが激しくなった時、宙を踊る手綱をいきなり伸びてきた手がパシッと短く掴む。それはキズメルがアスリューシナと中央市場に出掛ける時、いつも御者を務めてくれている男の手だった。

 

「後は私が」

「頼みますっ」

 

馬の扱いにおいてこの公爵家で彼の右に出る者はいない。キズメルは何の躊躇いもなく手綱を手放し、すぐさま御者台を下りると馬車の扉の前に立った。ちょうど駆け寄ってきたヨフィリスが彼女の隣でもう一度「キズメル」と問いかけるように娘の名を呼ぶ。

 

「ご心配をおかけいたしました、父上。アスリューシナ様は馬車の中です」

 

父親の帰還に対する挨拶や問いよりも、まずその憂いを晴らす言葉の選択に娘の冷静さを感じたヨフィリスだったが、キズメルの表情は安堵を招くものではなかった。馬車の取っ手に触れる寸前で彼女の手が躊躇うように止まる。

 

「ですが…………かなり無茶な状態で力をお使いに……」

「なんだとっ?!、お前の傷を癒やされたのかっ?」

 

ヨフィリスがあげた非難じみた声とそれに答えることなくキズメルが静かに扉を開いたのは同時だった。「到着いたしまた」とその場で礼をとる彼女の小さな声が真っ暗な車内に投げ込まれれば、奥の座面の黒い物体がもどり、と動き、ヨフィリスは、ハッとしてそれを凝視する。

 

「……すまない……『癒やしの力』を使わせてしまったのは……オレだよ」

 

ヨフィリスには聞き覚えのない若者の声だったが、かろうじて絞り出している、といった語気に高まっていた感情が落ち着きを取り戻し、もう一度視線で娘に説明を求めるが、キズメルが口を開く前にキリトゥルムラインの弱々しい声が続いた。

 

「キズメル……早くアスナを部屋に…………オレも、ちょっと……寝る……」

「侯爵様っ?!」

 

脱兎のごとく車内に身を滑り込ませたキズメルの耳に闇の中から聞こえてきたのは、早く部屋に運ぶようにと指示したわりに、しっかりと膝の上で公爵令嬢を抱きしめているガヤムマイツェン侯爵の寝息だった。




お読みいただき、有り難うございました。
おおぅっ、ユークリネ公爵様とヨフィリスさん、初対話でございます(苦笑)
そしておかえりなさい、コーヴィラウルさまっ。
今にも飛び出していきそうなヨフィリスさんをどうにかして止めようとしている
家令さん……きっと腰あたりにギュッとしがみついたかと……頑張れっ、家令さん。
コーヴィラウルさまは肩を震わせて眺めていただけです。

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