漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ユークリネ公爵やコーヴィラウルが待つ屋敷へと戻ってきた
キズメルとアスリューシナ、そしてキリトゥルムラインだったが……。


56.寄り添い合う(2)

屋敷中の誰も口にはしなかったがお世辞にもセンスが良いとは思えない絢爛豪華に飾り立てられた馬車を操り、キズメルが公爵家に暴走と言っていい勢いで戻って来た後、屋敷の正面玄関の前ではちょっとした騒動が沸き起こった。

興奮でいななき続ける馬達はすぐに公爵家の下男が静めたものの、それと入れ替わるようにして声を荒げたのは公爵子息の専任護衛を務めているヨフィリスだ。

大事な主家の令嬢が持つ希有な力の行使は、それと引き換えに令嬢の体調を著しく低下させると知っていたからで、その原因を自分の娘が作ったのかと想像した途端、彼の背は震えた。十四年前と同様の悲劇が繰り返されるのかと推測したからだ。

けれどその思考は車内から零れ出てきた青年の掠れ声で覆される。

そして次はその青年の腕の中で昏睡状態に陥っていた令嬢をキズメルが抱きかかえて馬車から降りた時だ。

それはもうこの世の物とは思えぬ断末魔のごとき多重奏の甲高い叫び声が公爵家の敷地内に響き渡った。もちろんアスリューシナの侍女頭を務めるサタラを始めとした侍女達の悲鳴だ。

こちらは令嬢を包んでいたマントがパサリ、と落ちたのが原因だった。

それまで隠れていた喉元や腕、足の切り傷が晒されたのである。

サタラは震えるほど両手を固く握りしめたまま、ダンッ、と一回だけ片足で力いっぱい大地を踏みとどろかすと顔を上げ、即座に配下の侍女達に指令を飛ばし、自分はキズメルの隣でアスリューシナに寄り添うようにして彼女の私室へと同行した。

ここで女性の使用人達の姿は皆無となる。

残されたヨフィリスは馬車内に足を踏み入れ、一人取り残されていた青年を担ぐようにして外へと連れ出した。

二階の執務室にいた為、随分と遅れてこの場に到着した公爵とその令息、そして家令が痛ましい姿ではあったがアスリューシナが戻って来たことに肩の力を抜き、侍女達に囲まれながら屋敷内へと運び込まれる姿を見送った後、ヨフィリスの元へと近づいてくる。

担いでいる青年の処遇に少々困惑気味の己の専任護衛の顔を見て、コーヴィラウルは軽く握った片手で口元の笑みを隠し、タネ明かしをするように目を細めた。

 

「彼がガヤムマイツェン侯爵家の当主だよ」

 

公爵家の嫡男を国の外で護衛する事が一年の大半を占めるようになってから貴族社会の代替わりについては知識としてしか頭に入っていなかったヨフィリスは僅かに目を見開き、すぐに丁重な手つきで抱え直した後、そっ、と若き侯爵を見たが、生憎と力が抜けて俯いている為、濃く艶やかな黒髪でその尊顔は覆われている。それでも、すーぴー、すーぴーと無邪気に響いてくる寝息は不思議にもこの若者の誠実さを感じさせた。

 

「この方は……お嬢様が力をお使いになった原因は自分だと……使用人の私に『すまない』と謝罪の言葉を口にされ……」

「って事は侯爵殿もかなりのケガを負われたのだろう」

 

コーヴィラウルは無造作にキリトゥルムラインのカラスの濡れ羽色の髪に片手を差し入れ、その下の額に手の平を当てる。

 

「体温が随分と下がってる。重度の貧血といったところか。アスリューシナの力の事もご存じのようだし、このまま侯爵お一人をガヤムマイツェン邸までお送りするわけにもいかないだろうな」

「なんだとっ、コーヴィラウル、侯爵殿を我が屋敷で休養していただくつもりかっ?」

「それがいいと思いますよ、父上。今回の事件でアスリューシナを救い出してくれたのは間違いなく彼なんですから」

「しかしっ、侍女達はアスリューシナの看病で手一杯になるだろう。その上、侯爵殿までとなると……」

「ああ、彼は栄養と睡眠を存分に取っていただければ回復するでしょうから手はかかりませんよ。それに、多分このままご自分の屋敷に戻られてもすぐにやって来るでしょうし」

「どういう意味だ?」

「それは侯爵殿ご自身から聞いてください。じゃあヨフィリス、彼を二階の客室に運んでくれるかな……あそこならアスナの私室とは正反対の場所だが階段を使わなくても行き来ができるし」

「コーヴィラウルっ」

 

今度はユークリネ公爵の叫び声が木霊した。けれどその声を聞き流したコーヴィラウルは僅かに悲痛な面持ちとなっただけだった。

 

「父上、若くはありますが彼は三大侯爵ですよ。一階の客室というわけにはいきません。それに彼は知るべきなんです。俺達と同じようにアスリューシナを守る者の一人として……」

 

コーヴィラウルから強い覚悟を感じ取って、ユークリネ公爵は眉間に力を込めたまま唸るような声で「わかった」と了承を示した。

 

 

 

 

 

誰かに強く呼ばれたような気がして、キリトゥルムラインは、はっ、と目を覚ました。

覚えてはいないが、何か夢を見ていたのだろうか、やけに心臓の鼓動が早く感じる。周囲の薄暗さと未だぼんやりとした視界の中で最初に映ったのは天井の大柄模様で、次に自分を包む暖かな寝具の感触からベッドに寝かされているのだと気づく。

けれど見覚えのない天井画からここが自分の寝室でない事がわかると、すぐに頭と視線を動かして警戒の目で周囲を見回した。室内の暗さの原因は今が夜だからではなく、ベッドのすぐ近くにある大きなカーテンがぴっちりと閉まっているせいらしい。

まずは自分の現状を把握しなければならない、とキリトゥルムラインはゆっくり起き上がる。

清潔で肌触りの良い寝衣に軽くて柔らかな寝具、それだけでここが上流貴族の屋敷の一室だろうと推測しつつ床に足を付け立ち上がろうとすると、くらり、と身体が揺れる。まるで脳内に水が半分ほど溜まって、それが大きく振り動かされているようだった。傾いた身体を戻そうとして反対側に頭を振れば、余計な反動がついて今度はそちら側に倒れそうになる。

よろめく身体を制御できず、酒酔いのような足取りではまともな一歩すら踏めないキリトゥルムラインは結局、ぼふんっ、と元のベッドに座り込んだ。

その微かな音を拾ったのか、ドアの外から控えめなノックの音が室内に忍び込んでる。

一瞬、迷った後「どうぞ」と応えると、静かに扉が開き、そこからの光で部屋の一画が彩られるが、キリトゥルムラインの足元までは伸びてこない。その光を背負った一人の従者が寝室に足を踏み入れることなく頭を下げた。

自分の屋敷の者ならば遠慮無く会話が始まるのだが、一向に言葉を発しない従者を見て逆に使用人教育の水準の高さが窺え、ますますこの屋敷の主の予想が確信に近づく。

 

「こ……こは」

「ユークリネ公爵家の客室でございます。ガヤムマイツェン侯爵様」

「ユークリネ公爵殿は、この屋敷に……いらっしゃるのか?」

「旦那様はコーヴィラウル様を伴い早朝より王城に上がられておりますので不在です」

 

静かではあるが張りのある声の雰囲気からして自分の父よりは若そうだな、と感じるが面を上げないので顔の造作どころか表情すら読み取ることが出来ない。けれど自分が何者であるかを承知の上でこの屋敷に入れて貰えたのだと思えば目指す場所へ一歩近づけた気がした。

侯爵の掠れ声に「水をお持ちいたします」と礼を取ったままの姿勢で告げる従者に向け、キリトゥルムラインは彼が遠ざかる前にと手を伸ばした。

 

「アス……ユークリネ公爵令嬢は?」

「……お嬢様は、お部屋でお休みに、なっておられます」

 

教えては貰えないか?、とも思ったから、予想に反して何の抵抗もなく返答され少し拍子抜けとなるが、答えるまでのほんの少しの間と先程の淀みない声とは違う口調の乱れがキリトゥルムラインの内をザワリ、と撫でる。その正体を知るためにも、と今度は思い切った要求を口にした。

 

「令嬢の……彼女の部屋に案内して欲しい」

 

従者が口を閉ざす。

家令に判断を仰ぎに行く様子もみせず、ただ、下を向いて立っているだけだ。

キリトゥルムラインの覚えている最後のアスリューシナは自分の腕の中でマントに包まれ、意識を失ったまま微動だにしない、まるで人形のような姿だった。キズメルにユークリネ公爵家へ到着したのだと知らされた後は記憶が飛んでいる。最悪、あのまま自分だけガヤムマイツェン侯爵家に送り届けられていたとしても文句は言えない。それを誰がどう判断してくれたのか、自分を公爵家に入れ、休息を取らせてくれたのだからこれ以上を望むのは間違っているのかもしれないが……願いを飲み込むことは出来なかった。

今度こそ、とふらつく身体をベッドから持ち上げる。

 

「侯爵様っ、まずはご自身のお身体をっ。只今、水を用意しますので、それにお食事も……」

 

キリトゥルムラインからの問いかけに淡々と答えるだけだった従者が慌てた声で寝室に駆け入り、侯爵の身体を支えようと両手を伸ばしてきた。その手が触れる前に逆にキリトゥルムラインがその腕を捕縛するように掴む。従者の腕に侯爵の指が食い込んで仕立ての良い生地に幾つもの皺が寄った。

 

「連れて行ってくれ……彼女のいる所へ…………頼む」

 

従者の目が驚きで見開かれ、次に眉毛と共に苦しげに歪む。彼はキリトゥルムラインが予想していたよりもう少し若いようだ。アスリューシナの兄、コーヴィラウルよりは上だろうか。

一方キリトゥルムラインはなけなしの力で彼の腕を握り、必死の形相で彼女の元へ導いてくれと懇願する。

この国で貴族の頂点の一人であるガヤムマイツェン侯爵が一介の従者に向ける顔ではなかった。

ほぼ半日前、深夜の大騒動の後、家令を通してコーヴィラウルからこの若き侯爵の世話係を拝命した彼はすぐに屋敷の二階にある滅多に使われない最上級の客室にあるベッドを整えて、侯爵の身を清め、寝衣を用意した。侯爵の右腕にはヨフィリスの顔よりも長い傷跡が生々しい血の赤で刻まれており、一目でこれが原因なのだとわかった。

この青年が公爵家の宝とも言うべき存在の令嬢を救い出してくれた事は屋敷中の人間が知っている、と同時にこの青年に力を使った事で屋敷の使用人達全員が大切に思っている令嬢がベッドから起き上がれない状態にある事も……。

キリトゥルムラインがアスリューシナに会わせて欲しいと口にした時、躊躇いが生まれたのはこの従者の個人的な感情からだ。使用人風情が三大侯爵家当主に対して感情を出すなど許されない行為。

しかしベッドに座っているのもやっとの状態の青年は、従者の態度に声を荒げるどころか、自力で立ち上がり、あまつさえ使用人に「頼む」という言葉さえ口にしたのだ。きっとこの侯爵は令嬢のいる場所さえわかれば這ってでも辿り着く気なのだろう。

暗がりでもわかるほど血色の悪い顔に上がる息、従者の腕を掴んでいる手は既に哀れなほど震えている。それでも流れ出てしまった血液、戻っていない体力、使い果たした気力……そんなもの、あとでいくらでも取り戻せる、今は彼女の側にいたいのだと、真摯な黒い瞳が痛いほど訴えていた。




お読みいただき、有り難うございました。
ユークリネ公爵家の庭に怪鳥がいるらしい、という噂が立ったとか
立たないとか……(それ、侍女サン達の悲鳴です)
ご令嬢には「お湯、お湯」「タオル、タオル」「着替え、着替え」
「お薬、お薬」と侍女達がワラワラしたでしょうが、侯爵様の方は
「起きるまで寝かせておけばいいよ」(Byコーヴィラウル)かな?

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