漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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本年も宜しくお願いしますっ。

ユークリネ公爵家に滞在し続けているキリトゥルムラインは……。


59.寄り添い合う(5)

三大侯爵家のひとつであるガヤムマイツェン侯爵家の当主がユークリネ公爵家で療養生活を送っているという事実は、当然、ひた隠しにされた。とは言え元々ガヤムマイツェン侯爵は貴族社会へ頻繁に顔を出す性分ではなかったし、アスリューシナにおいては私室からさえ滅多に出て来られない公爵家の病弱な令嬢というのが一般的な認識だったから二人が社交界に現れない事を特に怪しむ者もおらず、キリトゥルムラインはゆっくりと自身の体調を回復させていったのである。

時折、公爵家に大きな鞄を抱えた訪問者が迎え入れられるようになった事と、色とりどりの美しい薔薇が届くようになった事以外はいたって平常通りのユークリネ公爵邸だった。

 

 

 

 

 

けれど、それはあくまでも外から公爵家を見た場合である……。

 

「……これ、絶対、いつもの書類仕事の量じゃないよな」

 

公爵家の正面玄関を入ったすぐ横の小部屋で「どうせすぐに済むから」と、立ったまま、今日で何度目かになる侯爵としての仕事の受け渡しをしながらキリトゥルムラインは己の従者を睨む。

定期的にこの屋敷を訪れているガヤムマイツェン侯爵家の従者は、すっかりこちらのお屋敷に馴染んでしまった様子の主に持参した書類を手渡した後、慇懃に微笑んだ。

 

「通常がこの量なのです。これまでは書類仕事に飽きると途中で執務室から逃げ出してしまわれていたので最低限の量をお渡しして、残りは家令殿が捌いていらしたのです」

「だったら、今まで通り最低限の量にしてくれよ」

「当主不在を悟られずに屋敷内を切り盛りする家令殿にこれ以上のご負担を強いろと?。それに良い機会ではありませんか。本来でしたら貴方様が目を通すべき書類なのですから、この量をこなせるようになって下さい」

 

相変わらず言葉遣いは丁寧だが、主君に対して慇懃無礼ともとれる話の内容にキリトゥルムラインの背後に控えていた従者は呆れと苦笑いを混ぜて一回だけ肩を揺らした。

そう、結局、最初に侯爵の為に二階の客室を整え、意識の戻った彼を令嬢の私室まで肩を貸した公爵家の従者はそのままキリトゥルムラインの滞在中、御側付きの従者という役目を言い渡されたのだ。その任を受けた時、近くにいた侍女頭のサタラが一瞬、何とも表現しづらい目で自分を見た意味をようやく理解しつつある彼である。どうやら自分がお世話を任されている侯爵様は普段からさぼり癖があるらしい、とあまり知りたくなかった一面を胸の奥にしまって、キリトゥルムラインが手に持っている書類の入った分厚い封筒を受け取ろうと、サッ、と侯爵の隣に並ぶべく音も立てずに足を動かし、両手を差し出した。

 

「あ、悪いな。頼む」

 

既に当たり前のようにそれを渡す主を見て、侯爵家の従者は肩をすくめる。

 

「ああ、うちの主を甘やかさなくて結構ですよ」

「お前な、オレは療養中なんだぞ。だから公爵家に世話になってるんだし。それにこっちの方が従者としての正しいあり方なんじゃないのか?」

「貴方様に正しい当主としてのあり方を示して頂ければ私共もそのように致しますよ。それにどこがお悪いんです?、既に傷口さえほとんど消えてお肌の色艶も良く、健康そのものではありませんか。ずるずるとこちらにご厄介になりたいだけでしょうに。折角なんですからこちらの公爵様に色々と教われないんですか?」

 

中央市場を取り仕切る見事な経営術であれば領地経営にも通ずるものがあるだろう、とあろう事か従者が主に発破を掛ける言葉にたまらず公爵家の従者が割って入った。

 

「申し訳ございません。我が主は屋敷を不在にしているのが常でして、それにご子息のコーヴィラウル様も同様、屋敷には遠方より異国の賓客もご滞在中ですので、その方のお相手にお忙しく……」

「という事は、うちの主、こちらのお屋敷的にはもの凄く邪魔な存在になっているような気がするのですが……」

「オレにはお前が公爵家までオレの仕事を運ぶのを面倒がっているとしか思えないけどな」

「はぁ、折角念願のユークリネ公爵家に仕えているというのに短期間とは言えこのお方付きになっているこちらの従者殿に同情しますよ……とんだ貧乏くじでしたね、ホーク兄さん」

「仕事中です、兄と呼ぶのは適切ではありません」

「相変わらず固いなぁ。まぁ、その謹厳さが公爵家の従者としては正しいのでしょうが」

 

いつものように黒い大型鞄の中身を空にした侯爵家の従者はそれを小脇に抱え直し、まさしく憐れみの目でキリトゥルムラインの半歩後ろで分厚い書類の束を持っている公爵家従者を見た。けれどこの場にいる男三人で瞠目している色は深黒だけだ。

 

「兄さん?」

 

キリトゥルムラインの疑問の声に侯爵家の従者が、コホッ、と空咳のような息を落とした。

 

「正確には従兄弟でございます」

「何言ってるんです。自分の方がひとつ上なんだから『兄』と呼べと言ったのはそちらでしょう」

「いったい何年前の話をしているんですか」

「かれこれ二十年程前ですかね」

「無効です」

「なら今更何と呼べと?、ホーク・ライカさん?」

 

フルネームを呼ばれたユークリネ公爵家の従者に二人分の視線が注がれる。

真面目が服を着たような従者の顔がみるみる朱に染まっていく様はいっそ可愛げすら感じられた。

 

「タオシス、そのくらいにしておけ。ホークもそこまで照れるなよ」

「ホーク兄さんは子供の頃からこんな感じの人なんですよ、主」

「従兄弟と言うわりにはお前にこの素直さはないよな」

「私達は互いの母親が姉妹なので、どちらも父親似なのかもしれませんね」

「お前の父親って……」

「はい、うちは数世代に亘ってガヤムマイツェン侯爵家の従者を務めていますから……まさか私の父の顔をお忘れになったわけではありませんよね?」

 

驚きと心配で目をしばたたかせたタオシスのわざとらしい仕草にキリトゥルムラインはうんざりとした顔つきでゆっくりと頭を上下させた。

 

「大丈夫だ、ちゃんと覚えてる。それに今もうちの屋敷で働いているよな?」

「そうですね、元気に先代様のお屋敷で執事を務めておりますね」

 

ガヤムマイツェン侯爵という名がキリトゥルムラインの父親を示す言葉だった数年前まで、タオシスの父親もまた侯爵家の家令として忙しい日々を送っていたが爵位がキリトゥルムラインに受け継がれたと同時に彼もその地位を引退して今は先代夫婦が暮らしている別邸の執事となって時には前ガヤムマイツェン侯爵が滞在しているアーメリア国を行ったり来たりしている。

タオシスの父親ついては今更聞く必要もなかったわけで、本来知りたかった人間へとキリトゥルムラインは顔を向けた。

 

「それでホークの父上は何を?」

「ホーク兄さんの実家は中央市場です」

「店をやってるのか?」

 

ホークの印象からは少し意外な気がしてキリトゥルムラインが声を飛ばせばようやく赤みの落ち着いたホークが少し誇らしげに目を細める。

 

「新鮮な魚貝類の他にも遠海の珍しい海産物の塩漬けや乾物なども扱っております」

「そこでまだ幼かった頃のホーク少年は視察に見えていたユークリネ公爵様とお会いになり従者を志すようになったというわけです。幸い手近な親類に代々三大侯爵家の従者をしている者がおりましたからね、従者教育と称して我が家に預けられ、ほぼ兄弟同然で育ったんですよ」

 

顔つきも態度も似通ってはいないのに、共に幼い頃同じ時を過ごしたせいなのか、今はそれぞれ違う貴族の従者となった従兄弟同士は顔を見合わせてその頃を懐かしむような目で互いを見た。

 

「と言う事はホークがオレの世話役になった事も、タオシスが屋敷からの伝達役になった事もお前達の関係性を踏まえた上での配慮なのか?」

 

キリトゥルムラインが二人に向け問いかける。それに対してタオシスは肩をすくめるだけだったが、ホークは丁寧に「いえ、事前に侯爵家からの使者が我が従兄弟だとは私も知らされておりません。そもそも私の身内がガヤムマイツェン侯爵家で従者をしている事はご存じないと思うのですが」と控えめな声で答えた。

その返答に、うーむ、とキリトゥルムラインが考え込む。

確かに普通の貴族ならば自分の屋敷に仕えている従者の血縁関係などそれほど掘り下げて調べる事はないだろう。しかしここは国家レベルの機密を有しているユークリネ公爵家だ。加えて公爵家にとっては領地とほぼ同意の中央市場で店を構える者達に関する事ならば、どこまでを把握しているのか、単に自分の考えすぎだと簡単には流し切れない勘のような物がキリトゥルムラインの思考を引き留める。

そもそもキリトゥルムラインが公爵家の客室で目覚め、アスリューシナを見舞った日の夕刻には涼しげな笑顔の自分の家令が沢山の荷物と共に紋章の入っていない箱馬車でやってきた事を思い出して、眉間の皺はより深くなった。

一体、いつの間に、誰が話を通したのか、家令は自分の主人が公爵家で仕事をする上で必要な物と当面の衣類を持参し、一緒にやってきたタオシスに運ばせ、ついでのように今後はこの者が屋敷との連絡役を致します、と告げたのである。そこからほぼ二日おきに、このタオシスが書類を持って公爵家に通っており、今日になって今まで散々顔を合わせていた公爵家の従者と侯爵家の従者が実は従兄弟同士だったという事実を知らされたのだ。

もしかして、知らなかったのってオレだけ?……と、一種の疎外感を抱きそうになったキリトゥルムラインだったが、ふと、時刻に気づいて声を素っ気なくさせる。

 

「考えても仕方のない事か……ご苦労だった、タオシス。屋敷の者達に宜しく伝えてくれ」

「はい、ではまた参ります」

 

辞するタオシスにキリトゥルムラインが複雑な目で見送ると、小部屋を出ようとしている彼に素早くホークが近づき小声で「タオ」と呼び止めた。

多分、昔からの呼び方なのだろう、いつもの四角張った表情に少しだけ弟分の従兄弟を思いやる兄の顔となっている。

 

「ちゃんと寝ていますか?、少し目が赤いようですが」

「その目敏さ、うちの家令殿並みですよ兄さん。帰りの馬車の中で寝ますから大丈夫です」

「自身の体調管理も従者の勤めです」

「うえっ、それ、うちの父の口癖じゃないですか」

 

苦笑によって崩れた顔を立て直し、タオシスがキリトゥルムラインに一礼をして部屋から消えると、すぐに「失礼しました」と言いながらホークが戻ってきた。

 

「ああ、そろそろ時間だろ?」

 

自分が促すまでもなく、頃合いを見計らってタオシスとの面会を切り上げる侯爵は従兄弟が言うほど公爵家にとって邪魔な存在ではないのですが、と思いながらも、実家の話が出た事でホークは今日の昼前に自分が受け取ったメッセージの存在を思い出す。

 

「侯爵様、少々よろしいでしょうか」

「歩きながらでいいか?」

 

小部屋を出たキリトゥルムラインはタオシスとは反対方向の屋敷の内部へと踏み出していて、目的地へ向かおうとする足取りは既にしっかりとその位置を把握しているのがわかる。ホークが「問題ございません」と言いつつ書類を抱えたまま侯爵の後に続いた。

 

「先程申しました私の実家から伝言があるのです」

「オレ宛てに?」

「正確には中央市場から私の実家を通して私に宛てられた物でございます」

 

漠然とした話に今ひとつ理解しきれない顔で振り返ったキリトゥルムラインを見て、ホークもまた困ったように笑う。

 

「私もどういう意味なのか分かりかねているのですが、とにかく『もし、ガヤムマイツェン侯爵殿と言葉を交わす機会があれば伝えてくれ』と」

 

その言い方だけで伝言を送ってきた相手というのが十中八九、中央市場で果物を扱っている店主あたりだろうと予測できた。しかも宛先を侯爵家ではなく、直接公爵家にしている所がキリトゥルムラインの滞在地を把握している事を示唆している。

こっちは必死で居場所を隠してるっていうのに……もしかしたらホークがオレ付きになっている事すら察知されているか?、と怖気を震わせたキリトゥルムラインが、怖々と「で?」と先を請うと、重い書類の束を抱えたままの従者は意味のわからない外つ国の言葉でも口にするように不可解な表情のまま口を動かした。

 

「『小さい方の黒はちゃんと戻っている。今度、機嫌を取りに来いよ』と……」

 

侯爵相手の無礼な語調も伝言主の正体をますます確実にさせていた。

しかし、そこはいつもの事なのでキリトゥルムラインの気に障ることはなく、むしろ冒頭の「小さい方の黒」という言葉に意識が持っていかれる。

小さい方の黒……小さい方の黒……黒、と言えばアスリューシナと共に中央市場へ出掛けた時、彼女が一番好きな色だって言ってた……あのきっかけは何だっけ……と記憶をたぐり寄せていたキリトゥルムラインは公爵家の二階に続く階段を上りきった所で「あーっ」と大声を発した。侯爵の奇行に階段途中にいたホークが慌てて一足飛びに駆け寄る。

 

「どうかなさいましたかっ、侯爵様っ」

「まずいな……」

「何がでしょうか?」

「すっかり忘れてた」

「私に出来る事でしたら何なりとお申し付けください」

「ホーク……」

「はい」

「実家の店が海産物系のお前には頼みづらいんだけど……」

「はい?」

「中央市場で犬が喜びそうな最高級の肉の用意を頼めるか?」

「は?」

「……近々、トトに謝罪してくる……」

 

あの夜、あの場所まで案内役を務めてくれたトトをすっかり置き忘れてきたことに今更気づいたキリトゥルムラインだった。




お読みいただき、有り難うございました。
「侯爵家の従者」さんと「公爵家の従者」さん、どっかで誤字ってないか
不安でいっぱいです(苦笑)
「公爵家の従者(兄貴分)のホーク・ライカ」は「北海いくら」さんを混ぜました。
「侯爵家の従者(弟分)のタオシス」は……逆読みをしていただければ、あの
キャラネームの真ん中あたりになります。
ちなにみホークには兄がいる(勝手な設定な)ので実家の海産物系のお店は彼が
継ぐでしょう。
実家では弟の立場なので「兄」に憧れがあったと思われます(笑)

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