漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナの看病を続けるキリトゥルムラインは……。


62.寄り添い合う(8)

「キ……リトさま……」とキリトゥルムラインの腕の中のアスリューシナが掠れの残る声で名を呼びながら顔を上げ、目を合わせ、ゆっくりと頭を横に振る。

 

「ん?、もうご馳走様か……まっ、そこそこ食べられるようになったよな…………と言ってもまだスープのみだけど」

 

サラサラからトロトロを経てようやく具材の野菜がなんとなくわかるようなわからないようなクタクタに煮込まれたスープを食せるようになったアスリューシナはキリトゥルムラインが手にしていたスプーンをトレイに戻している間に、反対側からサタラに差し出されたナプキンに動きの鈍い手を伸ばし自分の口元を拭った。

最近は聴力も正常に戻り、食事による疲労感も随分軽くなってきたと思うがそれでも未だ食べる事は体調回復への作業であり、終わる度に、ふぅっ、と息を吐き出さずにはいられない。それに毎回食事の最後に待っている行為は意識がはっきりしているアスリューシナにとっては更に心の負担を強いていた。

 

「アスナ」

 

そうよ、キリトさまに呼ばれたって顔を向けなければいいんだわ……そう思って頑張ってうつむき続けた事もあったが、その目論見は彼を怒りや諦めに導くどころか、いっそ愉しげに何度も愛称を呼ばれるはめになり、加えて声はどんどんと近づいてきて、このままだといつかの夜会の時ように髪に触れられてしまうっ、と焦る結果になって、結局キリトゥルムラインからの呼びかけには不承不承ながら顔を向けざるをえないのが現状だ。

食後の儀式となりつつある行為に羞恥を押し隠し極めて平静なふりを装ってアスリューシナが面を上げれば、心得ておりますから、と言わんばかりの侍女が表情を殺して小さなガラス瓶の乗ったトレイを持ち、キリトゥルムラインの後ろに控えていて、既に目の前には小さなスプーンが纏っている黄金色の蜂蜜とそのスプーンを持つ侯爵の漆黒の瞳は眩しいくらい煌めいている。

 

(なんでそんなに嬉しそうなのかしら?……でも、それ以上にっ)

 

ご機嫌なキリトゥルムラインとは対照的に侍女頭の指導の下、筆で描いたような微笑み曲線を口に貼り付けて目線を落としている侍女達の無言の訴えが居たたまれない。

壁際に控えている、公爵家の令嬢付き侍女として完璧を通り越して不自然ささえ漂わせている彼女達の存在など全く気にせず、さっきまでのスープを口元に運ぶ行為とさして違いはないように思うのだが、自分の領地産の蜂蜜を味わってもらう事が嬉しいのか、キリトゥルムラインも自分の口を、あーん、と開けてアスリューシナの躊躇いの唇を動かそうと促してくる。

確かに、この蜂蜜を喉に流し込むと痛みが随分と緩和されるし、味は濃いのに蜂蜜だけを飲み込んでも今まで食べた事のある蜜とは違って喉にいつまでも張り付いているようなしつこさがなくて、サタラからキリトゥルムラインがわざわざ公爵家から持ち込んだ品だとしか聞いていなかったアスリューシナは少しの躊躇いを見せてから小さな口を開いた。

すぐにスプーンの先が口内へと入って来て、アスリューシナの舌に蜂蜜を届けてくれる。

唇を閉じて口いっぱいに広がる自然の甘みを味わっているとスプーンが引き抜かれ、少しずつ嚥下を始める前にアスリューシナの唇にキリトゥルムラインの指が触れてくるのだが、あくまでも蜂蜜を塗る、という行為のはずなのに……と言うか、それだけでもかなり恥ずかしいのだが、最近はなんだか他の意思も混じっているように感じてしまうのは自意識過剰かしら?、と令嬢は喉を気にしながら軽く首を傾げた。

すっかり自身の腕の中に収まっている心細い公爵令嬢の身体だ、少しでも強張ったり震えがあればすぐに気づけるよう食事中も気を配っていたつもりだったが、自分が持って来た蜂蜜を口にした後に動いた頭へ今度はキリトゥルムラインが不可解さを表す。

 

「どうかしたのか?、アスナ」

 

問いかけられてアスリューシナは本来の答えではなく、何度目かになるお願いを「今日こそはっ」と気合いを入れてツヤツヤの唇を再び開いた。

 

「キリトさま……」

 

さっきよりも声が出やすいのを実感して更に気持ちを強くする。

 

「もう……ご自分のお屋敷に、お戻り下さい」

「またその話か……大丈夫だって、バレてないから」

「そういう事ではなく……侯爵や領主としてお仕事だって……」

「広い客間を使わせてもらってるし、補佐に就いてくれてるホークの働きも申し分ない。特に不都合はでてないよ」

「そんなはずはありません」

 

ようやく自分の意思で動かせるようになったとは言え、以前、中央市場で繋いでいた時より明らかに薄くなってしまった手の平がキリトゥルムラインの頬にゆっくりと伸びてくる。

そっ、と撫でるように触れた手に続き、アスリューシナの気遣いの声が届いた。

 

「疲れていらっしゃるの、気づいてないんですか?、顔色だって……」

「わかってるよ……でも、ここで頑張らないと……って言うより、オレが頑張りたいんだ」

 

納得は出来ないが持ち上げていた手はすぐに限界がきて掛け布の上へ、ぱたりと落ちしてしまう。

 

「けれど……でしたら、食事の時はこの様な体勢でなくても……」

「ダメだ」

「乾燥対策の蜂蜜は……」

「ダメ」

「……まだ最後まで言ってません」

「言われなくてもわかる。喉の腫れや痛みにオレの持って来させた蜂蜜は抜群に効くだろ?、こうやって蜂蜜を口にした後はお喋りが出来るほどだしな。だったらもう少し良くなるまで続けて口にした方が治りは早いし、うちの蜂蜜なんだからオレからアスナにあげるのが当然だと思わないか?」

 

なんとか丸め込もうとしている侯爵の言葉を近くで聞きながら、サタラは内で、はぁっ、と見えない溜め息をつく。

あくまでもアスリューシナの回復を願っているような言い方だが、あの蜂蜜が国王以外にはガヤムマイツェン侯爵家でしか味わえない逸品ならば、それを当主以外で口にできる女性は侯爵夫人くらいだろう。キリトゥルムラインからアスリューシナには教えないよう言われているのでサタラを始め侍女達は皆、口を噤んでいるが、何も知らずに蜂蜜を食べている令嬢は既に侯爵からの求婚を受け入れているようなものである。

毎回、食事の度に口説いている青年侯爵と、羞恥を堪えて了承を繰り返している令嬢という構図を見せられるのはサタラでさえごっそりと精神力を持って行かれている気がするのだ、他の侍女達の仮面のような笑みは己の防衛本能だろうと侍女頭は多面的な意味でより早くアスリューシナの体調が戻る事を心から願った。

 

 

 

 

 

それからのアスリューシナはキリトゥルムラインによる献身的な看病のお陰か、はたまた貴重な蜂蜜のお陰か、少しずつではあるが着実に元の体調に戻りつつあった。多少違和感はあるものの、喉の腫れがほとんど引いた時点でキリトゥルムラインからの蜂蜜の提供は辞退した。

その時、室内にいた侍女達全員が、ホッ、とした笑顔を見せたのでアスリューシナは随分と心配をかけていたのだと申し訳なく思ったのだが、それについてはサタラが「そうではありませんから」という言葉だけで説明を一切してくれなかったので真相については謎のままだ。

発熱については日中だけならばそれ程上がることもなくなった。

けれど夕刻あたりから深夜にかけてはまだ微熱とは言いがたい体温の上昇が繰り返される。それでも朝になれば治まっているので、あともう少しというところなのだろう。

だからキリトゥルムラインが一日の最後に見るアスリューシナの姿は熱で瞳を潤ませ、頬を染め、少し苦しそうな息をしながら、それでも「おやすみなさい、キリトさま」とベッドの中から綺麗に微笑んでいて、もう後は身体を休ませるしかないとわかっているから精一杯優しく「おやすみ、アスナ」と返して寝室を出て行く。

キリトゥルムラインが寝室の扉から消えるまで視線で見送ってくれているのを知っているので、最後に振り返って「また明日な」と笑い返し、しっかりと扉を閉めてからその場で足を止め、肩を落として笑顔から一転、やるせない表情で深く長く息を吐き出すが居室に控えている侍女達は見て見ぬふりだ。

どうしても考えずにはいられない……ここが自分の屋敷だったら、ずっとアスナの側に付いていてやれるのに、と。

しかし、ここで頬を両手でぱしっ、ぱっ、と叩いて自分を戒める。

こうやって公爵家に身を置かせてもらい、彼女と同じ階の部屋を用意され、時間も関係なく寝室にまで立ち入ることを容認されているのだ、この先、アスリューシナの未来と自分の未来が共に在る為ならば焦りは禁物だし、彼女に関して公爵家側からの意図は正確に読み取らなければならない。

きっとこの先、同じような事があったらアスリューシナは大丈夫だと言って心配を掛けまいとするのだから、キリトゥルムラインはこの屋敷の人間達に彼女の身を安心して預けられる人物だと認めてもらえるよう頑張りを続けるべく、部屋に戻ってから侯爵家より届いた書類に目を通すため漏れそうになった欠伸を噛み殺して令嬢の私室を後にした。




お読みいただき、有り難うございました。
「侯爵サマがお嬢様の唇に触れたかと思えば、お嬢様は侯爵サマの頬を
撫でちゃったりしてるし……」
「吐きそう……」
「吐くっ」
「爆ぜろっ」
以上、令嬢付き侍女、心の叫び、デシタ。

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