漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ユークリネ公爵家の屋敷内で……。


63.寄り添い合う(9)

珍しくも……と言うか、キリトゥルムラインの記憶には残っていないが、アスリューシナを助け出して共にこの公爵家へと馬車で帰還した日以来ぶりに、ユークリネ公爵家当主とその嫡男が揃ってこちらを向いている。

歴史を遡れば王家に辿り着く血を受け継いでいる上級貴族であり、王都で最大の規模を誇りまさにこの国の経済の中心とも言える中央市場の頭、そして多分この世界で唯一、他者の痛みを癒やす奇跡の力を有する令嬢の父親を前にして、自分の父やルーリッド伯爵とはまた違った威圧感を感じ取ったキリトゥルムラインは、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。

その若き三大侯爵家の青年の強張った面持ちに思わず、と言った小さな笑い声を漏らしたのは公爵の隣に座っているコーヴィラウルで、緊張が充満している空気を揺らすように肩を震わせている。

 

「……っふふ、失礼。二人共少し力を抜いていただけませんか?、折角の料理の味が俺まで分からなくなりそうだ」

 

場所はユークリネ公爵家の広い食堂、主人の席には当然公爵が、そして対面する位置には公爵に固い視線を突き刺されているキリトゥルムラインがいて、テーブルの上には料理長が腕を振るった本日の夕食が並んでいた。

これまでは公爵家の二階の客間でひとりホークの給仕で食事を摂っていたキリトゥルムラインだったが、今日に限っては昼間、わざわざ家令から「主が夕食を共にと申しております」との招待を貰ってしまい、断る理由もなく、こんな事態を想定していたのか、以前タオシスが運んできた荷物の中にあったジャケットを羽織って初めての食堂にやってきたというわけだ。

本来ならばコースに従って料理が順に運ばれてくるのだが今夜に限っては給仕の出入りなく会話をしたいとの当主の意向で特に食する順序を気にしないようなメニューが既にテーブル上にセッティングされている。

ユークリネ公爵に睨み付けられているキリトゥルムラインが料理に手を付けるべきか、それとも何か食事の前に話があるのか、と相手の出方を窺っていると、両者の思惑になど興味がないのか、それともよほど空腹を抱えていたのかコーヴィラウルがさっさとスープボウルを引き寄せて蓋のように被せてあるパイ生地をサクサクと崩し始めた。中からクリームスープの優しい香りが漂い出てくる。

 

「うん、美味い。侯爵殿もどうぞ、折角の料理が冷めてしまいますから。うちの母は食事作法はもちろん、料理に関しても結構うるさい方でして、幼いアスリューシナがまだこの家で暮らしていた頃は日々のメニューにも事細かに指示を出していたんですよ。ですから今の料理長も一介の料理人時代から我が屋敷で随分苦労したと思いますが……」

「サタラの……アスリューシナ嬢の侍女頭の夫だと……」

「ええ、今では中央市場から届く食材を見事な料理に仕上げます。アスリューシナもこっそり教わっているようですから、そこらの店の売り物よりよほど美味い菓子を作るのは……御存知ですよね?」

 

にこり、と上品な笑みを寄越してくるがそこには疑問の欠片も含まれてはいない。こういった腹の探り合いのような会話を「超」が付くほど苦手とするキリトゥルムラインは痙攣しそうなこめかみに気を回す余裕すらなく、何と返すのが正解なんだっ、と答えを探して自分の頭の中を全力疾走している気分だった。

しかし、求める答えに辿り着く前に目の前の公爵が声を張り上げる。

 

「菓子だとっ!?」

 

どうやら公爵殿は可愛い愛娘がよもや菓子作りなどという令嬢にあるまじき振る舞いをしているとは全くお気づきでなかったらしい。カラトリーにのびるはずだった手が石のように固く握られていて、大きく目を見開いている。父親が知らなかった事実を「はい、そうですね。オレも随分食べました」とはとても言えず、アスリューシナが菓子作りをしている事も、その味を既にキリトゥルムラインがよく知っている事まで把握している公爵家の嫡男に対して未だ正解を掴めずグルグルと思考を回しながら恨めしい視線を送っていると、コーヴィラウルが愉しそうな声で「はい、父上」と言ってから口元をナプキンでぬぐった。

 

「父上がたまに執務の間につまんでいる菓子もアスリューシナの手作りですよ。甘さを抑えて軽食の代わりになるようチーズを練り込んでたりナッツや干しぶどうを混ぜたりしてあるでしょう?」

「どうしてそこまで知ってる……かは、もういいっ。まったくお前は……」

「守る為には知らなければならない、と、あの日、学びましたからね」

 

あの日……と言うのがいつなのかを思い、この場にいる全員の顔が冷静さを取り戻す。

コーヴィラウルがアスリューシナの事を常に気に掛けるようになった原因をキリトゥルムラインは責める気もないし、多分、彼が十四年前に妹を建国祭に連れ出さなくてもロイヤルナッツブラウン色の髪の噂を入手した侯爵ならばいくらでも違う方法でユークリネ公爵家の令嬢に辿り着き行動を起こしていただろう。

しかし、それとは全く別の問題でキリトゥルムラインがアスリューシナお手製の菓子を食べていた事実がバレているという事は、これまで何回も夜中に令嬢の私室に忍び込んでいる事実を把握しているわけで…………どこまで知られているのか、と、公爵から受ける威圧感とはまた違う怖さに背筋が寒くなる。

そもそもコーヴィラウルは王都にすらいないのが当たり前のはずなのに、どれほどの細かい目の網を広範囲に張っているのか、と探るような視線を送れば、何を思ったのか嫡男の瞳がにんまり、と細くなった。

 

「侯爵殿、父はね、悔しいのですよ」

「悔しい?」

「妹が癒やしの力を使って寝込んでいる時、今までは誰の呼びかけにも反応しなかったものですから」

「……う゛っ」

 

だから、どこまで知ってるんだっ、と驚きと焦りで叫び出しそうな口に無理矢理具だくさんのスープを突っ込む。

 

「あつっ」

 

ザクザクとパイ生地の天井を崩し落とした途端、中から熱々の湯気が立ち上がっていたのだが、それが意味するところまで思慮が届かず、大きめのパイの残骸もろとも頬張ったスープは熱々で、加えてゴロゴロとした大きめの具までもが溶岩の如き熱さを放ちながら舌を刺激した。

きっと今回の会食が和やかな物ではないだろうと察した料理長が多少時間を置いてから手を付けてもクリームスープの温度が保てるようポットパイにしてくれたのだろうが、その気遣いが完全に裏目に出ている。

キリトゥルムラインとは反対に、彼の正面に座している公爵は完全に食欲をなくした様子で先程までの視線も固さを失い「そうか……あの菓子が……」と椅子の背にもたれ、はぁっ、と息を吐き出していた。そんな父親の姿を横から見ていたコーヴィラウルは今までにはない真っ直ぐな瞳でアスリューシナに似た柔らかな笑みを浮かべる。

 

「父上、もう観念したらどうです?」

 

息子からの問いかけに公爵は閉じている唇に更に力をこめた。

 

「アスリューシナの髪もなんとかなりそうですし……」

「……ならなかったら、どうするんだ」

「そこは、ユークリネ公爵家とガヤムマイツェン侯爵家の威光を存分に使って……それに我が妹はかの青薔薇伯に気に入られたようですし、加えてガヤムマイツェン侯はこの国の最強騎士団、スリーピング・ナイツとの繋がりまであるのですから……ね?、どうにかなる気がしてきませんか?……私利私欲にまみれた小賢しい男は罪人となって王都から追放され、あそこの侯爵家自体にも随分と大きな貸しを作れました。もう一人の侯爵殿は相変わらず静観を決め込んでいらっしゃるようですから特に問題はないとして……父上、十四年前とは状況も随分と違うんですよ。あの時の、この王都ではアスリューシナを守り切れないという父上のご判断、俺は間違っていなかったと思っています。けれど誰ひとりとして……お決めになった父上でさえ望んだ事ではなかったはずだ。今度こそ皆が望む決断を、父上」

 

必死に舌をなぐさめていたキリトゥルムラインはコーヴィラウルの言葉が進むにつれて居住まいを正し切望の瞳で目の前の公爵を見つめている。

 

「俺が手に入れてきた東方の染料をアスリューシナの髪に試してみて……」

 

続く言葉を視線だけでキリトゥルムラインに受け継がせようと言うのか、ふいにコーヴィラウルが顔を動かした。

ようやく、このユークリネ公爵家の嫡男が何年もかけて国の外で何を探し求めていたのかを知ったキリトゥルムラインは、その労を敬うように、ひとつ頷くと改めて公爵に向き直る。

 

「その染料が今までのようにアスナに苦しみと引き換えに束の間の自由を与える物でないならば、オレは……オレの隣に、彼女が……ユークリネ公爵令嬢がガヤムマイツェン侯爵夫人として立つ姿を皆に見せたい」

 

その言葉にユークリネ公爵は髪を染め、純白のドレスを着てガヤムマイツェン侯爵の隣で微笑んでいる娘を想像した。

アスリューシナに対してはあがないきれない負い目がある。

自分の血筋のせいで禁忌の色を持って生まれてきてしまった娘……そのせいで幼い頃から窮屈な生活を強いたし、怖いめにもあわせた。挙げ句、家族から引き離し王都から遠く離れた地での生活を強制させ、ろくに会いにも行かれなかった。心が痛む事もたくさんあっただろうに、恨み言ひとつ言わず、顔を見せれば必ず笑ってくれる優しい女性に成長してくれた。

更に自分の為に菓子まで作っていたとは……そんな娘だからこそ嫁ぐ先では苦労をしない爵位の男を、と今までのように人目に触れない生活をさせてくれる侯爵を選んだつもりだったのだが……。

この場でひたむきに自分と相対している若き侯爵は、あの男と同じ三大侯爵家だと言うのにそれをひけらかすでもなく、むしろ自分が大事に包み隠してきた愛娘を己の隣で公に見せびらかしたい、と申し出ているのだ…………多分、アスリューシナもそれを望んでいるだろう事は聞くまでもないだろう。

父親である自分の声は届かないのに、好いた侯爵の声ならば聞こえるらしいのだから、けれどそれは男親としてはとてもとても面白くない。

自分よりアスリューシナが子供の頃からあれこれとかまい倒していた息子のコーヴィラウルが認めようとも、娘の婿にと考えていた侯爵の本質を見抜けなかった自分の目が例え節穴だったとしても、そして……きっと最後には認めざるを得なかったとしても……公爵は、スッ、とカラトリーの中からスープスプーンを選び、スープボウルの真上に構え、ザボッ、と息の根を止めるような勢いで垂直にパイ生地の中心に突き立てた。

 

「ガヤムマイツェン侯爵殿……わがユークリネ公爵家は御存知のように領地を持たない代わりに中央市場を仕切っております。ですからアスリューシナも古参の店主達にはいたく可愛がられておりましてね。コーヴィラウルの染料を試せるまであの子の体調が回復するにはもう少し時間がかかるでしょうからその間に私が市場をご案内しましょう」

 

要は娘婿として中央市場の店主達が認めないうちは首を縦には振らんっ、というわけだ。

まるで市中引き回しの刑のような提案にキリトゥルムラインは内心「うへぇ」と腐った声を吐き出した。




お読みいただき、有り難うございました。
すみせん、またもや男性のみのむさ苦しい回になってしまいました。
ホットパイスープって、ほんと、あっついですよね(笑)

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