漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ユークリネ公爵やその息子、コーヴィラウルと三人だけで食事をしつつ
言葉を交わしたキリトゥルムラインは……。



64.寄り添い合う(10)

ユークリネ公爵との夕食が済んだキリトゥルムラインはその足でアスリューシナの私室を訪れていた。

既に誰の手を借りずともベッドから身を起こし、食事が出来るようになったアスリューシナはたくさんのクッションを背もたれに食後のお茶として出されたもの凄い色の液体を飲んでいる。喉の腫れや痛みは治まったものの、まだまだ体力回復を目指すには食事の量が少ないので、料理長が考案した栄養満点の薬膳茶なのだとサタラが言っていた。

ただ、残念なことに栄養補助を第一に配合された為、味や色においては二の次になってしまったらしい。

中央に寄ってしまうそうな眉毛を懸命に押しとどめ、細かに震えそうになっている唇も力を入れる事でなんとか抑え込んでいるらしいが、自然と湧き出てしまう涙は堪えきれないようで、キリトゥルムラインが相変わらず侍女の取り次ぎもなしに「アスナ、入るぞ」という声かけと同時に開いた扉の先に見た光景は大きめのカップを両手に持ったままこちらを向いた涙目のアスリューシナだった。

途端に表情を凍らせたキリトゥルムラインがつかつかと早足で令嬢の元へ歩み寄り、ちらり、とカップの中を覗き込んで中身が綺麗になくなってるのを確認してから、スッと片手でそのカップをアスリューシナから取り上げると顔も向けずにサタラへと手渡す。

見事な連係プレーでカップを受け取ったサタラはそれを背後の侍女が持つトレイへと着地させた。

その間もキリトゥルムラインは無言でアスリューシナを見つめていて、一方のアスリューシナは未だカップを持っていた手の形を崩さないままいきなりの侯爵の行動に痺れている舌と震えている唇をどうにか動かし「キリトさま?」と揺らぐ声を紡ぐ。

綺麗なナッツブラウン色の瞳を覆っている透明の水膜とか細い声、寝衣から覗く細くて白い首筋と腕はもちろん、食事の度に自らの膝の上に乗せていたからこそ想像できる華奢で、それでいて柔らかな寝衣の中身の存在、それら全てが自分に訴えかけているとしか思えないキリトゥルムラインは、ぐっ、と息を詰まらせた数秒後、低い声を押し出した。

 

「いただきま…す?」

 

自分に向けられたと思われる不可解な発言の意味をアスリューシナが問う前に「ダメでございますっ」と鋭いサタラの声がキリトゥルムラインの後頭部に突き刺さる。

その衝撃で我に返ったキリトゥルムラインは痛みを覚えたように頭の後ろ部分を片手でさすりながら、気まずげにアスリューシナから視線を外した。けれどキリトゥルムラインの行動の意味も発した言葉の真意も理解出来ないアスリューシナは薬湯の後味も忘れて逸らされた視線を追うように身を乗り出す。

 

「今宵は父や兄と一緒に食事をとると聞いていましたけど……キリトさま、お腹が空いていらっゃるのですか?、何か召し上がります?」

 

その問いかけに聞き取れない程の小声で「食べていいならアスナを……」と呟いた途端、その声を押しつぶす勢いでサタラがしわぶいた。すぐに「失礼いたしました」と頭を下げるが全身から放出されているのは怒気でしかない。

さっきの真っ直ぐ伸びてきた剣刃のような一声とは違い、今度は背後から蜂の針で刺されているような無数の気配にこれがサタラの気だけではないと悟ったキリトゥルムラインは自らの手で持ち上がったままのアスリューシナの両手を包み込みこんだ。

 

「いや、大丈夫だ。いつもと変わらずユークリネ公爵家の食事は美味(うま)かった」

 

そっと後ろを振りかえ見れば、サタラの顔が若干不本意そうではあるが誇らしげに見える。キリトゥルムラインからの賞賛を聞いて両手の自由を奪われたままアスリューシナも微笑んだ。

 

「はい、市場の皆さんが上質の食材を届けて下さいますし、そこに料理長の腕が加わりますから」

 

なるほど、中央市場で扱う品々は質が高いという定評を得ているが、そこを仕切っている公爵家には当然、最高品質の物が届くのだろう。更にそれを調理する者も一流となれば、その者を師事しているアスリューシナの作る菓子のレベルが高いことも頷ける。

キリトゥルムラインは、うんうん、と同意の頷きを返してから、まだまだふっくら、とは言いがたい令嬢の手の甲を親指で撫でてから「コーヴィラウル殿や公爵殿とも色々話が出来たよ」と告げた後、僅かに気弱な陰りを落とした。

 

「今度、公爵殿が中央市場を案内下さることになったし……」

 

その報告にアスリューシナとサタラが同時に「えっ?」「まぁっ」と短い声を重ねる。

 

「お父様が国内の貴族の方を市場にご案内するなんて……」

「ええ、初めてでございますね」

「そもそも領地から出荷された品々が中央市場に並ぶ事を希望される貴族の方は多いのですが、だからと言って今まで直接現地を視察されるようお誘いをした事はないのに。それに……」

 

区切られた言葉の先をキリトゥルムラインが視線で促すとアスリューシナは少しの躊躇いを持って眉尻を下げた。

 

「すすんで市井に足を踏み入れようと思われる貴族の方は少ないので」

 

フードを被って中央市場ではエリカと呼ばれているアスリューシナと、市場内を鶏のタレ焼きをくわえた姿でコソ泥を追いかけたキリトゥルムラインは互いに初めて出会った時を思い出し、くすり、と笑い合う。

 

「ですがキリトゥルムラインさまもお忙しくされているのに……」

「それはいいんだけど、市場の古狐や古狸に紹介されるのはなぁ……」

「もう、皆さんのことは御存知ですよね?」

「うん……まぁ……改めてって事で……問題はそこじゃなくてさ……」

 

主であるユークリネ公爵の思惑に気付いたサタラが堪えきれずに口元を手で隠して「それは、それは」と清々しく微笑んだ。

 

「中央市場の重鎮達がどう出るか、大変楽しみですね」

 

一癖も二癖もある古老の集まりだ、公爵自らが己の娘との強い繋がりを求めている青年侯爵を市場に同伴する意味などすぐに理解するに決まっている。それを承知した上でどのような態度で接するかを公爵も見たいのだろう。けれど娘を長年大切に思ってくれている店主達に紹介してもいいと思えるくらい、既にガヤムマイツェン侯を受け入れているのだと公爵本人は気付いているのか、いないのか……それを面白がるか後押しをしてくれるのか、さすがのサタラでも老獪な店主達の言動は読み切れない。

きっとこれが最終審査でございましょうから……声には出さずサタラはキリトゥルムラインの背中にエールを送った。

背後から飛んできていた無数の針がいつの間にか生温かな応援の視線に変わっているのに気付かないキリトゥルムラインは「ただ……」とその先の言葉を選ぶ。

 

「それよりも先にアスナと話したいことがあるんだ……」

 

そう言ってしっかりと振り返れば、表情を整えたサタラが静かに一礼を捧げ壁際にいる侍女達に退室を促す。

静々と寝室から出て行く侍女達の列の最後にいたサタラが寝室を出て扉を動かす前に背筋を伸ばした。

 

「私共はこちらに控えておりますので、何かあればお呼び下さい」

 

その気遣いにキリトゥルムラインが頷き一つで礼を伝えると、最後に目を合わせしっかりと漆黒の瞳に信頼を送ってから頭を下げて扉を閉める。今まで特に音を立てていたわけでもなかった空気のような存在の侍女達だったが実際居なくなってしまうと寝室内に妙な静寂が訪れた。夜中という時刻も手伝って分厚いカーテンに閉ざされた外の世界からも音は侵入してこない。

少し緊張しているのか、昼間の中央市場内でだったら聞き取れない程の声量でキリトゥルムラインは「アスナ」と呼びかけた。

両手はずっと握り込まれているのに、自由にならない事を畏怖や不快に思うどころか気持ちは全くその反対で、いつものように愛称を呼ばれたアスリューシナは素直に小首をかしげる。

令嬢の落ち着いた反応を見て、キリトゥルムラインも心を決めた。

 

「今宵の食事の席で公爵殿やコーヴィラウル殿から聞いた話がある」

「はい……私が聞いてしまっていいのですか ?」

「ひとつはアスナの髪についての事だから……まぁ、オレからじゃなくてもいいんだけど、コーヴィラウル殿から『話しておいて下さい』と言われた」

「そうですか。他にも?」

「うん……あと、これは……アスナは聞きたくないかもしれない……けど……」

「聞いておくべき話、なのですね」

 

最初からアスリューシナの耳に入れたくない話ならばキリトゥルムラインは切り出したりしないだろう。そしてキリトゥルムラインがこれほど思い詰めた表情をしてもなお口にしたのならアスリューシナに「聞きたくない」という選択肢はなかった。

真闇の双眸がすぐ目の前にある儚げな容貌を包み込むように見つめ、怯えや痛みをすぐに感じ取ろうと視線を外さずに唇だけを動かす。

 

「国王が……判断を下された。アイツはもう二度と自由に外を歩くことはない」

 

ナッツブラウンの瞳が一瞬、大きく跳ねた。

しかし、目に見える反応はそれだけで再びアスリューシナは静かに問う。

 

「どこへ……」

「それはアスナは知らなくていい。どれほどの偶然が重なっても会うことはないんだから……いや、オレがさせない」

「頂点と言える身分だった人をそこまで遠くに追いやれるのですか?」

 

それは中央政権の代名詞である貴族社会からの距離であり、同時に王都からの現実的な距離を意味しているが、その問いの理由は疑心と言うよりそれをなし得た力の大きさについてアスリューシナが戸惑いを抱いたからで、いくらユークリネ公爵家とはいえ、いち貴族の意見だけで王命はくだらない。しかしその辺の裏事情はキリトゥルムラインもしっかりと把握してはいなかったので、今後、懇意にしている第四騎士団団長や、あまり懇意にはしたくない王の近衛騎士団団長にも話を聞く必要があると考えている。とりあえず同じ三大侯爵家として使える人や物は出し惜しみなく使った。多分、ユークリネ公爵や息子のコーヴィラウルも同様だろう。

食事の席で聞いたコーヴィラウルの確信に満ちた口ぶりからすると、この時の為に公爵家の嫡男としては必要以上の経験や人脈を築いてきたのではないか、と思えてくる。

だからこそキリトゥルムラインは何の愁いもなくアスリューシナの目を真っ直ぐ見つめることが出来た。

 

「当然だろ。オレ個人としてはそれでも甘いと思ってる……でも、これで……」

「……はい、やっと…………やっと、全て……が…………終わった」

 

十四年前と今回の謎が全て解決したのだと悟ったアスリューシナの両目からほろほろ、と大粒の涙がこぼれ落ちた。けれどその瞳に苦渋の色はなく、むしろ安堵の笑みが浮かんでいる。

惹かれるように繋いだままの手を引き寄せ、その涙を唇で吸い取ったキリトゥルムラインに向けアスリューシナは更に微笑んだ。

 

「有り難う、ございました。キリトゥルムラインさま」

 

自然と瞼を閉じたアスリューシナの唇にキリトゥルムラインのそれが重なった。




お読みいただき、有り難うございました。
あれ?、サタラさんの手に透明の「はりせん」が見える気が……。

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