漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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キリトゥルムラインとキスをしたアスリューシナは……。


65.寄り添い合う(11)

互いの想いを言葉ではなく行為で認め合った夜、唇を重ねただけで沸騰してしまったらしいアスリューシナは、キリトゥルムラインの目にそれはもう美味しそうに色づいてしまって一旦唇を離した侯爵サマは「ヤバい」だの「マズい」だの「勘弁してくれ」などと呟く合間にも令嬢の瞼や頬やこめかみを啄んだ。

触れられる度にその箇所が熱で甘く溶けて体温は上がり、脈拍も早くなり、力が抜けて閉じ合わせていられなくなってしまった唇の隙間からは吐き出される息に妙な声が混じってしまいアスリューシナの胸の内も脳内も焦りと恥ずかしさで大変な事になっている。

 

「キゅっ、キリ…ト…さ、ま…………」

 

舌っ足らずの口調がキリトゥルムラインを打ち抜いた。

ベッドの上、アスリューシナの目の前に半身を乗り上げ無表情に近い切羽詰まった顔をずずいっ、と鼻先がくっつく距離まで近づける。

 

「アスナ、やっぱり少しだけ……味見を…………」

「えぇっ、お腹は空いていないって……」

「うん、だから、ほんのちょっと……軽く、囓るだけ…………だから」

 

意味も問い返せず、是非も答える前に小声で「だから、ごめん」と先に謝られしまい、けれど小さいはずのキリトゥルムラインの声がやけに大きく聞こえた不思議に疑問符を浮かべる前に、かぷり、と耳たぶを甘噛みされる。

 

「ふゃっ……っんーっ……」

 

予想もしていなかった刺激に思わず飛び出した驚声はすぐさま蓋をされた…………が、今度は先程のように単にキリトゥルムラインの唇で塞がれているだけではなく、驚声を押し返すように舌が侵入してくる。輪を掛けて驚きが頂点に達したアスリューシナがナッツブラウン色の瞳を大きく見開き「んーっ」と混乱を喉元であげ続けていると、怯えた子供をあやす穏やかさでキリトゥルムラインが舌を絡めてきた。

むずがる子の頭を撫でるように緩やかに何度も舌を擦り合わせてくる。その行為があまりにも真摯で優しかったのでアスリューシナが次第に唸り声を小さくし気持ちを落ち着かせると、ぼやけていた焦点が徐々に合ってきて、すぐ目の前にはホッと安心と嬉しさを描いた細い弧を引く黒瑪瑙の瞳があった。

 

「んっっ」

 

一時、冷静さを取り戻したアスリューシナは現状を把握して、今度はただただ顔から火が出そうな程の羞恥に身悶える。

さっきのキスは考えるよりも先に心が求めてしまった結果で、自分の力に関する事件が結末を迎えた今、ようやく真っ直ぐにキリトゥルムラインから寄せられていた想いに応えたいと気持ちが先行してしまったのだが、今まではキリトゥルムラインからの触れ合いに困惑はしたものの嬉しさより気恥ずかしさの方が少しだけ大きくて、そんな自分の感情を少し持てあまし気味だったのに、触れ合わせる場所が唇同士というだけで途端にアスリューシナは恥ずかしさで一杯になってしまったのだ。

困惑の状況に陥った時、いつもなら何をどうしたらいいのか対応策を考えようとすぐに頭を働かせるのだが今はそこまで意識が届かず、深輝の黒を見つめながら舌を愛撫されているだけで逆上せたように思考が溶けていく心地よさにうっとりとしかけた頃、キリトゥルムラインがゆっくりとアスリューシナから身を離した。

けれど既に自身を支えきれない令嬢は拘束されていた手を引かれるとそのまま崩れ落ちるように侯爵の肩に頬を乗せ、男性にしては色白い首筋をぼんやりと眺めながら息を整える。

 

「……っ、もうっ……囓るだけって……」

 

文句のひとつでも口にしないとこの雰囲気に流されて自分でも何を言い出してしまうかわからないアスリューシナはキリトゥルムラインの感触が残っている唇を尖らせた。だいたい「囓る」行為ですら容認した覚えはない。

肩にアスリューシナを乗せたまま首にかかる甘い吐息を意識しないようキリトゥルムラインは全力で明後日の方向を見続けている。

 

「だから最初に味見って……言ったじゃないか……囓るだけ、じゃ……味がわからないし……」

 

向こうを向いたまま言い訳がましい事を口にしているが、そもそも囓るだとか味見だとか、私は食べ物じゃないのにっ、とアスリューシナも無理矢理に自分の感情を憤りの方向へと持って行く。

だって初めてだったのだ……家族とでさえ頬にしかキスはしない……それなのに、あんなにたくさん、顔中に触れられて、最後には…………と、そこまで記憶を反芻したところで自分の唇の間を割って入ってきた時や絡め取られた舌先の生々しさが蘇ってアスリューシナは「んーっ」と口を閉じたまま悲鳴に近い声を上げながら無意識にぐりぐりと額をキリトゥルムラインの首にこすりつけた。

途端にキリトゥルムラインがピンッ、と背筋を伸ばし、恐る恐るといった面持ちでゆっくりと顔を巡らせてくる。

 

「ア、アスナ?、オレ、誘われてる?、それとも試されてるのか?」

 

さっきから意味のわからない事ばかり言われ翻弄され続けたアスリューシナは内で混じり合い、収拾がつかなくなっている感情の全てを一言で表した。

 

「キリトさまの、ばか」

 

完全にキリトゥルムラインが凍り付いた瞬間だった。

 

 

 

 

 

キリトゥルムラインがアスリューシナの寝室で初めてほんのちょっとだけ彼女を味見をして、初めて彼女から「ばか」と言われた夜、いつまで経っても呼ばれない事に痺れを切らしたサタラが令嬢の居室から寝室へと続く扉をノックする。

既に夜はとっぷりと暮れているし、自分が仕えている令嬢の身体はまだ本調子ではないからだ。最近は夜中の発熱もそれ程高く上がる事はなくなったが、それでも微熱は続いている。「お嬢様、侯爵様、よろしいでしょうか?」と扉越しに呼びかけ、待つこと一刻と少し、どこか落ち着きのない侯爵の声が「あ、ああ、サタラ……うん、いいぞ」と中から聞こえてきて、カチャリ、と扉を開ければ目に飛び込んできたのはベッドに半乗り状態のガヤムマイツェン侯爵にもたれかかり、その肩に頭を乗せているサタラご自慢の令嬢の姿だった。

一瞬の判断で、自分の後ろに続こうとしていた侍女達が入室する前にパタンッ、と扉を閉める。

閉じられた扉の向こうで複数の気配が「えっ!?」という驚きと疑問、そしてそれはすぐに「えーっ」という不満の気配に変わって、サタラは侍女達の再教育の必要性を痛感した。

しかし、今はそれよりも先に頭痛を覚えるのは目の前の状況である。 

もしやここ数日は微熱で済んでいた症状が今宵に限って悪化したのだろうか、とも考えたがそれにしてはキリトゥルムラインの態度がいたって冷静……ではなく不審者ばりに視線を泳がせている。一見すればお嬢様を好いている侯爵様にとっては嬉しさを覚える状態なのでは?、と思ったサタラだったが、肝心のアスリューシナが顔を真っ赤に染め上げながらも不満げな面立ちで、それでもキリトゥルムラインに身を任せているのだから、これは侯爵様のおいたが少し過ぎたのだろう、と推察して溜め息を吐き出した。

 

「まったく、お二人とも何をなさっていらっしゃるのですか」

 

アインクラッド王国内で貴族社会の頂点の存在とも言える三大侯爵家の当主と、この国の経済に最も強い影響力を持つとされている公爵家の令嬢が片や視線を彷徨わせ困惑の表情で、もう片方は身を預け火照らせた顔をその人の肩に乗せつつも機嫌を損ねた表情で、それでも自分達の両手をしっかりと繋いでいるのだから、その二人の姿を前にサタラとしては呆れるばかりだ。

しかし元来生真面目な気性の令嬢は自分の侍女頭の疑問を解消させるのは主の務め、とでも考えたのかゆっくりと顔を上げて「誤解よ、サタラ、私は何も……」と口を開いた。

と、キリトゥルムラインが素早く自分の肩位置から持ち上がった令嬢の顔に、こつり、と額同士をくっつける。

途端に口を噤むアスリューシナ。

そしてすぐにキリトゥルムラインは顔を離し「んー、やっぱりちょっと熱、あるかもな」とサタラに告げた後、ベッドに横たわらせるのかと思いきや、両手を令嬢の手から背と頭に回し、そのまま抱き寄せ、密着させた。

 

「えっ」

 

驚いたアスリューシナが身を捩る前に背中を支えている手がゆっくりと上下に動き始める。慈しむ手つきに何も言えなくなってしまったアスリューシナは、もう諦めたように肩の力を抜いた。

きっとサタラの問いに対して何も答えて欲しくないのね、と抱擁された意味を悟った令嬢は大人しく身を預ける。己の顔が火照っている理由はいつもの微熱ではないのだが、その詳細を侍女頭に言ってはいけないらしい。

サタラからは「二人とも何をしているのですか?」と聞かれたが、アスリューシナとしては、自分は何もしていない、むしろ一方的にされたのだと主張したいけれどキリトゥルムラインがその事を自分の母に近い存在にも教えないで欲しいと願っているのなら尊重すべきは彼の意思だ。

そう言えばキリトゥルムラインが夜中にバルコニーから私室に入って来ていた時、彼を暖めている事も「絶っ対っに内緒で」と言われたのを思い出したアスリューシナは、今のこの状態はサタラに見られていいのかしら?、とこっそり眉根を寄せる。

軽い疑問の処理に頭を使っていると、背を撫でられている事で自然と気持ちも凪いできて、アスリューシナの鼓動が落ち着きを取り戻したと気付いたキリトゥルムラインは、ふぅ、と息を吐き出してからサタラに顔を向けた。

 

「サタラ、アスナの髪の件で話があるんだ」

「それは、コーヴィラウル様が持ち帰られた染料に関する事でございますか?」

「お兄様が染料を?」

 

アスリューシナが思わず顔を上げる

兄であるコーヴィラウルが屋敷に戻っていると知ったのさえようやく昼間に熱が出なくなったアスリューシナの寝室に「やぁ、アスナ、お邪魔するよ」と突然、呑気な顔で入って来た時だったのだから、その兄が持ち帰った物については何も知らされていなかったのだ。




お読みいただき、有り難うございました。
「えっ!?、なになに?、なか、どーなってんの?」
「サタラさんだけずるーい」
「ちょっとっ、静かにっ、聞こえないじゃないっ」
以上、寝室の扉に耳を張り付けてる侍女さん達でした。

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