漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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キリトゥルムラインから新しい染料の話を聞いた数日後……。


66.寄り添い合う(12)

十四歳の時に王都に戻って来て以来、自分の屋敷の庭でありながら色とりどりの花が咲き誇る様を上から眺めた記憶しかないアスリューシナは、今日、晴れ晴れとした心持ちで一階のガラス張りのテラスで明るい陽の光を浴びて立っていた。

目の前の左右に大きく開け放たれたガラス扉から舞い込んでくる爽風とそこに混じり込んでいる花の香が自分を庭へと誘っていて、それを目を瞑って吸い込んでから、張り詰めた息を、ふぅっ、と吐くとすぐ隣からちょっと揶揄するような笑い声が漏れ聞こえる。

その音源にくるっ、と顔を向けたアスリューシナは目元に淡い朱を乗せてながらいつもより気忙しく唇を動かした。

 

「自分の屋敷の庭なんですからっ……緊張なんて……してない……し…………」

 

段々と尻つぼみになってしまうのは言っている内容と心情が異なっているからで、目の前に広がっている庭園の風景から視線を横へと移動させた結果、今度は自分の手を支えてくれているキリトゥルムラインの口元が、にまにま、とうねっているのを見るはめになってしまい、思わず彼の手の平を指先でちょっとだけつねる。

つねられても痛がるどころかこれ以上お転婆をさせない為か、重ねていただけの手をギュッと握りしめて動きを封じ込めたキリトゥルムラインはアスリューシナをエスコートしてユークリネ公爵家の庭に降り立った。

 

「この庭の真ん中を行けば東屋があるんだろ?」

 

中央市場を手を繋いで歩いた時とは違い、先に段差をクリアしてから一旦止まって振り返り、手を伸ばしたまま急かすことなく動きの硬いアスリューシナの一歩を待つ。手の中の感触だけで判断すれば震える程の緊張はないようだが、それでも指先は冷たい。

今回はアスリューシナと一緒に庭の草花を眺めながら散策して、さっき言った東屋が目的地だ。

いちを東屋の場所は事前に知らさせていたのだが自分の屋敷ではないし、アスリューシナに確認ついでに少しでも気がほぐれないか、と思って口にした質問だったが答えを聞いてキリトゥルムラインは複雑な心境に陥った。

 

「はい、小さい頃、まだこの屋敷で暮らしていた時はお兄様とこの庭でかくれんぼなどもしましたけど……その時は草木の方が背が高くてお互い見つけるのに苦労しました…………今、思えばあれは私の髪の色を他の人達からも隠していたんですね。結局いつも見つけられなくて、それで庭の中心にある東屋から名前を叫んで隠れてる相手に出てきてもらってたんです」

 

当時を思い出したのか、アスリューシナの表情の強張りが溶けて、ふふっ、と笑みがこぼれる、と同時にキリトゥルムラインの手には軽く負荷がかかって、気付くと自分の隣には十数年ぶりに自身の屋敷の庭土を踏んだ令嬢がスッ、と背筋を伸ばして立っていた。

歓迎するように風がアスリューシナの長い髪をすくい上げ、ついでにキリトゥルムラインの漆黒の髪をも乱していく。

いつもより濃いアトランティコブルーに染まった髪が重力に従ってサラサラと元の位置に納まる様子に見惚れていると、少し下からの視線に気づき、僅かにこちらも視線をずらした。

覗き込んでくるような上目遣いで、やはりこちらの瞳色もラピスラズリがはめ込まれているかのように閃いている。

 

「えっ……と、アスナ?、気分は?」

「全く問題なしですっ」

「ならいいんだけど……」

 

コーヴィラウルが手に入れてきた染料がアスリューシナの体質に合った事を心の底から喜ぶ反面、そうなればそうなったで今度は違う心配が生まれている事に気づいたキリトゥルムラインは無自覚に眉根を寄せた。

 

「キリトさま?」

 

難しい表情をしている理由がわからずにアスリューシナが名を呼ぶといたく真剣な面差しの侯爵がスッ、と顔を近づけてくる。

 

「うちの屋敷にも中庭があってさ……」

「はい?」

「四角い庭を間にして向かい合う形でふたつの別邸があるんだ。今はそれぞれに両親と妹が使ってる」

「……はい」

「で、その別邸をつなぐ位置にあるのが本邸で……要するに庭を囲むように建物があるんだけど、それでも陽当たりはいいし外部からは姿を見られる心配がない」

「そう……なのですか……」

 

なぜ話の流れがガヤムマイツェン侯爵家の庭園と屋敷の配置説明になっているのかわからないアスリューシナは曖昧な返事を返すばかりだが更にキリトゥルムラインは言いつのってきた。

 

「まあ、オレは庭の隅で剣を振るうばかりで、実際庭に何の花が咲いてるのかなんて気にした事はないんだけど……」

「それは…………勿体ないですね」

「だよな……」

「……はい」

 

行き詰まりの会話に二人が顔を合わせて眉根を寄せる。停滞した空気を取り払うように二人の後方からサタラが「こほっ」と喉に支えた息を押しだし「お二人ともっ」と少し語尾を強めた。

 

「お話は庭を散策しながらでもよろしいかと」

「そ、そうねっ」

 

慌てた様子でアスリューシナは前を向くが、サタラが続けて「侯爵様」と呼ぶので、キリトゥルムラインは反対に後ろを振り返った。

 

「大丈夫でございますよ」

「……そう…か?」

「はい」

 

どこか自信のない様子のキリトゥルムラインにサタラが力強く頷く。更に侍女頭からの後押しが欲しかったが、それを求める前に「なら……」と小さな声が近くから聞こえて耳は自然とそちらに集中した。

 

「ガヤムマイツェン侯爵家では、こんな風に髪を染めなくてもお庭を楽しめるのね」

 

侯爵家で暮らす自分を想像しているのか、少し照れ笑いを浮かべて呟いた声はしっかりと傍にいるエスコート役の耳にまで届いていて、その嬉しそうな笑顔を見た途端「…アスナ」と思わず名を口にしてしまった事で独白が聞かれてしまったと気付いたアスリューシナの顔全体が、ぽぽんっ、と一瞬で朱に染まる。

 

「さっ、さぁっ、キリトさま、庭をご案内しますっ。我が家の庭師の腕も見事なものですからっ」

 

不用意に漏らした本音に被せるように声を張り上げたアスリューシナはさっきまでの緊張など庭園内で舞い踊る風に乗せてどこかへ吹き飛ばし、自分が握られている手を、きゅっ、と握り返した。

 

 

 

 

 

東屋までの歩みは実にのんびりとしたものだった。アスリューシナにとっては自分の屋敷の庭とは言え、実に十数年ぶりの散策であったし、同時に遠い異国の地より持ち帰られた染料を使って髪を染めているから体調の変化も予測がつかない。それに数日前までは屋敷内の一階と二階をつなぐ階段を往復するだけで息を切らせるほど体力が落ちていたから、ルーリッド伯爵家の夜会の時のように庭園内を走るなど到底できるはずもなかった。

キリトゥルムラインに片手を預けてゆっくりと進む令嬢の後ろからはサタラを始めとするアスリューシナ付きの侍女達が若き侯爵とその侯爵夫人となるだろう自分達の令嬢を微笑ましく見守りながら付き従っている。実際、近くで目にする事が叶わなかったにも関わらずアスリューシナの持つ草花の知識は豊かで、生き生きと葉を広げ、ふっくらと蕾を膨らませ、見事な花を咲かせている植物達をキリトゥルムラインに説明しながら、自らもその感触や匂い、色を十分に楽しんでいた。一方、キリトゥルムラインも嬉しそうなアスリューシナの言葉に耳を傾けながら、令嬢の声そのものを楽しみ、庭園を眺めるその表情を窺い見ては眼を細め、会話を弾ませる。それでも時折、気付かれぬように顔色や足取りを観察して変調の予兆を見逃すまいと視線を鋭くさせていた。

そうやっていつの間にか目的地となっている東屋が見えてきた所で、アスリューシナが一旦足を止め小首をかしげる。

なぜならその東屋から一直線に自分に向かってもの凄い勢いで向かってくる一人の男性がいたからだ。

 

「こっ、こんにちは!!、くくクラインという者です。二十四歳独身っ……」




お読みいただき、有り難うございました。
やっと、なんとか、辿り着きました。
(東屋じゃないですよ)

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