漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ユークリネ公爵家の庭園をキリトゥルムラインと散策していた
アスリューシナの元へ駆け寄ってきた人物は……。


67.寄り添い合う(13)

自分の目の前までやって来た勢いそのままに上半身をパキッと折るようにして頭を下げ、ずいっ、と片手を伸ばしてきた男性のラセット色の髪の毛とそれをぐるり、と巻き留めているカーディナルレッドの布を見つめたアスリューシナは、差し出された彼の手の意味がわからずに戸惑いと驚きで眼を丸くした。

どうしたらいいのかしら?、と助けを求めるように視線を自分の隣に移す途中、「ぐぅぇっ」と、カエルのような鳴き声がして、かの男性が突き出していた手が空気を揉むように小刻みに震え、そして彼の腹部にはいつの間にかアスリューシナの手をはなれたキリトゥルムラインの拳がめり込んでいる。

 

「キ、キリトぉ……」

「キ、キリトさまっ」

 

二人から同時に名を呼ばれたキリトゥルムラインはどちらにとも迷うことなく焦り顔のアスリューシナへと振り返った。

 

「どうしたんだ?、アスナ?」

 

一瞬前まで他者を殴りつけていたのは錯覚かと思えるほど平然とした面持ちでアスリューシナの元へと戻ったキリトゥルムラインは、腹を両手で押さえながらヨロヨロと数歩後ずさった男性を唖然と見ている令嬢に対して「ああ、気にしなくていいよ」と胡散臭い笑みを貼り付ける。しかし、殴られた当の本人は聞き捨てならない台詞にがばっ、と顔を持ち上げた。

 

「ってめっ、キリトっ、いきなり何しやがんだっ」

 

思いのほか元気そうな声にアスリューシナも肩の力を抜いて安堵する。そしてキリトゥルムラインの態度とそれを受けている相手の口調から二人の親密度を察して笑顔になると、軽く膝を折りゆっくりと頭を下げた。

 

「初めまして、クライン様。アスリューシナ・エリカ・ユークリネです」

「うおぉっ」

 

奇妙な声に思わず顔を上げると、まさに「おぉっ」の形で固まっていたクラインの口と薄桃色に染まっていた頬が一気に緩む。

 

「すげーな。やっぱどこの国でもお姫サンはキレイなんだな」

 

貴族社会の礼儀からほど遠い言葉とはいえ、なぜか不快な気持ちにならないのはこの男性の実直さを思わせる表情からなのか、アスリューシナはにこり、と微笑んで「私は姫ではありませんわ、クラインさま」と告げたが、すぐにその視界は遮られた。

 

「あまりジロジロ見るなよ、クライン」

 

アスリューシナを自分の背に隠すように立ちはだかったキリトゥルムラインがしかめっ面でクラインを睨めば、それに続くように「そうだね、この国で『姫』を指すのは国王の息女だけだから」と、のんびり東屋から歩いてきたコーヴィラウルがクラインの肩に手を置く。

 

「へ?、そうなのか。俺の国じゃ身分の高い家の娘はみんな『姫』なんだぜ」

 

何気に公爵家の嫡男と侯爵家当主に動きを封じられたクラインは、うーむっ、と顎に手をあて言葉の違いに困惑した。その横面へ無害そうな笑みのコーヴィラウルが「それにね」と顔を近づける。

 

「挨拶の際に握手を求めるのは男性のみだよ。女性の場合は手の甲にキスを……」

「キス!?……接吻ってことかっ」

「早合点しないでくれ。唇は触れないからね。触れそうな距離を保つのが紳士なのさ。触れていいのは家族か恋人だけなんだ」

 

兄の言葉で自分に差し出された手の意味を理解したアスリューシナがキリトゥルムラインの後ろからひょこり、と顔を出し「クライン様」と目を輝かせる。

 

「遠い東の国からのお客様というのはクライン様なのですね」

「おうっ。俺の国の染料を分けて欲しいって、このコーの旦那に言われてよ。ついでに俺も付いて来たってわけだ」

「クライン、いい加減『コーのダンナ』って呼び方、やめて欲しいんだけどな。君と俺は歳だってそう違わないだろ」

 

珍しくコーヴィラウルが拗ねたように眉根を寄せるが、その訴えはもう何度も聞いているのだう、へへっ、と屈託なく笑ったクラインは「そりゃ無理な相談ってやつだな」と片目を瞑った。

 

「なんたって俺の路銀も全部出してもらってんだ。オマケにこの屋敷に居候までさてせもらってるしよっ」

「それは道中の警護をしてもらった報酬と御礼だからと言ったはずだけど?」

「ろ、ぎん?」

 

聞き慣れない言葉にアスリューシナが首を傾げると、すぐさまクラインが「旅銭(たびせん)って言やぁ、わかるか?」と気遣いをしてくれる。

 

「要するに旅費って事だよな」

 

更にキリトゥルムラインに言い直してもらいようやくアスリューシナが納得して頷いた。

屋敷の一階の客間に兄が遠国から連れて来た客人を滞在させている話はサタラから聞いて知っていたアスリューシナだったが、実際に顔を合わせる機会がなかった自分とは違い、キリトゥルムラインは侯爵家からの使者との面会などもあったから比較的自由に屋敷内を歩き回っていた際にクラインとも面識を持ったのだろう。少しの会話で随分と気さくな人柄なのだと感じ取り、キリトゥルムラインと馬が合うのも頷けると理解したアスリューシナは更に親しみを込めてその男性の正面に立った。

気楽だし動きやすいんだよ、といつも専任護衛のヨフィリスと他数名のみで複数の国を渡り歩いている兄が同行を認めた者なのだ、異国の民とは言え頼りになる人物なのだろう。

 

「長旅の間、兄を守っていただき、有り難うございました。クライン様はお強いのですね。商人の方かと思っていましたが騎士様ですか?」

 

しかし今度はコーヴィラウルが言葉の違いを指摘する。

 

「彼の国では『ブシ』と言うそうだよ、アスリューシナ。戦う時も剣ではなく『カタナ』を使うんだ」

「ああ、オレもクラインから『カタナ』を見せてもらったけど扱い方も随分違うから習得は難しそうだな」

「騎士でもあるキリトさまでも、ですか?」

 

『剣の塔』の指南役であるユージーン将軍の相手をしているのだからキリトゥルムラインの剣技も相当なのだと思っていたアスリューシナが驚きの声を上げれば、逆にクラインは平然と「そりぁ、そうだろ」と言い放った。

 

「俺だってまだまだ剣豪の域には達してねぇ。一朝一夕で会得できるモンじゃねえしな。だから今回も武者修行の旅のつもりでコーの旦那に同行を願い出たんだ」

「む、ムシャ?」

「旅をしながら修練を積むってことさ。クラインの国はここと随分文化が違うから言葉以外も色々と勉強になったよ」

 

初めて聞く言葉の数々に興味を引かれたアスリューシナが兄の話で更に瞳を輝かせる。

 

「その一つが今、お前が試している染料なんだ……アイゾメ、と言ったか?」

「おうっ、俺の国では布染めに使うんだ。そうやって髪を染めるなんて考えもしなかったが、随分と色味が変わるもんだな」

「アスナ、気分は?」

 

庭園に降りてからもう何度目かになるキリトゥルムラインの心配にアスリューシナは笑顔で首を横に振った。

 

「予想外だったが、実際目にしてみると以前使っていたアトランティコブルーと似通った色になっているね。これなら他の貴族達はわからないかもしれないな」

「そうね。デビューの時もお兄様と踊った王城の夜会の時もあまり長居はしなかったから、違いに気付く人はいないかも……あ、あの時のコハクのネックレスも、もしかして?」

「ああ、あの入手ルートを頼りに東方の商人と渡りを付けたんだ。今まで試していない染料といったらもうそれくらいしか残っていなかったから…………寛いだ笑顔で屋敷の庭を歩くお前の姿を十数年ぶりに見れたんだし、苦労した甲斐はあったよ」

「お兄様……」

 

一体、いつからこのアイゾメの存在を知り、僅かな可能性に賭けてそれを追い求めてくれていたのだろう、とアスリューシナの目頭が熱くなる。

アスリューシナの感極まった瞳で見つめられたコーヴィラウルは、ふわり、と照れ笑いで一歩を踏み出し、妹の頭を優しく撫でた。

 

「病弱で通してきたんだ。いきなりあちこちの茶会や夜会に参加しなくてもいいと思うが、侯爵夫人になれば婚家の屋敷に籠もってばかりはいられないだろ?」

 

公爵令嬢という肩書きだったら身体が弱い事を理由に回避出来た社交の場も夫人となれば話は別だ。しかもそれがこの国の最高位の侯爵家だったとしたら当主が出席する夜会にパートナーの不在はあり得ない。代役としてなら、ちょうどキリトゥルムラインには歳の近い妹がいるが、彼女が社交を苦手としている事をアスリューシナは既に知っていたし、本当は病弱でもないのにキリトゥルムラインの足を引っ張るような自分の体質に少なからず思い悩んでいたのも事実だったから兄からの言葉には頬を赤らめながらも、小さく「はい」と頷く。

けれど兄妹の会話を聞いてもぞもぞと居心地を悪くしたのは当のキリトゥルムラインだった。

以前見た王城の夜会ですら数刻の滞在で自分を含めあれほどの注目を集めていたし、親友の夜会でも自分がエスコートしたにもかかわらず視線の温度が下がる事はなかった。あれでは仮に二人で夜会に出席したとしても会場内でアスリューシナから離れて侯爵の務めである社交など出来るはずもなく、彼女の隣で周囲を牽制し続けるはめになるなら本末転倒もいいところだ。それでも着飾ったアスリューシナが自分の隣にある事が当然という姿を見たい欲もあるし、見せたい欲もある。

 

「無理に出る必要はないさ。オレも夜会とか、あまり得意な方じゃないし……」

 

あくまでアスリューシナを思いやってのように聞こえる台詞を口にしたキリトゥルムラインだったが、それには兄妹のどこか似ている瞳ににらみ返された。

 

「国にすら不在がちな俺が言うのもおこがましいのですが。侯爵殿、うちの市場の店主達との交流の半分ほどで構いませんから夜会にも足を向けるべきだと思いますよ」

「そうです、キリトさま。これからは私も同伴……致しますから」

 

キリトゥルムラインに同伴する意味を改めて認識したのか、自分で言い出しながらもどんどんと赤みが広がっていくアスリューシナの表情に歓喜と困窮という両極端の感情に引っ張られたキリトゥルムラインは悪あがきをポソポソと呟いてみる。

 

「う゛……、なら、たまーに、なら……な」

 

まるで苦手な食材を親から食べるよう言われた子供のような返答に堪らずコーヴィラウルが小さく溜め息をついた。

 

「アスリューシナ、当主が夜会に出たがらないと奥方は苦労するぞ、うちの親がいい例だ」

 

兄から言われた内容についてアスリューシナは、むむっ、と考え込む。王都から離れ色々な土地を行き来するユークリネ公爵家の当主は別に夜会が苦手なわけではなく、そもそも夜会に出る時間が取れないだけなのだが、そのしわ寄せが母である公爵夫人へと及んでいるのも否定はできない。辺境伯の考えから、なまじそこいらの貴族令嬢より高等な教育を受けて育ったお陰で公爵の仕事まで代行出来てしまうのも原因のひとつだ。

婚約もまだだと言うのに早くも意中の人の兄から成婚後の苦労まで予言されたキリトゥルムラインは慌ててアスリューシナの両手を祈るような形でひとつにまとめ、自分の手で包み込んだ。

ぱちぱち、とアスリューシナの眼がしばたく。

 

「キリト、さま?」

「わかった。パートナーは確保できてるんだ、これからは夜会にも出席するよ」

 

その後に「今までよりは……」と小声で付け加えてからアスリューシナの手を握ったままコーヴィラウルとクラインに振り向き「だから……」と続けた。

 

「まずはアスナをオレの婚約者として社交界に披露しなきゃ、だな」

 

勝ち誇ったような笑みの後ろで公爵令嬢の顔が一気に耳までも朱に染まった。




お読みいただき、有り難うございました。
やっと登場しましたが、これにて退場でございます(苦笑)
最初からSAOのキャラを当てようかどうしようか
迷っていた人物だったので……。

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