漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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体調を崩すことない染料が見つかったアスリューシナは髪を染めて……。


最終話.寄り添い合う(14)

三大侯爵家のひとつが突然代替わりをした。

その理由は、今は既に「前当主」と呼ばれるその者が両目の視力を失うというセンセーショナルなもので、また命に別状はないもののかなりの大ケガも負っているらしい。社交界では当然その原因が強い関心事となり無責任な憶測が幾重にも絡まり飛び交った。

しかし当の前当主の居所が判明しない事から憶測はどこまでも憶測でしかなく、更に相手が最上位貴族という事で真相を掴むには同じ三大侯爵家かさもなくば王家の人間に尋ねるしかない為、幸か不幸か、自分の立場を危うくするかもしれない行為に及ぶほどかの侯爵の身を案じる人間はこの国の貴族社会にはいなかったのである。

男系継承の準則があるオベイロン侯爵家の定めに従い、次代はかの前当主の従兄弟にあたる青年がその地位を継承した。

内戚である子爵家の次男だった彼に白羽の矢が立てられたのは後継人となるユークリネ公爵家の後押しが強かったからだと言うのが大半の見方だ。なぜならオベイロン侯爵家とユークリネ公爵家との縁組みはほぼ間違いない、という噂がまことしやかに流れていたせいで、此度の後見役についても今後、何かしらの関係性が持続していく布石だろう、という思われていたのだが、当の公爵は後見人は暫定的なものであり、役目についても王命なのだから次代の選定に関しては全くの無関係だと公言している。しかし以前から次代のオベイロン侯と公爵家の嫡男との間に親交があった事を知る何人かの貴族達に限っては、その公爵の言葉を鵜呑みにする程めでたい頭の持ち主はいなかった。

そして今回の爵位継承が直系ではなく、しかも事前に継承の準備がなされていなかった事から王家預かりとなっている広大な領地の返還にはしばしの時を有した。三大侯爵家の当主という責務が一朝一夕でこなせるようになる物でないのは明らかだったから疑問を口にする者はいなかったが、その間、秘密裏に王都から派遣された一団がオベイロン領地内に入り、屋敷の一角にあった研究施設を解体し研究内容を持ち帰る命をかなりの強行軍で遂行した為、旅慣れているはずのコーヴィラウルさえ深夜に公爵家に戻るやいなやベッドに倒れ込んだという。しかしそんな裏事情を知る由もないオベイロン領の領民達はリンゴの栽培については品質を第一に考えた従来の生産方法に戻すという指示を受け、皆が皆、安堵の胸をなで下ろし新たな領主を歓迎したのである。

そうやって領地においての領主交代がつつがなく受け入れられた頃、王都の社交界において高貴な方々の好奇心はユークリネ公爵家の令嬢の身の振り方について、に移っており、数多の青年貴族達が前オベイロン侯との婚姻話が流れたのだと確信するやいなや色めき立ち、行動を起こそうとした矢先だ、再び衝撃的な発表が社交界を揺るがした。

それは今まさに貴族達の注目の的となっているユークリネ公爵令嬢が三大侯爵家のガヤムマイツェン侯爵と婚姻の合意に達したという物だった。その発表から約半月後、社交界で未だ興奮覚めやらぬタイミングで開かれた王城での夜会には噂の二人を見るべく大勢の貴族達が集まっていた。

 

 

 

 

 

王城までガヤムマイツェン侯爵家の馬車でやって来たキリトゥルムラインとアスリューシナは馬車を降り、城内に入ると夜会会場である大広間に向かう途中で、ふと足を止めた。

エントランスで二人揃って見上げている先には初代アインクラッド国王とティターニア王妃の肖像画が掲げられている。

 

「見慣れてくると、やっぱりちょっと違うな」

「そう……かしら?」

「ああ。何て言うか……色?、艶?、しなやかさ、かな?」

「キリトさま……これ、二百年以上前に描かれた絵なんですよ」

 

あくまでも笑顔は崩さずに、カンバスに描かれた王妃の髪と自分の髪の違いについてのキリトゥルムラインの見解に呆れ声を出したアスリューシナは絵画から婚約者へと顔を動かした。しかしキリトゥルムラインの方はキョトキョトと忙しなく額縁の中のロイヤルナッツブラウン色と傍らにある公爵令嬢の髪に視線を往復させていて、ちっとも令嬢本人を見ていない事にアスリューシナの声が少し尖る。

 

「それに……」

 

落ち着きのない顔をこちらに引き留めようとアスリューシナは触れているキリトゥルムラインの腕を軽く握った。

 

「今はちゃんと染めているでしょう?」

 

アスリューシナの言う通り、令嬢の髪の毛は一見するといつもの色、アトランティコブルーに染まっていて、土台見比べようとする行為自体に無理があるのだ。ようやく止まった視線の先にはちょっと不機嫌色の瞳が自分を上目遣いで睨んでいて、どうしてそんな顔をしているのか理由のわからないキリトゥルムラインは僅かに首を傾げた。

 

「まあ、そうなんだけどさ」

 

傾げた首はそのまま吸い寄せられるようにアスリューシナの頭に近づき、唇が髪を掠める。

 

「感触なんかは変わらないし、アスナの色は覚えてるから……」

「キリトさま、ここ、王城です」

「ああ、あまり長居はしたくない場所だよな」

「……それは無理だと思いますけど」

 

何と言っても今宵は婚約を発表してから初めて二人揃って大勢の前に出る夜会だ、挨拶だけでも相当な時間を有するだろう。

 

「そこは、ほら……オレの婚約者はまだ病弱なんだし。適当に切り上げて後はユージオか……そう言えばコーヴィラウル殿は?、アスナ」

 

アスリューシナの希望もあって彼女が身体が弱いという建前は徐々に払拭していく方向でユークリネ公爵家とガヤムマイツェン侯爵家双方の見解は一致している。キリトゥルムラインとしては自分が不得手としている夜会から早々に引き上げる口実がなくなるのはほんの少し残念な気持ちもあるのだが、アスリューシナの望みが第一だ。

それでも今までの深窓っぷりを考えれば、いくらアスリューシナの体質に合った染料が見つかったとは言えもうしばらくは病弱である必要があるだろう、と既に下城の段取りを考えていたキリトゥルムラインは夜会に出席しているはずの義兄となる公爵家嫡男の所在を尋ねる。

 

「兄は私達よりも遅く登城するそうです。『先に行って質問攻めにされるのはかなわないからね』と……」

 

さすが、内を悟らせない笑みで一手も二手も先を読むコーヴィラウル殿らしい物言いだな、とキリトゥルムラインは眉を寄せながら微笑んだ。アスリューシナは既にそんな兄の性格には慣れっこなので、反対にキリトゥルムラインへ問いかける。

 

「キリトさまの方こそ、リーファ様は?」

 

ごく少人数の身内のみを集めガヤムマイツェン侯爵家で行われた婚約の儀ではアスリューシナよりもカチコチになっていた侯爵令嬢の姿を思い起こして少し心配になっていたのだが、キリトゥルムラインも同様に妹の姿を思い出したらしくこちらは逆に軽く肩を震わせた。

 

「大分支度に手間取ってたみたいだからな。アイツ、礼儀作法とか苦手意識が強すぎて夜会ではうっかりすると右手右足が同時に出るんだ」

 

確かに侯爵家で全ての式事が終わった途端、緊張の糸が切れたのかヨロヨロとおぼつかない足取りで両手を広げて「アスリューシナさまぁ〜」と抱きついて来た時も随分と必死なお顔付きだったわ、と余計にアスリューシナの不安が広がる。

ちなみにその時の周囲の反応は前ガヤムマイツェン侯爵夫妻は「あらあら、もう仲良しさんね」と温かな目で見守り、ユークリネ公爵夫妻は若干呆れ気味だったが、コーヴィラウルが「義妹になるのが純朴なご令嬢で、アスリューシナとも気が合いそうだね」と言ったことから嫁ぎ先での人間関係も心配ないだろう、と最終的には安心した様子だった。

唯一、機嫌を損ねたのはキリトゥルムラインだ。

婚約が成立した直後、自分の妹がなぜか自分の婚約者を頼って抱きついたのだから無理もないが……。

 

「だいたい社交界が苦手なリーファと滅多に屋敷から出ないアスナが知り合いだって、オレの方が驚いた」

 

婚約の儀で初顔合わせかと思いきや、キリトゥルムラインとリーファがガヤムマイツェン侯爵家に到着したユークリネ公爵の面々を出迎えた時、公爵夫妻とコーヴィラウルに挨拶を終えた後「リーファ様」「アスリューシナ様」と二人で両手を握り合って、きゃっきゃっと楽しそうにお喋りを始めた時は、文字通り、キリトゥルムラインは開いた口がふさがらなかった。

アスリューシナの方も「癒やしの力」の存在はまだ伏せているが、自分の髪色がロイヤルナッツブラウン色であるという事実を侯爵家に受け入れて貰えるかどうかが不安だったのだが、キリトゥルムラインが「両親はオレが結婚すらしないんじゃないか、って危ぶんでいた節があるし、リーファなんてオレが結婚したい令嬢がいる、ってアスリューシナの名を告げた時、『やったー』って大喜びしたんだから、何の問題もないよ」と言った通り、ガヤムマイツェン侯爵家はそのままのアスリューシナを歓迎したのである。

そもそも国外任務の長かった前侯爵と、その任地先の国の貴族であった奥方だから髪の色に対する認識の偏りがないのだろう、逆に『とっても綺麗な色なのに、他の人に見せられないのは残念ね』とまで言われたくらいだ。

 

『まあ、うちの息子は髪どころかアスリューシナ嬢ご自身を誰にも見せたくないって顔してますけど』

 

と、ころころと笑いながら付け加えられた一言にアスリューシナは思わず真っ赤な顔を俯かせてしまったから隣にいたキリトゥルムラインが前侯爵夫人を噛みつきそうな目で睨んでいた事には気付かなかった。そもそも、結婚の意思を家族に示した時、妹の喜ぶ様を自分の結婚話のせいだと思っていたのが、真相は結婚相手がアスリューシナだったからだと婚約の儀の日に理解したキリトゥルムラインは「なんで教えてくれなかったんだ?」と今更に不満げな瞳でアスリューシナを見る。

 

「ごめんなさい。ちょうどキリトさまがご領地にお戻りになっている時、友人のお茶会で紹介してもらったから」

 

何気なく語るアスリューシナの声を聞いてキリトゥルムラインは表情を一変させ唇を強く結んだ。

あの時、自分が領地に戻っていた間にアスリューシナは卑劣な罠にかかり自我を見失いかけるほどのショックを受けたのである。領地から王都の屋敷に到着して事の次第を聞くなりアスリューシナの元へと駆けつけたあの夜の姿を思い返せば、自分の留守中の話など出来る状態でなかったと胸に鈍い痛みを覚え、表情が歪む。しかしその痛みを癒やすようにアスリューシナがそっ、とキリトゥルムラインの胸元に身を寄せた。過去の後悔や怨恨には効くはずがないのにアスリューシナが触れてくれるだけで心の痛みが引いていく。

ホッと小さな息を吐き落とし平静を取り戻したキリトゥルムラインは彼女を腕の中に囲い悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 

「アスナ、ここ、王城のど真ん中だぞ」

 

先刻、アスリューシナに言われたお返しとばかりに、楽しげな口調でからかえば包み込んでいる小さな顔がみるみる朱に染まり、拘束から逃れようと両手でキリトゥルムラインの胸を押し返してくる。そんな非力さではびくともしない筋力値を遠慮なく発揮させたキリトゥルムラインは眼差しを緩ませて自分の胸元にある細い指の一点を見つめた。

 

「その指輪、爵位を継いだ時から領地の屋敷に置きっ放しだったんだ」

 

キリトゥルムラインの言葉にアスリューシナの抵抗が止まる。

 

「……え……じゃあ、この指輪を取りに……あの時、ご領地へ?」

「ああ。前にも話したけど、ガヤムマイツェン侯爵家の場合、それが身分の証明になるからさ」

 

アスリューシナは自分の目の前にある右手の薬指を見つめた。そこには今、キリトゥルムラインの右手の薬指にある侯爵の証となるガヤムマイツェン家の紋章が沈み彫りされている指輪とちょうど対になる浮き彫りで二本の剣が交差しているデザインリングが光り輝いている。ちなみに結婚指輪は王都一の名匠と呼ばれている宝飾職人がその名に恥じぬ物を、と並々ならぬ意気込みで制作中だ。婚約指輪は爵位を譲る際に次の代へと渡さねばならないが、結婚指輪は生涯身につける物となる。

婚約の儀式の際に使用した侯爵夫人の指輪は普段はキリトゥルムラインが管理しているが、こういった公式の場では婚約者であるアスリューシナの指で輝く事を許されていて、今宵、ユークリネ公爵家まで彼女を迎えに行ったキリトゥルムラインが「最後の仕上げだな」と自らの手で填めたのだ。婚姻の儀が執り行われるまで、あと何回かはこうやってキリトゥルムラインに填めてもらう機会があるだろう。

代々ガヤムマイツェン侯爵家に受け継がれてきた指輪を嬉しそうに眺めているアスリューシナを見てキリトゥルムラインも表情も優しい笑顔となる。

 

「じぁあそろそろ、その指輪を見せびらかしに行くとするか、アスナ」

「キリトさまったら…………」

 

互いを見合った二人は幸せそうに微笑んだ。




最後までお読みいただき、有り難うございました。
これにて『漆黒により添う癒やしの色(恋愛編)』は完結です。
今後の活動(続編)予定のお知らせを含め「活動報告」にて「打ち上げ」を
行いたいと思います。
(多分、21時か22時台にアップできるかと……)
投稿を始めてから約3年と3ヶ月、亀投稿にお付き合い下さった皆様
本当に有り難うございましたっ。

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