漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナの足下に跪いているキリトゥルムラインは彼女の両手を握ったまま……。


09.訪問者(5)

蒼白になっていたアスリューシナの顔から緊張が薄れたのを感じ取り、キリトゥルムラインも

ほっと息をついた。

 

「それにしても見事なナッツブラウンだよな。まさに王城に飾られているティターニア王妃の

肖像画そのものだ。本当にこんな色が存在するなんて……」

 

ローソクの灯りに照らされているだけの室内でもその豊かな輝きは十分賞賛に値する色彩を放って

いる。肖像画の色を多少の誇張があると思っていたのだろう、いや、それはキリトゥルムライン

だけの認識ではなかった。今は幻といわれた色だ。誰もがあそこまでの色だとは思っていないに

違いない。

 

「キリトゥルムラインさまの御髪の色も……とても綺麗だと思います」

 

自分の髪を凝視する侯爵の視線にいたたまれなくなったのに加え、自らの発言に軽く頬を染めて

俯く彼女にキリトゥルムラインは優しく微笑んだ。

 

「アスナほどじゃないけど結構珍しいだろ。ただ色が強いから染めることが出来ない。妹は短く

切りそろえて夜会ではウイッグで出席しているんだ。オレは、まあ、いつもこのままだけどな。

事情を知らないヤツは染めてると思ってくれるみたいだし……アスナも隠したければ常に染めて

いればいいんじゃないのか?」

 

その提案に俯いたままのアスリューシナはゆっくりと顔をあげて少し困ったように笑う。

 

「キリトゥルムラインさまのお色は染料でそれ程艶のある黒を出すことは出来ないでしょう。

見る者が見れば染色でないのはわかります……私の場合、残念なことにその染料が体質に

合わないのか、長く染めたままでいると気分が悪くなってしまうんです。それもあって

夜会などには出席していないのですが」

「だから市場でもあのフード付きのマント姿なのか」

「はい……ですからこの際、短く切ってしまおうかと……」

 

その発言を聞いたキリトゥルムラインが慌てて身を乗り出した。

いまだ令嬢の手を包み込んでいる両手にグッと力がこもる。

 

「だからっ……それは……やめて欲しい……オレが口を出せる立場じゃないのはわかって

るけど……その……」

 

そこまで言うと勢いを失って床にペタンと座り込み、無意味に視線を泳がせてから小さく

こぼした。

 

「……もったいない」

 

アスリューシナはぱちぱちと数度瞬きをした後、ぷっ、と吹き出す。

 

「もしかして、それがおっしゃっていた追加の『頼み事』ですか?」

「そうだ……あっ、誤解しないでくれ、オレは別に自分の好みを押し付けているわけでは

なくて……いや、そもそも好みとかよくわからないし……なんでかアスナの髪は気に

なるっていうか、その……ゴメン、やっぱりもったいない、としか言いようがない」

 

何やら途方に暮れた様子で色々とダダ漏れ状態になっている。その姿を穏やかな眼差しで

包んでいたアスリューシナがそっと視線を移して自らの髪を見つめた。

 

「そうですね。実は言ってみただけで、あまり本気ではないんです。侍女達はこの先祖返りの

ような髪をいつも綺麗だと言ってくれますから。切るなんて言い出したら彼女達の猛反発を

受けることでしょう。どちらにしても隠していなければならない事に変わりはありませんし」

 

情けなさそうに弱々しく微笑む姿にキリトゥルムラインが思わず顔をしかめる。

 

「なら屋敷からほとんど出ないって言うのは……」

「はい、病弱が理由ではありませんが、庭にさえ出ないのは本当です。月に一度、市場に

行くのが唯一の楽しみで」

 

既に割り切っているのだと平気そうな顔で言う令嬢の言葉に痛みを堪えたような声でキリ

トゥルムラインは問うた。

 

「そうか……よくわからないけど、そうまでして隠しておかなければならないのか?、そんな

窮屈な思いをしてまで……」

「誰もがキリトゥルムラインさまのように優しい方ばかりではないんです」

 

その言葉に公爵家という力のある貴族の令嬢に生まれながら、十七年以上が経った現在も

このような生活を送らなければならない状況に彼女自身とその周囲の者達がどれほどの思いを

重ねてきたのかがうかがい知れる。

諦めたように瞳を閉じるアスリューシナに疑問の表情だった侯爵は失言を自覚して眉尻を下げた。

 

「すまない、浅慮な発言だった。事情を知ったばかりのオレが軽々しく口にすべき言葉じゃ

なかったな。それに……やっぱりその色は人の心を揺り動かす」

 

そう言ってその色を静かに見つめる。

もはやキリトゥルムラインの漆黒の瞳には目の前のロイヤルナッツブラインしか映って

いなかった。アスリューシナの手を包んでいた右手が導かれるようにのびる。

指先でそっと触れると、その手触りに思わず息をのんだ。

 

(……まるで高級な絹糸みたいだな……)

 

一本一本が細く軽いがしっとりとした滑らかさをもっている。

飽くことなくいつまでも触れていたい衝動に駆られ、触れているだけの指先から無意識に指へ

一房をからませた。

そんなふうにくるくると毛先を弄んでいると、ふと、伸ばした手の先にある朱に気づいて視線を

移す。アスリューシナの顔全体が真っ赤に染まっているのを目にして急速に意識が戻ってきた。

 

「うわあああぁぁぁっっっ……ごっ、ごっ、ごめんっ、すまないっ、ついっ、思わずっ……」

 

(オレが揺り動かされてどうするっ)

 

盛大に狼狽えて、膝立ちのままま背後から誰かに武器で脅されているように両手を頭の

高さにまであげ、首をちぎれそうな勢いでブンブンと左右に振っている。

唇を噛みしめて羞恥に耐えているアスリューシナは固まったままキリトゥルムラインを睨み

付けていた。

 

「キ、キリトゥルムラインさまは、いつも、この様に、じょ、女性の髪に触れるの、ですかっ」

「ないないないない、ないから。全然ないからっ、ホントにっ」

「ううっ……」

「だから、ごめんって……気分を、害し……たよな。本当にすまない。自分でも本当になんで

こんな事をと思う……けど」

「……き、気分は……害して……いません……。けどっ……」

「へっ?」

「……ただ、いきなりだったので……びっくりして……」

 

その言葉にキリトゥルムラインはごくりと唾を飲み込んだ。腰を浮かして再び手を伸ばす。

 

「……なら……触れても……いい……のか?」

「えっ?……っと……は、はい……」

 

自分を見つめる侯爵の瞳の輝きが今までと違う色を混ぜて揺らめいたように感じ、今更に己の

返事の意味を自覚してアスリューシナはギュッと目を瞑った。そっと耳の後ろに指が当て

られると思わずピクッと身体が反応してしまう。そのまま指はするすると髪に沿わせて下に

流れていき……何回か同じ事を繰り返されて徐々に慣れてくると、肩の力も抜けて別の感覚が

生まれてきた。

目を開けられないせいで、その感覚だけが身体全体を包み込む。

 

「気持ち……いい……」

 

自分が思っていたままの言葉が耳に入ってきて、驚いて思わず目を開けてみれば、すぐ目の

前にキリトゥルムラインの優しい微笑みがあった。

ボンッと音がしそうなくらい真っ赤な顔で驚いているアスリューシナが自分の発言を

受けての反応だと誤解した侯爵が再び慌てて手をひっこめた。

 

「ご、ごめん、つい、止まらなくなった……そろそろ帰るよ。これ以上は隣の部屋から

睨み殺されそうだから」

 

指の感触が自分の髪から離れてしまった一抹の寂しさは侯爵の言葉で吹き飛ぶ。

 

「えっ?」

「よく、説明しておいてくれ」

 

照れ笑いと苦笑いを混ぜたような表情で控えの部屋に通じる扉を一瞥すると、キリトゥルム

ラインは立ち上がった。慌てて立ち上がろうとするアスリューシナを片手で制してから、痛めて

いる足を指で差す。

つい先程動かさない方がいい、と言われたのを思い出してバツが悪そうに居住まいを正し、

背筋を伸ばして侯爵を見上げれば、片方の黒い指ぬき手袋を口に咥えながらもう片方を素早く

手にはめている。最後に黒のショートコートのフードを被り直してこの居室を訪れた時の

黒ずくめの身なりに戻ったキリトゥルムラインはバルコニーへと視線を向けてから何かに

気づいた様子でアスリューシナに声をかけた。

 

「そうだ、次だけど……三日後に来る。その頃なら足の腫れもひいているはずだ。不用心だから

バルコニーへの鍵は掛けておけよ。オレが来た時だけアスナが開けてくれればいい」

「はい?……それって……ええっ??」

 

それだけを早口に言い立てるとキリトゥルムラインは元来たガラス扉から素早くその身体を

夜の闇に溶かした。

 




お読みいただき、有り難うございました。
次回のアポも忘れない、女の子を口説く鉄則です。
キリトゥルムラインの場合、まだまだ無自覚ですが……。
それにしても無自覚に積極的ですね。

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