たらり、と翔鶴の額に一筋の汗が伝う。濡れたところから煤が張り付いた。
《翔鶴、押し切れそうか?》
「確実なことはなんとも言えません。ですが優勢であることは確かです」
控えめに翔鶴が戦況に即しているであろうと思う答えを述べる。圧倒的とまで言うと誇張表現のように思われるかもしれない。だが事実としてこちらがかなり押していた。
「深海棲艦の反抗も弱まってきました。提督、仕掛けるなら今です」
《……あまり前哨戦に時間もかけられんか》
東雲が考え込んだ後に口を開く。この後にハワイ本島での戦闘が控えていることを考えれば、いたずらに時間をかけ続けて余計に消耗してしまうようなことは避けたい。
となればここで仕掛けるのは妥当だろう。だから翔鶴は進言という形を取って攻勢に出るように言った。
そして東雲はそれに乗ることにしたようだった。
《全機動部隊に告ぐ。総攻撃開始。敵機動部隊ならびに敵護衛艦隊を撃滅せよ》
「全航空隊、発艦はじめ!」
翔鶴が艦載機を一斉に飛ばした。続いて機動艦隊が次々と航空機を飛ばしていく。ここで攻勢に失敗すれば最悪だ。航空隊は磨耗してしまい、ハワイを目前にして撤退の選択肢を取るしかなくなる。
けれど翔鶴も東雲も失敗するとはこれっぽっちも思っていなかった。
そしてその予想は外れることはなかった。
航空隊が深海棲艦の防空隊を叩き落とす。食い破った防空の網目を抜けて攻撃隊が一気に深海棲艦との距離を限界まで詰める。そして魚雷を切り離した。
「まだです!」
追い討ちに爆撃隊を翔鶴が機動部隊の旗艦へと差し向ける。交戦し始めたときからずっと艦載機ごしに探し続けた相手。ただの機動艦隊旗艦ではなく、ミッドウェー諸島に存在しているすべての深海棲艦の指揮を執っている中核を担っている深海棲艦。
その一体だけ。それだけが翔鶴の狙っていた獲物だ。その一体さえ落とせば統率が乱れる。そして統率が乱れてさえしまえば、残るは指揮を執っていた頭が消えて浮き足立つ残党を潰していくだけの単純作業だ。
予想通り、と言うべきか。やはり指揮を執っていた深海棲艦は姫級だった。だが織り込み済みだ。
姫級は全体的に装甲が固く、耐久値も非常に高いことが確認されている。なので翔鶴はじりじりと削り続けるよりも、一気に大部隊で時間をかけずに落とすつもりで提案したのだ。
「攻撃開始!」
翔鶴が頭上にあげた手を振り下ろす。翔鶴の操る攻撃隊が集中的に旗艦である姫級に襲い掛かった。空中で深海棲艦の防空隊と翔鶴の艦戦が交じわりあい、敵防空隊を落としていく。
余裕なんてない。敵の練度も相当なものだ。それでもまだ押し込める。
「侮らないでください。私だってただの引きこもりじゃないんですから」
横須賀鎮守府司令長官の秘書艦。そのため事務仕事に従事することが大半だった。出撃の数も必然的に減っていた。最後に出たのも輸送作戦だ。その前はウェーク。けれどさらに遡ろうとすれば、一体どれくらい前だっただろう。
しかし鍛錬を欠かしたことはなかった。いくら相手が姫級とはいえ、互角以上の戦闘を演じてみせる自信はあった。
そして翔鶴は競り勝った。
翔鶴に攻撃をこれでもかと叩き込まれた姫級が傾く。飛行甲板は炎上を始め、だんだんと傾斜がきつくなっていく。そこまでいけば後は容易い。全力攻勢。ただそれに尽きるのみだ。
装甲がひび割れ、中に押し隠されていた肉が弾け飛ぶ。ぬめりのある液体が海面に飛び散った。
燃料か弾薬にでも引火したのだろうか。一際おおきな爆発音が響き、黒煙に包まれた。そしてそれが晴れた時、姫はもういなかった。
「ミッドウェー艦隊の総旗艦の撃沈を確認しました」
《こっちも見てた。よくやってくれた、翔鶴》
東雲が労いの言葉をかけてくる。少しだけ口元を緩ませながら翔鶴はその賛辞を受け取った。
《あとは残党狩りだ。もうひと踏ん張り頼んでいいか?》
「勿論です」
会話の間に着艦させていた艦載機の整備を進めさせる。統率を失った群れだとしても侮ってはいけない。とんだ獣が紛れ潜んでいるかもしれないのだから、念には念を押して全力で相手しよう。
「攻撃隊、発艦!」
飛び立つ艦載機に指示を飛ばし、目に付く深海棲艦から潰していく。反撃の手は徐々に、だが確実に弱まっていた。
「やっ!」
一刀のもとに叢雲が戦艦級を斬り伏せる。周囲でも砲撃音が響くたびに深海棲艦の数は目に見えて減っている。
次第に固まって発生していた爆発が散発的になっていくと止まった。叢雲が刀身についていた液体を振り払う。
《敵残存艦隊の撤退を確認》
そんな短い言葉の後にこちらの勝利だ、といった内容が全体用の回線で伝えられる。ミッドウェー攻略戦。その軍配は艦娘側に上がることとなったようだ。けれど叢雲は勝利の感慨なんて感じる余裕はなかった。
「はあ、はあ……」
叢雲が息も絶え絶えに海面へ座り込んだ。振るっていた断雨を鞘に戻していると、ようやく体の感覚が追いついてきたのか、いたるところが痛みを訴えはじめる。
無茶は承知の上で使ったリーパーシステム。だがその対価として払った体にかかる負荷は結構なものだった。もう一歩たりと動けない、なんてことはないがそれでも疲労は着実に蓄積していた。
「確かに1人で使うようなもんじゃなかったわね……」
苦笑いしながら叢雲が息を整えにかかる。前回より負荷が軽減されているとはいえ、連続使用時間は今回の方が長い。しかも使用してから休息をほとんど挟むことなく戦い続けたのだ。さすがに限界だった。
本来ならばこれは司令官のバックアップ込みで使うことが前提とされている。それだけ演算能力を要求するためなのだが、今回は叢雲ひとりで使った。バックアップに任せていい事柄まで自分で演算処理しなくてはいけなかったので、負担も上がったというわけだ。
「叢雲ちゃん。手、貸しましょうか?」
すっと目の前に透き通るような白い手が差し出される。叢雲が面を上げるとほほえむ榛名が視界に入った。
「助かるわ」
正直、もうヘトヘトだった。立ち上がるにしても気力を奮い立たせなくてはいけないのではと思っていたところに、こうして掴んでも良い手が差し出されるのはとてもありがたい。
榛名の手を握るとぐいっと体が持ち上げられる。さすがは戦艦というべきか。易々と叢雲の体を立ち上がらせると、榛名は叢雲に肩を貸した。
「別に自分で動けるわよ」
「でしょうね。でも足を生まれたての子鹿みたいに震わせながらいざよいに戻るより榛名が曳航した方が早いでしょう?」
たしかにその通りだ。榛名なら馬力もあるため、たかだか叢雲ひとりくらいを曳航したところで大きな影響は受けないだろう。
「…………」
「むくれても止めませんからね?」
「表情には出してないはずよ」
「出てなくてもわかりますよ。さすがに」
榛名が小さく笑う。呆れたように肩を落とした叢雲は結局、榛名にされるがままになることにした。
「体、無理しすぎてませんか?」
「え? ああ、大丈夫よ。無理はしたけど、無茶はしてないつもりだから。きっちりと休めばすぐに体力も回復するわ」
そこの見立ては外していないはずだ。外傷といえるものはさして負っていない。ぐっすりと眠っていればそれだけで十分だ。
「そういえば伝えていた件、本当にありがと。すんなりと動いてくれて助かったわ」
「私が指揮を執ることになるかもしれない、って言っていたことですか? ええ、構いませんよ。事前にみんなが知っていたおかげでさしたる被害にもなりませんでしたし」
峻が指揮できなくなる可能性。それを叢雲は事前に部隊へこっそりと知らせていた。その上で頭を下げてお願いしたのだ。もしそうなったら何も聞かずに私を信じてほしい、と。そして指揮できなかったことを口外しないでほしいと。
無茶苦茶なお願いだ。それでも黙って飲んでくれた。よくぞ理由も聞かずに動いてくれたものだと思う。
「ほら、開きましたよ」
榛名に導かれるままに、いざよいの腹へと入っていく。格納庫に入ると装着していた艤装を外してから叢雲は肩を回しつつ、壁に背を預ける。
「医務室、連れて行きましょうか?」
「怪我人扱いするんじゃないわよ。怪我そのものは軽いわ」
「そういう強気な発言はふらふらの体をまともに動かせるようになってから言ってくださいね」
叢雲を榛名が引きずるようにして連れて行く。抵抗を試みてみるが、まともに力が入らずまたしてもされるがままだ。次第に無駄だと悟った叢雲は暴れることをやめた。
しばらく引きずられてようやく気づく。榛名は医務室になんてまったく向かう気配がない。いざよいは慣れていない艦だからとはいえさすがにここまで見当違いの方向に進み続ければ違和感も覚える。
「どこに連れてくつもりよ」
「見たところ怪我はほとんどないみたいですからね。軽い手当ては榛名の部屋で十分にできるでしょう?」
「榛名は……」
「榛名も擦り傷レベルの軽傷です。部屋での治療で事足りますから」
榛名が自室に叢雲を伴って入った。引きずられるがままの叢雲は当然のように中へ。医療セットを取り出して少し沁みますよ、と前置きをして叢雲の傷を消毒しにかかる。手早く治療を施すと今度は自分にも同様の処置を行った。
「ずいぶんと手馴れてるのね」
「こういう心得はあって損するものではありませんから。叢雲ちゃんも覚えておくといいですよ」
「そうね」
そう言いつつも叢雲が脳裏に思い返していたのは峻が常盤と衝突した後に救急箱で手早く応急処置を自らに施していた姿だった。
確かに習得しておいて損はないかもしれない。初期治療が後遺症を残すかどうかを分けるというような話をどこかで聞いたことがある、ような気がする。
そんなことを思っているうちにいつのまに用意したのかお茶がサイドテーブルに安置され、榛名が叢雲に椅子を勧めた。榛名自身はベッドに腰掛けると温かいお茶を飲んでほぅ、と一息をつく。
「叢雲ちゃん、何がありましたか?」
「そのために連れて来たの?」
叢雲が勧められた椅子に座りながら落ち着いて聞き返す。わざわざ榛名は全体に伝えなくてもいいようにここまで連れて来たのだろう。
「叢雲ちゃんと帆波大佐の戦闘直前に交わした会話だけに限らず、言葉数が妙に少なかったのでなにかあったのではないかなと思いまして」
「別に私が嫌がっているわけじゃないのよ。むしろきちんと話したいくらいね」
「つまり何かはあったんですね?」
榛名が念を押すように叢雲に確認する。何かあったのではないか、という榛名の問いかけを叢雲は否定しなかった。そして否定しなければ榛名が気づくのも当然だ。
「いろいろあった……って言っても誤魔化されないわよね」
「話す話さないは叢雲ちゃんの自由ですよ」
「私も自信もってこれが原因だって言えるわけじゃないのよ。だから、ね」
「でもこうではないかと思っているものはあるんですね?」
榛名が鋭く指摘する。敵わないわね、と叢雲は苦笑いをしながら肩をすくめた。こういうケースの榛名はとんでもなく鋭いのだ。
「あー……たぶん、よ?」
「はい」
榛名が真面目にうなづく。そんな真摯な姿勢が余計に言いにくくなって叢雲は頬をかきながらそっぽを向く。
「えっと、榛名は本部の騒動に私とあいつが関わっていたのは知ってるわよね?」
「ええ」
「そこであいつが刺されて死んだと私が勘違いしたのよ」
「はあ……」
何の話か榛名が理解できずに首を傾げる。叢雲が思い出すのは峻が刺されたあの瞬間。
「まあ、結局は懐に入れてたワイヤーガンで刃が止められていたからあいつ自身は無傷だったんだけど、ちょっと動揺したというか……」
「それで、どうしたんですか?」
「取り乱しちゃったのよ。それを軽く流されたからかカッとなって……」
「なって?」
榛名が首を傾ける。叢雲はますます言い辛くなって苦りきった笑みを浮かべる。だが長引かせても得はない。いい加減に腹を括るべきだと叱咤して口を開く。
「『あんたのことが好き』って言いかけて……」
「はい?」
「それを途中であいつに遮られて、そのままずるずると……」
頬が羞恥によって熱を持つ。叢雲は榛名を直視できなくなって顔を伏せた。
「遮られた? 思い出させて申し訳ないんですけど、断られたんですか?」
「なんて言ってたかしら? ああ、『その言葉は俺ごときにかけていいものじゃない』だったわね。『もっと別のより相応しいヤツこそが受け取るべきだ』とかも言ってたわね。わけわかんないでしょ」
叢雲が冗談めかしながら言った。冗談っぽく言わなければとてもじゃないが話せたことじゃなかった。
まさか色恋沙汰でコミュニケーションに滞りが発生しているとは榛名も思っていなかっただろう。
峻がうまく指揮を執れなくなっていたのはまた別の理由だ。けれど叢雲がうまくコミュニケーションを取れなくなっているのはこれが原因だ。話すことさえできれば原因がわかっている叢雲は解決に導けるかもしれない。だが気まずくもあり、また峻が避けているのもありありとわかっているのでずるずると話せないままでいた。
「話すことさえできれば糸口くらいは掴めるかもしれないのよ。ううん、たぶん掴めてる」
「あとは大佐のみですか」
「避けられているとなるとさすがに、ね。私とあいつだけで話しておきたい案件だし……」
言いたいことはいくらでもある。けれど峻が話す体勢になければそもそも持ち込むことができない。
普通にアホくさいことであることくらいは叢雲とて重々承知だ。正直、あんなタイミングで告白なんてどうしてやってしまったのだろうかと本当に思う。だが咄嗟に口を突いてしまったのだ。本気で死んでしまったと思い、死んでないとわかってほっとするあまりに気が抜けてしまった。そして気が緩んだせいでこんなことを口走ってしまった。いずれは言う言葉だったとはいえ、時期尚早なことは否めない。
「どういう経緯かはだいたいわかりました。とりあえず叢雲ちゃん、あなたは寝てください」
「え?」
「体がふらふらの状態で何ができるんですか。すべては休んでからです。榛名のベッドを使ってください。だからとにかく今すぐに寝てください」
ぐいぐいと榛名が強引に叢雲をベッドに寝かせると布団をかける。困惑した叢雲は為されるがままだったが、蓄積した疲労ゆえにすぐまぶたが重くなる。不安な案件を抱え込んだまま無理やり寝ろなんて言われてもできないかと思ったが、リーパーシステムを使用した負担があるせいかすんなりと布団を被ることはできた。
「はあ……本当に……」
榛名が頭を抱える。確かに影ながらどうなることかと見守っていた。だがいざ攻略作戦となってこんな形で影響が出てくるとはこれっぽちも想像していなかったのだ。
「ふざけるのも大概にしてくださいよ」
もぞもぞと布団の下で動く叢雲を慈愛の瞳で見つめながら、峻に対する感情を剣呑な口調で榛名が言い捨てる。
榛名が慎重に部屋から出て行く。榛名とて眠りたかったが、こちらの方が優先だ。
絶対に榛名にとっては見逃せない状況だった。だからこそ、怒りを滲ませて榛名は行動を始める。
こんにちは、プレリュードです!
自分で書いといてあれですけど、どうもこういう話を基幹にするとシリアスっぽい雰囲気を醸し出そうとしてもうまくいきませんね。そこら辺はもう少しうまく書けるように練習しなくてはいけないかもと思いました。
いい加減にまとめにかかりたいものです。あと少し。なんとかこのまま止まることなく行きたいですね。
「止まるんじゃねえぞ……」