「……」
無言で峻が目を覚ます。真っ白な天井は自分がベッドに横たわっていることを教えてくれた。いつの間にやらかけ布団が肩までかけられている。
久しぶりに寝酒を入れることなく、ぐっすりと眠ったような気がする。昔の夢を見ることなく寝られたのはいつ以来か。
いきなり左隣がごそごそっと動き始める。妙な布団のふくらみが動いている。中に何かいると理解するのにさしたる時間は必要なかった。
「んぅ……」
布団をそっとめくると中にはまだ意識が完全に覚醒していないままでまどろんでいる叢雲が半目をこすっていた。
一気に頭が冴え渡る。同時に昨夜、起きたことがすべて鮮明に思い出された。急に恥ずかしくなって峻は思わず頭を抱えそうになる。
確か叢雲に抱かれて泣いたところまでは記憶がある。正直に言って今すぐになかったことにしたい記憶だが起きたことを否定したところでどうしようもない。
そう、とにかく決壊したところまでは記憶があるのだ。だがそれ以降はなにも覚えていない。どういった経緯を辿ってベッドに運び込まれ、そして叢雲が隣で寝ているのか。その過程がまったく思い出せない。
何があったのか回想しようにも思い出せない。そんな苦闘を演じているとは知らずに叢雲が目を覚ます。
「おはよう」
「あ、ああ……」
あまりにもさらりと叢雲に朝の挨拶をされ戸惑う。狭いベッドでなくてよかったとどこか現実逃避じみた思考がよぎる。
とにかく気まずい。いや、叢雲は一向に気にしているような様子はないが峻はとても気まずかった。
さんざん叢雲の前で弱みを見せてしまった。あまつさえ人前で見せたことのない涙すらも見せてしまった。
しかしこの際は置いておくことにする。過ぎてしまったことだ、と言うことはなかなかに難しいが、それでも今さら取り返しのつかないことでもある。
問題はなぜ峻はベッドに寝かされていて、叢雲は隣に寝ているかだ。見たところ服は着ているようなので安心ではあるが、最後の確信を得られない以上は疑念を持ち続けなくてはいけない。
「変な心配しなくても昨夜はあのままあんたが寝たからベッドに運んだだけよ」
峻の内心を読んだように叢雲があくびをしながら言った。
「ならなんでお前も……」
「あんたが私の服の端を掴んだまま離さなかったからよ。ほら」
叢雲が布団をめくると自身の服の裾を指さす。確かに峻の左手がそこにはあった。慌てて左手を引っ込めると、どこか可笑しそうに叢雲が笑い、口元を手で隠した。
峻が上体を起こして、ベッドの端に腰を落ち着ける。すぐに右から温もりが伝わってきた。叢雲が峻に倣ってベッドに座ったのだと理解するために要した時間は僅かなものだった。
「お前は何も聞かないんだな」
「あんたは昔のことを聞かれたくないんでしょ? なら私も聞かないわよ。話したくなった時に話せばいいわ」
「その『話したくなった時』が今だとしても?」
視力の残る右目が隣の叢雲を見つめる。眉を上げて少し意外の表情をした叢雲がそこにはいた。
「未来永劫、来ないものかと思ったわ」
「なんて言うか……フェアじゃないだろ」
「私はそう思わないけど……それがあんたが自分自身でした選択なのね?」
「……わかんねえ」
「でしょうね。まあ、いいわよ。答えが『わからない』なら。『違う』だったら止めるつもりだったけど」
いつでもいいわよ、と叢雲が聞く姿勢を作った。『わからない』と『違う』。もし『違う』だったのならばどういけなかったのか。その差異はよくわからなかったが、峻は叢雲から目を外して壁の一点を凝視する。
「始まりは親父が事故死したあの時から、俺が孤児院に送られたことがすべての始まりだった……」
峻が遠い目をして語り始める。ゆっくりと、だが確かに話し始めた。
どこから話すべきか……。ああ、そうだな。最初っからいこうか。
だがその前に俺の出生だけは説明しとかなくちゃいけないだろう。とはいってもまあ、大した生まれなわけじゃない。ただ母親が病弱だったから俺を生んですぐに死んでしまったこと、そして6歳で父親が事故死して身寄りがなくなったこと。せいぜいこんくらいだ。
孤児院に送られたってとこまでは言ったよな。そう、すべてはそこから崩れた。
俺を引き取ったとこがずいぶんとこう、アウトローなことに手を染めてたとこだった。それで……俺は売られた。
……なんて顔してんだよ。昔の話だ。割り切れてないのは事実だけどな。
そこの孤児院はいろんなところにバイヤーのツテがあったらしい。そんでもって……俺が売られた先はテロ組織だった。昨日の夜にも言ったWARNってとこだ。
そこから先は最悪だ。いっそ悪夢とでも言えればいいが、そんな生ぬるいようなもんじゃなかった。
売られた先で俺は少年兵に仕立て上げられたんだ。無理やり武器を握らされて戦場に立たされた。
よく生き残れたもんだと思うだろ。普通なら俺も死んでたさ。
戦いたくなんてなかったさ。逃げ出したかったさ。でも逃げる場所なんてなかった。なんていっても国外まで飛ばされちまったんだ。まだ10歳にも満たないガキではどうしようもなかった。なにせ国外だ。どこへ行けばいいかなんてさっぱりわからなかった。
進退極まってる俺には留まるしか選択肢はなかった。それが向こうの狙いだったんだろうな。WARNの理念とかいうもんを覚えさせられた。言うことを聞かなければありがたい説法という名の薬剤投与と洗脳が待ってた。
覚えてないか? 俺は薬の耐性があることを。特に麻酔系や痛み止め系に。欧州でどれだけ飲んでも痛み止めが効いてなかったろ。ほら、思い出したか。
とにかく1年もしないうちに俺はすっかりWARNの忠実な少年兵になってた。そのころになると俺と同じ時期に入ってきた子供たちも軒並み戦えるように仕上がっててよ。最強の子供たち、なんて呼ばれた時期もあったそうだ。
そのころだよ。俺が左手拳銃の右手にナイフなんて奇抜なスタイルを確立させてたのは。もっともあの頃は戦場に転がってる武器ならなんでも使ったがな。拾っては使い、弾が切れたり壊れたら捨てる。もちろん少しくらいは武装してたが、動きを阻害しない程度だ。俺のよく使ってるCz75、あるだろ。あいつはここで使ってたものだ。まだ使ってる理由は手に馴染んだから、というより戒めだな。
ともかくそうして俺はゲリラの少年兵として各戦線に投入された。市街地戦闘が多かったからな。待ち伏せしては襲い掛かる。敵の補給線を分断する。とにかくなんでもやった。
当然のように殺しをやった。敵の兵士だけじゃない。敵に協力した街の市民を見せしめに殺して来いと言われて町をひとつ全滅させたこともある。
今でも夢に出るよ。この子だけはといって縋る母親だったり、怯えた目の老人だったりを手にかけたあの瞬間を。
俺は悪くない、なんてとてもじゃないが言えないだろ? ただ洗脳されていたからなんて言い訳はできねえよ。俺が殺したんだ。武器を構えて向かってくる兵士だけじゃない。殺さないでと懇願する市民も容赦なく殺した。
でも罪悪感すら抱かなかったんだよ、俺は。どころか殺しをすることでWARNの理想が叶えられるんだと高揚感すら感じていた。自分が理想世界を作るんだと信じて疑わなかった。番号だけで呼ばれることに違和感も覚えなかった。141号だったな。名前すらも忘れてただの人形に成り果てた。
洗脳されてたと言われればそれまでだけどよ。それでも俺がやったことに変わりは無いだろ。いくらお前だってそれは否定できないはずだ。
いや、悪い。別にお前に当たるつもりはなかったんだ。
ひたすらに殺すことが正しいことだと思ってた。よくわからない大人の言われるがままに武器を取って殺す。そんなことの繰り返しだったよ。同じ少年兵の仲間と一緒に命令どおりに殺す。皮肉にもそれが世界平和のためだと信じ込んでな。
まさか世界から最悪のテロリスト扱いされていたことなんか微塵も知らなかったし、知らされなかった。
ああ、悪い。道中が長くなりすぎた。さっきから謝ってばっかりって? そこは勘弁してくれ。初めて話すんだ。上手い話し方がわからない。自嘲自縛の冗長になることは割り切ってくれると助かる。
不思議そうだな。まあ、当然か。この頃の俺は盲目に妄信してたから。洗脳から解けたきっかけがないと今の俺はないと思うことは間違っちゃいないどころか正鵠を射てる。
別に大したことじゃない。俺たちはやりすぎたんだ。あまりに暴れすぎて目を引きすぎた。脅威認定されたんだろうな。結果として俺のいた拠点は空爆された。俺が少年兵になってから何年くらい経ったころだっけな。少なくとも1年ぽっちじゃなかったのは確かだ。
どうして生き残れたのかは今でも謎だ。ただ運が良かったんだろう、としか言えない。気がついた時には仲間だったはずのものたちの千切れ飛んだ肉体が転がっていてその中に俺が倒れていた。
起き上がったまさにその時だった。急に我に返ったんだ。忘れていた名前も、それまでのことも何もかも思い出した。
そして己のやってきたことを自覚した。
最悪の気分だったよ。その場でよく喉を自分で掻き切らなかったもんだと今でも思う。いや、切っておくべきだったのかもしれない。
してねえよ。してたらここに俺はいない。自覚した瞬間に気を失ったんだ。空爆で命こそ落とさなかったが、相当な怪我を負った。だからかもな。
ああ、違うよ。怪我をしたからじゃない。それ以上、考えることを頭が拒否したんだ。拒否したから意識を失うことで自分自身を守ろうと本能がしたんだろうな。
次に目が覚めた時、俺はベッドで寝てた。不思議に思ったもんだ。今の今までそんなことはなかったのに、急に扱いが変わったんだからな。不思議に思うことができるようになっていることも驚いたもんだ。
そっから先はまた戦線投入されるもんだと思ってた。だが一向にそんな気配はなかった。怪我の治療に専念しろ。ただそれだけだった。
そして全治した頃。いきなり教育が始まった。
違う。今度は洗脳じゃない。純然たる教育だ。まあ、まともかと言われれば答えには窮するところだがな。
一般教養に始まり、ありとあらゆる知識を叩き込まれた。武器の解体をして組み直すこともさせられたし、本格的な戦闘技術も身につけさせられた。様々な職業の知識もつけさせられたし、立場の演じ方も学ばされた。錠前を痕跡なく開けたり、ハッキングの技術を取得したりとアウトローなこともやったな。
当時の俺はまるでスポンジのように吸収してった。することで自分を守ってたんだと今ならわかるよ。とにかく頭を一杯にしてしまえば余計なもんを考えなくて済むもんな。
それに俺にとって教育は好都合だった。逃げ出す手段を講じることができるからな。
どうして逃げようと思ったか、か。正直に言う。今でもわかんねえ。生存本能みたいなもんだったのかもしれねえな。それともこれ以上、信じてもいない理念のために人を手にかけることに嫌気がさしてたのか。真相は闇の中だ。当時の俺に聞くしかない。
そして教育が開始されてから2年ほど経った。前触れなく俺に日本へ行くようにWARNから命令が来た。
あとからわかった話だが、その頃になるとWARNはだいぶ追い詰められていたらしい。戦線の維持と新たな人材のスカウトで各地に人間を秘密裏に送り始めたのはそれが原因の一端だったみたいだな。元々は日本人の俺は紛れ込ませるのにちょうど良かったんだろ。
俺にとってはこれは渡りに船だ。日本に戻れればどうにかなる。なりより俺は洗脳状態が継続しているように演じ続けていた。
その演じ方だって教育とやらで教えてもらったことだってのにな。やつらは結局、最後まで気づかなかった。それが首を絞めることになるんだけどな。
6歳から東ヨーロッパあたりでずっと暴れっぱなしだった俺はついに日本の土を踏むことができた。当時が15歳くらいだったからおよそ9年ぶりか。そんなに経ってたんだな……
すまん、変なところで感傷に浸った。ああ、そうだったな。あと3年で俺は海大に入学することになるわけだがその過程がこれじゃあわからねえよな。
簡単だよ。日本に到着して用意したとかいうやつらの拠点に連れていかれた。そして全員が揃ったというタイミングを見計らって俺がその拠点を制圧した。
何人でってひとりで、だよ。幸いにもそこにいたやつらは戦闘経験があんまりないやつらばっかだったからな。いくら数の不利を背負っていたとしても、俺はずっと多数対少数の戦闘経験を積んできた。今さら数の差くらい不利ですらなかったよ。
そして捕縛したやつらを手土産にして国と交渉をした。
よくこんな交渉までやれたもんだと思う。だがそういった方法も仕込まれていたからな。真似事ではあっても、相手にメリットを提示することくらいはできた。
まあ、わかるわな。そうだ、日本におけるWARNの拠点一斉摘発のために幹部クラスの持つ情報。それが俺の取り引き材料だった。ついでにまだ子供だってことも材料にさりげなく加えたな。露骨には言わなかったが、あからさまに向こうの俺を見る目が哀れんでた。だからそれに乗じさせてもらったんだ。
そうだ。もちろん、哀れまれたいわけじゃなかったさ。でもなりふり構ってる場合でもなかった。俺の戸籍が残っているかどうかすら定かじゃない。15の子供がひとりで生きていくのは難しいだろ。
交渉はうまくいったよ。俺は保護された。完全に自由とはとても言えなかったが、それでも少年兵をやってるときと比べたら生活はずっとまともになった。最初は困惑したもんだ。戦いの訓練もなく、食事のたびにありがたい説法もなければ少しでも逆らった瞬間に薬物投与もされない。穏やかな生活に馴染めなかった。
そして2年後。お前も知っての通り、世界が震撼した。
深海棲艦の出現だ。世界を蹂躙した深海棲艦によって、元から弱体化をしていたWARNは滅んだ。いや、滅んだって形容は正しくないのか。現にヨーロッパでは襲われたわけだしな。
思い出したくもなかったよ。まさかまだ残党が残っているなんて思いもしなかった。深海棲艦にすべて滅ぼされたもんだと思い込んでたし、思いたかった。
あんたは悪くない、か。すまな……いや、違うか。ありがとう、だったな。
また脱線したか。とにかくもう俺の情報源としての価値はなくなった。同時に保護という体裁の監視も緩くなったんだ。
緩くなったからこそ、俺は自分の身の振り方を考えなくちゃならなくなった。どうしたものかと思ったよ。
結局、俺ができることは戦うことだけだった。なによりただ平穏を享受することはできなかった。夜に寝るたび、悪夢で跳ね起きた。穏やかなはずなのに脳の片隅にはこべりつき続けて俺を責めたてた。だから……俺は海軍に入ることにした。
深海棲艦が人間を殺すというなら、それを止めれば少しは責めたてもましになるんじゃないか。そう思うことくらいしか逃げ場がなかった。死者は望まない。わかってたはずなのに、な。それでも俺にやれることがある。そうでも思わなければ生きることすら否定されてる気分だった。
皮肉なことに潜入工作員として受けた教育もどきのおかげで勉強はどうにかなった。体の方もさんざん戦場で走り回ったせいで規定されてたレベルの運動能力は軽々とクリアしていた。
あとはもう、わかるよな。海大に合格した後はできるかぎり少年兵時代の技術は封印した。体の怪我は隠し続けた。長袖を着るように心がけたのはこの時からだ。
そして海軍に入ってから、俺はわざと昔に使っていたCz75を使用拳銃に申請した。
忘れるな。ただそのために。
これが……これが俺だよ、叢雲。
こんにちは、プレリュードです!
今回のイベント、きつすぎやしませんか?今はE4のギミック解除しているんですけど心が折れそうです。夜戦連続とか勘弁してくれ……
でも涼月はほしいんですよね。