嵐の前の
埠頭を歩くと潮風が短い黒髪をなぶる。
程よく暖かく、吹く風が心地いい。
その中で峻は息を吐き出し海に向かって叫んだ。
「ようやく演習全部終わったあああ!」
遡ること三ヶ月前。
矢田の艦隊を演習で余裕で撃破し、その三日後に侵攻してきた深海棲艦を帆波隊は撃退することに成功したわけだが。
そのせいで
「我こそは帆波隊を破らん!」
と活気づいた各所の猛者の部隊や艦隊の練度を上げたがっていた部隊が次々と演習申し込み書を館山に送りつけ、結果これでもかという量の演習をこなすことになってしまったのだ。
相手のスケジュールの兼ね合いやあまりの量もあって三ヶ月以上経ってようやく一昨日に全て片付いたのだった。
「マジでふざけんなよ!再戦申し込みとかバカスカ送りやがって!そのせいで俺のライフがゴリゴリ削られたんだぞ!」
そんなわけで一人で海に向かって叫んでストレスをぶつけているのだった。
ちなみに昨日は全員が泥のように眠り続けていたくらい疲れていた。
普段一切の疲れを見せることのない鉄面皮の加賀が目の下にクマを浮かべてふらふらしていたと言えばどれだけやばかったかお分かりだろうか。
その他にも例えば、
「ハルナハダイジョウブデス」
とうわ言を言いながら砲撃する榛名に、
「あ、熊野じゃん。おひさー」
と虚空に手を振る鈴谷。極め付けは虚ろな目で相手を斬り伏せ続けた叢雲などという惨状だった。
そのため、演習で相手に圧勝しても相手の司令官が、
「なんか……その、すみません………」
と謝ってくるレベルでやばい顔だった。
三ヶ月前を思い返してふと気づく。
「そういやまだ約束の装備できてねえな」
まだ叢雲との約束が果たせていないのだ。
いいかげん図面くらいはひいておきたいところだがあまりの演習量に忙殺されてアイデアすら現状浮かんでいない。
早く作ってやりたいものだが中途半端なものでは意味がない。新しい砲塔がいいだろうか。それとも新型の魚雷?
なかなかピンとくるものが浮かんでこないもんだ。
ぶらぶらと屋内演習場へ足を向ける。昨日はさすがに疲れてできなかったが今日はこれまでの演習のまとめを一人一人がやっているはずだ。
そこでなにか思いつくといいんだがな。
幸い執務はあまりなく、今日はほぼフリーだ。おそらく将生が気を利かせて執務量を減らしてくれたのだろう。感謝はしないが。あれだけの演習量を認可して流したのも将生だからな。
「おっす、やってるかー」
「提督ですか。こんにちは」
「加賀か。どうだ、調子は」
屋内演習場の前で靴を脱ぎ、入り口をくぐるとすぐに加賀が腕を組んで立っていた。俺に気づくとすぐにやってきて挨拶してくる。
「調子ですか。私は問題ありません」
さすがにもういつもの調子らしい。目の下のクマは消えて凛とした雰囲気を纏っている。
どうやら加賀は今休憩中だったようだが、少し話に付き合ってくれるみたいだ。
「他の奴らはどうだ?」
「他の、ですか。そうですね、例えば新参の陸奥は腕を上げましたね。元々それなりのものではありましたが今回の演習漬けでさらに上達しました。他も同様に進歩しています」
「ゴーヤはどうだ?」
加賀が難しい顔をした。袖を引かれ、演習場の外のあまり人がこないところへ連れて行かれる。
人が多い中では言いづらい話のようだ。
「伊58ですが、艤装を装着することに関してはもう抵抗がないようです。ただし相手が相手ですから……」
「そうか。演習では大丈夫だが、実戦ではってことか」
「ええ。実戦では相手は同じ艦娘ではなく深海棲艦で、しかも躊躇なく沈めにきます。模擬弾ではない分どうしても可能性はあるかと」
まだゴーヤのPTSDは完璧に克服できてないか。まだ徐々にリハビリをして治すしかないだろう。トラウマってのは急に良くなることは稀だ。
「ゆっくり治してくしかないな。ありがとう。悪かったな、貴重な休憩時間をもらっちまって」
「いいえ、構いません。それでは」
加賀が下駄を鳴らしながら演習場へ入っていった。
まだ完治には遠そうだ。長い目でじっくりと治していくしかないだろう。
それでも最初は艤装をつけるのすら嫌がったのを思い出すと、大分マシになったようだ。
「さて、俺も加賀の跡を追うとするか」
引っ掛けた靴をもう一度脱いで屋内演習場へ入り込んだ。
艦娘の戦いは砲撃、雷撃または航空隊による爆雷撃が挙げられる。近接戦闘を仕掛ける艦娘も一部いるが一般的ではない。
ではなぜ屋内演習場という体術訓練ができる施設があるのか。
答えは簡単、受け身である。
これができるとできないでは生身に受けるダメージが変わってくる。艤装は壊れてもすぐに直せるが生身は壊れたらすぐには治らない。高速修復材という手も存在するが副作用が出る場合が多いためあまりお勧めできないからだ。
おっと、結構やってる奴いるな。いくら一日空いてるとはいえ、すぐに艤装を着けて海上訓練するのはやる気が出なかったんだろ。
「帆波中佐、お手合わせ願えますか?」
道着姿の榛名がかけ寄ってきた。少し顔に汗が滲んでいるあたり、さっきまで運動していたのだろう。
「別にいいけどならプロテクターくらいつけとけよ。怪我させたくはねえから」
「中佐も、ですよ」
「わかってるよ」
上着と靴下を道場の端に放り投げ軽量プロテクターを着用する。こいつは動きを阻害しないように作られたものだ。かなり軽く、かつ邪魔にならない。
加賀に判定を頼み、榛名と向かい合った。
「ルールは素手で引っ掻き、嚙みつきは無し。その他常識の範囲内で相手を大きく傷つけることはないように。それでは両者前へ」
俺と榛名が三歩前に出て構える。
「全力で行きます!」
「おう!来い!」
「それでは始め!」
加賀の開始の合図とともに大きく踏み込み榛名との間を詰める。繰り出した俺の掌底を榛名がいなし、カウンターとして拳を打ち出す。
打ち出された拳を俺はステップで躱して右足の上段蹴りをかますと榛名がしゃがんで回避。そのまま俺の空いた胴めがけて掌底を打ち込み、俺を後ろに押しやった。
この間僅か1分足らずである。
「へぇ、やるねえ」
「中佐こそですよ。ヒットの瞬間に下がって当たりを浅くしたことくらい気づきます」
榛名が警戒したまま答える。加賀のストップも入らないならばまだ継続中ってことか。
「行くぜ、榛名」
もう一度榛名との間を詰める。ただし今度は詰めるだけだ。
牽制で打たれた左ジャブを顔を傾けるだけで避け、続いて繰り出された右拳を掴み、勢いを生かして榛名を投げとばした。
だが榛名もその流れに逆らわずに転がり、追撃をかけようとした俺に裏拳を入れようとする。
でもそれが俺の狙いだった。
裏拳を打った右手を掴み捻りあげると関節の構造上、動かすことはできないのだ。
俺は榛名の手を掴み榛名の背中に捻りあげた。
「痛たたたたっ!ぎっ、ギブです!ギブ!」
「そこまで!」
加賀のストップが入ったため、榛名の右手を掴んでいた手を離す。
榛名が顔をしかめながら左手で右肩を撫でた。
「中佐、少しやりすぎですっ!」
榛名が拗ねたように頬を膨らませ、口を尖らせて文句を言う。
「手ぇ抜いたらお前怒るだろ」
「そりゃそうですよ!」
なんなんだよ一体。手加減すりゃよかったのか?
縒れたシャツの襟を正して、へたり込んだままの榛名に手を貸して起こした。
「あ、ありがとうございます」
そろそろお暇させてもらうとしますかね。なかなか楽しい暇つぶしもできたし。
「待ちなさい」
プロテクターを外しかけたところで制止の声が聞こえた。
「なんだよ、叢雲」
「久しぶりに私とやりあう気はない?」
ほほう。叢雲とか。なら確認しなきゃならないことがあるな。
「どこまでオーケーだ?」
「オールよ」
当たり前のこと言わないで、とでもいわんばかりの態度で長い髪を手で払う。
全力で来いってか。
「いいぜ。加賀、もっかい審判頼んでいいか?」
「わかりました」
道場が空くのを待つ間に、俺は模擬戦用の竹製の大ぶりなナイフを右手に、愛銃のCz75のマガジンに模擬弾を叩き込む。
対する叢雲は刃渡り60cm程度の竹製の打刀を持った。
道場が空いて、向き合うとお互いの間にピリッとした緊張感が漂う。
手加減なんて悠長なことはこいつ相手には言えない。そんなことしている間にあの打刀が掻っ捌きにくるからだ。
「それでは……始め」
加賀が開始の合図を出すが、今回はさっきのようにいきなり踏み込んだりしたい。
お互いがジリジリと回りあい、相手との距離を測る。
迂闊に間合いに入れば打刀に叩き斬られるのは目に見えている。かといって左のCz75を打っても避けられる。
さて、どうしたものか。
俺が思案していると叢雲が一気に接近し、刀を振り下ろす。
振り下ろされた刀の腹をナイフでなでるように添えて軌道を逸らし、左の引き金を引くが顔を背けて躱される。
ならばと、繰り出した左足の蹴りは叢雲の刀の柄頭で弾かれ体勢を崩した俺に叢雲も左足で蹴りを放つ。
「うおっ!」
上体を後方に逸らして間一髪で回避。そして懐に潜り込み、ナイフを押し込むが、叢雲の刀が受け止め、押し込まれまいとするために銃をホルスターに戻して右手の甲に左手を添えて、つばぜり合いになる。
「おうおう、その程度か?」
「はっ!あんたこそ最近サボりすぎて腕が鈍ってるんじゃないの?」
煽るようなこと言ってるがこれはあまりいい状況ではない。
もともとナイフはリーチに欠けるのだ。さらに刀は全体に力をかけやすい。
ジリジリと俺の腕が押し戻される。
叢雲が口の端をあげてにやりと笑う。
見てやがれよ。そう簡単に負けてやるもんか。
ふっと腕の力を抜いて体を左にずらすと、叢雲が力を込めて押していた刀がナイフが消えたことにより、ガクンと前のめりになる。
狙い通り!右手のナイフをそのまま叢雲の首筋に当てがおうとしてナイフが弾き飛ばされた。
切り返しが早い!こいつ、刀の峰で俺のナイフをふっ飛ばしやがった。
横薙ぎに振られる刀をバックステップで躱し、次の左下からの逆袈裟斬りを左足で刀の腹を蹴ることで軌道を逸らして避ける。
「降参してもいいのよ?」
「冗談。まだこれからだぜ?」
とはいえナイフがない今、俺が刀をいなす方法が一つ失われている。このままではジリ貧で押し切られる。
ならば速攻で決めるしかねえ。
南無三!
素早く飛び出す。叢雲が刀を上段から一気に振り抜き始める。
それを俺は避けずに突っ込んだ。
そして叢雲の股下をスライディングでくぐり抜ける。
不意を突かれてもさすがの反応で、すぐに叢雲が振り返り、刀を俺の首筋に当てた。
だが、同時に俺がクイックドロウで引き抜いたCz75が叢雲の眉間に照準を合わせている。
俺と叢雲が硬直した。片やいつでも引き金を引け、片やいつでも刀で首を斬れる。
「そこまで!両者引き分け」
加賀が終了と引き分けの判定を出したため銃をホルスターへ戻した。叢雲も刀を俺の首筋からゆっくりと引き戻す。
「今回は勝ったと思ったんだけど」
「ナイフ飛ばされたときはちっとばっか焦ったぜ。まあ相変わらずお互い勝ち越し無しだな」
弾き飛ばされたナイフを回収に向かう。
こっちこそ背後取った後、あそこまで反応早いのは予想してなかった。
次あたりそろそろ危なねえかもな。
「今度こそ帰るわ。じゃ、頑張れよ」
プロテクターを外して保管場へ投げ込み、靴下を履き上着を肩に引っ掛けながら持ち、屋内演習場を後にした。結局アイデアは浮かんでなかったが。
外に出てみると気づけばもう夕方だ。
暖かかった風が少し冷たくなっている。
けれど、運動して火照った体には丁度いい。
「平和だな」
ポツリと呟く。
あゝ素晴らしきかな日常。徒然なるままにひぐらし。硯に向いてなんちゃらかんちゃら。
こんなにのどかだと忘れがちだが、俺たちは深海棲艦と戦争しているのだ。
戦線は相変わらず押して押されての繰り返しだ。
早くこの戦いが終わるといいんだがな。そう祈らずにはいられなかった。
新章突入ですがまだおとなしいですね。
次回から荒れますが。
たぶん。
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