17話 でかければイイというものではない
偉大なる航路(グランドライン)を『魔の海』と呼ぶ者がいる。
地形・海流・天候・季節だけでなく、棲息する生物までもが常軌を逸した海域であり、入航する者は早い段階でその洗礼を受けた。無知なる者は入航すら出来ず、情報を軽んじる者は滞在を許されない。博識なる者でさえ夢を阻まれ、心を蝕まれた。
挫折し夢破れた多くの者は命を落としている。しかし、運良く生き残った者もいた。その者達は口を揃えてこう言った――「あの海は魔境だ」と。
新参の入航者であるケアノスとマオも早々に洗礼を受ける事となった。入航を目前にして巨大な障害が現れたのである。世界一大きい種とされる『アイランドクジラ』が、文字通り『壁』となって立ちはだかった。海面から垂直に飛び出た半身は山を彷彿とさせる程大きい。ブオオオオと鳴く声は、まるで衝突までのカウントダウンであった。
巨大クジラと運河の幅には僅かな隙間があり、マオは取り舵を切るよう促す。しかし、ケアノスはそれを無視し凶行に走っていた。
「ねェ、マオの太くて立派な『ドリルちゃん』のスイッチ……早く、入・れ・てェ」
「ぬふふふ、兄さんも案外欲しがりやの~」
「早く早くゥ……ほら、黒くて分厚い肉壁がもう待ち切れなくて潮噴いちゃうよォ。クヒヒヒヒ」
「なんやなんや、もうビチョビチョに濡れ――て、何言わすねんッ!」
生まれ持った感性が災いし、ついケアノスの悪ノリに便乗してしまうマオ。無意識の内に反射レベルで反応しているのだ。
「あれ? もしかして萎えちゃったの? おっ立たないフニャドリじゃ、役に立たないよォ。別に腹も立たないけど、ヒャハハハハ!」
「アホ、ウチのドリルちゃんはいつでもビンビンじゃ! 太うて大きいだけやと思いなや! 自慢すべきはデカさやない、硬さや! ええか兄さん、ドリルもアソコも肝心なんは硬さ――言うとる場合かッ!」
「アーッハッハッハッハ、長めのノリツッコミだったねェ。キラリと光るモノを感じたよォ。マオもボクに感じちゃったァ?」
ケアノスは爆笑しながらパチパチと拍手を送っていた。
マオは恥ずかしさからか怒りからか、顔を真っ赤にして声を荒げる。
「う、ううう五月蝿いわ! ええから早よ取り舵切りィや! ぶつかってまうで!?」
「え? そのつもりなンだけど?」
「……ウソやろ!? 冗談とちゃうの!? なんでや!?」
困惑するマオにトコトコ近寄ったケアノスは、ゆっくりとマオの顔に手を伸ばす。触れるか触れないかの距離まで接近したケアノスは真顔で語る。
「勿論、そこにクジラがいるからさ――てのは冗談だよォ、エイ!」
「ああっ、何すんねん!?」
ケアノスの手はマオをスルーして操作パネルのスイッチを押した。船首大型回転衝角が水しぶきを上げて高速回転を始める。慌てて止めようとするマオであったが、その手はケアノスによって阻まれた。
「ダメダメ。船を守る為なんだからァ」
「それやったら避けた方がええやん。ギリギリ通れそうな幅やで」
「かもしれないねェ。でも、それはクジラが動かなければの話でしょ。挟まれでもしたら、どうするのさ?」
「そ、それは……あの……その」
ケアノスが指摘する可能性を考えると、マオの声は自然と小さくなっていく。
「マオはよく知ってるでしょ。この船って縦方向には無類の強度を発揮するけど、横方向からの衝撃にはそこまでじゃないよねェ? あれだけの巨体の圧力に押し潰されて無事で済むと思う? 下手に舵を切るよりも、この船の特性を最大限に活かして直進した方が被害は少ないと思わない?」
「……」
「フフッ、ボクはブラック・フェルムのポテンシャルを信じてるよォ。マオの造った船だもん。さァさァ時間もないし、船の形体を『潜水モード』に切り替えよう」
「……こ、殺す気なんか?」
操舵室内でアレコレ動き始めたケアノスをマオは止めない。ただ、恐る恐る尋ねるだけであった。ケアノスはニヤリとして答える。
「まさかァ、あの巨体だし蚊に刺される程度でしょ? まっ、死んじゃう可能性はゼロじゃないけどねェ。だって……本当は蚊って怖いンだよォ、クヒヒヒヒ」
「どっちやねん!?」
「じゃあ逆に聞くけどさァ、あのクジラってボクらを殺す気満々だと思う?」
「へ?」
「あれだけの巨躯、存在自体がすでに凶器だよォ。蟻ンコを気遣って生きてる人間がいると思う? 弱者はいつも理不尽に蹂躙されるのさ……強者にその気があろうとなかろうとね。だったら弱者だけが強者に気を遣うなんてナンセンスじゃない? ヒャハハハ」
ケアノスの笑みはさらに歪み、狂気を孕んでいく。マオは背中が寒くなってきた。
「それに弱者が強者を喰らうって愉快じゃない? 余裕に満ちた強者の表情が凍り付く瞬間って、堪らなく興奮しちゃうよォ。まっ、これは師父の受け売りなんだけどねェ」
「えっ? お師匠さんって……もしかして、そっち系の人なん!?」
「マオ、そろそろ何かに摑まった方がイイよォ」
「へ? えっ!? ちょ――ウギャッ!」
ケアノスの忠告は少し遅かった。視線を前方に移した瞬間、マオの体を衝撃が襲う。ブラック・フェルム号と巨大クジラが衝突したのだ。激しい揺れに立っていられず、マオは床に腰を打ちつけてしまう。
ケアノスは嬉々とした表情で舵を握っている。巨大クジラの楽しそうな鳴き声は一変し、痛みに苦しむ悲鳴となっていた。ブオオォォ、ブオオォォと泣きじゃくる。
「ヒャハハハハハ! イイ声で鳴きますねェ。くぅぅ、高まるゥ」
「イタタタタ……痣になったらどないしてくれるねん」
腰を押さえて立ち上がったマオは、痛む箇所を擦りながらブツブツ文句を言う。ブラック・フェルム号のドリルは巨大クジラの皮膚を貫き、厚い脂肪と筋肉を抉りながら進んで行く。
「押し潰されてたら痣じゃ済まないよォ? って事で、結果オーライ?」
「……それも、そやな。ドリルちゃんの威力が圧倒的――なんぞ言うと思たか! ダァホ!」
「あれェ、天丼は嫌いだったァ? 面白いのに、ククク」
「そーいう問題やないねん。結局ドリルちゃん使うんやったら、運河の側壁ぶち抜いた方が良かったんとちゃう? スクリューつこたら可能やろ?」
「おー、そんな方法もあったんだねェ。全く思い浮かばなかったよォ、流石はマオ! 超今さらだけど、ナイスアイデア! 次回はそうしよっかァ」
悪びれた様子もなくケアノスはマオを称賛した。
「こないな状況がそう何度もあるかいな!」
マオは「ハァ」とため息を吐く。
ライトで照らしていてもクジラの体内は真っ暗であった。しかも、かなり暴れているようで揺れが激しい。しばらく進むと、その視界は突然明るく開けてくる。抜け出た先には無数の残骸が転がっており、それは船や生物の骨であった。人のそれも少なくない。ブラック・フェルム号はそのまま海面に浮上した。
二人はモードを切り替えて甲板に出る。
「おや、アイツは……!」
「あれ? もう外? 意外と小さかったんか? いや、そんなワケあらへん」
外には空が広がっており、雲が浮かびカモメが飛んでいた。海面は激しく荒れており、波打っている。まるで世界全体が揺れているようであった。
「見て、あのカモメ……飛んでるけど動いてないよォ」
「あっ、ホンマや! 同じ場所で止まってるやん! よう気付いたな?」
「ククク、カモメとはちょっとした“縁”があるンだよォ……いや、“怨”かなァ」
「そ、そうなんや」
危険な匂いを嗅ぎ取ったマオは適当な相槌を打つ。
丁度その時、どこからか男性の声が聞こえてきた。その声はとても焦っているようだ。
「一体どうしたと言うのだ!? 小僧のおかげで頭をぶつけるのは止めたはずなのに!?」
ポツンと浮かぶ島に建てられた一件の家。その中から飛び出してきた老齢の男性が叫んでいる。その老人の頭部は異彩を放っていた。
「なんや、あのフラワーなじいさんは?」
「ククク、グランドラインの不思議生物に決まってるよォ。魚人がいるんだし、花人だって……ねェ?」
「……私は普通の人間だ。お前らこそ何者だ? どうやってココに入った?」
「どうって……ぶち破って?」
首を傾げて疑問系で答えるケアノスだが、その指は船首のドリルを指していた。花のような頭をした老人はそれを見て驚愕する。
「な、なんだその船は!? 破っただと……くっ、それでか。待っておれよ、ラブーン」
そう言うと、老人は海へと飛び込んだ。
「なんなんや? あの花じいさん」
「残念ながら、花人じゃないみたいだねェ。悪魔の実の能力者でもなさそうだし……あーあ、ガッカリだよォ」
「ガッカリて……せやけど、ココはまだ外とちゃうみたいやな。フェルムちゃんの装甲が鉄で助かったわ」
「だねェ。おそらくまだクジラの体内、位置的に胃酸の海ってとこかなァ」
ケアノスは周囲を見渡し、匂いを嗅ぎ、現状の環境を分析する。マオも同じ見解のようで納得していた。
「とりあえず、あの島に上陸して花のじいさん帰って来るんを待っとこか」
「異議なし。おなか減ったし、ご厚意に甘えて食事でもご馳走になってようよォ」
「こらこら、誰の厚意やて? やっとる事は泥棒やんか」
「そうなの? 厚かましく他人の家で勝手に食事する事をそう言うって学んだよォ、クククッ」
一人は笑顔で、もう一人は呆れ顔のままブラック・フェルム号を着岸させる。結局、マオの反対にあってケアノス達はローグタウンで購入した食糧を食べて待つ事になった。
正論を説いていたマオであったが、今は勝手に拝借したビーチチェアに寝そべっている。食後の一服というやつだ。その間にケアノスは家の中を物色していた。しかし、物を盗もうというワケではない。純粋な好奇心として見学しているのである。
マオが寝入って涎を垂らし始めた頃、件の老人は戻って来た。グーグー眠るマオは素通りし、ケアノスに近付く。
「まだいたのか、小僧」
「勝手にお邪魔した手前、挨拶もしないで出てくのも失礼かなァって」
「フン。礼儀を気にするようには……見えんがな」
老人の視線はマオに向けられていた。淑女にあるまじき体勢で尻を掻いて寝ている。
「フフッ、お茶目でしょ? 彼女はマオ。ボクはケアノス。愉快な科学者とその護衛ってところかなァ。グランドラインに入ろうとしたら…………ぶち破ったンだよォ。それで、アナタは?」
「おい小僧、今色々と省いたな? まぁいい。私の名はクロッカス。双子岬で灯台守をやっている」
「このクジラは、アナタが飼ってるの?」
「いや、そういうわけではない」
クロッカスの返答にケアノスは聞こえないように舌打する。
(ちぇっ、残念。損害賠償の請求は無理かァ。一見隙だらけだけど……食えないじじいだ。オーナー・ゼフと言い、この世界のじじいはやたらとファンキーだな。ククククク、ちょっと仕掛けてみよっかなァ)
ケアノスは値踏みするようにクロッカスを見ていた。クロッカスもそれに気付いているが、気にした様子はない。
「野良ってワケでもないでしょ? じゃなきゃわざわざ鎮痛剤打ったり、止血処置なんてしないもんねェ」
「どうしてそれを!?」
「あっ、当たってたの? 適当に言ったンだけど、ビンゴだったァ?」
口元を歪めるケアノスに対し、クロッカスは一呼吸おく。
「……確かに野良ではない。だがペットでもない。このクジラの名はラブーン、私の“友”だよ」
「ほォ、友ですかァ。それはまたどういった経緯で?」
「小僧、今回は不幸な事故だった。しかし、正当防衛と言えどラブーンを傷付けたのも事実。そんなお前らに軽々しく語ると思うか?」
クロッカスは険しい表情で問う。真剣みを帯びた視線がバチバチと交差し、互いの気迫で肌が粟立つ。ケアノスは納得したように答える。
「そっかァ。じゃあ仕方――」
「私はラブーンと出会ったのは五十年前――」
「ない……あっ、語るんだ? クヒヒヒヒ」
「私がいつもの様に灯台守をしていると、気のいい海賊どもが――」
クロッカスが昔話を始めた瞬間、彼の頭部に衝撃が走った。
怒号と共にスパーンという音が響く。
「語るんかーいッ!!」
いつの間にか目を覚ましていたマオのツッコミが炸裂したのだ。クロッカスは目を白黒させ、ケアノスさえ驚いている。
「おやおや」
「くっ……何をする、小娘?」
「はっ!? ウチは一体何を!?」
「クックック、無意識とは……天賦を感じさせるなァ」
感心したように笑うケアノスに対して、マオは慌てふためいていた。
「や、やってもた……花のじいさん、堪忍やで。最近兄さんにツッコミまくってたさかい、つい癖で」
「いやーん、マオってば大胆。ツッコミまくってたなんて、何で? 何で突いてたの? 黒光りする立派なアレかなァ? クヒャヒャヒャヒャ、じじいが羨望の眼差しで見てたよォ」
「おどれはちょっと黙っとれ! 話がややこしなるねん!」
「でももう高齢だし、立たなくなってても不思議じゃ――」
「このドアホーッ!!」
マオはケアノスの胸倉を掴んで張り手をかます。
「アホか? アホなんか? アンタはアホの子なんか? 火に油注いでどないすんねん!」
何度も何度も張り手をお見舞いするマオ。クロッカスは唖然としていた。
「花のじいさん、すまんかったな。ウチどうかしてたわ。この兄さんもいつもはもうちょいマシなんやけど、今日はずっと変やねん。迷惑かけてもたし、ウチらはこの辺でお暇するわ」
「え? まだ話を聞き終わって――」
「うっさい! 話もカカシもあれへんのじゃ!」
ケアノスの首根っこを掴み上げて、マオは強引に引き摺る。
「横暴だァ。ボクが何したって言うのさ」
「ウチも悪かったけど……やっぱりアンタのが悪い! 説教はココ出てからや! ほな、花のじいさん! 縁があったらまたいつか!」
サッと手を振り、そそくさと船に乗り込むマオ。ケアノスも抵抗する素振りを見せるが、本気で抗っているわけではない。
「待て」
黙っていたクロッカスがここに来て制止をかけた。
マオはギクリと怯む。
「うっ……やっぱり怒っとるんか?」
「出口はあっちだ。門は私が開けてやる」
「おー、じいさん男前やん! ウチは全然タイプちゃうけど、世の中の女はほっとかんで!」
「……」
「クククッ、イイとこ持ってくなァ」
その後、クロッカスは無言でブラック・フェルム号を見送った。
再び島へと戻って漸く一息つく。
「やれやれ、嵐のような小僧共だったな」
どっこいしょと腰を下ろすクロッカスであったが、異変に気付きバッと立ち上がる。その表情はとても険しい。
「本当にやってくれる……あの小娘、フフッ」
クロッカスの視線の先には、マオの唾液でビチョビチョになったビーチチェアがあった。
◆◆◆◆◆
巨大クジラから脱出して数時間、ケアノスとマオは海上で言い争っていた。
「そんなん聞いてへんで?」
「えーっ、報告書渡したでしょ。確か……ムチムチプリン准将からログポースを貰ったって。グランドラインはコンパスじゃなくてコッチ使うンだよォ。しかもログためないと意味ないのに!」
「ほんならまた戻らんとアカンの!?」
「せェかーい!」
得意満面のケアノスを見てマオはイラッとする。ツッコミという拳骨を食らわそうと構えた時、突如ケアノスが騒ぎ出した。
「ねェねェ、あれって海軍だよねェ? 軍艦じゃない? あれって軍艦じゃない?」
「チッ、どれや?」
「あれだよォ、あれ」
振り上げた拳をグッと下ろし、マオはケアノスを押しのけて双眼鏡を覗く。
「……ホンマやな。なんでこんな入り口近郊に来とるんや?」
「ちょっと接近してみよっかァ」
「えー、なんでわざわざ? それより早よ戻ろうや」
「まっ、イイじゃん。何か目新しい情報が聞けるかもよォ? ベガパンク、とか」
「う~ん……ちょっとだけやで」
欲望には素直なマオであった。
(クックック、やっぱりボクは強運だ。海楼石、ゲットだぜ!)
内心でガッツポーズし、ケアノスは針路を海軍へと修正する。
一方、軍艦上でも海兵の一人がブラック・フェルム号を捉えていた。その海兵は駆け足で船長の下に走り、敬礼して声を上げる。
「報告します。右舷前方より不審な船が一隻、本艦に接近中。海賊旗は掲げていませんが、鉄甲で完全武装しているようで、あんな船は見た事がありません。如何しましょう?」
「どれ、わしが確かめちゃる。お前は持ち場に戻っちょれ」
「はっ! 了解しました! サカズキ大将!」
2014.9.7
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