悪を名乗りし者   作:モモンガ隊長

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19話 海軍本部大将・赤犬②

 サカズキから出された質問は問いというレベルを超えた究極の選択であった。相手が海軍本部の将校である為、最初こそ丁寧な言葉遣いを心掛けていたマオも、今では怒りのボルテージが高まり口調も荒い。

 

「ンなもん選べるか! 無茶苦茶や!」

「何がじゃァ?」

「そない理不尽な二択を強要されたら堪らんわ!」

「お前みたいな馬の骨の科学者に最高の環境与えちゃるゆぅのに、どこが不満ならァ?」

「その人を見下した態度も気に入らんのじゃ!」

 

 嫌悪感を露にするマオにサカズキは少し眉を顰めた。それを見てしまった海兵達に緊張が走る。

 

「ええ度胸しちょるのぅ。命が惜しゅうないゆぅんか?」

「あ、アホ! 命は惜しいに決まっとる! せやのぅて、ウチは選択肢がオカシイ言うとるねん!」

「軍に協力するんは民間人の義務じゃァ」

 

 マオの反論は激しさを増し、口調はどんどん荒々しくなっていく。それを聞いている海兵達は気が気でない。サカズキの事を少しでも知っていれば、マオの対応も変わっていただろう。しかし、現状は最悪の方向へと傾きつつあった。

 

「それはええねん。問題はなんで協力断っただけで、投獄か死か選ばなアカンのや!? しかもウチのフェルムちゃんまで没収!? 横暴極まりないで!」

「その船が危険なんは誰の目にも明らかじゃァ。そがァな船を一民間人に持たせらりゃァせんわィ」

「せやかて、どこにでもあるしょっぱい船でこの物騒なグランドラインを渡れるかいな! っちゅうか、選択肢の一個が死って何やねん!? 死って!? 意味分からんわ、呆けとるんか!」

 

 溢れ出る感情をぶるけるマオ。海兵達は戦々恐々としていた。サカズキは眉間のシワを一層深くさせてマオを睨む。

 

「正しく使われん科学なんぞ害悪でしかありゃァせん! 軍に協力出来んゆぅんならァ、そがァなモンは存在せんでええわィ。当然じゃろぅ」

「ぐ、軍に使わせへんだけで、ウチの科学を“悪”言うんか!?」

「あァ? 何当たり前の事ゆぅちょる?」

「なっ!?」

 

 平然と言い切るサカズキにマオは愕然とした。鈍器で頭部を殴られたように強い衝撃を受け、しばしの間言葉を失い立ち尽くす。

 呆然とする状態から回復したマオは、掠れる声でサカズキを罵倒した。

 

「あ、頭沸いとるんちゃうか……オッサン、ホンマに海軍の偉いさんなんか!? やっとる事言うたら、チンピラまがいの恐喝やんけッ!」

 

 マオの暴言を聞いた海兵は騒然となる。とくにブラック・フェルム号に乗り移っていた海兵は慌てに慌てていた。大将サカズキの性格は非情かつ苛烈であり、悪を討つ為であれば平気で部下や民間人を犠牲にするのである。つまり、自分達ごとブラック・フェルム号を沈める可能性は低くない。そんな危うい状況下で、マオの発言は火に油を注ぐようなものであった。

 

 ここまでの展開に焦っていた海兵の一人が声を荒げる。

 

「お、おいキミ! 口のきき方には気を付けたまえ! 総督は我が海軍本部が誇る世界三大勢力の一角、あの大将『赤犬』で在られるぞ! 不敬な物」

「誰が勝手に喋ってもええゆぅたんじゃァ?」

「言いは――ッ!? も、ももも申し訳ありませんッ!!」

「た、大将!? あのオッサンが!?」

 

 マオに注意を促していた海兵は震え上がった。サカズキを怒らせて無事だった者はいない。手にする銃の照準も定まらない程に、海兵はガタガタと怯えている。これにはマオも驚きを隠せない。

 しかし、サカズキは何事も無かった様に再度マオに通告した。

 

「わしが悪ゆぅたら悪なんじゃ。死にとうなかったら素直に協力せんかい」

「べ、別に協力せェへんとは言うてないやんか。それに海軍の研究開発機関言うたら、Dr.ベガパンクかておるんやろ? 会うてみたいんは山々なんやけどな……この船はもう、ウチだけのモンやないねん。せやから兄さんともよう相談して決めるさかい、返事はまた後日改めてっちゅう事で」

 

 マオは笑顔で回答の先延ばしを宣言したが、サカズキの眼光は一際鋭くなる。

 

「わしは“今”どうするかを、“お前”に聞いちょるんじゃァ。今すぐ軍に協力するんか、今ここで死ぬんか。おどれの意思で決断せんかい!」

「なっ……ちょ、ちょっとくらい譲歩してくれてもええやんけ! そもそも悪党に利用される程、ウチはマヌケちゃうで! 前提が間違ぅとるんじゃ!」

 

 憤りを抑えきれないマオは意義を唱えるが、サカズキが己の判断を疑う事などない。

 

「阿呆ゥ! そもそもゆぅんじゃったら、その船自体が違法じゃろ。許可の下りたモンと違うちょる時点で、船の接収は決定事項じゃけんのぅ」

「うげっ……ちょ、ちょこっと改造しただけやん。ふ、船の規格かて……ま、前とそんなに変わってへんで。ほ、ほんのちょっとやし……ご、誤差や! 誤差ッ!!」

 

 動揺するマオは目をキョロキョロさせた。後ろめたいという気持ちはあったのだが、最終的には開き直ってしまう。ちなみに船の規格は以前と176%違っており、完全に別物と言って良いレベルであった。その事をよく理解しているマオは必死で場を取り繕う。

 

「お、男がそんな小さい事気にしたらあかんで!」

「「「……」」」

「う、器のでかい男って……す、素敵やん! そ、そう思わへん? 思うやろ!? なっ!? なっ!」

「「「……」」」

「う、うわぁ~ん…………兄さぁ~ん! 怖い顔したオッサンらがウチを苛めるゥ。船がのうなったら兄さんかて困るやろ?」

「……」

 

 圧倒的な分の悪さを痛感したマオは、ケアノスに援護を求めた。しかし、ケアノスは何も応えない。

 

「ちょっと兄さ――ッ!? せ、船医や! 船医呼んだって!」

 

 反応のないケアノスの様子を窺ったマオは絶句した。そして、すぐさま海軍に船医を要求する。ケアノスの容体は先ほどよりも悪化しており、全身から汗が噴き出していた。また顔は赤く染まり、いつもの覇気も感じられない。マオは尚も叫ぶ。

 

「この兄さん、さっきから具合が良ぅないねん。軍艦やったら船医の一人や二人おるんやろ!? はよ呼んだってェや!」

「「「……」」」

 

 海兵の目にもケアノスの体調は悪そうに映った。しかし、誰も船医を呼ぼうとはしない。指揮官のサカズキが許可していないからである。海軍において上官の命令と規律の遵守は不文律なのだ。

 

「無駄だよ、マオ」

「だ、大丈夫なんか!?」

「クックック、ボクとしたことが初手で差し違えていたとは」

「初手?」

 

 ケアノスは納得した様子で笑うが、マオには意味が分からない。見るからに具合の悪そうなケアノスがニタリと笑う姿は不気味であった。海兵の多くも薄気味悪く思ったが、サカズキの手前表情には出さずに静観を続ける。

 

「この船は見せるべきじゃなかったし、マオが(科学者を)名乗ったのも悪手だったねェ。ヒュー、ヒュー」

「握手? そんなんウチしてへんで?」

「ゼーゼー、まぁ一番の誤算はあの人がいたって事なんだけど」

「ゴチャゴチャよう喋るガキ共じゃのぅ。そがァに消されたいんか?」

「クククッ、よく言うよ。いや、流石と言うべきかなァ。ゴホッゴホッ」

 

 サカズキの睨みにも笑みで応えるケアノス。しかし、内心穏やかではない。

 

(ヤ、ヤバイな……目は霞むし、呼気が乱れて氣も上手く練れない。頭痛のせいで思考も鈍いし、体温も異常に高い……くそっ、どうなってるんだ!? こんな特異な症状は見た事も聞いた事もないぞ……ボクは、死ぬのか!?)

 

 ケアノスの焦りは伝染し、マオも顔中に不安を貼り付けていた。

 

(まさかとは思うけど、これって能力者による攻撃? くっ、侮った! 恐るべし悪魔の実……このボクが全く気付けなかったなんて)

 

 ケアノスの呼吸は浅く、時折異音を上げる。マオは不安で潰されそうになっていた。ケアノスの弱り具合もそうであるが、海軍大将の威圧と場の雰囲気は想像以上に重い。

 

「な、なぁ。ホンマに診てもろた方がええんとちゃうか?」

「フフッ、無理だよ。だって、これは攻撃だもん」

「こ、攻撃? 攻撃て何や!?」

「えっ、知らないの!? 攻撃っていうのは進んで敵を攻める事だよ。ケホッケホッ」

「アホ、意味くらい知っとるわ!」

 

 マオの不安は怒りによって霧散した。いつも通りには程遠いが、ケアノスの人を食った言動はマオにとってカンフル剤と成り得る。思考が億劫になってきたケアノスにとっても、マオの怒号は見ていて愉快であった。

 

「クックック、無論海軍からの攻撃でしょ」

「なんやてっ!?」

「最初からボクらを逃す気なんてないんだよ。マオは拘束されて監禁状態で開発を強いられるだろうねェ。一生飼い殺しさ」

「……」

 

 マオは否定の言葉を出せない。これまでのサカズキを見ていれば、十分有り得る話に思えた。

 

「ボクを攻撃してるのは相当手練の能力者だね。頭はガンガンするし、喉もイガイガするし、関節はズキズキするし、鼻水も出てきたし、悪寒はするし、熱っぽいし、何より全身だるくて重いだよ。もしかしたらボクはあまり永くないかも。恐ろしい……なんて凶悪な能力なんだ、絶対ダルダルの実だよね?」

「へっ? ダルダル!? い、いや、能力者っちゅうか……それってタダの風――きゃっ」

 

 話していた途中でマオは悲鳴を上げる。突如ケアノスに頭を摑まれ、甲板に押さえ付けられたのだ。

 

「あらら、年の割には意外と短気だなァ」

「最後通告じゃァ。さっさと答えんかィ」

 

 サカズキの隣には銃を構えた海兵が立っており、その銃口からは煙が上がっていた。マオの悲鳴と同時に鳴り響いた銃声、その弾道はマオの肩口があった場所を通過している。

 

「う、う、ううう撃ちよった! ホ、ホンマに撃ちよったで!?」

「そりゃあ撃つでしょ、あの人だもん。タイムオーバーって事かなァ、どうする? どっちにしてもマオの自由は殺されるよ。ゲホッゲホッ、運が良ければ軟禁くらいで済むかもね」

「お、お茶目な冗談やのぅて、ホンマに殺す気やったんか。あのオッサン完璧狂っとるやんけ!」

 

 本当に発砲されるという事実はマオに大きな衝撃を与えていた。口では何と言おうと本気で殺そうとはしないだろうと思っていたからだ。そんなマオの淡い期待は呆気なく砕かれ、絶望の影がゆっくりと忍び寄る。

 

「あの人だからねェ……でも、狂ってるワケじゃない。“悪”を根絶やしに“正義”を執行するという意味では、あの人は海軍で一番正しい存在さ」

「ほ、ほんなら兄さんもウチの科学を悪言うんか!?」

「まさか、科学自体に善悪はないよ。それを決めるのは人の意だからね。だからこそ環境や見方によっては、どんな崇高な科学でも悪に成り得るのさ。ケホケホッ」

「そ、そないな事言い出したらキリ無いで」

「フフフ、だろうねェ……で、どうするの?」

 

 ケアノスは他人事のように呟く。マオはここに来てサカズキの盲目的な信念に恐怖し始めた。

 

「ウ、ウチは……飼い殺しにされんのは嫌やけど、拒否できる雰囲気とちゃうやん? 断ったら殺されるんやろ?」

「十中八九」

「ほんなら大人しゅう協力した方が――なんぞ言うわけないやろ! このボケッ!! ウチは強要されんのがいっちゃん嫌いなんじゃ! 協力して欲しかったら土下座して頼まんかいッ!! 海軍大将!? ナンボのもんじゃ!!」

 

 マオの信念はマオ自身が思っていた以上に強い。恐怖に屈する事無く、マオは海軍に吠えた。

 

「アッハッハッハッハ、大したモンだ! ゴホゴホっ」

「ほうか。われの意思は分かったけェ」

 

 手を叩いて喜ぶケアノスであったが、その反面余裕は少ない。なぜなら氣は一向に練れず、頭痛は酷さを増し、視界はぼやけ始めていたからだ。そんな状態でもケアノスは笑みを浮かべて目を凝らす。最大限の集中力でサカズキを警戒していた。

 一方のサカズキは興味を失くしたマオに対して射殺を実行する。右手をサッと上げるや、ブラック・フェルム号の三人の海兵が一斉に動き出す。

 

(さてと、このままじゃマオが殺される……のはイイとして、船が接収されたらボクも困る。とは言っても体調は最悪だし、状況も圧倒的に不利かァ。ほとんど詰んでるようなモンだし、ん?)

 

「始末せェ」

「「「はっ」」」

「へ!?」

 

 サカズキの合図に従って海兵は銃を撃つ。マオは耳を疑い、思考は停止し、ギュッと目を閉じた。三発の銃声が響く。

 

「「「ぐッ」」」

 

 くぐもった声が漏れ、バシャンと海面が飛沫を上げる。

 

「な、なんや?」

 

 マオが目を開くと、三人の海兵は消えていた。代わりにケアノスが目の前にいる。

 

「は、速い!」

「いつ動いたんだ?」

「み、見えなかったぞ!?」

 

 海兵達はケアノスの素早い動きにどよめく。マオも目をパチクリさせている。サカズキだけは冷静にケアノスを見詰め、身を焦がす程の殺気を浴びせた。

 

「おどれも消されたいんか、小僧?」

「あちゃぁぁ、考えてる途中だったからつい……あれ? 体が反応した? どうしてだ? うーん……ゴホゴホッ、まっいっか。ねぇ、投降させるから射殺は勘弁してよ?」

「そがァに反抗的な娘は生かしちょけんじゃろぅ」

「だろうね。マオ、どうする? このままじゃ殺されちゃうよ?」

「……」

 

 ケアノスが尋ねてもマオは無言。先程の出来事とサカズキの殺気で脳内はパニック状態である。

 

「マオ?」

「……ど」

「ど?」

「どないしよッ!? 死ぬんは嫌や! 超天才美少女のウチが死ぬっちゅうんは、世界にとって大いなる損失やで!」

 

 全力で慌てふためくマオにケアノスは一瞬ポカンとし、次の瞬間――。

 

「アハハハハハハハ、ゲホゲホッ……ハハハハハハハハ!」

「わ、笑い事ちゃうで! な、何とかしてェや! 頼れんのは兄さんしかおらんのや!」

「クックック、ノープランであれだけの啖呵を切ったんだ?」

「う、うっさいわ! 意地や、意地! ウチの科学を安ぅ見よってからに……こっちは命賭けとるんじゃ!」

「フフッ、それでこそマオ。じゃあコード『ハゲ豚』発動ね」

 

 マオは足を震わせながらも精一杯の虚勢を張っていた。ケアノスはそれを見て微笑んだ。

 

 次の瞬間、サカズキの右腕がボコボコと音を立て肥大化していく。とてつもない質量と熱量を有した赤黒いそれは、巨大なマグマの塊であった。大将サカズキこそ『マグマグの実』ロギア系悪魔の実を食べたマグマ人間であり、海軍最高戦力の一柱であり、徹底した正義を貫く最強の益荒男である。

 

 ケアノスの表情が一瞬で驚愕に歪む。サカズキの右腕が放つ脅威を感じ取ったのだ。

 

「大人しゅう死んどかんかィ」

「お、おいおい……反則だろ!? くっ、マオ! 急いで潜水モードに換装だ! 時間はボクが稼ぐ」

 

 言い終わるや否や、ケアノスは軍艦に飛び移った。大半の海兵にはケアノスが突然消えたようにしか見えない。サカズキだけはその動きを目で追う。

 

「馬奈奈就ー斗!」

 

 軍艦上に姿を現したケアノスは一人の海兵をサカズキ目掛けて蹴り飛ばした。

 

「ぐわッ」

 

 うめき声と共に弧を描いて飛ばされた海兵はサカズキに激突――せずにすり抜ける。

 

「うぎゃぁぁぁぁぁ! あ、熱い! や、焼け死ぬゥ!」

 

 マグマの体を貫通した海兵は、一瞬で肌と服が焼け焦げ甲板を転がり回った。数名の海兵が慌てて駆け寄る。サカズキは一切気にした様子はなく、ケアノスを睨み付けた。ケアノスは不思議そうに尋ねる。

 

「へぇ、悪魔の能力ってオートで発動するの? オン・オフじゃないの?」

「……」

「おっ、大発見! 悪魔の能力って――マジかッ!?」

「大噴火ッ!!」

 

 時間を稼ごうと話しかけていたケアノスは驚嘆した。サカズキの放った巨大なマグマの拳が轟音を立ててブラック・フェルム号に衝突する。黒煙と水蒸気がモクモクと立ち上り、ブラック・フェルム号は海底に沈んでいく。

 

「ちッ……少しは人の話は聞けっての、この“バカ犬”! ゲホッゲホ」

「な、なんて事を!?」

「絶対殺されるぞ!?」

 

 ざわつく海兵とは異なり、サカズキの両腕は再びボコボコと熱を帯び始めた。ケアノスの表情が初めて曇る。

 

(中途半端な挑発じゃ小揺るぎもしないか。くそッ……船は無事なのか!? あとマオ)

 

 戦闘行動に移った途端、海兵達は機敏になった。銃を構えてケアノスを包囲する者、ブラック・フェルム号の沈没を油断無く見届ける者、負傷した兵を運ぶ者、その動きに無駄はない。

 

「これでお前も終いじゃのぅ。海賊だけ相手しちょればええもんを、身の程を弁えんからじゃァ」

「身の程ねェ、犬畜生の分際で随分と人語が上手いじゃんか。バカ犬はバカ犬らしくキャンキャン鳴いてろよ。ゴホゴホっ」

「死にそうな面しちょって、よォ吠えるわィ。まぁ、雑魚にはそれくらいしか出来んけんのぅ」

「ゼーゼー……言ってくれるねェ。それじゃ、吠える以外にも足掻いてみようか!」

 

 肩で息をするケアノスは意を決した顔付きでサカズキへと突撃した。

 

 その後の展開は一方的であった。

 目にも映らぬ素早さで攻撃を繰り出すケアノスとその場を動こうとしないサカズキ。傍目にはケアノスが圧倒的に攻勢であったが、ダメージを負うのもケアノスだけである。手足は重度の火傷で焼け焦げており、動きは徐々に精彩を欠いていく。

 ブラック・フェルム号が完全に沈没するのを見届けた海兵達はケアノス包囲に加わるも、誰一人として声も手も出せないでいた。サカズキという巨象に立ち向かうケアノスはまるで羽虫である。しかし、その羽虫は海兵の目を奪う程華麗に舞っていた。その舞いは海兵達から時間の感覚を奪い去る。短いようで長く、長いようで短い時間が経過した。

 

(頭痛はどんどん酷くなるし、思い通りに体は動かないし。悪魔の実がここまで厄介とは、ゴムなんかと全然違うじゃないか! 海に落とそうにも捉えられないし、触れるだけで大火傷って。やっぱり氣しかないか……ただ、この状態でどこまで練れ――しまっ!?)

 

 少し鈍ったケアノスの動きをサカズキは逃さない。複数のマグマの拳がケアノスを襲った。必死に回避するケアノスであったが、避けきれずに被弾してしまう。1発だけとは言え、威力は計り知れない。ガードした左腕は火傷と呼ぶのが生温い程にどす黒く炭化していた。

 甲板に倒れ臥すケアノスは口から血を流し、サカズキは冷徹な瞳のまま止めを刺そうと近付く。

 

「雑魚の割にはよォ粘ったのぅ」

「カヒュー、コヒュー」

「フン、もう吠えれもせんか」

「ヒュー、ヒュー」

 

 呼吸をするのがやっとに見えるケアノスに対しても、サカズキは微塵も油断していない。それはケアノスの瞳が未だギラついていたからである。

 海兵の息を呑む音が聞こえるほど静まり返る中、サカズキはゆっくり拳を上げた。それを睨み付けながら、ケアノスはずっと呼吸を整えている。

 

「じゃあの」

 

 手向けの言葉を言い放ち拳を振り下ろすサカズキ。全てを焼き尽くす程の熱量を帯びた拳が眼前に迫っても、ケアノスは臆すどころか笑みを浮かべていた。サカズキの拳はケアノスを貫き、甲板すら焼き破る。少なくとも海兵の目にはそう見えたのだった。

 

「おい、バカ犬。ステイルメイトって知ってるか?」

「「「な!?」」」

「……」

 

 貫かれたように見えたのは残像であり、ケアノス本人は一瞬でサカズキの頭上に移動していた。逆向けの体勢でケアノスは足を振り抜く。

 

「王婆屁怒就ー斗! うぎゃぁぁ」

「ぐォ」

「「さ、サカズキ大将!?」」

 

 氣を纏ったケアノスの右足はサカズキの実体を確実に捉えた。しかし、代償として右足も炭化してしまう。一方、吹き飛んだサカズキは壁をぶち破り船室に飛び込む。大将がやられて騒然となりかける海兵であったが、何事も無かったかのようにサカズキは船室から出て来た。ケアノスは左足だけで甲板に着地する。

 

「覇気まで使えるたァ意外じゃったわィ。それでもこれで終いじゃ」

 

 無表情のサカズキだが、その言葉には多分に怒気を孕んでいた。それもそのはず、サカズキは鼻を潰され血を流している。ケアノスは満身創痍でありながら、満足げに微笑む。

 

「クックック、それはボクの台詞だよ。これでチェックさ――狂気乱武ッ!!」

 

 ボソリと呟いたケアノスは全ての氣を集約した右の掌底を軍艦に叩き込んだ。その瞬間、甲板は裂け、衝撃は波となって船中を伝わる。

 

「こん糞ガキャァ、狙いは船じゃったんか!」

 

 軍艦には大きな亀裂が走り、大破一歩手前と言う損傷を負っていた。ケアノスは吐血して膝をつく。

 

「ゴフっ……蹴り一発分、無駄遣いしちゃった……から……なァ」

「まァだ息しちょるんか。雑魚のくせに渋とさだけは一人前じゃのォ」

 

 サカズキは自らの手でケアノスの息の根を止める為に部下の発砲を止めていた。割れて裂けた甲板を闊歩するサカズキの姿は、ケアノスの死へのカウントダウンを意味する。途切れそうになる意識を繋ぎとめてケアノスは目を凝らす。

 

(まいった……頭が働かないってのは致命傷だな。先手どころか後手でもミスるなんて、ボクらしさが全然出せないや。最初から大将なんか相手せずに“とんずら”するか、軍艦狙えば良かったんだよなァ。もう頭と関節だけじゃなくて全身痛いや……ボク、死ぬのか。まさか師父以外に負けるなんて……負け? いや、負けてない。ボクはまだ死んでない。死なない限り、ボクに負けはない!)

 

 ぼやける視界でもサカズキの接近はハッキリと判った。

 

「手間取らせてくれたのぅ。一思いに心臓貫いて終いにしちゃる」

 

 もはやケアノスに攻撃を回避するだけの体力も残っていない。諦めていない眼光はギラギラと猛っているが、状況を打開する策は何一つ浮かばなかった。

 

(くそ! クソ! 糞! くそッ! クソっ! 糞ッ!)

 

 歯噛みするケアノスに無情の一撃が炸裂しようとした瞬間、轟音と共に軍艦が激しく揺れる。

 

「何事じゃァ!?」

「せ、船底に何かがぶつかったようです!」

 

 上半身を乗り出して確認する海兵が大声で報告した。そして表情が驚愕に変わる。

 

「ぶ、ぶつかった何かは船底を貫き船内へと侵入! こ、このままでは本艦が――」

 

 最後まで言い終える事無く海兵は海へと投げ出された。竜骨を貫かれケアノスの発勁によるダメージに耐え切れなくなった船体が真っ二つに圧し折れたのである。

 

「ぐっ……どうなっちょる!?」

「ヒャハハハハ、残念だったなキング! 最後に勝つのはお前じゃない、うちのクイーンだよ!!」

 

 そう言い残しケアノスも海へと落下して行った。

 

 

 

 

 




2014.9.7
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