双子岬にあるクロッカスの診療室では、ケアノスのくぐもった声が響く。
「つぅ……かは……クソっ、痛くて……眠れねェ。あの糞じじい、まだ帰って来ないのかよ……嫌な感じだな……トラブルの臭いがする」
鎮痛剤の効果が切れて数時間、ケアノスは痛みと戦っていた。火傷によって高い熱を持つ肌は、にじみ出る脂汗もすぐさま蒸発させる。夕方までには戻ると言っていたクロッカスは、日が沈んでも帰って来ない。普通ならば何かあったのかと心配するところだが、ケアノスの状態は普通ではない。
(よし、決めた! やっぱりじじいは喰おう。師父の教えは大事だけど、死んじゃったら意味ないよねェ……うん、そうしよう!)
ケアノスの脳内でクロッカスは命の『恩人』から時間も守れない『老害』という認識に変換された。苦痛に顔を歪めたまま、虎視眈々と悪知恵を働かせる。
(どうせ老い先短いんだし、若いボクの糧となれるなら……ドクターもきっと喜んでくれるよね。問題は……マオ、だな。じいさんが死ねばギャーギャー騒ぐよなぁ……うーん、いっそマオも――くっ、痛ェ)
時間が経つ毎に痛みは増していく。思考すら阻害する苦痛はケアノスの精神衛生を蝕む。
(くそっ、じじいが戻るまでは痛覚を遮断しておくか!? ……いや、ダメだ。そうすると内功が練れずに細胞は壊死していく……くそっ、くそっ じじいを喰う前に死ねるかっての!)
あちらを立てれば、こちらが立たず。大いなるジレンマを抱え、ケアノスは歯噛みした。気功のおかげで細胞は辛うじて現状を保っている。しかし、そのせいで神経節は鋭敏になり、火傷の苦痛は数倍に跳ね上がった。
(くっそ……マゾって人種には、コレでも悦に浸れる猛者がいるのか!? 常軌を逸しているな……ハハッ、理解は出来ないけど羨ましいねェ)
気を紛らわそうと馬鹿馬鹿しい事を考えるが、痛みは容赦なく襲ってくる。一分一秒がとてつもなく長く思えた。
気が遠くなる程待ちぼうけ、そして耐え忍んだ時間は突然終わりを告げる。ケアノスの耳に待望の足音が届いたのだ。
安堵の溜息を漏らすが――
(ふぅ、やっと帰って来たか……あれ? 二、三、四……四人!? あれ!?)
耳を澄ますと、複数の足音が聞こえる。徐々に近付いて来る気配は四人分あった。
(じじいに来客か……でなければ、予期せぬ訪問者ってとこか。まさか、海軍じゃないよね? 困ったなァ……どっちにしても、じじいは喰い辛くなっちゃったよ)
足音は部屋の前までやってきて止まった。ケアノスは警戒心を高め、痛みをおして氣を練り上げる。
張り詰めた空気の中、ノックもなしに扉は開かれた。開かれたと言うよりは、蹴破られたと言う方が正確である。扉は大きな音を立てて開き、体格の良い屈強そうな男が入って来た。男は刃渡り1メートル強のサーベルを手にしており、ケアノスを見るや笑みを浮かべる。
「リンクス船長、ここにも一人寝てますぜ。おまけにこっちは怪我人のようで、色々と手間が省けたってもんでさ」
男は部屋の外にいる船長に向かって話しかけた。船長と呼ばれた男・リンクスも部屋に足を踏み入れる。
「コイツが女の言ってた“悪魔”のように強い護衛か?」
「ンなワケないっすよ。あの女のデマに決まってますぜ。そもそもたった一人で海軍大将と軍艦を海に沈められるような怪物なんか……伝説の海賊“白ひげ”くらいでさ。こんなひ弱そうなガキ、いくらなんでも……」
「……確かに、な」
リンクスはケアノスの状態を一目見て、大した脅威ではないと判断した。
「このガキ、どうします?」
「放っておけ……ただし、妙な動きをしたら殺せ」
「へい。おいガキ、死にたくなけりゃ動くんじゃねーぞ」
「……」
男はケアノスにサーベルを突き付けて凄んで見せた。ケアノスは顔色を変えず黙っている。男達はどう見ても海賊であった。リンクスの後には二人のクルーが控えており、サーベルを手にしている。
「エンデュミオンはソイツを見張ってろ。他の奴は金目の物がないか徹底的に探せ」
「へい」
「合点です」
「わっかりました」
リンクスの指示でクルーは室内を物色し始めた。薬品や医療器具には興味がないようで、乱雑に払い除ける。床に落ちた薬瓶が割れ、中身が漏れ出た。
「おい、気をつけやがれ! 吸うだけで意識を失うモンだってあんだぞ!」
「「す、すいやせん」」
リンクスが怒鳴りつけると、クルーは震え上がった。乱暴で雑だった動きはどこへやら、借りてきた猫のような大人しい所作へと一転する。それだけでこの海賊団における船長が持つ権威の高さが窺えた。
一方、ケアノスはと言うと
(え……え……エンデュミオンだとッ!?)
驚きに目を見開いていた。マジマジとエンデュミオンを見詰めるケアノス。他方のエンデュミオンもケアノスを見て笑みを浮かべる。
「随分とまぁ痛々しい恰好じゃねーか。何があったよ?」
「……」
「どうした? 怖くて声も出ねーか? 怖いならママでも呼んだらどうだ? ひゃはははは」
「……」
「ちっ、シカトしてんじゃねーぞ!」
無視されたと思ったエンデュミオンは腹を立て、ケアノスが寝ているベッドを思い切り蹴った。ベッドが倒れ、そのままケアノスも転がる。体を打ち付けて包帯に新たな血が滲む。
「ぐぁっ……」
「おっと、わりーわりー。つい足が滑ったんだよ」
エンデュミオンはニヤニヤしてケアノスを見下ろした。ケアノスには屈辱より何より先に激痛が走る。
(痛ェェ……くそ、くそっ、許さん、許さんぞ。雑魚キャラのくせに『エンデュミオン』なんて……ボクよりカッコイイ名前じゃないか! ゴリマッチョでむさ苦しい髭面のくせに生意気だぞォ! 許せん……絶対に許せん!)
ケアノスは嫉妬の怒りに震えた。下半身と左腕が動かせない為、右腕だけで仰向けに体勢を戻すのは一苦労であった。エンデュミオンはその様子を見て溜飲を下げる。
「ひゃはは、大丈夫かよ? ビビッちまって震えてんじゃねーの?」
「……」
「おっと、今度は手が滑った」
エンデュミオンは根っから弱い者イジメが大好きな男であった。サーベルを落としそうな芝居をしてケアノスを斬り付ける。包帯が切断されて焼け焦げた肉がむき出しになった。
「うげっ……気持ちわりー、お前のせいで当分ステーキは食いたくないぜ」
「……」
「つぅか、どうすりゃこんな怪我すんだよ!? 風呂でも沸かし過ぎたか? ひゃははは」
「……」
「ちっ……黙ってねーで、何とか言えよ!」
エンデュミオンの表情から笑みが消え、額には青筋が浮かぶ。嬲られながらも、ケアノスは内心で嘲り笑っていた。
(よく吠えるゴリオだなァ……雑魚キャラの上に“かませ”だなんて、名前が泣いてるよォ。エンデュミオンなんて分不相応な名前を持った報いだ、甘んじて受けるがイイ)
エンデュミオンの気は長くない。物言わぬケアノスに痺れを切らし、同時に別の糸も切れた。
「だんまりかよ……たく、ムカつく野郎だぜ。船長、コイツやっちゃってイイっすか?」
然程高くない沸点をあっさり超えたエンデュミオンはリンクスに尋ねた。クルーは「またか」という呆れ顔、リンクスは少し悩む仕草を見せるが――
「……好きにしろ。女さえ生きてればソイツに用はない」
「だってよ? 聞こえたか? もう命乞いしても無駄だぜ」
用無しと判断したリンクスは処分をエンデュミオンに一任した。望んだ回答を得たエンデュミオンの顔は醜悪に歪む。同時にケアノスも内心ほくそ笑む。
(いやァ、悪運の強さは師父譲りなのかなァ? まさか“餌”の方からノコノコやって来るなんてねェ……くくくっ、手間が省けたのはこっちの方なんだよォ)
エンデュミオンはサーベルを口元に当て舌なめずりをして見せた。
(そうだ……来い、もっと近づいて来い。あと数歩がお前に残された寿命だよォ。一歩一歩、噛みしめるように歩くとイイ)
しかし、ここに来てケアノスの表情が一瞬にして凍り付く。
(……ん? ん? えっ……う、嘘だろォォ!?)
エンデュミオンはサーベルを腰に差すと、背中からマスケット銃を取り出したのだ。
(おいおい、銃なんか出してんじゃねェよ! 剣の流れだったじゃん! サーベルで斬り刻む的な空気醸し出してよね!? 無駄に肥大したその筋肉は飾りかよ!? マジ空気読めよ、ゴリデュミオン! 糞ザコ! 名前負け! ブサイク! アホーッ!)
ケアノスは思い付く限りの罵詈雑言を浴びせた。しかし、如何せん内心での叫びでは当のエンデュミオンには届かない。
「へっへっへ、覚悟はいいか?」
銃口をケアノスに向け、エンデュミオンは笑顔で問う。
(バカ! タコ! デク! ウンコたれ! エンガチョ! エンガチョォォン!)
ケアノスの心の罵倒は未だ続いていた。エンデュミオンはまた無視された思い、銃の照準を定める。
「ちっ、面白味のねェ……ムカつく野郎だぜ、とっとと死ねや」
そのまま引き金にかけた指を引く。
(糞マッチョ! ホモ野郎! そもそもマッチョの奴にはゲイが多いって聞――ん!?)
銃声に反応するが時すでに遅く、凶弾はケアノスの左胸を容赦なく抉った。鮮血で包帯が紅く染まっていく。
「けっ……最期までだんまりかよ。本当にムカつく野郎だったぜ」
エンデュミオンはペッと唾を吐き、踵を返した。物言わぬ死体となったケアノスには目もくれない。そのせいでエンデュミオンは気付けなかった。心臓を打ち貫かれた割には出血が少ないという事実に――そして
「終わったか? なら、お前もこっちを手伝え」
「へい」
船長のリンクスも気にしていない。考えもしなかったのだ――まさか、死体が動き出すなどとは。
◆◆◆◆◆
一方、町へ買い物に出掛けたクロッカスも予期せぬ事態に困惑していた。医薬品の調達が終わればすぐにでも戻る予定が、未だ帰れていない理由は至極簡単である。医薬品の調達が終わっていないからだ。双子岬からほど近い町々では海軍による厳戒体制が敷かれていた。
病院や薬局は特に海兵が常駐し、来訪者の身元を厳しく検閲している。クロッカスとて清廉潔白な医師ではない。現在は灯台守として静かに暮らしているが、彼は二十年以上前許されざる大罪を犯した。そのせいで海軍とは敵対関係にあると言っても過言ではない。
検閲を避けるべく町から町へ移動するが、海軍の包囲網は厚く、クロッカスは困り果てていた。ラブーンのおかげで移動時間は大幅に短縮出来ているが、それでもすっかり日が暮れてしまったのである。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。夜となり辺りが暗くなった事で、海軍の目を欺き暗躍する者が現れたのだ。その者はクロッカスに薬の提供する旨を持ち掛ける。怪しく思うもクロッカスに他の手段は思い付かない。
案内されるままに町外れへと行くと、そこには竜の意匠をこらした船が接岸していた。船上ではフードを被った怪しい風貌の男が立っており、興味深くこちらを窺っている。
フードの男はクロッカスに近付きフードを下げた。顕わになった顔を見てクロッカスは目を見開く。
「お、お前は……ッ!?」
男の顔には刺青が刻んであった。しかし、クロッカスが驚いたのはその点ではない。
「お目にかかれて光栄だ、Dr.クロッカス――あの海賊王が頼った伝説の船医」
「フン、よく言う。今や君はロジャーに匹敵する超有名人、まさかこんな所で会おうとはな――革命家・ドラゴンよ」
刺青の男は『世界最悪の犯罪者』と全世界で騒がれている革命軍総司令官であった。思わぬ人物と対峙して驚くクロッカスに対して、ドラゴンら革命軍は最大限の礼節を尽くす。答えられる範囲での質問には全て回答し、町の現状を説明し薬品を渡した。
顎に手を当てるクロッカスの表情は渋い。
「あの赤犬を、か?」
「ああ、元々は我ら革命軍の情報を得てココで網を張っていたようなのだが……」
「とんだとばっちりを食ったと言うワケか」
「報告では彼らの方から海軍に接触したとある」
「ふむ、賞金稼ぎであれば海軍は敵でないと思ったか……しかし、相手があの赤犬とは不運だったな」
クロッカスは分けて貰った薬品を一つ一つ確認しながらドラゴンと話していた。ドラゴンは昔を懐かしむように笑みを浮かべる。
「フフッ、大将と殺し合って海へ沈む……か、果たしてこれは偶然か、それとも必然なのか……運命とは、皮肉なものだ」
「なに?」
「いや、何でもない。それより物資は足りそうか?」
「ああ、十分だ……が、少々解せんな。お前程の男が、なぜここまでする? 小僧らに対して負い目を感じている、という理由だけでは納得し兼ねるぞ」
「……」
ドラゴンは黙った。クロッカスは目を細める。推し量るように視線が交錯した。しばしの沈黙が続き、クロッカスは踵を返す。
「……止めておこう。詮索は野暮であったな。薬、感謝するぞ」
去ろうとするクロッカスの耳にドラゴンの呟きが届く。
「――だ」
「む?」
「――の子だ。――――ではない。そして、奴は生きている」
「なっ、なんだとッ!?」
「世界は……いや、政府は畏れているのだ。我らの答えと――奴の存在を」
海風がビュービューと吹き付ける中、ドラゴンの口からボソリと語られた内容はあまりに衝撃的であり、とても世界に公表出来るものではなかった。
風雲急を告げるグランドライン、クロッカスは亡き旧友を思い出す。受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢、これらは止める事が出来ない。人々が『自由』の答えを求める限り、それらは決して止まる事はない。海賊王ゴールド・ロジャーが遺した言葉は真理であり、この大海賊時代の到来を予期した宣言でもあった。
ドラゴンと別れたクロッカスは驚きと懐かしさを胸に秘め、ラブーンと共に双子岬を目指す。海賊団の襲撃を受けているとは知る由もない。ただケアノスの身を案じて帰路を急ぐのであった。
2014.9.7
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