尋問には様々な手法がある。威圧や恫喝といった相手を威嚇して脅す手段もあれば、相手を誘導して自分の得たい答えを引き出す手段も珍しくない。今回マオが用いた手段は『泣き落とし』であった。しかし、マオの泣き落としは一般的なものとは少し異なり、ひたすら自分が泣くのである。それは『駄々をこねる』ではないかと指摘する人もいるが、マオは決して認めようとしない。
ケアノスも当初はマオを煙に巻く予定であったが、今はブラック・フェルム号に軟禁されている。船室は取調室と化し、マオの執拗な尋問が続いていた。苦虫を噛み潰したような顔のマオに対して、ケアノスの顔には疲労の色が見え隠れしている。
(しつけェ……今日のマオ、マジ鬼だよォ。くそッ、どうしてボクがこんな目に……)
ケアノスがウンザリするのも無理はない。なぜならこの状態がもう何時間も続いているのだ。この尋問を終わらせるには、マオを納得させるしかない。マオは全てを知りたがった。
「せやから『ヒトゲノム』やら『テロメア』て何やの? 聞いた事ないで!」
「だァかァらァ、ヒトの持ってる遺伝子情報と染色体の先っちょだって何度も言ってンじゃん!」
「せェやァかァらァ……それがサッパリ解らん言うとるやろッ!!」
「ヒトの細胞ってね、分裂する度にテロメアがどんどん短くなるの! 短くなるとそれ以上分裂できなくなって細胞は老化するの! でもボクはそれを……まぁそれだけじゃないけど他人から奪えるの! 文字通り“喰らう”事でね。つまりボクの細胞は何度でも再生……いや、新生するってワケさ! 以上、解った?」
「……」
マオは首をひねったまま黙り込む。そのまま数分が経過した。
「マオってさァ……バカ?」
「はあぁぁぁぁッ!? なんでやッ!? ウチ今めっちゃ考えてたやん!! 理解しようと頑張ってたやんッ!!!」
顔を真っ赤にして叫ぶマオの大声がケアノスの耳をつんざく。ビリビリと振動する鼓膜の回復を待ち、ケアノスは深く溜息をついた。
「はァ……だいたいさァ、どうしてボクの秘密をマオが理解出来るまで説明しなきゃならないンだよォ?」
「な、なんでて……ウチと兄さんは運命共同体やろ? ほんならウチかて知る権利くらいあるで!」
「だったらさァ、いい加減理解してよォ」
「ごじゃ言うたらアカンで、兄さん。それがホンマやったら、兄さんは不老不死っちゅう事になってまうやんか。なんぼなんでもそら「そうだよォ」ない……へっ!?」
マオの動きがピタリと止まる。ケアノスを見詰めたまま、思考も一瞬停止したのだ。
「正確には“条件付き”で、だけどねェ。頭や心臓を潰されれば勿論死ぬしィ、他人を喰わないと年も取るよォ」
「……」
「でも喰い続けたら多分死なないしィ、若さも保てちゃうかも……テヘっ」
ケアノスは舌をペロッと出し、お道化て見せる。マオは小刻みに震え出す。
「に……兄さん……?」
「ん? もしかして憧れちゃう?」
「おのれ吸血鬼やったンか! ウチが美少女やから狙っとるんやな!? しもたァ! まんまと騙されたで!!」
「……はいィ?」
ガバッと立ち上がって一歩下がり、マオは腕をクロスして見せる。
「ど、どやッ!? 十字架やで! 怖いやろ!? どや、どやッ!?」
「……」
交差した両腕を突き出して牽制するマオ。予想外の展開にケアノスは動揺した。
「う、ウチの血は絶対飲ませへんで! なんぼ仲間や言うても、吸血鬼にされんのは嫌や!」
「……」
「せ、せや! ウチの好物は餃子なんや! ウチの体にはニンニク臭が染みついとるで!」
必死に自分を守ろうとするマオは恥も外聞もかなぐり捨てて喚く。その様子を直視していたケアノスはとうとう限界を迎えた。
「……プッ……ク……クク……ククク……アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
「へ?」
「アハハハハ、本物だ! 本物のバカがいる! ボクの目の前に真正のバカがいるよォ! クハハハハッ!!」
腹を抱えて爆笑するケアノスを見て、マオの顔は赤く染まっていく。
「な、なんや!?」
「ククク、吸血鬼かァ。面白い着眼点だね、言い得て妙だ」
「わ、笑うトコちゃうで!」
「フフフ、ごめんよォ。でも安心して、マオを同族にはしないから……てか、出来ないしィ」
ケアノスは笑いをかみ殺すが、全然殺し切れていなかった。そのせいでマオはまだ疑心を払拭できない。
「ほ、ホンマやろな!? 油断さしといて、後ろからガブッとか、シャレにならんで」
「アハハハハ……てかさァ、マオも知ってるでしょ? ボクは餃子も食べるし太陽だって平気だよォ」
「…………あっ!」
誤解に気付いたマオは脱力し、そのまま床にへたり込んだ。ホッと胸をなで下ろすマオであったが、背後から伸びて来る影が――。
「どうした、小娘?」
「ぎゃぁぁぁぁあッ! あ、なんや……は、花のおっさんかいな!? お、驚かせんといてェや……し、心臓停まるかと思たで!」
「フン。昼飯を持ってきてやった……要らんのか?」
「い、いります! 要りますとも! 毎度おおきに! 感謝しとるで、花のおっさん!」
影の正体はクロッカスであった。安堵したり絶叫したり歓喜したりと忙しいマオである。素早い変わり身で立ち上がると、クロッカスを船内に招き入れた。
「昨日までは兄さんの怪我が心配で心配で飯もよう喉通らんかったさかいなァ。今日からはたっぷり食うで、ニシシシシ」
「ほぅ、余った小僧の分も自分に寄越せと言っておったのは誰だったかな?」
「あ、あ、それは言わん約束やん!」
「……した覚えはないが?」
「うぅ、それはその……色々やなぁ……」
ばつが悪くなり声も小さくなるマオ。食膳を机に置いたクロッカスは笑って出て行く。船内に気まずい空気が漂う。
(天才って人種は情緒不安定で思い込みが激しく、イタいけど可哀想に見えずに愉快な人が多い? マオは面白いから嫌いじゃないけど、今日はちょっとしつこかったなァ。この先もこうだと面倒だしィ……そうだ、マオは虐げられてこそ伸びる子だよね? 窮地になればなる程輝く……はず? ならボクは彼女の背中を軽く押して、精神的圧迫と恐怖のどん底に導いてあげなきゃね。うん、彼女の為だもん)
マオは女性特有のデリケートな心情で悶えている。一方のケアノスは乙女心を歯牙にもかけず、むしろ失礼極まりない事を考えていた。
しょぼくれたマオは食事になかなか手を付けない。見兼ねたケアノスは優しく声をかける。
「ほらほら、早く食べないと冷めちゃうよォ? ボクなら全然気にしてないから」
「……ほ、ホンマに?」
「うん。だから一緒に食べようよォ?」
「お、おおきに!」
ケアノスの微笑みに釣られてマオも破顔した。席につくと目の前に料理をグイグイかきこむ。しかし次の瞬間、マオの手はピタリと止まる。
「そうそう、ボクの秘密を誰かに話したら二度と“食事”が出来なくなるよォ。この意味判るよねェ? ボクは吸血鬼じゃない……だって、吸血鬼もボクにとっては只の“餌”だもん。エヘヘッ!」
「……」
「判ったァ?」
「……は、はひ」
無垢な笑顔を浮かべるケアノスとは対照的に、マオの顔は盛大に引きつっていた。その後食べた料理の味をマオは覚えていないと言う。
午後になるとマオは船の修繕作業に戻り、ケアノスはクロッカスの診療室を訪ねた。回復してきているとは言え、炭化していた火傷箇所は完治に至っていない。
「何を見ている?」
包帯を新たに巻き直し点滴を受けるケアノスにクロッカスが尋ねた。ケアノスの手には数枚の紙が握られている。
「手配書だよォ、昔のね」
「しかし、お前は海軍と揉めたばかりだろう。賞金稼ぎを続けるのは難しいぞ?」
「げげっ、やっぱそうなの!? 予想通りじゃん!」
「それならどうして手配書を――こ、これは!?」
ケアノスは見ていた手配書をクロッカスに手渡した。それを見たクロッカスは驚きを隠せず、手配者をめくりながら賞金首を読み上げていく。
「サー・クロコダイル、バーソロミュー・くま、ゲッコー・モリア、ジンベエ、ボア・ハンコック、ドンキホーテ・ドフラミンゴ……小僧、何を企んでいる?」
「フフフ、なかなか豪華でしょ?」
「王下七武海は海軍本部・四皇と並ぶ世界三大勢力の一角だぞ。そもそも政府によって指名手配を取り下げられた海賊達だ」
「知ってるよォ」
不敵な態度のケアノスにクロッカスは眉をひそめる。表情からは何を考えているか読み取れない。
「王下七武海ってさァ、欠員が出たら六武海になるンじゃなくて補充して七武海に戻すらしいねェ」
「まさか……七武海の一席を狙うつもりではなかろうな!? 気は確かか、小僧!?」
「だったらどうするゥ?」
「やめておけ。彼らの強さはそこいらの海賊とは一線を画すぞ。よしんば倒せたとしてもだ、後任にお前が選ばれる保証はない」
クロッカスの意見は一般論として至極真っ当であった。王下七武海の選考基準は他の海賊への抑止力となり得る『強さ』と『知名度』に重きがおかれる。ケアノスの世間での認知度は極めて低く、選出される可能性はゼロに等しい――それがクロッカスの主張であった。
「フフフ、そうかもねェ」
「……小僧、革命軍という反政府組織を知っているか?」
「革命軍? ああ、聞いた事はあるよォ。世界各地でクーデター起こしてる有名な連中でしょ。それがどうかしたの?」
「その革命軍のトップが、お前達に会いたいそうだ。海軍に楯突いた以上、賞金首にされるのは免れんだろう。ならばいっそのこと革命軍に身を隠すのも一つの道だとは思わんか? 特に……あの小娘にとっては、な」
クロッカスの言葉はとても感慨深い。マオを気遣っている事はケアノスにも容易に理解でき、改めて彼に感心していた。
(流石はDr.クロッカス……マジ惚れちゃってるねェ、このロリコン! 50歳の年の差も愛があればってかァ? 敢えて否定はしないけど、応援もしないよォ。だいたい隠れてどうするのさ!? 逆でしょ! マオが進むのは地獄へ続くイバラ道、この先彼女は世界中から脚光と殺意を浴びて生きて逝くのさ! 大丈夫、背中はボクが押してあげるから。クヒヒヒヒ……ッ!)
内心ほくそ笑むケアノスは強引に話題を変える。
「同じ王下七武海でも元の懸賞金額にかなり差があると思わない?」
「……」
あからさまな態度を隠そうともしないケアノスをクロッカスは訝しむ。
「2億3億ばかりが目に付く中で8千万っていう二人は異彩を放ってると思わない? 決して安い額じゃないけど、億超えの賞金首は他にもゴロゴロいるワケじゃん」
「……」
「恐らくサー・クロコダイルは相当な切れ者だろうね。政府と上手く交渉したンじゃないかなァ……で、海賊女帝は少ない戦績で大きな評価を得たみたい」
「……何が言いたい?」
「『強さ』と『知名度』以外にも重要なファクターはあるって事さァ。特に……政府にとっての、ね」
ケアノスはクロッカスを真似た。クロッカスの表情は硬い。
「革命軍、それも面白そうだけどボクならプランBを推すねェ」
「……プランB?」
「フフフ、聞きたい? 聞きたいィ?」
「……」
「王下七武海のイスを盗りに行く――“マオ”がね!」
その時ブラック・フェルム号のマオは得も言われぬ悪寒を感じていた。