「撃て! 撃ち殺せ! 絶対に逃がすなよ!」
海賊の怒声が響き、マスケット銃による発砲が繰り返された。しかし、海中を自在に動く影には一発も当たらない。
「くそっ、なんてスピードだ!? 奴は魚人だったのか!?」
甲板で騒ぐ海賊の周囲には、すでに意識のない仲間の海賊達が転がっている。海中を泳ぐその影は更に勢いを増して水上へと飛び出す。
「なっ!?」
まさかそのまま甲板に飛び乗ってこようとは思ってもいなかった海賊は驚きの声を上げた。それでも即銃口を向けて引き金を引く。
「バカが! ここはもう水中じゃねェんだぞ!」
その距離わずか2メートルという位置から銃弾が撃ち出された。海賊は当然の如く当たると思っている。しかし、次の瞬間――。
「バカはお前だよォ」
背後から声が聞こえた。振り返る暇もなく首筋に耐え難い痛みが走り、そこで海賊の意識は途絶えた。
「ここ(陸上)でのボクが水中より遅いワケないじゃん」
そう話すのはケアノスである。彼は倒した海賊に手を当て化勁を始めた。
(コイツらでとりあえず目標の人数達成かな? あとは……)
「もう終わったんかいな!? 強いンは知っとったけど、泳ぎかてアホほど速いやん」
「重役出勤じゃんか、マオ。でもまぁ、確かにボクも驚いてるよォ」
「兄さん、親戚に魚人でもおるンとちゃうか? ニッシッシッシ」
「それは分からないけど……魚人なら喰った事あるよォ」
「……そっ、そうなんや……あは……あはは」
顔を青くして笑うマオ。完全に苦笑いである。
「それからかなァ。30分以上潜っても平気になったし、何より潜泳速度が格段に速くなったのは」
「へェ、捕食(ソウルイーター)てホンマ凄いンやね。せやけどなんで今は吸収(エナジードレイン)しかせェへんの? ちゅうかウチ、兄さんが捕食しとる姿いっぺんも見た事ないで? 想像するんもおぞましいけどな……」
吸収とはケアノスが今現在行っている化勁を差す。他人の氣を喰らって体内で己の氣へと変換する技法で、達人と呼ばれる者でも扱えるのは極わずかであった。
一方の捕食とは、文字通り他人の血肉を喰らう事を指している。特異な体質であるケアノスのみが体現可能な秘法であり、他人が持つスペックを奪う事が出来るのだ。この事実を知る人物はマオを含めて5人といない。
「……そうだっけ?」
ワザとらしくとぼけるケアノス。その間も氣を吸われ続ける海賊は肌から潤いが消え、徐々に干乾びていく。捕食と吸収は素晴らしい特殊能力だが『万能』ではない。
「捕食した方が強うなんねやろ? ほんならした方がええんちゃん? 若さも保てるし……あっ、別にして見せてくれ言うとるんとちゃうで! 誤解せんといてや! なんでなんかなぁって、ちょっと疑問に思ただけやし」
「……ある理由があってね、捕食は好きじゃない」
「ま、まぁなんぼ海賊や言うても、そんな仕打ちは殺生やしな……せやけど、なんで?」
「フフフ、聞きたい? 聞きたい?」
「うわぁ、面倒く……いやいや、聞きたい。ウチめっちゃ聴きたいわ」
あからさまに嫌な表情を浮かべたマオだが、好奇心が勝って慌てて取り繕う。
「よろしい。では教えてあげよう。実はね――不味いの」
「へ?」
「ヒトの生肉とか生血って糞不味くて最悪だよォ。マジ豚の餌以下って感じでさァ、吐き気が半端ないの」
「そ、そうなんや……」
「煮たり焼いたりして調理すれば少しはマシになるのかもしれないけどさァ、それだと只の食事になって奪えるモノも奪えないンだよねェ」
ケアノスがこれまでに捕食した回数は、前の世界を合わせても片手で足りてしまう。非常に少ない回数である。しかし、道徳心の欠片もないケアノスが本当に味だけを理由にカニバリズムを拒むだろうか。答えは『否』である。
半永久的に能力が向上し、且つ不老不死を為すチートを味が嫌いという理由だけで使わないワケがない。本当の理由はもっと別の深い所にあった。
(……捕食は諸刃の剣だ、良くも悪くもボクを変える。メリットだけ見ると乱用したくなるよねェ……でも、奪うのは相手のスペックだけじゃない。その人格の一部まで取り込んでしまう。ボクは今のままのボクでいたい。師匠との繋がりが残っている……今のままで……)
「そこまで都合良ぅ出来てへんちゅう事か。ほな吸収はどうなん? 味とかすんの?」
捕食についてはマオが納得してしまった為、ケアノスがそれ以上話す事はなかった。
「最高だよォ!」
「そ、そうなん!?」
先ほどまでとは打って変わり、とびきりの笑顔でケアノスは親指を立てた。
「美味しいとかじゃなくて、漲るゥゥゥって感じかなァ。とにかく滅茶苦茶気持ちイイよォ!」
「へェ、そんなに……なん? へェ……そうなんや、へェ」
恍惚の表情で語るケアノスにマオの頬も赤くなる。
「ただ捕食と違って化勁による吸収は時間的な制約と許容量の限界があるからねェ」
「……どゆこと?」
「絶対量を超える氣をストックしておくにも有効期限があるって事さ」
「ふーん、そうゆうモンなんや」
「フフフ、そういうモノさ」
気持ちが良いという部分以外は受け流すマオであった。そして改めて海賊に目を向ける。
「せやけど勿体無いな、正味の話。コイツかて賞金首やろ? 何やかんやでこれまで1億ベリーくらい損しとるで」
「仕方ないじゃん。換金には行けないンだし」
「ウチらは生きてるンがバレたら指名手配確実やし、花のじいさんなんか元海賊王のクルーやってんもんな。はァ……大金が目の前に転がっとるに、くそぅ……ウチのフェルムちゃんかて、ホンマは設備の揃ったドッグで修理したりたいんやけどな」
ケアノスの傷が癒えて早一ヵ月、二人は未だクロッカスの世話になっていた。グランドラインのスタート地点である此処にいれば、何をしなくてもルーキー海賊団がやって来る。それを狩ってケアノス達は生計を立て、機を待っていた。
「もう少し我慢してね。航海は出来るようになったンだし、そろそろ計画を進めるよォ」
「うっ……あ、あれホンマなんか!? 本気で七武海狙うつもりなんか!?」
「勿論だよォ。その為に準備してきたンじゃないかァ。たっぷりと氣を蓄えて、ね」
「せ、せやけど七武海やで!? なんぼ兄さんが強い言うたかて、一人やと勝てんで!?」
マオは心配そうにケアノスを気遣う。
「誰が一人でやると? むしろ表立って動くのはそっちだし、七武海になるのはマオだよォ」
「………………はあ!?」
ケアノスは計画の全貌をマオに明かしてはいなかった。仰天したマオはケアノスに食って掛かる。
「な、何やそれ!? き、聞いてへん! そんなんウチ全然聞いてへんで!」
「あれ? 言ってなかったっけ? じゃあ今から説明するねェ、まずターゲットだけど――」
「ちょ、ちょちょちょちょちょう待ちィや!」
「……何?」
「い…………嫌やァァァァァァァァ! ウ、ウチ絶対やらへんで! に、兄さんがやるもんやとばかり思っとったから協力してたんや!」
マオは耳を塞いで子供のようにジタバタと抵抗して見せた。しかし、如何せん相手が悪い。
「本当にいいの? ボクは七武海にならなくても生きていけるけど……マオはどうだろう?」
「うっ……」
「それとも一生日陰に隠れて過ごすの? 賞金稼ぎに怯える日々って、退屈はしないだろうねェ。ククククク」
「ううぅ……」
ケアノスは師父譲りの弁舌でマオの退路を塞いでいく。革命軍の話は無かった事になっている。
「海軍の方も大変だよォ? 赤犬が来たら殺されるかもね。でも自首も考えものだ。だって監獄の中じゃ女性の尊厳なんて保障されてないから」
「……」
「そこでプランBの提案だ。マオが七武海を狙う計画だけど、汚れ仕事は全部ボクがやる。マオは目立って世間と政府の注目を集めてくれればイイ。七武海はオイシイよォ。恩赦を受けて好きな研究し放題だし……何より、ベガパンクにも会えるかもね」
「…………何やて?」
最後の一言を聞いて、マオの目の色が変わる。その先はとんとん拍子で話が進み、マオはケアノスの狗と化す。
「プランBは了承したる! せやけど、誰が相手でもウチは戦へんからな! ビ、ビビっとるワケとちゃうで! 役割分担や、役割分担!」
「フフフ、そうだね」
「ほんで、誰狙うん?」
「僕らが狙うのは最初から決まってるよォ。て言うか、そこしかないじゃん」
マオは首を傾げた。七武海の席は七つある。多少の優劣はあっても、弱い者などいない。だからこそ想像もしていなかった。そんな馬鹿馬鹿しい理由で標的を決めていたなんて――。
「僕らの狙いは七武海の紅一点、海賊女帝ボア・ハンコック! だって女性枠は一つしかないから!」
「…………」
マオは絶句した。ツッコミすら入れられない程ガックリきた。万全だと言うプランを聞くのが怖くなり、不安がぶり返す。そんなマオの気持ちを知ってか知らでか、ケアノスは最大級の賛辞を送った。
「大丈夫だよ、マオ! 胸だけは負けてない!」
とてもイイ笑顔であった。
2014.9.12
最後までお読み下さりありがとうございました。
しばらく足踏みしてましたが、次回から物語は加速します。
ご意見ご感想などありましたら、宜しくお願い致します。