ある船上でケアノスは男に跨っていた。
「あ……あ……た、助け……て……くれ……」
男はひどく怯えていた。目の前で起こった惨劇を見てしまったからである。
「ククククク……残念、惜しくも却下だよォ。お前は餌なんだからボクの糧となって――死ね」
妖しく微笑んだケアノスは、そのまま右手で男の顔面を掴む。
「いただきまーす」
「うぅ……あがががぁぁ……ぁぁ……」
途端に男がビクリと反応して呻き声を上げた。バタバタ動き回ろうとする男をケアノスは力で押さえ付ける。ビクッビクッと痙攣したの最後に男は動かなくなった。
ご満悦のケアノスは両手を合わせて呟く。
「ふぅ、今日のはイマイチだったなァ。大して強くもなかったし……こんなもんか、ご馳走様でした」
男の体は先程よりも痩せ細り、二度と動けない状態になっていた。ケアノスは満足げにお腹を擦ると、音もなくその場を後にしたのだった。
イーストブルーでは現在、ある奇妙な事件が連続している。
何もしてこない海賊船の目撃報告が相次いだのだ。逃げようとしても追って来ないばかりか、ある程度接近しても何のアクションも起こさないのである。通報を聞いた海軍が駆けつけて警告するも、海賊船に反応は見られない。警戒しつつ海賊船に乗り込むと、そこで海兵が見たのは集団餓死した海賊達であった。
このように餓死者で溢れた海賊船が漂流しているという目撃例がすでに数件報告されていた。当初は海軍も間抜けな海賊が食料補給も出来ずに飢えて死んだのだと考えていたが、立て続けに発生したことから何かしらの事件性を疑うようになり始める。悪魔の実の能力者が関与している可能性が高いと考えた海軍だが、被害を受けているのが海賊に集中している為、徹底的な調査がされる事はなかった。
この一連の奇怪な事件の犯人はケアノスである。
ケアノスが前の世界で最強となった由縁――それは彼の化勁(かけい)と体質の異常性であった。化勁とは中国武術や太極拳などにおいて相手の攻撃や勁を吸収し、一時的に自分のモノとする技法であり、力の方向性を制御する極意でもある。ケアノスは化勁を極め、さらに自分だけの得意な奥義へと昇華させたのだ。それは相手の氣を吸収し体内で変換することで、永続的に自分のモノにしてしまうのである。
氣とは万物に宿るエネルギーであり、その恩恵は身体能力や五感の強化にも影響していた。つまり氣の総量が増える事こそが強さへと直結する。
またケアノスは相手から吸収した氣を蓄積し分解し、自身に適合するエネルギーへと作り変える事ができる特異な体質であった。その事に気付いたのは彼がまだ十代前半の頃である。
十代半ばで人の道を外れ外道を邁進する事になったケアノスは、“狩り”と称して世界中の猛者を捜し求めた。相手の氣を文字通り喰らい尽くす化勁の極意を習得してからのケアノスは、人間を餌と見るようになっていった。化勁を繰り返す内にケアノスの能力と内面はどんどん人間離れしていき、前の世界では無敵を誇ったのである。氣を習い始めてから僅か10年足らずで一つの境地に達したのだった。
ケアノスは未だ十代である。
圧倒的な強さ故に長らく“狩り”を止めていたが、この世界の人達の基本スペックの高さに感動したケアノスは、まだ見ぬ能力者や魚人との遭遇に備えて“狩り”を再開したのだった。
数度の狩りを経て、ケアノスの氣はこの世界に来た当初の倍近くに増大している。自身の成長ぶりを感じてケアノスは悦に浸った。
「ココは餌が豊富で狩り甲斐があるねェ。クヒヒヒ……賞金の懸かってない雑魚でこれだと、賞金首や能力者はどれ程の美味なのかねェ」
小船に帆を張りつつケアノスは不気味な笑みを浮かべていた。つい先程食事を終えたばかりで、その余韻に浸っているのである。
「それにしても……ナミさんから連絡が途絶えてもう15日か。こんな事初めてだな……何か、あったのかなァ?」
ナミを思うケアノス、そして心配そうな表情で呟く。
「魚人を釣る為のエサなんだから、何かあったらボクが困るんだよねェ。計画を実行しようと思った途端にこれだし……どうしたもんかなァ」
そう、ケアノスにとってナミとは魚人に会う為の単なる通行証なのだ。ナミが風邪をひこうが大怪我をしようが知った事ではないのである。重要なのは魚人へのパスポートで、それを失いたくはないと考えているのだ。
「こっちからの接触はNGだけど……仕方ない、何の連絡もして来ないナミさんを心配する優しいボクが探しに行くとしますか。クックック……うまくすれば魚人に会えるかもしれないぞ」
思わず船を操縦する手に力が入る。ケアノスは周囲の氣を警戒しつつ船の速度を速めるのであった。以前小型船よりでかい凶暴な魚に遭遇して以来、海の中の注意も怠らないようにしている。
「あんな魚見た事なかったなァ……聞いた話じゃ、海王類ってバカみたいにでかい水棲生物までいるらしいからなァ。大型船でも沈められるってんじゃ、この船なんて丸呑みだろうなァ。アハハハハ……初めて捕食される側の気分が味わえるかもねェ」
それも面白いと笑うケアノス。
大型船でも丸呑み出来る海王類が本当にいるなどと、今のケアノスには想像だに出来なかった。
「それより……魚人を探すか、ナミさんを探すか……うーん……本音は魚人なんだけどなァ」
船に座り込んで腕を組み、首を傾けて悩む。しばらく考えた後、ケアノスは手をポンと叩いた。
「よし! まずは“普通”の飯を食おう!」
氣の吸化は済ませたが、通常の食事も取りたくなったのである。盗みや殺生を繰り返してきたターゲットが海賊だったおかげで、ケアノスは海軍からマークされてはいない。誰に何を言われるでもなく、自由に行動出来るのである。
そんなケアノスは海図片手にポツリと呟く。
「もう少し南の方に海上レストランってのがあるらしいな……」
情報はあるに越した事はないと、日頃から情報収集はマメに行っていたのだ。氣の鍛錬と情報収集はこの世界での日課となっていた。
「この辺じゃそれなりに有名なレストランらしいけど……完全予約制じゃないよな? まぁ行って確かめるか」
ケアノスは海図と睨めっこし進路を確定させた後、一刻も早く到着させる為にオールをこぎ始めた。前の世界では自炊する事が多かったので、ケアノスの料理の腕はまずまずである。この世界に来てからは指名手配でも無くなったので堂々と外食三昧なのだ。保存食は船に積んであるが、盗みのおかげでお金に不自由していないケアノスは心もリッチであった。
「でも、携帯電話がないのは不便だよなァ……電伝虫だっけ? あれ1台……1匹? キモいカタツムリに見えるけど、専用のが一つ欲しいよね。初めて見た時は笑ったなァ。解体したら原理分かるかな?」
オールを漕ぎつつ思い出し笑いするケアノスは、電伝虫達が震え上がる事を言い出した。この世界では電話の代役を虫が務めているのである。その種類は多く、中には映像を送受信できる種もいるほどだ。
「そもそもナミさんの連絡手段が向こうからの伝書カモメって時点で笑える。プクククク……人語を理解する動物かァ、実に面白い。魚人がいるくらいなんだし、鳥人や獣人だって居ても良さそうだよなァ」
まだ見ぬファンタジーにテンションが上がると、ケアノスのオールを漕ぐ手にもますます力が入る。すると、船はぐんぐん加速していく。吸収したての氣で腕の筋力を強化し、疲れた様子もなく漕ぎ続ける。
「あっ、野生の電伝虫捕まえたらタダで連絡手段確保出来るじゃん。……でも、どこに生息してるんだろ? その辺の草むらにいると楽なんだけどなァ……まっ、飯食いつつ考えるとするか」
一心不乱に漕ぎ続ける事数時間。
「ん、あれかな?」
遠くの方に海上レストラン『バラティエ』が見えてきた。ケアノスの五感は優れており、中でも視力は抜群である。更にケアノスは目を細め氣で強化する。
「へェ、シャレた形の船だなァ。……って言うか、交戦中?」
目を凝らしたケアノスに見えたのは、魚を模した形の船であった。他にも何隻か停船しているが、何やら様子が変なのである。どう見ても戦闘中としか思えない騒動が起こっているのだ。
ケアノスは舌なめずりする。
「クックック……なんだなんだ? 暴動か? 争い事か? 何でもイイけど面白そうだ!」
ケアノスは好奇の眼差しで見詰めていた。その口角は上がりまくっており、野次馬根性丸出しである。よく見ると海軍や海賊船まであるのだ。
「おお! これはもっと近くで見学せねば!」
嬉々となったケアノスの行動は早かった。
まず後方より静かに接近し、あまり近過ぎない位置に船を停めて、隠形と海面走りを駆使してバラティエに乗り込むのであった。
2014.9.7
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