海上レストラン『バラティエ』は今、ある海賊団の襲撃を受けていた。ケアノスはバラティエの甲板に降り立ち、眼下の様子を窺う。
「アッハッハッハ! 絶景、絶景ェ!」
喜ぶケアノスに気付いた隣のご老体が声をかける。
「おい、てめェは誰だ? いつの間に現れやがった?」
「ん? ボク? ボクは野次う……客です」
「……生憎、交戦中につき臨時休業だ。死にたくなかったら出直しな」
(おお、すっごいファンキーな口髭だな……お洒落な爺さんだこと、クックック……ここの料理長かな? 義足だけど氣の充実っぷりは爺さんとは思えんなァ)
ケアノスは口髭を三つ編みにしたご老体を見て感心していた。異様に長いコック帽を被っている事から料理長と予想する。
(お腹空いたけど……臨時休業なら仕方ない、……仕方ない?)
ご老体は海上レストラン『バラティエ』のオーナー兼料理長であり、その正体は元海賊であった。コックとしてクック海賊団の船長を務め、悪魔の巣窟とされるグランドラインを1年航海し、無傷で帰還したとされる男である。岩盤を砕き、鋼鉄に足跡を残せる程の脚力を誇り、相手の返り血を浴びて真っ赤に染まった靴から『赫足(あかあし)のゼフ』と呼ばれていた。
ある事故で自分と同じ夢を見るサンジと出会い、シンボルである片足を失くし、海賊から足を洗ってバラティエを開店したのであった。
「お構いなく。死ぬ気はありませんし、出直す気もありませんので」
「ふん」
飄々と答えるケアノスにゼフは「忠告はしたぞ」と視線を戦場に戻す。
(それにしても、あんなでっかい船が見事に真っ二つとはなァ……あれ? あの海賊旗……どこかで?)
戦場となっていた巨大なガレオン船はボロボロに傷付いた上に、真っ二つに切断されている。
(……そっか! 4ヶ月前に見た船のマークだ! ……確か、クリープ海賊団だっけ?)
そう、目の前で戦闘を行っているのはケアノスがこの世界に来て初めて遭遇した海賊団――クリークの一味であった。
「ちなみに……どうしてこんな状況になったんでしょうか?」
「……説明するのは面倒だ」
「まぁまぁ、そう言わずに。ボーっと眺めてるだけなら御暇でしょ?」
渋るゼフから強引に事情を聞き出したケアノスは微笑む。
(ふむふむ……なるほどねェ、食べ物の逆恨みで海賊をボコろうと……面白いコック達だなァ)
ケアノスは微妙に事情を履き違えていた。
コック達は海賊の襲撃を受けて応戦しているだけなのだが、ケアノスは血気盛んに海賊狩りを楽しんでいると判断したのである。
凛々と目を輝かせて戦況を見ていると、一際大きな声が響く。
「ハァーハッハッハ! てっぺき! よって無敵!!」
体中に丸い盾を装備した男――パールの叫びであった。
クリーク海賊団の第2部隊隊長であるパールは盾を矛とし、バラティエのコック達を攻撃している。コック達は為す術無くヤラレてしまい、その場に倒れ伏す。
その中でサンジだけが善戦していた。
黒いスーツに身を包み、タバコを銜えた金髪にくるりとした眉毛が特徴のコックであり、バラティエの副料理長でもある。ゼフから料理と共に足業を叩き込まれたサンジの実力は、他のコックより頭数個分抜きん出ていた。
(へぇ、あの眉毛君もなかなかの実力者だなァ。そんな事より、プククク……『盾男でダテ男』とは、笑える。やるなァ、イブシ銀!)
ケアノスは駄洒落が嫌いではないのだ、むしろ大好物である。
パールの放った一言に腹を抱えていた。
ゼフは一瞬だけ冷たい視線をケアノスに送り、すぐにサンジへと戻す。
「アハハハハ、イブシ銀のダテ男君は面白いけど……残念、くるくる眉毛君の方が上かなァ」
「ほぅ……分かるのか、小僧?」
「面白さではイブシ銀の圧勝なんだけどねェ、こと戦闘となれば眉毛君でしょう」
「ふん、俺から見たらまだまだチビナスだがな」
ゼフと話していると、戦況に動きがあった。
首領・クリークの巨大な鉄球によって吹っ飛ばされた『麦わらのルフィ』がパールに激突し、サンジの蹴りと挟撃されたのである。
その結果、パールが鼻血を流す。
「…………血!!」
「パールさん、大丈夫っすよ!」
「ただの鼻血っす! 別に戦いで傷付いたワケじゃないっすよ!」
「気を静めて下さい! パールさん!!」
呆然した表情で呟くパールに対して、周囲の海賊達は慌てたように宥める。しかし、パールは両手に持った盾をガチッガチッと叩き始めた。
「身の危険! 身の危険ッ!」
「パ、パールさん、落ち着いて!」
海賊達の呼びかけなど聞こえていないパールは、叫びながらガチッガチッと叩き続ける。
「身のキケーンッ!!」
叩き続けた結果、盾からボワッと炎が上がった。
「「「火ッ!?」」」
「アハハハハハ! お腹痛い! お腹痛い! イブシ銀最高過ぎッ!!」
コック達が驚く中で、ケアノスだけが大爆笑している。炎に包まれたパールに誰も近寄れず、バラティエのヒレ部分が炎上していく。
「熱いッ! ダメだ!」
「海に飛び込め!」
海賊達は二次災害を避けるべく我先にと海に逃げ込む。
「クヒヒヒヒ……ファイヤーダンスの使い手でもあったとは恐れ入った! 面白過ぎッ!」
「ヘラヘラ笑ってんじゃねェ! 人の店を火だるまにしやがって」
「まぁまぁ、面白いからイイじゃないですか」
「良いワケねェだろ! このボケナスッ!」
「アッハッハッハ、ドンマイ!」
無神経に笑うケアノスにゼフの怒りボルテージは高まる。少し目を離していた隙にサンジがパールへと攻撃を仕掛けていた。
「てめぇ、店を勝手に燃やすんじゃねーよ!」
サンジは宙返りでパールのパンチを回避し、オーバーヘッドキックを叩き込む。パールはそれを間一髪盾でガードした。
「ぐッ!」
「な……なんちゅームチャを!」
「火ダルマになりてぇのか!?」
サンジの行動に海賊達は驚愕の声を上げた。その後も攻め続けるサンジはパールのガードをすり抜けてダメージを与えていく。追い詰められたパールは取り乱したように叫ぶ。
「お、おのれェ! 危険だ! 危険すぎるッ!!」
パールは懐から何かを取り出した。
「火を! ファイヤーパールをもっとくべねばッ!」
パールが両手を広げると、火の玉を飛び出す。それはサンジには向かわず、店の方へと飛んで行った。
「うわぁ、店を燃やす気だ!」
「厨房に火が回ったら吹き飛ぶぞ!」
コック達が騒ぎ出す。
火の玉は真っ直ぐにゼフとケアノスの方へと飛んできた。
(おやおや、これはいけませんねェ……ボクがまだ食事を済ませてないのに)
「仕方ないなァ」とケアノスが一歩前に出ようとした瞬間――。
「おい小僧、どいてろ」
「へっ? あ~、はいはい。了解でーす」
ゼフの氣の膨らみを感じたケアノスは素直に下がる。
「オーナー! 逃げて下さいッ!!」
コック達は微動だにしないゼフを心配して大声を上げた。だが次の瞬間、その場に居た全員が絶句する。義足にも関わらず、回し蹴りの風圧だけで火の玉の炎を消し去ってしまったのである。ただの玉に戻った真珠がコツンと壁に衝突した。
「えっ!?」
「なぬっ!?」
(マーベラスッ! 大した爺さんだ……ボクと同じ事が出来るなんて……ってか、やっぱりオーナーさんだったのね)
「足一本なかろうとも、これくらいなら造作もねェこった」
驚く皆を余所にゼフは何食わぬ顔である。
「す……すげェ! オーナー!!」
「蹴りの爆風で炎を消しちまった!!」
コック達は改めて自分達のオーナーに感激する。
「神業! “赫足のゼフ”は健在なのか……!?」
「おっさん、すげェ!」
クリーク海賊団の一味は畏怖を覚え、ルフィは感嘆の声を上げた。
(赫足のゼフ? このファンキー爺さんの事か……?)
ケアノスはチラリとゼフの足を見る。
(うーん、別に赤くないじゃん……もしかして、水虫で素足が真っ赤に腫れてるとか!? プクク……だったら笑えるな、水虫のゼフ! 義足になったのも水虫が悪化してのことか……あらら、ご愁傷様です)
ケアノスはゼフを温かい目で見ていた。
「なんだ小僧、その目は?」
「いえ……オーナーさん、今はちゃんと足を洗ってるのかなァって」
「ちっ! てめェも知ってたのか……まぁな、俺は11年前に足を洗った」
(……えっ!? 11年前ッ!? この爺さんマジかよ!? そりゃ足も腐るってッ!!)
ケアノスはゼフから二歩程距離を取った。そして自分が風上に居る事に心から安堵する。
「こんな時代だ。てめェも(海賊に)なりてェって気持ちがあるのかもしれねェが、半端な想いじゃ――死ぬだけだぞ」
「ハハハ……まさか、(水虫に)なりたいと思うワケありませんよ!」
「ふん、賢明だな」
(冗談じゃない! 水虫で死ぬなんか……絶対イヤだっての! この爺さんファンキーな上にクレイジーだなァ。でもまぁ……クックック、死んだら爆笑してやるか!)
ゼフはケアノスの中で『絶対に近寄りたくはないが、面白い不潔な爺さん』と格付けされる。
2人がやりとりしている間も、戦況は刻一刻と変化していた。首領・クリークが痺れを切らし、巨大な鉄球を振りかざしている。
「パールの野郎、余計な事ばかりしやがって! 店に火が回る前に……てめェら“ヒレ”ごと沈めてやる!!」
投げつけられた鉄球はサンジとパールに向かっていく。
「サンジ、危ねェ!!」
「だめだ。火に囲まれてやがる、逃げ場がねェ!」
コック達が声を上げるが、言葉通りサンジだけでなくパールも炎に囲まれて逃げ場がない。
「ちっ!」
「おがぁぁッ!」
サンジの舌打ちとパールの悲鳴が聞こえた。その時、炎を強行突破したルフィがサンジの前に飛び出す。
「あぢっ」
「えっ……?」
突然現れたルフィにサンジは驚く。
「「雑用ッ!!」」
ルフィは両手を後方に引き延ばす。
「ゴムゴムの……!」
照準を鉄球に合わせると、一気に両手を突き出した。
「バズーカッ!!」
ドカァァンという音を立てて、ゆうに300kg以上はあろう鉄球を跳ね返したのである。
「ッ!?」
首領・クリークは声にならない声を発する。
「あーちいっ、あちっあちっ」
ルフィは引火した服の火をバンバン叩いて消す。とんでもない事をしてのけたという思いなど微塵もない。
(な……なんじゃ、ありゃ!?)
ケアノスは目の前の摩訶不思議な現象に魅入っていた。
「腕が……伸びた……?」
「ふん、あの小僧は悪魔の実の能力者だからな」
ケアノスは呟いただけだったが、ゼフは質問されたと思い律儀に答える。
「あれが……悪魔の実、初めて見た……!」
「まぁ、この海じゃ珍しいだろうな」
「ハハ……ハハハ、これはイイ……実に愉快だッ!」
「…………」
いきなりテンションの上がったケアノスに冷たい視線をゼフは送った。
ゴムゴムの実を食べたルフィはゴム人間であり、『麦わら海賊団』の船長でもある。
(ラッキーだ! 飯を食いに来ただけなのに能力者に出会えるなんて……前々から思ってたが、ボクって強運の持ち主かもしれない。フフフ……高まるゥ)
ケアノスはもっと良く見えるようにと前方に移動し、食い入るようにルフィを見詰める。しかし、ルフィの印象を掻き消す程のインパクトがケアノスを待ち受けていた。
ゴムゴムのバズーカで跳ね返した鉄球がガレオン船のマストに直撃し、折れたマストがパールを襲ったのである。バギャンと言う轟音を立ててパールの頭上に落ちてきたマストを喰らい、首が縮むほどのダメージを受けたパールはそのまま気絶してしまった。
「「パールさんッ!?」」
「コイツは何なんだよ?」
「バカだなー、コイツ」
「……どいつもコイツも、頼れるのは俺だけか……!」
「アハハハハハハ……最高! イブシ銀やっぱ最高!! クヒヒヒヒ……ピエロっぷりが半端ない、キミは天才だよ! ああ、腹イテぇ!」
笑うケアノスに対して、他の面々は呆れている。
「ぬあッ!」
バキッという破砕音と共にゼフの声が響いた。
「もうやめてくれ、サンジさん。俺はあんたを殺したくねェ!」
「く……!」
ゼフの義足を圧し折ったクリーク海賊団のギンが、ピストルをゼフに押し付けている。
「ギン!」
「ギン、てめェ……!!」
「クックック……イブシ銀、キミはボクのツボだよ」
ルフィとサンジはギンを睨み付けた。ケアノスは未だ気絶したパールを見て笑っている。
グランドラインにおいて世界一の剣豪である『鷹の目のミホーク』一人に海賊艦隊を全滅に追い込まれ、仲間を逃がす為に殿(しんがり)を務めてギンは海軍に捕まっていた。空腹で死にそうな中、海軍の軍艦から逃げ出しサンジに助けて貰ったギンは、命の恩人であるサンジを本心で殺したくなかったのである。船を降りるように脅すギンに対して、サンジは一歩も退かなかった。
サンジはサンジでゼフに大恩があるのだ。
(あれ? 水虫の爺さん、いつの間にかピンチじゃん!?)
パールを笑いつくしたケアノスは、漸く戦場の空気が変わっていた事に気付いた。
(やっぱりなァ……臭過ぎて我慢し切れずにキレちゃったんだな。分かるよ……11年物の悪臭っちゃ、想像を絶するだろうからねェ)
呑気に分析するケアノス。
(でもねェ……風下に行ったアンタも悪いよ。いや……むしろ、アンタが悪い! 爺さんが『水虫のゼフ』と知ってたのに、今更だよなァ……それより――)
不敵な笑みを浮かべたケアノスは一歩、また一歩とギンに近付く。
「お、おい、お前は何者だ!?」
「こら! 不用意に近付いてんじゃねーよ!」
ケアノスの行動にコック達が騒ぎ始める。
「誰か知らねェが、アンタも近付くんじゃねェ。でねェとコイツの頭を撃ち抜くぞ!」
ギンもケアノスを恫喝し、ピストルをゼフの頭に押し付けた。
「誰だ、アイツ……?」
ルフィは腕を組んで首を傾げる。
「おい! そこのお前ッ! 勝手に動いてんじゃねーよ!!」
サンジは大声でケアノスに警告するが、その声には多分に怒気が含まれていた。
しかし、ケアノスはどこ吹く風である。
「クックック……聞けませんねェ、だって……ボク空腹だもん」
「「「……はっ?」」」
「いやァ、笑い過ぎちゃって。オーナー、休業中申し訳ありませんが、賄いで構いませんのでササッと作って頂けませんかねェ? 腹ペコなんですよ……アナタも、頭撃ち抜くのはその後ってことで、ねっ?」
にこやかにお願いするケアノス。
辺りを沈黙が支配した。
いち早く現実に戻って来たサンジの怒声が響く。
「て……てんめェ! 巫山戯た事言ってんじゃねーぞッ!!」
「……ボクは真面目ですが? ああ、別にアナタ方の誰かでもイイですよ」
「なっ!?」
「サンジの言う通りだぜ! 状況見て言いやがれ!!」
「一昨日来やがれ!!」
コック達からは非難轟々である。
しかし、ケアノスは全く気にした様子はない。
「やれやれ……コックという職の本分も忘れて、そんなに戦いたいの? クックック……とんだ戦闘狂集団だねェ」
「ハァ?」
サンジは堪忍袋の緒が切れたようで、タバコを噛み千切る。怒りが沸点を越えているコック達は全員がケアノスを睨んでいた。
「仕方ない……自分で調達に行きますか」
ケアノスは一向に進展しない現状に飽き飽きして、自ら厨房へと向かう。
「待ちな! 勝手な事してんじゃねェよ!」
それはギンの怒声であった。
「……なんでしょうか?」
「誰が店に入ってイイって言ったんだよ!」
「はて……誰でしたっけ? ああ、そうそう。ボクの死んだ婆さんがイイって言ってましたよ、クヒヒヒヒ……!」
「……よし、分かった。アンタはもう死んでイイ……おい、殺れ!」
ケアノスの巫山戯た回答にギンは周囲の海賊にケアノス殺害を命じた。
「へ、へい。覚悟しやがれ!」
「おら、死ねや!」
2人の海賊が斧と剣を手にケアノスへと襲い掛かった。振りかざす斧と剣がケアノスに直撃すると思われた瞬間、斧と剣もケアノスの体を素通りした。
「「「なにッ!?」」」
様子を窺っていたコック達は目を見開いている。
何が起こったか分かっていないのだ。
ただルフィとサンジだけにはケアノスの神技が見えていた。
それだけに、サンジの額には冷や汗が浮かぶ。
「クックック……危ないなァ」
「ど、どうなってんだ!?」
「確かに当たったと思ったのに……!」
「すっげー!」
「何者なんだ……アイツは?」
ケアノスが行ったのは軽功術による瞬動である。高めた氣を脚に集中させ、刹那の瞬間だけ移動し、斧を避けた後にまた元の位置に戻ったのだ。2人の海賊はそれぞれ斧と剣を振り抜いた状態で静止していた。
次の行動に移らない2人にギンが怒鳴る。
「さっさと殺らねーか!」
ギンの位置からではケアノスの動きがハッキリとは見えておらず、海賊2人の不手際だと思ったのである。しかし、2人は動かなかった――否、動けなかったのだ。
次の瞬間、2人の海賊は顔面の穴という穴から血飛沫を上げて倒れた。
突然の出来事に皆が驚愕し、倒れて海賊に視線を送る。
「んなッ!?」
「ど……どうなってんだ!?」
驚くギンは不意に背筋に冷たいモノを感じた。
悪い予感――悪寒である。
「お前……邪魔なんだよ、面白くないし」
背後から響いたその声にギンは凍りついた。
2013.11.22
主人公の口調を少しフランクにしました。
2014.9.7
サブタイトル追加