自分の人生とは、なんだったのだろうと血塗れの青年は思った。子供のころから読書が好きで、何日も本に向かって没頭する日々。そんな彼を同世代の友人は友達付き合いの悪い奴と言い、付き合いは全く無かった。
そんな自分に転機が起こったのは中学生の時だ。下駄箱のラブレターが投入されていたのだ。口では興味ないフリをしつつも、心の中では喜びの踊りを舞っていた。
漫画や小説で良くあるような夢のような淡い青春に期待していた。それが悪意を持って行われたことに気づかないまま。
そのラブレターはあるグループ間で行われた罰ゲームだったのだ。はしゃいでいた青年は馬鹿にされクラス中から笑い者となった。
人と接することに慣れていない青年にとって、地獄のような日々だった。
いつしか外出すると誰かから笑われているな気になり、青年は家に閉じこもるようになった。自分以外の人間を低脳と言って現実逃避し、ネットの世界へ逃げ込んだ。
そんなある日、青年の住んでいる地域で大きな地震が襲いかかった。青年の家は倒壊し、青年は瓦礫の下敷きとなり、ゆっくりと、だが着実に人生を終えようとしていた。
青年の心に残ったのは後悔だ。もしやり直せるのなら、恥や外聞を捨て、罰ゲームを行った連中に文句を言ってやりたい。相談出来る友人が欲しい。もう少し社交的に生きたかった。
溢れんばかりの涙。だが後悔してももう遅い。青年の生気は無くなっていき、やがて指先の一本まで動かなくなった。
後悔とやるせなさの中、青年の生涯は驚くほどあっけなく終わった。
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飛行船アウンバラン号の広間にて、椅子の上で寝ていた青年が転げ落ちた。
トレンドマークとも言うべき赤髪と頭に巻いた赤いバンダナ。臆病な者なら人睨みで震え上がらせてしまいそうな三白眼。丈の長いコートを羽織り、眠気を覚ますように頭を掻いている。
「ハァ。最悪だ。ただでさえ船酔いだってのに生前の夢を見るなんてな」
あの後亡くなった青年の意識はこの世界へと流れついた。最初は戸惑い、現実を受け入れなかったが十七年経った今、随分とこの世界に馴染んでいる。
この世界を青年は異世界と呼んでいる。異世界では科学ではなく魔法や錬金が発達し、生前の世界では実現できないようなことを平気で出来る。
例えば手から火を出したり。道具も無く空を飛んだり水の中で呼吸ができたり。
そんな突飛な世界で十七年も過ごした青年だが、基本的な性格は変わっていない。人間不信は若干治ったが、あのラブレターの差し出し人が女性だったこともあり、今でも女性には苦手意識がある。社交性もついたとは言いがたい。
船酔いなど苦手なものが増えた部分もある。
約百年前に魔法産業革命が起こったことで魔法分野、並びに魔石の生産技術が飛躍的に発達した。
魔石を使った建物や生活用品。果ては飛行船までもが作り出された。この世界での無くてはならない物、それが魔法と魔石。
技術の発展はよろしいのだが、そのせいで青年が苦しむことになった。
「気持ち悪りぃ。せっかくの田舎への休暇だってのに。これだから飛行船は嫌なんだよ」
青年が記憶する飛行機という物に比べてこの世界の飛行船はとにかく奇妙な揺れが起こるのだ。
窓の外を眺めて気分をどうにかしようとしたが、吐き気は収まらない。
「そもそも飛行船って名前自体にセンスがねえよ。まんま船飛ばしてるだけじゃん! ファンタジーらしいっちゃらしいが俺のワクワク返せよ! あ、やべ、吐きそう」
他の乗客がいるにも関わら青年は不満不平を言い続ける。関わらないよう他の乗客は青年から距離をとっていく。ただ一人を除いて。
「あ、あの、大丈夫ですか? これ吐く用の袋です」
大きなリュックサックを持った少女が青年に小さな袋を差し出す。少女ということもあり、躊躇するが背に腹は変えられない。青年は素早くその袋を少女の手から奪うと溜まりに溜まったものを袋へ吐き出した。
「あースッキリした。ありがとうな。おかげで赤っ恥をかかずにすんだよ」
「それは良かったです」
吐き気と格闘していて気づかなかったが、この少女、中々の上物である。太陽が反射するほどの銀髪をショートカットにしており、童顔もあってかとても良く似合っている。
大きなリュックサックもあってか本来の背丈よりも小さく見える。
「あの……その、すみません。私何かしましたか?」
どうやら青年は気づかないうちに女性への恐怖心で苦い顔をしていたようだ。三白眼も拍車をかけている。女性とはいえ自分の身を案じてくれた人だ。恐怖心を持たれないよう青年は出来るだけ笑顔を作る。
「あ〜ごめん。俺の目のせいだな。いっつもそうやって怯えられるんだよ。結構傷つくんだよなこれ」
ある時は女性に悲鳴を上げられ、ある時はヤクザに喧嘩をふっかけられ、またある時は子供に泣かれる。普段からサングラスをしようかと悩むほどだ。
ただサングラスをしたところで醸し出す雰囲気をどうにかすることは出来ないが。
「そ、そうなんですか。すみません」
なぜか謝る少女。よく見ると少女はどこか自信なさげで目線を逸らしてばかりいる。ただ青年のことを避けているだけではない。
「俺の名前はアレク・カルメライだ。袋のお礼として面白い話を聞かせてやる。俺は転生者だ」
「転生者⁉︎ 百万人に一人しかいないというあの転生者ですか⁉︎」
少女が驚くのも無理はない。元の世界と比べてこの世界の人口は十億ほど。転生者の数はたった千人程度しかいないのだ。その中で真っ当に生きている者が何人いるかは、アレクにはわからない。
出会うことなく人生を終えることも少なくはない。
この世界は転生者の存在を認めている。転生者は生前の記憶を生かすことができる上、技術をこの世界へ伝えていくことも可能だ。
飛行船もその恩恵のおかげだ。なので国としてはどうにかして転生者を増やすことが出来ないかもっぱら研究中という話を聞いたことがある。
「転生者ということは、その……一度、亡くなっているんですか?」
「ああそうだ。芽を地面に植えて生えてくるわけじゃないからな」
「……そうなんですか」
「そう気分を落とすなっての。元の世界に戻れないのは少し残念だが、ここでの生活は悪くない」
アレクはこの世界に初めて来た時のことを思い出す。
意識があるまま赤ん坊になるという世にも奇妙な体験から始まり、魔法という元の世界と異なる文化へ接触する興奮。
苦難や苦労も多かったが、それ以上に楽しいこともあった。
唯一残念なのは魔法を使うことが出来ないことだ。この世界では体内で生成される魔石を使うことで魔法を使用出来る。だが転生者は体内で魔石を生成することができない。そのため、魔法を使用することが出来ないのだ。
なぜこのようなことになるにかと言うと、転生する際に膨大な量の魔石を使用したためだと言われている。
「あの、一つ聞きたいことがあるんです! ん、何あれ?」
少女はアレクの背後にある窓から奇妙な物を見た。少女の目線に気付き、アレクも窓の外を見る。
浮いている雲をかき分けるようにこちらに向かって来る飛行船が一機。その飛行船の船体にはクロスボーンが描かれていた。
あきらかに飛行船が出せるスピードではない。飛行船の違法改造品だ。
「空賊か? 珍しい連中のくせになぜこんな田舎の空路に出る」
飛行船の運用やメンテナンスのことを考えれば財産や食料などでは割に合わない。そもそも飛行船を調達することが難しいのだ。
このアウンバラン号だって貨物を運ぶついでとして乗客を乗せているだけだ。
「空賊⁉︎ だ、大丈夫なんですか⁉︎」
「安心しな。俺が付いている。とは言っても空賊との戦いなんぞ経験がないがな」
言葉自体は不安気だが、アレクの力強い声は不思議と少女を安心させる。
他の乗客は半信半疑で空賊の飛行船を見つめている。海賊や盗賊とは違い、見たことや話を聞いたことなどないのだ。
まだハイジャックの方がリアリティがある。
空賊の飛行船はこの飛行船を狙っているのか、依然としてスピードを緩めないままこちらに迫って来ている。
アウンバラン号は空賊の飛行船に背を向け距離を離そうとしているが、性能的に追いつかれる。飛行船に問題があった場合、すぐさま竜使い達が飛んで来るが人質、または飛行船が破壊されれば元も子もない。
「まさかあの飛行船、突っ込んで来るつもりか⁉︎」
空賊船は先端から錨を二本射出しアウンバラン号の船体に突き刺す。そして推力任せに空賊船はアウンバラン号に突っ込んだ。
大きな衝撃で壁に叩きつけられる人や地面を転がる人。悲鳴や絶叫があちこちで上がる。アウンバラン号の内部は一気に地獄の釜となった。
アレクは空賊船の接近に一早く気づいたが、推力任せに突っ込んで来るなど予想外だ。そもそも空賊との戦闘自体経験がない。
突撃された衝撃で飛行船用の強化ガラスをぶち破り、そのまま重力に引っ張られて落下していった。
「嘘……?」
少女は自分の目の前で起こったことが現実のものだと思えなかった。驚きや動揺よりも呆然が勝つ。一度に沢山のことが起きて対応出来ていないのだ。
飛行船の窓ガラスは衝撃や風圧で割れないように特別な加工を施されている。それなのにも関わらずアレクは落ちていった。
飛行機と比べて高度は低いがそれでも生身で外に放り出されれば生存は難しい。魔法で着地することも出来るが、アレクは転生者だ。魔法は使えない。
さらに、危機はまだ去ってはいない。空賊船から次々と武器を抱えた空賊達が乗り込んで来る。
あっという間に少女を含めた乗客たちは捕らえられ、広間で拘束された。魔法や護身用の武器で抵抗したものもいるが呆気なく武器をはたき落とされた。
「お前ら、俺たちの言うことを聞けば命だけは助けてやる。技帝はどこにいる」
技帝。それは帝の名を授かる者の名だ。王都直属近衛部隊に所属しており、炎帝。水帝。地帝。風帝。竜帝。雷帝。技帝の七つに分かれている。厳しい試験はもちろんのこと、才能に恵まれ、人並み以上の努力をした者にしかなることが出来ない名誉ある称号。
その実力はたった一人で千を相手に出来ると言われている。
五大属性と空の王者こと竜が並ぶ中、一際異彩を放つのが技帝だ。ここ最近誕生したこともあって民衆にあまり知られていない。どういった人物かさえ知らない者も多い。
「技帝? 技帝がここにいるのか⁉︎」
「近衛部隊がこんなところにいるわけないでしょう!」
「そもそもそんな奴いるのかよ!」
見たことがないのだから探しようがない。空賊は苛立ちながら手に持っていた銃を発泡させた。精度や攻撃能力は低いが、脅しには持って来いの武器だ。魔法よりも素早く攻撃できるのが利点である。
「いいか! てめえらの命は俺らが握っているんだ。この顔に見覚えはねえか! グチグチ言ってねえで竜使いが来る前に出てきやがれ!」
空賊達は乗客を取り囲み銃で狙いをつけながら、技帝の写真を見せつける。写真に映る人物は少々ボヤけているものの、アレクの顔に良く似ている。
少女はハッとしアレクが落ちていった窓を見つめた。技帝がどれほどの力を持っているかはわからないが、地上へ叩きつけられれば命はない。
その考えに行き着いた少女は何かに気付き、首を振る。
そう簡単に強化ガラスを割ることは出来ない。ガラスに手を加えるか、何かで壊さない限り、だ。
現に割れたガラス以外は割れていないのだ。突撃の衝撃と人がぶつかっているのにも関わらず。
とはいえこの考えは希望的観測でしかない。技帝がいないということは、人質として乗客の価値がなくなるということだ。乗客の中で恐怖蔓延する中、少女は力強い目を空賊へと向ける。先ほどアレクに見せた弱々しい雰囲気は一切無く、自分がなんとかしなければ。そんな力強さが目に宿っている。
「大丈夫。あいつはもうそろそろ来るから」
「へ?」
少女の手へ重ねるように手の平を乗せたのは見知らぬ金髪の少年だ。身長が小さく、顔も幼いため少女よりも年齢が低く見える。にも関わらず、少年の表情は落ちついており、余裕さえ感じられる。
「頭領! 客室のどこにもいません」
「どこにもいないだと。チッ。ここにいることはわかってるんだ。乗客を一人殺してお引き出せ」
頭領には余裕が無かった。予定では早々にアレクを捕縛しこの場を離れるはずだった。いくら空賊船の機動力が高くとも、空の王者と言われる竜に追われて逃げ切れる可能性は低い。
空賊の一人が怯える乗客に手を出そうとした時だ。その時だ。空賊船の一角で爆発が起こった。
「な、なんだ⁉︎」
「長! 俺らの船が真っ二つになってます!」
「んな馬鹿な!」
空賊船は炎上しながら地上へ落ちていく。アウンバラン号に繋がれた錨も切られているせいで空賊船を浮かす力はもうどこにも残ってはいない。
空賊らがアウンバラン号に乗り込んでから三十分もたっていない間での出来事だ。
「頭領。やっぱり上手い話には裏があったんですよ! 飛行船をくれるってだけでも十分怪しかったのに」
「馬鹿野郎! これを成功させれば大量の報酬が貰えるんだぞ。ここで諦めてたまるかってんだ。仲間を殺されてんだぞ。出てこい技帝。お前だろう。こっちは人質がいるんだぞ!」
空賊達が周囲の警戒を強め張り詰めた空気の中、襲撃は突然だった。壁付近にいた空賊の一人の胸から大剣が飛び出し血飛沫が飛び散る。
空賊は口から血を吐き出しながら絶命。衝撃的な光景に乗客はパニック状態。あまりにも猟奇的な光景に他の空賊も、頭領さえも固まってしまった。
大剣が抜き取られ、割れたガラスからアレクが身の丈をも越す大剣を肩に担いで登場した。
「王都ガーウィン第一王女リーゼロッテ・スタビカル直属。リビテット大隊隊長、技帝アレク・カルメライ少佐に喧嘩を売ったんだ。たかだか人質程度で止められると思うなよ」
大剣を軽々と持ち上げ、頭領に向ける。真っ赤に輝く瞳は、凶暴な獣を連想させた。