相対する鏡界世界   作:巫ホタル

10 / 13
記憶を取り戻した波木秋透(なみきあきと)。
同時に、彼の中に居るアキトとの対話もあり、二人は……。
三元帥の帰投から突然の召集。
今後の軍の動きについて話があった。
衝撃の言葉を聞いた極東軍は……。


〈第九章〉ー反撃ー

 何も聞こえてない、広い場所。

 そこが《心想世界》だと理解するのは容易かった。

 そして秋透は今、地面に寝転がっている。

 上体を起こし、秋透はまず視界に映った景色に驚きを覚えた。

 黒だ。

 漆黒に染まった、狭い空間。

 それ故に、アキトの姿を見付けるのは早かった。

 アキトはこちらに背を向け、立っている。

「……よう、アキト」

「……ああ」

 返事はした。

 しかしアキトは振り返らない。

「……どうしてこっちを見ないんだ?」

「…………」

 アキトは応えなかった。

 その代わり、ゆっくりとこちらを見た。

 見えた顔には、悲しみが張り付けられている。

 その表情はすぐに隠されてしまったが、不意にアキトが言った。

「……すまなかった」

「ん?」

「俺が……君の父親を殺したんだ……。すまない、秋透」

 秋透には当時の記憶がなかった。

 軍の《隠蔽術》を受け、記憶を消されていた。

 そしてその《術》は、《憑依》した瞬間からアキトにも有効化されていた筈だ。

 秋透の一部と見なされて。

「……許さないとは、言い切れない」

「……だろうな」

 か細く、アキトが応じる。

 それでも、顔は背けたままだ。

 秋透は続ける。

「けど、恨みはしない。憎む事もしない。絶対に」

 そう言い放った秋透の声には、瞳には、揺るがない決意が込められていた。

 アキトもそれを感じ取り、ようやく顔を上げた。

 その表情には、驚きが表れていた。

「……俺は、君の人生を狂わせたんだぞ? 父親だって、殺した。それなのに……」

「ああ、恨まない。これだけは断言出来る」

 きっぱりと言い切る秋透に、アキトは目を見開いている。

「……何で……」

「俺にはお前が必要だからだ《護鬼》は、俺とお前の《力》だろ?」

「……っ!」

 秋透の言葉を聞いたアキトの目には、涙が溜まっていた。

 今にも溢れ出しそうな涙を手で拭い、アキトは苦笑した。

「君って……。本当に変な奴だな、秋透」

「そうか? けど今更だろ?」

「ははっ。……ありがとう、秋透」

「おう。どういたしまして」

 やや照れ臭い二人。

 互いに苦笑してから、二人はもう一度微笑んだ。

 

      *   *   *

 

 何気ない瞬きの後、再び目を開くとそこは現実世界だった。

 最初に視界に映ったのは《技術・治療室》の天井。

 上体を起こして見えたのは雑談中の秀静と和真。

 二人共こちらに気付き、そろって口を開いた。

「ん? 思っていたよりも大分早く戻ってきたな?」

 驚き顔でそう言ったのは和真。

 時間を指摘されて時計を見遣ると、時刻は三時二十六分。

 秋透としては数分間の対話だったし、記憶の再生も差程長い感覚はなかったのだが、どうやら既に一時間半が経過していたようだ。

「……折り合いは、ついたのか……?」

 やや深刻そうな面持ちでそう言ったのは秀静。

 秀静は秋透の過去を知っている。

 その上、自身の経験と現在の状況を、秋透に重ねて心配しているのだろう。

 キャスターとの《シンクロ数値》に影響がないかどうか。

 だが既に、話はまとまっている。

 秋透は穏やかに微笑み、言った。

「ああ。問題ない」

「……そうか」

 そう答えた秀静の表情はホッ、としたような、自嘲するような、何とも微妙なものだった。

 しかしその表情はすぐに隠されてしまった。

 秋透は胸の内に疑問を抱きながらも、追求はせず、話題をそらした。

「所で、二人共何で起きてたんだ? 俺が起きるのを待ってた?」

 首を傾げてそう問うと、和真が答えた。

「んー……。まあ、それもある。けど違うな。明日…じゃない、今日の召集について話してた」

「?」

 何故和真が言葉を濁しているのか、秋透には分からなかった。

 しかしその理由は、秀静が代わって答えてくれた。

「妙だろ。調査隊の壊滅。二ヶ月近い俺らの不帰投。で、これだ」

 『これ』と言いながら秀静が翳したのは彼の端末機。

 表示されていたのは三元帥から送られてきた一斉メール。

 状況が良くない事は、秋透にも察しは付いていた。

「お前らは知らないだろうが、今日は月例会議が軍の総本部で行われていた。親父もそれに参加してきた筈だが……さっき外で会った時、不機嫌を隠せていなかった。殺気じみたモノすら感じた程にな」

 その秀静の言葉に、和真は目を丸くした。

 言葉が見付からないのか、口をパクパクと動かしてから、口を閉じた。

 代わるように、秋透が秀静に問う。

「……その理由を、召集時に話されるんだろ?」

「多分な」

「まー、それ以外ないだろうな」

 いつの間にか落ち着いた様子の和真。

 秀静は和真に頷いて応えると、言う。

「何にしろ、この先は荒れるぞ。それだけは確かだ」

 混乱。

 恐怖。

 絶望。

 そう言った負の感情が、これから溢れ出す。

 常に戦場で生きてきた彼等が、死よりも恐れる事が、果たしてあるのだろうか。

 深刻そうな表情と口調で、誰に向けるでもない微かな殺気を放つ二人に、秋透は思わず身震いをした。

 

      *   *   *

 

 午前九時。

 《特務室》は人で溢れていた。

 原因は三元帥からの一斉メール。

 広々とした《特務室》でも、サポーターを含む全極東軍員を並ばせるには少し狭いように思われた。

 扉を潜ってすぐ右側にはコネクター。左側にはサポーターが列を作っている。

 普段ならばサポーターの入場が認められない《特別棟》にあるだけに、喧騒は一際目立った。

 任務中の者等にも召集を掛けたのか、普段基地内で見掛けない面々も揃っている。

 秋透は秀静、詩帆、悠、和真と共に、コネクター列に混ざっている。

 皆落ち着きがなく、室内はやや騒がしいが、同時に何かを察しているような面持ちだ。

「……皆、混乱してますよね……、当然」

 悲しげな、そして不安げな様子で小さく呟いた詩帆。

 悠が詩帆の頭を撫でて落ち着かせる。

「そりゃ、ね。……正直、僕も困ってるよ。仲間を守るにはどうしたら良いのか、ってね」

「同感だな」

 そう悠に同意したのは秀静だった。

 秋透も和真も、頷いて同調する。

 その次の瞬間、三元帥が揃って姿を現した。

 室内が一気に静まり返る。

 全員の視線が、三元帥へと集まる。

「突然の召集への対応感謝する。今回、恥ずかしながら我々は諸君等に詫びるべき事態に陥った。まずは事態の説明をさせて欲しい」

 重苦しい空気の中、話を切り出したのは咲儀だった。

 言い終えると咲儀は一歩分身を引き、代わって帆春が前へ出て、言う。

「昨日、軍総本部基地にて月例会議が開かれておりました。そこで入手した情報です。はっきり言いますが、我々極東支部は、本部からの裏切り行為を受けました」

 その瞬間、室内は一斉にざわついた。

 当然だろう。

 何故ならその言葉は全くもって、予期せぬ内容だったのだから。

 収まりを見せない室内。

 だが帆春は構わず、続ける。

「鏡界で新たに出現した脅威、《神器》についての情報を、アジア支部は極東支部にのみ伝達せず、また他支部もこれを黙認し、極東軍の衰退を図ったのです」

 次々と語られる信じ難い話。

 室内は一層騒がしくなった。

 また、何かがあると察していた秀静を初めとする面々も、流石にここまで大規模な内容は想定しておらず、全員が驚きを隠せないでいる。

『マジかよ……』

『実力もないクズ共が……っ』

『極東が滅べば軍そのものが滅ぶと言うのに……』

『能無しの支部長共が、馬鹿な真似を……』

 そんな呟きが室内を満たしていた。

 三元帥は押し黙り、室内でのやり取りを聞いている。

 時と共に膨れ上がっていく室内の怒り。

 その怒りが頂点に達する直前。

 時和が口を開いた。

「諸君等の怒りはごもっとも。私達も同じ気持ちだ。アジア支部や、他支部が憎い。そして極東軍ならば戦り合えるだけの力を保持している」

 室内は、打って代わって静まり返っている。

 帆春が話し出した時と同じように。

 だが一つ異なるのは、聞いている人員の表情だ。

 先程の疑念に満ちた不安げな表情ではなく、怒りに満ちた、表情。

 全員が眉をつり上げて、怒りを露にしている。

 そして同時に、時和の次の言葉を待っていた。

 『復讐』、『抱腹』と言った言葉を、待っていた。

 しかし時和は、そんな事は言わない。

 何処までも穏やかに、続けていく。

「しかし我々は復讐などと言う下らない事はしないし、させない。確かに彼らの行為は褒められたものでは決してない。罰せられて当然だ。だが彼らを殺しても何も変わらない。我々コネクターの敵はキャスターだ。そしてサポーターの仕事はコネクターへの援助だ。ならば人間同士での争いなど、ただの無駄であろう?」

 誰一人、反論はしなかった。

 反論出来なかった。

 何故なら時和の言っている事は全て、事実だから。

 そしてそれは、この場に居る全員が理解しているのだ。

 また、時和も全てを察した上で、次々と言葉を重ねている。

「今後の動きを伝える。……危険な任務になるだろう。だから強制はしない。……任を受ける者だけ、ここに残れ。五分待つ」

 室内が沈黙に包まれた。

 皆、どうするか考えているのだ。

 しかし全員、分かっていた。

 この任務を、受けるべきではないと。

 コネクターもサポーターも関係ない。

 今度の任務には、過去最大の危険と、過去際多数の死者が出る。

 その事を全員が、悟っていた。

 五分間の内に、半数以上が部屋を出ていった。

 一人。

 また一人と、出ていく。

 仲間が、友人が、出ていく姿を横目に見る度、この任務に対する恐怖が膨れ上がっていく。

 無論、コネクターも大勢が退出した。

 最後まで室内に残ったのはコネクター三十名。サポーター四十五名。計七十五名だけだった。

 極東軍員の三分の一に満たない人数だ。

 残った全員が、暗い面持ちだった。

 顔面を蒼白にして、必死に震えを堪えている。

 重苦しい沈んだ空気の中、時和が話を切り出した。

「ここに残ってくれた諸君。よくぞ恐怖に打ち勝ってくれた。私達は敬意を持って、感謝の意を述べよう」

 残った者。

 それはつまり、難関任務への志願者だ。

 その中には当然、秋透の姿もある。

 秋透だけではない。

 明峰秀静。

 天野宮詩帆。

 紅月悠。

 一色和真。

 八雲朱羽。

 十蓮吉良。

 河野美怜と言う、見知った顔も多く居た。

 その他、秀静、悠、和真と同フロアに自室を持つ二人。

 七草鈴音。

 九瀬深桜(くぜみおう)も残っている事に、秀静、詩帆、悠、和真は気付いていた。

「今回の事に当たる構成員の名前は控えました。チーム決めや作戦は後日伝達します。それでは解散して構いません」

 

      *   *   *

 

 帆春の言葉を合図に、揃って《特務室》を出ると、秋透はお馴染みの四人。同期三人。先輩二人と共に自室へ戻った。

 元より家具の少ない秋透の部屋に人数分の椅子がある訳もなく、レディーファーストと言う事で男性陣は立っている。

 カップも人数分はなく、コーヒーと紅茶に分かれて持っている。

 ティーカップを手にした詩帆が、不意に口を開く。

「そう言えば、深桜と秋透は初対面でしたよね?」

「ん? ああ、言われてみれば……」

「確かにそうだわ! じゃあ改めまして。あたしは九瀬深桜。宜しくね? 新人君」

 美人、と言うよりは可愛らしい、桃色髪の少女は秋透を見てそう言った。

 初対面にしては少し砕け過ぎな挨拶にたぎろぎつつ言葉を返す。

「は、い。波木秋透です。宜しく……」

 ニコニコと笑みを浮かべる深桜の傍ら。

 鈴音が苦笑しながら本人に代わり、「ご・め・ん・ね」と口を動かしていた。

 無論、秋透に対してだ。

 秋透は無言で微笑んで応える。

「ん~、こんな時になんだけど、暇だねぇ」

 不意に悠がそう言い、

「あははっ。ハルちゃんはいつでも呑気ですねぇ」

 と詩帆が突っ込み、

「あ、悠さんがくれた大量のゲーム類ならありますよ?」

 などと秋透が言い出し、

「あ、やったね~♪ じゃあまたトーナメントにしようか」

 そう笑った悠に、

「悠、お前緊張感皆無だな……」

 と秀静が呆れる。

 表情それぞれに盛り上がる。

 秋透が持ってきたゲームの中から手始めにトランプを取り出し、ババ抜き、ダウト、七並べ……と皆で騒いだ。

「……秋透。こう言っては何ですが、貴方……。ババ抜き激弱ですね……」

 深刻な面持ちで詩帆がそう言い、

「うっせ。第一、美怜の表情が乏し過ぎんだよっ」

 と秋透が抗議する。

 秋透がカードを引く相手は美怜である。

 その美怜と言えば、冷たい程の無表情をしている。

 それは今だけではなく、常にだ。

 喜怒哀楽が全く顔に表れない美怜を相手に、秋透は苦戦。

 当の美怜はやはり無表情で、その他の人員は秋透をカモにして楽しんでいる。

「ほい、上がり♪ 皆弱いな~」

「ハルちゃんが強過ぎるんですよぉ。全然勝てないです」

「まあビリはまた秋透だろ」

「それを言ってはミもフタもないだろう、秀静」

 ババ抜きが終了し、次のゲームを選んでいた。

 その時。

 全員の端末機が一斉に鳴った。

 メール受信を報せる、アラーム。

 皆それぞれおに画面を見て、次いで揃って真剣な表情になった。

 三元帥からの一斉送信。

 内容はこうだ。

 

 

【八月十日 午前十時より特別任務を開始する。

 特務専行部隊の計十名を二班に分け、

 遊撃部隊として最前線へと出動。

 

 α 班 明峰秀静少佐

    紅月悠少佐

    天野宮詩帆中尉

波木秋透特別二等兵

八雲朱羽二等兵

 

 β班 一色和真中尉

七草鈴音少尉

九瀬深桜少尉

十蓮吉良二等兵

河野美怜二等兵

 

 以上十名を遊撃部隊とし、他隊員はそれの補

 佐。

 今任務における特例として、二等兵以下の鏡界

 介入を許可する             】

 

 

 メールの内容は任務について。

 そしてここに居る全員が、最前線に立つ。

 それは命を懸けると言う事。

「……暗い」

「は?」

 静まり返っていた部屋の中、不意に声を発したのは吉良だった。

 唐突な発言に秋透は思わず聞き返し、一同は呆気に取られた。

 状況に不似合いな態度のまま、吉良は言葉を続ける。

「暗いねー、皆。そんな深刻に用心深く構えても無意味じゃないかなー?」

「……一理ある、と思うけど……」

 呆然とする秋透。

 恐らく大層間の抜けた顔をしていた事だろう。

 対して朱羽はやや怒り気味だ。

「吉良! 貴方は状況が分かっていないのですかっ!?」

「分かってはいる。けど深く考えてはいない」

「なっ」

 憤慨を露にし掛けた朱羽を無言で制したのは悠だった。

 静かに片手を掲げ、朱羽を黙らせると、次いで言う。

「吉良の言い分が正解だよ。考えれば考えるだけ最悪の想像が浮かぶ。そうなれば当然何も出来なくなるし、下手な作戦を練れば、それが機能しなかった場合は動揺しか残らない。だから最善は、ゆったりと、落ち着いて、気長に任務当日に向けて備える事だよ」

 微笑を浮かべ、穏やかな口調でそう言った悠。

 それだけで、場の空気が緩む。

 流石は紅月だと、全員が思っていた。

 ニコニコと微笑む悠の傍に座っている詩帆が、続いて口を開く。

「では皆さん。チーム分けもされましたし、今後は各班毎に強化訓練を行っていきましょう」

 両手を揃えて微笑む詩帆。

 そして反論ではないが、言葉を返す深桜。

「て言うか、このチーム分け、明らかにα班がベースでしょ……。やるならβは援護中心の訓練をすべきだと思いますが、いかがでしょうか、詩帆様」

 深桜は九瀬家の出身である。

 九瀬家は主に明峰派閥の家柄で、どちらかと言えば実技方面を得意とする家系だ。

 しかし深桜の意見は、戦術や戦略をも鑑みた適切な判断だった。

 戦術に長けた紅月家である悠も、同様の意見である程に。

 詩帆は深桜に一度頷くと、続ける。

「深桜の言う通りです。α班は紅月少佐、β班は一色中尉を中心に今後の方針や戦略を練るのが妥当だと思います」

 《軍十家》はいずれも《三大名家》の内の一家の派閥に所属している。

 それはつまり、《三大名家》の重視する技術が派閥内の《軍十家》に大きく影響すると言う事だ。

 和真の出身家である一色家は紅月派閥の家である。

 故に必然と、一色家も戦術、戦略を重視した訓練を行う。

 和真自身、物心が付いた頃には既に高度な戦術訓練を受けていたと言う。

 恐らく今回、和真がβ班に振り分けられた理由の大半は家柄の関係だろう。

 β班の戦略的統一を図る為に。

 再び固い空気になり掛けた所で、秀静が言う。

「んじゃ、今後は別々だな。秋透と八雲は死なない程度にしごいてやるよ」

「「え……」」

 秋透と朱羽の頬がひきつる。

 二人の反応を愉快げに眺める秀静。

 また、詩帆と悠は微笑み、吉良は「へぇ」と意味深な笑みを浮かべ、美怜は無表情で二人を見遣り、その他の面々は苦笑している。

 何とも統一感のないメンバーだ。

「……朱羽、良かったな」

「はぁ?」

「《三大名家》次期当主候補様方の指導受けれんぞ……」

「ああ……」

 朱羽は秋透を羨んでいた。

 秀静、詩帆、悠からの指導を。

 しかし現在の彼女は、喜びと恐怖を織り混ぜたような、微妙な面持ちで苦笑している。

 それに秋透も同調した。

 

      *   *   *

 

 極東軍基地のフロント前を通り、ロビーを抜け、薄暗い廊下へ進む。

 仄かに照らしてくる蛍光灯を頼りに奥へ足を進めると、右側に見えてくるエレベーターの扉。

 地下四階まで続くエレベーターを地下二階で降り、左右に伸びる薄暗い廊下を歩く。

 微かな明るさの中で目を凝らし、一枚の扉の横にある文字を読む。

 【第六訓練場】と書かれている。

 扉の前に立つと自動的に扉は開き、室内の明るさに思わず目を伏せた。

 次いで耳に届く衝撃音に顔をしかめる。

 耳をつんざくような金属音。

 室内から放たれる圧力の元は、二人による攻防だ。

 一つに束ねた豊かな赤髪を揺らし、朱羽は宙を舞う。

 そして彼女の履いている靴は、軍の支給した物ではないとすぐに分かる。

 膝を覆い隠す黒の板。

 同じく黒の鋼鉄のブーツ。

 それこそが彼女の驚異的な跳躍力の実態。

 朱羽の持つ《力》、《鉄風(てつかぜ)》を《武器化》した姿だ。

 《鉄風》とは、キャスターとの《シンクロ》で得られる《波動》の大半を足へ、つまりブーツへと送り込む事で絶大な脚力と破壊力を得ると言うものだ。

 また、《波動》を《具現化》して放出する《波力攻撃》の技術を応用し、足先から放出する事で長時間の滞空を可能とする。

 床を蹴り、宙で身を翻して秋透へと突っ込む。

 盛大な衝撃音が室内を包み込んだ。

 しかし秋透は《護鬼》の刀で朱羽の攻撃を弾く。

 そのまま二撃目を繰り出す。

 この攻撃は、、朱羽のものより速い。

 だが反応速度は朱羽が勝っていた。

 振り下ろされた秋透の刀。

 その峰を朱羽は更に蹴り下ろし、その反動を利用して天高く舞い上がり、距離を取る。

 お互いに呼吸は乱れ、肩を上下させている。

 消耗しているのは明らかだ。

 それでも、先頭は再開される。

 そんな二人を離れた位置から見守る二人の男。

 秀静と悠だ。

 そしてその二人に、詩帆が歩み寄っていく。

 詩帆に気付くと、悠はニコリと微笑み、言った。

「やあ、詩帆ちゃん。早かったね?」

 と言うのも、悠と秀静は詩帆がシャワーから戻ってきたと言う事を知っているのだ。

 無論、二人も行って、先に帰ってきていたのだが。

 三元帥から特別任務を任されてから、既に数日が経過している。

 どの班も連日訓練に明け暮れている。

 現在時刻は早朝七時半。

 秋透と朱羽はかれこれ一時間近く攻防を続けているが、その前に三人も交代で訓練をしていたのだ。

 一段落してシャワーを浴び、そして現在に至る。

「……詩帆ちゃん。湯冷めするから、髪、しっかり乾かしといで」

 悠は詩帆の髪を見てそう言った。

 その通り、詩帆の髪はやや水分を含んだ状態で、無造作に束ねられたまま肩の上に流れている。

 いくら八月と言えど、基地内には冷房が掛かっており、また、訓練場内は更に冷やされているのだ。

 それは訓練者に合わせた設定温度であり、傍に立っているだけの人員にとってはやや寒いと感じる室温なのである。

 詩帆は悠の言葉に、少しだけ不満げに彼を見上げた。

 詩帆も二人の訓練が見たいのだ。

 次いで訓練中の二人を見遣った。

 悠は苦笑すると、

「大丈夫でしょ。多分もう少し掛かるから……」

 しかしその考えは、

「いや、もう終わった」

 と次いで発せられた秀静の言葉に打ち消された。

 同時に、室内に響いた爆音。

 詩帆は一瞬身体を強張らせたがm秀静と悠はただ爆風の中心を見詰めていた。

 そこにあったのは、膝を付いてしゃがみ込む朱羽と、刀の先を床に突き立てて天井を見上げて立つ秋透の姿だった。

 勝負は、誰の目にも明らかだった。

「……八雲。秋透と戦ってどうだった?」

 その秀静の言葉に、朱羽は息を荒げながらも立ち上がり、秀静に向き直った。

 しかし、苦悶の表情を浮かべて。

「……悔しいですが、彼の実力は、私より上です……」

「ふむ」

 腕を組んで頷くと、秀静は続きを促す。

「……けれど、攻撃が…素直すぎると思いました」

「……成る程、確かにそうだ」

 秀静の同意に、しかし朱羽は下唇を噛んで、答える。

「はい。駆け引きを習得すれば、彼は一層強くなれる……。仲間としてはそれを応援しますが……、同期としては、やはり負けたくないです……」

 朱羽の声は段々と弱々しくなり、最後には申し訳なさそうに目を伏せてしまった。

 彼女は幼少の頃より、『八雲』としての高度な訓練をしてきたのだろう。

 《軍十家》として。

 《三大名家》を支える者として。

 そして朱羽がかなり優秀である事は、皆分かっていた。

 実際、秋透自身も危うい場面は幾度となくあったのだから。

 だからこそ、新人に負けた朱羽の悔しさは計り知れない筈だった。

「なら、次は勝って見せろよ」

「!?」

 秀静は不意に、そんな事を言った。

 朱羽は目を見開いた。

 しかしすぐに微笑むと、真剣な眼差しを秋透に向け、言う。

「当然です」

 その声には、闘志と、確固たる決意が滲んでいた。

 そしてその場の全員が、朱羽の再戦を心待に思い、各々微笑んだ。

「よしっ。演習はこれで終わりにするが、午前中の自主訓練は許可する。だが午後は明日に備えて休め。以上」

 秀静はそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。

 今日は既に八月九日。

 明日、特別任務が決行される。

 三元帥からの任務を受けてから、皆訓練に集中して取り組んできた。

 武術。

 体術。

 呪術。

 戦術。

 得て不得手関係なく、全員が己を高めるべく努力してきたのだ。

 それら全てが、明日、発揮される。

 時刻は八時の少し前。

 特別任務に参加するコネクターは皆一様に、防音機能のある訓練場を訪れており、同じく志願したサポーターの大半が事前調査の為出払っている。

 また、非志願者の者等は、志願者が抜けた分の任務を分担して行っている。

 お陰で殆どの人員が出払っているのだ。

 その為、基地内はいつになく閑散としていた。

「……静か、ですね……」

 ポツリ、と呟いたのは詩帆だった。

 その表情は何処か寂しげで、憂いを帯びているようだった。

「そう、だね。今は少し、仕方がないのかな……」

 悠も少し、寂しげだった。

 訓練場のある区域を出ると、すぐそこはロビーになっている。

 ロビーは殆どの場所へと繋がっている為、普段ならば最も人が行き交う場所なのだ。

 食堂やカフェテリアに向かう者。そこから出てきた者。

 訓練場の使用許可をフロントで取る者。

 訓練場に向かう者。出てきた者。

 任務に向かう者。帰ってきた者。その迎えをする者。

 多くの人が行き交い、賑わっていたロビーですら、フロントに居る千里以外の人気はない。

 その光景に、現在の殺伐とした状況をより一層強く、突き付けられている気さえしてくる。

 悠は俯く詩帆の頭を撫で、彼女を宥めるように言った。

「……任務が終わったら、皆で打ち上げをしよう? 父上達にも協力してもらってさ。ね?」

 詩帆はゆっくりと顔を上げると、潤んだ瞳を目一杯細めて、微笑んだ。

 悠も笑みを溢すと、振り返った。

「秋透君、朱羽ちゃん。朝食、行くでしょ?」

 ニコッ、といつも通りの気さくな笑みを浮かべる悠。

 秋透と朱羽は顔を見合わせ、それからふっ、と笑みを溢した。

「言われてみれば、腹減りましたね」

「そうですね。ご一緒しても宜しいですか?」

 詩帆はパッ、と振り向くと、笑顔で答えた。

「はい、勿論ですっ」

 どうしてなのか。

 戦地へとこれから赴くと言うのに、どうしてこれ程までに、落ち着いて居られるのだろうか。

 寂しさはある。

 広々とした空間に、聞き慣れた騒がしさがない。見慣れた人影が、ない。

 しかし、恐怖はなかった。

 死への恐怖。

 生への渇望。

 未来への執着。

 そんなものは、微塵も存在しなかった。

 仲間の為なら。

 仲間の為になら、自分の命を懸ける事に、何の躊躇いもなかった。

 その為なら、何の不安もなかったのだ。

 けれど仲間の為に、生きよう。

 そう、思えた。

 詩帆は内心で、そう思い続けていた。

 『仲間の為に』。

 それこそが詩帆の核であり、彼女が自分に課した存在意義なのである。

 決戦を目前にして、一同は普段通りの生活を送っていた。

 




〈第九章〉も書き終わり、ついに次章は決戦!
となりました。
描写が段々と難しくなってきておりますが、どうぞ最後までお付き合いください!
読んでくださりありがとうございました!!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。