相対する鏡界世界   作:巫ホタル

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特別任務当日。
波木秋透(なみきあきと)達はどう任務決行時間を待っていたのだろうか……。
そしてついに任務開始。
鏡界に入った途端に現れた敵とは……。
ついに始まった鏡界戦に、彼らはどう動くのだろうか。


〈第十章〉ー鏡戦ー

 柔らかな日差しが室内を照らしている。

 暖かな毛布にくるまっていると、次第に目が冴えてくる。

 カーテンの隙間から微かに入ってくる朝日が顔に掛かり、

「眩し……」

 と思わず顔をしかめる。

 徐々に慣れてきた視界で初めに捉えたのは、何よりも愛しい人の寝顔だった。

 淡い陽光に照らされて輝く白銀の柔らかい髪。

 今は伏せられた、凛とした瞳。

 薄く赤みを帯びた唇。

 幼い頃から慕ってきた、誰よりも大切な、大好きな私の許嫁。

「ハル…ちゃん……」

 彼が、悠が傍に居ると、自然と笑みが零れる。

 悠と居ると心が安らぐ。

 ……が、しかし。

 微睡みが失せてくると、一つの疑問が浮かんできた。

「何故……ここに……?」

 と言っても、同じベッドで寝ていたなどと言う事は、彼女達にしてみれば今更だ。

 何せ、二人はずっと一緒にいたのだから。

 もう記憶が霞み掛けている程、昔から一緒に居たのだから。

 

      *   *   *

 

 悠と初めて出会ったのは六歳の頃。もう十二年も前の事だ。

 母に「会いに行ってみる?」と訊かれ、会いに行った。

 恋も知らなかった六歳の私にとって、『許嫁』と言う存在は、何処か他人事のような感覚だった。

 会った事もない、何人かの許嫁候補達。

 候補と言っても、実際の所は既に確定しているようなものだったと言う。

 家柄、教養、容姿。

 どれを取っても、彼は他よりも優れていたのだから。

 母に連れられて向かったのは極東軍の基地。

 そもそも外出も殆どした事がなかった当時の詩帆。

 初めて目にする基地に、多くの人。

 それだけで、その時既に浮き立っていた事を、今でもはっきりと覚えている。

 そして現れた、許嫁。紅月家の長男、悠だ。

 第一印象は、『綺麗な男の人』だった。

 白銀の髪。

 宝石のように輝く、紫色の瞳。

 見上げる程、高い背。

 細身な、それでいてひ弱さを感じさせない肉体。

 優しげな、声と表情。

 詩帆は多少、興味を持った。

 それ以来度々会う事があり、その度笑顔で迎えてくれる悠にーーいつしか恋情を抱いていた。

 そして私が十六歳になった年。

 私がコネクターになった年、「好きだ」と、言ってくれたのだ。

 それからはずっと、彼が傍に居続けてくれた。

 あれからもう、十二年が経った。

 

      *   *   *

 

 夢見心地で過去を思い出していた詩帆の傍ら。

 未だ瞳を見せない悠に軽く苦笑し、

「ハルちゃん、朝ですよ~? 起きてください」

 と起床を促す。

 が、彼はいつも通り、起きない。

 目は開いている。しかし、覚めてはいないのだ。

 悠の寝起きの悪さは今に始まった事ではないのだが、何故ここに居たのかも聞きたい。

 その上、今日は特別任務の当日だ。

 正確には、任務開始の約三時間前。

「……詩帆……?」

 と不意に小さく呟いた悠。

 そして詩帆は、その声に不覚にも赤面してしまった。

 いつもは『詩帆ちゃん』と呼ばれるのに、低く落ち着いた声で呼び捨てにされたから、一瞬ときめいてしまったのだ。

 しかしそれでも、悠の目は未だ半眼のまま宙を見ている。

「はい、ハルちゃん。もう朝ですよ?」

「……おはよう……」

 未だ眠そうな瞳を擦りながら、悠が状態を起こす。

 恐らくまだ寝惚けているが、質問に答えるくらいは出来るだろう。

「ねぇ、ハルちゃん? どうしてここで寝てたの?」

 詩帆がそう問うと、悠は船を漕ぎながら答える。

「ああ、えっとね……んと……」

 どうやら未だ夢の中のようだ。

 詩帆は苦笑しつつも、悠のちゃんとした起床を待った。

 

 

 

 待つ事十分。

 ようやく悠の意識がはっきりしてきた。

「あれ、覚えてない? じゃあ、昨日一緒に呑んでたのは覚えてる?」

 悠の言う通り、昨日の午後は休みと言う事で、詩帆と悠は一緒に過ごしていた。

 二時間程基地を出て、人の住む街を訪れてみたりもした。

 最終的に買ってきたワインで晩酌を楽しみつつ、酔いに任せてそのまま眠ってしまったと言う訳だ。

「それは覚えていますけど、私、途中で寝ちゃったんですね……」

 呑んでた、と言っても詩帆は正確には未成年なのでーーコネクターに年齢は殆ど関係ないのだが、ワインではなくノンアルコールのブドウ酒で代用していた。

 しかしワインの香りに酔ったのか、眠りに付いたのは詩帆が先だった……らしい。

 正直な所、詩帆は覚えていない。

「うん。で、僕も気付いたらソファで寝てたっぽいんだけど、夜中に詩帆ちゃんが起きて、『何でソファなんかで寝てるんですか』って言って、仕方なくベッドへ……」

 段々と申し訳なさそうに項垂れていく悠。

 その姿に詩帆は、

「あの、ハルちゃん、そんなにしょげないでください。別に気にしてませんから」

 苦笑してそう言うと、次いで話を逸らそうと話を振った。

「お腹空きませんか? きっともう皆起きてるでしょうから、誘って食堂行きましょう」

 ニコッ、と微笑むと、悠もふっ、と笑って、頷く。

「ん、そうしようか。……けど、僕は一旦部屋戻るよ。着替えてから行く。ついでに秀静達呼んでこようか」

「分かりました、お願いしますね」

「うん。じゃあ、お邪魔しました……ん?」

 部屋を出ようとした時、悠は扉のポストに入っている奇妙な紙袋を見付けた。

 それ程大きくも、重くもない紙袋。

 中にはなにやら黒い布と、一枚の紙が入っている。

「詩帆ちゃん、何か届いてるけど?」

 悠に手渡され、紙袋を受け取る詩帆。

 訝しげな表情で中を覗き込み、入っていた紙を取り出す。

「『特別任務参加者のコネクター諸君へ、三元帥からのプレゼントです。極東軍の技術と開発力を駆使して作った防護服ですので、性能は保証します。本日の任務に神のご加護があらんことを』」

 詩帆が手紙の内容を読み上げると、二人顔を見合わせて笑った。

「今頃、羽取達はくたびれてんのかな?」

「あははっ、そうかもしれませんね」

 『極東軍の技術と開発力を駆使して』と言う事は、この防護服を作ったのは羽取を初めとする《技術・治療室》に務める化学班のスタッフの筈である。

 特別任務に合わせて研究・開発を行ったと予想される為、今回の防護服作成はかなり根を詰めただろう。

 悠はそこまで考えた上で、そう言ったのだ。

「それ、僕の部屋にも届いてると思うから、着替えてから集合?」

「はい。また後で」

 詩帆に一度微笑み掛け、悠は詩帆の自室を後にした。

 

      *   *   *

 

 八月十日の午前九時四十七分。

 《鏡路室》には少しずつ人だかりが出来てきていた。

 五人一組の班で挑む今任務は、班毎の連携が非常に重要なのだ。

 だからこそ、直前まで入念で綿密な打ち合わせをしているのである。

 その中には当然、秋透を含むα班の五人と、β班の五人も居る。

 全員今朝支給された新型の防護服を身に纏っている。

「任務開始十分前。もう一度作戦を確認する」

 時計を手に、秀静がα班の他四人を見渡して、言う。

 内容はこうだ。

 まずα班は指定された場所まで鏡路を使い移動。

 そこからはキャスター達に探知されないよう走って次の指定ポイントまで行く。

 指定ポイントには鏡が用意されており、鏡界へと通じている。

 鏡界に入り次第班毎に入界地点から移動。

 用意された入界地点は班毎に異なるが、約一キロ圏内に二班は居る筈なので、連絡を取り合いながら間隔を乱さないよう注意しながら策敵開始。

 敵と遭遇し次第近隣班へ連絡。

 受信班は速やかに応援要請に応え、移動を開始する事。

 《神器》使いは二人以上で対処。

 敵を殺せたらすぐに《神器》を破壊。

「なお、離脱や回避などは班の隊長が指示を出す。班員はこれに従う事。良いな?」

「で、皆仲良く任務終わらせて、揃って帰投しましょう、って?」

 真剣味たっぷりの秀静の言葉に続き、発言したのは悠だった。

「隊長。本作戦の最終目的は何でしょう?」

「最優先は全員で生還。可能ならば危険キャスターと《神器》の抹消だ」

 後者は恐らく、ほぼ不可能のレベルだった。

 調査隊の全滅。

 三元帥直下による精鋭コネクター五名が約二ヶ月間機能停止に陥った前代未聞の事例。

 任務への参加を志願した者等も、内心では戦死を覚悟しているのだ。

 無論、この場に居る五名も同様に。もしくはそれ以上に、緊張している。

 何せ五人は、二ヶ月前の当事者なのだから。

 全員が底無しの恐怖に縛られた現在の状況では、任務達成は絶望的と言っても全く過言ではなかった。

 それ程までに、軍は追い詰められているのだ。

「深追いは避けるべきだろう。……そんな事が可能な任務なら、これ程までに大掛かりな作戦にはなっていないだろうがな」

 そう言ったのは和真。

 彼もまた、真新しい防護服に身を包み、緊張に身を強張らせながら任務開始時刻を待っている。

「て言うか、僕等が調査に出た時点で、もう既に深追いだったしね」

 肩を竦めて悠がそう言った。

「……何か、悠さんはいつも通り、ですよね……?」

 秋透が不思議そうに悠を見て言う。

 対して当の悠はと言えば、

「ん? 多少の緊張はあるよ?」

 などと言っている。

 現時点で『多少の緊張』で済んでいる事が、もはや有り得ない。

 秋透を含むα班の全員が呆れ顔で悠を見ていた。

 悠はやはりへらへらとして笑っている。

 けれどお陰で、皆の雰囲気が和らいだ。

 秒針が動き続ける。

 微かな音を立てて、回り続けている。

「……そろそろだな」

 秋透の言葉通り、針はもうじき十時を指す。

 任務開始時刻の、十時を。

 そして、その時は訪れた。

 鏡路の前に整列していた各部隊の全員が、一斉に鏡の中へと走り出す。

 α班も、秀静を先頭に走る。

 誰一人、振り返る事なく。

 

      *   *   *

 

 鏡路に入り、次に目を開いた時視界に映ったのは、もう忘れ掛けていた景色だった。

 α班が指定された移動開始地点は、秋透が以前まで暮らしていた街だった。

 鏡を用意されている場所までの道程は、秋透が慣れ親しんだ道。

 通っていた学校。

 部活帰りに友人と立ち寄ったコンビニ。

 母と行ったスーパー。

 よく遊びに行っていた公園。

 それらを見る度に、甦る記憶。

 人間として生きていた頃の、平穏な生活。

 だが、今更そんな事で秋透に迷いは生じないーー筈だった。

「秋透?」

 聞き間違えようのない、よく知った、男の声。

 声の方へ向き直ると、そこには一組の男女が立っていた。

 二人共驚愕の表情でこちらを見ている。

「秋透、だよね……? あんた…一体何処へ行ってたの……?」

 今にも泣き出しそうな、女子。

「……久し振り、羽矢」

 そう、目の前に立つ幼馴染みの名前を口にする。

 羽矢は眉根を目一杯寄せ、口元を両手で覆い隠し、必死に泣くのを堪えていた。

「お前…急に居なくなってどうしたんだよ……。変なメールも……。それに、その人達は……?」

 長身の男子が目を見開いて訊いてくる。

 動揺しているのだ。

「……悪いな、龍健。急いでるんだ」

「秋透!?」

 声を荒げ、秋透の名を叫び、龍健は秋透の腕を掴んだ。

 しかしその手は、すぐに払われてしまった。

 秋透は一歩下がると、

「お別れだ、羽矢、龍健。今までありがとうな」

 と言って、袖から一枚の紙を取り出す。

 思考誘導の《呪符》を。

 その《呪符》で、ほんの一瞬だけ、《術》を展開する。

 羽矢と龍健の思考を、僅かに遅らせる。

 その一瞬の間に、秋透達は二人の横を走り去った。

 突風が二人を包み込み、次いで我に返った羽矢と龍健。

 何が起きたのか理解出来ないまま、二人は暫く立ち尽くしていた。

 

      *   *   *

 

「……良かったんですか、秋透……?」

 何て事を、詩帆は走りながら訊いてくる。

 そして秋透も走りながら、それに答える。

「良かったも何もないだろ? 俺は既にコネクターで、今は任務中なんだから」

 へらっ、と笑って見せたが、詩帆は何故か納得出来ないようで、

「それは……そうですけど……」

 と、言葉を曖昧に濁している。

 そして秋透は、そんな詩帆に言った。

「俺はさ、詩帆。コネクターになった時、人間の世とは縁を切ったんだよ。だからもう、何も思わない」

 何か言いたげな、渋い表情をしている詩帆。

 秋透はそんな彼女に苦笑し、

「……まぁ、半分は嘘、だけどな」

 などと言った。

 言葉通り、『何も思わない』と言うのは、嘘だった。

 何も思わない訳がなかった。

 思った。

 人間の頃の事を。

 コネクターになった日の事を。

 残してきた人達の事を、考えた。

 考えた上で、無視したのだ。

 『秋透』と呼んだ、二人の声を。

 羽矢と龍健は確かに、『秋透』と呼んだ。

 しかし二人が知っているのは『人間の秋透』であって、『コネクターの秋透』ではない。

 そして現在の『秋透』は、紛れもなく後者だ。

 だからもう、二人の呼び掛けには応えない。

 それが秋透なりのけじめであって、それこそが縁を断ち切ると言う事だからだ。

 詩帆は自嘲にも似た苦笑を浮かべる秋透に向かって、静かに、

「……そうですか。……強く、なりましたね、秋透」

 と言った。

 穏やかな、優しい声で。

 そんな二人の話を、秀静、悠、朱羽の三人はただ黙って聞いていた。

 だが不意に秀静が口を開き、言った。

「目的地到着三十秒前。スピードは緩めず、そのまま鏡界へと突入する。総員抜刀し、一人も遅れるな!」

 言い終わりと同時に、秀静は地面を強く蹴り、大きく跳躍をする。

 薄暗い建物の中に設置された鏡へと、飛び込む。

 時刻十時八分。

 α班の構成員全五名。

 鏡界への入界が確認された。

 

      *   *   *

 

 鏡へと入り、目を開くと、前回と同じように景色は一変していた。

 色のない、荒れた世界。

 視界に映るのは、どこまでも灰色な廃墟と荒野。それと、葉も花もない、枝だけになった、やはり灰色の樹。

 秋透は地面に足を着くと、小さく呟いた。

「やっぱ荒れてんな、ここは……」

「……そうですね……」

 詩帆も、小さく同調した。

 秀静は回りを見回し、悠は《呪符》を使って周囲の敵反応を探り、朱羽は《鉄風》に《波動》を集中させ、地上五メートル程の高さから見張っている。

「……秀静様…これは……」

「ああ。八雲も感じるか、この違和感……」

 秀静と朱羽だけではない。

 悠も詩帆も、秋透でさえも感じている、違和感。

 それは、

「気配が…無さ過ぎる……」

 そう口にしたのは悠だった。

 《術》を展開しながら、悠は細く目を開け、そう言った。

 悠が展開している《術》は《探査符》を媒介にした《走査術》だ。

 それは文字通り『走って』調べる《術》。

 《波動》を《探査符》の効力に上乗せし、《波動》を発し続ける事で長距離まで索敵をする事が出来るのだ。

 そして悠が認識している半径二十キロ圏内に、キャスター所かビープスの反応さえも確認されていない。

 それはどう考えても異常だった。

 五人の間に重苦しい空気が流れる。

 沈黙が続く。

 全員が考えている。

 今後の動きを。

 今取るべき最善の策を。

 だがしかし、策が講じられぬまま、状況は一変した。

 秋透の視界に、一つの光が映り、直感的に危機を悟った。

「皆避けろ!!」

「「「「!?」」」」

 秋透は反射的にそう叫び、その言葉に全員が身構えた。

 次の瞬間、例の如く矢の雨が五人を襲った。

 降り注ぐ矢の量が減ってきた、と思った時。

 秋透の目の前に矢が現れた。

 ついさっきまでは何処にもなかった筈の、一本の矢。

 しかもその速さは、矢雨の比じゃなかった。

「くっそ……っ!!」

 全身の《力》を総動員させ、間一髪の所で矢を弾いた。

 そこで矢の雨は降り止み、同時に、崖の上に人影が現れた。

「あら貴方様、見掛けによらずお速いのですね。今のはかわされないと思っていたのですけれど……。わたくしの誤算でしたわ」

 鮮やかなピンク色の、地面に着きそうな程長い髪。

 真っ直ぐにこちらを見下ろす、髪と同じ色をした丸い瞳。

 整った顔立ち。

 人目を引くには十分過ぎる、美しい女性だった。ーーここが鏡界でさえなければ。

 彼女は右手に矢を。左手に弓を提げている。

 また、先程その矢を秋透に向けて放った。

 鏡界に生息する、軍に敵意を向ける存在は、キャスター以外には有り得ない。

 全員が緊張し、警戒している。

 だがしかし、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。

 戦場で敵と対峙しているにも関わらず、状況とは不似合いな、楽しげな笑みを湛えて、彼女は言う。

「人間如きの下等生物……。そう思っておりましたが、わたくしの思い込みでしたのね」

「……俺達はコネクターだ。人間じゃない」

 低い声音で、吐き捨てるように秋透は言った。

 それでもやはり、彼女は微笑んだまま、言葉を返す。

「貴方方の認識がどうであれ、我々キャスターからして見れば同じ事ですのよ。人間は何処までも愚かで、強欲で、低俗な生物ですもの」

「…………」

 彼女はたおやかに微笑みながら、人間を蔑み、侮辱し、誹謗する。

 五人は、ただ黙っていた。

 彼女の隙を探って。

 そんな五人を見透かしたように、彼女は言う。

「わたくしの隙か弱点か……。どちらにせよ、無意味にございますよ。そんな無意味な事に時間を割くよりも、もっと価値のある事を致しませんこと?」

 不適に微笑む彼女。

 対してα班の面々は警戒心を露にした表情を崩さず、決して口を開こうとはしなかった。

 ……ただ一人を除いて。

「へぇ? 君にとって価値ある事って、何?」

 軽薄な、何の緊張感も感じられない声を発したのは悠だった。

 その行動には、α班の四人だけでなく、対峙している女性キャスターまでもが目を見開いた。

 しかしキャスターはすぐに口元を綻ばせ、言う。

「自己紹介を致しましょう?」

「……てっきり早く戦おうって、言われると思ってたよ」

 悠の言葉に、他四人は内心で同意した。

「そんな物騒な事申しませんわ。貴方方が早死にを望むのでしたら話は別ですけれど」

 目を細め、そんな事を言ってくる。

 悠は肩を竦めて、応じる。

「それはヤだな~」

 悠の反応に薄く微笑むと、彼女は言う。

「それではわたくしから名乗りましょうか。わたくしの名はフレーウェル。鏡界内序列第六位、《光弓シェキナー》使い、《光弓姫(こうきゅうき)》フレーウェルにございます」

 フレーウェルは恭しく一礼すると、悠の紹介を視線で促した。

「鏡行禁忌軍極東管轄部少佐。ならびに特務専行部隊隊長補佐、紅月悠」

 悠は自身の紹介を述べ、フレーウェルは満足げに頷く。

 微笑み合う二人を、詩帆は信じられないと言う表情で眺めていた。

 何故悠は、敵なんかと親しげにしているのか、と。

「悠様からは敵意を感じませんね。一体どう言う事なのでしょうか?」

 フレーウェルは興味深そうに悠を見ている。

 やや警戒しているような、奇異の目で。

 対して悠はへらへらと笑いながら、言う。

「僕はコネクター、君の言う低俗な”人間”だよ? 君みたいな強者が気に留める程の存在じゃない。それより、僕ずっと知りたかった事があるんだよねぇ、君に訊いても良い?」

「ええ、勿論。何なりとご質問くださいませ」

 艶やかな笑み。

 敵同士でなければ、仲良くなれただろうに。

「君等キャスターに日本名のヒト居ないな~、って思ってね」

 その言葉にフレーウェルは頷くと、言った。

「キャスターの大半は規模の差こそあるものの、どこかの組織、もしくはその下部組織に属しています。そして組織に入った時、組織から名を貰うのです」

 悠がへぇ、と納得し、

「偽名って事ね」

 と言うと、しかしフレーウェルは首を横に振る。

 何処かうっとりとするように、微笑んで。

「いえ。わたくしにとっては、『フレーウェル』と言う名こそがわたくしの名前にございます」

「ふぅん、成る程」

 悠は楽しげに微笑みながら、一瞬だけ秀静を見遣った。

 そして無言で意思疏通をする。

『聞こえてたよね?』

 と言うように微笑む悠。

 対して秀静は頷く。

 このやり取りに、詩帆、秋透、朱羽も気付いた。

 『キャスターの大半は何処かの組織に属している』。

 つまり、増援が来る可能性が高い。

 ならば、その前に片を付ける必要がある。

「……さて、そろそろ始めましょうか」

「……一応何を、と訊いておこうか」

 フレーウェルは目を伏せ、言った。

 その顔に、既に笑みはなかった。

 悠も空気の変化を感じ取り、表情を引き締めた。

 フレーウェルは半眼に目を開くと、

「当初の予定……戦争を」

 などと、言う。

 とても冷たい声音で。

 対して悠は眉間に軽く皺を寄せ、言う。

「僕戦うのは嫌いなんだけどね~。ま、仕方がないか」

 面倒臭そうに肩を竦める悠。

「それは弱者の愚言ですか? 醜いですね」

 そして悠を冷めた瞳で見下ろし、失笑を浮かべるフレーウェル。

 だが悠はそれを聞き流し、両腕を動かし、《離遠》を持ち直す。

「……一つ忠告をしてあげよう。他人を見下す事しか出来ず、弱者に対して蔑み以外の感情を持てない者は、真の強者にはなり得ない」

「…………」

 フレーウェルは不満げに、しかし何も言わず、悠を見下ろす。

 悠は続ける。

「自分自身に満足しているような愚者が、誰かを守ろうと足掻き続ける者に勝る事はない」

「……わたくしが、その『愚者』であると、言いたいんですの?」

 形の良い眉をつり上げて、フレーウェルは怒気の籠った声でそう言い放つ。

 しかし悠は飄々とした様子のまま、言い返す。

「違うと言えるのならば、今の状況はもっと違っていただろうね、フレーウェル」

「……悠様、貴方は一体何が……」

 『言いたいのか』。

 そう言おうとしたフレーウェルの言葉は途中で遮られた。

 秀静の声によって。

「一点に集中し過ぎたか? キャスター。背後ががら空きだぞ?」

「……っ!?」

 悠がフレーウェルの気を引いている間に、気付かれないように密かに《術》を展開し、フレーウェルに幻術をみせていたのだ。

 秀静の姿が、見えないように。

 フレーウェルの死角に回り込み、次いで刀を振り上げていた秀静。

 迫り来る黒刀《夜王》を弓で弾くものの、勢いに負けてフレーウェルは体勢を崩した。

 そして秀静はその瞬間を見逃さず、フレーウェルの腹部を蹴り飛ばす。

 悠の居る、崖の下へと。

「あーあー、女の子相手なのに容赦ないなぁ、秀静」

 そんな事を言いながらも、悠自身も《離遠》を振り下ろす。

「く……っ」

 軽い呻き声を上げると、フレーウェルは身体を捻り、悠の斬撃を避けようとする。

 ……が、刀は追い掛けていく。フレーウェルの中心を狙って。

 悠は斬撃を避けられると認識すると、即座に片手を離しながら刀の一対を投げた。

 それすらも避けて見せたフレーウェル。

 しかし、悠は柄に繋がれた鎖を手前に引き、刀を手元に引き戻す。刃先をフレーウェルに向けたまま。

「チェックだ、フレーウェル」

 チェック。

 それはチェスにおける、勝利の宣言。

 相手の核を奪うと言う、警告。

 ……しかし、これはチェスではない。

 そして悠は、『チェックメイト』とは言わなかった。

 つまり、戦闘終了の合図ではない。

「ふ、ふふ、ふふふっ。ここまでとは、考えておりませんでしたわ……」

 こんな状況であるにも関わらず、フレーウェルは笑う。

 高らかに、艶やかに、楽しげに、笑っている。

 それはまるで、狂者であるかのように。

「先程貴方方を『人間如きの下等生物』と申しました事、大変な非礼でございましたと、深くお詫び申し上げます」

 そんな事を、言う。

 悠の刀が自身の身体を貫こうとしているにも関わらず、彼女は目を細め、そんな事を平然と言う。

 瞬間。

 悠は反応した。

 一瞬にして現れた、殺気に。

 身震いして、地面を蹴った。

 後方へと跳んで、迫り来る殺気を避けようとした。

 しかし、殺気はついてくる。

 次の瞬間、突如現れたマント姿のキャスター。

 手には槍。その槍には、見覚えがあった。

 だが相手の名前を思い出すよりも早く、槍が悠に迫り続ける。

 悠は、避けられなかった。

 死を覚悟し、目を瞑ったその刹那。

 すぐ近くで音が鳴った。

 耳をつんざくような、金属音。

 その音に、悠は目を見開いた。

 するとそこに居たのは槍使いのキャスターと、酷く剣幕な、

「詩帆、ちゃん……?」

 詩帆は怒りに任せて鎌を振るい、キャスターを払い除けた。

 怒りと嫌悪に満ちた瞳で、詩帆は言う。

「ようやく会えましたね、アセロフ。再び会える日を心待にしていましたよ」

 怒気の中に狂気が見え隠れする程の、憎しみ。

 当然と言えば当然だろう。

 槍使いのキャスター・アセロフとは、二ヶ月前詩帆を離脱せざるを得ない戦闘不能にまで追い込んだ男なのだから。

 そしてそれによって、秀静、和真、秋透の三人を死地に残らせてしまったのだから。

「あ? お前、この間の雑魚か? なぁんだ、生きてたんだなぁ?」

 見下したような、挑発するようなアセロフの声と言葉。

 詩帆はアセロフの声に、姿に、気配に、彼の存在そのものに対する嫌悪感を、全身全霊で抑え込んでいた。

「一度頃され掛けたのに懲りねぇなぁ。……んじゃ、今度はテメェじゃなくて、テメェの大事なモンを壊してやるよ!!」

 そう宣言すると、アセロフは移動した。

 その速さは、以前よりも遥かに速かった。

 目で追う事の出来ない速さで、アセロフは傍に立っていた悠に攻撃を仕掛けた。

 ……が、その攻撃は詩帆の鎌が受け止めていた。

「……確かに、私は貴方に敗れ、生死の淵をさ迷いました。けれど、だからこそ還ってきたんです」

「あぁ? テメェ何言ってやがんだ」

 冷ややかにすごむ詩帆に対し、アセロフは態度変わらず失笑を浮かべる。

「テメェが防ぎに来んのはよんでたよ。フレーウェル」

 名前を呼ばれたフレーウェルは、やはり詩帆ではなく悠に矢を放った。

 しかしそれでも、悠は微笑んだまま、動かない。

 そして代わりに、詩帆が鎌を振るう。

 光速で飛んでくる光弓の矢を、詩帆は《呪符》を展開し、無力化して地面に落とす。

 ここでようやく、アセロフの表情から失笑が消え、フレーウェルは目を見開いた。

「……私が、今日に至るまで何もしてこなかったとお思いですか?」

「意気がんなよ、人間風情がっ」

 詩帆の言葉に怒りを露にするアセロフ。

 しかし詩帆は構わず、続ける。

「では私からもあえて申し上げましょう。貴様等などに仲間を殺させはしない。決して許さない。たとえそれが、どんな状況であっても」

 言い終えると詩帆は軽く跳び跳ね、アセロフを蹴った。

 直に攻撃を食らい、傷にはならないものの体勢を崩して間合いが出来る。

 アセロフは槍を地面に突き立てて減速し、足から着地する。

 表情を見るまでもなく、殺気の中に激怒の色が滲んでいる。

「殺すぞ、人間」

「その前に、私が貴方を殺します」

 詩帆の気配が殺気に満ちる。

 その殺気に、秋透は遠目ながら身震いをした。

 悠が距離を取ると、二人の戦闘が始められた。

 直後、秋透、秀静、朱羽の背後で声が響く。

「《捕食》に伴う特殊武装をした人間が計五匹……。覚えのある顔も居るな。貴様等、鏡行禁忌軍の者等か?」

 その声の主も、見覚えがあった。

 前回の鏡界入りで見た顔。

 キャスターの集団を率いてきた、クエルと言う名のキャスター。

「まあ、どちらでも構わん。全員まとめて消し去ってやる」

 そう言い放ったクエルの手に、大鎌が出現する。

 詩帆の鎌《閃麗》よりも巨大な、ドクロを携えた死神の鎌。

「我が《神器》、《グリムリッパー》で逝かせてやろう」

 クエルは鎌を振り上げながら、接近する。

 その刃には禍々しい黒炎がまとわり付いており、威圧感を放っていた。

「フレーウェル、命令だ。赤髪の女を殺れ。俺は他二匹を殺す」

 狂気と殺意に満ちた微笑を浮かべ、そうクエルは言った。

 それにフレーウェルは恭しく頭を垂れ、

「御意に」

 と答える。

 しかし、対して秀静は不適な笑みを零し、言う。

「秋透と八雲は光弓使いの相手をしろ。俺があの鎌使いを殺しておく」

 と、クエルとは違う対戦を命じた。

 そして秋透は一瞬悩んだ末に、

「……了解」

 と答えた。

 秀静の実力を疑う訳ではない。

 しかしそれでも、心配なものは心配なのだ。

 何故ならクエルの放つ殺気と威圧感は、アセロフやフレーウェルのものとは比べ物にならない程、膨大だったから。

 それでも最後には、秋透は秀静を信じた。

 長期に亘って自分を鍛え上げてくれた、秀静の実力を信じた。

 そして秋透は、朱羽と共にフレーウェルに向き直る。

 余裕たっぷりに微笑む彼女に刃先を向けて、

「戦るぞ」

 と呟いて、地面を蹴った。




〈第十章〉も終わりました!
ようやく決戦まで来れたかと思うと、何か感慨深いものがありますね。
この後どうなっていくのか、どうか最後までお付き合いください!
今章も読んでくださりありがとうございました!!
次章でも是非お会いしましょう!
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