相対する鏡界世界   作:巫ホタル

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三元帥からの指令で鏡界を訪れた波木秋透(なみきあきと)と、明峰秀静(あけみねしゅうせい)、天野宮詩帆(あまのみやしほ)、紅月悠(こうづきはるか)、一色和真(いっしきかずま)一行。
予期せぬ激戦に負傷した詩帆と悠はやむなく戦線を離脱。
基地へと帰投したその後の二人は……?


〈第七章〉ー後悔ー

 室内に機械音が響く。

 目の前には見慣れない半円柱状を横に倒したような透明なケース。

 多くの機械に囲まれたそのケースの中に、詩帆は横たわっていた。

 薄手の布に包まれ、静かに寝息を立てている。

 一見穏やかに見えるその寝姿。

 しかし、布から片手だけ出された細く白い腕に、いくつもの管が付いている。

 口元には酸素マスク。

 眠る詩帆の身体には包帯はおろか、傷跡一つ見られない。

 それはコネクター特有の自己治癒能力の高さ故にだ。

 それでも、内部までは、まだ完治していない。

 それ程までに、詩帆の傷は重傷だったのだ。

 目を開かない詩帆の傍ら、ケース越しに悠は傍に居た。

 軍服ではなく、通気性と速乾性に優れた、訓練着を身に纏って。

 視線は詩帆に向いている。

 恐らく微かな動きにもすぐに気付けるだろう。

 けれど、心はここになかった。

 あの死地での調査任務から、早くも一ヶ月が経とうとしている。

 その間、詩帆が目を覚ます事はなく、鏡界に残してきた秋透、秀静、和真が帰投する事もなかった。

 そして、悠の心は、次第に閉ざされていった。

 この一ヶ月、悠は会話と言える会話を誰とも交わしていない。

 千里や、悠の父・時和を始め、多くの知人から『お慰めの言葉』を掛けられたが、悠には届いていなかった。

 固く閉ざした悠には、届かなかった。

 瞳を閉ざしたままの詩帆の姿を見る度、悠の脳裏には一ヶ月前の出来事が鮮明に映し出された。

 その記憶は、悠を責めるだけのモノであったが……。

 

      *   *   *

 

 ーー一ヶ月前。

 詩帆を連れて悠は、三人を残して基地へと帰投した。

 出頭してから間もなく、それも片方は重傷、片方は瀕死の状態での帰投は、フロントの千里はおろか、三元帥までもを大いに驚かせたのだと言う。

「悠様! 詩帆様!! 一体何が……っ!?」

「良いから早く医療班に要請を出してくれ! 僕が《技術・治療室》まで運ぶから!!」

「はっ、はい!」

 慌てふためく千里に一喝すると、悠は立ち上がろうと試みた。

 しかし、足に力が入らない。

 すぐに医療班が来て、応急処置を始める。

「第一班は紅月少佐を、第二班は天野宮中尉を! お二人共重傷だ!!」

 医療班は基本サポーターによる組織だ。

 地下三階まである訓練場の更に下。

 地下四階にある《技術・治療室》を主な活動拠点としている。

 長年軍の治療師をしている者達を集めた第一・二班の治療師達でも、悠と詩帆の全身の傷を見て驚きの声を上げていた。

「紅月少佐、多数の粉砕骨折っ。頭部も切れているのと、全身をかなり強く強打している模様。全身強打による臓器損傷の可能性有り。骨の接続と臓器回復が最優先かと思われます!」

「天野宮中尉、胸部を貫かれています。出血が酷い為、早急な輸血が必要かと。内蔵破裂に伴い《安置ケース》の使用許可を!」

 そんな重傷を目の当たりにして尚、冷静な治療が出来ているのは見事である。

 視界がボヤけ、意識が朦朧とする悠。

 それでも悠は、自分よりも詩帆の心配をしていた。

 もう声も出せない、自由に動かせない身体。

 何処に詩帆が居るのかも、見えないけれど……。

 ーー生きていてくれ……詩帆……。

 口元だけが微かに動いた。

 しかし、悠の言葉は声にならない。

 少しずつ意識が遠退いていく。

 全身の感覚がなくなっていく。

 痛みも、薄れていく。

 そして悠は、意識を手放した……。

 

      *   *   *

 

 次に目を覚ました時、悠は自室のベッドの上に居た。

 身体中に包帯が巻かれていたが、既に傷はない。

 手首には針が刺さっており、繋がれた管の中を少量の液体が流れている。

 針を引き抜き、ベッドを出ると、悠は身なりも整えぬまま部屋を飛び出した。

 まず向かったのは詩帆の部屋。

 インターホンを押しても出てこない。

 次いでフロントに向かい、千里に詩帆の所在を尋ねた。

 薄着な上乱れた装いの悠に動揺しつつも、千里は悠が眠っている間の事を答えた。

 詩帆が昏睡状態である事。

 三人の帰投がまだである事。

 ーーそして、それを聞いてから、一ヶ月。

 詩帆が眠るケースに触れ、暫く詩帆の表情を見た後、

「……ごめんな……。詩帆……」

 とだけ呟くと、悠は《技術・治療室》を後にした。

 フロントに向かい、訓練場の利用申請をすると、悠はそのまま訓練場へと足を進めた。

「……悠様、最近いつ拝見しても訓練場にいらっしゃいますよね」

 それは丁度フロントに居合わせた朱羽の言葉だった。

 また、朱羽の隣に居る少女も口を開く。

「昨日三回見掛けたけど、三回共訓練場にいらしたよ。それも同じ場所」

 その少女は並んで立つ朱羽にも劣らぬ、整った顔立ちをしていた。

 物珍しい薄紫色の、ハーフアップに束ねた髪。

 長めの前髪の間から覗く、一見気だるそうに見える、そえれでいて真っ直ぐな瞳。

 詩帆や朱羽とはまた別の印象を与える美少女である。

 少女の言葉に頷き、キーボードを操作すると、画面を見たまま千里が言った。

「美怜(みれ)さんの仰る通り、悠様は昨日、長時間同じ訓練場をご利用なされています。……と言うか、ここ一ヶ月、毎日ですが……」

「毎日……何時間も……。それは、やはり……」

 朱羽の言わんとしている事は、その場に居た二人共分かっていた。

 悠は一ヶ月前の事件を悔いているのだ。

 詩帆を守れなかった、仲間を死地に残してきてしまった為に。

 そしてそれを、周りの者達全員が感じ取っていた。

 訓練場に向かい歩く悠の背中を見詰めたまま、誰も口を開かなかった。

 

      *   *   *

 

 室内をビープスが埋め尽くしている。

 広い訓練場の床が見えない程の、ビープスのホログラム体。

 その中央には、悠が居た。

 両手には日本刀を一本ずつ提げている。

 柄を鎖で繋がれた二刀。悠の《力》、《離遠(りえん)》だ。

 悠は《剣技》、《体術》、《呪術》、《呪符》を巧みに使い分ける。

 現在も、襲い来るホログラム軍を同時に凌ぎつつ、《離遠》による攻撃を繰り出している。

 しかし、今行われている訓練方法は、通常数人で行う類いのものだ。

 一体のホログラムを倒すと、二体が出現する設定。

 そしてそれを二十五分間。

 無茶な訓練である事は明らかだった。

 二十五分間の訓練と五分の小休憩を挟んだ三十分。

 それを一日十セット。

 一日合計五時間、訓練場でホログラム演習に当てている。

 その上、体術訓練、呪術・呪符の訓練もしているのだ。

 悠は一ヶ月前の任務以降、自室と訓練場と、詩帆の居る《技術・治療室》を巡回するだけの生活をしていた。

 食欲もなく、訓練後のシャワー以外はその三ヶ所の何処かに居たのだ。

 目の前に居たビープスを斬り伏せると、タイミング良く演習終了のアラームが鳴った。

 同時に、全てのホログラム体が消え去り、訓練場内は一気に静まり返った。

 《武器化》を解き、崩れるようにして床に倒れ込む悠。

 汗が全身を流れ、呼吸も乱れている。

 数分間動けないでいた。

 三分程経ち、ようやく立ち上がれるようになった所で、タオルと共に置いてあった端末機が振動した、通話のようだ。

 歩み寄り、拾い上げると耳に当てる。

 相手が《技術・治療室》からだと言う事は、拾い上げた時に分かっていた。

 そして、今現在でそこから掛かってくる内容は大体決まっている。

「はい。詩帆に何かありましたか?」

『ーーーーー!!』

「……え……?」

 一瞬、悠は耳を疑ったが、聞き間違いではない。

 詩帆が目を覚ましたのだと言う。

 悠は端末機を握り絞め、一目散に走った。

 目的地は勿論《技術・治療室》だ。

 エレベーターに乗り込み、階を降りる。

 扉を勢い良く開き室内に入ると、閉ざされていた《安置ケース》の蓋が開き、ベッドの上に詩帆が腰掛けていた。

 詩帆は悠の姿を見ると、目を見開いた。

「ハルちゃん……」

「……っ」

 悠は詩帆に駆け寄ると、思い切り抱き締めた。

 両手で力一杯抱き締めて、嗚咽を漏らした。

 詩帆は突然の出来事に驚いて、次いで柔らかく微笑んだ。

「心配掛けてごめんなさい、ハルちゃん」

 久々に聞いた、詩帆の声。

 その声に、悠の頬は大粒の涙が濡らした。

「ごめんっ! 詩帆ちゃんを守るって…誓ったのに……っ。結局僕は……っ、また……っ」

 恐怖。

 後悔。

 自責。

 今まで押し殺していた感情が、悠の中から溢れだした。

 詩帆は悠を抱き締め返し、言った。

「ハルちゃんは、ちゃんと守ってくれたじゃない。私を、助けてくれた……。ありがとう、ハルちゃん」

 いつの間にか、詩帆の頬も濡れていた。

 それでも、悠に精一杯の笑顔を向けて、

「ただいま、ハルちゃん」

 その一言に、悠は瞳を波打たせた。

 そして、

「おかえり、詩帆ちゃん」

 悠は一ヶ月振りに、笑みを溢した。

 

      *   *   *

 

 暫くして落ち着きを取り戻した悠と詩帆は、隣室ーー《技術・治療室》室長・深井瀬羽取(ふかいせはとり)の執務室へと向かった。

 入り口を潜ると、正面は何故か真っ白だった。

 白い壁。

 その正体が紙山だと言う事は、二人共すぐに分かった。

 紙山を避け、どうにか室内に入ると、横長の机がある。

 しかし、机上もやはり紙山で埋もれている。

 唯一空いている中央に、一人の男性が居た。

 室長と呼ぶには若い、二十歳前後の男性。

 青味掛かった長髪を首の後ろで一つに束ね、打って変わって顔の両脇には無造作な髪が流れている。

 左右色の異なる瞳を隠す為らしいだて眼鏡は、彼の何処と無く胡散臭い雰囲気を助長させた。

「おや、悠様。早かったですね。詩帆様も大分顔色が良くなられて、何よりです」

 羽取は二人に気付くと顔を上げ、にこやかに挨拶をしてきた。

「一ヶ月の間ありがとうございました、羽取」

「いえいえ。それが我々の仕事ですからね」

「……所で羽取? いつにも増して室内が荒れているけど、どうしたの?」

 話を切り替えるように悠が口を挟むと、不意に羽取の表情に真剣味が帯びた。

 眼鏡越しに見える瞳が鋭くなり、身に纏う雰囲気も一変する。

「……詩帆様の治療結果に、少しばかりおかしなものが混ざってましてね」

「おかしなもの……?」

「ええ。……今回、詩帆様の回復が異様なまでに遅かったとは、思いません?」

 確かにそうだ。

 コネクターは人間と比べてかなり再生能力が速い。

 超速再生は《捕食型》のコネクターの特性だが、稀に出る、詩帆や秋透のような《憑依型》のコネクターでもかなりの回復力を有している。

 その為、軍でのコネクター昏睡率はかなり低い。

 だからこそ、おかしい。

 《安置ケース》を使用していたにも関わらず、詩帆は一ヶ月の昏睡に陥った。

 治癒能力が低下した訳ではない。

 医療班も手を尽くした。

 ならば原因は何か。

 考えられる理由は、一つ。

「あの気味の悪い武器のせいか……」

「報告にあった《神器》とか言うやつですね。まだ可能性の段階ですが、その武器に何らかの特殊効果があると考えれば辻褄があう訳なんですねぇ」

 そう言いながら、羽取は一枚の紙を二人に見せた。

 白の紙一面が黒くなる程、大量の文字列が並んでいる。

 悠と詩帆は首を傾げながら、羽取に問う。

「羽取、これは?」

「詩帆様の治療報告プラス、検査結果です。で、何か書いてあるでしょう?」

 悠は紙面に視線を走らせ、羽取の言う『何か』を探した。

 そして目にしたものは、

「『未知のウイルス発見』……?」

「そう。間違いなく、未知のウイルス」

「取り除けたのか?」

「そりゃ勿論。我が軍の姫君たる詩帆様に何かあったらマズいですからね」

「そうか……」

 内心で胸を撫で下ろし、ホッ、と息を吐いた悠。

 そんな悠を、羽取は微笑ましげにーー言い換えればニヤニヤと眺めていた。

「現在ラボを上げてウイルス解明に努めてますよ」

「ラボ?」

「研究所の事です」

「ああ、成る程」

 詩帆が納得顔で頷いている。

「まぁ、何か分かれば随時お伝えしますよ。今日はお二人共もう休んだ方が良いでしょう。まだ万全とは言えませんからね」

 そう言われ、悠と詩帆は揃って退出した。

 心なしか詩帆の足取りが遅いと気付いた悠。

 足を止めずに隣を見遣ると、暗い面持ちで俯く詩帆の姿が目に映る。

「……ハルちゃん」

 突然の声掛けに、少し驚いてしまった。

 強張っていたであろう悠の顔を見上げ、詩帆は軽く苦笑した。

 しかし、すぐにまた俯く。

「……三人は…やはり……?」

 ”まだ帰っていないんですか?”

 その言葉は、言われずとも分かった。

 当然の質問だから。

 けれど、とても答えづらい、問い。

 この時、悠の脳裏には、過去の出来事がフラッシュバックのように映っていた。

 詩帆が、泣き叫ぶ光景。

 悠が強さを求めた、理由とも言える出来事。

 不安が表情に現れていたのかもしれない。

 悲しげな、心配げな視線が詩帆から注がれていた。

「……分かり切った、事でしたね。ごめんなさい」

「……いや。……僕こそ、本当にごめんね」

 悠は詩帆を見ずに、そう言った。

 詩帆は一瞬瞳を波打たせて、けれど分からないと言うように笑った。

「ええ? 何でハルちゃんが謝るんですか?」

 詩帆の強がった笑顔に、胸が締め付けられる。

「……この状況を作ったのは…僕だ……。君が何よりも避けたかった事を、僕が招いた……。ごめん……」

「……っ」

 詩帆は何かを言おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。

 二人の間にある唯一の壁。

 それは、二年前のとある事件。

 詩帆に恐怖を植え付け、悠に強さを求めさせた原点。

 

      *   *   *

 

 ーー二年前。

「離してっ!!」

 少女が叫んでいる。

 《鏡路室》への扉の前で、喉が裂けそうな程、声を荒げている。

 三人の男女に抑えられながら、少女は必死に抵抗していた。

「どうして!? どうして私だけ助けたんですかっ!! 皆、待ってたのに……っ。助けが来るまで頑張ろうって、必死に耐えてたのにっ!! どうしてなんですか!?」

 大粒の涙を流して、目を真っ赤に充血させて、長く伸ばした綺麗な黒髪を乱して、自分の傷など構わず、叫んでいた。

 そして、その状況を見て、何故自分が呼び出されたのか、悠はすぐに悟る事が出来た。

 暴れるその少女は悠の婚約者だから。

 恐らく、彼女を宥めろと言う事なのだろう。

「詩帆ちゃん」

「!」

 歩き、近付きながら詩帆に声を掛けた悠。

 その声で相手が誰か分かったのだろう。

 ハッ、とした顔をすると、彼女は動きを止めた。

 悠の、歳の離れた婚約者。天野宮家の令嬢を見下ろす。

 肩下の高さから悠を見上げる詩帆の容姿は、歳相応とは言い難い美しさであった。

 長く伸ばした漆黒の髪。

 細く華奢な身体。

 真っ直ぐに悠を見据える、蒼色の瞳。

 しかし、その片目には頭部から流れ出る血が掛かり、額にも、手足にも無数の傷がある。

 かなり痛々しい姿であった。

 悠の存在に気が付くと、詩帆は俯き、黙ってしまった。

 軽くしゃがみ、詩帆を目線の高さを合わせると、悠は言った。

「傷の手当て、しよ? それに今日はもう夜遅いから、部屋で話を聞くよ。ね?」

「…………」

 現在時刻は深夜三時十二分。真夜中だ。

 詩帆は言葉こそ発しなかったが、悠の服の袖を掴んで離さない。

 小さく頷いたのを確認すると、傍に立っていたコネクター達に向き直った。

「後は僕が引き受けるから、もう休んで。任務ご苦労様」

 悠の言葉に若干心配そうに視線を絡ませると、しかし三人は深々と一礼をし、下がっていった。

 三人が居なくなったロビーで、詩帆はそれでも俯いたままだった。

 悠は短く息を吐くと、言った。

「どうする? 今日はもう疲れただろうから、部屋まで送ろうか?」

 訊くが、やはり詩帆は何の反応も示さない。

 それでも疲れはしているだろう。

 それに、傷の手当てもしなければならない。だから、

「……じゃあ、僕の部屋に行こうか。早く治療しないと、いくらコネクターでも痕くらい残っちゃうんじゃない?」

 冗談めかしてそう言うが、詩帆は顔を上げない。

 その代わり、より一層強く袖を掴んだ。

 かなり堪えているようだ。

「……話、ちゃんと聞くから。大丈夫だよ、詩帆ちゃん」

 そっと詩帆の肩を抱き、宥めるように頭を撫でた。

 すると床に透明な雫が滴り、

「……うん……」

 と、ようやく詩帆が応えた。

 動こうとしない、いや、もう余力がなく歩けない詩帆を抱き上げて、自分の部屋に向かう悠。

 自分の腕の中で小さく縮こまり、すがり付いてくる少女を、悠は強く抱き締めた。

 不安ごと受け入れるように。

 

      *   *   *

 

 部屋に到着すると、悠は詩帆をソファに座らせた。

 俯いたまま何も語らない詩帆。

 どうしたものかと少し考え、温かい紅茶を淹れて、落ち着かせようと考えた。

 お湯が沸くまでの間に傷の消毒をして、包帯を巻いた。

 傷事態は大した事ないのだが、問題は心の傷だ。

 詩帆の性格上、恐らく無理に聞き出そうとしても意味がないだろう。むしろ逆効果にすらなりかねない。

 だから、悠はあえて何も言わなかった。

 何も言わず、傍に居た。

 それが良かったのか、詩帆は不意に、言った。

「……ごめんなさい……」

 それは謝罪の言葉で、悠が望んだものではなかったけれど、それでも良かった。

 詩帆が落ち着いたと言う、証だから。

「どうして詩帆ちゃんが謝るの?」

「……迷惑、掛けたから……」

「迷惑なんかじゃないよ。むしろ、帰ってきてくれて安心した。……無事で良かった」

 詩帆の目から、再び涙が零れた。

 『無事で良かった』何て、本当は思っていない。

 語弊があるが、帰ってきてくれた事事態は良かったと思っている。

 しかし、『無事』と言うのは、違っていると、悠も承知している。

 けれど、こうでも言わないと、詩帆は何も語らないから、あえてこう言ったのだ。

 包帯に包まれた華奢な身体を小刻みに震わせて、嗚咽を堪えている姿は、本当に痛々しかった。

「……堪えなくて良いんだよ、詩帆ちゃん。話聞くって、いったでしょ?」

「……ふっ…うぅ……っ」

 隣に座る詩帆を引き寄せて、安心させようと声を掛け続けた。

 少しずつ震えが収まってくると、気付けば詩帆は眠っていた。

 悠の肩に寄り掛かって、静かに寝息を立てている。

 頬には涙が伝い、しきりに同期達の名前を呼んでいた。

 悠は詩帆を抱き上げると、ベッドに運び、寝かせた。

 正直、悠はここに至る経緯を殆ど把握出来ていない。

 それでも何より、詩帆が心配だった。

 最愛の許嫁なのだ。泣かないで欲しいと願うのは、当然だろう。

 悠は詩帆の髪を撫でながら、気が付けば隣で意識を手放していた。

 

      *   *   *

 

 眠い。

 時計を見遣ると、時刻は五時半。夜中に起こされた事もあり、睡眠量が足りていない。

 それでも、本来ここにあるべき筈の存在がない事に気付き、悠は飛び起きた。

「……詩帆……?」

 隣に寝ていた筈の詩帆が居ない。

 軽く乱れた位置に手を当てても、既に温もりはない。

 いつから居ないのか……。

 何も分からないまま、何も考えないまま、悠は部屋を飛び出した。

 詩帆の部屋に向かい、しかし居ない事を確認すると、フロントへと走った。

 すると珍しくフロントに人は居らず、代わりにその奥に、目当ての人物が居た。

「…………」

 フロントの奥、《鏡路室》の入り口の前に座り込んでいる詩帆。

 悠はそんな詩帆に歩み寄り、声を掛けた。

「……いつからそこに居るの? 詩帆ちゃん」

 すると詩帆はビクッ、と肩を上下させ、振り返ると、虚ろな視線を悠に向けた。

「……帰って、来ないんです……」

「…………」

 悠は何も言わず、詩帆を見詰めた。

 詩帆の瞳は段々と潤み、ついには頬を濡らした。

「ずっと、ここで待ってるのに……っ。梓も、健も、頼ちゃんも、駆君も……っ、誰も帰って来ないんですっ!」

「…………」

 六尾梓(むつびあずさ)。

 四塚健李(しづかけんり)。

 的場沙頼(まとばさより)。

 東條駆(とうじょうかける)。

 それは詩帆の同期であり、彼女と共に出頭した班員の名前だ。

 帰ってこない、と言う詩帆の言葉と昨日の詩帆の言葉から、悠はおおよその状況を察した。

 新入軍兵者の殉職。

 それ事態は、さして珍しい事ではなかった。

 けれど、今回は詩帆のみが生き残った。それはどう考えてもおかしな話だ。そしてそうなった理由は恐らく、

「……元帥が、関与したのか……」

 詩帆の実の母親であり、詩帆を何よりも大切にしている天野宮帆春元帥。

 彼女ならば、戦場で詩帆だけを助けるよう命令する事が可能だ。

 それが詩帆の為になるかどうかは、考えなかったのだろう。

 娘を想う母親ならば当然の心境なのであろうが、それでも悠は帆春に同意しかねた。

「……取り合えず、場所を変えようか。ここじゃ、何だしね……」

「…………」

 詩帆はまるで脱け殻のように、悠に支えられながら移動した。

 心を、なくしてしまったかのように。

 

 

 

 移動した場所は少し歩いた先にある、カフェテリア。そこのベランダだ。

 時刻がまだ六時前と言う事もあり、人は誰も居なかった。

 しかしそれは、好都合だ。

 悠は詩帆に紅茶を手渡すと、椅子に腰掛けた。

 そして、言う。

「……殉職者はあって当然何て思わないし、仕方がないとも思わない。けれど、それら全てをなくすことは出来ない。もどかしいよね、本当……」

「…………」

 カップを持つ詩帆の手に力が入る。

 詩帆はまだ十六歳で、コネクターになって日も浅い。人の死を目の当たりにしたのも、これが初めてだ。

 その上その初めての死が、同期達の一斉死亡だと言うのは、悠から見てもかなりむごかった。

 十六歳の少女が抱えるには、重過ぎる。

 詩帆はああ見えてかなり強がりだから、尚更。

「僕も仲間を初めて亡くした時は、結構堪えたよ。こんな事してて、一体何の意味があるんだって、本気で思った」

「…………」

 応答のない詩帆に、悠は語り掛ける。

 詩帆の重荷を、少しでも軽くしたくて。

「けど、どんなに悔いても、泣いても、もうあいつ等は帰ってこないんだって思ったら、何故か逆に楽になれた」

「え……?」

 訳が分からないと言うように、詩帆は顔を上げた。

 悠はふっ、と微笑むと、続ける。

「吹っ切れたって言うか、『ここで自分が折れて、闘うのを止めたら、あいつ等の死が無駄になる』って、思ってさ」

「……っ」

 初めて、詩帆が反応を見せた。

 唇を引き結んで、拳を握り締めた。

「泣いたって良いんだ。それは状況をちゃんと見て、受け止めている証拠だから。けど、その後は前に進まなきゃ。苦しくて辛いけど、それを乗り越えたら、もっと強くなれるから。いつか再会した時に、胸を張って『お待たせ』って言えるくらい、強く」

「……っ。……うん……」

 そうして、再び詩帆は前を向き、悠はより一層強さを求めるようになった。

 もう二度と、詩帆を泣かせないでいられるように。

 

      *   *   *

 

 気まずい雰囲気の中、先に口を開いたのは詩帆であった。

「……『ごめん』だなんて、言わないでください。私はそんな風に思っていませんから」

「……けど、事実だ……」

 俯く悠の顔を覗き込み、詩帆は悠の頬を掌で包み、言った。

「あれはもう『過去の事』です。それに、ハルちゃんは助けてくれたんです。二年前の事も、今回も。だからハルちゃんに感謝する事があっても、責めるなんて事は有り得ません。本当に感謝しているんです」

 純粋な、曇りない笑顔を向けてくる詩帆。

 その姿に、悠は目を見開いた。

 ーーああ、強くなったんだね……詩帆ちゃん。

「……ありがとう、詩帆ちゃん」

「私の方こそ。ありがとう、ハルちゃん」

 そう言い合って、二人共笑った。

 いつもより、何処か柔らかい雰囲気で。

 そこに二人の壁は、もう存在しなかった。




〈第七章〉書き終えました!
いかがでしたか?
今回は悠目線中心の、悠&詩帆の過去編も混ぜました!
時間の前後が滅茶苦茶になっていないと良いのですが……。
読みづらかったら申し訳ありません。
そう言った点も是非感想と共にご指摘頂けると幸いです。
本当にありがとうございました!
次章も是非ご一読下さい!!
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