紅月悠(こうづきはるか)の帰投から約二ヶ月が過ぎた。
未だ帰らぬ波木秋透(なみきあきと)、
明峰秀静(あけみねしゅうせい)、
一色和真(いっしきかずま)。
三人の探索隊出動の報せがあり、その後は……。
鏡行禁忌軍の中枢も荒れ、その理由とは……?
それらに伴い明かされる秋透の消された過去とは……!?
「ねー、ハルちゃん?」
「ん~?」
「この大量の仕事、終わるんですかね」
「ははっ。終わると良いね~」
和やかに話す詩帆と悠。
しかし手元では、文字列だらけの紙にペンを走らせている。高速で。
今二人が居るのは極東軍基地の《特別棟》地下三階にある《資料室》。
尉官以上のコネクターには、任務の他に机仕事が与えられる。
しかし、皆自室を持っている為、執務室は与えられていないのだ。
故に、一人で作業する場合は自室。複数人での作業は《資料室》を利用する者が多い。
詩帆と悠は互いの自室を行き来しているが、今回は仕事の量が量なだけに、ここで行う事にした。
二人はそれぞれの仕事を一緒に行う事が殆どだが、特に教えるでも、手伝うでもなく、ただ各自の仕事を黙々と進めるのだ。
二人の目の前、机の上には大量の書類と分厚いファイル。
詩帆が回復してからというもの、ここ数日間は激務が二人を襲っている。
好戦的とまでは言わないが、実戦肌な二人にとって、机仕事は好ましくはない。
不真面目と言う程ではないが、何かと理由を見付けては休憩を挟んでいる二人。
終わりの見えない激務に、流石の二人の気が滅入ってしまっていた。
休憩にかこつけて読書を始めていた詩帆だったが、急に顔を上げて言った。
「そう言えば聞きましたか?」
「んー、何を?」
対して悠は紙面から視線を外さず、ペンを走らせながら対応した。
「今朝、ついに三人の捜索隊が出動したらしいです」
「本当? やっとだね。もう二ヶ月近くになってるよ」
内容が内容なだけに、悠も顔を上げて話した。
「ですよね。……今回の件は、極東軍と言うよりも、軍中枢に問題があったような気がします」
「そうだね……。所で、その捜索隊って、誰が居るの?」
「先輩方二十人と、秋透の同期三人だそうです」
「へぇ、そりゃ凄いね」
ーーつまり、それだけの人員を動員させる程に、上層部・三元帥は鏡界を危険と見なしたか……。
顔には笑顔を取り繕い、内心ではそんな事を考えていた。
悠も、詩帆も。
三人の事を、こんな風に軽く話している二人だが、本当ならば気が気でない。
なのにこのように笑って話す理由は、不安だから。
少しでも笑っていないと、心が折れてしまいそうだから。
だから笑って、悪い事は考えないように取り繕う。
そうやって、二人はこの二ヶ月間を過ごしてきたのだ。
だからこそ、この先どう転ぶか……不安が募るばかりであった……。
* * *
「王手!」
「あっ、ちょっと待……っ! あー……」
「あははっ。詩帆ちゃんの負け~」
「うー……」
数時間後。
激務を何とか終わらせた詩帆と悠は、息抜きに将棋の勝負を繰り広げていた。
ちなみに、ここは詩帆の自室。
白や水色を基調に整えられた、落ち着いた佇まいの詩帆の自室。
家具は必要最低限しか置いておらず、広々としている。
本は多種類揃えられているが、テレビは見当たらない。
恐らく、幼少の頃から娯楽に触れてこなかった名残なのだろう。
その分、読書量は人一倍だが。
将棋を繰り返し行ったが、悠の全線全勝。詩帆の完敗だった。
流石に疲れてしまった為、両者共再戦は挑まなかった。
心地よい室温にが睡魔を誘う。
二人共徐々に瞼を閉じていったーーすると。
室内の内部電話が鳴った。
悠も詩帆も驚いて目を見開く。
「電話か……ビックリした~」
肩を竦めて苦笑する悠。
対して詩帆は申し訳なさそうに、
「あははっ、ですね。すぐ出ます」
と言ってソファから立ち上がり、今もなお鳴り続く電話機の下へと向かう。
受話器を手に取り、耳に当てる。
相手もそれに気付き、何やら慌てたように話始めた。
『あっ、あっ、詩帆様! あのっ、えっとっぉ……』
女性にしても高めな声音。
どうやら相手は千里のようだ。
フロントから掛けているのだろうか。何やら後ろがやけに騒がしい。
そうでなくとも、千里自身が狼狽してしまって話になっていない。
「千里? ちょっと、話が全く分からないのですが……千里?」
つられて慌てる詩帆の背後に、いつの間にかソファに座っていた筈の悠が立っていた。
悠は詩帆の持つ受話器をヒョイ、と奪うと、言った。
「もしもし、千里?」
『はっ、悠様!?』
「うん、僕だよ。詩帆ちゃんも困ってたし、取り合えず落ち着こうか」
『は、はい、すみません』
「うん。で、どうしたの?」
『はい、実は……』
「……え?」
「?」
落ち着きを取り戻した千里。
しかし千里が口にした言葉は、悠が予想し得なかったものだった。
「三人が……帰投した!?」
「!?」
あまりの衝撃につい声が出てしまった悠。
そこでようやく状況を知った詩帆。
悠はすぐに通話を切り、振り返った。
詩帆は全てを承知した面持ちで頷き、二人同時に外へと走り出した。
エレベーターで降り、フロント横の階段を駆け降りながら、千里に向かって問う。
「千里、三人は!?」
「《技術・治療室》へ運ばれましたっ!」
聞き終えると同時に跳び跳ね、階段を数段無視して飛び降りる。
着地と同時に床を蹴り、全力で走る。
* * *
《技術・治療室》は混雑を極めていた。
医療班と思しき人達が行き交い、機械で埋め尽くされた室内は消毒液の臭いが充満している。
扉の外で待つ事約二十分。
ようやく人の出入りが減った所で、羽取がやって来た。
「お待たせしました。どうぞ中へ」
促されるまま足を踏み入れる詩帆と悠。
無意識に強張る表情。
しかし、室内で目にした光景に、二人は目を見開いた。
「……秀静……?」
そう呟いた悠は、驚きのあまり立ち尽くした。
何故なら、悠が名前を呼んだ相手は、平然とした様子で椅子に腰掛けていたから。
悠の声に気が付き、こちらを向く秀静。
「ああ、お前ら来てたのか。おい秋透、和真。ちょっと来い」
すると奥から呼ばれた二人が顔を出した。
三人共身体の至る所に傷痕があり、包帯を巻かれてはいるが、意識はあるようだ。
「詩帆、悠さん……?」
詩帆は驚きが隠せない様子で、悠同様立ち尽くしていた。
しかしすぐに瞳を潤ませて、頬を濡らしながらその場に膝から崩れ落ちた。
「良かった、皆、生きてた……。本当に、良かった……っ」
悠にしては珍しく、泣き崩れる詩帆の下を離れ、秀静の傍に歩いていった。
恐らく悠自身も、詩帆と同じくらい、もしくはそれ以上に、自分を責めていたのだ。
仲間を死地に残して来てしまった事を。
仲間を助けるだけの力がなかった自分自身を。
「……本当に、無事なのか……?」
未だ放心したままの悠を見て、秀静は肩を竦めて苦笑した。
「馬鹿かお前は。この俺があの程度で死ぬかよ」
秀静の減らず口に悠は呆気に取られたが、次いで吹き出すように、笑った。
「そうだった。君のタフさは軍一番だったね」
「羨ましいだろ?」
「褒めてる訳じゃないんだけどな~?」
そんな軽口を叩ける程に、悠は安心し切っていた。
本当に。
その時の悠は、泣きそうなくらい安心していたのだ。
戦友の、親友の帰還に。
それは何よりも、悠が望んだ事だったから。
* * *
一頻り騒ぐと、その場は落ち着いた雰囲気に変わった。
そしてそれを見計らってか、新たに登場した面々。
今回三人の捜索をした人員。その内の三人。
秋透の同期達だ。
無論、その中には朱羽も含まれている。
「秋透、傷は痛みますか? でもすぐに見付かって良かったです」
確かにその通りなのだ。
今日の早朝出動して、夕方には帰投した。
思慮深い秀静の事だ。一度難を逃れたとしても、あんなにも開けた場所に居続けるなどと言う事はしないだろう。
にも関わらず、これ程までに早く見付かったのはただの偶然だろうか。
と、そこまで思考を巡らせた所で、悠は自身の盲点に気が付いた。
今回の捜索隊には、”彼”が居たのだ。
コネクターとしての素質はかなり劣るが、その分《呪術》に秀でた者が。
悠は当人に視線を向けた。
相手もその視線に気付いたようで、一礼をすると歩み寄ってくる。
前髪が長く、癖の付いた黒髪。
目に掛かった髪の隙間からは薄く開いた瞳がこちらを覗いている。
悠の前に立つと、その少年は口を開いた。
「初めまして。ふぅん、貴方が紅月悠様?」
ふてぶてしい、物言い。
どうやら彼は家柄などの圧力に屈しない質のようだ。
「おっと、これは失礼致しました。十蓮吉良(じゅうれんきら)と申します。以後お見知りおきを」
恭しく頭を垂らした吉良であったが、その口調は相変わらず軽々しかった。
しかし、悠は気にしない。
《三大名家》として扱われるのを好まない悠にとって、
むしろ好感が持てたくらいだ。
「こちらこそ、宜しく、吉良君。『様』は要らないよ」
ふっ、と笑ってそう言うと、吉良は心底意外と言うように笑った。
「へぇ、良いんですか。それなら悠さんは呼び捨てにしてくださいよ」
「良いけど、そっちは『さん』付けなんだ?」
悠が苦笑混じりにそう言うと、吉良が答える。
「何事も規律と言うものは必要ですからね」
一ミリもそう思っていなさそうな態度だが、悠はそれで納得した。
朱羽は何か言いたげな顔付きで吉良を睨んでいたが何も言わず、朱羽の視線に気付いているであろう吉良も無視し続けていた。
そんな朱羽の横に立ち、悠にもう一人の少女が声を掛けてきた。
物珍しい薄紫髪の小柄な少女だった。
「貴方も《三大名家》の方ですか?」
『貴方も』と言う事はつまり、捜索に出向いた先で、秀静とは既に話をしたのだろう。
「うん。紅月悠です。君は一般からの入軍なのかな?」
悠の問いに少女は小さく頷いて返す。
「はい。河野美怜(こうのみれ)と申します」
「美怜ちゃんね。で、どうかしたの?」
「いえ。ご挨拶をすべきだと、思いましたので」
その時、内心で悠は少し驚いていた。
一般からの入軍であるにも関わらず、言葉遣いや仕草、落ち着きつつも他とは一線を引く存在感は、《軍十家》出身者と大差なかったから。
そんな悠の心持ちを知ってか知らずか、口を開いたのは秋透であった。
「美怜は人間社会での名家出身なんだそうです。悠さんや詩帆とも気が合うかもしれませんよ?」
その秋透の言葉に便乗して、詩帆が口を開いた。
……まだぐずついた涙声で。
「それは、是非話をしてみたいですね。ね、ハルちゃん」
「ん。そうだね」
その後怪我人は療養が必要との事ですぐお開きとなった。
秋透、秀静、和真の三人は念の為一晩は《技術・治療室》で休む事となり、和真の希望もあって夕食は持ち込み、久々に五人で盛り上がった。
ーー軍中枢がモメているとは知らずに……。
* * *
同時刻。
鏡行禁忌軍総本部・《一号執務室》。
「ふざけないで頂戴っ!!」
机上を思い切り叩き付ける音が室内に響く。
「まあ、落ち着いて。もっと冷静に話し合おうよ、帆春」
「分かっているわよ! けおd、納得出来ないわっ。時和も咲儀も何とも思わない訳!?」
口調を荒げて激怒しているのは詩帆の母、天野宮帆春だ。
そしてそれを宥めているのは悠の父、紅月時和だが、発言とは裏腹に、表情には怒りが滲み出ている。
並んで座る秀静の義父、明峰咲儀も、眉間に皺を寄せて手足を組んでいる。
帆春の話は続く。
「私達の子供は死にかけたのですっ。なのに……っ。《神器》の存在は既に確認済みだったなどとっ。よくも私達の前で口に出来たものねっ!!」
つまりはそう言う事だった。
今回、極東軍が多くの犠牲を出し、また元帥達の子供、ひいては極東軍の次代を築く者達を危険に晒してまで入手した《神器》の存在は、既に他支部で確認されていたと言うのだ。
にも関わらず、その支部は情報を提供していなかったと言う訳である。
愛娘を失い掛けた帆春の怒りは凄まじかったが、当然だ。
何と言っても、こう言った事例は過去にもあったのだから。
本人には伝えていないが、二年前、新入軍兵であった詩帆が巻き込まれたあの悲劇も、他支部の不当報告によって起きたのだから。
帆春は二度も、詩帆を失い掛けたのだ。
三元帥の中でも、怒りは一層強い。
そして、普段は淑女然としている帆春の激怒に、一同は困惑の色を浮かべ、告げる言葉を探している。
極東軍は鏡行禁忌軍の中でも一、二位を争う権力と実力を保持している。
また、支部同士の関係はお世辞にも良好とは言えない。
やろうと思えば、極東軍が一支部を潰すのは容易いだろう。
それはここに居る全員が重々理解している。
だからこそ、皆言葉に詰まっているのだ。
下手な事を言って、自分の支部に飛び火する事を恐れて。
「何とか言いなさいよ、林紅練(りんこうれん)!!」
林紅練。
それはアジア支部の支部長の名であり、今回の件の主要人物だ。
アジア支部は、紅練は、違反を犯したのである。
相変わらず周囲は何も言わない。
それが更に、帆春を怒らせる。
帆春が怒鳴ろうと再び口を開くが、とある人物の発言によって遮られた。
黙りを決め込んでいた、咲儀だ。
「いくつか問う。……貴様らは今回の違反を知っていたか……?」
一同は応えなかった。
ひたすらに黙り込み、目を逸らし続ける。
「……無言は、肯定と取って構わないな……?」
それにも、やはり応えない。
咲儀の語尾に、僅かな怒気が滲む。
「……二つ。何故我々極東支部にのみ、情報を渡さなかった……?」
黙秘を継続する各支部長ーー他支部は支部長補佐が複数存在する為、各支部代表は一名のみーー達の額に冷や汗が伝う。
「……ふざけおってからに……っ」
瞬間。
その場に居た全員が身震いをした。
背筋に電流が走るような感覚。
皆慌てて口を開こうとするが、もう遅い。
「これを好機とでも思ったか。実力者を消し去り、極東軍の弱体化でも狙ったか。支部長を務める総会出席者である者らが。恥を知れ!!」
そう怒鳴り付けると、咲儀は席を立った。
続いて帆春、時和も立ち上がり、部屋を出ていく。
不意に時和が足を止めて振り返る。
「今後、《神器》に関する調査は我々のみで致します。皆々様はくれぐれもお手をお出しにならないよう」
再び立ち去ろうとした時和の耳に届いたのは、引きつった、それも情けない程に弱々しい声音であった。
黙り込んでいた支部長達の内の一人。
名を確か、レオナルド・アンバーと言う、ロシア支部の支部長だ。
「きょ、極東だけでは大変でしょう。我が支部も協力を惜しまない所だが……」
そう言ったレオナルドの声は、震えが混ざっている。
酷く怯えているようだ。
それでも、何も言えないでいる他の支部長よりは、まだ肝の据わった者のようだ。
それでも、時和は突き放す。
「……折角ですが、お断りします」
「な、何故……?」
「『何故』、ですか……」
確かに、ロシア支部は極東軍に次ぎ強大な支部だ。
その援助の申し出を断ったのだ。
レオナルドからしたら驚きだろう。
……彼がもう少しまともに考えられていたら、そんな考えは微塵も浮かばなかっただろうが。
時和はレオナルドを冷ややかに、鋭く見下ろして、言った。
「今さら協力などとは。これだけの事をしておいて、貴方方を信用しろ、と?」
場の空気が、凍る。
一同が恐怖したのは鋭い眼光でも、言葉でもない。
時和が放った、殺気にだ。
口元には穏やかな微笑、人によっては失笑だと思えるだろう。
鋭い視線に身を竦め、口をつぐむ一同を一瞥すると、時和は部屋を出た。
三元帥が退出してもなお、誰一人話し出そうとはしなかった。
* * *
扉の外には、幼い頃より行動を共にしていた二人、帆春と咲儀が待っていた。
二人共、こちらをじっと見詰めている。
不意に話を切り出したのは帆春であった。
「これから、どうしますか……?」
「……一先ずは基地に戻る他ないだろうな」
帆春に続き咲儀も口を開いたが、二人の声音に怒気は含まれていなかった。
既に普段通りの口調である。
「咲儀の言う通り……かな。一旦帰ろう」
時和の言葉に促されるまま、三人は帰路に付いた。
《鏡路室》へと向かう中、不意に時和が言う。
「明日、全コネクターに召集を掛けよう。現状を全て報告する」
その発言は唐突で、しかし妥当な決断であった。
大勢を率いる者として、最良の判断だ。
そして帆春と咲儀も、それは分かっている。
「土下座する覚悟だな」
「そうですね。今回の件で、子供達にはかなり迷惑を掛けますし……」
「極東ないには混乱が渦巻く。それでも……」
何処から情報が流出し、あらぬ噂が立つよりは良い。
それが三元帥の意思だ。
三元帥は顔を見合わせて、苦笑した。
そのまま鏡路に入り、基地へと帰投する。
* * *
身体中に包帯を巻かれた状態でベッドに寝そべる秋透。
時刻は深夜二時過ぎだ。
同じ室内に居る秀静と和真は、既に寝ているだろう。
怪我は殆ど治っているが、大事を取って一晩はこの《技術・治療室》で休む事となってしまった為、普段と違うベッドで中々寝付けないでいるのだ。
薄暗く、ほぼ無音の室内で、秋透はぼんやりと考えていた。
任務で死地に一ヶ月以上滞在してから、時折おかしい。
覚えがない光景が、フラッシュバックのように脳裏に浮かぶのだ。
……恐らく、秀静が施した《隠蔽術》が解け掛けているのだろう。
かいま見えるのは母の姿。
地面に泣き崩れる母のすぐ傍には、見覚えのない男性。
その男性は、死んでいるようだった。
顔は見えないが、報告書に記されていたコネクターだと思われる。
『明峰元帥』と、書かれていた。
そして殉職され、秀静が連れ帰ったのだと言う。
名前の上に同じ名字を持つ、その元帥を……。
少し視界がボヤけた。
軽く微睡み始めた頃、タイミング悪く端末機ーー秋透にも支給済みーーが鳴った。
それも三人分。
すぐに鳴り止んだ所を見ると、どうやら秀静と和真も起きていたようだ。
三人はムクリ、と上体を起こすと、画面に表示された新着メールを開き、同時に目を疑った。
送信者が三元帥であり、一斉送信であったから。
「明日、午前九時。《特務室》へ集合……?」
秋透が読み上げた文章が、メールの内容だった。
不意に室内の明かりが付き、目を伏せる。
目を開くと、秀静がスイッチを押し、和真が端末機を手にしていた。
「……こんな真夜中に一斉召集とは、珍しい事もあるものだな。なぁ、秀静?」
「取り合えず、良い話題ではなさそうだな」
「同感だ」
秀静は和真と話しながら、リモコンを元の場所に置く。
再び顔を上げると、秋透を見て、言った。
「秋透。お前に掛けた《隠蔽術》を解く」
「!?」
あまりに突然の宣言。
しかし、それを聞いて驚いたのは秋透だけだった。
秀静の言葉は続く。
「《隠蔽術》は同等か、それ以上の理由が上書きされると効果が薄れていく。鏡界であれだけの血を見たんだ。そろそろ、自覚あるんだろう?」
秀静の言う通りだった。
鏡界で大量の血を見た。
その血を思い出す度、謎の記憶が甦る。
「《術》が解けた時、対象者は一時的に意識を失う。戦場でぶっ倒れるのは避けるべきだろう」
秋透は何も応えなかった。
何も、応えられなかった。
どう言うものか、知り得ないから。
「秋透」
「!」
不意に声を発したのは和真だ。
そのまま言葉を紡ぐ。
「《解術》と言っても、意識が一時的に巻き戻るだけだ。記憶が戻っている以外、別段変わる事はないぞ」
秋透の不安に気付いたのか、和真はそんな事を言った。
そしてその事に、秋透は少なからず安心出来た。
「……それなら、分かった」
「よし」
そう言うと秀静はベッドから抜け出し、少しの空間の中心に立った。
床に一枚の札を落とし、次いで現れた一振りの日本刀。
全身を黒く染め上げた、怪しげな光沢を帯びた黒刀。
間違いなく、秀静の《力》、《夜王》だ。
そして秀静はその刀身を自らの手首に突き立て、札の上に血を落とす。
「お前も血を落とせ。そうすれば《解術》が始まる」
秋透の方を見てそう言い、自身は数歩下がった。
言われるままに《護鬼》を現し、手首を斬る。
鈍い痛みと共に、札の上に赤黒い血が流れる。
すると、不意に秋透の意識が途切れた。
全身の力が抜け落ち、秋透はその場に脱力する。
倒れ掛けた身体を秀静が受け止め、ベッドに寝かせる。
その時、秋透は夢を見ていた。
夢を見ながら、思い出しているのだ。
隠された記憶を。
当時の思い出を。
悲痛な感情を。
消さなければ精神状態に影響が出ると判断された記憶。
秋透がまだ、五歳の頃の出来事だ。
* * *
川が見える。
さらさらと、穏やかに絶え間なく流れていく川。
暖かな日差しが反射して、水面が光っている。
そんな川沿いの道を、走っていた。
背中には黒色のランドセルを背負っている一人の少年。
道の先を歩く人影に気付くと、パッ、と顔を綻ばせた。
「母さん!」
少年の声に振り返った、買い物袋を提げた女性。
「秋透、おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
無邪気に母に飛び付く少年・秋透。
母の空いている手を握り、並んで一本道を歩いた。
暫く歩けば見慣れた我が家が見えてくる。
白壁の右下に二段の石段があり、それを上れば玄関が見えてくる。
玄関手前にある郵便受けから一枚の便箋を取り出すと、母が言った。
「朗報よ、秋透」
嬉しそうに微笑む母に首を傾げ、
「ロウホウって、何?」
と問う秋透。
そんな秋透を見て、母が更に言う。
「良いことよ。今日お父さんが久々に帰ってくるって!」
「ホントに!?」
明らかな喜びの表情を浮かべる秋透。
はしゃいだまま扉を開け、中に入る。
「ねぇ、綾兄ちゃんは?」
「んー、まだ帰ってないみたいね。すぐに帰ってくるわよ」
「うん!」
パタパタと階段に向かって走っていく秋透。
するとその時、思いがけない巨大な揺れが襲った。
地震のような、しかし突発的な揺れ。
キッチンに居た母が慌てて秋透に駆け寄り、秋透は怯えたように小さく声を漏らした。
「な……何、今の……」
しかし母はすぐには応えなかった。
それでも、何かを悟ったような顔で外を見ている。
そして無言のまま母は秋透を連れて家を出た。
訳も分からず、川辺を走った。
走るのが速く、足が縺れそうになるのを必死に堪えて、秋透は母に手を引かれながら全力で走った。
だがその足はすぐに止められてしまった。
秋透の視界を赤く染める、血。
母の足に、硝子片が突き刺さっていた。
倒れ行く母に引かれ、秋透も転ぶ。
膝を擦りむき、血が滲んだ。
しかし秋透は構わず、踞る母の下へと駆け寄った。
「母さんっ!? 血が……っ」
どうしたら良いのかも分からず、秋透はただ叫んだ。
「あっ、秋透……っ。逃げて……っ!」
「!?」
普段はとても穏やかに微笑んでいる母が、酷く剣幕で秋透にそう言った。
「橋を渡った先の、空き家まで行って。中に、鏡がある……からっ。鏡行禁忌軍に…保護して、もらって……っ」
痛みに顔を歪めながら、母はそう言った。
「きょうこうきんきぐん……? 分からないよ、母さんっ」
「良い、からっ。早く行きなさいっ!」
母に怒鳴られ秋透は一瞬たじろいだが、次の瞬間には走り出していた。
涙で視界が歪み、目からは大粒の涙が流れ落ちているが、必死の形相で走った。
無我夢中で走り続けた。
そして、大きな衝撃を受けた。
人にぶつかったのだ。
大きな男性に。
男は転び掛ける秋透の腕を掴んで支えると、秋透を強く抱き締めた。
「父…さん……?」
「ああ。遅くなってすまなかった、秋透。怪我してないか……?」
そう言いながら男は、父は、秋透の全身を見た。
服は砂に汚れており、ついに膝の擦り傷に目を遣った途端、父は表情を歪め、また言う。
「膝、痛かったか……?」
「こんなの…痛くないよ……」
その筈だ。
しかし涙は溢れ続けた。
堪えきれなくなり、秋透は声を上げて泣いた。
「かっ、母さんが……。足、怪我して……。綾兄ちゃんも、居なくて……っ」
「……そうか。辛かったな、秋透。もう大丈夫だ。今までよく頑張ったな」
そう言って父は微笑み、秋透の頭を撫でた。
するとすぐに立ち上がり、無線機に向かって呼び掛けた。
「こちら明峰永次(あけみねえいじ)。息子の保護を頼む」
言い終えると永次は再度微笑み、
「ここで待っていなさい」
とだけ言って走っていった。
秋透が走ってきた道を。
母の待つ道を。
* * *
「君が明峰元帥……波木永次元帥の息子さんか?」
その問い掛けに、秋透は小さく頷い応える。
「元帥、聞こえますか?」
秋透の前に立つ少年は独りでに話し出す。
彼の耳にはイヤホンに似た無線機が着いている。
『おー、秀静。早かったな』
「呑気言ってる場合か、アホ元帥が」
『ははは。そうカリカリすんなよ、秀静。禿げるぞ?』
「ブッ殺すぞ、能無し元帥」
『飾り程度には脳みそあるぞ?』
「んな飾り捨てちまえ」
『はははっ』
「……秋透君はここに。綾瀬君は既に基地で保護しました。次の指令を」
秀静の声音が一変した。
低く落ち着いた彼の声に、傍に立っている秋透の表情が強張った。
そんな秋透の様子に気付くと、秀静は軽く苦笑して秋透の頭に手を乗せ、話を続ける。
「……そちらへ向かいましょうか?」
『その子を守りながらか?』
「…………」
永次のその問いに、秀静は即答出来なかった。
『そちら』と言う言葉が指したのは、即ち戦地だ。
秋透に母親が付いていない事から、何らかのトラブルが起きたと考えるのはそう難しくはない。
そして、この状況でまだ幼い秋透を単独で逃がさせたと言う事は、母親が自身を足手まといだと判断した為だろう。
つまり母親は負傷している。
現地には元帥も居るとは言え、負傷者と子供一人を抱えての戦闘は困難を極める。
全員の安全を優先させるのならば、戦地へ赴くのは最良の選択とは言い難い。
しかし、秀静には永次の護衛と言う任務がある。
「……元帥、俺は……」
話し掛けた秀静の言葉は最後まで続かなかった。
無線機から、爆音と、微かな呻き声が聞こえたから。
「元帥!? 何が……っ」
『秀静! 今すぐそこを離れろ!!』
「……っ!? 了解しました。すぐに……」
再び爆音が響いた。
だが無線機からではない。
秀静と秋透の真横に、大量の土埃が立っている。
煙にも似たそれは、ひび割れた地面の中心から上がっている。
中央には人影。
体格はそれ程大きくはない。
細身な身体付き。
人影が煙の中から姿を現す。
ベージュ色の逆立った髪。
エメラルド色の瞳。
容姿はまさに、すぐ傍に怯えた様子で立つ、秋透を成長させたかのような姿。
「こいつのキャスターか……」
秀静は呟くと、右手の中に一振りの黒刀を《武器化》させた。
直後、耳障りなノイズと共に、永次の声が届く。
『秀静。俺の愛息子だ。守りきって、アキトも死なせてくれるなよ?』
危険を極めているこの状況ですら、呑気な口調を改めない永次。
そんな永次に、秀静は溜め息を漏らし、言った。
「ハァ……。了解しました、元帥」
言いながら目を伏せ、黒刀を持ち直す。
次に瞳を見せた時、両眼には明らかな闘志と、極限まで抑えた殺気が浮かんでいた。
『あと三十秒でそっちに着く。俺と入れ替わりで秋透を連れて逃げろ!』
「了解」
目の前からキャスターが襲い掛かってくる。
だが対象は秀静ではなく、秋透だ。
このキャスターは秋透を狙っているのだ。
狂気に満ちたキャスターの手が秋透に伸びる。
が、届かない。
進行方向を秀静の黒刀《夜王》が阻む。
腕を斬り落とすつもりだったが、キャスターの回避が速かった。
それでも、キャスターの腕からは血が滴っている。
「チッ。邪魔すんなよ、テメェ」
「あいにくと、これは仕事なんでね」
「鏡行禁忌軍か……」
「おー、そっちじゃ有名か?」
「クソが」
「ガキが」
キャスターの怒りが秀静に向く。
そして秀静の視界には、永次の姿が既に映っていた。
永次が地面を蹴り、音もなく接近する。
右手には一振りの刀。
それも刀身が異様に長い。
永次が刀を振り上げる。
同時に秀静の中でカウントダウンが始まる。
ーー三……二……一っ!
ゼロはない。
一と同時に永次の刀はキャスターへと振り下ろされる。
入れ替わるように、秀静は秋透を抱えて地面を蹴った。
背後から届く地響き。
爆発音にも似たそれを肌に感じながらも秀静は振り返らなかった。
しかし、不意に感じた背後からの殺気に、秀静は振り返った。
真後ろまで接近していた別のキャスター。
そいつを刀で凪ぎ払い、しかし続いて襲ってきたアキトは、間に合わなかった。
秋透を抱えて自分がその攻撃を食らおうとすると、
「父さんっ!!」
と言う秋透の絶叫と共に、自分の背中に何かが当たった。
生温い液体が頬に掛かり振り向くと、そこにあった光景は最悪のもの。
アキトに胴体を貫かれた、永次の姿があった。
視界一面に広がる赤。
秀静は目を見開き、次いで叫んだ。
「貴様っ!!」
秋透を片腕に抱え、秀静は抜刀。
そのままキャスターに斬りかかり、遠くへと吹き飛ばす。
少し強くやり過ぎたか。
倒れたままピクリともしない。
「元帥っ!!」
秋透を抱えたまま、地面に血を吐いて倒れている永次の下へ駆け寄る秀静。
同時に、医療班への出動要請をする。
「元帥っ。すぐに医療班がきますから! 何故このような無茶を……っ」
「ゲホッ、ゴホッ。ハー……」
大量の血を吐いていながらも、永次は笑っていた。
苦痛に顔を歪めて、笑っていた。
「お前に無茶するなとか言われたくないなぁ。さっき自分で受けようとしただろ、馬鹿が」
「任務なんだから当然だろっ。それに、元帥であるあんたが受けてどうすんだよ!?」
「ははっ。最後まで手厳しいな、秀静」
「何が最後だよ。まだ言いたい事の半分も言えてねぇよっ」
「そうか……。そりゃ、怖い…なぁ……」
「元帥っ!!」
秀静が名前を叫んだ時、既に永次は目を閉じていた。
秀静の背後で秋透が泣いている。
秀静の頬も、濡れていた。
キャスターはもう居なくなっている。
逃げたのだろう。
任務は達成した。
なのに……。
「あんたが死んでどうすんだよっ!!」
しかし、もう応えは返ってこない。
数十秒前までは動いていた心臓の音が、微かにも聞こえない。
足を引き摺りながら遅れてやって来た母親が、永次に駆け寄り、両腕で抱き締めて、泣いていた。
「ホント……、最後まで馬鹿だろ、あんた……。何家族遺して逝ってんだよ……」
そのすぐ後、秋透への隠蔽処置と同時に、掛けられていた《呪傷》も隠蔽させた。
基地へ連れて帰る為に背負った永次の身体は、まだ暖かかった。
今回の任務には、問題が多過ぎた。
極東軍の総統括者の一人である元帥の死傷。
関係者とは言え、民間人への隠蔽処置。
その上《呪傷》を受けさせてしまった。
《呪傷》へ対抗術である《隠蔽術》は、いずれ効力を失う。
そうなればあの少年は、秋透は、軍に来ざるを得なくなってしまう。
まら、その時に耐え難い衝撃を受けるのは、軍ではなく当事者である波木家だ。
入軍。
それはつまり、人間としての普通の生活を捨てる行為だ。
そんな人生を、幼い少年に課せてしまった。
十年後に再開した時、秀静は秋透だと一目で分かった。
亡き英雄。
極東軍での歴代最強とうたわれた、明峰元帥の息子。
お互い養子で、血の繋がりは全くなかったが、同じ名字を持っていた上司。
悠は『秀静は秋透君贔屓だよね~』と言っていた事があるが、その通りだ。
その理由が、過去の出来事。
それを知っているのは、秀静本人だけだが……。
過去の事件を最も悔いているのが秀静だと秋透が知るのは、もう少し先の話だ。
〈第八章〉終結しました!
毎章言っていますが、いかがでしたか?
最近章の更新が早い気がしているのは私だけでしょうか……。
何はともあれ、無事に書き上げました!
ずっと書きたかった秋透の過去編を書けて、私は今とても晴れやかな気分です。
今後もじゃんじゃん書いていくので、是非読んでください!
ありがとうございました!!