相対する鏡界世界   作:巫ホタル

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天野宮詩帆(あまのみやしほ)、
紅月悠(こうづきはるか)の帰投から約二ヶ月が過ぎた。
未だ帰らぬ波木秋透(なみきあきと)、
明峰秀静(あけみねしゅうせい)、
一色和真(いっしきかずま)。
三人の探索隊出動の報せがあり、その後は……。
鏡行禁忌軍の中枢も荒れ、その理由とは……?
それらに伴い明かされる秋透の消された過去とは……!?


〈第八章〉ー裏切ー

「ねー、ハルちゃん?」

「ん~?」

「この大量の仕事、終わるんですかね」

「ははっ。終わると良いね~」

 和やかに話す詩帆と悠。

 しかし手元では、文字列だらけの紙にペンを走らせている。高速で。

 今二人が居るのは極東軍基地の《特別棟》地下三階にある《資料室》。

 尉官以上のコネクターには、任務の他に机仕事が与えられる。

 しかし、皆自室を持っている為、執務室は与えられていないのだ。

 故に、一人で作業する場合は自室。複数人での作業は《資料室》を利用する者が多い。

 詩帆と悠は互いの自室を行き来しているが、今回は仕事の量が量なだけに、ここで行う事にした。

 二人はそれぞれの仕事を一緒に行う事が殆どだが、特に教えるでも、手伝うでもなく、ただ各自の仕事を黙々と進めるのだ。

 二人の目の前、机の上には大量の書類と分厚いファイル。

 詩帆が回復してからというもの、ここ数日間は激務が二人を襲っている。

 好戦的とまでは言わないが、実戦肌な二人にとって、机仕事は好ましくはない。

 不真面目と言う程ではないが、何かと理由を見付けては休憩を挟んでいる二人。

 終わりの見えない激務に、流石の二人の気が滅入ってしまっていた。

 休憩にかこつけて読書を始めていた詩帆だったが、急に顔を上げて言った。

「そう言えば聞きましたか?」

「んー、何を?」

 対して悠は紙面から視線を外さず、ペンを走らせながら対応した。

「今朝、ついに三人の捜索隊が出動したらしいです」

「本当? やっとだね。もう二ヶ月近くになってるよ」

 内容が内容なだけに、悠も顔を上げて話した。

「ですよね。……今回の件は、極東軍と言うよりも、軍中枢に問題があったような気がします」

「そうだね……。所で、その捜索隊って、誰が居るの?」

「先輩方二十人と、秋透の同期三人だそうです」

「へぇ、そりゃ凄いね」

 ーーつまり、それだけの人員を動員させる程に、上層部・三元帥は鏡界を危険と見なしたか……。

 顔には笑顔を取り繕い、内心ではそんな事を考えていた。

 悠も、詩帆も。

 三人の事を、こんな風に軽く話している二人だが、本当ならば気が気でない。

 なのにこのように笑って話す理由は、不安だから。

 少しでも笑っていないと、心が折れてしまいそうだから。

 だから笑って、悪い事は考えないように取り繕う。

 そうやって、二人はこの二ヶ月間を過ごしてきたのだ。

 だからこそ、この先どう転ぶか……不安が募るばかりであった……。

 

      *   *   *

 

「王手!」

「あっ、ちょっと待……っ! あー……」

「あははっ。詩帆ちゃんの負け~」

「うー……」

 数時間後。

 激務を何とか終わらせた詩帆と悠は、息抜きに将棋の勝負を繰り広げていた。

 ちなみに、ここは詩帆の自室。

 白や水色を基調に整えられた、落ち着いた佇まいの詩帆の自室。

 家具は必要最低限しか置いておらず、広々としている。

 本は多種類揃えられているが、テレビは見当たらない。

 恐らく、幼少の頃から娯楽に触れてこなかった名残なのだろう。

 その分、読書量は人一倍だが。

 将棋を繰り返し行ったが、悠の全線全勝。詩帆の完敗だった。

 流石に疲れてしまった為、両者共再戦は挑まなかった。

 心地よい室温にが睡魔を誘う。

 二人共徐々に瞼を閉じていったーーすると。

 室内の内部電話が鳴った。

 悠も詩帆も驚いて目を見開く。

「電話か……ビックリした~」

 肩を竦めて苦笑する悠。

 対して詩帆は申し訳なさそうに、

「あははっ、ですね。すぐ出ます」

 と言ってソファから立ち上がり、今もなお鳴り続く電話機の下へと向かう。

 受話器を手に取り、耳に当てる。

 相手もそれに気付き、何やら慌てたように話始めた。

『あっ、あっ、詩帆様! あのっ、えっとっぉ……』

 女性にしても高めな声音。

 どうやら相手は千里のようだ。

 フロントから掛けているのだろうか。何やら後ろがやけに騒がしい。

 そうでなくとも、千里自身が狼狽してしまって話になっていない。

「千里? ちょっと、話が全く分からないのですが……千里?」

 つられて慌てる詩帆の背後に、いつの間にかソファに座っていた筈の悠が立っていた。

 悠は詩帆の持つ受話器をヒョイ、と奪うと、言った。

「もしもし、千里?」

『はっ、悠様!?』

「うん、僕だよ。詩帆ちゃんも困ってたし、取り合えず落ち着こうか」

『は、はい、すみません』

「うん。で、どうしたの?」

『はい、実は……』

「……え?」

「?」

 落ち着きを取り戻した千里。

 しかし千里が口にした言葉は、悠が予想し得なかったものだった。

「三人が……帰投した!?」

「!?」

 あまりの衝撃につい声が出てしまった悠。

 そこでようやく状況を知った詩帆。

 悠はすぐに通話を切り、振り返った。

 詩帆は全てを承知した面持ちで頷き、二人同時に外へと走り出した。

 エレベーターで降り、フロント横の階段を駆け降りながら、千里に向かって問う。

「千里、三人は!?」

「《技術・治療室》へ運ばれましたっ!」

 聞き終えると同時に跳び跳ね、階段を数段無視して飛び降りる。

 着地と同時に床を蹴り、全力で走る。

 

      *   *   *

 

 《技術・治療室》は混雑を極めていた。

 医療班と思しき人達が行き交い、機械で埋め尽くされた室内は消毒液の臭いが充満している。

 扉の外で待つ事約二十分。

 ようやく人の出入りが減った所で、羽取がやって来た。

「お待たせしました。どうぞ中へ」

 促されるまま足を踏み入れる詩帆と悠。

 無意識に強張る表情。

 しかし、室内で目にした光景に、二人は目を見開いた。

「……秀静……?」

 そう呟いた悠は、驚きのあまり立ち尽くした。

 何故なら、悠が名前を呼んだ相手は、平然とした様子で椅子に腰掛けていたから。

 悠の声に気が付き、こちらを向く秀静。

「ああ、お前ら来てたのか。おい秋透、和真。ちょっと来い」

 すると奥から呼ばれた二人が顔を出した。

 三人共身体の至る所に傷痕があり、包帯を巻かれてはいるが、意識はあるようだ。

「詩帆、悠さん……?」

 詩帆は驚きが隠せない様子で、悠同様立ち尽くしていた。

 しかしすぐに瞳を潤ませて、頬を濡らしながらその場に膝から崩れ落ちた。

「良かった、皆、生きてた……。本当に、良かった……っ」

 悠にしては珍しく、泣き崩れる詩帆の下を離れ、秀静の傍に歩いていった。

 恐らく悠自身も、詩帆と同じくらい、もしくはそれ以上に、自分を責めていたのだ。

 仲間を死地に残して来てしまった事を。

 仲間を助けるだけの力がなかった自分自身を。

「……本当に、無事なのか……?」

 未だ放心したままの悠を見て、秀静は肩を竦めて苦笑した。

「馬鹿かお前は。この俺があの程度で死ぬかよ」

 秀静の減らず口に悠は呆気に取られたが、次いで吹き出すように、笑った。

「そうだった。君のタフさは軍一番だったね」

「羨ましいだろ?」

「褒めてる訳じゃないんだけどな~?」

 そんな軽口を叩ける程に、悠は安心し切っていた。

 本当に。

 その時の悠は、泣きそうなくらい安心していたのだ。

 戦友の、親友の帰還に。

 それは何よりも、悠が望んだ事だったから。

 

      *   *   *

 

 一頻り騒ぐと、その場は落ち着いた雰囲気に変わった。

 そしてそれを見計らってか、新たに登場した面々。

 今回三人の捜索をした人員。その内の三人。

 秋透の同期達だ。

 無論、その中には朱羽も含まれている。

「秋透、傷は痛みますか? でもすぐに見付かって良かったです」

 確かにその通りなのだ。

 今日の早朝出動して、夕方には帰投した。

 思慮深い秀静の事だ。一度難を逃れたとしても、あんなにも開けた場所に居続けるなどと言う事はしないだろう。

 にも関わらず、これ程までに早く見付かったのはただの偶然だろうか。

 と、そこまで思考を巡らせた所で、悠は自身の盲点に気が付いた。

 今回の捜索隊には、”彼”が居たのだ。

 コネクターとしての素質はかなり劣るが、その分《呪術》に秀でた者が。

 悠は当人に視線を向けた。

 相手もその視線に気付いたようで、一礼をすると歩み寄ってくる。

 前髪が長く、癖の付いた黒髪。

 目に掛かった髪の隙間からは薄く開いた瞳がこちらを覗いている。

 悠の前に立つと、その少年は口を開いた。

「初めまして。ふぅん、貴方が紅月悠様?」

 ふてぶてしい、物言い。

 どうやら彼は家柄などの圧力に屈しない質のようだ。

「おっと、これは失礼致しました。十蓮吉良(じゅうれんきら)と申します。以後お見知りおきを」

 恭しく頭を垂らした吉良であったが、その口調は相変わらず軽々しかった。

 しかし、悠は気にしない。

 《三大名家》として扱われるのを好まない悠にとって、

むしろ好感が持てたくらいだ。

「こちらこそ、宜しく、吉良君。『様』は要らないよ」

 ふっ、と笑ってそう言うと、吉良は心底意外と言うように笑った。

「へぇ、良いんですか。それなら悠さんは呼び捨てにしてくださいよ」

「良いけど、そっちは『さん』付けなんだ?」

 悠が苦笑混じりにそう言うと、吉良が答える。

「何事も規律と言うものは必要ですからね」

 一ミリもそう思っていなさそうな態度だが、悠はそれで納得した。

 朱羽は何か言いたげな顔付きで吉良を睨んでいたが何も言わず、朱羽の視線に気付いているであろう吉良も無視し続けていた。

 そんな朱羽の横に立ち、悠にもう一人の少女が声を掛けてきた。

 物珍しい薄紫髪の小柄な少女だった。

「貴方も《三大名家》の方ですか?」

 『貴方も』と言う事はつまり、捜索に出向いた先で、秀静とは既に話をしたのだろう。

「うん。紅月悠です。君は一般からの入軍なのかな?」

 悠の問いに少女は小さく頷いて返す。

「はい。河野美怜(こうのみれ)と申します」

「美怜ちゃんね。で、どうかしたの?」

「いえ。ご挨拶をすべきだと、思いましたので」

 その時、内心で悠は少し驚いていた。

 一般からの入軍であるにも関わらず、言葉遣いや仕草、落ち着きつつも他とは一線を引く存在感は、《軍十家》出身者と大差なかったから。

 そんな悠の心持ちを知ってか知らずか、口を開いたのは秋透であった。

「美怜は人間社会での名家出身なんだそうです。悠さんや詩帆とも気が合うかもしれませんよ?」

 その秋透の言葉に便乗して、詩帆が口を開いた。

 ……まだぐずついた涙声で。

「それは、是非話をしてみたいですね。ね、ハルちゃん」

「ん。そうだね」

 その後怪我人は療養が必要との事ですぐお開きとなった。

 秋透、秀静、和真の三人は念の為一晩は《技術・治療室》で休む事となり、和真の希望もあって夕食は持ち込み、久々に五人で盛り上がった。

 ーー軍中枢がモメているとは知らずに……。

 

      *   *   *

 

 同時刻。

 鏡行禁忌軍総本部・《一号執務室》。

「ふざけないで頂戴っ!!」

 机上を思い切り叩き付ける音が室内に響く。

「まあ、落ち着いて。もっと冷静に話し合おうよ、帆春」

「分かっているわよ! けおd、納得出来ないわっ。時和も咲儀も何とも思わない訳!?」

 口調を荒げて激怒しているのは詩帆の母、天野宮帆春だ。

 そしてそれを宥めているのは悠の父、紅月時和だが、発言とは裏腹に、表情には怒りが滲み出ている。

 並んで座る秀静の義父、明峰咲儀も、眉間に皺を寄せて手足を組んでいる。

 帆春の話は続く。

「私達の子供は死にかけたのですっ。なのに……っ。《神器》の存在は既に確認済みだったなどとっ。よくも私達の前で口に出来たものねっ!!」

 つまりはそう言う事だった。

 今回、極東軍が多くの犠牲を出し、また元帥達の子供、ひいては極東軍の次代を築く者達を危険に晒してまで入手した《神器》の存在は、既に他支部で確認されていたと言うのだ。

 にも関わらず、その支部は情報を提供していなかったと言う訳である。

 愛娘を失い掛けた帆春の怒りは凄まじかったが、当然だ。

 何と言っても、こう言った事例は過去にもあったのだから。

 本人には伝えていないが、二年前、新入軍兵であった詩帆が巻き込まれたあの悲劇も、他支部の不当報告によって起きたのだから。

 帆春は二度も、詩帆を失い掛けたのだ。

 三元帥の中でも、怒りは一層強い。

 そして、普段は淑女然としている帆春の激怒に、一同は困惑の色を浮かべ、告げる言葉を探している。

 極東軍は鏡行禁忌軍の中でも一、二位を争う権力と実力を保持している。

 また、支部同士の関係はお世辞にも良好とは言えない。

 やろうと思えば、極東軍が一支部を潰すのは容易いだろう。

 それはここに居る全員が重々理解している。

 だからこそ、皆言葉に詰まっているのだ。

 下手な事を言って、自分の支部に飛び火する事を恐れて。

「何とか言いなさいよ、林紅練(りんこうれん)!!」

 林紅練。

 それはアジア支部の支部長の名であり、今回の件の主要人物だ。

 アジア支部は、紅練は、違反を犯したのである。

 相変わらず周囲は何も言わない。

 それが更に、帆春を怒らせる。

 帆春が怒鳴ろうと再び口を開くが、とある人物の発言によって遮られた。

 黙りを決め込んでいた、咲儀だ。

「いくつか問う。……貴様らは今回の違反を知っていたか……?」

 一同は応えなかった。

 ひたすらに黙り込み、目を逸らし続ける。

「……無言は、肯定と取って構わないな……?」

 それにも、やはり応えない。

 咲儀の語尾に、僅かな怒気が滲む。

「……二つ。何故我々極東支部にのみ、情報を渡さなかった……?」

 黙秘を継続する各支部長ーー他支部は支部長補佐が複数存在する為、各支部代表は一名のみーー達の額に冷や汗が伝う。

「……ふざけおってからに……っ」

 瞬間。

 その場に居た全員が身震いをした。

 背筋に電流が走るような感覚。

 皆慌てて口を開こうとするが、もう遅い。

「これを好機とでも思ったか。実力者を消し去り、極東軍の弱体化でも狙ったか。支部長を務める総会出席者である者らが。恥を知れ!!」

 そう怒鳴り付けると、咲儀は席を立った。

 続いて帆春、時和も立ち上がり、部屋を出ていく。

 不意に時和が足を止めて振り返る。

「今後、《神器》に関する調査は我々のみで致します。皆々様はくれぐれもお手をお出しにならないよう」

 再び立ち去ろうとした時和の耳に届いたのは、引きつった、それも情けない程に弱々しい声音であった。

 黙り込んでいた支部長達の内の一人。

 名を確か、レオナルド・アンバーと言う、ロシア支部の支部長だ。

「きょ、極東だけでは大変でしょう。我が支部も協力を惜しまない所だが……」

 そう言ったレオナルドの声は、震えが混ざっている。

 酷く怯えているようだ。

 それでも、何も言えないでいる他の支部長よりは、まだ肝の据わった者のようだ。

 それでも、時和は突き放す。

「……折角ですが、お断りします」

「な、何故……?」

「『何故』、ですか……」

 確かに、ロシア支部は極東軍に次ぎ強大な支部だ。

 その援助の申し出を断ったのだ。

 レオナルドからしたら驚きだろう。

 ……彼がもう少しまともに考えられていたら、そんな考えは微塵も浮かばなかっただろうが。

 時和はレオナルドを冷ややかに、鋭く見下ろして、言った。

「今さら協力などとは。これだけの事をしておいて、貴方方を信用しろ、と?」

 場の空気が、凍る。

 一同が恐怖したのは鋭い眼光でも、言葉でもない。

 時和が放った、殺気にだ。

 口元には穏やかな微笑、人によっては失笑だと思えるだろう。

 鋭い視線に身を竦め、口をつぐむ一同を一瞥すると、時和は部屋を出た。

 三元帥が退出してもなお、誰一人話し出そうとはしなかった。

 

      *   *   *

 

 扉の外には、幼い頃より行動を共にしていた二人、帆春と咲儀が待っていた。

 二人共、こちらをじっと見詰めている。

 不意に話を切り出したのは帆春であった。

「これから、どうしますか……?」

「……一先ずは基地に戻る他ないだろうな」

 帆春に続き咲儀も口を開いたが、二人の声音に怒気は含まれていなかった。

 既に普段通りの口調である。

「咲儀の言う通り……かな。一旦帰ろう」

 時和の言葉に促されるまま、三人は帰路に付いた。

 《鏡路室》へと向かう中、不意に時和が言う。

「明日、全コネクターに召集を掛けよう。現状を全て報告する」

 その発言は唐突で、しかし妥当な決断であった。

 大勢を率いる者として、最良の判断だ。

 そして帆春と咲儀も、それは分かっている。

「土下座する覚悟だな」

「そうですね。今回の件で、子供達にはかなり迷惑を掛けますし……」

「極東ないには混乱が渦巻く。それでも……」

 何処から情報が流出し、あらぬ噂が立つよりは良い。

 それが三元帥の意思だ。

 三元帥は顔を見合わせて、苦笑した。

 そのまま鏡路に入り、基地へと帰投する。

 

      *   *   *

 

 身体中に包帯を巻かれた状態でベッドに寝そべる秋透。

 時刻は深夜二時過ぎだ。

 同じ室内に居る秀静と和真は、既に寝ているだろう。

 怪我は殆ど治っているが、大事を取って一晩はこの《技術・治療室》で休む事となってしまった為、普段と違うベッドで中々寝付けないでいるのだ。

 薄暗く、ほぼ無音の室内で、秋透はぼんやりと考えていた。

 任務で死地に一ヶ月以上滞在してから、時折おかしい。

 覚えがない光景が、フラッシュバックのように脳裏に浮かぶのだ。

 ……恐らく、秀静が施した《隠蔽術》が解け掛けているのだろう。

 かいま見えるのは母の姿。

 地面に泣き崩れる母のすぐ傍には、見覚えのない男性。

 その男性は、死んでいるようだった。

 顔は見えないが、報告書に記されていたコネクターだと思われる。

 『明峰元帥』と、書かれていた。

 そして殉職され、秀静が連れ帰ったのだと言う。

 名前の上に同じ名字を持つ、その元帥を……。

 少し視界がボヤけた。

 軽く微睡み始めた頃、タイミング悪く端末機ーー秋透にも支給済みーーが鳴った。

 それも三人分。

 すぐに鳴り止んだ所を見ると、どうやら秀静と和真も起きていたようだ。

 三人はムクリ、と上体を起こすと、画面に表示された新着メールを開き、同時に目を疑った。

 送信者が三元帥であり、一斉送信であったから。

「明日、午前九時。《特務室》へ集合……?」

 秋透が読み上げた文章が、メールの内容だった。

 不意に室内の明かりが付き、目を伏せる。

 目を開くと、秀静がスイッチを押し、和真が端末機を手にしていた。

「……こんな真夜中に一斉召集とは、珍しい事もあるものだな。なぁ、秀静?」

「取り合えず、良い話題ではなさそうだな」

「同感だ」

 秀静は和真と話しながら、リモコンを元の場所に置く。

 再び顔を上げると、秋透を見て、言った。

「秋透。お前に掛けた《隠蔽術》を解く」

「!?」

 あまりに突然の宣言。

 しかし、それを聞いて驚いたのは秋透だけだった。

 秀静の言葉は続く。

「《隠蔽術》は同等か、それ以上の理由が上書きされると効果が薄れていく。鏡界であれだけの血を見たんだ。そろそろ、自覚あるんだろう?」

 秀静の言う通りだった。

 鏡界で大量の血を見た。

 その血を思い出す度、謎の記憶が甦る。

「《術》が解けた時、対象者は一時的に意識を失う。戦場でぶっ倒れるのは避けるべきだろう」

 秋透は何も応えなかった。

 何も、応えられなかった。

 どう言うものか、知り得ないから。

「秋透」

「!」

 不意に声を発したのは和真だ。

 そのまま言葉を紡ぐ。

「《解術》と言っても、意識が一時的に巻き戻るだけだ。記憶が戻っている以外、別段変わる事はないぞ」

 秋透の不安に気付いたのか、和真はそんな事を言った。

 そしてその事に、秋透は少なからず安心出来た。

「……それなら、分かった」

「よし」

 そう言うと秀静はベッドから抜け出し、少しの空間の中心に立った。

 床に一枚の札を落とし、次いで現れた一振りの日本刀。

 全身を黒く染め上げた、怪しげな光沢を帯びた黒刀。

 間違いなく、秀静の《力》、《夜王》だ。

 そして秀静はその刀身を自らの手首に突き立て、札の上に血を落とす。

「お前も血を落とせ。そうすれば《解術》が始まる」

 秋透の方を見てそう言い、自身は数歩下がった。

 言われるままに《護鬼》を現し、手首を斬る。

 鈍い痛みと共に、札の上に赤黒い血が流れる。

 すると、不意に秋透の意識が途切れた。

 全身の力が抜け落ち、秋透はその場に脱力する。

 倒れ掛けた身体を秀静が受け止め、ベッドに寝かせる。

 その時、秋透は夢を見ていた。

 夢を見ながら、思い出しているのだ。

 隠された記憶を。

 当時の思い出を。

 悲痛な感情を。

 消さなければ精神状態に影響が出ると判断された記憶。

 秋透がまだ、五歳の頃の出来事だ。

 

      *   *   *

 

 川が見える。

 さらさらと、穏やかに絶え間なく流れていく川。

 暖かな日差しが反射して、水面が光っている。

 そんな川沿いの道を、走っていた。

 背中には黒色のランドセルを背負っている一人の少年。

 道の先を歩く人影に気付くと、パッ、と顔を綻ばせた。

「母さん!」

 少年の声に振り返った、買い物袋を提げた女性。

「秋透、おかえりなさい」

「ただいま、母さん」

 無邪気に母に飛び付く少年・秋透。

 母の空いている手を握り、並んで一本道を歩いた。

 暫く歩けば見慣れた我が家が見えてくる。

 白壁の右下に二段の石段があり、それを上れば玄関が見えてくる。

 玄関手前にある郵便受けから一枚の便箋を取り出すと、母が言った。

「朗報よ、秋透」

 嬉しそうに微笑む母に首を傾げ、

「ロウホウって、何?」

 と問う秋透。

 そんな秋透を見て、母が更に言う。

「良いことよ。今日お父さんが久々に帰ってくるって!」

「ホントに!?」

 明らかな喜びの表情を浮かべる秋透。

 はしゃいだまま扉を開け、中に入る。

「ねぇ、綾兄ちゃんは?」

「んー、まだ帰ってないみたいね。すぐに帰ってくるわよ」

「うん!」

 パタパタと階段に向かって走っていく秋透。

 するとその時、思いがけない巨大な揺れが襲った。

 地震のような、しかし突発的な揺れ。

 キッチンに居た母が慌てて秋透に駆け寄り、秋透は怯えたように小さく声を漏らした。

「な……何、今の……」

 しかし母はすぐには応えなかった。

 それでも、何かを悟ったような顔で外を見ている。

 そして無言のまま母は秋透を連れて家を出た。

 訳も分からず、川辺を走った。

 走るのが速く、足が縺れそうになるのを必死に堪えて、秋透は母に手を引かれながら全力で走った。

 だがその足はすぐに止められてしまった。

 秋透の視界を赤く染める、血。

 母の足に、硝子片が突き刺さっていた。

 倒れ行く母に引かれ、秋透も転ぶ。

 膝を擦りむき、血が滲んだ。

 しかし秋透は構わず、踞る母の下へと駆け寄った。

「母さんっ!? 血が……っ」

 どうしたら良いのかも分からず、秋透はただ叫んだ。

「あっ、秋透……っ。逃げて……っ!」

「!?」

 普段はとても穏やかに微笑んでいる母が、酷く剣幕で秋透にそう言った。

「橋を渡った先の、空き家まで行って。中に、鏡がある……からっ。鏡行禁忌軍に…保護して、もらって……っ」

 痛みに顔を歪めながら、母はそう言った。

「きょうこうきんきぐん……? 分からないよ、母さんっ」

「良い、からっ。早く行きなさいっ!」

 母に怒鳴られ秋透は一瞬たじろいだが、次の瞬間には走り出していた。

 涙で視界が歪み、目からは大粒の涙が流れ落ちているが、必死の形相で走った。

 無我夢中で走り続けた。

 そして、大きな衝撃を受けた。

 人にぶつかったのだ。

 大きな男性に。

 男は転び掛ける秋透の腕を掴んで支えると、秋透を強く抱き締めた。

「父…さん……?」

「ああ。遅くなってすまなかった、秋透。怪我してないか……?」

 そう言いながら男は、父は、秋透の全身を見た。

 服は砂に汚れており、ついに膝の擦り傷に目を遣った途端、父は表情を歪め、また言う。

「膝、痛かったか……?」

「こんなの…痛くないよ……」

 その筈だ。

 しかし涙は溢れ続けた。

 堪えきれなくなり、秋透は声を上げて泣いた。

「かっ、母さんが……。足、怪我して……。綾兄ちゃんも、居なくて……っ」

「……そうか。辛かったな、秋透。もう大丈夫だ。今までよく頑張ったな」

 そう言って父は微笑み、秋透の頭を撫でた。

 するとすぐに立ち上がり、無線機に向かって呼び掛けた。

「こちら明峰永次(あけみねえいじ)。息子の保護を頼む」

 言い終えると永次は再度微笑み、

「ここで待っていなさい」

 とだけ言って走っていった。

 秋透が走ってきた道を。

 母の待つ道を。

 

      *   *   *

 

「君が明峰元帥……波木永次元帥の息子さんか?」

 その問い掛けに、秋透は小さく頷い応える。

「元帥、聞こえますか?」

 秋透の前に立つ少年は独りでに話し出す。

 彼の耳にはイヤホンに似た無線機が着いている。

『おー、秀静。早かったな』

「呑気言ってる場合か、アホ元帥が」

『ははは。そうカリカリすんなよ、秀静。禿げるぞ?』

「ブッ殺すぞ、能無し元帥」

『飾り程度には脳みそあるぞ?』

「んな飾り捨てちまえ」

『はははっ』

「……秋透君はここに。綾瀬君は既に基地で保護しました。次の指令を」

 秀静の声音が一変した。

 低く落ち着いた彼の声に、傍に立っている秋透の表情が強張った。

 そんな秋透の様子に気付くと、秀静は軽く苦笑して秋透の頭に手を乗せ、話を続ける。

「……そちらへ向かいましょうか?」

『その子を守りながらか?』

「…………」

 永次のその問いに、秀静は即答出来なかった。

 『そちら』と言う言葉が指したのは、即ち戦地だ。

 秋透に母親が付いていない事から、何らかのトラブルが起きたと考えるのはそう難しくはない。

 そして、この状況でまだ幼い秋透を単独で逃がさせたと言う事は、母親が自身を足手まといだと判断した為だろう。

 つまり母親は負傷している。

 現地には元帥も居るとは言え、負傷者と子供一人を抱えての戦闘は困難を極める。

 全員の安全を優先させるのならば、戦地へ赴くのは最良の選択とは言い難い。

 しかし、秀静には永次の護衛と言う任務がある。

「……元帥、俺は……」

 話し掛けた秀静の言葉は最後まで続かなかった。

 無線機から、爆音と、微かな呻き声が聞こえたから。

「元帥!? 何が……っ」

『秀静! 今すぐそこを離れろ!!』

「……っ!? 了解しました。すぐに……」

 再び爆音が響いた。

 だが無線機からではない。

 秀静と秋透の真横に、大量の土埃が立っている。

 煙にも似たそれは、ひび割れた地面の中心から上がっている。

 中央には人影。

 体格はそれ程大きくはない。

 細身な身体付き。

 人影が煙の中から姿を現す。

 ベージュ色の逆立った髪。

 エメラルド色の瞳。

 容姿はまさに、すぐ傍に怯えた様子で立つ、秋透を成長させたかのような姿。

「こいつのキャスターか……」

 秀静は呟くと、右手の中に一振りの黒刀を《武器化》させた。

 直後、耳障りなノイズと共に、永次の声が届く。

『秀静。俺の愛息子だ。守りきって、アキトも死なせてくれるなよ?』

 危険を極めているこの状況ですら、呑気な口調を改めない永次。

 そんな永次に、秀静は溜め息を漏らし、言った。

「ハァ……。了解しました、元帥」

 言いながら目を伏せ、黒刀を持ち直す。

 次に瞳を見せた時、両眼には明らかな闘志と、極限まで抑えた殺気が浮かんでいた。

『あと三十秒でそっちに着く。俺と入れ替わりで秋透を連れて逃げろ!』

「了解」

 目の前からキャスターが襲い掛かってくる。

 だが対象は秀静ではなく、秋透だ。

 このキャスターは秋透を狙っているのだ。

 狂気に満ちたキャスターの手が秋透に伸びる。

 が、届かない。

 進行方向を秀静の黒刀《夜王》が阻む。

 腕を斬り落とすつもりだったが、キャスターの回避が速かった。

 それでも、キャスターの腕からは血が滴っている。

「チッ。邪魔すんなよ、テメェ」

「あいにくと、これは仕事なんでね」

「鏡行禁忌軍か……」

「おー、そっちじゃ有名か?」

「クソが」

「ガキが」

 キャスターの怒りが秀静に向く。

 そして秀静の視界には、永次の姿が既に映っていた。

 永次が地面を蹴り、音もなく接近する。

 右手には一振りの刀。

 それも刀身が異様に長い。

 永次が刀を振り上げる。

 同時に秀静の中でカウントダウンが始まる。

 ーー三……二……一っ!

 ゼロはない。

 一と同時に永次の刀はキャスターへと振り下ろされる。

 入れ替わるように、秀静は秋透を抱えて地面を蹴った。

 背後から届く地響き。

 爆発音にも似たそれを肌に感じながらも秀静は振り返らなかった。

 しかし、不意に感じた背後からの殺気に、秀静は振り返った。

 真後ろまで接近していた別のキャスター。

 そいつを刀で凪ぎ払い、しかし続いて襲ってきたアキトは、間に合わなかった。

 秋透を抱えて自分がその攻撃を食らおうとすると、

「父さんっ!!」

 と言う秋透の絶叫と共に、自分の背中に何かが当たった。

 生温い液体が頬に掛かり振り向くと、そこにあった光景は最悪のもの。

 アキトに胴体を貫かれた、永次の姿があった。

 視界一面に広がる赤。

 秀静は目を見開き、次いで叫んだ。

「貴様っ!!」

 秋透を片腕に抱え、秀静は抜刀。

 そのままキャスターに斬りかかり、遠くへと吹き飛ばす。

 少し強くやり過ぎたか。

 倒れたままピクリともしない。

「元帥っ!!」

 秋透を抱えたまま、地面に血を吐いて倒れている永次の下へ駆け寄る秀静。

 同時に、医療班への出動要請をする。

「元帥っ。すぐに医療班がきますから! 何故このような無茶を……っ」

「ゲホッ、ゴホッ。ハー……」

 大量の血を吐いていながらも、永次は笑っていた。

 苦痛に顔を歪めて、笑っていた。

「お前に無茶するなとか言われたくないなぁ。さっき自分で受けようとしただろ、馬鹿が」

「任務なんだから当然だろっ。それに、元帥であるあんたが受けてどうすんだよ!?」

「ははっ。最後まで手厳しいな、秀静」

「何が最後だよ。まだ言いたい事の半分も言えてねぇよっ」

「そうか……。そりゃ、怖い…なぁ……」

「元帥っ!!」

 秀静が名前を叫んだ時、既に永次は目を閉じていた。

 秀静の背後で秋透が泣いている。

 秀静の頬も、濡れていた。

 キャスターはもう居なくなっている。

 逃げたのだろう。

 任務は達成した。

 なのに……。

「あんたが死んでどうすんだよっ!!」

 しかし、もう応えは返ってこない。

 数十秒前までは動いていた心臓の音が、微かにも聞こえない。

 足を引き摺りながら遅れてやって来た母親が、永次に駆け寄り、両腕で抱き締めて、泣いていた。

「ホント……、最後まで馬鹿だろ、あんた……。何家族遺して逝ってんだよ……」

 そのすぐ後、秋透への隠蔽処置と同時に、掛けられていた《呪傷》も隠蔽させた。

 基地へ連れて帰る為に背負った永次の身体は、まだ暖かかった。

 今回の任務には、問題が多過ぎた。

 極東軍の総統括者の一人である元帥の死傷。

 関係者とは言え、民間人への隠蔽処置。

 その上《呪傷》を受けさせてしまった。

 《呪傷》へ対抗術である《隠蔽術》は、いずれ効力を失う。

 そうなればあの少年は、秋透は、軍に来ざるを得なくなってしまう。

 まら、その時に耐え難い衝撃を受けるのは、軍ではなく当事者である波木家だ。

 入軍。

 それはつまり、人間としての普通の生活を捨てる行為だ。

 そんな人生を、幼い少年に課せてしまった。

 十年後に再開した時、秀静は秋透だと一目で分かった。

 亡き英雄。

 極東軍での歴代最強とうたわれた、明峰元帥の息子。

 お互い養子で、血の繋がりは全くなかったが、同じ名字を持っていた上司。

 悠は『秀静は秋透君贔屓だよね~』と言っていた事があるが、その通りだ。

 その理由が、過去の出来事。

 それを知っているのは、秀静本人だけだが……。

 過去の事件を最も悔いているのが秀静だと秋透が知るのは、もう少し先の話だ。




〈第八章〉終結しました!
毎章言っていますが、いかがでしたか?
最近章の更新が早い気がしているのは私だけでしょうか……。
何はともあれ、無事に書き上げました!
ずっと書きたかった秋透の過去編を書けて、私は今とても晴れやかな気分です。
今後もじゃんじゃん書いていくので、是非読んでください!
ありがとうございました!!
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