初日に泥ゴブリン一匹を倒した俺たちはその後、順調に討伐を続けていって…。とはいかなかった。現実はそう甘くない。初日に一匹で行動しているゴブリンに出くわしたのは相当運がよかったのだろう。それ以後、一日、二日、いや、一週間ほど経過したのだが単独行動のゴブリンには出くわさなかった。だから俺たちは二匹のゴブリンと出くわしたら戦った。全く歯がたたない訳じゃなかった。むしろ善戦さえした。けど、あと一歩。最後の最後で逃げられる。もちろん苦戦するときだってあるし、どっちかというとそっちの方が多いのかもしれない。三匹の集団に襲われたときは正直死ぬかと思ったほどだ。
「…はぁー」
グダグダと重ねたが、理由は明白。とどめがさせないのだ。俺は相変わらず命を絶つ寸前で体が動かなくなる。何度やっても慣れることはない。ゴブリンの、相手の心の内から溢れ出す醜い感情を感じると何もできなくなる。そして毎回のように考える。俺にはこいつを殺してまで生きる程の価値があるのか…?不毛でくだらない考えだということも理解しているし、それが優しさではなく甘さだという自覚もある。それでも俺は…俺には…。
「どうかしたの?元気ないね」
一八〇センチオーバーの大男、モグゾーが心配そうに話しかけて来る。世間一般に一八〇センチオーバーで大男というのかは置いといて、少なくとも一五〇センチ代の俺にはそう見える。
「…そりゃ、元気ないよ」
今は午前中の狩りを終え、宿舎にいる。午前中の狩りと言っても稼ぎは…以下略だ。
モグゾーは俺の一言で察したのか俯いてしまった。
「きゅい」
俺の心を知ってかどうかは分からないが、ミールが近づいてきた。少し迷ったようなそぶりを見せた後、俺の足に体を擦りつけ始めた。ここ最近知ったことなのだがこの行為は気を許した相手にしかしないらしい。初対面でされたのでそういう風には感じなかったが…。いや、だからこその適性なのか。
「はは、ミールは可愛いね」
「って、ユメかよ」
どこまでも呑気なミールに自然と笑みがこぼれる。動物の癒し効果というやつだろうか。かなりこいつには助けられた。癒しだけでなく、戦闘でも。
「…アクス師匠の言った通りだ。頭上がんねえよ、お前には」
余談だがミールはモグゾーにかなり懐いている。理由は簡単。モグゾーが食事当番だからだ。いや、当番だから交代制なのだが、なんだかんだモグゾーが引き受けてくれている。まあ、実際美味いし。モグゾーにも頭は上げられそうにない。
「ちょっと出かけて来る」
「え?どこに?」
「散歩だよ、散歩」
立ち上がってミールに行くぞと声をかける。すると、トテトテと音でも鳴りそうな歩き方で俺の後ろについてくる。モグゾーに晩飯までには戻る、と一言かけ、歩き出した。
しばらく何でもない街並みを歩く。数週間前は異世界のように感じていたこの街並みも今では何でもない景色だ。人間、案外どんな環境でも生きていけるのかもしれない。慣れと言うのは恐ろしい。
「きゅいきゅい」
ミールが俺の靴を鼻で数回突く。
「なんだ?」
「きゅーいきゅい」
どうかしたのか、と思い振り返るとそこには串肉の屋台があった。確かにいいにおいがするし、気持ちはわかる。だが、稼ぎがない今、贅沢してはいけない。そう結論付けると、心を鬼にして俺はその場を立ち去った。
「きゅ、きゅーい」
なんだか悲痛な叫びが聞こえるが、我慢だ、我慢。子供にねだられる親の気持ちが少しわかった気がした。
「………っ」
石造りの橋を渡ろうとしたとき、ふと、足が止まった。眼前に広がる美しい夕焼けと街並みに目を奪われて。今まで何度も通ったことのある道。俺は今までこんな景色にも気がつかなかったのか。そう思うとなんだかちょっと緊張が和らいだ気がした。そして同時に思う。俺も生きているんだ、と。
「ミール、帰るか」
がらにもなく感傷にしたってしまった自分を恥ずかしく思い、誰に隠すわけでもなく顔を背けた。
「…早く帰らないと」
言葉は続かなかった。なぜならミールがどこにもいないのだ。まさか串肉屋に!?という最悪の考えも過ったが、すぐにミールの鳴き声が聞こえた。
「…橋の下か?」
何があってどう落ちたのかは分からないが、とりあえず流されてないのなら大丈夫か。流れも急じゃないし。なんて呑気なことを考えながら橋の下をのぞき込む。
「…あれ?…君は?」
そこには酒場で会った女性がいた。川、というより用水路と言った方が近いかもしれない。とにかくその両端に意外と広いスペースの土手があって、そこに女性がミールを抱きかかえていた。
「なに?」
「え、あ、ええっと…」
位置的に仕方ないのだが彼女が俺を見上げているので必然的に上目使いになって…目が冷めている事を差し引いてもグッとくるものがあった。
「…じろじろ見ないでくれる」
一瞬期待したが、やはり彼女は俺のことなど覚えていなかった。当然と言えば当然なのだが、ショックなものはショックだ。
「えっと、その子…」
「…」
彼女は俺から守るようにミールを抱き寄せた。きゅいきゅい、と苦しそうな声を上げるミール。
「ミールって言うんだ」
「…飼ってるの?」
「えっ?」
初めて彼女から興味を持たれた気がする。実際に興味を持ったのはミールに対してなのだがそんなことはどうでもいい。
「そ、そうなんだ」
「珍しいのね、グリムガルでペットを飼っているなんて」
正確にはペットではないのだが、まあ、説明するのも面倒だし、それでいいか。
彼女はミールを地面に置くと、ミールはそのまま俺の足元まで駆け寄って来た。
「懐いているのね、とっても」
「え、そうかな?」
羨ましい、呟いた彼女の声はイサリには届かない。彼女はそれだけ言うとその場から立ち去ろうとした。
「待った!」
「…」
黙って顔だけ振り返る。その顔は冷たく、いつも通りだった。とにかく目が怖かった。
「俺、イサリ。君は?」
俺の持てる最大限の勇気を振り絞って問う。
「…別に」
「え?」
「別に名乗って欲しくないし、名乗りたくもない」
冷たく言い放つとすぐに顔を戻し、歩き出す。俺は茫然と後姿を眺めることしかできなかった。そして同時にムカついたのは仕方ないと思う。