あれは確か最前線が13層で、私がまだ、朝起きて夜寝る生活を送っていた頃、いつもの様にレべリングをしていた時にそれは起こった。
沈みそうになっている太陽を見た私はレべリングをやめて街に帰る事にした。
この辺りは夜になると強力なモンスターが出現する場所として有名で、既にそれを知らなかったプレイヤー数名が死亡したとアルゴから聞いた事がある。
アルゴ曰く、私が頑張れば勝てない敵では無いらしいが、絶対に安全と言い切れない以上挑むのは危険だ。ただの興味で死ぬなんてバカな真似はしたくない。
だから、完全に日が暮れる前に帰ろうと足を進めていると、後方から声が聞こえた。
疳高く、耳に突き刺さる様な奇声。平常時では誰もあげない様な声……悲鳴は、誰かの助けを求めている様に聞こえた。
「この時間帯から、強敵が出現するなんて聞いてないよ」
流石に無視する訳にもいかず、慌てて声の方へと駆けて行く。
スキルの索敵を発動すると、何かがいる事を現す点が2つ、それも半分重なっている感じで表記されていた。
それが表している事は……
「戦闘はもう始まっている」
私は腰に付けている投擲アイテムを右手に取ると、更に足を速めた。
アルゴからの情報によると、そのモンスターは鎧を着た人型のパワー系モンスターらしく、弱点は体全体。しかし、着ている鎧が全身をくまなく覆い隠しているので、弱点に対しての攻撃は難しいらしい。ダメージを与えていくと鎧が壊れていく仕組みだと聞いてはいるが、初撃を弱点に叩き込みたい私にとっては相性が悪いとしか言いようがない。
しかし、私の速さを持ってすれば攻撃を避ける事ぐらいは口笛を吹きながらだって出来る。倒すのは面倒でも、逃げるのは簡単な筈だから、私がするべきは時間稼ぎ。ヘイトを稼ぎ、常にタゲを取っていたら特に苦もなくプレイヤーの方は戦線離脱出来るだろう。
そう思っていた時、目の前に二つの影が見えてきた。
まず目に入ったのは女性のプレイヤー。この人がさっきの悲鳴をあげたのだろう。酷く怯えている顔には、涙の跡がある。
視界を横にずらし、もう一つの影を主を見る。
「え?」
素っ頓狂な声が漏れた。
目に映ったのは口を三日月の様に湾曲させ、怯えている女性プレイヤーを下卑た視線で鑑賞している一人の男だった。手に持っている短剣を指先で器用に遊び、頭の上にはオレンジ色のカーソルと、一ミリだって削れていないHPバー。時々聞こえる笑い声は心の底から嫌悪を覚えた。常人ではない。明らかにレッド(犯罪者)だ。
男性プレイヤーは、その手に持った短剣で、少しづつ女性のHPを削っていく。そこに殺意なんてものはなく、ただ楽しんでいるだけの様子に、私は恐怖した。
女性の顔が酷くなるに連れ、男性の顔は歪んでいく。
その光景を前にして私が出来たのは、竦む足をそのままに、ただ立ち尽くす事だけだった。
やがて、女性のHPが残り僅かになったところで、男性は短剣を持ったその手を大きく振り上げて……
「it's showtime‼︎」
……振り下ろした。
それは今までとは違い、反応を楽しむだけの攻撃では無い。女性の命を刈り取る為の攻撃だ。
「ッ⁉︎」
視界が霞んだ。
それが目眩からなるものでは無く、自分が高速で動いたからと気が付く頃には既に一つの首が空を舞っていた。
鮮やかな弧を描いて落ちたその首は、先ほどまで下卑た笑いをしていた男の首。
首を無くした男の体はだらし無く倒れ、女性の体にのしかかる。
「キャ⁉︎」
女性が驚きの声を上げる。その声に反応したかのように、首の無いオレンジプレイヤーの体はポリゴンとなって霧散した。
ポリゴンとなった拍子に、女性が尻もちを付く。
きっと、死の恐怖から解放された反動なのだろう。女性は動けないでいた。
私は彼女に側に寄った。
「あの、大丈夫ですか?」
そう言って手を差し伸べる。
しかし、私が望んでいた反応とは裏腹に女性は退きながら悲鳴を上げた。
「いや‼︎来ないで‼︎」
明らかな拒絶行為。どうして彼女は私の手を受け取らないのだろう。その事を不思議に感じた。
でも、その答えは直ぐに分かった。いや、分かってしまった。
「ひ、人殺し……‼︎」
女性は絞り出すような声でそう言った。
そう言われて私は初めて気が付いた事実。
そっか、私……
……人を殺したんだ
どうして彼女が未だ震えているのか。
どうして私の手を受け取らなかったのか。
その全ての理由が其処にあったのだと理解する頃には、私は後方に向かって走っていた。
私が走った後には、静かに地面を濡らした涙の跡のみが残った。