始まり
2022年11月6日午後1時、SAO正式サービス開始と同時にミナトの意識は覚醒した。パニックになることはない。事前にある程度の情報は綾時から聴いている。この世界について、今の現状についても。
しかし、よくできていると思う。ここは科学の力が生み出した仮想空間と聴いているが、まるで現実と大差ない。まぁ、今のミナトにとってはここが現実なのだが。
体の調子も問題ない、自身の中に眠るいくつもの力を感じる。どうやら、少し寝ていた間に科学は素晴らしい進化を遂げていたようだ。
――どう、久しぶりの動かせる体は――
「うん、問題ない」
どうやら綾時は姿こそ出現できないが、意識上での会話程度なら可能なようだ。
――さて、これからどうするの?――
「……お腹空いた」
――……うん、君が何も変わってなくて安心したよ――
しょうがない、ミナトにとって空腹は死活問題だ。かのグルメキングも同じことを言うだろう。ミナトに食の素晴らしさを教えてくれたあの師匠なら。
こうやって、また仮想とは言え肉体を得ても恐らく会う機会は無いと思うと一抹の寂しさを感じる。まぁ、叶わぬ夢を思うよりは今はこの空腹を満たす方が先決だ。何と言っても死活問題なのである。
今の所持金は初期のまま、1000コルだ。普通なら、回復薬等のアイテムに使用するのだろう。ミナトも嘗てプレイしたゲームではそのように教えられた。
懐かしいな、まだY子は日々ネトゲに励んでいるのだろうか。
さておき、このルールは飽く迄ゲームの世界の話だ。今のミナトにとってはここは現実なのである。昔偉い人が言っていた。「腹が減っては戦はできぬ」
まさにその通りである。
「……飲食店、どこ?」
この世界、今の現状については教えられているが、この世界のゲームシステムまでは教えられていない。この世界に転生のような形でログインしたミナトに説明書を読む機会などあるわけがない。当然、VRゲームの知識もない。
あれ?詰んだ?
「だが、しかし」
あの1年で全コミュMaxを達成したミナトはもう昔のコミュ障ではない。
「ねぇ、この世界についてちょっとレクチャーしてくれない?(魅力Maxカリスマ)」
ミナトが声をかけたのは、ファンタジーアニメの主人公然とした容貌のイケメンだった。人選に深い理由はなく、たまたま近くにいたからだ。
「あ、あぁ」
その人物はいきなりの申し出に戸惑いながらも、一応了承の返事を返してきた。突然の申し出、更には見ず知らずの他人にレクチャーをしてくれる辺り、この人物のお人好し具合が分かる。
「僕はミナト、よろしく」
取り敢えず自己紹介は済ませておく。コミュ力が高くなったとは言え、それは元々かなりマイナスだった物が多少ましになった程度のものである。まだ他人といきなり自然な会話ができるレベルでは到底ない。ミナトは基本口下手である。
「……俺は、キリト」
先程までの少しオドオドした態度を一変させ、引き締めた表情で自己紹介をするイケメン改め、キリト。最初の印象から、ミナトの同族かと思われたが、実際はそんな事はないのかもしれない。それとも、口下手と言うよりは、人見知りに入る人物なのかもしれない。
「なぁその話、俺も混ぜてくれないか?」
「あ、僕も僕もー!」
そんな人間観察地味た事を考えていると、男の声とそれに続くようにして、高く良く透る少女の声がした。
声をかけてきたのは、赤髪の戦国時代の若武者のように凛々しく整った顔の男と、長く伸ばされた濡れ羽色とも言うべき艶やかなパープルブラックのストレートの髪。顔は小造りで、くりくりとした大きなアメジストを思わせる輝きを放ち、快活さを想像させる瞳の少女だった。
どうやら、この2人もミナトと同じ考えらしい。しかし、ミナト同様この世界についての知識が殆ど無いという訳ではないだろう。恐らく、2人が教わりたいのは戦闘についてだろう。
「俺はクライン!よろしくな」
「僕はユウキ、よろしくね!」
2人は勝手に自己紹介を済ませ、レクチャーを受ける気満々と言った様子だった。ミナトがキリトに教わりたい事と、2人が主に教わりたい事は恐らく違っているとは言え、そんな事を知る由もないキリトは半ば強引に3人のレクチャーをすることになった。
「よっしゃー、そうと決まれば早速フィールドに出て戦闘だ!」
「ご飯が先」
ゲーム開始早々フィールドなど出るわけがない、そもそもこの世界について知らないミナトが戦闘など論外だ。ゲームというものは情報を集めることが肝心なのではないのか。効率のいい狩場、モンスター情報、戦闘のコツ、武器の特性、スキル等のこのゲーム特有の仕様。それらを知っているか否かは大きな違いになる。
だと言うのに、ミナトにとっては何故自分が「何言っちゃてんのコイツ」といった目で見られなければいけないのか、疑問であった。
「僕達はまだ、この世界についてほとんど知らない。それを今から食事がてら色々知っていそうなキリトに教わる。その後、戦闘に挑む。まずはこの世界のシステムを頭で理解することが先決」
「なるほど、それなら僕も賛成かな。僕もこのゲームの事はあんまり知らないんだよね」
「確かに、それも一理ある。のか?」
半ば無理矢理に納得させ、キリトのおすすめと言うNPCレストランに入ることになった。奥のテーブルを4人で陣取る。木造で落ち着いた雰囲気の店内は初ログインで浮き足立ったプレイヤーの心を鎮ませてくれる。ミナト以外の3人も店内に入って少しすると、興奮も収まったのか、落ち着いた雰囲気をまとっていた。しかし、その落ち着きも直ぐに崩れることになった。
「お、おい。オメェ見かけによらずメッチャ食うのな」
ミナト以外の3人は眼前に広がる光景に唖然としていた。第1層のはじまりの街という事でこの店の価格は素晴らしくリーズナブルであり、今の所持金の1000コルでもかなりの量を注文することができた。
その結果がミナトの前に積み上げられていく大量の皿である。生前グルメキングと共に過ごした経験を持つミナトにとっては普通の量だったが、キリト達3人にとっては異常な光景であった。
高速で積み上げられていく皿は既に20枚を越えようとしているが、以前ミナトのペースは落ちる気配を見せない。そんな光景に「……ブラックホール」と思わず呟いたクラインに罪はないだろう。
「おにーさん、すごいね。僕はもうお腹いっぱいだよ」
「あぁ、俺もだ」
そんなユウキとキリトの前には完食された皿が1枚ずつ。平均的な量である。完食した2人をよそにミナトは手を、口を動かし続けた。
クラインはと言うと、初めのうちはミナトに張り合おうと挑んでいたが、クラインが1皿完食した時点で既にミナトが5皿完食していたのを見て早々に諦め、今はデザートとして団子を頬張ていた。若武者風の容姿のクラインには団子を頬張るその光景はひどく似合っていた。
その後しばらくはミナトはその手を休めることなく、ありえない速度で食べ続けた。その量はと言うと、現実ならば店側からもうやめてくれと泣きつかれる程度には食べたとだけ言っておこう。そして、この世界では恐らく品切れは起こらないと証明された瞬間だった。
「よ、よし。食べ終わったし、そろそろこの世界の説明をするよ」
満足行く量の食事を取ることができご満悦な様子のミナトを確認すると、キリトがいよいよ本題を切り出した。
「よ!待ってましたー」
それに対してはやし立てるクライン。よほど楽しみだったのか、一度は落ち着いた興奮が再熱していた。ユウキはクラインほどではないにせよ、これからの話に心躍らせている事が伺える。
「それじゃあ、何処から教えるか。何か聞きたいこととかある?」
「そりゃ、やっぱり戦い方だろ!ソードスキルのコツとかさ」
「そうだね、僕もそのへんは知りたいな」
「分かった。えっと、ミナトは知りたい事とかないのか?」
「どうでもいい」
何も言わなかったミナトに気を使ったのかキリトが訪ねてくる。ミナトは久しぶり過ぎた食事の余韻に浸っていた所を現実に呼び戻される。やはり、食事は偉大であった。
そんなミナトの事情を知らない3人は訝しげな表情になる。キリトも思わず気の抜けた声を漏らした。
「は?」
「おいおい、そりゃねぇだろ、ミナトよぉ。オメェが初めにキリトにレクチャー頼んだんじゃねぇか、何か聞きたいことがあったんじゃねぇのか?」
あ、余韻に浸りすぎて全てがどうでも良くなっていた。危ない危ない、このまま封印の扉まで意識がトリップするところだった。
「なら、全部」
「え?」
「?全部」
聞き返してきたキリトに対して同じことを繰り返す。
「ぜ、全部って、具体的に何についての全部?」
キリトが恐る恐ると言った風に訪ねてくる。
何についての全部って、最早日本語がおかしい気がするが。
「全部は全部。この世界について、システムについて」
「おにーさん、説明書とか読んでないの?そこにシステムのことなら結構詳しく書いてあったよ」
「読んでない」
正確には読めなかったと言うのが正しいが、その辺を伝える必要はないだろう。
しばし3人が唖然としたあと、いち早く復活したキリトが説明を始める。親切にもメニューの呼び出し方法など、1から全て教えてくれた。
その中には説明書に書いていなかったような情報も含まれており、クラインとユウキにとっても有益な物であった。特に、INNの表示があるもの以外にも宿がある事を知れたのは大きい。多少値は張るが、快適な生活を送れるらしい。
クラインとユウキの要望でもあったソードスキルのコツについても教わったが、これについては後で実際に戦闘経験を積んで学ぶ事も必要なようだ。言葉だけの説明では限界がある。
その他にも、序盤の冒険の動き方なども教わった。
一通りキリトのSAO講座が終わったところで疑問について尋ねることにする。
「ねぇ、ログアウトボタン無いけどこれはそういう仕様?」
「ボタンがないって、そんなわけ……」
キリトはそれ以上言葉を続けることは無かった。どうやら、自分でも確認したようだ。
「あ、ホントだー、本当にログアウトボタン無いや」
「うお、マジじゃねぇか。俺ってば、5時半にピザの宅配頼んであるからそろそろログアウトしねぇといけねぇのに」
ユウキとクラインも確認したようだ。4人全員が無いと言う事はこのゲーム全体のバグなのだろう。一瞬、正規のログインじゃないミナトだけの仕様なのかとも考えたが、どうやらそうでは無かったようだ。
しかし、ログアウトボタンが無い。これは今後の運営に関わる大問題なのではないのだろうか。それなのに、現在運営からのアナウンス等は全くない。
この現状にミナトは異常性を感じ始めていた。
「取り敢えずGMコールしてみるか」
こんな状況でもキリトはゲーマー故か、冷静に対処しようとしていた。それに対して、焦りを見せたのはクラインだった。メニューを開き、時間を確認すると一人叫び出した。
「ああっ、もう5時25分じゃねぇか!俺のピザがー」
……確かにピザを食い逃すのは大問題だ。クラインの焦りは痛いほど分かる。
「いや、ピザってそんなに大袈裟に悲観するものでも無いと思うけど」
隣に座っていたユウキが少し呆れたように、それでも何処か楽しそうに、大きな瞳でミナトを見上げていた。どうやら、少し声に出ていたらしい。
ユウキもこんな状況に陥りながらも落ち着いていた。それは、この現状を正しく理解していない故の物なのか、それとも理解した上での物なのかは分からない。もし、後者であるならば、相当の大物か、キリトと同じ人種と言う事だろう。
「他にログアウトする方法は?」
「ええっと、ログアウトするには……」
キリトはつぶやきながら途中で何かを考え込むように黙り込む。
「いや、ない。俺たちプレイヤーが自発的にログアウトするには、メニューを操作する以外の方法はない」
「んなバカな、ぜってぇ何かあるって!」
キリトの回答を拒否するかのように、クラインは喚き、戻れ!ログアウト!脱出!!と叫びだした。しかし、当然何も起こらない。先程からのキリトのGMへの呼びかけも応答がないらしい。そこまで来ると、流石にユウキも少し焦りを見せた。
「ね、ねぇ、このままだと僕たちどうなるの?ログアウト出来ないんじゃ、現実世界に帰れないよ?」
ユウキの声は僅かに不安気に震えているように聞こえた。先程までの快活な様子もなりを潜め、俯き加減に頭をたれている。このバグはとても些細な問題だ、と受け流せるようなものではない。プレイヤーの自発ログアウト手段がボタン操作しかなく、それが不可能な現状、ユウキの言う通りプレイヤーは現実世界に帰る手段を実質的に失ったと言える。
「閉じ込められた?この世界に」
閉じ込められた。その言葉が自然と口をついた。その表現が正しいかなんて現時点では判断できない。それどころか、これはただのバグであり、不具合の可能性の方が高いはずだ。しかし、その表現はキリトの中では妙に的を射るものだった。
「……おかしい」
「そりゃ、そうだろバグなんだもんよ」
「いや、ただのバグじゃない、《ログアウト不能》なんて今後のゲーム運営にもかかわる大問題だよ。実際こうしてクラインにも金銭的被害が出てるわけだし。この状況なら、運営サイドは何はともあれ1度サーバーを停止させて、プレイヤーを全員強制ログアウトさせるのが当然の措置だ。なのに、切断されるどころか、未だに運営のアナウンスすらない」
黙り込む4人。
不安、焦燥、疑念。それぞれがこの状況に対して三様の反応を見せていた。
「まぁ、このままって事はありえないと思う。《どちらにしろね》」
「え?」
直後。
世界はその有りようを、永久に変えた。