麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第7話―――影差せど、平穏なる日々

 

 京都より帰った翌日。

 イリヤは、近右衛門に記憶を取り戻した事と今後の事を相談する為、早朝から学園長室へ赴いていた。

 本当ならば昨日の内に済ませる積もりだったのだが、

 

「うむ…。取り敢えず記憶が戻ったことに関しては何よりじゃ。本国を初めとした関係各所への報告は、此方(わしら)で何とかしておくから安心して欲しい」

 「ええ……迷惑をかけるわ。―――というか大丈夫なの?」

 

 彼女は情報工作を掛ける手間に謝意を示しつつも、近右衛門の体調を心配する。

 というのも、この学園長室に布団一式が敷かれており、イリヤの目の前で彼が寝込んでいるからだ。

 その理由は言うまでもないが、24日の晩から26日の昼近くまで…凡そ三十数時間に亘ってエヴァの呪いを誤魔化す為に、“エヴァンジェリンの京都行きは学業の一環である”という書類に判子を押し続けていたからだ。

 そしてエヴァが学園に戻るなり近右衛門は帰宅する事も無く、そのままこの部屋で寝込んでしまい。イリヤの話は元より、ネギの報告を受ける事も、部下たちへの事件に関わる説明を果たすことも出来なかった。

 その間の―――判子を押し続けた時間も含め―――関東の関係者及び各方面には明石教授が対処・指揮を執っており、事後処理もある程度一任していた。

 

「木乃香が無事だったんじゃ…これぐらいは―――ぐうっ、アタタ!」

「大丈夫じゃないみたいね」

 

 強がって起き上がろうとする近右衛門に吐息するイリヤ。

 

「まあ…強がれるだけの元気があるなら、余り心配は必要ないわね」

 

 イリヤはそう苦笑するが見ても居られなくなったのか、治癒の魔術を近右衛門に掛ける。

 途端―――

 

「―――ぬ?」

 

 彼は痛みの酷い右腕と腰に柔らかい暖かさを覚え、同時に引いて行く痛みに驚きを見せた。

 ホムンクルスの鋳造や調整など、万物の流転をテーマ・研究する錬金術としては金属の扱い以外にも、生物の治癒―――細胞や体組織の代謝制御も比較的得意分野に入り、多少の怪我なら簡単に修復できる。

 

「…助かるイリヤ君」

「いいわよ。色々と世話になっている上に今後も迷惑をかけるだろうから…」

「ふむ」

 

 今度こそ寝床から起き上がり、近右衛門は腕を組んで考え込む。

 並行世界に、魔術と魔法、聖杯と聖杯戦争……等々、信じ難くとも本国に聞かせられない話の中。特に確実に証左が在るのが、イリヤの有する魔力量と過去に存在した英雄の力が行使可能なクラスカード。

 今、目の前で知覚したイリヤの魔術―――秘めた魔力に近右衛門は、長年魔法に関わり培った経験と直感から底が見えない程の奔流を感じた。それはナギやネギは愚か、極東最大の魔力を持つとされる孫の木乃香をも優に凌駕していた。

 

(…この感覚を信ずるならば、彼女の魔力はヒトが保有できる容量(キャパ)を超えておる事になる。おそらくは古今東西…世界中を探してもイリヤ君を上回る魔力を持つ人間は見つからんじゃろう。……いや、或いは神代の頃まで遡れば居るかも知れんが…まあ、考えるだけ無駄じゃな)

 

 下手をすれば、これだけでも本国側から召喚を受ける理由に為りかねない。オマケに彼女の話では、イリヤの母の姿をした呪詛とやらが狙って来るともある。

 

(確かに厄介ごとじゃ)

 

 麻帆良にしてみれば、災いを招く存在でしかないように思える。あくまでも事象を表層的に捉えれば…であるが。

 そう、近右衛門には彼女を放逐する積もりは微塵も無い。

 孫の木乃香を始め、ネギと明日菜など生徒らの危機を救ってくれた恩もあり、自身の信条に反するのは勿論、迂闊に放逐する方が却って危険が大きいからだ。

 もし何もかもを無かった事、見なかった事にして放り出した結果。MM元老院…もしくは協会規模の組織にイリヤの存在と秘密が知られれば、何らかの争いが発生する可能性は高く。下手をすれば、本当にこの世界で聖杯戦争か、それに近い出来事が引き起こされかねない。

 また、木乃香の例を出すまでもなく。イリヤの有する魔力だけでも十分な利用価値があるだろう。ならばこのまま麻帆良で彼女を匿う方が理にかなう。

 それに―――

 

(婿殿の話―――いや、報告によれば、石化の魔法を使った白髪の少年は“アーウェルンクス”と名乗っていた。それが事実であり、“彼奴ら”にイリヤ君の言う“呪詛”が協力しているのであれば……)

 

 近右衛門はイリヤがこの麻帆良に出現した事象に偶然ではない。運命(Fete)めいたものを感じていた。

 

(だとすれば、ナギの子であるネギ君に。アスナ君……いや、“アスナ姫”を守るには―――それに“アレ”に彼奴らを近付かせぬ為にもイリヤ君の力はどうしても必要になる)

 

 黒化した英霊を使役する存在。イリヤの推測では最悪あと6騎…少なくとも4騎の英霊がいるらしいとの事。

 それらが“あの組織”に手を貸しているとするなら、タカミチと自分、それに封印されたエヴァンジェリンに地下に居る“彼”だけでは心許無い。

 黒き英霊らが、イリヤが西の本山で示した力と同等―――世界最強クラスの戦闘力を有しているとなれば、他の人員では麻帆良に屍の山を築く事に成りかねない。本国などは兎も角……関東魔法協会の戦力が、決して他の協会や組織に劣る訳ではないのだが……。

 

(分が悪いのう……できれば、婿殿とワシの勘が外れておれば良いのだが)

 

 脳裏の浮かんだ暗雲を杞憂である事を彼は願った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「エヴァさんに弟子入り…ねぇ」

「はい」

「…まだ弟子にするとは決まってないがな。私の強さに感動したんだそうだ。全盛期の私を見れば、当然の反応だが…まあ、ぼーやのその素直さに免じてテストをしてやる事にした」

 

 近右衛門との話を終えてエヴァ邸に帰宅し、ちょっとしたティータイムを取ると。自然とイリヤが留守にしていた時分、ネギと明日菜がこの家を訪問した時のことが話題となった。

 

「入門テストってことね。どうするの?」

 

 原作のこの時点ではまだ決まっていない筈だが、イリヤは一応訊ねてみる。もし考えてあるなら、どのような物なのかという興味もあった。

 しかしエヴァは首を横に振り、

 

「まだ決めていない…土曜まで間があるからな。それまでにじっくりと考える積りだ。何しろぼーやは基本がまるでなってないからな」

「基本? 戦い方の?」

 

 確かに魔法学校を出たばかりの見習い魔法使いに、本格的な戦闘技能を求めるのは無理があるだろう。

 ネギ自身は、『雷の暴風』や『白い雷』などの攻撃魔法を始め、戦闘を視野に入れて魔法学校では本来教えられない。中位・上位魔法を独学で幾つか身に付けているようではあるが……それだけでは素人の域を出ないだろう。

 しかし天才と呼ばれ、優秀な成績を修めて首席で卒業しており、その分、魔法運用その物に関しての基礎・基本は確りしている筈である…と。イリヤはそう思っていたのだが、またもやエヴァは首を横に振った。

 

「いや、魔法と魔力の使い方もだ。ぼーやの戦いを見る限り、なまじ才能に恵まれたが故の弊害とも言えるのかも知れんが、持ち前の強大な魔力に頼り過ぎている。私と()り合った時もそうだが、先の一件でもな。……あれでは効率もへったくれもない。ただのゴリ押しだ」

「厳しいわね。…にしても魔法学校を首席で出たって聞いてたのに意外な話ね」

 

 そう答えながらもイリヤも思う所が無い訳ではない。直接見た訳ではないので確実とは言えないが。原作を思い返す限り、あの晩の戦いでは明日菜への魔力供給を継続し、足止めの小太郎に対して自身へも供給を行い消費したとはいえ、ネギの行使した魔法は両手で数える程度だ。

 それでも『雷の暴風』の二発と『風花旋風・風障壁』の一回とBランク(上位)相当の魔法を使用しており、まだ見習いの身である事を考慮すれば、十分に大した者なのだがエヴァは不満らしい。

 

「並行世界の人間であるお前に判らんのも無理はないが、幼年期に通う魔法学校など所詮万人向けの参考書程度のものだ。あのぼーやが教師をやっているごく普通の学校が、ガキ共に一般社会の常識を叩き込むのと同様にな。魔法社会で生きる上で必要な最低限の事しか教えん」

 

 エヴァはイリヤに説明くさく話をする。

 

「それに一流アスリートに専任のコーチが必要なように、個人の資質に左右されがちな魔法にも同じような事が言える。だからある意味、魔法学校の成績よりも、ぼーやが今経験している修行期間の方が余程重要なのさ。此処で良い師に付くか、もしくは自身の才覚のみで如何に効率的・効果的に自己を鍛えられるか……が“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す、見習い魔法使いどもの将来を決めるといって良い」

 

 ぼーやの父親が良い例だな。アイツは中退の馬鹿だったが…とも続ける。

 そう、何処と無く真面目に、そして饒舌に話すエヴァであったが、

 

「と…まあ、色々と弟子入りに乗り気で無いと仰っているマスターですが、ネギ先生の事をこのように心配し、懸命に考えてくれているのです」

「ケケケ、要スルニ照レ隠シッテコトダナ」

「違うわ!! このボケ従者ども!!」

 

 何時ものように茶々丸が本気か、からかっているのか判断の付かない言い様をし、チャチャゼロがそれに悪乗りする。エヴァは直ぐに突っ込みを入れるが、イリヤは茶々丸の言う事がそう的が外れていないので、そのやり取りに笑みが零す。

 しかし、それをエヴァは目敏く見止める。

 

「あ、イリヤ。お前まで何を笑っている!」

「え、あ! いえ…そうだ! 茶々丸、そろそろ店が開く頃だし、買い物に出ない?」

 

 矛先を向けられた事に若干焦るもイリヤは、誤魔化すように茶々丸に視線を転じ話を振る。

 

「…そうですね。まだお昼前ですが、今日はお休みな訳ですし、偶にはそれも良いかも知れません」

「コラッ! 待て! まだ…」

「じゃあ、決まりね。エヴァさんは花粉症だし、ネギの事で考えなくてはいけない事あるようだし、2人で行きましょ」

「なっ! く…イリヤ、お前もか…!?」

 

 普段のイリヤらしからぬ言い様に一瞬驚愕するエヴァであるが、直ぐに不遜な居候へ掴み掛からんとテーブルの向かいへ身を乗り出す。

 しかしイリヤはサッとその場から離れ、エヴァの手は宙を空振り、イリヤはリビングからそのまま外に出る。

 茶々丸もさり気無くも素早くそれに続く。

 

「それでは、行って参ります。マスター」

「ちょっ!? お前らぁ、逃げるなーー!!」

 

 花粉症の為、追おうにも家から出られず、ガーと吼えるエヴァの声を外で聞いてイリヤはクスリと笑う。

 実はちょっとワザとだったりする。何時も横暴な家主に対する軽い反撃と、場に乗じての悪乗りだった。

 

「まあ、後が少し恐いけど、たまには…ね」

 

 そうして、イリヤはほぼ日課となっている茶々丸との買い物に出掛け。途中で苦手だった筈の猫の世話をし。エヴァを宥めつつ昼食に掛かり、その後はまったりとした午後をこの世界で出来た家族と過ごして、夕食の仕度と風呂の準備をして、それを頂き、就寝に入った。

 

 この日はそんな有り触れた一日であった。

 

 イリヤは願う。

 運命に挑む覚悟を抱き、歯車が廻り始めたとはいえ、もうしばらくはこんな優しい平和な日常が続くことを―――さらに願うならば、全てが終えた時、無事に平穏が訪れる事を……ただ祈った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはいつものようにエヴァと茶々丸と一緒に女子中等部を訪れ、近右衛門の指導の下で日課となっている魔法学に励み(尤もこの日は、先の事件の事後処理や情報工作の為に、近右衛門は時間を取られ、またいつもの如くイリヤは自習・独学となったが)。

 放課後、朝の通学と同様にエヴァらと帰宅しようと彼女達を校門で待っていた所、明日菜と木乃香の親友コンビと、その中に加わったばかりの刹那と出くわした。

 

「あら、こんにちは。3人とも今帰り?」

 

 挨拶し問い掛けるイリヤに、明日菜が挨拶に頷く他の2人を代表して答える。

 

「帰るって言うか、これから皆で何処か遊びに行こうかと思ってるんだけど…と。そうだ! 良かったらイリヤちゃんも来ない?」

「え…?」

 

 明日菜の唐突な誘いに思わず惚けた顔を返しそうになるイリヤ。そこに木乃香が明日菜の言葉を引き継ぐ。

 

「せっちゃん、カラオケやボーリングに行ったことないんやって。だからこれから皆で行こ…って話になったんよ。うん、もしカラオケに行くならイリヤちゃんが来てくれるとウチも嬉しいわ。イリヤちゃん、歌とても上手で、また聴きたかったし、せっちゃんにも聴かせて欲しいし……どやろ?」

 

 木乃香の説明とも言える言葉を聞いてイリヤは、そんな話も在ったわね、と原作を思い。普通の友達付き合いに慣れてなさそうな刹那の「お嬢様、私の事はべ、別に…あ、イリヤさんの歌を聞きたくないという訳ではないのですが」と若干頬を染めて照れた表情で言う、そんな言葉を聞き流してイリヤは誘いを受けるかどうか少し考え…。

 

「…そうね。いいわよ」

 

 誘いに応じる事にした。

 そう、今更彼女やネギ達と関わりを避ける理由は無い。イリヤが居り、アイリの姿をした脅威が存在するイレギュラー…この世界は原作(えそらごと)とは異なるソレに近しいだけの現実の世界なのだ。

 さらに言えば今のイリヤが知らないだけで様々な“違い”が存在する筈である。

 この先、アイリと対峙し、彼女がフェイト一味に関わっている以上、こうしてネギ達と信頼関係を築いた方が良いだろう。勿論、そんな打算めいた考えを抜きにしてもイリヤはネギ達と友誼を育みたいと思っている。

 

 明日菜達の誘いに返事をしたイリヤは、まだ校内にいると思われる茶々丸へ携帯に連絡を入れて用件を告げると、エヴァも了承したらしく『楽しんできて下さい』と電話口から茶々丸の声が聞こえてきた。

 

「悪いわね。夕食の仕度も一人で任せる事になるかも知れないけど」

『いえ、お気に為さらずに。それより夕食までには戻られるのですか?』

「ええ、一応そのつもりだけど…もし遅くなるようだったら、先に食べていて、とエヴァさんに伝えておいて」

『ハイ』

「じゃあ、切るわね」

 

 そうしてイリヤは電話を切る。

 そんなイリヤを明日菜は少し驚いた風に見ていた。

 

「イリヤちゃん…エヴァちゃん達と暮らしてたんだ」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 それに首を傾げるイリヤ。

 

「ネギとコノカには……教えていたわよね。 聞いてないの?」

「…聞いていないわよ。昨日エヴァちゃんちを訪ねたけど、居なかったし……」

 

 若干不機嫌そうにしてそう答える明日菜。昨日エヴァ邸を尋ねた時の事―――エヴァからネギに惚れたなどと、からかわれた事を思い出して眉を顰めたのだ。

 ちなみにその日は、原作にあった“惚れ薬入りのチョコ”を口にしてもいたのだが、イリヤから贈られたアミュレットのお陰でその影響を逃れていた。

 尤も木乃香が口にした事も変わらず、刹那に激しい求愛とも言うべき行動を取り、それを目撃した明日菜は危うく自分もそうなりかけた事実を知って、ゾッと背筋を冷たくすると共にネギとカモへ厳重な注意をした上で、件のチョコを廃棄していた。

 

「そういえば、ウチも言うの忘れとったな。てっきり明日菜はもう知っとると思いこんどった」

 

 アスナの不機嫌そうな態度をそれほど気にせず、木乃香は朗らか笑いながら言う。

 その後、道ながらに刹那もイリヤがエヴァと共に暮らしている事を知っていたと口にし、「それじゃあ、知らなかったのは自分だけなんだ」とワザとらしく少し拗ねた様子で明日菜は頬を膨らませ。言い忘れた木乃香を睨んだり、それを冗談と判りつつも窘める刹那とイリヤと、軽く「ゴメンなぁ」と謝る木乃香といった他愛も無いやり取りをしながら、ネギも誘う為に彼女達は世界樹広場へと向かった。

 彼が受け持つ授業の終了間際に、何やらその場所で話があると古 菲に言っており、彼女と待ち合わせている筈だからだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜と木乃香は、イリヤの歌を聞く事を楽しみにしていたようだが、結局はカラオケではなく。イリヤの識る通りに彼女達はボーリング場へ訪れる事となった。

 ネギと一緒にいた古 菲も誘ったところ、彼女が歌う事よりも身体を動かすボーリングを好み。そして―――

 

「ゴメンね。何故か、クラスの半分以上が付いて来てるし…」

 

 ―――と、気付けば明日菜の言うとおり大人数になってしまったからだ。二十数名もの団体を一室に収められるカラオケ店は流石にこの麻帆良にも中々無い。

 人付き合いに不慣れな所があり、騒がしいのも苦手とするらしい刹那を気遣って、幼馴染の木乃香は元より、あの事件で親しくなったネギや自分達だけで楽しもうと明日菜は考えていたのだが―――だから明日菜は刹那に謝っていた。ただ当の本人は気にしておらず「いえ…」と首を横に振っている。

 刹那としては、こうして木乃香の傍に居られる事。そして修学旅行を経て友人となった明日菜と一緒に、こうして遊びに来られた事に変わらないので不満と言えるものは無かった。

 また戸惑いはあるものの、他のクラスメイト達とも……そう、まるでごく普通の女子中学生のように過ごせているという事実に嬉しさを感じていた。

 以前の―――いや、つい最近……修学旅行前までは、そんな級友達を一歩も二歩も引いた位置から見ていただけであったとは思えない状況だ。

 

 云わば、“過ぎたる望外の幸せ”とも言えるものに刹那の心は包まれていた。

 

 尤も木乃香との和解を初め、周囲との関係の変化が急激的で在る為に、それを自覚しているかはまた別であるが…。

 

「うおっ!? くーふぇに続いて七連続ストライク!!」

「わ! スゴイなイリヤちゃん!」

「私とお嬢様は全く駄目でしたのに」

 

 ガコーンと特有の音が鳴り響くと共に全てのピンが倒れるのを見、今投じたイリヤへ歓声と称賛を向ける明石 祐奈と木乃香と刹那。

 

「ホント、スゴイわね。刹那さんと同じで初めてだって言ってたのに」

「…何かコツでもあるのですか?」

 

 レーンから戻ってきたイリヤに感心する明日菜。刹那も少し気にしていたのかイリヤに尋ねる。

 

「別にそう大した事はしてないわよ。フォームと投入時の角度さえ確りとしていれば、ストライクを狙うのはそう難しくは無いわ。ボーリングに力はそれほど重要じゃないのよ」

「むう…なるほど」

 

 イリヤは事も無げに本当に大した事なさそうに言い。先ほど刹那が「力加減が難しい」と漏らしていた事も聞いていたらしく、そのことも正した。

 刹那は頷き、そのまま続けられるイリヤの説明を聞いてフォームの手解きを受ける。その傍では同じく初めてであるらしいネギも熱心に聞いている。

 

「…というか本当に初めてなの?」

「やけに的確な指導よねぇ」

 

 イリヤの説明を聞いて、疑問というか疑惑を抱く円と美砂であるが、実際“イリヤ”は初めてである。

 ただ―――

 

「以前にテレビだか、何かで見た事を実践しているだけよ」

 

 その自分の(なか)に在る“知識”をそう言葉にして2人の疑いを否定した。

 そして視線を転じて、イリヤは古 菲に“勝負を挑んだ彼女達”を見る。そこには挑まれた古 菲と並んであやか、まき絵、のどか…の四人の姿が在った。

 

「アヤカのフォームなんかは中々理想的だと思うわ。真似をするなら彼女のものを参考にした方が良いわね」

 

 イリヤは、体格的に背の低い自分よりも刹那達と同じ年齢のあやかを引き合いに出してアドバイスを続ける。

 するとあやか達の出すスコアから疑問を感じたのだろう。桜子がそんなイリヤに尋ねる。

 

「くーふぇのは? 今のところ一度も外して無いんだけど」

 

 その言葉にイリヤは半ば呆れたように答える。

 

「…アレを真似できると思う?」

「いや、無理やって! あんなデタラメなん!」

 

 関西人の性っぽく、すぐさまにツッコミを入れるかのように亜子がイリヤの言葉に答えた。イリヤも直ぐに「でしょうね。それが正しい認識よね」と頷きながら、拳法一筋チャイナっ娘に何とも言えない視線を向けた。

 

「まあ、古 菲さんですしね」

「…って、理由になってないし、ちづ姉…いや、なんか判るけど」

 

 頷くイリヤに追従するような事を言う千鶴と。それに突っ込んだものの、3-Aの異様さが判る所為か、やはり納得出来てしまい、またその異様なクラスの中で平凡な自分を自覚できている為か、何となく肩を落としてしまう夏美。

 その場にいる面々の視線の先には、

 

 ―――すげぇぇっ! 八連続ストライク!!

 ―――何あの娘ーー!?

 

 周囲からそんな驚愕と歓声を上げるギャラリー達を背景に、出鱈目なフォームでストライクを決める古 菲の姿が在った。

 

 

 

 勘違いから始まった古 菲たちのボーリング勝負は、やはり彼女のパーフェクトゲームで勝利に終わり、勘違いな告白疑惑も誤解だと判明して終わった。

 

「―――こんな事だと思ったわよ」

 

 ネギが古 菲を呼び出した真相―――古 菲への拳法の師事の申し出だと知って、溜息を吐いて苦笑する明日菜。

 その視線の向こうでは人騒がせだと、勝手に勘違いしたにも拘らず、怒りを顕にして古 菲を追い回すあやかを筆頭としたクラスメイト達がいた。

 

「…にしても、くーふぇに拳法かぁ。アイツ、エヴァちゃんにも魔法を習おうとしているし―――」

 

 そう呟くと、明日菜は思うところがあるのか少し考え込む。

 彼女の脳裏に浮かんだのは修学旅行の事件と、その時に刹那に半ば勢い任せで言ったある言葉だった。

 

「うん…そうね!」

 

 そう意を決したかのように言うと明日菜は、視線を周囲に彷徨わせて目的の人物を探す。

 程無くしてその人物は見つかり、此方から背に向けている彼女に明日菜は声を上げて呼び掛ける。

 

「居た…刹那さん!」

 

 その声を聞き止めた刹那は、向かいの木乃香とイリヤから視線を逸らして明日菜の方へ振り返る。

 明日菜は自分の方から彼女達に駆け寄ると、怪訝な表情を浮かべる刹那に声を掛けられた。

 

「どうしました明日菜さん?」

「刹那さん。あの時…修学旅行で言った事を改めてお願いしたいんだけど…」

「え、何でしたか?」

 

 思い当たる事が無い為か、不思議そうに明日菜に再び尋ねてしまう刹那。

 明日菜はそんな忘れている様子の刹那に怒る事も、不愉快に思う事も無く。まあ、ノリで言った事だし、仕方ないかな、と内心で苦笑しつつあの時の言った事を再び口にした。

 

「刹那さん。私に剣道を教えて」

「あ…」

 

 その言葉に刹那は思い出す。

 あの晩―――木乃香が敵の手に落ちた夜を。鬼達を相手に2人で奮戦した最中に明日菜が冗談めかして同じ言葉を口にした事を。

 

「…そうでしたね」

「うん。またあんな事があるのも困るけど、無いとは言えないし―――」

 

 明日菜は一瞬言葉を切り、

 

(別にアイツの為だけって訳じゃない…けど―――多分)

 

 自分でも判らない感情から内心で言い訳をして、少し躊躇いつつも言葉を続ける。

 

「……それにネギもくーふぇに拳法を習うみたいだし、私も真剣に頑張ってみようかなって思ったんだけど…駄目かな?」

「なるほど…そういうことでしたら、私で良ければ喜んで」

 

 あの時とは違い。先の事件とネギの事を引き合いに出し、真面目に言う明日菜に得心して刹那は申し出に頷く。その返事を聞いて明日菜は表情を綻ばせる。

 

「ありがと、刹那さん」

「あ、い…いえ」

 

 明日菜の綻んだ表情と感謝の言葉に、若干頬と赤く染めて照れる刹那。

 

(原作でもそんな感じだったけど…やっぱり“ソッチ”の趣味なのかしら?)

 

 顔を赤くする刹那の…その交友関係の疎さを表す姿を見て、イリヤはそんな邪推をしてしまう。

 そうして微かに赤くなった刹那の顔を思わずジッと見詰めていると照れからか、チラッと明日菜から視線を逸らした彼女とイリヤは眼が合う。

 

 イリヤの何処か訝しむような表情を見た刹那は、イリヤの抱く心情(ぎわく)を察したらしく。誤魔化すようしてやや焦った口調で彼女に言う。

 

「いや! あの…別にこれは、そんなのではなくっ!」

「え? な、なに?」

 

 更に顔を赤く染めて突然、意味不明な事を口走る刹那に明日菜は訳が分からず疑問気に尋ねる。

 

「い、いいえ。何でもありません」

「そ、そう?」

 

 慌てた様子でブンブンと首を振る刹那に、明日菜は幾分か首を傾げて相槌を打つも、内心で「変な刹那さん」と呟いていた。

 

 木乃香は、そんなやり取りを何時もの朗らかな笑顔を浮かべて見詰め。こうして刹那という幼馴染と明日菜という親友の2人が、自分の傍で仲良く笑って一緒に居られる事実にとても大きな幸せを感じていた。

 そう、刹那が麻帆良に来てからずっと思い描き、願っていた事が叶い。まるで奇跡にでも遭遇したような幸福感が彼女の心を満たしていた。

 だからだろう。こんなにも当たり前で、平凡で幸福な日々がこれからも続いて行く事に彼女は疑いを懐かない。

 

 ―――うん、これからは、ずっと一緒や。

 

 木乃香は今在る幸せを噛み締めて心の中でそう呟いた。

 何も知らない、いや…知らされなかったからこそ、自分を取り巻く様々な事情を理解し得ぬまま、無邪気に笑顔を浮かべて……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 4月のカレンダーが捲られて5月と成り、イリヤが麻帆良へ現われてから凡そ半月が経った。

 

 早朝、まだ日が出たばかりで街の人気(ひとけ)が薄い時間帯。

 イリヤはここ2日連続で通い。これからも日課的に通うであろう世界樹広場までの道程を1人歩いていると、後ろから覚えのある3人分の声が掛けられた。

 

「おはよ! イリヤちゃん」

「おはようございます」

「おはようアル!」

 

 イリヤもその声に振りかえって挨拶を返す。

 

「おはよう、みんな今日も朝から元気ね」

「はは、元気だけが取り得のような物だしね。私とくーふぇは…」

「ま、そうアルね」

「ふふ」

 

 イリヤの挨拶に、冗談めかして苦笑する明日菜に古 菲。刹那も釣られたのか少し可笑しそうに笑う。

 

 3-Aの皆とボーリングで遊んだ翌日からイリヤは、このように目の前にいる3人―――刹那、明日菜、古 菲と先に広場に居るであろう、もう1人と朝の一時を付き合っていた。

 それは先日のボーリング場で明日菜に剣道を教える事になった刹那が、その際にイリヤにも如何かと挑むような視線で誘ったのが始まりだった。

 

 ―――良かったら、イリヤさんもご一緒にどうですか? と。

 

 そう、白い少女に告げた刹那は確かめたかった。

 京都では、あの怪異を圧倒的な蹂躙で殲滅した“力”しか見ておらず、あの白髪少年との戦いも石化の危機に瀕したネギを気遣う余りに直接見る事は出来ず。

 更に言えば、その後に同居人である真名から自身が剣を交えて苦戦した敵―――月詠を全く歯牙に掛けなかった事も耳にしており、イリヤの持つ実力を知りたくなったのである。

 そこには、木乃香の護衛としての立場や、自身もまた常人とは違う強者としての矜持から刺激されるもの……例えば、先の戦いで月詠の前に膝を屈しかけた自分が、それを圧倒した相手に何処まで通じるのか試したいという思いがあった。

 いうなれば、刹那がイリヤを誘った大きな動機は戦いに身を置く者としての、もしくは剣士としての本能や闘争心である。

 

 一方、イリヤとしても刹那の誘いを受けるのは吝かではなかった。

 自分が刹那を始めとした剣士や戦士などと違って、直接戦う役目を持つ…謂わば戦闘員や兵士に向かない。あるいは向いていない人間だという事をイリヤは十分に承知していた。

 先の一件で月詠を取り逃がし、突如現れた母親(アイリ)の姿に動揺してフェイトも仕留めそこなった事実を鑑みれば尚更だ。

 少なくともイリヤは自分の事をそう評していた。

 しかし、今後の事を思うとどうしても自分の向き不向きに関係無く。そういった斬った張ったという事態に自ら飛び込まざるを得ないのは確実であり、刹那の挑むような顔からその意図も了解できた為、これ幸いとばかりに彼女のように若くも経験豊富な剣士と試合え、そして鍛錬と経験を積める機会に乗ったのである。

 なお、この刹那の誘いを受けて鍛錬に付き合うに到って、また不測の事態に備えてイリヤはクラスカードを常時夢幻召喚(インストール)する事にしていた。

 選んだのは魔力消費の観点や遠近双方での高い対応力を鑑みて、先の事件同様に『アーチャー』のカードである。

 

 そういった理由もあって、両者は明日菜が剣道を学ぶ傍らで互いに剣を交えていた。無論、大半は竹刀ではあったが。

 

「今日もよろしくお願いします。イリヤさん」

 

 刹那は歩きながらの談笑の中でイリヤに声を掛けた。その声色と口調とても丁寧で明らかな敬意が籠っていた。

 イリヤはそれに「此方こそ」と気軽に応じてこそいるが、その内心では困惑していた。

 しかし刹那はそれに気付かず、声と同じく敬意を篭もった瞳をイリヤに向け続ける。

 

 刹那は、この数日でこの白い少女と剣を交えた結果に…ただ一太刀も浴びせられない事実に悔しさを覚えつつも、清々しさも感じていた。

 彼女は、自分達と並んで歩くイリヤの姿を見つつ、ただ一度、実戦形式で交えた試合を思い返す。

 

 

 それは才気を全く感じさせない凡庸でありながらも、挫けず高みを目指して極められた太刀筋だった。

 二本の鋭い銀の筋が自身の振るう剣撃を巧みに捌き。そして剣撃を僅かにでも絶やし、或いは隙を見せれば容赦無く。その鋭い二本の刃が此方の剣撃に対して返すように振るわれ、的確に急所に一撃を入れて来る。

 

 それは膨大な経験に裏打ちされた状況把握と対応力だった。

 真っ向から打ち込んだ太刀も、奇を衒った変則的な技も、有無言わせぬ力と速さを持った一撃と奥義も。驚きを示す事はあれど、全て冷静に当然の如く尽く対処され、一太刀も届くことは無かった。

 

 それらは華やかさが欠けた武骨な剣技であり、実戦を重ねに重ねて得られた洞察力で成される技術の極みと言えた。

 一体どれ程の鍛錬を経て、如何なる数の戦場と修羅場を潜り抜けてそれらを会得したのだろうか? 

 刹那はイリヤが剣を取るその佇まいを見る度にそう思い抱いた。

 

 そう、彼女との試合は月詠のような明確な敵対者であり、力量が拮抗する相手と剣を交えるのとは違う。まるで尊敬する長や神鳴流師範代を相手にしたかのような……高く険しくも雄大な山への登頂を挑むような感覚だった。

 故に清々しい清涼とした思いと共に、それ程の実力者の胸を借りられること……云わば幸運に、武を嗜む一人として刹那は喜びを覚えていた。

 

 ―――そうだ。

 

 それはとても幸運で光栄な事だと刹那は思う。

 この見た目幼い少女と剣を交えて、その一挙一動を見、その振るわれる剣と自身の振るう剣が(ごう)を打つ度に、まるで鍛冶場で形に成っていない刀身のように焼き入れされ、玄翁で打たれ、鍛えられるかのような―――自分の技量が高められる感覚を得られるのだから。

 長や師範代に匹敵し、また異なる強さを持つこのような実力者と鍛錬できる機会にそのような感情を持てない訳が無い。

 勿論、だからといって明日菜に剣道を教えるという本分を忘れた訳でも、疎かにする訳でもないが、刹那はこの朝と夕の鍛錬時間に娯楽めいた楽しみを見出していた。

 それは、明日菜とイリヤという新しい友人…いや、“友達”と過ごせるという事実も含まれているのだろうが。

 

 しかしこの日は、何時もと違った光景を見た事から刹那にとって楽しみなその時間が流れる事となる。

 

 

 

 イリヤ達が世界樹広場の入り口に差し掛かると、何かを打ち付けるような音と悲鳴が耳に入り、微かに誰かが話す声が聞こえた。

 此処には、自分達よりも先に古 菲に拳法を師事するネギが来ている筈であり、心配した彼女達はやや早足で―――イリヤは思い当たる事があって―――階段を上ると、気を失って倒れるネギと顔を青くする佐々木 まき絵の姿があった。

 

「ネギ!?」

「ネギ坊主!?」

「ネギ先生!?」

 

 慌てて駆け寄る明日菜、刹那、古 菲。イリヤもそれに続き、動揺する明日菜達を諌めて簡単な診断と治癒魔術を―――当然、まき絵に気付かれない様にネギに掛ける。

 明日菜がそんなイリヤに心配そうに窺う。

 

「大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫よ、軽い脳震盪で気を失っているだけだから。とりあえず余り身体を揺らさないようにして貴女達の寮へ運びましょう。これじゃあ、今日の鍛錬は無理だろうし…」 

 

 イリヤは朝の稽古を取り止めて、気絶したネギをこのまま女子寮へ運ぶ事を提案する。

 

「うん、そうね。いつ目を覚ますか判らないし…学校もあるしね」

「そうですね。無理に起こすのも負担になりますし、…仕方がありません」

 

 提案に明日菜は直ぐ頷いて賛同し、刹那もやや残念そうにするも同意する。

 古 菲もネギを心配そうに見ているが……首を傾げて、

 

「しかし、何があったアルか?」

 

 当然の疑問を呟くと、まき絵の方へ視線を向けた。

 自然、残りの面々もまき絵を見詰め。まき絵は「えっと…私?」と思わず自分を指差す。

 まき絵は困惑しつつも、私がやったんじゃないから、と一応弁明しつつ事の経緯を説明して皆を驚かせ―――イリヤはやっぱり、と内心で呟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝の稽古を中止して帰宅したイリヤは家主の姿を見るなり、第一声で唐突に尋ねた。

 

「いいの?」

 

 と。

 イリヤが明日菜達の稽古に付き合っている事を了解しているエヴァは、先程の事情を耳に入れたと察し、その言葉の意味も正確に理解してリビングのソファーに寝転んだまま面倒くさげに返答する。

 直に登校しなければならないというのに、実にのんびりとした物である。

 

「構わんさ、元々弟子なんぞ取る気は無かったのだからな。これぐらいでへこたれる様ならそれまでという事だろう」

 

 その素っ気ない返事は原作の知識にもあるが、何よりもこの2日間、エヴァが何処となく不機嫌そうに過ごしていたので判り切った事だった。

 イリヤから朝と放課後の鍛錬の事を聞いており、またクラスでも例の拳法師事の件が話題に広がっているのだ。

 

「そう…」

 

 だからイリヤも素っ気無く頷いた。とっくに分かっていた事なのだから。それでも聞いたのは一応確認しておきたかったからだ。

 ただ、学園内―――協会でのエヴァの立場を思うと、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”として将来を大きく嘱望されるネギを弟子に取る事はそう悪い事では無い筈なのだが、今更麻帆良の立ち位置ぐらいで一喜一憂する彼女では無いのだろう。

 むしろ思慮の対象ですら無いのかも知れない……少なくとも近右衛門が関東魔法協会のトップで居る間は。

 それに先のスクナの件で関西を…いや、ひいては日本全体の危機を救っているのだから、既に十分な貸しを持っているとも言え。加えて彼女の有事に於ける有用性も示せている。畏怖も在るだろうがその立場は今までに比べて格段に強化されている筈だ。

 

 エヴァの事はそれで良いだろうが素っ気無く応じたものの。イリヤとしてはこのまま弟子入りの話が潰れてしまうのは正直、困るのだった。

 アイリと対峙し、おそらく原作のようにフェイト一味とも戦う事に成る以上、ネギが力を付けてくれなければ、今後の事態に大きく響くのだ。

 無論、それ以前に起きるであろう事件にも影響は出てくる。

 しかし、そんな心配を懐く一方で自分やアイリなどのイレギュラー以外は、凡そ原作通りに推移している事から多分大丈夫だろうとも思っていた。

 それにネギならきっと乗り越えられる、と。あの頑張り屋の幼い友人への信頼もある。

 イリヤが心中でそのようなことをやや悶々としながら考えていると、今度はエヴァが唐突に意外なこと尋ねてきた。

 

「そういうお前はどうなんだ? 刹那は随分とお前に心酔しているようだが」

 

 それは、此処たった二日程の間で起きた出来事を指していた。

 イリヤには、全く理解できない事に明日菜の剣道……というか、鍛錬に付き合い一度刹那と派手に仕合ってからというもの彼女の態度は急変し、まるで師を仰ぎ見るような視線を向けてくるように成ったのだ。

 頭痛を堪えるようにしてイリヤは口を開く。

 

「…私は別に弟子を取った訳でも、師事されている積もりも無いわよ。むしろ教わる側よ。そもそも借り物の力なんだから教えられる物じゃないんだし……まあ、流石にそれでセツナがあんな目で私を見る事になるとは思わなかったけど」

 

 刹那の敬意以上のものが篭もった眼差しを思い出してイリヤは、はぁと深く溜息を付く。それを見てエヴァは愉快そうにククッと笑う。

 

「それならいっそ話したらどうだ? 自分の持つ力の事を。刹那はベラベラと他人の事情を喋るような軽率なヤツじゃない。人格的にも信用できる人間だ」

「……」

 

 イリヤは顎に手を当てて僅かに考える素振りを見せる。一考の価値があると思ったというよりは、刹那が向けて来る視線をそれでどうにか出来るなら……と、つい本気で考慮してしまったのだ。

 しかし、直ぐにイリヤはハッと一瞬浮かんだ馬鹿げた考えを放棄しようとしたが、エヴァはそんな彼女に畳み込むかのように言葉を続ける。

 

「流石に英霊を降ろせる事までとは言わんさ。ただドーピング的な力を持つカードとだけ答えておけば良い。幸いにもアーティファクトカードという物がこの世界にはあるんだ。似たような物だと思わせる事は出来るだろう」

「……だとしても、やっぱり無理があり過ぎるし、危険だわ。特殊な魔法具なのだと話すにしても、道具の持つ機能だけで“最強クラス”の力を得られる代物なんて」

「まあ、実際その通りの魔法具なのだから改めて考えるとそら恐ろしいな。……だが、いずれにしてもカードに頼る以上は、何らかの形で誰かしらに気付かれる可能性はあるんだ。今のうちに上手い言い訳を考えておくなり、身近にフォローしてくれる人間やコミュニティなりを作っておくべきだろう?」

 

 エヴァは愉快そうな笑みを潜めて、そう真剣な表情をして言った。それは確かにその通りで正しい指摘である。

 一応秘匿も兼ねて今のように常時夢幻召喚(インストール)を行なってはいるが、状況によっては思わぬ解除が起きたり、使用するカードを変更する時も当然あるだろう。

 だがもしそんな時、周囲に事情の知らない人間が居たら? そして見られたら?……カードの機能を追及されるかも知れない。

 英霊の力をその身に降ろせる魔法具。高価で貴重な触媒も、高度で複雑な術式も何ら消費も必要とせずに、ただ相応の魔力を対価とするだけで世界最高位に達しえる力を容易に得られるのだ。

 知れば何をしてでも欲しがる者は掃いて捨てるほど居る筈だ。

 イリヤとしては、少なくとも見ず知らずの相手なら誰であろうと追求されても話す積もりは無いが、件の状況に遭遇すれば、その人物は自分の圧倒的な力がそのカードによって齎されている事に気付く可能性は高い。

 そうなると、相手次第であるがその人物から情報が漏れる可能性も出てくる。口止めを行なったとしても何処まで信用できるかも怪しい。暗示や記憶消去という方法もあるが、それも必ずしも出来る訳ではないし、最悪、自分の手で口封じしなければ成らなくなる。

 命を奪う事に今更躊躇する積もりなど無いが、それは出来る限り避けたい事だ。

 

「…そうね、エヴァさんの言うとおりだわ」

 

 微かに嘆息してイリヤはエヴァの指摘の正しさを認めた。

 対策としては大間かに、このまま上手く常時夢幻召喚(インストール)を維持し続けるか、他のカードをなるべく使用しないか、もしくはエヴァの言うように予め誤魔化せるだけの事情をでっち上げる事と。イリヤのみならず、知る側にもリスクを負わせるのだとしても、近右衛門とエヴァなど以外にも傍に信用できる者の協力を取り付けることだろう。

 それも可能な限り多くの……。

 

「ああ、そう思うのなら急いだ方が良いだろう。私のような吸血鬼でもないお前がそんな見た目(ナリ)で、先日の修学旅行であれだけの力を見せ付け、尚且つ昨日、一昨日だかに神鳴流剣士である刹那を圧倒したというのだからな」

 

 聞いた話だとそれなりに話題になっているそうだ、ともエヴァは付け加えるように言う。

 

「え、それは…?」

 

 どういうこと? と。学園長が情報工作を約束してくれた事からイリヤはエヴァの言葉に疑問を持つが、直ぐに彼女は説明してくれた。

 曰く、やはり先の一件に於けるイリヤに関する情報を完全に隠蔽するのは難しかったという事だ。

 勿論、並行世界や聖杯と言った尤も重要な事は、知る者が限られているので一切漏れてはないのだが、イリヤという不可解な少女が麻帆良に存在する事や、関西の騒ぎで何かしらの役割が担った事が“裏”で知られつつあるのだという。

 その原因としてはまず、サムライマスターこと詠春の居る西が陥落しかけた事と、同じくサウザンドマスターと呼ばれる英雄ナギの息子である、ネギ・スプリングフィールドが事件に巻き込まれた事での話題性があり。

 次に、闇の福音と呼ばれ、恐れられるエヴァが一時的ながらもその封印が解除され、最強たる彼女が西の本山へと乗り込んで、復活しかけたリョウメンスクナという破格の鬼神と対決したという注目度があった。

 この2つの要因が事件に多くの耳目を集めさせており、そんな中でエヴァに先駆けて救援としてイリヤが赴き。更にその際に緊急時とはいえ、本来部外者であるイリヤに学園の転移ポートを使用させた為、学園内……引いては関東魔法協会全体から注目を集め。それらの情報が外部に拡散し始めているのであった。

 

「とまあ、そういうことだ。それでも麻帆良の外はまだ何とかなるが、これでは事情の多くを知る内側では隠し切るのは限界だ。ジジイの言い付けで学園内の魔法使い連中を抑えるのもな。些細な噂話でもお前に関わる事なら耳聡く聞き付けているらしい。さっきも言った刹那を云々というのもそういう訳だ」

「むう」

 

 イリヤは思わず唸る。

 そしてどうにもまた自分の知らない所で色々と厄介な噂なり、事態が進行しているらしい事に内心で頭を抱えた。しかも以前のようなネギとの恋人疑惑などという深刻さとは無縁な事とは全く違う。

 まあ、とはいえ……一応、このような事態は覚悟していた事であるから、それはそれで許容できるのだけど、と。そこでイリヤは今更気が付いたかのように関西の方はどうなのか尋ねる。

 

「ん、そっちの方は然程問題無いらしい。というのもあそこの連中は、基本的に一部を除いて江戸時代の日本以上に閉鎖的だからな。ふう……詠春も苦労する。あの“大戦”が起こるまでは改善が進んでいたんだがなぁ…まったく」

 

 エヴァは何やら複雑な事情を後半ブツブツと言うが、西に関してはとりあえず心配要らないとの事だった。

 安堵の溜息を吐きつつ、学園内での言い訳を考えて眉を寄せるイリヤ―――しかしそれにしても不思議に思ったのは、どういう訳か、今のエヴァの言葉の中に西に関して同情めいた響きを感じさせた事だ。

 

(私の知る限り、原作では語られなかったけど……先日の京都での事や日本贔屓な事といい。やっぱり過去に何か日本に対して深く思い入れを持つ出来事があったのだろうか?)

 

 エヴァが京都で見せた思慮深げな遠い視線を脳裏に浮かべ、イリヤはそんな事を思う。

 気にはなるが、半月程度の付き合いの自分が尋ねるべき事でもないとも思い。口には出さなかった。

 と。そこでエヴァを見詰めて、またふと気付く。

 

「エヴァさん」

「ん…なんだ?」

「どうしてエヴァさんが今のような事情を?」

 

 基本的にエヴァの学園内のアンテナは高くない。それは無頓着というよりもやはり先述のように余り興味が無いからだ。

 それに近右衛門が聞かなくても勝手に愚痴のような形で色々と漏らしてくるからだ。エヴァにとっては面倒な事でも。

 そして、今回もそういうことだった。

 

「…さっき、見回りの最中にジジイと会ってな。……全く、人が仕事中だというのにグチグチと……」

 

 それを聞いてイリヤは何気無い話から始まった会話であったが、エヴァなりに気を回して自分に警告してくれた事を理解した。

 それも刹那という身近な付き合いと成った人間を出し、クッションとして柔軟に受け止められるように。

 もし、いきなり本題―――イリヤが注目され、学園内で不穏当な視線で見られつつある事から告げられていたら、戸惑いばかりで考え込み。より頑なな思考に陥っていたかも知れない。

 些か誘導された感はあるが、前向きな結論を出せた事を思うと。ぐうの音も出ない上に素直に感謝せざるを得ない。

 

(まあ、エヴァさんにとっても学園長の思惑どおりに演じている事で、不満はあるんだろうけど…)

 

 そんな事も思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――と言ってたから、エヴァさんは本気みたいよ」

 

 イリヤが登校して図書室に篭もっていると。昼休みにネギと明日菜、刹那、古 菲の朝の稽古仲間の中に木乃香が加わってイリヤを訪ねて来た。

 ネギにしろ、明日菜にしろ、イリヤがエヴァと同居している事は知っているので今朝の事情を確かめに来たのだ。

 一応、エヴァ本人にも尋ねようとしたのだが、登校している筈なのに見掛けられず、授業どころかHRにも現われずサボっているのだから尋ねようが無かったのだ。

 そしてイリヤは、そんな彼らに今朝聞いたエヴァの言葉を繰り返すようにキッパリと答えたのだった。

 

「やっぱり、そうですか…」

 

 その答えにネギはガックリと肩を落とし、古 菲は「困った事になったアルね」と唸る。

 

「ネギ坊主は恐ろしく飲み込みは早いし、才能はあると思うが…2日だけでは如何にもならんアルよ」

「じゃあ、エヴァちゃんとこの弟子入りは駄目ってこと?」

「ネギ先生は、格闘については素人ですから…」

 

 明日菜が疑問を呈すると刹那はうーんと考えるように唸ってから答えた。

 すると木乃香が身を乗り出してイリヤに尋ねる。

 

「イリヤちゃん、ほんとに如何しようもあらへんの?」

 

 木乃香の言葉には、エヴァの考えが変えられないかというニュアンスが含まれており、それを察したイリヤは静かに首を振った。

 

「そんな~」

 

 イリヤの仕草に木乃香は悲鳴めいた声を上げる。すると今度は明日菜が不機嫌そうに口を開いた。

 

「でも、原因はくーふぇに拳法を習うことが気に入らなかったって事よね。それだってネギなりに考えて決めた事なんだから、エヴァちゃんも怒る前に少しは考えてくれても……ちょっと身勝手なんじゃない? もう一度そこの所を確りと話して―――」

「そうは言うけどねアスナ。話して分かって貰えたとしても……いえ、今朝は勢いでエヴァさんは言ったのかも知れないけれど。それは多分、理解していると思うわ。ネギが自分なりに考えた事だって」

 

 だからこの2日間、エヴァさんは不機嫌そうにしながらも黙っていたんだろうし、と言葉に出さずにイリヤはそう内心で思う。

 しかし明日菜としてはイリヤの言葉に余計に納得できないようで、より眉の角度を吊り上げ、

 

「だったら―――!」

 

 食って掛かろうとしたが、イリヤは遮って先程の言葉から続けるようにして穏やかな口調で嗜める。

 

「だけど、エヴァさんが一度口にした事を翻すと思う? それにどちらにしてもテストする事には変わりは無いんだし。例え今回の件が無かったとしても、出される課題の難易度はそんなに変わらなかったと思うわ」

「……」

 

 明日菜は思わず沈黙し憮然とする。イリヤの言葉に納得し切れなかったが、的を射ているとも感じたからだ。

 それでも明日菜は、反論する為に再び口を開く。

 

「それでも刹那さんの言うとおり、ネギは格闘技の素人よ! それじゃあ、幾らなんでもふこうへ―――」

「いえ…! 確かにイリヤの言うとおりだと思う」

「!…ネギ」

 

 ネギが明日菜の言葉を遮る。

 

「あのエヴァンジェリンさんが、簡単なテストをするとは思えませんし、これは自分の選んだ決断が招いた事なんですから。…なら自分の力で、嘆くよりも今出来る事を確りとやって、頑張って乗り越えないと…!」

 

 先程まで肩を落として浮かべていた情けない表情から一転し、決意に満ちた顔でネギはキッパリと宣言する。

 

 そうだ。此方は弟子にして貰う身なんだ。その為に出されるテストの課題に文句を言える立場なんかじゃない。例えそれがどんなに厳しくて困難な物でもだ。無理だって決め付けて、それを言い訳にして諦めるなんてのも…そうだ。

 それにくーふぇさんに拳法を習うのだって自分が必要だと思ったからだ。

 それを課題にされたっていうなら、それが必要だったんだって、間違いじゃないって、絶対に茶々丸さんに一撃を当てて認めて貰うしかない。

 

 ネギはそう思い決意を固める。

 

「ですから、必ず合格して見せます!」

 

 その宣言に一瞬周囲は唖然とするも、直後に感嘆が籠った声と息を漏らす音が彼女達の間に漂った。

 イリヤも同様に感嘆の思いを抱き、嬉しそうに笑みを浮かべ、

 

「頑張ってね。期待してるわよ」

 

 と、声援を幼い友人に送った。

 ネギは―――少なくとも彼にとっては―――同年代である女の子の友達の声援に笑顔で返事をする。

 

「うん。イリヤの期待に絶対応えてみせるよ!」

 

 

 そう、白い少女の緋色の眼に視線を合わせて力強く頷いた。

 

 

 




 再び日常回に戻りました。…イリヤの周辺がキナ臭くなっていますけど。

 イリヤが木乃香以上の魔力の持ち主というのは、魔力消費の激しいサーヴァントを従えて戦う聖杯戦争のマスターとして特化されたホムンクルスであり、肉体の七割が魔術回路で構成された聖杯であるから…そう設定しています。

 刹那のイリヤへの印象は…まあ、勘違いというやつです。それ以外に言いようがありません。
 本分でもあるようにイリヤはこれにかなり困っています。

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