麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第12話―――穏当ならざるバカンス 後編

「先ず、改めて自己紹介をするべきね。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。一応麻帆良に籍を置く魔法使いの1人よ。“皆は既に知っているようだけど”…」

 

 そう自ら名乗ってからイリヤは、此処に居る全員の顔を確かめるかのように一人一人に視線を向けた。

 

「……」

「あう、う…」

「あ、あはは」

 

 イリヤの不穏な視線を受けた夕映、のどか、和美はそれぞれ異なる反応を示し、それにふむ…とイリヤは一度頷くと、最後にネギに視線を向けた。

 イリヤの放つ気配に訳が分からないネギは、その不穏当な視線にビクリと身体を震わせてイリヤの顔を窺う。

 

「あの…イリヤ…」

「ネギ。…私は貴方に色々と聞かなくてはならない事があるみたい」

 

 ネギはイリヤの言葉の意味を直ぐには理解できず、首を傾げ……数秒ほどしてからハッと声を漏らした。

 

「あっ!」

「判ったみたいね」

「あ…っ、いや…これは、」

 

 ネギは額から汗を流して、弁明を試みようと必死に頭を働かせる。

 ど、ど…ど、どうしよう。宮崎さんに夕映さん。それに朝倉さんに魔法の事がバレていたのをイリヤに知られちゃったよ~~! 以前、明日菜さんにバレた事を話した時にも注意されていたのに! 拙い、拙い、まずい! このままじゃあ。オコジョにされちゃう~~!

 と、もうパニックである。

 無論、原作を知るイリヤはこうなった経緯は凡そは知っている。だが、それとこれとは別で在り。またそれが全く同じであるかも判らない。

 此処は漫画の世界では無く、あくまで現実の世界なのだ。修学旅行のイレギュラーや先日の木乃香の一件もある。

 だから、

 

「言い訳は良いわ、ネギ。在った事を正直に全て話して…」

「は、ハイ!」

 

 問い詰めるイリヤの鋭さを覚えさせる視線を受けて、ネギは反射的に思わず背筋を伸ばした。

 

 

 …――――。

 ……――――。

 ………――――。

 

 

 改めてネギの口から、補足としてカモ、夕映、のどか、和美の説明を含めて聞き終えると、イリヤは頭痛を堪えるように眉間を揉む仕草をする。

 一言で言えば、原作とほぼ同様であった。……つまり問題だらけなのだ。

 イリヤは気を落ち着けるように一つ大きく息を吐いた。

 それに不安そうな面持ちを見せるネギと彼の生徒である少女達。そしてガタガタと身体を震わせるカモ。

 

「先ず、カズミに発覚した経緯は情状酌量の余地はある。けど直ぐに処置を行なわなかったのは問題ね。例え脅されていたとしても、それぐらいで魔法が世に明らかにされるほどこっちの仕組み(システム)は脆弱ではないわ。躊躇わずに実行すべきだった。―――問題は次のノドカとの仮契約に関してね」

 

 身体を震わせるカモへイリヤは視線を送った。

 

「これは致命的過ぎるわ。本人の同意も無く、一方的なもので。またこちら側に関する説明義務が一切成されていない。しかもその際に多くの一般人へ無差別に対象を広げ、危うくそれらの者達に秘匿漏洩の恐れがあった、と」

「あう!」

「ま、待ってくれ、イリヤお嬢様! あれは俺っちが勝手にやった事で……あ、兄貴は…!」

「ええ、使い魔への監督不行き届きも加わるわね」

「っ…!?」

 

 震える身体に鞭を打って弁明しようとするカモにイリヤは冷然と言い放ち、カモは絶句する。

 

「魔法学校を出ているなら分かっている筈よ。本契約、仮契約を行なう際は本人への同意は勿論、契約者が魔法を一切知らない一般人である場合、その説明の義務を要するという事は……それを全く守らずに行なうなんて想像の埒外だったわ」

 

 半ば知っていたとはいえ、確りと法があり、そして機能している現実の世界で本当に原作と変わらない事態が進行していたとは……イリヤは本気で頭痛を覚えていた。

 

「以前から感じていたけど、魔法の扱い以外は……ネギ、貴方はどうも不思議な事に“こっち”の世情にかなり疎いようね。本来、そういう魔法使いを補助すべき“小さき知恵者”である妖精種の使い魔であろう者までもがそれを諌めず、逆に仕えるべき魔法使い(しゅじん)の意向を無視するというのも……驚きというか、前代未聞だけど」

 

 ネギは顔を青くして言葉も出ない。カモも同様だ。

 そこにのどかはネギの為に勇気を振り絞って口を出す。

 

「あ、あの、私は仮契約に…べ、別にそ、その嫌じゃなくて、もう…同意していると言うか―――」

「残念だけど、契約の同意には先ず説明の方が先に来るものなのよ。当たり前の話だけど、貴方は何の為のものか、どんな条件があるのか教えられないのに―――いきなり契約して下さい、と頼まれたらどうするの? 直ぐに同意する? 証文にサインをする?」

「そ、それは…」

「実際、魔法がどんな物か、何に使うか、何が出来るか、そして何を目的とするのか、そこにどのような危険があるのか……ノドカ、貴女は教えられているの? 知っているのなら答えて」

「う、うう…」

 

 事実何も教えられていない為、殆ど何も知らないのどかはイリヤの問い掛けに答えられる訳が無く。辛そうに言葉に成らない声を漏らすだけだった。

 それを援護する為か、今度は夕映が発言する。

 

「なら、それが逆であるというのは、本当に認められないのですか?」

「事後承諾と言う事?……そうね。緊急時であれば、適用は認められるわ。でも、それはあくまでも緊急時……つまり主に術者が余程切迫した状況で無ければ、適用されないものよ」

 

 これは修学旅行より前に起きた事件―――ネギがエヴァに狙われた時のことが一応当て嵌まるだろう。微妙な範囲ではあるものの、そのお陰で明日菜に魔法がバレた事も含め、彼女との仮契約も学園では認められていた。ネギ本人はその事を知る良しも無いのだが。

 夕映はイリヤの答えを受けて更に発言を続ける。

 

「のどかから聞いた話ではあの時、ネギ先生は特別な任務に就いていた、という事です。現地で任務上必要を感じ、可及的速やかに状況に対処する為、その説明を怠ってしまう事は在り得るのでは無いでしょうか? また事実として先生はのどかと仮契約したお陰で危機を脱しています。これは適用範囲に当たりませんか?」

 

 成程、確かに賢いわね。良く頭が回る、と挑むような視線で話す夕映にイリヤは感心する。けど…。

 

「それじゃあ結果論よ。それが認められるなら、従者の契約に関してどのような拡大解釈も可能になってしまう。到底認められないわ。何より仮契約を試みた時分の状況では、説明義務を事後に回すほど切迫してない。事前に説明できたと判断される。更に言うなら、任務上必要に成ったからといって無分別に仮契約者を無数に確保しようなどと言うのは―――言語道断よ…!」

 

 イリヤは、夕映の主張を同じく論理で切り捨てる。

 夕映は、思わず唸るがそれでも食い下がる。

 

「む、むう…しかし説明、説明と言いますが、それほど重要な物なのですか? 私達のような魔法を知らない一般人にして見れば言葉だけでは実感はし難いですし、直にその貴方達の世界を体験しなければ理解も納得も得られない筈…です」

 

 何も知らない一般人ならではの意見である。

 尤もらしくも聞こえるが、むしろこれはその他大勢の為の意見では無くて、彼女自身の本心…本音なのだろう。だからこそイリヤは“魔法”に関わる“魔術師”として受け容れられない。

 

「……魔法とは何か、何に使うか、何が出来るか、魔法使いが何を目的にするのか、どんな危険があるのか……一般人が契約対象の場合、主にこれ等の説明が課せられているけど、前者の方は省くわ。言うべき事は後者の二つ、先ず契約者あるいは仮契約者は従者と成る以上は当然、主となる者の目的を知る権利がある。でないとその人物に生涯掛けて付き合おうだなんて思わないからね、普通は。そして、もう一つ。最も重要なのはコレな訳だけど、ネギもさっき言っていたわよね」

 

 チラリと顔を青くするネギの方に視線を向ける。

 

「一般人を危険な目に合わせる訳には行かないって…」

 

 そう、これこそが最も重要だろう。何も知らない一般人をこちらの世界に引き込むのが、如何に危険であるか、どのようなリスクが伴なうのか、説明し理解させて、して貰わなければ。無責任という所ではない。殆ど詐欺になる。

 

「確かにネギ先生の目指す物が何かは知りません。ですが危険だと言うのは承知しています。それでも―――」

「―――構わない。決意しているって言うんでしょう。聞いたわよそれも」

「……その通りです」

 

 言いたい事を言われた為か、夕映は拍子抜けしたように言葉少なく頷いた。

 

「問題はその危険が何かって事よ。言ったわよね。“どのような”、“どんな”、危険が在るのかって…そう。ただ危険があると言うだけじゃあ、説明になんてならない」

 

 言葉遊びのような言い方であるが、夕映ものどかもこの場に居る全員がイリヤの言いたい事は理解していた。だから夕映は真っ先に口を開いた。

 

「その危険も多少理解している積もりです。修学旅行で皆が石にされた事。学園の地下でトカゲ…ドラゴンにも襲われました。狼の少年がネギ先生達と戦っていた事も」

「…命の危険がある。それは判っている、と言いたいの?」

「!…そうです」

 

 夕映は一瞬、イリヤが自分を嘲笑ったような気がして語気を強めて睨みつける。

 だがそれは夕映の勘違いだ。たったそれだけで、分かった気になっている少女の勘違いと同じでただの誤解に過ぎない。イリヤは夕映を哀れんで眉を顰めると共に、ふう…と軽く溜息を付いただけだ。

 それでもイリヤは一応、分かっているという前提でやんわりと諌めに掛かる。

 

「判っていると言うのなら止めなさい。こちらに関わろうなんて。ただでさえ、魔法と関わりの無いごく普通の日常である貴女達の世界にだって危険は在るのだから、こっちに関わって何も余計に……いえ、敢えて倍以上に増やす必要は無いわ。こちらの事は忘れてそのまま平穏な日常で過ごした方が良い」

 

 平穏な日常が如何に尊く。掛け替えの無い物か。その価値を多少なりとも理解するが故にイリヤは諭すようにそう言った。

 

「…日常にも変わらず危険が在るというのなら尚更です。例えそれが増すのだとしても平穏で退屈なこちらで過ごすより、刺激に満ち溢れたそちらで過ごした方が万倍にも満たされる筈です」

 

 だがイリヤの言葉も、尊く掛け替えの無いその価値を、正しく理解していない退屈だと言い切る少女には届かない。

 結局判っている気になっている少女を“判らせる”しか納得させる方法は無いのだろう。

 イリヤはもう何度目になるか判らない溜息を吐くと、視線をあさっての方に向けた。

 

「……木乃香、刹那。そこにいるんでしょう?」

「え?」

 

 唐突にイリヤが言った言葉に、議論をしていた積もりの夕映は疑問の声を上げた。

 

「やはり、気付いていましたか」

「流石、イリヤちゃん」

 

 その聞こえた二人分の声に皆の視線がそこに集まる。桟橋にある屋根を支える柱―――とても二人の人間が隠れられるとは思えないその影から木乃香と刹那が姿を現した。

 

「なかなか見事な『穏形』ね。…木乃香の術?」

「うん、でもアッサリ見付かってもうたな。やっぱまだまだ未熟やなウチ…」

「そうでもないわ。ネギはまったく気付かなかったようだし、少なくとも成長途中の天才魔法少年を欺く程度には上出来よ」

「褒められとるんかな? それ…」

「ええ…実質、僅か3日程でこれほどなのですから十分大したものかと」

「そっか、せっちゃんもそう言うなら―――」

 

 驚きで固まる皆を置いて、イリヤと木乃香と刹那の三人は話し込み……一早く驚きから脱した和美が代表して尋ねる。

 

「二人とも、いったい何時から居たの!?」

「んー? イリヤちゃんがネギ君に全て話して…って言った時からや」

 

 木乃香が考え込むように人差し指を顎に当ててそう答えた。つまり殆ど初めからという事だ。

 木乃香と刹那の二人は当初、魔法に関する質問をする為にネギとイリヤを捜して此処へ来たのだが、イリヤの放つ不穏な空気に当てられて咄嗟に隠れたのだ。

 

「で、今まで出ようにも出られずに隠れていた訳ね…」

「あはは」

「はい…そういう訳です」

 

 イリヤの何処か呆れたような口調に、笑って誤魔化そうとする木乃香と申し訳無さそうにする刹那。

 

 夕映とのどかは、その二人…特に木乃香の方を複雑な眼で見ていた。

 同じ図書館島探検部に所属し、クラスメイトの中でも親しい友人が魔法使いである―――少なくとも二人の認識では優秀だと思われる―――イリヤとまったく臆する事無く平然と仲良さ気に話す姿に理解が付いて行けず、不可解であり、また羨ましく感じていた。

 木乃香が魔法使いの家に生まれている事は既に判っていたが、このおっとりほんわかとした友人は何時の間に本格的にそちらへ足を踏み入れたのだろう? 少なくともほんの数日前までは、自分達とほぼ同じ立ち位置に居た筈なのだ。

 そんな疑問が羨望と嫉妬めいた思いが、夕映とのどかの心を占めていた。

 疑問を抱くのは何もこの二人だけではなかった。

 和美もそうだがネギもカモも同様だった。その一人と一匹はなまじ魔法の事が判るからこそ…今、木乃香から感じられる“様々な変化”に驚きを禁じ得なかった。

 

「木乃香さん…いったい?」

「あ、うん。ウチなあれから考えて、やっぱり魔法使いになる決心をしたんよ。今のはその勉強の成果や」

 

 尋ねられずに居られなかったネギに、それを察して木乃香は答えた。

 その答えに、ネギはこの数日やたら彼女の帰りが遅かったのを思い出した。てっきり部活か何かかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

 そのネギの推測は当たっていた。

 木乃香は先日のエヴァ邸での一件以来、彼女の祖父を始め、明石教授や葛葉 刀子といった面々などの魔法関係者と積極的に顔を合わせており、時に話し合い、時に手解きを受けていた。

 

「悪いけど、今はその話は後にして」

「あ、そやね。ごめんな」

 

 ネギの様子に加え、夕映とのどかも聞きたそうにしていた為にイリヤは脱線を恐れて口を挟んだ。

 正直、余り気が進まなかったが、イリヤは木乃香にさっき頼んだ事を実行するようにお願いし、木乃香は頷くと手にしていたポーチから数枚の呪符…或いは魔法符を取り出して術を紡ぐ。

 木乃香の先程示した力量から不安は余り無い。傍には刹那もいるのだから失敗してもフォローはしてくれるだろう。

 

 幾秒ほどし、木乃香の手にした符は彼女の術と意に従って宙を舞い。イリヤ達の居るこの場所を囲むように桟橋の各所に張られた。それは人払いと認識阻害の結界だった。

 術が完成すると共に不可視の膜がこの周囲を覆う。同時に感じたその確かな感覚にイリヤは改めて感心する。まだ呪符の補助が大きいとはいえ、たった数日でこれを行なえたのだから。

 師匠(がくえんちょう)が優秀という事もあるのだろうが、木乃香もまたネギと同様、その内なる魔力が示すように非凡だという訳か、と内心で感嘆を込めて呟いた。

 

「じゃあ、次は私ね」

 

 イリヤもまた、魔術を扱う為に内に潜む回路を起こす。

 先ずは、夢幻召喚(インストール)済みの『アーチャー』の能力を使って複数のアゾット剣を投影。それを円を描くように基点と成る場所へ突き刺す。次にナイフを投影してそれを自身の腕に向けて軽く振る。

 

「「わぁっ!?」」

「「「「きゃあっ!?」」」」

 

 腕を切り裂いた事と勢いよく流れ出た赤い色を見て、刹那以外の悲鳴が聞こえるがイリヤは無視して呪文を紡ぐ。

 

 その呪文が紡がれると、深く切られた傷口から滴る血が流れ、自ら意思を持ったかのように動き。赤い蛇の如く桟橋の床を這いまわって一つの文様を描いて、先のアゾット剣と共にこの桟橋の一角に魔法陣を形作った。

 イリヤは傷を癒しながら、視線を魔法陣へ向けてその出来を確認する。

 

「―――っ! イリヤちゃん。大丈夫なん!」

「ええ、大丈夫よ。すこし驚かせたようで悪かったわね。でも仕方が無いわ。魔法陣を描く為の触媒が他になかったんだから」

「そやけど…ホンマにビックリしたわ」

 

 刹那以外の他の面々が顔色を悪くする中で木乃香がいの一番に問い掛け、彼女は心配してイリヤの傷が在った腕を手に取った。

 木乃香の手にはアーティファクトカードが握られており、傷がまだ在ったらそれを使う気だったが、既にイリヤの傷は完治していた。

 それに口にしたように、知識で判っていても実際に血を使って魔法陣を描くのを見て彼女は非常に驚いていた。ネギも口にはしていないが、余り経験が無い為にその驚きは等しい。

 

「さて、と。準備も整った事だし……気が進まないんだけど、始めましょうか?」

「えっと、何をです?」

 

 イリヤに見つめられた夕映が尋ねる。

 

「さっき話していた事よ。こちら側の世界にどのような危険があるのか―――いえ、“あった”のか見せようと思ってね。例えるなら、リアリティー満載な劇場へ招待しようと言ったところかしら」

 

 気が進まないというイリヤは、その通りに心底嫌そうな顔をしてそう答えた。それでネギとカモもイリヤ達が何をしようとしているのか理解する。

 ついでにイリヤは、魔法知識皆無な彼女達に一応警告する。

 

「言っておくけど、かなり凄惨よ。やめて置くなら今の内だけど―――」

「―――望むところです! 先程も言いましたが、言葉だけでは実感も納得も得られないですので…!」

「お、お願いします…!」

「うーん。私も見ておきたいような。止めておきたいような……でも真実の為なら…」

 

 和美の返答は兎も角、予想通りの返事にイリヤは若干眉を顰めて頷き、魔法陣の中心で刹那と向かい合う。刹那はイリヤに背丈を合わせる為にその場で膝を着く。二人は互いに額を合わせて目を閉じる。

 若干刹那の顔が赤くなっていたが、彼女にとって幸いなことにそれに気付いた人間はいなかった。

 

「では、皆を我が夢の中へ―――」

 

 そのイリヤの声がこの場全員の耳に入り、次に聞き慣れない言語が入った瞬間―――皆の視界は一変した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

 烏賊か蛸にも似た異形の怪異の群れが様々なアヤカシ達を喰らわんと襲い掛かり、またそのアヤカシも喰らわれない為に抗い怪異へ襲い掛かっていた。

 

 怪異に喰われる悲鳴と断末魔が轟き。肉を咀嚼して骨を噛み砕く生々しい音が耳を不愉快に弄する。

 

 アヤカシが討った怪異が聞くに堪えない奇怪な断末魔を挙げ。肉を切り、突き刺し、血が吹き出す…生々しい音が鼓膜を奇妙に震わせる。

 

 残飯のように喰い残されたアヤカシの物らしい肉片が赤い液体共に辺りに散乱し、現世に留まれなくなったそれは霧のように消え失せるが、その間際の赤黒くピンク色をした様々なモノが目に留まる。

 

 引き裂かれた怪異の骸が赤い体液を流しながら破裂するように膨らみ、新たな無数の怪異が聞くに堪えない歪な産声を上げ、条理に沿わないおぞましい生誕を繰り返す。

 

 そこは…その地獄絵図は命を掛けた戦場であり、異形同士が凄惨に殺し合う現世を犯す異界の顕現であった。

 

 

 そんな見るに耐えない狂気に満ちた世界が、正常な視野と思考を蹂躙するように三人を襲った。

 

「…ああ、ああ―――ああっ!」

 

 のどかは言葉に成らない声を上げながら、いやいやと首を振って後ずさり、その場でへたり込んだ。

 

「―――ッ…こ、こんな…」

 

 夕映は顔を青くし、声と身体を震わせて呆然と佇んだ。

 

「ぐ―――っうぷ…」

 

 和美は夢の中にも拘らず、腹の奥底からせり上がるものを感じて思わず口を押さえた。

 

 何も知らなかったその少女達の精神は、この世とは思えない光景を眼にして僅か数秒で打ちのめされて屈しつつあった。

 それでも、ギリギリで留まっていられたのは、その光景の中に自分たちの知る友人の姿があったからだ。

 

 刹那と明日菜。二人は怪異とアヤカシが入り乱れる異界と化した戦場で互いに背を合わせて戦っていた。

 だから思考が停止していた三人と違ってネギはそれに気づいた。

 

「これ…もしかして修学旅行の時の……」

「そうよ」

 

 掠れながらも確信の篭もった声で出されたネギの言葉に、イリヤの声が肯定した。

 ネギは愕然とする。

 

「あの時…こんな、こんな事になっていたなんて……聞いてなかった」

「すみませんネギ先生。お話しするべきだったのでしょうが、この怪異の事は余り口外すべきでないと長達に判断されてしまって……ただ明日菜さんにしても、気にはしていないようで。特に話す事でもないと思っているみたいですが」

 

 刹那はフォローするが、余り慰めにはなっていなかった。

 光景の中の明日菜と刹那は所々に傷が見え、怪異の返り血でその身を赤く染めており、特にやはり一般人である明日菜は傷の割合が多く、戦い方も危なげで幾度も足や腕を怪異に絡め取られては、餌食に成りかけている。

 もし刹那がいなければ、無残な姿を晒して……いや、怪異の腹の中に納まって晒す事すら出来なかっただろう。

 

 木乃香は何も言わない。ネギと違って刹那から、そして近右衛門とイリヤから聞かされていたからだ。

 だからこそ黙ってこの光景を見詰め、受け入れていた。これは自分の身が狙われて引き起こされた事態なのだと、何も知らずに居られない立場だと戒めるように強く意識して。

 

 

 

 夢から現実へと覚めた直後。

 三人の少女達は同時に桟橋の端へ向かって駆け出した。そして胃から込み上げてくる物を海に向かって吐き出す。

 

「「「―――……」」」

 

 吐き出した後もそのままの姿勢で膝を着いたまま、三人は項垂れるようにして青い顔を海へ向けて無言で佇んだ。

 

 夕映とのどかのショックは大きかった。

 思い描いていたファンタジーは、その幻想という綺麗な言葉などとは程遠い、無慈悲な“幻想”に粉砕されていた。

 

 ―――石にされた。

 

 ―――ドラゴンに襲われた。

 

 ―――狼の少年との戦いを見た、聞いた。

 

 まさしくファンタジー的な出来事だ。

 だが、今見たのはナニカが違う。

 血と肉が飛び散る異形同士の凄惨な命の奪い合い。その中で同じく命がけで必死に血で赤く濡れながらも戦う友人たちの姿。

 

 そんなものは違う。自分はもっと綺麗で、心を震わせる、胸を打つ感動を、好奇心を満たせる出来事を―――それを求めていた。

 

 確かに危険で過酷な現実もあるだろうと覚悟もしていた。それでも、そこには夢ある世界が広がっていると確信していた。

 

 ―――そう思っていたのだ。

 

 朝倉 和美も同様だ。

 夕映達ほど期待はしていなかった。

 そこまで夢を見るような子供ではないと、ジャーナリストを志す人間として彼女達と違い過酷で凄惨な現実が待ち受けているものだと、自分はそれを理解して覚悟を持っているのだと。

 

 そう、何処か夕映達を嘲笑するように考えていた。

 

 だが、自分もまた彼女達と同様に幼かった。そして甘かった。

 どんな物を見せ付けられようと、それが当然だと何時ものように平静に受け止められると勝手に確信していた。ただ魔法という世界に隠された“真実”という美味しい果実を味わえると。

 

 しかし、好奇心は猫を殺す。

 

 余計な事に興味本位で首を突っ込んだが故に、和美は一生涯知らなくても良い。忘れられないものを見てしまった―――見せられてしまった。

 

(……当分、肉は食えない)

 

 一方でそう思えるのだからまだ夕映たちに比べれば衝撃は軽く、余裕もあるのだろう。しかしアレを見せられた以上は関わるべきか本気で悩んでいた。

 本能的には既に関わるべきではない、命が幾つ在っても足りないと分かっていたが…。

 

 自失に近い状態から逸早く復帰したのは衝撃の軽い和美であった。

 

「たしかアレ、修学旅行であった“あの夜”に起きた事だって言ってたよね。…マジなの?」

「ええ」

「はい、事実です」

 

 イリヤと刹那は、真っ直ぐに視線を向けて彼女の問いに頷いた。

 和美はその二人の視線を受けて実感が強まり、いつに無く真面目に言う。

 

「……あの時、本当にヤバかったんだ。明日菜も桜咲さんも…ネギ君も。なんかホント、今更って感じだね。真実を求めるとか言いながら……私は結局、何も知らなかったまま…って事か」

 

 何時にない真面目な口調で出されたその言葉には、自身に対する呆れと同時に苛立ちも含まれていた。

 

「いや、実際は知ろうとも思わずに楽しんでいた…だけなのかも、それとも隠されている事だからって深く考えずに無謀に首を突っ込んだだけか。…ジャーナリスト失格ね」

 

 そんな和美の様子は普段がお気楽過ぎる所為か、落ち込み具合が半端でないように見えた。自虐的にもなっているようだった。

 だがイリヤとしては、そう思ってくれた事に安堵もする。裏に関わる刹那と関わる事を決意した木乃香も同様だ。

 特にクラスメイトである二人は、和美が持つ無駄にある行動力と、記者魂と自称する好奇心の大きさに不安を覚えていたのだから。

 

「ネギ君もゴメンね。なんか勝手に盛り上がって迷惑を掛けて…」

「あ、いえ…その」

 

 珍しく素直というか、元気が無いというか、意気消沈した和美の姿にネギは戸惑って曖昧に応じる。

 いや、ネギにしてもショックが小さくなく。それでも三人の落ち込む姿を見てそれについて考えるべきか、彼女たちを慰めるべきか、どうしたら良いのか判断が付かずに困惑しているのだった。

 そこでようやく動く気になれたのか、それでもノロノロとふら付きながらも夕映が近づいてきた。

 僅かに表情を固くしながら彼女は尋ねる。何かに縋りつくように…。

 

「危険なのは、わかり…ました……ですが、ああいった事は、魔法の世界でも日常茶飯事という訳ではないのでは?」

「そうね。アレはちょっと極端な例ではあるわ」

 

 そのイリヤの言葉に何処かホッとする夕映。だがイリヤは予想だにしない言葉を続ける。

 

「でも、ある意味ではマシな部類でもあるとも思う」

「え? あれが…!?」

「ええ、だってあんな怪異じゃなく、相手が人間の場合もあるんだから。ごく普通な貴女達から見ればマシなほうでしょう」

「……!」

 

 夕映はまた顔を青くした。想像してしまったのかも知れない。怪異の変わりに人間が切り殺され、またアヤカシに変わって人間が怪異に喰われる姿を―――或いは……人間を手に掛ける明日菜や刹那の姿を…。

 それは夕映も全く考えなかった可能性ではない。修学旅行の時にネギが戦った相手には人間がいて、あの小太郎という狼の少年も普通の人間と何ら変わりがないように思えた。

 ただ、のどかと二人で相談していた時もそうだが。それは考えても口には出さなかった事だ。

 

 そう、危険な目に合うという事は危険をもたらす相手が居るという事でもある。無論、ヒトが関わらない事。偶発的な事も在るだろうが、それだけを口にするのは逃げだろう。

 だが、夕映はその逃げに縋っていたのではないだろうか? そう彼女は自問した。

 

 夕映の目下の目的は自身がトカゲと称する図書館島の地下に巣くうドラゴンだ。

 それを相手にするのは良い。けど…いざその時になって本当にその命を刈り取れるのだろうか? 命を奪うという行為の重さに耐えられるだろうか?

 況してや、それがあの小太郎という少年ように人と同じ姿をしていたら? だったら死なせないようにする? でもそれで済ませられなかったら? いや、それ以前に自分はヒトとなんら変わりない者を相手にし、傷付ける事すら躊躇わずに戦えるだろうか?

 考える事を避けていた事が次々と脳裏に浮かぶ。答えが出せないまま……。

 

「ユエ、貴女は危険な目に合う。命を落とす決意が在ると言った。けど…その危険をもたらして、命をも脅かそうとする要因に対して“立ち向かう”決意は在ったのかしら? 私はこの二者は同義で等しいものだと思っているんだけど」

「………………」

 

 まるで心を読んだかのように告げられたイリヤの言葉に夕映は答えられなかった。

 代わりに答えたのは、のどかだった。

 

「じゃ…じゃあネギ先生には、そういうのはあるって言うんですか! その“立ち向かう”決意とか…そんな覚悟みたいなものが!」

「それは私が答えられる事じゃあないわ。でも……修学旅行で貴女は見た筈よ。ネギが敵対する相手に屹然と立ち向かうのを」

「っ…!」

 

 のどかはその言葉で夢から覚まされた気分になった。

 まるで少年向けの冒険小説を読んでいたみたいだったソレに、何処か冷静とも言える思考が脳裏に奔る。

 その通りだった。ネギは確実に相手を傷付け、或いは殺傷すら可能な力を振るい、躊躇する事無く相手にぶつけていたではないか、と。

 青かった顔が更に青くなる。頬を叩かれて、何時まで夢を見ていたいんだ、と叫ぶ自分が心の何処かにいた。

 

 戦うことが無ければそれが一番良い―――ほんの数時間前にそう言った自分がそうだった。アレはただネギの身を案じて出た言葉では無い。

 

 のどかも判っていた事なのだ。“危険の意味”を。

 だけど、それでも大好きなネギと関わりたくて、魔法という不思議で素敵な言葉と世界に惹かれて、必死に塗装して見ぬ振りをしようとした。

 ―――夕映と同様に。

 

「……僕は正直、イリヤの言う決意っていうのはよく判っていないんだと思う。けど…危険な目に皆が、守りたいと思う皆さんがそれに晒されるなら、イリヤの言う通り立ち向かう積もりです。エヴァンジェリンさんに狙われた時は、恐くて身を守りたいという気持ちと彼女を止めたい。勝ちたい……という気持ちが強かった。修学旅行の時は、親書を届ける事で西と東を仲良くさせられるって思えたし。木乃香さんを悪い人から守る為、助ける為だから戦えた」

 

 ネギがイリヤとのどかの言葉を受けて黙っていられなくなったのか、独白をし始める。それはまるでこれまでの事を確認しているかのようでもあった。

 

「でも、それが、その為の力が、守るだけじゃなくて、傷付ける物なんだって事も理解していて、出来ればそんな事はしたくない……けど…けど、それでも、僕は…僕は―――」

「―――うん、それ以上言わなくても良いわ。判ってるネギ。貴方がそういう真面目な子なんだって。でも、だからって答えを出す事に急ぎ過ぎる必要は無い。今はまだ、その力のもたらす結果への理解とその立ち向かおうとする勇気があるだけで良いから」

 

 イリヤは、振り絞るように言葉を出そうとするネギを諭す。

 しかしそれは半ば直感的なものだった。イリヤにはネギの独白が自傷行為に思えて、このままではいけないと感じた。だから咄嗟に思い付いた先から言葉を並べてその危うい行為を諌めた。

 

「―――そう、かも知れない…」

 

 咄嗟に並べた言葉であったものの、ネギは独白を止めて自信無さげにしながらも静かに頷いた。

 

 イリヤは、ホッとしつつもネギの消沈する姿を見たお蔭か、逆に柄にもなく自分が熱くなっている事を今更ながらに自覚した。

 先程、ネギと夕映達のやり取りを立ち聞きした時に覚えた心の冷たさや体の寒さが嘘のようだ。その心情の機微をイリヤは冷静さに傾いた頭で考え……その答えは直ぐに出た。

 

 ―――それはおそらく羨望や嫉妬に怒りだ、と。

 

 そう、平穏な世界に労する事も無くそこに居られる夕映達に……そんな羨ましい位置に居る夕映達が妬ましく、なのにそれをあっさりと捨てて安易にこちらへ関わろうとする事が許せなくて自分は怒っているのだ。

 “魔術師”であり、“魔法使い”の一員としてその危険を理解する事と、それに伴なう秘匿と漏洩の防止などの義務感もあるが、一番の理由はその私情…もしくは私怨というべきものだ。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが神秘に属する事と、この世界での役割から決して得られないであろうモノを持つ夕映達が―――羨ましくて、妬ましくて、なのにそれを簡単に破棄しようとする事が許せないのだ。

 

(……別に魔術師の一族に、ホムンクルスとして生まれた事に恨んでいる訳でも後悔している訳でも無いし、これからもする積りは無いけど。それでも……彼女達は私と違って―――相応の■■を持って平穏に■きられるのだから、危険が満ちるこちらに敢えて関わる必要なんて無い)

 

 自覚に伴い、イリヤはそう強く思った。

 しかし、それを自覚したからといって見過ごす訳にも行かない。その私情や私怨を抜きにしても彼女達が興味本位で関わろうとするのを良しとはしない。

 原作では確かに彼女たちは結果的に成長し、覚悟を持ち、戦い抜く力を得てネギを支えた。

 けれど、何度も言うが此処は漫画の世界ではない。極めて似ているが違う。それに今後も漫画と同じだとは限らない。しかも時を経るごとにその“物語”は、展開に過酷な面が加えられていったのだ。

 なら、現実であるこの世界ではどれほど過酷で厳しい事態が待っているのか?

 それに敵として立ちはだかるのはフェイト達だけでは無い。黒化英霊やアイリまでいる。とてもではないが彼女達の無事で済むとは思えないし、済ませる保証が無かった。

 そう感じたからイリヤは、覚える義務感や私情と同等以上に一般人である彼女達が平穏な世界で生きる事を望んでいた。

 

 だからこそイリヤは魔術をも使って凄惨過ぎる現実を叩きつけ、こうして厳しい態度で彼女達に接している。

 

(エヴァさんに笑われそうね。大した偽善だって…)

 

 不意に脳裏に不敵に笑う吸血姫の姿が思い浮かび、釣られてイリヤも知らずに苦笑を零す。

 夕映は、その笑ったイリヤの顔をどう捉えたのか、先と同様に嘲笑ったと感じたのか、必死に考えて言葉を紡ぐ。

 

「でも、でも……日常茶飯事で無いとも言いました。確かに認識が甘かったかもしれません。ですが、やはり言葉のみの説明では実感が得られず、納得が出来ない事に変わりは在りません。今のように見せられたとしても、ただ打ちのめされる事しか出来ません。……これでは一方的過ぎますし、一般人に従者を求める事なんて―――」

「―――ええ。その通りよ。現代において一般人を従者に持つ魔法使いは極少数と言えるわ」

「え?」

 

 夕映は思わぬ言葉に一瞬惚けた。

 ネギの事からてっきり魔法使いの多くが、自分たちのような一般人から従者を選んでいると思い込んでいたからだ。

 

「当然でしょ。自分が魔法使いなのだと明らかにするリスクがあるし、何より自分の過ごす世界のその危険性を理解しているからこそ、従者を必要とする魔法使いはまず間違い無く一般人を選ぶ事を避けるわ」

 

 況してや多くの試練を乗り越え。また危険に身を投じる“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す者であれば尚更に。

 

「それは、同じ魔法使いから従者を選ぶという事ですか?」

「そう言ってるのよ。確かに刹那のようなこちらに属する剣士や戦士なども居るけど、総じて魔法使いと呼ばれる彼等にも様々なタイプがあるの。簡潔に言えば従者向きの魔法使いだっているわ。基本的にはそういった人達は自ら進んで従者としての道を進むか、文字通り一時的に仮契約を結んだりする用心棒的な仕事に付く事が多いみたいね。その上で仕えるに値する…もしくは見込みのある相性の良い魔法使い(パートナー)を探す人もいるそうよ」

「…………」

「加えて言えば、一般人が選ばれない理由には知識が皆無で一から教え、鍛えなければいけない…という手間もあるかららしいわ」

 

 夕映は完全に打ちのめされた。イリヤの話が道理に適い過ぎているからだ。

 自分が仮に魔法使いになるとしても恐らくは数年の時間を要するであろう。仮契約を行なうにしても即戦力になれると断言出来るほど自信が在る訳ではない。

 先程見せられた光景から刹那は元より、明日菜のようにも戦えるとは到底思えなかった。

 

(なるほど、無力な一般人に過ぎない私は足手纏いにしかなれない…ですか)

 

 夕映はそう内心で呟き、さっきネギに申し出たことが急に恥ずかしく思えた。

 

 ドラゴンを倒す? 力になりたい? 戦力に成る? そんなのは何も知らない愚か者の戯言……とんだ妄想だ。

 

 まったく、本当に愚かしい限りです!

 無責任な発言をした怒りと、浅慮で無知な自分への悔しさから様々な感情が芽生えて彼女は憤った。

 

「ゆ、ゆえ…」

 

 そんな夕映の姿にのどかも落ち込み、何も言えなくなった。

 自身が踏み込もうとした夢のように思えた世界にも、どうしようもない現実が在ってそれにどう立ち向かうか、立ち向かって良いか、のどかは判らなくなった。

 本来ならそういった彼女を支えて的確に助言してくれるのが夕映の役目だったからだ。

 その自分を助け、道を示してくれるコンパスが打ちひしがれて針を刺さなくなった事で、のどかも自らの考えを停止させざるを得なかった。

 ただ友人を心配するのみだ。

 

「それに日常茶飯事で無いというけど。今魔法使いが関わる裏の世界は現状、正直芳しくは無いわ。20年ほど前に起きたある事が原因でその情勢は不安定に成っているの」

 

 その原因が原因なだけにイリヤは心底呆れ、また困ったように嘆息する。

 

「管理地域や秘境から逸れた…もしくは封印されていたそれら魔物や魔獣といったものの出没や、さっきも示唆したけど、同じ魔法使い…つまり人間を相手にする事件などの魔法犯罪者が増えていて治安は悪化の一途……いえ、最近低下の兆しを見せているけど、このまま沈静化するかは微妙で、現状のこちら側は中々に緊張しているわ。そういった意味では今ほど一般人と契約をするのに向かない時期は無いのよ」

 

 そう、あの20年前に終結した大戦が原因で、その戦争の犠牲によって人員と人材を欠いた結果。協会の取り締まり…云わば警察力というべきものが低下しているのだ。

 口には出さないが、ついでに言えば向こうが冷戦状態で人材が“本国”に取られがちである事もこれに拍車を掛けており。また何時戦争が再開してもおかしくは無く、再び協会に戦力の抽出を迫る可能性……つまりネギもまた、戦争に引っ張り出される事が在り得るのだ。当然従者もその対象になるだろう。

 

「そうだったんだ…」

 

 ネギもまたショックを受ける。

 自分が田舎育ちで世間に疎い事は感じていたが、実践的な魔法に偏りすぎて大事である筈の魔法社会の勉強を疎かにしていたのが、ここまで影響して皆に迷惑を掛けているのを理解したからだ。

 それでも魔法学校を首席で出たという自分に、何処か慢心を懐いていたのかも知れない……そうも考えた。

 

 

 ―――――――………。

 

 沈黙が辺りを支配した。

 夕映とのどかは落ちん込んだままで。和美も黙って何かを考え込んでいるようだった。

 言うべき事を大体終えたイリヤは、魔法陣の消去に取り掛かっていた。それを終えるとネギの方へ視線を移す。

 

「さて、ネギ」

「はい」

 

 イリヤの声にネギは姿勢を正す。いい加減自分の過失を理解しており、多少なりとも覚悟を決めたのだ。

 それでもやはり緊張は消えず、顔色は優れない。

 

「最後のユエに明らかになった経緯に関しては、魔法に関わる事を理解しながら、それを深く考えずに依頼したという失態がある」

「はい…」

「けど、修学旅行の一件も絡んでいるからカズミの時と同様に情状酌量の余地はあるわ。最終的な判断は貴方を監督すべき学園長が下すと思う」

 

 イリヤは一度言葉を切って意識も切り替える。“麻帆良に属する魔法使い”として私情やネギへの同情を抑制する為に。

 

「ただ…現在麻帆良に籍を置く魔法使いであり、漏洩の監視を担う立場にある私の判断として、アサクラ カズミおよびアヤセ ユエ。この両名には『記憶消去』ないし『行動制限処置』の即刻適用の必要アリと判断します」

「あ……は、はい」

 

 口調と共に雰囲気も変わったイリヤに、一瞬ネギは途惑うが返事をする。

 

「多々問題はあるものの、既に仮契約済みのミヤザキ ノドカに関しては、その事情から私に判断を下す権限が在りません。私の報告と今後、協会による貴方への事情聴取も含めた結果、結論が下される事でしょう」

「っ…はい」

「ただし、重大な規約違反が濃厚である為、現場の緊急処置としてミヤザキ ノドカはカードを一時没収。貴方には逃亡の恐れを鑑み、監視として発信術式の刻印と、現場責任者となる私とサクラザキ セツナが常に傍に付く事になります。以上ですが何か質問は在りますか?」

「……夕映さんと、朝倉さんへの処置はどちらを行うつもりですか?」

 

 この質問に、一般人である三人の少女達の元からあった緊張が更に高まった。

 イリヤはそれに気付くも無視し、ネギの質問に少し考える素振りを見せる……が、既に決めていた考えを述べる。

 

「私は記憶消去の適用が妥当だと思います。セツナ、貴女の判断は?」

 

 決めていたとはいえ、そして色々とネギ達に言い聞かせたとはいえ、この世界の事情を完全に精通している訳ではなく。また実質こういう経験が初めてなイリヤは、一応刹那にも意見を求める。

 

「……そうですね。宮崎さんへの判断と処置が当面保留される事を見ると、制限処置の適用が妥当かと。理由は綾瀬さんがクラスメイトであり、ルームメイトで親しいからです。仮に消去を行なったとしても宮崎さんがそれを口にする事で、綾瀬さんが信じる可能性が非常に高いと思われます。朝倉さんもほぼ同様の理由です」

 

 なるほど、とイリヤは刹那の尤もな意見に頷く。

 のどかに対する権限が無い以上、刹那の意見の方が理に適う気がするのだ。イリヤは私情抜きに考えて判断を下す。

 

「分かったわ。セツナの判断を尊重します」

 

 その決断にネギはホッとし、三人の少女達も比較的穏当な処置なのだと感じて同様に安堵を示す。

 イリヤはネギに向き直り、もう一度問い掛ける。

 

「もう質問はありませんか?」

「…はい。ありません」

「では、発信術式を刻みます。抵抗はしないように」

 

 そう言うとイリヤは木乃香から一枚の符を受け取る。彼女はこの世界の魔法の殆どが使えないので、それほど高度な術でなくても魔法符は必要不可欠だった。

 木乃香はネギに申し訳なさそうな表情を向けた。

 

「ゴメンな。まさかネギ君にこれを使う事になるなんて…」

「いえ……―――っ!」

 

 謝る木乃香に軽く首を振るネギ。そこに彼は自分の身体に異物(まほう)が流されるのを感じ、呻いた。

 

「―――完了です。今貴方の体内の何処かに発信術式が刻まれました。効果は凡そ一週間。それまでこの術式は監視の為、10分おきに貴方の魔力を使用し、特殊な魔力波を半径約20kmの範囲に放ちます。なおこの術式の無断解呪は重大な処罰の対象となりますので留意するように…」

「はい、分かっています」

「では、次に…」

 

 イリヤは、ネギの中で機能し始めた術式の確認を終えると。三人の少女達の下へ歩み寄ってのどかから仮契約カードを渡すように促がし、

 

「おかしい…! おかしいです!!」

 

 途端、のどかが叫んだ。

 何時も前髪に隠れがちな、優しげであろうその瞳から涙を潤ませてイリヤを睨み。その彼女に加担するクラスメイトの二人にも視線を巡らせて。

 

「こんな…! ネギ先生を犯罪者みたいに扱うなんて! 木乃香も桜咲さんも……それに貴女だっ―――!?…あ、」

 

 しかし、唐突に言葉を切ってのどかはたじろいだ。

 彼女のその涙が浮かんだ瞳にはイリヤの顔が映っていた。その睨みつけた筈の相手の表情を見て、のどかは声を詰まらせた。

 

「……カードを渡して」

「あ、うう」

 

 静かに告げるイリヤに、のどかは一瞬逡巡したが……何も言わずに渡した。

 カードを受け取ったイリヤは残る二人に視線を合わせる。

 その二人。夕映と和美は突然声を荒げたのどかに気を取られ、イリヤを視界から外していた為にその級友がどうして怒りを収め、素直にカードを渡したのか訳が判らず、微かに首を傾げるもそれを考える間も無く。

 

「う―――?」

「え―――?」

 

 イリヤの赤い目を見た瞬間、二人は麝香にも似た甘い香りを覚え、頭…というかその中を、まるで直接脳を触られているような奇妙な錯覚を感じて眩暈を起こした。

 桟橋に備え付けられたベンチに座っているにも拘らず、夕映と和美は地面に倒れそうになる。倒れまいと踏ん張り、足と腰へ力を入れ……直後、眩暈が消えた。頭に感じた奇妙な違和感もだ。

 消えた気味の悪い感覚に呆然とする中でイリヤが告げた。

 

「ん―――終わりました」

 

 その言葉に二人は顔を見合わせ、身体をあちこち動かして違和感が無いか確認する。だが何も無くて逆に恐くなった二人は同時に尋ねる。

 今、何をしたのか? と。

 

「貴女たちの言動と行動に制限を掛けさせて貰いました。簡単に言いますと、魔法に関して口述する事、記述する事などが特定条件下以外では不可能になったと考えて下さい」

 

 具体的な事は何も告げず、イリヤはその効果だけを説明した。

 今イリヤが使ったのは、純粋な“魔術”だった。

 ポピュラーな暗示を使ってある種の言動および行動を制限する魔法を―――正確にはその効果だけを再現したのだ。

 

 次にイリヤは木乃香と刹那に視線を向けて、最後に残った問題を告げる。

 

「コノカ。セツナ。貴女達にも本件に関わる報告義務を怠ったとして処罰が下される可能性がありますが、これも酌量の余地はあるので大事には成らないと判断し、私からは何も行ないません」

「はい、すみません」

「うん、わかっとる。イリヤちゃんにも迷惑を掛けてゴメンな」

 

 二人はややバツが悪そうにしながらそれを了解した。

 事実上、イリヤは二人の立場を考えて見逃したといえる。あとは彼女達が自己申告して累が及ばないようにこの件に関わる工作を進める必要が在るだろう。それは木乃香と学園長の仕事だ。

 

 ちなみにネギは後に知る事であるが、自分がバレたと考えているもう三人―――古 菲。長瀬 楓。龍宮 真名に関しては、問題がないことが明らかになる。

 真名に関しては言うまでも無く既に関係者であり。残りの二人にしても彼女達本人は知らないが、その実家および一族は魔法の存在を知っており、彼女達の成長と共に学園で魔法に関する裏事情も学ぶ協定が、関東魔法協会の上層部と彼女達の実家や一族の間で交わされていた。

 

 

 

「―――あ、いけない。危うく忘れる所だった」

 

 イリヤは唐突にポツリと呟く。

 木乃香と刹那の問題を最後にしてもう一人…いや、もう一匹重要参考人(?)が居ることを忘れていた。

 イリヤは木乃香に頼んだ結界の解除に待ったを掛け、その一匹を探して周囲を見渡し―――

 

「ヒィィ―――ッ!」

 

 悲鳴とほぼ同時にドスドスッという物騒な音が聞こえ、逃亡を図ろうとした白い小動物の進路が塞がれた。

 小動物―――カモの周囲には、彼と閉じ込める檻のように無数のアゾット剣が突き刺さっていた。

 

「主人を置いて何処へ行く積もりかしら? この駄妖精オコジョは…」

 

 背後から掛かるその優しげな声にカモは恐る恐る振り向くと、そこには彼とって絶対的恐怖の対象である“断罪の魔女イリヤお嬢様”の姿が己の想像通りに在った。

 周囲に居る人間から向けられる視線もどこか白かったが、彼は気に成らなかった。それ以上にクスクス笑う魔女の自分を見る紅い眼の方が恐ろしかったからだ。

 

「ああ、ああ…あ」

 

 体の震えが凄まじく、彼の視界は地震が起きたようになっていた。恐怖が圧倒的過ぎてもうまともにその魔女の姿も見ることが出来ない。耳も震える体のガクガクとした奇妙な音しか捉えられず。嗅覚も何故か溢れる鼻水によって閉ざされ、触覚も肌が泡立って駄目になっている。

 もうまともに感じられるのは、魔女の放つ今までに無い強大なプレッシャーだけだ。

 だが…もう逃げる事はできない。逃げる事なんて叶わない。この場から逃げるには、この過酷すぎる現実から逃避するには………………クルウシかなかった。

 

「ああ、アア…あアあ―――あーーーーッ!!!!」

 

 そうして彼は発狂した。その告げられる罪状も処罰を聞く事も無く。その場で狂った絶叫を上げて――――倒れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 東の空が白んで地平線の向こうから日が昇るのを見ていた。

 

「綺麗ね…」

 

 空と海に青みが帯び、澄んだ水面が日の光をキラキラと反射させる南の島の朝の情景にイリヤは見惚れ、呟いた。

 あれから一晩。イリヤはネギに告げたように彼の監視の為、その近くに居た。

 ただ、イリヤ自身も内面が複雑でネギの寝泊まるロッジには入らず、その屋根の上で夜を明かしていた。

 刹那もこれに付き合おうとしていたが、

 

『貴方はコノカに傍に付いて居て上げて、あの子も今回の事で色々と思う事があるだろうから…』

 

 イリヤのこの助言に従って彼女は何時ものように木乃香の傍に居る事を選んだ。イリヤの配慮に深い感謝の一礼をして…。

 

「はぁー……」

 

 美しい光景に心を動かされたのも束の間、イリヤは深く溜息を吐いた。

 ネギに対して厳しく辛く当たったというのも大きいが、今後これがどう影響するかというのも気になるからだ。

 確かに色々と複雑な感情や義務感もあるが、夕映達が平穏な世界で暮らして欲しいというのも本音だ。だから彼女達にも容赦無く苦言をした。

 

 しかし、彼女達がネギに関わらないという未来もまた不安なのである。

 

 それは結局、現実の世界だと理解しながらも、やはり原作知識を当てにしている部分もあり、それと外れつつある現状に…そして本来ならば居ない筈の自分が関わって余計な事をしたのではないかという危惧があるからだ。

 

 だが、覆水盆に返らず。

 やってしまった以上は後悔しても仕方が無い。行なった事には責任を持って今後に備えなければ、と理解はしているのだが……。

 

「ふぅー……」

 

 溜息が止む事はなさそうだった。

 ちなみにカモの事は欠片ほども気にしてはいない。どう考えても自業自得だからだ。まあ、まだ生きているのなら、麻帆良に帰る時に拾って行くのも吝かではない。()()でも一応ネギの使い魔であり、友達なのだから…。

 

「…うん?」

 

 不意に気配を感じてイリヤは視線を転じると、明日菜が海から泳いでネギのロッジに近付いて来るのを目にする。

 彼女は神妙な様子でこちらに気付いた様子は無い。さすがに屋根の上に人が居るとは思わないから当然だろう。

 イリヤもまた声を掛けることは無く、そんな彼女を見過ごす。

 明日菜がここに来た理由は分かっており、原作通りならネギと仲直りしに来た筈だからだ―――が、それもまたイリヤの心に影を落とす。

 昨日の事が“これ”にも響かないか不安なのだ。

 しかし、これといった妙案も浮かばず、イリヤは暫く状況を静観する事にした。

 

 

 

 ネギがトントンと固い物を叩く物音を耳にして目を覚ますと、ベランダに窓をノックする明日菜の姿が在った。

 ケンカをしていた筈の相手の姿がいきなり在った事に驚いたネギだったが、明日菜に誘われるままにベランダを出て、そこに階段から繋がる海に放り出された。

 投げ出されたネギは、その唐突な明日菜の行動に抗議する間も無く。水を含んで咽る姿を笑われて、飛び蹴りから始まる彼女のじゃれ合いに付き合わされた。

 

 ―――…。

 

「あはは」

「いきなり、ひどいじゃないですか―――」

 

 なんなんですかもう、と。微かに身体をふら付かせてようやく抗議するネギ。

 

「……別にぃ。せっかく南の島に来たのに、あんたと遊んであげなかったと思ってさ……」

「え?」

 

 ケンカをしていた相手からの思わぬ言葉に、ネギは思わず疑問の声が漏らし、次に無言でズカズカと…もとい水の中なのでバシャバシャと近付いてくる明日菜に驚き。また昨日の様にぶたれると思いネギは腰が引けて思わず目を瞑る。

 ―――が、

 

 「え……あ、明日菜さん?」

 

 予想に反し、自分を包んだ暖かく柔らかな感触に途惑って目を開けると、ネギは自分が抱き締められているのを理解する。

 

 ―――悪かったわよ。

 

 耳元でそう明日菜が囁いたのを聞いた。

 直後に照れ隠しなのか、サバ折を受けてネギは苦しんだが明日菜の謝罪はまだ続いた。

 

「……しばらく無視していて、悪かったわよ。謝る……ごめん…」

「え?…えっ」

 

 ネギは彼女の謝罪に戸惑いが大きくなるも、次第にその謝罪の意味を理解し自分もまた謝る。

 

「あ! あっ、あの。えとっ…いえ、ぼ、僕の方こそ関係ないとかひどいこと言っちゃって、ご、ごめんなさいっ…」

「もーいいわよ、それは…」

 

 明日菜は本当に気にした様子もなく、そう答えてネギの謝罪を受け容れた。

 

「それに……それだけじゃないのっ」

 

 グッと明日菜の抱き締める力が強まり、ネギはまた苦しくなって微かに呻く。

 しかし明日菜の力は緩まず、彼女は言葉を続ける。

 

「……私、心配なのよ。あんたのことが、ちょっと前から何でか…わかんないけど……」

 

 微かに言葉が切れ、ネギは頬に温かい雫があたるのを感じた。

 

「私の見て無いところで大ケガしてんじゃないか……死んじゃうんじゃないかって……」

 

 無謀すぎんのよアンタは…

 そう言い明日菜は身体を離し、零れた雫を拭い目元を擦る。

 

「―――どうせ、止めろって言っても。お父さんを追うの、諦めないでしょ? だから……あんたの事を守らせてよ。私を…」

 

 涙を拭い切って笑顔を向けて言う。

 

「あんたのちゃんとした。パートナーとして見て―――ネギ」

 

 ネギは一瞬その笑顔に見惚れ、パートナーの意味に思考が及んで顔を真っ赤にさせたが……それは僅かな間で、昨日の事が脳裏に過ぎって頬に感じていた熱さが引いて行くのを感じた。

 ネギは俯いて視線を下げた。それに不審を覚えた明日菜は、どうしたの?と尋ねようとしたが、それより先に彼が口を開いた。

 

「あの……明日菜さんは、いいんですか本当に…」

 

 その言葉に明日菜は折角の決意を踏み躙られたように感じ、何を今更!と。先日のように一瞬ムッとしたが、直ぐにネギの様子があの時とは大違いであることに気付き、戸惑いとやはり不審を覚えた。

 明らかにネギは落ち込んでいる。これまでも幾度も落ち込んで悩む姿は見て来ていた。

 ……けど、今のネギはそれまでとは明らかに一線を画していた。

 少なくとも明日菜はそう直感した。

 自分の知らない間に何かあったのだろうか? と明日菜は不安を懐いて訊ねた。

 

「どうしたの、何かあったの?」

「……修学旅行の…あの夜の時のこと…イリヤと刹那さんに聞きました」

 

 ネギは微かに躊躇ってから答える。

 

「あんな、本当に危ない目にあったのに…僕、全然知らなくて……」

「あ、あれは別にネギの所為って訳はじゃあ―――」

「それにイリヤに言われたんです。魔法使いの僕がその世間…社会のことが分かってないって……」

 

 そうしてネギは昨日あった事をポツリポツリと話し始めた。

 夕映とのどかに魔法使いになりたいと相談されて、それをイリヤに聞かれてしまい。夕映達に魔法がバレていた事も知られて彼女達と一緒に様々な警告を受けたこと。そして近い内に処罰が下るであろう事などを。

 

「明日菜さんが今言ってくれた事は、とても嬉しいんです。……でも、そんな碌に知りもせず、考えもしなかった僕が……危険に巻き込んだ形で明日菜さんと仮契約した僕にそんな資格なんて…きっとないんです。それに処罰の内容次第では、故郷に帰されるかも知れません……最悪、オコジョにもされるかも―――」

「!―――…何よ、それっ!!」

 

 話を聞いた明日菜が発した第一声はその怒声だった。

 今のネギの自虐的な言葉にも腹は立ったが、それとは別の怒りだった。

 最初、ネギが迂闊にイリヤに聞かれたのは仕方がないと思った。イリヤがバレた事に追求するのも警告するのも分かる。まあ、魔法使いの立場というのはよく分からないが……兎も角、確かにあんな危険がある世界に夕映やのどかのような普通の女の子が関わる事に反対するのは理解できるから。何しろ明日菜には実感があるのだから余計に。

 自分もきっと同じ事をする…というか、つい先日、学校の図書室で夕映とちょっとしたやり取りがあってそう強くではないけど、一応注意していた。

 けどネギにした。まるで犯罪者のような扱いには我慢が出来なかった。

 

「イリヤちゃん! 近くにいるんでしょっ…!」

 

 だから明日菜は叫んだ。そう扱った人間に対して怒りを隠さず、今のネギの話しで監視のため、傍に居る事は分かっているから。

 

 

 

 呼ばれたイリヤは、また溜息を吐いた。やっぱりこうなってしまったか…と。そこには予感が的中した事への憂鬱感があった。

 正直、明日菜が何を言って来るのかも、ある程度予想が付くので答えたくは無かったが……それでは明日菜が納得出来ないであろうから、仕方なく呼びかけに応じる。

 

「ここよ、アスナ」

「イ―――」

「―――待って…! 外では誰に聞かれるか分からないから、話なら中でしましょう」

 

 屋根の上にいた筈のイリヤは既にベランダに移動しており、そこから呼び掛けに応じていた。

 そして明日菜が大声で怒鳴りそうな気配を感じ、慌ててそれを制すると中へと誘った。今までネギが長々と話していたのを思うと若干今更感を覚えたが、明日菜が放つ怒気からそうせざるを得なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「一体、どういうつもりなのっ!?」

 

 ロッジの中で全身から滴る水滴を拭き取ろうともせず、詰め寄った明日菜の発した言葉はイリヤの予想していた通り、そんな怒声だった。

 一応これを予想して遮音結界を張ったイリヤは、溜息が出そうになるのを堪えて冷静さを装って返事をする。

 

「どういうつもり、と突然言われても何を指しているのか判らないわ?」

「ッ…!」

 

 そのどこか惚けようとする態度を、話を拒もうとしているように感じて明日菜の怒りは更に強まった。

 それは確信に満ちた直感だった。イリヤは明日菜の言う意味を察せないほど頭の巡りが悪い子供ではない。非常に聡い子だ。それが分かるから明日菜は怒りを大きくしたのだった。

 

「なら、言ってあげるわ…! どういう積もりでネギにあんな真似を…まるで発信機を仕込むようなことをして、監視なんてするの! 確かにアンタ達―――魔法使いにしてみたらネギは許されない事をしたのかも知れない! でも…だからって、やり過ぎよ!」

 

 そう区切ってから、明日菜はギリッと奥歯が軋むほど顎を噛み締めてイリヤを睨んだ。

 

「だいたい、ネギが逃げる訳ないじゃない! そんな自分がしでかした事から敢えて目を逸らすような奴じゃないって…! イリヤちゃんだってそれぐらい分かってるんでしょ!?」

「……」

「それに…! そもそも何でネギをそんなふうに扱えるの!? さっきも言ったけど、確かに本屋ちゃんの仮契約の事や夕映ちゃんと朝倉にバレたのは問題なのかも知れない! けれど…三人とも秘密を守るって言ってくれてる! なのに、なんで……どうして、イリヤちゃんは―――」

「―――見逃せない事だからよ。私は一人のまじゅ…魔法使いとして。その世界の法と秩序を順守する立場の人間として」

 

 イリヤは冷静に、あくまでも冷静に答えた。

 

「だからって…分かっているの! そんな固い考えの所為でネギは故郷へ帰ることになるのよ! オコジョにされるかも知れない!…ううん、それよりもネギが目指すマギ…何とかっていうのにも成れなくなる! あんなに頑張ってるのに……犯罪者みたいに扱って、イリヤちゃんは良いのそれで―――貴女、友達なんでしょ!!」

 

 友達なんでしょ―――この言葉を聞いた瞬間、イリヤは自分の中で何かが軋んだのを感じた。

 我慢しようとした、耐えようとした、……でも駄目そうだ。

 

「だから、見逃せと。…分かって無いアスナ。…黙って見逃して、それで済むと言うの?……だったら、私もそんな真似しないわ」

 

 イリヤは、壊れたような、悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「私が見逃したとしても他の誰か、麻帆良に居る私やセツナ以外の関係者が気付く可能性だってあるのよ。それじゃあ、ただの問題の先送りになる―――…それに! 此処で厳しく当たらなかったら! 間違った事を…間違いだって! 確りと指摘しないと、また同じ過ちを繰り返すかも知れない!」

 

 冷静だった筈の仮面が剥がれて、叫ぶように捲し立てる。 

 

「もし私以外の誰かが気付いて……それが今回のように忠告し、罰しようする形ならまだ良い。けど……ナギ・スプリングフィールド―――サウザンドマスターの息子だからって甘い判断を下して…結果! 取り返しの付かない事が起こるかも知れない!! それこそ、興味本位で魔法に近づいたあの子達が犠牲になる可能性だってある!」

 

 イリヤは叫ぶようにそう口にし、そんな見た事も無い彼女の姿に明日菜は面食らい黙り込む。次に一拍於いて気を落ち着けるように息を吐くとイリヤは静かに言葉を続ける。

 

「…もしそうなったとしたら…本当にそうなったら……ネギと本人や、その周りに取っても、とても不幸な事…」

 

 事実……とは言い難いが、原作ではあの堅物なイメージがある黒人魔法教諭のガンドルフィーニが「さすが、“彼”の息子だよ」と超 鈴音を見逃す事になっていた。

 

「危ういのよネギは……このままこっちの世界の厳しさを知らないままじゃあ」

 

 イリヤは辛そうに言う。

 

「本来、魔法学校を出たばかりの子が、これまでのような事態やそういう社会の厳しさに直面し、理解するのには余裕がある筈なの。けど、ネギの…“英雄の息子”であるという事実と、或いは運命という物なのかしら、ね……それが許してくれない。まるでコノ…―――」

 

 危うく口が滑りそうになり、咄嗟に誤魔化す。

 

「―――いえ…実際、エヴァさんに襲われている。そしてアスナと仮契約をも交わした。……命のやり取りに仮契約。その両方とも魔法学校を卒業したての子供が経験する筈が無いような事……けど、ネギのお父さんが残した因縁でそうなってしまった」

 

 イリヤの顔を見て、言葉を聞いて、明日菜は頭をガツンと殴られた気分になった。

 

「……私は、何も好きでネギに…厳しくしている訳でも、責めている訳じゃあないわ…! 好きで大切と思える友達を…友達を……犯罪者みたく扱う訳ないじゃない!!」

 

 だから聞きたくなかった。のどかもそうだった。ネギの扱いに…犯罪者を扱うようだって責めるのが分かっていたから。同じ大事に思える“この世界に訪れる事でできた”友達のアスナからはそんな言葉を聞きたくなかった。

 

 

 そんなイリヤの心情が現われた壊れそうな辛そうで泣きそうな表情と。激しく波打った感情を吐き出しているような言葉が、明日菜から怒りを吹き飛ばして強い後悔を抱かせた。

 

「ご、ゴメン…! ゴメンなさいイリヤちゃん」

 

 明日菜だって良く考えれば判っていた筈だった。だけど、ネギの話を聞いて芽生えた怒りに……感情と思考が捕らわれて、それを優先してしまった。

 いつも冷静で屹然として、ネギどころか自分よりも大人だと感じさせ。時には冷酷だと思う事もある彼女だけど、それでも自分たちと変わらない少女であり、根も優しい子なのだ。それは判っていたのに…。

 明日菜は頭を下げながらイリヤの気持ちを考えられなかった、怒りに捉えられていた自分に本気で後悔し、また今度は自分自身に怒りを覚えた。

 私の馬鹿…ッ! イリヤちゃんだって辛いのに…!と自身を罵った。

 

「イリヤ…ごめん」

 

 明日菜の剣幕に押されて、止められなかったネギも頭を下げて謝った。

 明日菜を止められなかった事もそうであったが、イリヤにもこんな辛い思いさせた自分が改めて情けなくて許せなくなった。

 そんな二人にイリヤは静かに首を振った。

 

「私こそ…ゴメン。みっともない所を見せたわね」

 

 感情的になり、泣きそうなった自分が恥ずかしく思えたのか、それともらしくないと思ったのか、イリヤは今一自分でも判断が付かなくてそう言った。

 あまつさえ木乃香の事を危うく口にしそうになり、余計な事を口走ったような気がしていた。

 

「イリヤ…」

「イリヤちゃん…」

 

 頭を上げても気まずそうな二人にイリヤは笑顔を向ける。

 

「そんな顔をしないで、アスナが怒るのも分かるから。…ネギもそんなに気に病まないで、私はもう気にしてないから…」

「「……………」」

 

 二人は無言で頷いたがその表情は晴れず、まだ何かを言いたそうにしていた。どうしたって気にしてしまうからだ。

 その為、イリヤは二人の前から退散するべきと思い。出入り口にと足を向けた―――その際、

 

「ネギ…アスナの申し出は受けても言いと思う。貴方は知らないようだけど、学園では既にアスナと仮契約を行なった事は認められているから」

「え…」

「故郷に帰される心配も要らないと思うしね。何より、アスナはアスナなりに、魔法に関わる危険と真剣に向き合って考えて―――あんな目に在ったにも拘らず、ああも『パートナーとして見て』なんて告白したんだから。それを踏まえてネギも真剣に受け止めて答えなさい……今回の事を思うなら尚更に。いいわね」

「え、え…」

「…それに案外お似合いかもね」

 

 そう告げてクスリとワザとらしく笑ってから、イリヤは玄関の扉を開けてロッジから出た。

 その数瞬後、不意打ちのように放った言葉の所為か、気まずい空気が何処に吹き飛んだらしくイリヤの背後から何やら大声で喚くネギと明日菜の声が聞こえ……イリヤもまた先ほどあった気分は何処に言ったのか、安心して軽やかに笑った。

 

 うん、この二人なら何があっても―――と。

 

 そうこの先の未来を思い、願って……。

 

 

 




 ネギには厳しくも何処か甘いのに、夕映達にはきつく当たるイリヤ。それも彼女達の事を思っての優しさなんですが。

なおカモには本当に容赦が無く。彼は簀巻きにされて木に吊るされ、フクロウやミミズクなんかの夜行性動物の餌になり掛けてます。

次回、ネギに処罰が下ります。

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