麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第13話―――その指針が示す先は……

 

 

 麻帆良学園都市の一角。武蔵麻帆良と呼ばれる区域に広大な敷地面積と全高70mにも達する尖塔を持つ、一際大きな教会が建っていた。

 一般的に無神論者が多い日本ではあるが、彼の一大宗教の信者はやはり居る者で。信仰に厚い者は足繁く通い、さほど厚くない者でもこの壮大な教会を見れば、まず間違いなく主の存在を身近に感じられずにはいられないだろう。

 

 だが、コンクリート造りながらも宮殿の如く外観を有し、信仰を誘い、深めさせるこの立派な教会もその実、飾りに近く……ある種の人間達のカモフラージュとして扱われている事を知る者は少ない。

 そう、真実この教会の実態を示している場は、信者たちが祈りを捧げる聖堂ではなくその地下に在った。

 歴史の裏に潜む魔法使い達が―――異質なる者、異端たる者であるが故に火星の地を寄り代にした世界へ多くの者が逃れるように移ったにも拘らず。それでも故郷たる地球の大地を忘れらない…或いは、意識せざるを得ない彼等はその大地を人間界と称し、その世界の裏で未だ多くの影響力を有し、行使していた。

 いや、現代でも多く残る魔法関連の遺跡に、魔獣や幻獣が住まう秘境。そして世界各地に封印された悪魔や鬼神といったものなど、そういった神秘と幻想の痕跡がある限り、彼ら―――魔法使いの組織は、この人間界にもやはり必要なのだ。

 その内の一つである関東魔法協会の本部にして、“本国”の下部組織である「魔法使い(メガロメセンブリア)・人間界日本支部」というのが、この教会の真の姿であった。

 

 

 イリヤがその地下施設を訪れるのは、今回で二回目である。

 一度目は、京都での一件でネギ達の救援に赴いた時だ。その一件で長距離転移を行う為に、此処の転移ポートを利用させて貰った。

 二度目である今日は……。

 

「やあ、イリヤ君」

「タカハタ先生…帰っていたの?」

 

 目的の部屋に向かう途中、背後から掛けられた声に振り向くと、タカミチ・T・高畑の姿がそこに在った。

 この前、顔を合わせたのはエヴァ邸で京都土産―――いや、詠春からとんでもない代物を送られた時だったから、凡そ9日ぶりになる。

 なお、彼が京都へ赴いていたのは、例の修学旅行の一件について関東を代表して事後処理に当たる為であった。その処理が一段落し、一度麻帆良に戻ってエヴァ邸を尋ねたのだが、直ぐにまた何処かへ出張に赴いていた。

 イリヤが聞いた話では、京都の事件に関わった黒幕…つまりはフェイトの足跡を追っていたらしい。

 

「余り元気が無さそうだね。やっぱり彼のことが心配かい?」

「……ええ、自分が見咎め。報告した事とはいえ…ね」

 

 彼は今日の此処へ召集が掛けられた事情を理解しており、イリヤの表情の険しさを見たタカミチは窺うように尋ね。イリヤも彼相手に隠す事に意味が無いと感じて正直に答えた。

 

「でも…暫定ではあるけど、今回の事でネギ君を重く処罰しようという動きは無いようだし、心配は要らないんじゃないかな」

「判っているわ。ネギには先日の京都の騒ぎでの功績もあるし、“英雄の息子”として期待している人も多いから……そうなるでしょうね」

「ふむ―――」

 

 タカミチは、答えるイリヤの様子を見て少し考え込む。

 

(ネギ君の事は心配していない。いや、今言ったように全くという訳じゃあないだろうけど、彼の身を案じる必要は無いと考えているか。そうなると―――)

 

 イリヤの表情の険しさ…不機嫌さに思い至り、口に出す。

 

「夕映君達の事か。納得がいかないのかい?」

「……………」

 

 タカミチの言葉を受け、イリヤはこの二日の間に行なわれた会議の事を思い返す。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達が南の島から戻った翌々日、5月13日の火曜日。

 その日の放課後、麻帆良女子中等部の校舎にてある会議が行なわれた。

 表向きには、各学部の教師を集めた意見交換会と銘打たれたそれは、この麻帆良に所属する魔法先生達による南の島で発覚した見習い魔法使い―――ネギの魔法漏洩問題の検討会であった。

 

「―――これ等の件はネギ君に重く処罰を求めるほど、彼の責任は大きくないと思う」

 

 イリヤの口頭報告を終えた直後に出た発言がこれだった。

 それは皆が納得する言葉であり、意見であった。和美と夕映への発覚経緯はイリヤが言うように酌量の余地があり、のどかとの仮契約は使い魔であるカモが主な原因なのだ。

 

「まあ、イリヤ君の言うとおりこの使い魔への監督不行き届きと、記憶消去処置を直ぐに行なわなかったのは確かに問題だけど。彼はまだ幼いし、この妖精のカモ君だっけ? この使い魔君とも友達で、バレた相手も彼が受け持つ生徒だったからね。色々と躊躇うのは判るよ」

 

 そう微笑ましそうに笑顔で言ったのは、魔法先生と称される者達の中でも若手である瀬流彦だ。

 彼は、問題提訴しながらもさり気無くネギを弁護した。此処にいる大半の者はそれを理解し、同意しつつも若くまだ甘さを持つ彼らしい穏当な言いようだと思った。

 

「そうだな。だが問題であることも無視できない事実だ。これをどう処理すべきかだが…」

「私的に言わせて頂ければ、ネギ先生本人への厳重注意と反省文の提出で済む事だと思います。勿論、反省が足りなく二度、三度と繰り返すようであれば、この限りでないことも示唆する必要はありますが」

 

 オールバックの黒髪に口元から顎にかけて見事に飾った髭と、掛けた黒いサングラスが印象的な厳つい男性…教師というよりも何処かの高級バーの用心棒やボディガードを言った趣を持つ“グラヒゲ”“ヒゲグラ”と生徒たちから親しまれる(?)神多羅木(かたらぎ)が発言し。

 続けて、長く伸びた白髪が印象的で、掛けた眼鏡と常に冷静な佇まいから知的な雰囲気を醸し出すクールな美人教師として、中高及び大学の男子生徒に人気のある葛葉 刀子が、彼女らしい生真面目な言い様で対処案を提示した。

 

「私もそれに異論は無いな。イリヤ君の話や事情聴取の時もそうだったが、彼は既に深く反省している。……むしろ、彼本人よりもこの使い魔の方が問題だ。―――何だ、この下着2000枚を盗んで服役中だったというのは…! 何故こんなのが彼の息子の使い魔をやっている!?」

 

 この集まった一同では珍しい黒人魔法教師であるガンドルフィーニが驚愕混じりに発言した。

 その発言もまた、皆が等しくする思いだった。

 犯罪者? それも下着泥棒!? ケット・シーに並んであの由緒正しい小さな知恵者であるオコジョの妖精が! しかも服役中だったという事は脱獄? 逃亡者なのか!?……と、イギリスの魔法協会から送られてきたアルベール・カモミールに関する資料に目を通すなり、皆が懐いた感想だ。

 

「いや…まあ、なんというか。スマン、わしのミスじゃ。ネギ君に“大事な友達だからどうしても”と請われてのう」

 

 一同を纏める関東魔法協会の最高責任者である近衛 近右衛門が、東の長として、上に立つ者として在ろうとする場では本当に珍しく、心底申し訳無さそうに口を開いた。

 

「「「「――――……」」」」

 

 それに一同は、一斉になんとも言い難い表情を浮かべた。

 カモの所業を知りながら使い魔として受け入れたネギが悪いのか、それとも同様に承諾した近右衛門が悪いのか、判断が付かないからだ。

 コホンと、その形容しがたい空気を打ち払う為か、近右衛門に次いで麻帆良の魔法使いたちの纏め役を担っている明石教授が咳払いし、発言する。

 

「―――ともかく、使い魔に問題があったというのなら、そのオコジョの妖精…アルベール・カモミールをネギ先生から外すべきでしょう。ただでさえ、元は服役中であった身の上なのです。今回の問題で彼は“小さな知恵者”として、使い魔として、魔法使いの補助を担うには不適格だと明確に成ったのですから……処罰の必要も確定しているのですし」

「………」

 

 明石の言葉にイリヤはどうするべきか考える。カモの行動に問題があるのは確かだ。しかし一方で私欲もあるだろうが、ネギを思ってその行動を起こしたのも間違いない。

 それに、カモという―――他の従順な妖精とは随分異なる助言者がネギの傍にいる意味合いも無視できない。やや真っ直ぐ過ぎるきらいがあるネギを補助するのは、カモぐらいの悪人に決して成れない人が良い不良妖精がピッタリな気もするのだ。

 ただ、自分とは決して相容れられないだろうけど……とも思うが、そこはネギの為を思えば我慢は出来る。既に我慢など何処吹く風でカモを散々な目に遭わせて於いて、身勝手にもイリヤはそう考えた。

 自身の内で結論を下したイリヤは、ふむと一つ頷いて発言する。

 

「明石教授の言うとおり…ではあると思います。ですが、その結論は少し待って頂けないでしょうか?」

「それは、どういうことかな。イリヤ君?」

 

 明石が表面上では冷静に尋ねた。その内面ではイリヤがカモを快く思っていない事を知るだけに、その彼を庇う彼女のこの発言には驚いていたが。

 

「はい、この件で明らかになったようにネギは、非常にこちら―――私達の社会に関して理解が乏しいです」

「ふむ」

 

 明石は頷く。他の面々も同様で手元にある資料の一つ、ネギの魔法学校での成績とその性向を記された書類に目をやる。

 例えるなら数学に当たる術式の構築。理科や化学に当たる錬金術。国語に当たる古代言語。体育とも言うべき魔法の実践。これ等は全てトップに入っているのだが、何故か歴史や政治構造に法律などの社会学の成績がギリギリ及第点に留まっている。

 無論、メルディナ魔法学校の教師もこの事を一応注意していたらしいが、他の成績が群を抜いて良かった為にそちらに目が行き過ぎて軽視してしまったらしい。或いは身を持って体験する今の修行期間で学んでくれるだろうと、期待したようだった。

 しかし、結果は現在の通りで、魔法の天才でありながらも社会に不適格だという、ある意味、歪とも言える見習い魔法使いを誕生させてしまった。

 

「―――ですから、それを補う為にはどうしてもネギにはカモのような知恵者である使い魔が必要になります」

「…なるほど、確かに。―――しかし君の言いようでは、他の…代わりの使い魔では駄目だとも言っているようにも聞こえるが…」

 

 ガンドルフィーニが同意するように頷いてから、感じた疑問をイリヤに問い掛ける。

 

「ええ、ガンドルフィーニ先生。私はそう考えます。理由は今回の件でカモを使い魔から外したとしても、ネギが今後、新しい使い魔を受け入れるとは思えないからです」

 

 それは理性的な問題ではなくて、感情の問題だ。

 幾らカモの素行が悪く、使い魔失格なのだとしても、ネギにして見れば彼は掛け替えの無い友人であり、間違いなく信頼を置ける唯一無二の使い魔であろう。

 今のように他の人間が問題で在ると言い。不適格だと言おうが、これまでその彼のサポートを受けていたネギにとってそれは変わらない普遍の事実なのだ。

 だから、言われて他の使い魔を補助に付けたとしても……いや、付けようとしてもネギは断る筈だ。カモに対する負い目を覚えるだろうし、どうしても新しい使い魔にもカモを意識してしまう。

 そうなれば、エヴァに小利口とも評される真面目な性格を持つネギのことだ。恐らくその使い魔にも失礼だと、無責任だと、主人失格だとか負い目を懐く。悪ければそれが使い魔にも不信を与え、信頼関係の醸成に相当手間取る事に成る。

 

「……故に更正の機会をまた与えようという訳か」

 

 イリヤの意見を無視出来ないものと捉え、顎に手を当てて考えながらガンドルフィーニは答えた。

 

「はい。日本には3度目の正直という言葉もありますし、下着泥棒の件に脱獄の件。そして此度の問題…今、更正の機会を与えれば、その3度目という事になります。カモ自身も自分のみならず、仕えるべき主人に迷惑を掛け、いい加減に懲りている筈です。もし…これで駄目なら―――その意味は、彼にも流石に理解できるでしょう」

「「「「…………」」」」

 

 イリヤは最後にクスクスと笑い。可憐な筈のその笑顔を見て、何故か此処にいる全員は沈黙したまま何も答えられず、室内の温度が急激に下がった錯覚に背筋を震わせた。

 イリヤにして見れば、これまでの事を水に流して庇っているのだ。もしその厚意を無碍にするような事があれば……今度は本当に彼の生涯に幕を降ろさせる積もりだった。

 

「と、ともかく。イリヤ君の意見には一考の余地はあると思う。…ただ、ネギ君自身にも知識不足を補う努力をして貰う必要はあるだろう」

「そうだな。折を見て短期間の集中講義という形で場を設け、その使い魔にも出て貰い。性格等をより見極めるべきだろう。更正が可能かどうかの……」

 

 ガンドルフィーニがやや冷や汗を掻きながら言い。神多羅木はそれに頷き、恐らく冷や汗を流す彼も考えたであろう意見を被せる。

 神多羅木の意見は、事情聴取で既にカモの性向などの把握に努めていたが、より念を押して更正の見込みがあるか見極めようということだった。

 

 そうしてその日の会議は、ネギはほぼ不問で厳重注意処分と反省文の提出。加えて社会学の集中講義が処罰として暫定的に決定された。カモは更正可能か不可能かのどちらか次第で、最終的な処罰を決する方針が立てられた。

 

 その翌日。

 のどかとの仮契約の継続と。夕映、和美の両名の処置について議論された。

 

「宮崎 のどか…か。性格は人見知りで内向的とやや問題ではあるが、成績を見る限り、頭は良い方だな。運動能力も図書館探検部に所属しており、悪くは無い。危険察知などの状況判断や洞察力も同様に鍛えられている」

「加えて、アーティファクトも『いどの絵日記』と、非常に希有と来ているかぁ……これは悩みますね」

 

 ガンドルフィーニの呟きに瀬流彦が応じた。

 

「性格的にアーティファクトを悪用する事もないだろうしな…まあ、だからこそ与えられたのだろう。今後の成長次第では良い従者に成りそうだ」

「ですが、その性格が荒事に向いていません。これでは“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す魔法使いの従者には不向きなのでは?」

「だから成長次第という事だ。今は不向きに見えても、人はどのように化けるか判らんからな」

 

 神多羅木と刀子が互いに言い合う。そこにイリヤが発言する。

 

「私としては、トウコさんの意見に賛成です。あの争いごとに不向きな優しい子には平穏な世界に生きて欲しい…」

 

 イリヤは漫画とはいえ、あり得たかも知れない未来を識る為に内心で複雑な思いを懐きながらもそう言った。

 ネギの助ける力になる可能性を摘み取る事への不安と、のどかの秘めた可能性をも奪うかも知れない事に忸怩たる思いがある。

 しかし、それ以上に自分では決して得られない平穏な世界で暮らして欲しいという思いのほうが強かった。

 

「うむ、そうだな。イリヤ君の言葉が真っ当なんだと思う。世の平穏を守らんとする魔法使いの一人として、私も賛成だ」

「僕も同意見だ」

 

 ガンドルフィーニと明石が頷く。―――が、瀬流彦が反対意見を出す。

 

「でも、やっぱり勿体無くないですか? 性格は不向きだといえ、身体能力と判断力も悪くなく。あの『いどの絵日記』ですよ! 神多羅木さんの言うとおり、人は成長次第でどうにでもなるじゃないですか。……今は不向きだからって、彼女の将来に関わる事をそれだけで判断するなんて、ちょっと乱暴だと思います」

 

 瀬流彦の言葉に一同は僅かに沈黙し考える素振りを見せる。そこに自分の名を出された事もあってか、神多羅木が再び意見を言う。

 

「……将来などというのは誰にも判らんことだ。だから俺はもう少し様子を見るべきだと思う。この子が従者…或いは本人が志向したように魔法使いとしての適正を計る為にも、しばらくこのまま協会で面倒を見るべきだと…」

 

 刀子もそれに思う所を感じたのか、考えを改めて賛意を示す。

 

「確かに、この宮崎という少女の在学前と在学後…より正確に言えば、図書館探検部に所属してからの身体能力などの成長過程を見るに見込みはあるかも知れません」

 

 手元ののどかの資料を見つつ、彼女は言葉を続ける。

 

「将来性というのは、先のこと差し示すが故に不確実なものではあります。ですが、だからといって無視して良い要素でもありません。神多羅木さんの言うようにこの麻帆良で彼女を指導し、様子を見るのは悪くない提案だと思います」

 

 やや思惑とは違う方向に会議が向かうのを感じ、イリヤは微かに眉を顰めた。

 皆は神多羅木と刀子の意見を聞いて、各々に黙考したり、唸ったり、近くの者と相談したり、と悩んでいる様子だ。

 既にイリヤによって魔法に関わる危険性が説かれており、それ以前に修学旅行の一件に関わった事。ネギの窮地を救った機転を見せた事などもあり、のどかを容認しようとする雰囲気が生まれていた。

 そこに決定的な意見が近右衛門によって投下される。

 

「ワシとしては、『いどの絵日記』が彼女…宮崎君のアーティファクトに選ばれた時点で受け入れざるを得ないと考えておる。皆も良く分かっていると思うが、『読心能力』と言う物自体が非常に稀有で強力な物じゃ。ならばそれを可能とするアーティファクトに選ばれる宮崎君自身も同様であろう」

 

 近右衛門は一度言葉を切り、鋭い視線で一同を見渡す。

 

「さて、そこで皆に問いたい。宮崎君がそんな強力な能力を持つ、或いは持つ事が出来ると知って彼女を放って置けるかのう? 魔法使いであるならば、これ程まで有能な能力を持つ従者を仕えさせたいと思わんか? もしくは自身以外の魔法使いの従者になるという事をどう思う?」

 

 その東の長が言う言葉に一同は息を呑んだ。

 イリヤもだ。

 今までその事に全く気付かなかった己を内心で激しく罵る。

 学園長の言う通りだ。道具の力とはいえ、使いこなせば表層どころか内面深くまで心を読めるという強力な能力を持つ人間が居ると知ったらどうするか?

 大抵の者は放って置く事など先ず出来ない。味方に出来るなら味方に付けたいと思うだろうし、出来ないなら確実に消したいと考える。況してや心に疾しいものが在る者……特にネギに敵対する者や、害意を持つ者達にとっては……。

 のどかの穏やかな性格をなまじ知っていたからか、その有効性以上にもたらす危険性を見過ごしていた。

 原作でもフェイトは、のどかの読心能力を…その危険性を理解するなり、直ぐに排除に掛かっていたのに。

 本当に迂闊だ。思わず頭を抱えたい衝動にイリヤは駆られた。

 

「皆が思った通りじゃ。宮崎君の資質……アーティファクトに『いどの絵日記』を授与される才能を知れば、それを欲する輩。危険視する輩は限りなく居るじゃろう。無論、ワシは此処に集まった者達を信じておる。宮崎君をそのような目で見る者達で無いとも、この情報を吹聴する人間でも無いと……」

 

 学園長…いや、関東魔法協会のトップの言葉を聞いて、この場の魔法使い達は皆表情を引き締めた。その重要性を理解したからだ。

 彼等にしても、のどかの性格から悪用は無いと判断し、さらに英雄の息子であるネギと主従関係を結んだという事実に目が行ってしまい。己等を纏める上司が今、口にした可能性を考慮しなかった。

 そうしてイリヤ同様、自らの思慮の浅さに反省を抱き、気を引き締める教師陣であるが、当のイリヤはそれ以上に後悔とも言うべき感情と思考に囚われていた。

 

 何しろ、この一件で学園―――関東魔法協会内部にのどかが『いどの絵日記』の所有者であるという情報を拡散させてしまったのだ。近右衛門の言う危険性に気付かず、イリヤが報告した事で……原作では多くに知られて無かった事を。

 イリヤにして見れば、近右衛門ほど彼等を信用できない。善良であるというのは判るがそんなものは保証に成らない。彼らのいずれからのどかの情報が漏れるか、気が気でないのだ。

 修学旅行の一件でフェイトには、既に知られている事とはいえ、敵と成りうるのは彼等だけではない。学園側から漏れる事でどのような影響が現われるか……最も恐れるべきは、ネギに隔意を持つであろう“本国”の人間に知られる事だ。

 彼らがこれを知り、どのような対応と行動を取るか……?

 イリヤは今後を憂い心底、自身の迂闊さに頭を抱えていた。

 

 こうして学園長の意見が決定的となり、イリヤ、ガンドルフィーニ、明石などの反対意見は覆り、のどかはネギの従者及び魔法使い候補に認められる事と成った。

 イリヤはこの結論に、悔恨の表情を浮かべながらも受け入れざるを得なかった。

 

 続いて夕映と和美に対しては、早々に結論が出た。

 

「綾瀬 夕映君に関しては、宮崎君と親友との事であるし、彼女の処遇が決まった以上、綾瀬君も魔法使い候補として受け入れても良いと思う」

 

 これを言ったのは意外にも、先程のどかに関して反対の立場を示していた明石だった。

 イリヤは驚きながらも尋ねる。

 

「何故ですか?」

「うん。一言で言えば、綾瀬君は非常に鋭い。修学旅行の一件に関わって学園に張られた認識阻害の結界の効果が薄れたというのもあるけど、その途端に直ぐに普通に考えれば、非常識としか思えない僕達…魔法使いの存在を言及している」

「ですが、それも記憶消去を行なえば…」

「そうなんだろうけど、親友である宮崎くんがこちら側に来る事となり、またネギ君が担任として傍にいる以上、何かしらの切欠で再度認識阻害の効果が薄まる可能性は高い…」

「しかしそれを言うのであれば、他の生徒も同じなのでは?」

 

 イリヤが疑問を呈する。

 その理屈ではネギのみならず、魔法生徒や魔法先生の傍にいる一般生徒に教師。それどころか、この麻帆良に暮らす全ての一般人に露呈する危険性がある事になるからだ。その程度の事で発覚するなら認識阻害の結界自体意味が無い。

 が、明石はイリヤにも驚きの事実を明かす。

 

「そう、だから言ったのさ。綾瀬君は鋭いってね。これは何も彼女の頭の巡りの良さを言っている訳じゃあないんだ」

 

 明石は、やや下がった眼鏡を指で掛け直してイリヤを見据え、不満を隠せない彼女を諭すかのように語る。

 

「学園に入学した時に一応検査していたから判っていた事なんだけど、綾瀬君はどうにも資質が非常に高いみたいでね。その察知能力や感性も並じゃない。もし彼女が魔法使いの家庭か何かに生まれていたら、多分今頃は一人前の魔法使いになっていたと思う。……いや、もしかすると“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”へ大きく足を踏み出していたかも知れない。そう思わせる程なんだ」

 

 その話にイリヤは思い当たる事があった。原作での夕映の活躍だ。

 ネギパーティーの一般人の中で尤も早く魔法を使った事。更にアーティファクト『世界図絵』があったとはいえ、ほぼ独学に過ぎなかった彼女がアリアドネーで有望な騎士団候補生となり、しかもその過程で下位ではあるが、れっきとした―――幻たる魔法世界の個体だが―――竜種に連ねる鷹竜(グリフィン・ドラゴン)を打倒した事だ。

 その漫画にあった設定ないし活躍が、この現実の世界でも反映されるのなら確かにあり得ない事ではない。

 そして、麻帆良学園―――ひいては関東魔法協会は、夕映のその才能を知っていた。それも判らなくもない。学園を本拠に構える以上、そこに出入りする人間を調査しない訳がないからだ。

 イリヤは、それでも反論しようとして口を開いたが、

 

「―――…」

 

 止めた。

 仮に記憶消去を行なったとしても、夕映がその資質の高さから認識阻害の効果を払い除け、魔法の存在に気付く可能性がある限り、危険はどうしても付き纏う。

それどころか、自分たちの関わらない所でこちら側の事件に巻き込まれ、より危険な…それこそ本当に命を落とす事態に遭遇するかも知れない。

 それに気付いたから、イリヤは反論する事を諦めた。

 

「次に―――朝倉 和美君だけど……」

「…正直、“また”と言った感じですね」

 

 何故か言い難そうな明石の言葉に答えたのは瀬流彦だ。彼も眉を寄せて何処か微妙な表情をしている。

 

「もう、これで5度目、でしたっけ…確か。彼女の熱意というか行動力というか、好奇心の大きさには驚きを通り越して呆れるか脱帽する思いですよ」

「そ、それって…」

 

 イリヤは、その言葉で思い当たった自分の予想にまたも驚いた。

 それに答えたのは、ガンドルフィーニだ。

 

「ああ、君の思ったとおりだ。彼女に記憶消去を行なうのは……まだ決まった訳ではないが、これが初めてじゃない。瀬流彦君の言ったとおり、5度目になる」

 

 ガンドルフィーニは心底疲れたように言う。イリヤはその事実に絶句する。慌てて手元の資料を確認すると、“過去に記憶消去の処置アリ”、と最後の欄に短く書かれていた。

 

「な、なによ、それは…っ!」

「いや、まあ…そう言いたくなるのも判る。こんな言い訳はしたくは無いが……ハァ、うちの生徒達に並外れた行動力があるのは判っている積もりだ。……朝倉君は、その中でも群を抜いているとしか言いようが無い。この学園に入ってから2年程度で5度も記憶消去を行なった人間は前例に無いんだ。2度までは判らなくもなかった。3度目からは彼女への注意と警戒を強めた。4度目は監視も付けていた―――それが、よりにもよって学園の外で修学旅行中にとは……どんな運命の巡り会わせだ!」

 

 ハア、ハアと息を乱して肩を揺らすガンドルフィーニ。

 鬱屈して語っているうちに、何か降り積もった物が出てしまったらしく、つい怒鳴ってしまったようだ。

 

「ま、まあ、落ち着いて下さい。ガンドルフィーニさん」

「…いや、スマン。彼女の余りの理不尽さに、少し…な」

「あ、いえ……それは、僕にも判らなくもありません」

 

 宥めた瀬流彦と宥められたガンドルフィーニの2人は、ハァァ…とそろって大きく溜息を吐いた。

 ガンドルフィーニは責任感の強さゆえに。

 瀬流彦は女子中等部の教諭であり、クラスが違えども和美の学年を担当している。彼女に対して尤も警戒を強めていたのは彼で、ガンドルフィーニ以上に色々とショックが大きいのだった。

 イリヤは、恐る恐る尋ねる。

 

「まさか、カズミまで魔法使いの資質があるとか言わないわよねぇ…」

「いや、それは無い。…無い筈だ。彼女は文字通りその行動力と情報収集力、或いは分析力と推理力のみで認識阻害の効果を跳ね除けてこちら側の存在に辿り着いていた。少なくともこれまでの状況からはそう考えられている。尤もその意味では綾瀬よりも非常に驚きで、脅威というか異常なのだが…」

 

 イリヤの問い掛けに神多羅木が答えたが、冷静な態度とは裏腹に先の二人と同じく、和美の理不尽さに呆れと嘆きが言葉に込められていた。刀子がそれに応じるように意見を告げる。

 

「もう彼女も認めるしかないのかも知れませんね。京都の事件は命の危険が相当高かったですし、このまま記憶消去で朝倉 和美に対処し続けるのは却って危険だと考えます。それに5度目とも成ると、さすがに本人への齟齬も大きくなるかと、前例に無い事から何とも言えませんが……今回は、発覚から大分時間が過ぎているようですし」

「むう。已むを得ないのか…」

「…ですね。既にイリヤ君が最低限の処置として行動制限を掛けてますし、こちら側の危険も認識しているみたいですから。後は再度僕達の方から改めて注意を促がせば良いでしょう」

 

 ガンドルフィーニは諦めたように呟き。瀬流彦も頷いて意見を口にした。

 残りの面々も肯定するかのように沈黙する。ただやはりガンドルフィーニと同様に何処か諦めの雰囲気を漂わせていたが。

 

 こうしてのどか、夕映、和美の三名は、結局イリヤの思いと裏腹に魔法に関わる裏世界に留まる事が認められた。

 勿論、まだ本人達の意思を確認した訳ではないが、イリヤは何となく原作の事もある為に、彼女達はネギを中心としてこちら側に関わって行くのだろうと確信した思いを懐いていた。

 

 同時に、このような原作に沿う形に成るであろうこの現実に、何とも言い難い理不尽も感じていたが……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下にある会議室―――白い石造りの壁面で覆われた広い部屋で、先日での結論を書類にて最終確認を行なうと、皆で決を取る。

 

「うむ。反対者は居らぬ様じゃな」

 

 近右衛門が会議室にロの字を書いて並べられた、重厚な木製の机に居並ぶ面々を見て言った。

 麻帆良ではそう高い立場に無いイリヤも本件の報告者という事もあって、一応この場にいるが先日とは異なり意見を出せる権限は無い。

 ただ、内心での思いを押し殺して結果を受け入れるだけだ。

 

「よろしい。ではネギ君」

「はい」

 

 この部屋の扉近く…云わば下座に座るネギに近右衛門が告げ、ネギは起立する。

 

「此度の件での処罰を言い渡す。先ずは厳重注意処分。次に反省文の提出。次に足りない知識を補う為に短期間であるが講義を受けて貰う」

「はい」

「注意処分には関係書類の受け取り、署名などが必要なのでこの後、別室にて直ぐにその処理に取り掛かって貰う。反省文は本日…5月13日から18日までの間に出すように。講義は翌日から10日間。君の授業が空いた時間……もしくは融通して時間を作り、行なうつもりじゃ。本来なら放課後にでも行なうべきなのだが、“ある方面から”苦情が来てこの処置となった。以上じゃ…質問は無いかのう」

「いえ」

 

 ネギの返事に近右衛門は頷き、手元の書類を捲りながらネギに着席を促がす。

 

「では、次にアルベール・カモミールへの処分を言い渡す」

「は、はいぃ!」

 

 ネギと同じく下座の位置で、机上で緊張した面持ちで器用にも背筋を伸ばして起立するオコジョの妖精。

 近右衛門は、彼を一瞥すると手元の書類に視線を戻してから口を開く。

 

「仮契約に於いて主人たるネギ君の意思を無視し、重大な規約違反を行なった罪は、魔法使いの助言者足らん“小さな知恵者”である使い魔として見過ごせないものがある。よって本来ならば直ぐにでも収監、投獄すべき所である……が、本件の報告者であるイリヤスフィール君の『ネギ君の使い魔はアルベール・カモミール以外の適任者はいない』という提言もあり、その検討の結果、それらの重い処分は見送る事とする」

「へ…?」

「ただし、ネギ君と同様に厳重注意および反省文の提出は行ない、講義の方も共に出てもらう事になった。また今回が君にとっての“最後の更正の機会”でもあるから十分に留意するように。以上じゃ…質問は無いかのう」

「あ、ありません! この機会とご配慮に誠心誠意、精一杯尽くさせて貰う所存であります!!」

 

 意外な結果に驚き惚けるも、“最後の更正の機会”と強調されて言われた言葉を真摯に受け止めたのか、ビシッと何故か敬礼してカモは答えた。

 半分以上はこの部屋の片隅に居るイリヤから受ける視線からの、恐怖による行動と発言だったが、彼はこの時、本気で命の危険を感じていた。これを裏切ったら自分は本当に殺されるだろうと、故に深く肝に銘じる事にした。

 

「さて、最後に仮契約者である宮崎 のどか。他、綾瀬 夕映。朝倉 和美の両名であるが、取り敢えずは現状のままとする。また危険を知り、その上でもこちらに関わりたいと申し出るならば、宮崎君、綾瀬君の二人には、本人たちが希望するように魔法使いとしての道を示すことも吝かではない」

「え…!?」

「また朝倉君に関しては、資質は乏しいのでその道は厳しいであろうが、こちら側の職員…まあ、その見習いじゃが、それとして招く用意も検討している」

「あ、あの! それは、どういう事でしょうか!?」

 

 ネギは、カモの時以上の意外さを覚えて驚きをもって尋ねる。

 

「文字通りの意味じゃ。宮崎君は君との仮契約を継続し、尚且つ魔法使いに成る事を認め。綾瀬君も魔法使いを勧めるということじゃ。無論、先にも述べたとおり、本人の意思次第じゃがな。朝倉くんに関しては、やや厄介な事情があってのう。先の両名の事を含めて、その事情はイリヤ君に詳しく尋ねれば良かろう」

「…わかりました」

 

 釈然としないものの、とりあえずネギは頷いた。

 

「まあ、ついで一応簡単に言うと、朝倉君には魔法使いの家庭に生まれても、資質に乏しい…或いは皆無な者達と同じ仕事を与えるかも知れんと言った所かのう」

「???」

 

 ネギは、それも判らないようで首を傾げる。

 近右衛門はそれを見て思わず唸る。

 このような事も知らぬとは、やはり世情に疎いというのは本当のようじゃな、と改めて呆れ、友人であるメルディナ魔法学校の校長に憤るが、一方でネギの素性からそう慎重に扱わざるを得なかった彼に同情した。

 

「ふう―――それもイリヤ君に尋ねれば良かろう。講義のこともあるしな。では……本日はこれまでとする、解散!」

 

 近右衛門は、内に芽生えた感情を吐き出すように一つ息を吐くと、そうネギと周囲の面々に告げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下ではなく、地上二階にある小さな祭壇が置かれた一室で、彼女達は不安な面持ちで目の前の“魔法使い”の少女の言葉を聞いていた。

 

「―――以上よ。後は貴女達の意思で処遇が決まるわ」

 

 より正確に言えば、魔法使いではなく“魔術師”…それも並行世界から来訪した異端の少女であるイリヤは、近右衛門に押し付けられた役目を引き受けて彼女達―――のどか、夕映、和美の三人に今日出た結論を告げた。

 やや後ろめたい気持ちもあったが、これは自分が招いた事態であり、責任を感じてイリヤは少女達に顔を合わせていた。

 告げられた少女達は、自分達の抱いていた考えと異なる思わぬ結果に驚いた様子で困惑し、また考え込むように沈黙していた。

 数分が経って最初に発言したのは、やはりこちらの世界に関わる事に強い意欲を見せていた夕映だった。

 

「…あの、それは今、どうしても答えなければいけないのでしょうか?」

「いえ、別に期間は定められていないわ。けど―――特にノドカはさっき説明した通りだけど。ユエ…貴方も、その秘めた資質は非常に高いと見られている」

 

 イリヤは諦めたように、若干悲しげに言う。

 

「私個人としては平穏な世界で生きて欲しいけど、その優れた資質から何も知らないままだと返って危険かも知れない…ユエの持つ資質が魔法に関わる事件か、もしくは何か良く無いモノを招き寄せる可能性があるの。だから私情抜きで考えれば、貴女は魔法使いを目指すべきだと思う。何時か来るかも知れない脅威を払い除けるだけの力を身に付ける為にも」

 

 それは、まるで厄介事だとしか思えないような言い方だった。それに夕映は、

 

「………もう少し考えさせて頂けませんか」

 

 先日見せていた意欲とは真逆にも、イリヤの言葉に身体を強張らせてそう答え、また言葉を続ける。

 

「あれから、イリヤさんに言われた事を考えました。あの時にも言ったかも知れませんが、私は貴女達の居る世界に対して認識が甘かったです。愚かにも軽々しく危険に身を投じる決意があると言い。その実、その意味を深く考えて無かったのです」

 

 視線を下げて、顔を伏せて夕映は言う。

 

「正直、今は簡単に口には出せません。その勇気が無いのです。恐くなったのです。自分が恐ろしい目に遭う事が、得体の知れない化物に襲われる事が、そして場合によっては戦い、傷付け合って、命すら張り合わなくてはならない事が…」

「…ゆえ」

「ゆえっち…」

 

 身体を震わせて語る夕映の姿にのどかと和美は心配げに見詰め。また自分の今の気持ちを代弁してくれているように思え、心中が複雑だった。

 イリヤもまた複雑だった。夕映をこんなふうに追い込んだのは間違いなく自分のせいだからだ。少なくともイリヤはそう思った。ネギが巻き込んだとも見られるし、夕映自身が興味本位で首を突っ込んだ自業自得とも考えられるのに。

 

「ユエ、悪かったわ。確かにムシが良い話よね。あれだけ散々警告しておいて、今度はこちら側に関われって言っているんだもの。大丈夫よ。どうしても嫌だと言うのなら―――」

「―――いえ、違うのです。イリヤさん…! 貴女がああして辛辣に言ってくれたのは正しいのです。何も知らない私達に知っている者がそれを告げるのは間違っていません。私達の事を思って言ってくれたのも、今は判っていますから……それに嫌という訳でもありません。ただ時間が欲しいんです」

 

 頭を下げようとしたイリヤを夕映は遮って、捲し立てるように言った。

 

「もう少し考える時間があれば、決意を改める時間を……認識は確かに甘かったですが。あの時、ネギ先生の力に成りたいと思ったのも本気でしたから。その力が得られるというのなら、私はそちらの世界にも踏み込みたいとも思っているのです……でも、今は突然な話への困惑と…その…恐怖の方が強いですから……」

 

 イリヤは複雑な心中であることに変わり無いものの、この前とは違いより確かな真剣さが篭もったこの夕映の言葉を聞いて奇妙にも安心感を覚えた。無論、彼女が関わる事を全面的に良しとした訳ではないが……取り敢えず頷く。

 

「分かったわ。学園長にも伝えておく。もう少し考えさせて欲しいって…」

「はい、申し訳ないですけど。お願いします」

 

 夕映は頭を深々と下げた。すると、のどかと和美も同様の返答をした。

 

「わ、私も、夕映と一緒にもう少し考えさせて下さい」

「私も、悪いと思うけど、ちょっと…お願い」

「そう、わかった。……あ、ノドカにはこれを返しておくわ」

 

 返答を聞いたイリヤもまた頷くと、ふと思い出してスカートのポケットからそれを取り出す。

 それを見て、のどかは声を零す。

 

「あ…仮契約のカード」

「ええ、協会が認めた以上、これは貴女の物よ」

「あ、は、はい!」

 

 心中複雑ながらもカードを渡すイリヤから、のどかはそれを受け取ると頬を綻ばせた。

 イリヤから聞かされた話で、自分のアーティファクトに対する恐怖はあったものの、それでもやはり大好きなネギとの思い出であり、大切な繋がりであるのだから手元に戻ってくるのが嬉しかった。

 それに―――

 

 そこで部屋のドアがノックされ、イリヤが返事をすると、扉が開けてネギが入って来た。隣にはタカミチの姿もあった。

 

 「…皆さん」

 「やあ、久し振り…かな?」

 

 ネギは何とも言い難そうにし、タカミチは元担任という事もあって気安く声を掛けてきた。

 一瞬、安堵と気まずさが混じった微妙な空気が漂ったが、

 

「ネギ先生…! 良かった!」

 

 突然発せられたのどかの涙ぐんだ声によって、その微妙な空気が霧散した。

 

「のどかさん…わっ!」

「―――、良かった…本当に良かった…!」

 

 ネギは、涙を滲ませるのどかの声に答えようとして彼女に抱き締められた。

 抱き締められたネギは息苦しいのか、それとも別の理由なのか、顔を真っ赤に染めて彼女に声を掛ける。

 

「の、のどかさん」

「良かった…もう会えなくなるかと……思っていたから、本当に…」

 

 涙を流しながら、のどかが言う。

 彼女にして見れば、南の島より帰ってからのこの4日間は、僅か15年程の人生で最も辛い日々だった。

 イリヤから厳しい警告を受け、自分の所為で大好きな人を、それも生まれて初めて恋をした相手の人生を駄目にして、最悪、罪人のように裁かれてしまうかも知れなかったのだ。

 しかも、その彼に関わる大切な思い出さえも、消されるかも知れないという恐怖もあった。

 大切な人を追い詰めてしまった事で自分を責め、その辛い気持ちを含めた彼に関わる楽しかった事も全て消される事に大きな不安を覚えていた。

 

 だから、のどかにとってこの4日間は本当に辛い時間だった。

 

 碌に眠る事もできず、食事も咽に通らない。学校も休んでしまった。その為、夕映やハルナを始め、多くの友人達にも心配を掛けてまたそんな迷惑な自分を責め、不安に陥るという悪循環に陥りつつあったのだ。

 

「のどか…」

 

 夕映は、内気な親友が人目も憚らずネギを抱き締めるのを見て安堵めいた声を零した。

 その辛そうなのどかの姿を、事情を知る人間として傍から見ていただけにネギが故郷に帰ることに成らず、心底安心していた。

 ただ、胸に引っ掛かる奇妙な物も感じていたが…。

 

 そうして暫くして、ここ数日の張り詰めていた物が切れた所為なのか、それとも泣き疲れた為なのか、のどかはネギを抱き締めたまま眠ってしまい。倒れそうに成ったその彼女の身体をネギは慌てて支え、部屋に備えられた長椅子に横たえた。

 

「ネギ先生……よかった…」

 

 寝言でもそう呟くのどかに、ネギは改めて自分が皆に迷惑を掛けたことと、心配してくれた事に謝罪と感謝の言葉を零す。

 

「ごめんなさい…ありがとう」

 

 そう口にしつつネギは決意も新たにする。自分の軽率な行動と考えを反省し、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を……あの日に見た背中に追いつく為にも、ただ魔法を上手く使える事だけじゃなく。もっと多くの様々な事を学び理解しようと。

 もう二度と、自分の浅はかさの所為で誰かに辛い思いをさせない為にも……。

 

 

 イリヤは少し離れた位置からそんなネギと眠るのどかの姿を見て、夕映の時と同様に複雑な思いを懐いた。

 一体自分は何をしているのか? ネギと彼女達を苦しませただけで、何一つ彼等の為になる事をして上げられなかった。ネギを迷わせてしまい。夕映ものどかも和美も平穏な世界に置く事が出来なかった。

 ただ、本当に意味の無い余計な事をしただけではないのかと自虐的な気分に陥る。

 

(本当…何をしているんだろう、私は…?)

 

 彼女は本格的に落ち込んだ。この世界に来て以来初めての事で、イリヤはただ自らの行いを悔いるだけに思考が囚われていた。

 そこに何となくそれを察したタカミチはそんな彼女を慰める為に、ポンと彼女の頭を撫でるように軽く叩くようにして置いた。

 

「タカハタ先生…?」

「まあ、君の気持ちは分かるよ。僕だって出来たらあの子達には平穏な日常の中で暮らして欲しいと思っているんだ。でも今回というか、彼女達にとってはある意味で運が無かった」

 

 ネギたちへの配慮か、タカミチの囁くような小声でイリヤに語る。その表情は何処か困ったように苦笑していた。

 

「のどか君は与えられたアーティファクトが稀有且つ強力で。夕映君は魔法使いとして優れた資質があって。朝倉くんはその行動力だけで僕達の存在に行き着いてしまう放置するには見過ごせない人間だったんだ。……簡単に割り切れる事じゃあないけれど―――しょうがないよ」

 

 しょうがないよ―――およそ気楽にさえ聞こえる言葉だったが、それに込められたモノがそんな単純なものでないと察し、イリヤは黙って頷いた。

 タカミチが言うようにイリヤが落ち込んでいるのは、彼女達を平穏な世界に置くことが出来なかった事もある。けれど、それは半分だけだ。先にも上げたように原作という物語を知るが故に、余計な事をしてネギ達を苦しめてしまった、と思った事が心を沈み込ませるもう半分の要因だ。

 しかし、そんな事を分かる筈が無いタカミチは、分からないまま言葉を続ける。

 

「なら、僕達が出来る事は、関わる事になってしまったあの子達を誤った方向へ行かないように気を付け、正しく指導し、守り、危険を避けられるようにする事……少なくとも彼女達が自分で身を守れるだけの力が付くか、判断が出来るようになるまでは、ね」

「ええ、そうね…」

 

 結局はそれしかないんだろう。悔やんだ所で何も解決はしない。タカミチの言うとおり、割り切って彼女たちのこれからを考えてイリヤは出来る事をするしかないのだ。

 魔法へ、ネギへ関わる事になり、訪れるであろう運命から夕映達を守る為には。

 そんな当たり前な事を言われるまで忘れていた自分を恥じ、それに気付けないほど気落ちしていた自分に気を遣ってくれた事にイリヤは感謝する。

 

「ん…ありがとう。タカハタ先生」

 

 笑顔で言ったイリヤに、タカミチも無言ながらも笑顔でそれを受け取った。

 

 

 タカミチは、気に掛かって見に来た甲斐があったと思った。

 ネギへ処罰が言い渡される前、会議室に向かう廊下でイリヤと話した時から何となくこうなるのではないかと感じていたからだ。

 そして案の定―――勿論、ネギへの心配もあったが―――彼に付いて様子を見に来ると彼女は落ち込む姿を見せていた。

 

(それだけ、ネギ君を含めてあの子達を心配し、大事に思ってくれたんだろう)

 

 そう思うとネギの友人であり、夕映達の元担任であったタカミチとしては嬉しくも感じるが、一方でネギは兎も角、顔を殆んど合わせた事も無い夕映達をそこまで気に掛けるのは不可思議にも感じた。

 タカミチの見立てでは、イリヤは確かに基本優しい面を見せて普段を過ごしているが、顔も碌に知らない見ず知らずの赤の他人を気に掛けるような殊勝な子ではない。矛盾するがむしろその本質は冷徹な娘だと……いや、単純な善悪の二次言論や一般的な道徳では計れない“根”が在るのだと感じていた。

 話に聞く“魔術師”と言うものの価値観なのかも知れないが、少なくともこのような事で気に病むタイプではない。

 

(う~ん…ネギ君の生徒って事で、気に掛けているという事なんだろうか? でも、違うような…)

 

 今一納得できず、答えの出せない疑問にタカミチは内心で首を傾げた。

 しかしそれも無理は無いだだろう。まさか自分たちの世界の事が漫画として描かれている世界があって、今のイリヤの人格がその漫画に愛着を持っていたなど、夢にも思わない事なのだから。

 

 

 イリヤとタカミチのやり取りに気付かなかったネギは、三人…といっても一人は眠っているので、夕映と和美に向き合って迷惑と心配を掛けた事を再度謝っていた。

 のどかの突然の行動に面食らった物の、元々その為に此処へ来たのだ。

 

「すみません。皆さんには本当に迷惑を掛けてしまって…」

 

 頭を下げるネギであるが、二人は首を横に振る。

 

「いえ、こちらこそ、私達の考え無しの行動と発言で先生には御迷惑をお掛けしました」

「うん、綾瀬の言うとおりだよ。いや…本当、私なんてただ一人で騒いで迷惑を掛けただけだもんね」

 

 そう言って二人もまた頭を下げた。

 とは言えこの二人は、京都の一件ではそれなりにネギの力になっており…というか、何気に刹那と明日菜の恩人であったりする。

 もしあの時、和美が機転を利かせてフェイトの石化から夕映を逃さなければ、そして夕映が楓に連絡を取らなかったら、刹那はあの無限に増殖する海魔の餌食に成っており、そうなればドミノ式であの場に居た明日菜も喰われていただろう。

 そうなると残されたネギと木乃香は、エヴァとイリヤの救援で助かりはするだろうが、二人を失った事を知れば、その受ける精神的な傷は計り知らない。

 そのように見れば、やはりこの二人もまたネギを助けていたと言えるのだった。

 

 それはネギも理解できるので二人を迷惑だとは思っていない。

 むしろ、巻き込んだ上に助けて貰ったのだと、そんな感謝と申し訳無さがある。

 そう思い彼は口にする。

 

「そんな事はありません。修学旅行のとき、二人が居なかったら……朝倉さんが夕映さんを逃がしてくれて、夕映さんが助けを呼んでくれなかったら、僕達は無事に済まなかったのですから…」

「いや、あの時は咄嗟に何となく取った行動で…今思うと、ゆえっちに助けを呼べって言うのも、ネギ君達を当てにしてたんだし…」

「私も状況がよく分からず。正直、先生達を助けるというよりも、のどか達を助けたくて藁にも縋る思いで連絡を取っただけで…そんな感謝される事ではないです」

 

 ネギの謝罪と感謝に恐縮してしまう二人。

 

「それでも、僕たちが助かったのは事実ですから―――…それで、のどかさんもそうですけど、お二人はどうするんです?」

 

 ネギは、恐縮する二人にそんな事はないと。もっと強く訴えたかったが、それでは水掛け論になるだけど思い。グッと堪えて話題を変え……尋ねた。今後も魔法に関わるのかと不安げに…。

 その問い掛けに夕映と和美の二人は何となく視線を交わし、お互いに困惑した表情を浮かべているのを見た。言葉にしなくても思っている事も同じだった。視線をネギの方へ戻して二人はそれを口にした。

 

「先程、イリヤさんにも言いましたが―――」

「―――もう少し考えたいんだ。私達…」

 

 困惑した表情でありながら、神妙というか有無を言わせない気配を感じさせるその言葉と声色にネギは「…そうですか」と短く答えて沈黙した。

 ネギは本音を言えば、先と同様言いたい事があった。危険が多く潜むこちらの世界に関わるのは、止めて欲しいといった事等だ。

 しかし、無知から巻き込んだ自分にそれを言う資格は無いとも思え、また既に魔法協会で結論が出された以上、口を出して彼女達の考えと意思を改めさせようとするのは違う気がした。

 

 その後、ネギは二人からものどか程ではないが重い処罰が課せられなかった事を安堵され、イリヤからは改めて二人が魔法に関わる事を許される事情を教えられた。

 ネギは夕映が魔法使いとして優れた才能を持つ事と、和美が既に何度も記憶消去を受けていた事実に驚いたが、話を聞いてイリヤと同様に渋々ながらも納得した。

 また夕映と和美は、元担任であるタカミチも魔法使いの一員であることに驚きを隠せなかったようで、改めてこの麻帆良が魔法使いの組織によって運営されている事実を認識した。

 

 

 こうして、南の島で明るみになったネギの問題と、夕映、のどか、和美の魔法に関わる問題は幾分か清算された。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「そういえば、カモはどうしたの?」

「ああ、一応不問に近い扱いに成ったとはいえ、彼の行動は問題がありすぎたからね。念を入れてより厳重注意中…といったところかな」

「あとイリヤに申し訳なさ過ぎて、不義理かも知れないけど今は顔を合わせられない…みたいな事を言ってたけど」

「そうそう、確か―――『便宜を図ってくれたお嬢様には感謝しても、感謝しきれない。だから俺っちの代わりにお礼を言っておいて欲しい』とも言っていたね」

「うん! 僕もカモ君を庇ってくれたって聞いて嬉しかったよ…ありがとう、イリヤ」

「―――…! べ、別にネギの為だけって訳じゃあ無いわよ。そ、そう、ただこのまま友達をこんな形で別れさせたんじゃあ。私の寝覚め…というか後味が悪いからよ!」

 

 と。帰りの間際、カモがネギの傍に居ない事がふと気に掛かって尋ね。

 それに答えるネギとタカミチであったが、感謝の言葉と共に向けられたネギの笑顔を見て、イリヤは何故かおかしな言い訳を口にしてネギの首を傾げさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、そう間を置かずネギは己の過去と対峙する事と成り、彼と関わる事となる三人の少女達も麻帆良に訪れるネギの“仇”―――そして、イリヤに関わる因果を目にして、この日に迫られた選択を定める事となる。

 

 




 原作通りではないものの、暫定的に夕映達は魔法に関わる事が決定しました。

 最後の文章で次回からヘルマン編に入るかと思われますが、幕間と余話が間に入ります。

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