麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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向こうでは余話扱いだったのですが、重要な話の上、イリヤも出ているので本編扱いとしました。


第15話――――――その遠い過去。在りし運命

 ある日、彼女は眼を覚ますと、自らの身体に起きた突然の異変に気付いた。

 貴族の姫君である彼女に相応しい豪奢な自室。その窓から上等なカーテン越しに差し込む日の光に何故か恐怖と苦しさを覚え。目覚めたばかりだというのに異様な食欲……今まで感じた事も無い異常な苦痛とも言えるほどの飢えと渇きに襲われた。

 

 その唐突な異変に驚きと混乱に陥り、日の光の苦しさと異常な衝動とも言える欲求を堪えるのに必死であった彼女は、直後襲った脅威に気付けず、抵抗する事も出来ず、その異変の原因である男の手によって囚われてしまう。

 

 

 床、壁、天井の全て煉瓦地が剝き出しの素っ気ない部屋。

 昼間は日が一切差し込まず暗く、夜には外の風景が見える不可思議な大きなガラス張りの窓だけが、その無機質な部屋を彩る飾りだった。

 そこは、彼女の住まう城の何処かの一室なのだろう。彼女は鈍い鉄の光沢を持つ固く冷たい鎖と枷で縛られ、身動きをも許されず、牢獄としか言えないその部屋に閉じ込められた。

 

 抵抗する意思は、3日としない内に失せた。

 鎖と枷を外されるのは、夜間の食事の時だけ。

 一つだけある部屋の出入口の扉が開かれ、人が入って来た時だ。

 部屋の窓と同様、どういう仕組みなのか彼女には分からない。けれどその時だけ、彼女が縛る鎖と枷が意思を持つかのように自ら外れる。

 扉が閉まり、入室してきた人が彼女の前にまで歩み進むと彼女は動く事が許された。

 だが、彼女は喜ばない。牢獄から出されず真に自由で無いという事もそうだが、何よりこれでは“耐えられない”。目の前にある人を―――

 

 ――――途轍もなく甘くて、

 

 ――――漂う美味しそうな匂いに、

 

 ――――我慢できないのだから。

 

 そして気付くと、彼女は目の前の人の首筋に喰らい付いている。

 

 ああ、と彼女は涙を流す。口内に広がる甘い香りと舌を打つ甘美な味に。人を食らったという命を奪ったという罪悪感に。

 飢えと渇きが満たされる喜びと、犯した罪悪による悲しみと嘆きが彼女の心を打ちのめす。

 そんな歓喜と慟哭に翻弄される彼女に、生き物のように動く重い鎖と枷()は微塵の関心が無いかのように無機質に再び縛り付ける。

 

 ……抵抗はしない。

 

 彼女が、初めて喰らったのは自分に仕える侍女の一人だった。

 まだ10代半ばで、素朴ながらも可愛らしい印象の顔立ちを持っており、まるで春の陽光のような優しく暖かい笑顔をする少女だった。幼い自分にとって姉のようでもあり、主従という関係と身分の差を越えて仲が良かった。

 もうすぐ、幼馴染の男性と結婚するのだと嬉しそうに語っていたのを覚えている。

 

 なのに―――

 

 何も知らない様子で牢獄を訪れた姉のように慕った少女を、

 

 私は―――

 

 襲い来る衝動を耐えようと、苦しむ自分を見て、心配して助けようとしてくれたその少女を、

 

 殺して(たべて)しまった―――

 

 驚愕に見開かれた少女の瞳。抵抗を有らん限りの力で抑え。組み敷き、首筋に噛み付いた。それに恐怖し、助けを懇願する声。

 

 今でも覚えている。目と耳にこびり付いたように―――

 

 やがて聞こえなくなる声。力を失い冷たくなってゆく身体。恐怖に歪んだまま、生気を失い白くなった大好きだった少女の顔。

 

 ―――私は、そうして理解した。自分は化け物に成ってしまったのだと。

 

 それから何度も同じことを繰り返した。

 彼女が知る人間が、部屋を訪れる度に。

 時には、初めて食した少女のように何も知らず。

 時には、何かに操られたような人形のような歩みで。

 時には、事情を知った者が彼女を助けようと。

 しかし、その皆全てが恐怖の表情と懇願の声を残して彼女の血肉へ成っていった。

 

 

 

 どれ程の時が経ったのか、知っている人間が部屋を訪れることは無くなった。

 それでも、彼女の食事は続いていた。

 つまり、それは―――そういうことなのだろう。

 

 10歳を迎えたばかりの彼女の幼い心は、死に掛けていた。

 繰り返される日々に抵抗する意思は既に無く。部屋を包む闇のような絶望しか此処にはない。こんな惨状に自らを叩き落とした元凶に復讐どころか、見苦しく哀願する気力も湧かなかった。

 

 けれど、

 だけど、

 それでも、

 

 夜。窓から見える星や月のように、闇の中でも細やかに輝く光を見て思ってしまう。

 闇の中で輝く一抹の光。細やかな輝きでも漆黒の天蓋に灯ることで人々に安堵を与えてくれるように。

 どれ程か細い可能性だとしても、絶望を振り払える希望が何時か訪れるのでは無いかと。

 

 その願いは届いたのか。

 ある夜、それが起きた。

 

 固い戒めにより動けない彼女が、一人祈る思いで微かな希望を求めて夜空を見上げていた時、何処からともなく赤い光の滴が固い音を立てて彼女の目の前に落ちた。

 その瞬間、起きたのは嵐のような何かだ。視界が閉ざされ、耳も何も捉えられなくなり、強風が身を打つような感覚を全身に受けた。

 

 それは、ほんの数秒だった。

 轟々と吹き荒れ、牢獄のような部屋で荒れ狂うナニカ。

 突如襲った嵐に混乱する間も無く。それは消え去り、次の瞬間―――彼女の目の前には、圧倒的な存在感を放つ何者かが何時の間にか立って居た。

 

 檻のような部屋に差し込む月明かりの中、赤い外套を靡かせる猛禽の如く鋭い双眸を持つ男性の姿。

 剣を持たず、甲冑も身に纏わないのに、不思議と騎士という言葉を連想させる清冽な佇まい。

 

「問おう。君が私のマスターか」

 

 静かだが、重い。身を引き締めさせるような清澄な声。

 それはきっと瞬く間の出来事だった。それでも彼女は今でも鮮明に覚えている。

 おそらく、永遠に忘れることは無い。この先、何があろうと。この光景は決して記憶から消えることは無いだろう。

 

 そして彼女は現われた男性の手によって、闇に覆われた部屋と共に絶望から解き放たれた。

 

 されど、彼女の見出した希望はまさに星の瞬きのように儚く。何時でも消え去りかねない微かな灯であり。事実として彼女は、後の世に“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”を始めとした様々な禍々しい二つ名で呼ばれる事となった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 驚愕の表情を張り付かせて問うイリヤの疑問に、童女の姿を持つ吸血姫はその始まりの“出会い”を語った。

 自身を吸血鬼にした男の手に囚われて、実験動物のように扱われ…いや、ただ観察され、望まぬまま親しかった者達を次々と糧にした絶望の日々。

 そして、奇跡とも言うべき“彼”との出会いによって、その日々から脱した事をエヴァはイリヤに話した。

 話を聞く内に、イリヤの顔は驚愕から呆然とした様に変わっていた。

 在り得ない―――と思う一方、自分が今この世界に居る現実から可能性は否定できない、とも考える。

 

 しかし一体、どうして…? どうやって…?

 

 英霊の召喚自体は確かに可能だ。高度な魔術であるが不可能では無い。けれど、サーヴァントのように実体を……肉体を持たせ、現世に物理的に干渉できるようにするには冬木の聖杯システムと同様の―――『第3法』にでも足が掛かった“魔法”に匹敵する奇跡が必要だ。

 加えて言えば、魔力も相応に、だ。

 優れた霊地である冬木の霊脈を利用して魔力を蓄積し、60年ごとの周期で聖杯戦争が行われていた事からも、それは明白だ。

 勿論、一騎だけであるなら単純計算でその7分の1で済む訳だが、それでも膨大な量になる。

 

「悪夢としか思えない日々から解放された私は、アイツ……あの人と共に住んでいた城と故郷から離れた。それから暫く……少なくとも5年程の間は、平穏だった」

 

 イリヤが考える間にもエヴァの話は進む。

 

「来訪者も稀な。小さな村で私達は静かに暮らした。幸いにも魔法…というか吸血鬼の能力として簡単な暗示が使えたし、彼も基本的な魔術を身に着けていたから、私達が一向に成長しない…老いない事は幾らでも誤魔化せた。人口が100人にも満たない小さな村で、来訪者が稀な事もこれのプラスに成った。まあ、それを狙って、あの村を住処に選んだ訳なんだけどね……」

 

 話が進む内にエヴァの声色と口調が変わった。何時もの不敵で不遜なナリが潜まり、何処となく柔らかい感じの女性らしい……そう、少女的なものだ。

 

「だけど、そんな穏やかな…幸せな日々も長くは続かなかった。稀に村を訪れていた……確か行商人だったかな? 一年に一度訪れるかも分からない人間が私達に不審を抱いたことが発端だった。村ごと異端の嫌疑を掛けられて、私達は追われる身に成った」

 

 声に陰りが帯びて顔を俯かせる。表情も何かに悔いるかのようだ。

 

「一か所には定住できない。長くいる事も出来ない。なかなか大変な日々だったけど。それでも辛くは無かった。あの人が傍に居てくれたから、支えてくれたから、守っていてくれたから……なのに」

 

 ギリッ、と軋む音がエヴァの口から聞こえた。

 

「ずっと傍に居ると言ったのに…! 私の命が在る限り、守ってくれると言ったのに…! 彼は消えてしまった……ううん、殺された! 人間どもに……ッ!」

 

 声色と口調が戻る。瞳に強い怒り……いや、憎悪の光が灯ったように見えた。

 

「あれ以来、私は人間を許せなくなった。アイツはそんな事を望んでいないとも理解していた。だが憎しみは容易に消えてはくれなかった。後はお前も知っての通りだ。裏の世界の歴史に知られているように―――奪って、殺して、犯して、侵して、人間どもに悪行の限りを尽くして、その尊厳を踏み躙ってやった! あの時は楽しかったぞっ!!」

 

 口角が歪みに歪み、エヴァの表情は喜悦に満ちた。

 

「私の姿と繰り広げる所業を見て、悲鳴を上げて、狼狽え、怯え、逃げ惑い、慈悲を請い、絶望に染まった顔を見せて皆くたばって行った! 男も女も子供も老人も誰であろうと関係無いっ!! ああ! 確かに私はあの時、既に多くの人を糧にしていた。けど、それでも城を出た後は何もしなかった。その必要も無かった。なのに奴等は…! ただ平穏に暮らしたかった私達に…! 何もしなかった私達に…! 身勝手な正義を振りかざして…! 私の大切な者を殺したんだっ!! 報いを受けるのは当然だろう!!…ククッ、ハハッ」

 

 喜悦を浮かべる笑顔の中に憤怒と憎悪が混じり、エヴァの表情は限りないほど歪み。狂った笑い声がその歪み切った唇から上がった。

 

 まさに闇だ、とイリヤは思った。

 

 真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルの心の奥深くに潜む大きな闇。600年の時が経ても消えない負の情念。

 自身の身体を魂ごと変異させられ、絶望に捕らえられて負い。そこから救い出してくれた大切な人を、希望を与えてくれた存在を奪われて出来た心の傷。

 普段は決して外へと出さない。見せないであろうソレが今、表に出ている。

 恐らくこうして誰かに語る事も、言葉にする事も無かったのだろう。多分、茶々丸も知らない。もしかしたらチャチャゼロもそうかも知れない。

 だから、長い年月を掛けて淀み溜まったソレが、その僅か一端であろうがこうして吹き出している。

 

 イリヤは自分の身体が強張り、身体が震えているのを。血の気が下がり、顔が蒼白になっている事を自覚する。

 眼の前に居る“真祖の吸血鬼”に恐怖しているのだ。

 エヴァの事を怖いと思った事は幾度もあった。けれど、恐ろしいと思うのは初めてだ。

 

 ―――此処に居たら殺されてしまう!

 

 無意識に覚える恐怖から頭の何処かでそう感じ。一瞬、脳裏に憎悪に濡れた双眸と三日月の如く歪んだ唇を浮かべるエヴァの鋭い爪によって、胴体を真っ二つに切り裂かれる映像が過ぎった。

 

「…っ!」

 

 イリヤは思わず身構え、エヴァから距離を取りそうになる自分に気付き、必死でそれを制止した。

 もし、僅かでも敵意を今のエヴァに向ければ、取り返しの付かない事態になる、と直感したからだ。

 しかし、エヴァは敏感にイリヤの気配を察したのだろう。一瞬、凶悪な鋭い視線をイリヤに向け―――

 

「―――スマン。少し…いや、随分と“引き摺られて”しまったようだ」

 

 ポツリとそう言葉を零し、発していた不穏な気配を消した。

 射殺せそうな視線を受けて、拙いと思い身を硬直させたイリヤはそれに拍子抜けするも……ホッと安堵の溜息を漏らした。

 

「イリヤ、私は“魔術”を知っていた。だが、お前には知らない振りをした。確証を持てなかったからでもあるが。この世界には存在しない筈の……或いは過去に淘汰された遺失した技術が、今更都合よく目の前に在るなどと思えなかったからだ」

 

 エヴァは、話を戻そうとしているようだった。

 

「だから―――驚いた」

 

 ジッとイリヤを見詰め。エヴァは呆れたかのように、または感嘆したかのように言う。

 

「京都でぼーや達を助けに言ったお前が、アイツの―――“シロウ”の力を行使した時は…」

 

 シロウ―――その名は、変わってしまった今のイリヤにとっても大事な……忘れられない大切なお兄ちゃんと呼んだ弟の名前。

 もう驚きを表すことは無いが、正直エヴァの口から聞く度に内心で受ける衝撃は変わらない気分だ。

 大切な人であるという事もあるが、この世界にどうしてどうやって現われたのか分からない…という大きな疑問がある所為かも知れない。

 そんなイリヤの内心に構わず、エヴァは話を続ける。

 

「しかし、怖かったのだろうな。都合よく現われたシロウに繋がる手がかりが……そうでなかったら、と。確信を得たというのにそこから一歩も踏み出す勇気が出ず、この時までお前に話すのを避けてしまった」

 

 エヴァは顔を伏せて自嘲するに様に言う。

 自他ともに傲岸不遜と認められる性格故に、らしくなく迷い逡巡した事が情けなく無様に感じているようだ。

 

「……ぼーやに感謝しなくてはな。あの過去を見たお蔭で踏み出す意思を……いや、忘れていた大事だったものを思い出せたのだから」

 

 伏せていた顔を上げてエヴァはイリヤを見詰める。

 

「シロウと坊やの源泉は似ている赤い炎に包まれた死に満ちた風景。そして父と呼ぶ人間から受けた影響。ただ経緯もそうだが、その根や本質は異なるのだろうが……重ねて見てしまう部分は多い」

 

 それはイリヤも感じている事だ。シロウとネギは似通っている部分が在る。ただその事情を深く知れば違うともいえるのだが……しかしエヴァがそう口にするという事は―――自分に向けられる視線の意味を察し、イリヤは言った。

 

「“見た”のね」

「ああ、シロウが居た頃……“契約”があったからな」

 

 エヴァは頷き、答える。

 

「本当…忘れていた。大事に思っていた筈なのに…な。アイツの過去のこと……その中にイリヤ―――」

 

 ―――お前の姿が在った事を。

 

 

 エヴァは知っていた筈だった。それが並行世界などと言う想像だしない異なる世界の事であったにしろ。単騎で数千、数万の戦力に匹敵する英霊が幾人も召喚され、激突する聖杯戦争という儀式を。

 彼が身を投じたその戦争(バトルロイヤル)に、この目の前に居る白い少女が敵として立ち塞がったのを。敵である少女を大事に思い助けようとしたらしい事も。兄と呼んで来る幼く見える少女が姉である事実も。

 自身に仕えてくれた無銘の英雄の記憶を垣間見る事で……だが。

 

 幾ら彼の記憶が摩耗し明瞭でなかったとは言え、何故忘れていたのか? 大切であった人の記憶を。これほどまでの大事を。

 

(考えるまでも無いか……)

 

 その程度で忘れるほど薄情でも、軽いものでは無いと言いたくもあるが、自分はそれ程までに長く生きてしまった。

 しかし、それでも……

 

(忘れてはいない。目を閉じれば今でもハッキリとその姿を思い返す事が出来る。告げられた声も……)

 

 エヴァは脳裏に、月光の下で起きたあの日の光景が浮かぶ。

 それは鮮烈にまで心に焼きついた奇跡としか思えない出来事だ。

 

(共に過ごした日々も)

 

 わずか数年であったが平穏と呼べた日々。已む無く放浪の旅へ……追われながらも、楽しくもあった東を目指した逃避行。

 こちらは、おぼろげに成ってはいるが、忘れ得ぬ大切な思い出だ。

 

 だから―――

 

 意識を過去に在った彼との日々から、今へと戻してイリヤを再度見詰める。

 遠い過去に従者であった大切な人の記憶に在ったままの容姿を持つ聖杯の少女を見、シロウの手掛かりへの確証と確信を深め―――それを告げた。

 

「イリヤ……私はシロウに会いたい。もう一度を話をしたい。声が聞きたい。姿が見たい。大きなあの手で私の頭を撫でて欲しい。抱きしめて欲しい」

 

 それは嘆願。

 

「なあ、イリヤ。お前なら…お前なら……それを叶えられるだろう。お前の中には今、アイツが居るんだろう……頼む! 何だってする。どんな代償でも払う! 私をシロウに会わせてくれ! お願いだ!」

 

 

 縋りつくような声だった。乞いへつらうような……エヴァさんにはとても似合わない姿だ。

 イリヤはそう思った。

 けど、

 それを指摘しようとも思わなかった。

 必死の表情で希う彼女が……まるで年相応としか言いようがない幼い少女の、その姿に感じるものがあったからだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 開け放たれた窓から緩やかな風が入って、美しい光沢を持つ白いシルクのカーテンを揺らしていた。

 時刻は未だ夜間。月明かりに照らされたその部屋はカーテン同様、白を基調として配色されており、清いイメージと同時に室内を飾る様々な調度品によって、豪奢且つ絢爛な雰囲気を持たされていた。

 

 そのエヴァの私室でガラステーブルを挟んで座る2人。

 イリヤは、目の前で懇願するエヴァに頷く事は出来なかった。

 

 当然だ。幾らイリヤが聖杯であり、クラスカードという形で『アーチャー』を所持していても彼を顕現させるのは難しい。出来るのであれば、とっくに行っている。置換されたこの英霊の核(カード)は未だ判らない部分が多いのだ……いや、それ以前にエヴァが求めるシロウとこのエミヤが別人だ。

 例え魂が全く同じ物であろうと“英霊の座”から別々に複製されて召還された存在なのだ。故にこの自分の内に在るエミヤはエヴァのシロウと連続した繋がりは無く、彼女の事を知る筈も無い。

 だからイリヤはエヴァの願いに応えられず、首を横に振ろうとし、

 

「判っている、難しいだろうというのは……しかし、手段は―――その手掛かりはある」

 

 エヴァはそう言い。イリヤが自分の願いを否定しようとするのを阻止した。

 エヴァは席を立つと室内を飾る調度品の一つ、美しく彫刻された金箔張りの化粧台の引き出しから見覚えのある小さな箱を取り出した。

 記憶に引っ掛かりを覚えたイリヤは、直ぐにそれが何だったのか思い出した。それは初めてエヴァ邸を訪れた時に見たタカミチがエヴァに渡した古めかしい木製の箱だった。

 席に戻ったエヴァはイリヤが木製の箱へ視線を注ぐのを確認し、開いてその中身を見せた。

 

「!―――それは…!?」

 

 箱の中を見たイリヤは困惑と驚愕の混じった声を上げた。

 窓から差し込む銀光を受けて輝く罅割れた赤い宝石。銀製と思われる細い鎖が繋ぐそれは見覚えのある代物だ。

 そう、それは、

 

「リンの…トオサカの家宝……」

 

 イリヤはシロウの名を聞いた時と同様の驚愕に囚われて、半ば呆然と呟いた。

 呆然とし、思考が停止したイリヤにエヴァは箱から取り出したソレを渡す。

 思わず渡されるまま受け取り、イリヤの耳にチャリと小さく金属が擦れる音が入った。

 

 イリヤは手の平に収まった宝石をまじまじと観察する。それは間違いなくかつて居た世界で見た赤い宝石だった。

 罅割れて無残な姿に成っているが、覚えのある“彼女”と同じ魔力をイリヤは宝石から微かに感じ取っていた。

 そして、覚えのあるこの宝石が変質しているのも解った。

 

 一体どのような経緯が在ったのか?

 遠坂家の家宝であるアーティファクトは、その秘めたるキャパシティの限りを使って魔術的加工が成されていた。

 それも信じられない事に、その加工作業にはどうも並行世界の自分(イリヤ)が関わっているらしい。

 エミヤ式及び本来の『解析』魔術を併用して確かめたのだから間違いは無いだろう。

 その『解析』の結果、宝石に施された加工―――術式にはアインツベルンの魔術が使用されているのを確認した。

 リンの持つ伝手と、あの閉鎖的を通り越して排他的な自身の一族の事を思えば、それ以外に考えられなかった。

 並行世界の自分(イリヤ)は、リンと協力してこの宝石の加工を行った。

 何の目的があったのかは判らないが、それも大聖杯に使われた技術を流用して、だ。

 

 その経緯は判らないが、お蔭で過去…エヴァの前に英霊エミヤが召喚された事情は多少であるが分かった。

 このアーティファクトが本来持つ魔力の蓄積容量。サーヴァント召喚システムの組み込み。そしてエミヤとこのペンダントの縁。

 つまり、召喚魔力量が解決し技術面の問題も解決。召喚対象もこの宝石を使う以上、半ば固定されたようなものだ。

 というか、これを見る限り、この遠坂家のアーティファクトは英霊エミヤを召喚する為だけに加工されたとしか思えない。

 

(本当、一体どんな理由と目的があったのか。本来ある汎用性を殺し、希少なアーティファクトを喪失しかねないリスクまで負ってこんなものを作るなんて…)

 

 イリヤは何処か呆れを感じながらも、そんな可能性(せかい)に思いを馳せずいられなかった。

 ともかくその製作理由もこの世界に落ちて来た原因も解らないが、この宝石がこの世界に英霊エミヤを呼び寄せたのは事実なのだろう。

 

(はあ、訳が分からないわね)

 

 驚きの連続の所為か、イリヤは自分の頭が少々混乱しているように思えた。

 エヴァが原作と異なり、吸血鬼にした人間の手に囚われていた事、それを救ったのが偶然なのか必然なのか、この世界に落ちて来た“遠坂の宝石”で、召喚された英霊エミヤことシロウ。

 続け様に明らかに成ったそれら原作との乖離。それも自分が居た世界…いや、また別の並行世界が関わっている現実。加えてエヴァからはシロウとの再会をお願いされているという。

 

 本当に、その意味が解らず訳が分からなかった。

 

 

 

 混乱を治めるためか、考えを纏める為か沈黙するイリヤにエヴァは話す。

 

「その宝石が、シロウを呼び。この世界に留める触媒である事は判っていた。だが、アイツが消え去る際……私はそれを無くしてしまった」

 

 悔いるかのような表情でエヴァはそう言った。

 

「しかし、今から数か月前の事だ」

 

 地中海に面するカジノや観光で有名な某国で開催される魔法関係者も参加する骨董オークションに、この罅割れた赤い宝石のペンダントが出品されるのをエヴァは知った。

 蛇足であるが彼女は、過去に築いた伝手と関係でそれなりにこの手のオークションなどに顔が利き、今でもお得意様の一人として情報やらパンフレットが送られてくるのである。

 恐れられる筈の“闇の福音(エヴァ)”を信望、あるいは崇拝する者達も魔法社会を含めた裏の世界には居るという事だ。

 パンフレットを見た彼女は受けた衝撃が過ぎると直ぐに行動を起こした。開催先の国に偶然にもタカミチが出張する事もそれを後押しした。

 溜め込んでいた貴重な宝石や貴金属類の幾分かを惜しげなく売り払い。オークションへの参加及び落札資金を調達してタカミチに託した。通話を使った非出席形式の参加でも良かったのだろうが、それでは今一不安であったし、事が事だけにエヴァは万全を尽くしたく彼に頼んだのだった。

 タカミチとしては仕事ついでという事で一向構わず、アッサリと了承した。

 そうして、オークションに参加した彼はエヴァに代わって目的の宝石を落札し、イリヤが初めてエヴァ邸を訪れたあの日にその宝石をエヴァに渡した。

 

 話を聞いたイリヤは更に考え込まずに居られなかった。

 ある意味、異世界人である自分がエヴァの所へ転がり込むと同時に、同じく異世界から来た代物がエヴァの下に渡るという偶然に。

 

(これも運命(Fate)なのかしら……?)

 

 手渡された赤い石を見詰め、そう内心で呟く。

 この一件―――600年も前に起きた事象が、現在自分に与えられた役割に関係しているのか、訝しんで。

 そんなイリヤの心情を察することなく、エヴァは話を続ける。

 

「だが、手にしたものの成果は全く得られなかった。研究の為にこの別荘を使ったにも拘らず、シロウを呼び出す方法が判らなかった。私に魔術の知識が無く、使えないというのが、やはり原因なのだろうが」

 

 そう、あの日、イリヤが訪れ、宝石がエヴァの手に渡った時から彼女は宝石に使われている術式の解明と研究に勤しみ、幾度も実験を行っていた。

 しかし言う通り、芳しい結果は得られず徐々に苛立ちが募り始めたある朝、アミュレットを制作すると言った居候が持ってきた“ソレ”を見た。

 

「本当に驚いた、あの時は……お前の作ったアミュレットを見た瞬間、心臓が止まるかと思った。驚愕を押し殺すのが大変だった」

 

 その言葉にイリヤはその時の事を思い出す。確かにエヴァは息を呑み、一瞬硬直した様子を見せていた。でも、

 

「……隠す必要なんてなかったんじゃあ」

「今にして見ればそうだろうが、あの時はさっきも言った通り、確証は無く、信じ難い思いの方が強かったんだ。こんな都合良く“魔術”を知る人間が直ぐ傍に居るなどという事は」

 

 余りに出来過ぎだと、却って疑念の方が大きかったぐらいだ、とエヴァは言いながらも、同時に期待も小さくも無かったが、とも続けた。

 

 

 

 話すべき事が無くなったのか、エヴァは沈黙し、イリヤも何も言わず静寂が室内を包んだ。

 エヴァはジッとイリヤを見詰める。何も尋ねないのは答えを聞く事が怖いからだろう。エヴァにとって自分を救いだし、命を掛けて尽くしてくれたシロウは誰よりも大きな存在だ。それこそネギの父親であるサウザンドマスターよりもだ。

 もし再会が叶わず、それが否定されたら……そう考えるだけで目の前が暗く成り、体の芯が震え、凍りつくかのような錯覚を覚えてしまう。

 彼が居なくなり、絶望と共に芽生えた憤怒と憎悪に身を任せ、復讐に奔った後。再び東を目指し、日本へ赴いたのは何も自分を討たんとする連中から逃れるだけでは無い。例え時代が違っていてもその地がシロウの故郷である事を知っていたからだ。少しでも失ってしまった彼の気配に近付きたくて、東の最果てにある島国へ足を踏み入れたのだ。

 

(そして私はまた、人を信じられるようになった。この国の人々と過ごす事で……)

 

 これもシロウのお蔭だとエヴァは思っている。

 そう考えてしまうほど、エヴァのシロウへの想いは強く、執心は大きい。

 だから何としても彼を取り戻したい。もしイリヤが無理だと言っても、自分は諦めないだろう。一時的に絶望するだろうが、少なくとも魔術の手掛かりは目の前に在る。

 それも―――

 

 ―――目の前に在るのはあの“聖杯(イリヤ)”なのだ。叶わぬ願いなど無い。いざとなればイリヤ(せいはい)その物を解剖(ちょうさ)し、研究すれば良いのだから。

 

 強すぎる執心の余りに浮かんだそんな冷酷な思考を口に出さず、その気配も悟らせずにエヴァは黙ってイリヤを見詰めた。

 

 

 

 イリヤは罅割れて美しさを損なってしまった赤い石を見詰め、結論を出していた。

 

(多分、エヴァさんの望みを叶える事は出来る……と思う)

 

 宝石の『解析』を行なって気付いた事だ。破損し大聖杯(第3法)の術式にも影響は出ているが……

 

(まだ“残っている”)

 

 そう、“存在”が重いのだ。微かに残る魔力の共に宝石の中核に混じっているものが、いや…留まっているモノが在る。エヴァもそれに気付いたからこれを手掛かりだと言ったのだろう。

 

(それも半壊状態だけど……“英霊の核”がまだ在る)

 

 恐らくこれは召喚の触媒のみならず、英霊の核を内包しサーヴァントを現世に留める器でもあるのだ。『第3法(ヘブンズ・フィール)』の一端を流用している事を考えれば、大聖杯同様にマスターの負担を軽減するバックアップ機能も在るだろう。

 

(なら宝石と核を修復し…術式も……それで魔力を蓄積すれば、行ける筈…でもその為には―――)

 

 宝石を修復する材料が必要だ。術式の方は……多分自分でも何とか出来る。“英霊の核”は……宝石の修復の目途が立ってからに成るだろうが。

 イリヤはその結論をエヴァへ伝える。手間も時間も掛かるだろうが可能だと。その瞬間、

 

「―――本当か!? 本当に出来るのか!? シロウにもう一度会えるんだな!!」

 

 エヴァはイリヤに詰め寄り、肩を痛いほど掴んで身体を揺さぶり、何度も可能なのか、とそう繰り返し訪ね。その都度にイリヤは首肯し、肯定の返事をした。

 とても封印を受けているとは思えない程の力の強さに、掴まれた肩から手を振りほどけず、痛みと揺さぶられる苦しさに堪えて何度も返事を繰り返した。

 

 しかし、無償という訳にはいかない。

 エヴァはどのような対価も払うと言った。ならそれ相応の要求を聞いて貰わなくては……。

 イリヤはそう内心で言い。エヴァからの興奮が落ち着くのを見計らって、それ告げた。

 

「エヴァさんに聞いて欲しい事がある」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その話を聞いたエヴァは憮然とした表情を見せた。

 

「“抑止力”…か、またとんでもない話が出たものだ」

 

 エヴァは憮然としつつ苦みの籠った声を零した。

 

「ええ、だからお願い」

「確かにその話が本当だとすると、ぼーやを……いや、ぼーや達を急ぎ鍛える必要があるな」

 

 イリヤの言う“抑止力”……“世界の意思(ガイア:アラヤ)”が滅びの事態に反応し、動くという事は既にそれが起こっているか、近い内に事態が発生するという事を示している訳に成る。

 それがあの“アンリマユの呪詛”であり、それが協力する“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の暗躍なのだろう。

 そして、それを阻止する抑止力()が―――

 

「お前であり、ぼーや達か…」

「恐らくね。私の方は確実だけど、ネギがそうであるかまでは断言できないから―――」

「いや、それも確実だろう。ぼーやは何しろ“完全なる世界”の宿敵であるナギの息子なんだ。その潜在的な力や先の事件での運命的な巡り合わせを思えば、尚更にな。それに―――」

 

 と。脳裏に浮かんだ英雄の息子とは別に、その傍に居るオッドアイの少女の顔が過ぎったが―――その事を口にするのは止める。

 エヴァは一度頭を振ると表情を憮然としたものから、不機嫌なものにした。

 イリヤが焦り、どこか急ぐのは抑止力の所為なのだと理解したからだ。それを優先せざるを得ない以上、当然自分の願い…シロウとの再会もその分後回しに成ってしまう。オマケに―――

 

「大丈夫なのか、本当に?」

「…それ位の猶予は在る筈よ。約束は必ず守るわ」

 

 イリヤは不機嫌な視線を受けるも自信を持って首肯して答える。

 その返事にエヴァは、やれやれと首を振って溜息を吐き、頷いた。

 

「分かった。私の方は…ジジイの許しが必要になるだろうが問題ない。むしろありがたいくらいだ。ぼーや達の件も何とかやってみよう。そっちはアイツら次第でもあるが、な」

 

 そうしてニッと不敵に笑ってイリヤの頼みと申し出を快く承諾した。無論、若干の不安と憂いも在ったが……。

 

 




 エヴァの設定を改変捏造し、紅茶の存在を加えました。
 元々これは本作を構想する前に、エミヤを主役として考えていたクロスネタでした。しかし没にするのは勿体無かったのでこの「聖杯の少女」に流用したのです。

 この展開はかなり予想外だったと思います。伏線も曖昧でしたし、イリヤの『アーチャー』の能力を見た時のエヴァの反応も書いてませんしね。
 その辺を予め書いてしまうと、バレバレになる恐れもありましたから……今にして思うと意表を突きたいささらの心情的に、それもあってArcadiaでもその辺を書かなかったのかも知れません。
 いずれはその時のエヴァの様子を書きたいと思います。


 次回からヘルマン編に入ります。このエピソードは複数回に分けて書いているのですが、一話、一話文章が長くなっている上に一部加筆を加えたいので更新は時間が掛かりそうです。
 その為、昨日と同様、定期更新時間としている午後7時に間に合わないかも知れません。それでも何とか0時までには更新したいのですが……それも厳しいかも知れません。どうか御了承ください。

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