麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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今回と次回は原作にある設定や謎の考察及び独自解釈する説明回みたいなものです。
面白みが無く、つまらないと感じる人も多いと思います。
設定厨な自分はこういうのを考え、読むのも好きなんですが。


第20話―――葬送の日。明かされる秘密

 

 事件から4日後の5月25日(日)。

 その日の午後、関東魔法協会本部である武蔵麻帆良の教会にて、麻帆良で勤務…或いは修行に励む多くの魔法関係者たちが集っていた。

 

「―――彼等と親しく、また世話になった者は一昨日、昨日と取り行なわれた葬儀にて既に別れの挨拶を済ませておるだろう。しかし今一度、今日この場にて麻帆良を……いや、世の平和を守らんとする魔法使いとして尽力し、命を賭した彼…もしくは彼女達の事を思い遣って欲しい。そして勇敢であった彼等を知らぬ者達もまた志を共にした同じ魔法使いとして、仲間として冥福を祈って欲しい。正しき思いを胸に勇敢に戦った彼等の御霊が安らかに眠られるよう、また良き来世を迎えられるように…」

 

 聖堂に在る壇上で近右衛門が告別を述べ。幾拍か間を置き、彼の隣に立つ木乃香が僅かに前へ出て短く言葉を発する。

 

「……これより黙祷を捧げます。全員起立! 黙祷!」

 

 木乃香の声が聖堂に響くと人々は一斉に席を立ち、目を閉じてやや顔を俯かせた。

 鮮やかなステンドグラスを通して差し込む光の下で整然と列を成し、祈り耽る人々の存在は、ただでさえ神に近しい…心を近づかんとする聖堂をより厳かに、より神聖なものに強調させるかのようだ。

 

 不躾で且つ不謹慎ながら、密かに薄目を開けて周囲を窺っているイリヤはそんな感想を持った。

 

 イリヤはそのまま周囲に悟られないように静かに視線を巡らせ、気に掛かる幼い少年こと―――ネギとその彼が受け持つ生徒達の背中を捉えた。

 彼等の後ろに席を持ったこともあり、ここからは当然、彼と彼女達の表情を窺い知ることは出来ない。壇上の脇に立つ木乃香の方はそうでもないが、彼女に関しては刹那や真名、楓と古菲らと併せて然程心配してはいない。

 実際、この告別式の直前に顔を合わせた時も、木乃香は今と同じく表情こそ重苦しくさせていたが、気に病んでいるような気配はほぼ無かった。

 しかし、やはりと言うべきか。それ以外の面々……ネギと明日菜、そして夕映とのどかに和美は。

 

(予想していた事だけど……)

 

 当初の予定に反して調査が順調に進んだ事もあり、昨夜、関係者に事件の大まかなあらましが通達され、ネギ達は今回の件で生じた損害……犠牲者が出た事を知った。

 その事実はイリヤが危惧していた通り、彼と彼女達をかなり堪えさせたようだった。

 木乃香と顔を合わせた時に見たネギと明日菜達の表情は一様に暗く。イリヤの挨拶にも声を出さずに軽く頭を下げるだけで、とてもあの3-Aの面々とは思えない澱んだ雰囲気を醸し出していた。

 ネギと明日菜は今回の事件と自らの関わりに悩む部分もあり、夕映達にしても事件に巻き込まれたショックがあるだろう。

 

(…やっぱりフォローは必要よね)

 

 ネギと明日菜は当然だが、今後“此方”の世界に関わる、関わらないにしろ夕映達とも話をして置くべきだ。

 しかし、今日はこの後にも予定がある。長々と話をする時間は取れそうに無く。その用事も長引く可能性は高い。場合によってはその後も考えを纏める為に多くの時間を割くかも知れない。

 

(けど、あの子達の心中を察すると余り間を空けるべきじゃないとも思うし、夜分でも迷惑に成らないのなら訪ねようかしら?)

 

 そう、ネギ達を気に掛けるイリヤではあるが、その彼女自身にしても今回の事件で思う所は少なくない。

 原作の知識から事件が起こり得るのを知っており、事前に警告する事も確かな対応や対策も彼女は立てられなくは無かった筈なのだ―――なのに自分は……と、過ぎ去り今更どうにもならない、出来ない事に対してイリヤは抱く忸怩たる念を未だ強く燻らせていた。

 イリヤは、視線をネギ達から外すと壇上の奥に浮かぶ。宙に投影された画像……殉職者の生前の姿を映した写真に目が留めた。

 

(……)

 

 イリヤの脳裏に浮かんだのは、遺影を抱えて喪服姿で静かに涙を流す妙齢の女性と、その女性の手に強く握る泣き腫らした顔を見せる幼子の姿。

 それは昨日、半ば気紛れに訪れた葬式の場に見た光景だった。

 

 果たして逝ってしまった者は、自分がそうなり、愛すべきその者達を置いて悲しませる不幸を覚悟していたのだろうか? 果たして残された女性と幼子もそうなる事を、危険が伴う職場に勤める愛する人が自分達を置いて逝く可能性が在る事を理解していたのだろうか?

 夫を亡くした妻と父を亡くした子。そんな二人を見て、イリヤは胸に痛みを感じながらそんな取り留めない疑問が過ぎり、

 

―――……意味の無い考えね。例え覚悟や理解をしていたとしてもそれが簡単に受け止められない、辛く悲しいものであることに変わりは無いのだから。

 

 愚かしい事を考えたとばかりにかぶりを振った。そして―――

 

 ―――それを齎したのは……きっと私…。

 

 胸に感じる強い痛みと沸き立つ自責から己を罪深く思った。

 あの親子はまだマシな方だ。夫であり、父である愛する人が魔法関係者である事を、その不幸が何故起こったのか知る事が出来るのだから。

 しかし犠牲となった者達の家族の中にはそうでない者もいる。それら家族には事故として規定(マニュアル)に沿ってでっち上げられた話(カバーストーリー)が告げられ、事実を知る事は出来ず、理不尽にもその虚偽を真実として唐突に訪れた不幸を受け止めなくてはならない。

 それを思うとイリヤは尚更やり切れないものを覚える。

 防げた筈であり、亡くなった彼等を犠牲にする事もなく。残された者達から幸せを奪い、不幸を振り撒く事も無かった。自分にはそれが出来た筈だった。もしくはこの世界によって異物(よけい)である自分達さえ居なければ……。

 それが高慢な考えだと、自惚れだと、意味の無い仮定なのだという事は判ってはいるし、自覚も勿論ある。けど、それでも――――

 

(……………)

 

 イリヤは薄く開けていた眼を閉じると、戒める様に強く拳を握りこんだ。

 感傷に囚われている事に、今更どうにもならない事に未練がましく後悔している事に、らしくない。情けないと憤りを感じたのだ。

 しかし、そう幾度振り払ってもこの感傷と後悔は一向に消える気配は無く。今のように気付くとイリヤの思考を覆い。心を苛ませ。またその度に自分はそのような奇特な人間であっただろうかとも彼女を悩ませるのだった。

 おそらく“今のイリヤ”に成ったが為に生じたものなのだろうが。

 

(この迷いや甘さとも言える精神(こころ)と思考の在り方は、何時か致命的なものを招くかも知れないわね)

 

 イリヤはそれを不具合と捉え、その弊害を危惧した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 解散が告げられ、集まった人々が聖堂を後にする。

 神へ祈りの捧げる神聖な場には相応しくないざわめきが漂い。人だかりは無数のグループに別れて雑談を交わしながら外へと向かって行く。

 イリヤの耳に入った幾つかの言葉から察するに、それらのグループの少なくない数がこれから各々に逝ってしまった仲間と友人を悼む為にささやかな宴を執り行うらしかった。

 犠牲となった者達の死を受け止めるのは何も親族や家族だけでは無いという事なのだろう。

 

「そうよね…」

 

 思わず声に出して呟く。

 近右衛門が黙祷の前に述べた通り、彼等の中には犠牲者と親しかった者や世話になった者も居る……。

 

「――――――」

 

 かぶりを大きく振る。

 また心が囚われ思考が泥沼に陥りそうになっている事に気付いたのだ。

 

(何時までも……本当にらしくない! これじゃあネギの事を言えないわよ!)

 

 怒りを覚えてイリヤは己を叱咤し、そんなことよりも…と。聖堂にまだ居るであろう今胸中に浮かんだ人物の姿を探して辺りに首を巡らせ―――途中、視線の先に此方を見詰める金髪の少女と眼が合った。

 場にふさわしい喪服にも見える黒い制服姿の少女。高音・D・グッドマンだ。彼女はイリヤと眼が合うと何かを言おうと一瞬口を開き掛けたが、

 

「ぁ、……っ―――!」

 

 何も言わずに目を伏せ、踵を返して早足で外へ去って行った。

 その隣には何時もの如く相方の愛衣の姿もあったが、彼女も微かに迷う素振りを見せたものの、結局イリヤに申し訳なさそうに一礼すると、急ぎ高音の後を追い駆けて行った。

 イリヤも後を追うべきかと迷ったが、やはり天秤の傾きはネギ達の方が重く、二人の背を追うことは無かった。ただ今度は明石教授や愛衣に任せるだけでは無く。機会を設けて自分も高音としっかり話をする必要があるとも肝に銘じたが。

 そうして再び辺りに視線を巡らすと、ネギ達は思っていた通りまだ聖堂に残っていた。割り当てられた席から動いておらず、項垂れる様に椅子に座るネギを中心に明日菜を始めとした生徒達の姿がある。ただ元より出席していない真名と楓はともかく、木乃香と刹那の姿も無い。

 木乃香は、近右衛門と共に式に参加した協会上層部の見送りに出ており、刹那は別件で真名と楓の下へ向かったのだろう。少し薄情に見えるかも知れないが……それはついては仕方ないとして―――

 

「ネギ」

 

 彼が座る席の背後に立ってイリヤは声を掛けた。

 

「あ、イリヤ…」

 

 声にネギが首を振り向かせると、それを合図とするかのように周囲の少女達もイリヤの方へ顔を向けた。

 彼等の顔は式の開始前に見た時とほぼ変わっていない。沈んだ表情だ。いや、古 菲だけは比較的落ち着いており、暗い表情を見せるクラスメイト達を前にどうすれば良いのか判らない、といった困った様子だった。

 その為か、イリヤの姿を見て何処か安堵しているようにも見える。

 イリヤはそんな古 菲に気付いて、年下の少女という事に成っている自分を頼りする彼女に呆れを覚えたが、内心で肩を竦めるだけにして古 菲への文句は抑え、ネギに改めて声を掛けた。

 

「ネギ、貴方が何に悩んでいるかは大体判っているわ。だから言うけど、もしそれで責任を感じているなら、それは間違いで勘違いよ」

「!」

「アスナも、ね」

「えっ!?」

「今回の件で貴方達には責任を負う所は無い。あるとするならそれは学園長を始めとした協会上層部の方」

 

 決して強い口調という訳では無いが、断言とも言えるイリヤの一方的な言葉にネギと明日菜は驚き戸惑った。思わず「で、でも…」と二人は同時に口を開いて反論を試みようとし、しかしそれを続けるよりも早くイリヤが言う。

 

「そうね。今回の件で標的にされたネギとアスナにして見れば、確かにこんな言葉では納得し難いものが在るんでしょうね。でもこれは“そういうもの”なのよ。アスナについては私も詳しい事は聞いて無いけれど、協会上層部は貴方達二人の“価値”を理解し、それに伴うリスクも当然承知していた筈。そしてその上で麻帆良に受け入れていた。だから今回のような事態が起こりうる可能性も当然想定されていたし、その見込みが甘く結局対応し切れなかったのなら、当然それも彼等の責任になる」

 

 それはつまり、今回の件で二人が悩んでいる事の本質と問題は、ネギと明日菜の意思や手には届かないかけ離れた所に在るという事だ。

 そもそも前回の京都の件にしてもそうであった。あれも標的にされた木乃香自身に責任を負うべき所は無く。彼女の価値を知っている筈の近右衛門が見通しを誤った為に起きた事だとも言えるのだ。

 その事を理解した為か、それとも当時そのような事を言ったエヴァの言葉が思い返されたのか、ネギと明日菜は告げられた言葉が冷然とした事実なのだと感じ、例え健全とはいえない物であったとしても抱いた思いが否定されたように思えて、あんまりだと言いたげな表情を見せた。

 

「勿論、言ったようにそんな理由では貴方達が納得できないのも、苦しさや蟠りを解消できないのも判るんだけど、ね」

 

 イリヤも二人の思いが分からなくもない為、厳しげであった表情を緩めて優しげに言う。

 

「…それでも、これだけは言わせて貰うわ―――ネギ、アスナ、確かに貴方達は今回の事件で狙われ、標的にされていた。けどそれは貴方達の所為だけで起きた訳じゃない。犠牲者が出たのも“別の要因”。“ソレ”の所為…これは本当よ。貴方達は決して悪くない」

「「…………」」

 

 イリヤの言葉に二人は何も答えなかった。イリヤから告げられた事が恐らく正しいと感じても、だからといって納得出来ない。消えないわだかまりがあるのも確かなのだから。

 その為、イリヤが心配してこうして話し掛けてくれた事が判っていても考えが纏まらず、直ぐに返すべき言葉が見つけられないのだろう。

 正直、イリヤにしてもこの件に関してネギと明日菜へのこれ以上のフォローは難しかった。犠牲が生じたのはイリヤの楽観と尽力不足にこそあるが、事件の発端に関する要因が二人にあるのも事実だからだ。

 だからせめてあるべき責任の所在を明示して抱える悔やみを緩和させる事しか出来ない。

 問題はそれを二人が素直に受け入れられるかだが―――イリヤはネギと明日菜から視線を外して夕映、のどか、和美の方へと順に見詰め、ネギの方へ戻し、

 

「―――後で寮へお邪魔するから、その時にまたゆっくり話しましょう」

 

 時間が押している事もあり、この場は一度引く事にした。

 それに今見たネギ達の反応や気の沈みようから―――間を置き過ぎてもやはり良くは無いが―――もう少し時間を置いて気が落ち着いた頃を見計らった方が良いと感じたのもある。

 暗い雰囲気を放つ級友の中で取り残される古 菲には少し気の毒ではあるが、

 

(仕方ないよね)

 

 と。助けを乞う子犬のような目を向けて来る拳法一筋娘に気付かないふりをしてネギ達と別れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギと別れ、イリヤが向かったのは教会の外では無く。その内部…地下深くまで続く螺旋階段であった。

 曲線を描く煉瓦造りの古めかしい壁に設置された蝋燭の灯りで照らされたそこは、原作で超 鈴音の仲間だと嫌疑を掛けられたネギを救出する為に明日菜達が通った場所だ。

 

 地下30階。

 人目を避ける様に螺旋階段の下り切り、イリヤは今日此処へ来るように自分に言い付けた人物を待ち―――十数分ほど経過し、

 

「スマン、待たせた」

 

 件の人物―――近右衛門が姿を現した。

 彼は飛行魔法を使ってゆっくりと宙を下りてイリヤの前に立つ。その左右には木乃香とタカミチが居り、背後には西より駐在特使として派遣された青山 鶴子の姿があった。

 しっとりとした笑みを浮かべてイリヤに会釈してくる元・神鳴流師範代である彼女とは、事件の後始末の合間を縫って顔を合わせている。

 

 両協会が正式な協定を結び、互いに駐在員を派遣するという話はイリヤも聞いていた事ではあったが……まさか、西の最大戦力であり、現役を退いた鶴子がその特使に任命されたのは―――同じ世界観とはいえ、別作品の登場人物だということもあるが―――非常に驚きだった。

 

 だが、西にして見ればあの“完全なる世界(コスモ・エンテレケイア)”……特にその手強さや、得体の知れない黒化英霊の存在を知る詠春の思いと憂慮を鑑みれば、当然の判断であり。

 その他の穏健派のみならず過激派にしても、万が一にも東が陥落し混乱に陥るのは望んでおらず……というか、それイコール日本の魔法社会の崩壊だという認識はしている。

 余程の愚か者で無い限り、現状の西だけで日本の裏を支えられるなどとは流石に思っていない。その為に―――そう、問題は東だけで済まないからこそ、彼等は持ち得る最大の手を打ったのだ。

 尤も、近右衛門と鶴子自身の話によれば、そういった後先考えない愚か者や、和解を快く思わない者達に対する牽制も兼ねての“最強の剣士”の麻帆良行きだとの事らしいが。

 

 まあ、それらの事情はともかく、イリヤとしてもランサーを相手に互角に戦ったという鶴子が麻帆良に留まるのは心強く思う……のだが、彼女が特使という話を聞いた時に見せた刹那の引き攣った顔や葛葉の怯えた表情。そして自分を見る眼に何となく不穏な気配と不安を感じるのは―――非常に気の所為だと思いたかった。

 

「ゴメンなイリヤちゃん、待たせてしもたようで」

 

 学園長の魔法で降りて来た木乃香が、祖父に続いて遅れた事を謝った。

 

「いえ、いいわ。遅れた理由も判るから。お疲れ様、コノカ」

 

 近右衛門共々遅れた訳、各省庁並び財界から出席した協会上層部の人間の見送りに絡んで色々と立て込んだ事を予想し、イリヤは慣れない(まつりごと)に苦労している彼女を労った。

 木乃香はそれに、ありがと、と言いながら苦笑し。近右衛門も、すまんのう、と言って同じく苦笑を浮かべた。

 

 この祖父と孫は、一昨日から麻帆良に訪れた協会上層部のメンバーと角を突き合わせて議論と討論などといった舌戦を幾度も繰り広げていた。

 無論、事態の深刻さを皆共有している事もあって基本、建設的に会議は進んだのだが。それでも結界を抜けられた事を始めとした事前の対策不足や事件最中の対応の拙さ、生じた損害を非難され、学園の責任を求める声も当然あった。

 ただ、近右衛門に大きく責任を課す積もりが無いのは会議の前から結論付けられており、今後の調査結果とより万全な対策案及びその実証を示す事で責を果たすようにとの沙汰が出ていた。

 事実、実務面や内外の魔法使いの信望(カリスマ)を考慮すると、近右衛門以外に代表を務められる人間が居ないのだから仕方が無い。

 それに麻帆良の地を任せられる近衛分家の後継者が現状では木乃香しか居ないという問題もある。

 

「ま、何にしても貴方に咎が及ばなくて良かったわ」

「……………」

 

 近右衛門に向けて言うイリヤの安堵の言葉に、彼は何も答えず沈黙する。

 その心情をイリヤは察した。

 今の言葉は彼にとって何の慰めにも成らないかと。協会のトップとして犠牲が生じた事に、対応を誤った事にこの老人は強く心を痛めているのだから。

 

「学園長―――」

「―――分かっておる…」

 

 思わず苦言と呈そうとするイリヤを制して近右衛門は神妙に頷いた。

 自分に課せられた責任はそれで辞せるほど軽いものでは無いと。自分の果たすべき事はまだ多くあり、これからも積み重なるのだと。そう答えるかのように。

 

「―――なら良いけど」

 

 イリヤは頷く近右衛門を見て言葉を切る。

 彼の声と強い意思が篭った眼を見、彼にとっては言うまでもないかとも今更ながら感じて。

 近衛の人間であり、長く代表職を務めてきた彼にして見れば、このような重圧は日常茶飯事……で無いにしても、きっと幾度も経験して来た事なのだろう。

 

 そんな老練な彼が今更弱音を吐き、心折れる訳が無い。

 

 第一、周囲がそれを許してくれない。今回の事件で誤りはあったとしても近右衛門が持つ信頼は全く揺らいでいないのだ。“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”としての積み上げた名声に“アジア圏最強の魔法使い”と呼ばれる実力。言わばナギ・スプリングフィールドと同様、多くの魔法使いにとっては彼もまた“英雄”なのだ。

 麻帆良に居る魔法使い達の耳にも此度の件で上層部が緊急の会議を開き、学園長に責任を問う声が上がっている程度の話しぐらいは入る。

 そしてその英雄が自分達を纏める地位から追い遣られる事に彼等はどれほど不安を覚え。地位に留まった事にどれ程の安堵を覚えたか。

 今回の件で事情を知る遺族からも心中では皆無でないにしろ、表立って非難の声が上がらないのは、それだけの信望と期待があるからだ。

 近右衛門は、それに応え続けなくてはならない。

 それは本人の意思では左右できない。ある意味では、責任を問われ、地位を追いやられる事よりも辛いものだ。それでも彼は自ら辞することは無いし、無責任に放り出すことは決して無いのだろう。

 

(……まったく、普段は喰えない困った人間だと思わせる事もあるのに―――見習わなくちゃいけないわね)

 

 本人には絶対に言わない事をイリヤは敬意を持って胸中で呟き、己も不安定に揺らぐ心に負けず強く在ろうと密かに意を決した。

 

 

 

「お、他は皆来ていたか」

 

 近右衛門たちの到着から数分遅れて更に一人、長い螺旋階段を下りて姿を見せた。

 

「エヴァさん、随分遅れたわね」

「悪い、余り他の魔法使い連中と顔を会わせたくなかったからな。人の姿が無くなるまで外で待っていたんだ。それに仮にも教会だからな、此処は…」

 

 最後に姿を現したエヴェにイリヤは声を掛けると、エヴァは素直に謝意を口にした。

 イリヤは、別に咎める積もりは無かったんだけど、と彼女に応じつつ、周囲の様子を軽く窺うと鶴子を除いた三人は意外な物を見たと言わんばかりの驚いたような表情をしていた。

 その三人の内―――タカミチは意外さの理由を訪ねようと思ったのか、エヴァに向かって問い掛けようと口を開き掛け……しかし近右衛門がそれよりも早く、全員揃った事もあってか、

 

「うむ、では行くとするか」

 

 早速皆の移動を促した。

 或いは、余計な事を言って素直なエヴァの機嫌を損ねるのを避けたかったのかも知れない。

 

 

 

 通路を抜け、幾つもの閉ざされた扉を潜り、更に階段を下り、近右衛門の案内を受けたイリヤ達は学園の地下を更に深く潜って行く。

 地上とは比べ物に成らないとても濃密な―――しかし不思議に生々しさは無く、寧ろ地上よりもずっと澄んだ感じがある―――魔力(マナ)をイリヤは地下に漂う空気に覚え……半ば確信しながらも先頭を歩く近右衛門に尋ねた。

 

「もしかして世界樹……いえ、神木・蟠桃だったわね。その樹の方に向かいながら地下へ降りているの?」

「そうじゃ、黙っておったがワシらの行く先は蟠桃の真下…その地下の奥深くにあるこの麻帆良の中枢―――」

 

 答える学園長の言葉に耳を傾ける一同、その彼等の背後から―――

 

「―――の更に中枢ともいうべき、学園長と私以外は足を踏み入れない秘密の空間ですよ」

 

 そう、聞き覚えの無い穏やかな男性の声が掛かった。

 何の前触れも無く現われた突然の気配にイリヤは驚き振り返り、より大きな驚愕が篭った声が彼女の耳朶を打った。

 

「な―――!」

「―――に!」

 

 声はタカミチとエヴァのものだった。

 二人は信じられないものを見たかのような……正に幽霊でも目撃したかのような愕然とした表情を顔に張り付かせており、突然現れた男性はそんな二人の様子を楽しむように笑みを浮かべてじっくりと見詰める。

 その人物は、整った中性的な作りの顔を持ち、纏う法衣にも似た衣装の上からでも判る細い体付きと、胸下にまで垂れた一房に纏めた黒い艶やかな長髪もあって、女性にも見間違いそうなほどの美丈夫だった。

 イリヤもまたエヴァ達に続いて驚きを強くする。先程の知る筈も無い声に覚えがあり、京都のナギの別荘で見た写真やこの世界を調べる際に見た資料などで目の前の男性の姿を見た事があったからだ。

 

「―――アルビレオ・イマ」

 

 まさかの彼の登場にイリヤは思わずその名を呟いた。

 すると男性―――アルビレオは、イリヤの方に視線を移してその穏やかな笑みをより深めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イリヤさん。木乃香お嬢様。初めまして既にご存知でしょうが私はアルビレオ・イマと申します」

「……初めまして、イリヤよ」

「初めまして木乃香です。……あのアルビレオさんは、確かネギ君のお父さんの……」

「ええ、彼の父。サウザンドマスター…ナギ・スプリングフィールドは我が盟友であります」

 

 先程まで足早に歩いていた―――学園長と鶴子を除き―――一行は突如姿を見せたアルビレオに困惑と動揺が隠せず固まり、その不意を突くかのように彼の拙速な案内に誘われるまま、中枢近くに設けられたという談話室へと導かれた。

 暖かな魔法の光に照らされ、中央に円卓が置かれたその部屋は接客と或いは職員のレクリエーション施設を兼ねているのか、様々な観葉植物によって彩られていた。

 

「タカミチ君、エヴァンジェリン、それに鶴子さんもお久しぶりです」

「…まさか、アル…貴方が学園(ここ)に居たとは」

「まったくだ。お前の事も随分と探したんだぞ」

「すみません。色々と事情がありまして。それに基本的に私は学園の地下から出られませんので―――と、鶴子さんは驚いていないようですが?」

「ウチは兄上から聞いておりますから」

「って、待て! 詠春の奴は知っていたのか!?」

「…………詠春さんまでもか。……学園長やアルだけでなく、みんな人が悪い」

「スマンな、タカミチ君。アルの言う通り少々事情があってのう」

 

 円卓に向き合った面々はアルビレオの挨拶を機に沈黙を破り、思うままに言葉を口にした。

 特にタカミチとエヴァにして見れば、彼の登場は心底驚くべき事だった。況してや行方を暗ましてからこの学園に留まって居たらしいのだから尚更である。

 鶴子の方は、兄から聞かされた時にはやはりそうであっただろうが、それでも二人程では無かっただろう。彼女にとっては然程気に掛かる相手では無いからだ。

 木乃香にしても驚きは当然あるが、それよりもネギが探し求める父親への手掛かりがこうも身近にあった事……それを祖父共々隠していた事への疑問の方が大きい。

 無論それは、驚愕の大きい二人にしても同じだ。

 タカミチは頭を下げる上司にやや訝しげに視線を向ける。

 

「―――事情…ですか?」

「うむ、じゃがそれはもう少し後にしよう。気に掛かるお主やエヴァにも悪いが此度の件とも些か関わりが在る故、順を追って話していった方が良いからな」

 

 タカミチに頷いてそう言う近右衛門に彼は勿論、エヴァも仕方ないと応じる。

 ただ人目を避けるだけでなく、わざわざ学園中枢部まで訪れての話し合いだ。余程重要な事なのだろうと二人は思い。茶々を入れるのを避けたのだ。

 

「まあ、その前にイリヤ君。鶴子殿に君の事を明かしておきたいのじゃが……」

「―――…そうね。………いいわ。どの道、近い内に他にも事情を話さなきゃいけない人達いる訳だし、ツルコに明かすのも構わないわ」

 

 近右衛門の許可の求めにイリヤは渋々頷いた。それにこれから近右衛門とアルビレオが話すであろう重大な機密の対価だと考えれば悪くは無い。

 しかし、イリヤの事情を鶴子に話し終えると……その考えを少し後悔する事に成った。何故なら、

 

「なるほど、兄上がウチを特使に押す訳や」

 

 事情を聞き終えた途端、彼女は短く呟き―――イリヤを意味深に見据え、

 

「……となると、英霊(てき)に対抗する為にもイリヤはんには、色々と手解きを受けたい所どすなぁ」

 

 等と可愛らしく人差し指を頬に当てながら言い。イリヤはぶるりと背筋に悪寒が奔るのを感じたからだ。「剣の英霊と言うのも気になりますし」と言葉に付け加える事から鶴子がイリヤに何を期待し、目論んでいるかは明らかだろう。

 

「―――鶴子さんにとってはやっぱりそれが一番重要、か……」

 

 そう、しみじみとしたタカミチの声と向けられた憐れんだ視線が妙に印象に残った。

 ただ一応救いであるのは、彼女が月詠とは異なり“怪物”にも似た在り方では無く。やや矛盾しているが分別を持った単なる戦闘狂……剣の鬼である事だ。

 まあ、災難である事に変わりはないのだが……。

 

 ―――コホン。

 

 と、近右衛門が咳払いする。

 

「鶴子殿がイリヤ君の事情を理解した所で―――次に移ろう」

 

 おかしな方向に流れそうな…弛緩した雰囲気が振り払われた。

 

「事件に関しては皆が知っての通り、“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の手のよるものである事が明らかに成った」

 

 近右衛門に言葉にイリヤは首肯する。

 

「ええ、コタロウの証言もあるけど、スライム達が意外にもあっさりと口を割ってくれたからね」

「……うむ、やり方はともかく、予想されていたそれが早々に確証を得られたのはイリヤ君…君のお蔭じゃ、しかし―――」

 

 褒めるように言いつつも近右衛門はイリヤに非難の視線を向ける。だが、

 

「? 別に私は何もしてないけど…?」

 

 当人は不思議そうに首を傾げた。

 確かに事後処理と調査の一環としてイリヤはスライム達の尋問の場に居合わせたが、言う通り何も……そう、非難されるような事はしていない。

 ただ、人間が2、3人ほど入れそうな大きな鍋を3つ用意し、中で煮えたぎる鉛と水銀と銅を見せて黙秘する彼女等(ようじょ)達に「どれが良いかな?」と尋ねただけだ。

 それだけなのに何故かスライム達は恐慌し、訊きもしないのにベラベラと事件に関わるあらゆる事を勝手に喋ったのである。

 イリヤは単にどの鍋が“あの時行おうとした実験”に適しているのか参考に少し意見を貰おうとしただけであって、結局、“彼女等が素直に喋ってくれた”ので、それも取り止めのだから責められる謂われは無い筈だった。思う所があるとすれば、折角、面白い“実験材料”があったのにそれが使えなかったのが残念だと感じた事だろう。

 そんな悪びれる事も無く惚けるイリヤの様子と、うんうんと首肯するエヴァの姿を見て、近右衛門は溜息を吐くが気を取り直して話を続ける。

 

「“完全なる世界”……彼奴らついては今更言うまでもないじゃろう。魔法社会にある様々な組織に浸透し20年前の大戦を裏で操った真の黒幕。魔法世界の崩壊を目的に暗躍した巨大秘密結社―――と言ってもエヴァとイリヤ君にはそれだけではまだ疑問があるじゃろうが」

「ああ、魔法世界の崩壊が目的だと言われても、肝心な“その目的が何の為であったのか?”についてはまったく触れられていないのだからな」

 

 それは多くの人間が気付いていない事だ。

 魔法社会の大衆は“完全なる世界”をファンタジー創作物によくある“悪の大魔王が率いる闇の勢力”のような、世界を破滅させんとした狂人達の類なのだと捉え、そこで思考を停止させている。

 無論そこには、隠蔽の為にそう意図した各国の積極的な喧伝工作に加え、それに都合よくマッチした“世界を救った勇者たち”……つまり“赤き翼(アラルブラ)”の活躍という、大衆にウケが良くて非常に判り易い英雄譚が実在する影響もある。

 しかし、エヴァなどの周囲の声に流されず物事を洞察できる識者達は違う。公表された事実を…“完全なる世界”の目的を不可解に思うし、それに関する何かを隠蔽しようとする前述のような働き(ちから)がある事も感じ取っている。

 

「―――況してや京都でイリヤの母親の姿をした“アンリマユの残滓(おんりょう)”が言う“平穏な世界の実現”などという戯言と矛盾していれば尚更だ。お前といいアルビレオといい…いや、タカミチと詠春もか。お前たちは何を隠して、何を知っている?」

「それについては先程の事情も含め、後程纏めてお話ししましょう」

 

 問い詰めるエヴァにアルビレオが応じる。エヴァは一瞬鋭く彼を見詰めたが……気を落ち着けるように軽く息を吐くと、「分かった。いいだろう」と大人しく矛を収めた。

 近右衛門が再び口を開く。

 

「さて、アルが言うように彼奴らの真の目的が何であったかは後に話すとして……今回の事件での敵の目的ついては、まあ、これも此処に居る者達は知っていよう」

 

 近右衛門の問い掛けに皆が頷く。

 刺客であるヘルマン伯は語った。事件の最中と尋問でも。

 

「ネギ君の脅威度の測定に明日菜君の……」

 

 苦い表情をしたタカミチが呟く。

 

「そうじゃ、他にも学園の警備状況や戦力の調査もあったが、主目的はそれであった」

「…で、学園長、この前尋ねた事だけど話してくれるのよね?」

 

 タカミチの呟きに答えた近右衛門にイリヤが尋ねる。

 そう、事件の後でイリヤは尋ねていた。既に識っている事ではあるが知らない筈の事を。以前からこの時期が頃合いだと考えていたそれを。

 近右衛門は頷き。アルビレオが言う。

 

「勿論構いません。貴女にも知って貰った方が良いでしょうからね。彼女―――明日菜君……いえ、アスナ姫の事を」

 

 そうしてアルビレオと近右衛門、それに苦渋の表情を浮かべたタカミチは、イリヤと大戦に関わりながらも今日まで事情知らされなかった鶴子に語った。

 神楽坂 明日菜。そう呼ばれる何の変哲も無い女学生に過ぎない筈の少女の真実―――アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアという魔法世界で最も古く尊い一族、“黄昏の姫巫女”と呼ばれる“始まりの魔法使い”の末裔たる幼き姫君の事を。

 

 それは大凡、イリヤの識る通りのものであった。

 魔法世界にて二千年以上もの歴史を有し、20年前の大戦にて滅亡した国家―――ウェスペルタティア王国の“最後の王女”としてアスナは生を受けた。

 ただ、眠りと覚醒を繰り返しながら実質100年以上は生きているらしい事や、彼女が生誕した後にも代替わりする王族から“他の王女”が在った事からも、“最後の王女”と呼ばれるのはもっと別の深い意味があり、

 

「それが『完全魔法無効化能力』を保持する事―――“黄昏の姫巫女”たる資質を持つが故、か…」

「そうです」

 

 イリヤの呟きにアルビレオが首肯した。

 

「彼の古き王国を統べる一族は、アスナ姫のような『完全魔法無効化能力』を持った女性が度々生まれていました。しかしその確率は非常に稀であり、その為―――」

「眠り…いえ、封印というのが正しいかしら。そして解放を繰り返させられた。恐らく魔法を無効化できる強力な兵器の老朽化を避け、損失させない為に。有事の際の切り札として何時でも投入できるように」

「ええ。此方の世界の歴史が血塗られた戦いの繰り返しであるように、あちらもまた…或いはそれ以上に不安定で戦乱の絶えない世界です。彼女が生まれた当時にしても領土を拡大するヘラス帝国と周辺国へ影響を高めるメガロメセンブリアの軋轢は大きくなる一方でしたからね」

 

 そして今から22年前。それがついに暴発し二国は戦争状態に突入した。それは魔法世界を二分する程と成り、中立を謳うウェスペルタティア王国にも当然、火の粉が及んだ。

 歴史こそあれど小国にまで国力が衰退していたウェスペルタティア王国は、ヘラス帝国の侵略を抑えられず瞬く間にその喉元……王都にまで侵攻を許し、この時の為に取って置いた“切り札”を使用するに至った。

 だがそれこそが“完全なる世界”の狙いであった。帝国に王国を侵略させて切り札を切らせる状況に追い込み、封印の地からアスナ姫を解放させたのである。

 

「それが彼女と私達の出会いでした」

 

 そこにアルビレオ達……ナギ・スプリングフィールド率いる赤き翼が介入した。

 

「尤もその時は彼等の思惑どころか存在すら気付いておらず、彼女と行動を共にするようになったのもそれらが片付いた随分後であり、今の彼女に成るまで色々とあるのですが…」

「……詠春さんが西の長に就任する事に成り、僕も15年前に麻帆良へ預けられた。その後もナギさん達は世界を転々としながら奴らと戦い続けた。それから4年後、僕はイスタンブールで赤き翼と合流し、その時にアスナ姫と初めて顔を会わせた。正直、あの時は、またあの人達との冒険の毎日だと、大変だろうけど楽しい日々が再び始まるのだと、そう心が浮き立っていた。けれど程無くしてナギさんと貴方は姿を暗まし、師匠も……」

 

 ちらりと一瞥するアルビレオに答える様にタカミチは語る。

 

「師匠に彼女を託された僕は、遺言に従ってアスナ姫の記憶を封印した。そして師匠とナギさんが彼女に願った幸せの為に麻帆良に戻った。アスナ姫を…明日菜君を普通の女の子として生きて行けるように守る為―――……そう、僕はあの子にそう生きて欲しかった」

 

 俯き一つ一つ何かを確認するかのような淡々としながらも、何処か寂しげな口調だった。

 近右衛門とアルビレオ、それにエヴァと木乃香は思う所があるのか黙り込み。イリヤも未だ語られていない隠された部分を思い沈黙した。

 その一同の様子をやや窺い一分程間を置いて鶴子が口を開いた。

 

「…ふむ、明日菜はんの秘密。その特別な事情が狙われた理由なのは分かりました。タカミチはんの想いも。…しかし、せやったら―――いや、学園長もタカミチはんも本当は判っておりますのやな。それが無理な願いやと」

「「…………」」

 

 鶴子の問い掛けに二人は沈黙を保った。辛そうな表情で、それが答えを明確にしていた。

 イリヤは鶴子が言葉を切る前に何を言おうとしたのか察しがついた。それはこの世界に来る以前―――イリヤの中に入り込んだ人格が疑問に思っていた事だからだ。

 アスナ姫を魔法と関わりに無い世界に…ただの一般人として平凡な世界に過ごさせる積もりであったのなら麻帆良という魔法に関わり易い土地では無く。もっと別の土地で信頼のおける一般人の家庭にでも養子に預ければ良かったのではないかと。

 近右衛門の人脈を使えばそれぐらいの事は容易い筈だ。だが―――

 

「そうじゃな。鶴子殿の言う通り、それが無理な願いであるという予感があった。それに―――」

「―――何よりも不安だった。明日菜君を目が届かない。いざという時に守る事の出来ない、何の防備も無い遠い場所へ置く事に……」

 

 そう、予感と不安。

 明日菜の持つ力は非常に稀有で強力なものだ。どのように生きようが必ず魔法世界に関わるナニカを招きよせる事になる。そしてそれを理解しておきながら、手の届かない所に彼女を置いて良いのだろうか? 置いて安心できるだろうか?

 それが分かるからこそ“イリヤ”は、かつて抱いた疑問を否定していた。

 

「ふう―――明日菜君については取り敢えずここまでで良かろう。あの子が“黄昏の姫巫女”であり、その為に狙われていると認識して貰えれば、な」

 

 大きく溜息を吐きながら近右衛門は言った。

 未だ腑に落ちぬことは多いが、それらの話をする前にまだイリヤ達に知って置いて欲しい事…或いは復習というべきか、認識を高めて貰いたい事があるのだろう。

 

「……此度の事件の実行犯、爵位級上位悪魔であるヴィルヘイム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵じゃが」

 

 近右衛門が告げた名を聞き、エヴァの表情が渋くなる。

 バーサーカーの不意打ちがあったといえ、いいようにしてやられ。頼れる従者(茶々丸)をも破壊した相手なのだから当然の反応だろう。

 イリヤも同様、不意を許した事もあって苦い思いが胸に広がった。

 幸いにも大破した茶々丸は修復可能だとの事で、電脳(いしき)を復旧させた彼女も「気にしないで下さい」と言ってくれたが、それでも無残に破壊されたその姿を思い出すと、どうしても責任を感じて気が重くなってしまう。

 近右衛門は、そんな二人の様子に気付いたようだが構わず話を続ける。

 

「―――先のスライム共々、彼がネギ君の故郷である魔法使いの隠れ里を襲撃した悪魔(デーモン)達の一体だというのは、イリヤ君にネギ君達の証言と本人の自供から明らかなのだろう……鶴子殿はあの事件に関して何処まで知っておる? 今此処に居る他の者達は大凡の事は理解しておるが…」

「詳しい事は知りまへん。ただ英国に在った隠れ里が壊滅した事は当時有名な話しでしたし、ナギはんの息子がそこに居た事も兄上から耳にしております」

「…では犯人については?」

「それは知りまへんし、兄上も言及は避けましたが、……ナギはんとその奥方…の息子はん―――と、ネギ君の事情から察すると、見当はつきますなぁ」

 

 鶴子は慎重に問いに答え。近右衛門は頷く。

 

「ふむ、鶴子殿の察しの通り、我々…関東を含め、各国の協会上層部はあの事件の首謀者をMM元老院だと目しておる。先日、事後処理の合間に木乃香とエヴァ、イリヤ君には話したが―――」

 

 当時、隠れ里への襲撃を察知した英国の魔法協会は当然直ぐに救援を送り出そうとした。

 しかし本国から思わぬ横槍が入り―――曰く「“完全なる世界”の残党が大規模なテロを計画しており、隠れ里の襲撃はその一環との疑いがある」、と称して救援及び調査の協力を求めつつ主導権を握ろうとしたのである。

 

「……ホント強引な話しよね」

「あの頃はまだ奴らの残党が活動していたからね。一応名目は立つのさ」

 

 イリヤの呟きに、タカミチが忌々しそう答えた。

 無論、英国の魔法協会は自治と主権を盾にして簡単には頷かなかった。

 派遣された部隊が残党の殲滅を担う特殊部隊でなかった事や、元々疑わしいかった部分があった為なのだろうが、その背後に在るのがアリカ女王を陥れた一派である事も程無くして明らかになったからだ。

 しかし彼等の携える辞令はMM国防省からの正式な―――正確には「人間界における“完全なる世界”の動向と実態及びテロの可能性、有無の調査」という拝命者の解釈次第でどうとでも扱えるような内容だった―――ものであり、その協力要請を完全に無視し、拒否するのも難しい事であった。

 その為、互いに“出し抜く”のを警戒して協会の救援部隊と本国の派遣部隊が牽制し合い、睨み合うなどという事態が発生し、交渉を経て共同任務として救援が送られるまで三日間もの時間を要する事に成った。

 つまりネギが姉と三日間も孤独に過ごす事に成った理由もそれにある。

 

「愚か…だな」

「確かにこれがただのメンツ争いであれば不毛な事で…と、ネギ君とネカネ君を余計に痛ましく思いますね」

 

 エヴァが嘆息し、アルビレオがやや困ったかのように言う。

 そして救援が派遣されたその日。英国魔法協会に属する救援部隊はネギとネカネを発見し二人の保護に無事成功する。

 ただし主導権や指揮系統を協会が握る事は出来たとはいえ、本国部隊の独自性も一部認める妥協が成された為に彼等がどのような調査活動を……いや、隠さずに言えば、恐らく行ったであろう証拠隠滅を掌握し切ることは出来なかった。

 

「その一つがヘルマン伯の封じられていた例の“瓶”という訳じゃ。ネギ君とネカネ君の証言や記憶からスタン老がそれを使い、悪魔を封じた事は分かっていた。じゃがしかし…何故かそれは見つけることは出来なかったと調査に向かった双方の所属部隊は言っておった。不思議な事にのう」

「…つまりどちらが嘘を付いていたという訳どすな。けど協会の方にその理由は無い。となると―――」

「―――ま、そう考えるのが普通じゃろう。だが本当の所はどうじゃろうな?」

 

 鶴子の応じる言葉に、それを言った本人が疑問気に小首を傾げた。タカミチは訝しげに尋ねる。

 

「……どういう事です?」

「救援が送られるまで三日間もの時間があったんじゃ。ならばその間に事件に気付いた“他の何者か”がおり、先に調査に向かっていても不思議は無かろう」

「なるほど、可能性としては確かに在り得ますね。だとしたら本国の奴らはかなり焦ったでしょうね。重要な証拠であり、証人が封じられた瓶が第三者の手に渡ったのですから」

 

 あくまで可能性じゃがな、と。頷くタカミチに近右衛門は言い。

 

「ヘルマン伯が還されていない事からもそれは低くはなかろう。本国が回収したのであれば、そのような証拠となる存在はとっとと消えて欲しいじゃろうしな。加えて件の部隊の目的は、証拠隠滅よりもネギ君の生死の確認か、もしくは念を入れた暗殺…もしくは拉致じゃろうし。それも失敗した以上、本国の連中は余計に事が明るみに成るのを恐れておる筈じゃ」

 

 アリカ女王への冤罪とその処刑の失敗から始まり、続いたネギの暗殺未遂とその隠滅の失敗。

 しかも前者はMM元老院にあった“完全なる世界”との関与疑惑まで押し付けており、後者は隠れ里の住人を犠牲にしてまで実行している。

 その一つ一つのどれもが真相が明らかに成れば、政治生命どころか人生そのものが断たれてしまう程の大事だ。関与した議員らは勿論だが、関与していない当時の主流派の議員や高級官僚たちにしても厄介事だろう。飛び火は避けられないのだから。

 

「………けど、ヘルマンゆう伯爵はんは、事の解明に繋がる証言や自供はまだしてへん。記憶の読み取りも抵抗が固くて上手く行ってない。でも無理にやれば今の伯爵はんの状態やと還りかねんよ」

「まあ…のう。爵位級の上位悪魔とも成れば召還と契約、依頼時の宣誓は絶対じゃ、容易に裏切ることは出来ん。……しかしだからこそ、そこに虚偽が入り込むことは無い。契約及び依頼内容は勿論、召喚者と依頼主たちの名前と姿…その魂の(かたち)すら彼の(なか)には間違いなく刻まれておる」

 

 孫の木乃香の悩ましげな言葉に、近右衛門は唸りながらも決意を感じさせる声色で答えた。この件に関しては絶対に引く気は無い。これ以上、本国の横暴を許す積もりは無い。そう言わんばかりの口調だった。

 木乃香はそんな祖父を心配げに見詰めたが静かに首肯する。祖父の気持ち……憤りが判るからだろう。彼女しても日本の裏を別つ原因を生み。今もネギを苦しめているMM元老院のやり方は許せないのだ。

 アルビレオも同感なのか、大きく頷いて賛意を示す。

 

「伯爵位ほどの上位悪魔への願い事(依頼)ともなれば、他者を介するのは先ず不可能ですからね。証人であり、証拠である彼を握ったこの好機をみすみす逃す訳には行かないでしょう」

 

 そう言い、アルビレオは何故かイリヤに視線を送った。

 その意味あり気な視線に釣られ、他の面々も彼女の方を見詰める。皆に見詰められたイリヤはその意味を察して真面目に頷いた。

 幸いにも方法に思い当たる所があり、ネギに協力する以上はそれも己の役割だろうと考えて。

 

「―――助かります」

 

 首肯するイリヤに、アルビレオは表情を綻ばせると頭を下げて感謝した。

 誠実さを感じさせるその態度を見て、原作で知る彼のこともあってイリヤは少し意外に思ったが直ぐに考えを改めた。彼もまた赤き翼の一人だ。共に戦った仲間の―――アリカ王女の名誉やナギの息子を案じる思いは強いのだろう。

 ただ、元老院の不正を正す事自体は多分重要だと考えていないとも感じたが。そういったヒトの持つ業すらも愉しんで観察する性格の持ち主だと直感したからかも知れない。

 

「……ふう」

 

 隣の席から微かに吐息が漏れるのをイリヤは聞いた。

 エヴァのものだ。

 話しの流れから一瞬ヘルマンに対するものか、元老院の所業への呆れによるものかと思ったが、一瞥して窺った表情が複雑そうに歪んでいるのが判り、ナギとアリカ王女の関係に対する物なのだと察した。

 先日、この事件について話した時、エヴァは初めてアリカ王女の事を……想い人が出会った時には既に既婚者であった事実を知ってしまった。

 その為、ヘルマンに対する怒りも重なり、エヴァは酷く不機嫌となっていた。だが嫉妬を表に出すのを見っとも無いと思ったのだろう。感情を露わにすることは一応無かった―――いや、傍から見れば一目瞭然であったのだが、イリヤと木乃香、近右衛門もそれを指摘する勇気は無く、努めて無視していた。敢えて獅子の口に首を突っ込むような真似はしたくないという事だ。

 しかし一方で宜しくないとも思い。イリヤは慰める意味も兼ねて彼女を刺激しないようにある事を行なっていた。

 正直、上手くいくか不安は小さく無かったのだが……成功し、取り敢えずはエヴァの機嫌も良くなり、イリヤはホッと胸を撫で下ろす事と成った。

 教会の地下で彼女が姿を現した時、近右衛門達が驚いていたのは遅刻した事に素直に謝意を示した事だけでなく、それらの所為でもあった。

 

「―――元老院はやはり動くでしょうか?」

 

 アルビレオと同様、イリヤの首肯に顔を緩ませていたタカミチは、表情を引き締めるとそう尋ねて近右衛門に視線を送った。ネギだけの事だけでなく、明日菜の事もある為かその表情は深刻だ。

 

「そうじゃな。あの事件で失敗して以来、それを繰り返すのを恐れ、そして証拠も無かったが故に大人しくておったが……まず間違いなく積極的になるじゃろう。例え容易に記憶を覗けんとしても―――ヘルマン伯がワシらの手の内に在ると知れば、のう」

「…問題はその場合やね。せっちゃん達が上手くやれてれば、ええんやけど……」

 

 近右衛門の答えに木乃香が不安そうに言う。

 彼女がそう言うのは、古 菲を除いた3-Aの武術四天王が麻帆良の内通者…長期潜入員(モール)を抑えに掛かったからだ。以前より見逃されてきたそれを今回捕縛するのは、ヘルマン伯がそれほど重要で慎重に扱うべき情報である為だ。

 なお手練れとはいえ、生徒である彼女達を動かしたのは、正規の職員を動かすと察知される危険性が高いと判断された為である。

 ちなみ小太郎もこれに加わっている。裏稼業の中でも汚れ仕事を多く熟して来た彼はこの手の仕事で中々鼻が効くらしく、相応に向いているとの事だ。

 

「いえ、木乃香お嬢様。仮に彼女達が上手くスパイを捕らえたとしても漏洩の危険はどうしても付き纏います。此処は漏れるものとして対処を考えるべきでしょう」

「アルの言う通りじゃな。教会の方への義理も果たさなければならんし、そこから探りを入れられる可能性は在る。……シャークティ君達にも立場があるし、何時までも黙らせて置く事は出来んしのう」

 

 悪魔の捕獲…それも爵位級ともなれば彼の一大宗教は無視することができない。ヘルマン伯の名まで教える必要は無いが、最低限の情報……上位悪魔を捕らえた事ぐらいは通達しなくてはならなかった。

 近右衛門は嘆息する。

 もし通達せずに黙っていれば余計な騒動を招きかねず、それをきっかけに“本国”に付け込む隙を与える事態にもなり兼ねない。ただでさえ麻帆良には“闇の福音(きゅうけつき)”が居るのだ。

 此処はこちらから適度に情報を開示して、大人しくして貰うしかないだろう。必要であれば何かしらの譲歩や要求を受け入れるのも吝かでは無かった。

 

「あとは敵から漏れる可能性も―――…いや、それは無いか。“完全なる世界(奴ら)”にしても元老院に明日菜君の存在を気付かれたくは無いだろうし」

 

 タカミチは敵側から情報が渡る可能性に気付くも、すぐさま頭を振った。

 それに近右衛門が冗談めかした口調で言う。

 

「―――じゃな、そうであれば、彼奴らの情報工作に期待したい所ではあるな。せいぜい元老院の連中を振り回して欲しいものじゃ。まあ、此方も振り回される可能性もあるがのう」

 

 そう言う近右衛門の声には言葉通り若干期待があるように思えた。

 尤も衰えた“完全なる世界”が元老院にどこまで影響力が及ぼせるかは甚だ疑問である。それ以前に彼の組織をあてにする考え自体が真っ当でない。その為、冗談めかして言ったのだろう。

 そして一つ息を吐くと、

 

「―――元老院への対処についてはまた後日、職員らと……彼等にはこの会談での内容は殆ど話すことは出来んが、元より“本国”への警戒は必要である故、彼等との会議に盛り込む事として……」

 

 近右衛門は席を立ち、アルビレオもそれに続いて一同を見渡す。

 

「では、だいたい話すべき事は話しましたし、行きましょうか。私と学園長…そして関東魔法協会の上層部のごく一部のみが知る。今の麻帆良に在る最大の秘密が眠る場所へ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そこを訪れた時、まるで深い海の底に居るようだとイリヤは思った。

 濃密だった魔力は更に濃くなり、肌に感じる空気は強い圧力があり、まるで水のように身体を圧迫する感覚がある。

 しかしだというのに、やはり不思議と不快さは無く。大聖杯があった地下空洞のような生命力を凝縮したスープのような生々しさも無く。より澄み渡った…神聖さすら覚える静謐な気配が満ちていた。

 そこは麻帆良の最深部。聖地と呼ばれるこの土地に満ちる魔力を生む龍脈の源泉だ。

 周囲の光景はあまりこれまでと変わらず、世界樹の太い根が幾つも見え、白い石材の壁に覆われている。

 ただ地下にも拘らず、やたら広大なコロシアムのような空間が作られ、その一帯は複雑に何重にも術式が重ねられた立体式の巨大な魔法陣が輝いていた。

 その眩しささえ覚える魔法陣の中心に何かが在る。

 

「――――――――――」

 

 近右衛門とアルビレオ以外の皆が愕然とし、まるで言葉を忘れたかのように立ち尽くしていた。

 コロシアムに例えるなら観客席の最前列…そこからイリヤ達はそれを見ている。

 

 

 それは奇妙なオブジェクトだった。いや、美術品とも言うべきか。例えるなら鋭利で美しい透明度の高い氷か、水晶で造られた大樹だ。その根は大地に根付かんとするかのように床へ張り付き、直径5mはあろう太い幹から伸びる枝は高い天井を突き刺すかのように四方へ広がっている。

 魔法陣の放つ光に煌々と照らされ、より美しさを際立たせているその結晶樹の幹の中に―――ヒトのカタチをしたものがあった。

 イリヤはそれが何か判った。恐らく愕然している他の者達もそうだろう。

 魔力で水増しした視力で観客席に当たる遠い場所からでも見て取れた。何かと気に掛けるあの赤毛の少年が健やかに育てば、きっとこうなると思わせる整った容貌を持つ赤毛の青年。

 

 そう、それは―――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――………ナギ・スプリングフィールド……」

 

 気付くとイリヤはそう呟いていた。

 

 

 




 前回の幕間でフェイトが危惧したヘルマンの問題は、MM元老院の主流派にとって政治的ダメージが洒落にならない代物が麻帆良に転がり込んだ為です。
 もし元老院の主流派が、麻帆良がヘルマンを抑えたと知ったら何もせずには居られない筈です。

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