麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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説明回続きという事もあり、二話連続投稿です。


第21話―――語られる真実

「―――――――――………ナギ・スプリングフィールド……」

 

 呆然と零れる己の声。まるで他人が発したかのように思えた。

 イリヤは、確かに原作の全てを知らない。だからネギが探し求める(ナギ)が今何処に居るのか、果たして生きているのか、それとも死んでいるのかさえも判らなかった。

 ただ、漫然と生きてはいるんだろうなぁ…という思いはあったが―――しかし、

 

「―――っ! どういうことだっ!?」

 

 イリヤの思いを代弁するかのようにエヴァが叫び、アルビレオと学園長に剣呑な眼差しを向ける。

 

「アル…っ、学園長……、何故…?」

 

 タカミチも擦れた声を漏らし、信頼する上司とかつて共に戦った仲間に困惑した視線を向ける。

 二人の視線を受け、アルビレオが口を開く。

 

「20年前―――」

「また昔話かっ! そんな事よりもこの状況を…! アレが何なのか説明しろ!!」

 

 怒りの形相でアルビレオを睨みながら、結晶樹に指を突き付けるエヴァ。

 だが、彼は涼しげな表情で受け流してエヴァの問いに答える事も無く話を続けた。

 

「大戦の混乱と自国への侵攻を利用し、当時のウェスペルタティア国王は消極的であった宮中の人間を納得させ、王都オスティアに在る封印の地―――墓守人の宮殿からアスナ姫を解き放ちました」

「アルビレオ…! 貴様っ!!」

 

 無視されたエヴァはアルビレオに掴みかからんとする―――が、イリヤはそれを制する為に彼女の肩に手を置く。

 

「―――っ! イリヤ…!?」

 

 驚き振り返るエヴァにイリヤは眼を合わせ、落ち着くように視線で訴える。

 エヴァは一瞬、くっ…と声を漏らし、悔しげに表情を歪めて俯き、感情を抑える為か拳を強く握り締ると。ふう、と息を吐いて身体から力を抜いた。

 イリヤはエヴァが落ち着きを見せた事を確認すると、アルビレオに応じて口を開いた。

 

「……賢王と讃えられていたウェスペルタティア王は、乱心し“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”に通じていたとされ、大戦末期に自らの娘…アリカ王女に弾劾され、クーデターを起こした彼女に殺害された。けどその実、“完全なる世界”に通じていたのは王女の方であり、父王に正体を気付かれた為、王女は逆にその罪を押し付け。それを口実にクーデターを起こして父王諸共、真実を葬り去ろうとした―――それがMM元老院の打ち立てた“事実(ストーリー)”だった」

 

 イリヤが言ったのは、魔法社会において公式に表明されている話だ。

 アルビレオが何を語ろうとしているかは今一つ判らない。しかしこれから彼が語る事…先程の会談で伏せられているまだ明かされていない部分に触れるには、これを言う必要があるとイリヤは直感していた。

 

「ええ、ですが既にご存知の通り、その前半部分のみが(まこと)の事実に当たります。彼の古き国の王は“完全なる世界”に通じ―――いえ、実質、総帥代行ともいうべきトップに近い地位にありました」

「……奴等の意向に従いウェスペルタティア王は勅命によって“黄昏の姫巫女”の解放を行なおうとした。しかし長い歴史の中で魔窟とも毒蛇の壺とも呼ばれるようになったオスティア宮中では、王の一存だけで墓所にあるアスナ姫の封印を解くのは不可能に近かった」

 

 エヴァと同様、感情を抑えた表情でタカミチがアルビレオに続いた。

 タカミチにしても言いたい事はある筈だが、此処はもう少しこの強かな戦友に付き合うべきだと思ったのだろう。或いはそうする事で困惑する思考と感情を落ち着けようとしているのかも知れない。

 

「……だからこその王都侵攻。一歩間違えば自らが治める国を滅びしかねない真似を平然に……」

 

 イリヤはふと原作での―――アリカ女王の処刑が執行された時、彼女が思い浮かべた父王の言葉を思い出す。

 

 ―――人の世も、この世界も、全ては儚い泡沫の夢に過ぎぬ。

 

 世の中を達観…或いは絶望しているとしか思えない言葉だ。

 おそらくそこに動機があるのだろう。果たして賢王と讃えられる程の執政を行なっていた彼の目にはどのようにして己の国と“世界”が見えていたのか。

 イリヤは魔法世界の真実を知るが故に、何となくそれが理解でき……若干憐れに思った。

 その感傷が顔に出ていたのか、アルビレオがイリヤを訝しげに、されど興味深げな視線を向ける。

 

「―――っ!」

 

 アルビレオの視線に気付き、イリヤはハッとし表情を取り繕う。それに彼は、ふむ…と意味あり気に頷くも何事も無いようにイリヤから顔を逸らした。

 

「その事実に気付き、彼等がアスナ姫―――“黄昏の姫巫女”の力を用いて世界を無に還そうとしている事を知ったのは、それから2年後の大戦末期でした。アリカ王女はクーデターを起こして父王を弾劾し。ナギを筆頭とする私達…“赤き翼(アラルブラ)”は墓守の宮殿にて行われる儀式―――『世界の始まりと終わりの魔法』の阻止を図りました」

「2年か、……随分と間があったものだ」

 

 エヴァがポツリと言う。本題に入らない為かその声色には苛立たし気な感情が滲み出ていた。

 

「儀式に必要な魔力を蓄えるにはそれほどの時間が必要だったようです。戦乱を引き起こしたのはその魔力を集まりや儀式の準備から目を逸らす意味もあったのでしょう」

 

 エヴァの様子に気付いていない訳は無いのだが、アルビレオは先程と変わらず涼しげに答える。

 

「儀式の場へと乗り込んだ私達は、あのフェイト・アーウェルンクスと名乗るタイプに匹敵するホムンクルス達と激闘を繰り広げ、打倒し、いよいよ儀式の阻止も間近という所まで来ました。しかし―――」

 

 言葉を切り、アルビレオは結晶樹の方へ……その中に封じられたナギを見詰める。

 

「“彼”―――創造神、造物主(ライフメイカー)とも呼ばれる“始まりの魔法使い”。“完全なる世界”の本当の黒幕がそこに姿を見せたのです」

「何っ!?」

 

 聞き逃せない言葉であったのかエヴァが苛立ちも忘れて驚きの声を上げる。木乃香も思わずといった様子でアルビレオの方へ身を乗り出す。

 

「どういうことなん!? それって明日菜のご先祖さんで、ウェスペルタティアを建国したってゆう大昔の人じゃ!? 幾ら魔法使いで王族やゆうても…2600年以上も前に生きとった人間が…!? まさかホンマに神様やとでも―――いや、そう言われる偽物……?」

 

 “始まりの魔法使い”―――魔法社会の歴史の中でも創世記に記された御子…もしくは彼の一大宗教で例えれば聖人に当たる存在の登場に木乃香は狼狽し、信じ難い物を見るような目でそれを口にしたアルビレオを見る。

 それにその存在が関わる以上……遥か遠縁とはいえ、やんごとなき方々の血が流れ、彼の御方を守り奉る家の者として些か無視する事は出来ない。

 

「いえ、神ではありませんし、偽物でもありません。“始まりの魔法使い”その人ですよ……一応は」

「…一応?」

 

 木乃香の疑問にアルビレオは答え、エヴァが微かに首を傾げる。そんな彼女にアルビレオは若干おかしげクスリと笑うが、その表情は直ぐに神妙なものと成り―――

 

「―――ときにキティ…あなたもかつては普通の女の子だった筈ですよね」

 

 何の脈絡もなくエヴァにそう尋ねた。

 突然の話にエヴァは眉を顰める。

 

「あん、なんだ唐突に…? 昔話が地雷なのは知っているよな?……というかその名で呼ぶな!」

「あなたを今の貴女へ変えてしまった人物について、何かご存知ですか?」

 

 エヴァの不機嫌な答えと突っ込みを無視してアルビレオは表情を崩さずに尋ねる。

 そのいつに無く真面目な彼の様子にエヴァは舌打ちすると仕方なさ気に応じた。

 

「知るか。おおかた不死の秘法の研究にでも嵌まった頭の悪い魔法使いだろう。ふん、もうとっくに死んだ。興味も無い」

 

 不機嫌に、苛立たしげに、つまらなそうに言うエヴァ。―――だがイリヤはその表情にある悲哀、苦悩、そして誰か想う強い感情を見えて。大丈夫だろうか、と気に掛かった。

 無意識なのだろう、胸元に手をやり、キュッと拳を握る仕草からもエヴァが懐くモノが窺える。正直、声の一つも掛けたい所ではあるが、そのような事…少なくとも人目の在る所では彼女は望まないだろうし、続くアルビレオの言葉を遮るのも憚れた。

 

「……では、その人物が死んでいなかったらとしたら?」

「! 死んでいなかった…だと? そんな筈はあるまい。元々不死を得ていたのならば、私を使い―――あのような…っ、真似を…」

 

 ギリッと強く歯を噛み締める音が聞こえた。

 エヴァが地雷と言うのは当然だ。原作とは違い、彼女がどのような凄惨な目に遭ったか知るイリヤは尚更そう思った。

 友人として親しく仲が良かった者。臣下として礼を尽くしてくれた者。麗しの姫君としてただ慕ってくれた者。顔すら知らぬ無関係な者々…民草。そんな人々を望まぬまま餌と与えられ、次から次へと己の糧にしてしまった日々への悔い。

 それは今でもエヴァの中に在る闇を構成する要素の一つとして心に留まり、彼女を苛ませている。

 掘り返されるそれを堪え……エヴァは言葉を紡ぐ。

 

「―――あのような真似をして研究する必要は無い……っ」

 

 堪えて発せられた言葉。

 らしくないエヴァが気に掛かったのか、木乃香が心配げな表情で傍に寄ろうと…もしくは声を掛けようと口を開くのが見え、イリヤは直前に木乃香の口の前に手を添えるように翳し、それを制した。

 え? といった感じで驚き此方を振り返る木乃香にイリヤは無言でかぶりを振った。その意図を呼んだのか木乃香は大人しく引き下がる。

 アルビレオも触れる気は無いようで、何事もなかったかのような口調でエヴァに答える。

 

「そうですね。確かにそれは矛盾です。しかし―――その彼が“不死”では無く、“不滅”だったとしたら?」

「! それはっ!?」

「―――まさかっ!?」

 

 アルビレオが言う意味深な言葉を理解したエヴァに続いて、気付いたイリヤも驚きの声を発した。

 不死では無く…不滅―――その言葉に聞いた瞬間、イリヤは脳裏に電光が奔ったかのような錯覚を覚え、その意味を悟っていた。

 それは、仮にも失われた第三法(ヘブンズ・フィール)の復活を志すアインツベルンの一員として聞き逃せない事だったからだ。

 

「そう、600年前に貴女の報復を受けて死を迎え。20年前、墓守の宮殿に姿を現して我々に討伐された“彼”は同一の存在です。その肉体を除いて」

「―――つまり、精神……魂のみで…生きられる…?」

 

 イリヤは自分の声が固く強張っているのを自覚する。

 肉体(うつわ)が死に絶えても、なお不滅の存在…魂を依るべにして世に干渉出来る存在。しかも考えられるに2600年もの時を―――イリヤはアインツベルンの一族、或いはユスティーツより代々受け継いだ因子(きろく)の所為か、否定したい思いが心の奥底から沸き立つのを感じた。

 その思いが通じた訳では無いだろうが、アルビレオはまるでイリヤの思いを汲み取ったかのように首を横に振った。

 

「いえ、“彼”にとって肉体は必要不可欠なようです。少なくとも生きたヒトとして世界に関わるには。―――私はそう見ています。キティ……エヴァンジェリンの事からもそれは明らかでしょう」

 

 つまり『天の杯(ヘブンズフィール)』は成就していない。魂だけでは物質的に存在できず、肉体を渡り歩くしかないという事か? 彼の“アカシャの蛇”のように? いや、転生とは違うのだろうが、その為に不死の肉体を欲していた。しかし二千年以上もの間、留まり続けられるという事は“魂の劣化”を止める事には成功していると見るべきだろうか……?―――いや、待て。肉体(うつわ)を渡る?…それって、

 ふと気づき、イリヤはアルビレオにそれを訪ねようとし―――それよりも一早く元・同居人である彼女が言った。

 

「……じゃあ、“奴”は今もまだ存在しているのだな」

 

 感情を押し殺した声を零し、エヴァは信じられないもの見るような眼で結晶樹にゆっくりと視線を向けた。

 

「!―――っ、アル…まさか!」

 

 半ば傍観して話を聞いていたタカミチも気付いたようだ。

 エヴァに続いて愕然とし、結晶樹の方へ身体ごと振り返る。アルビレオは静かに頷く。

 

「10年前……イスタンブールでの束の間の休息を経て、私とナギ、ガトウは挑みました。20年前とは別の肉体(うつわ)を持った“造物主”に。そして―――」

 

 静かに語るアルビレオはこの場の中心へと振り向き、封じられたナギの姿を見詰める。

 

「―――…その戦いの末、我が盟友の犠牲によって“彼”は封印され、此処へ括られたのです」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 重い沈黙が降りていた。

 余りの衝撃に打ちのめされているというべきか。

 多くの者達に死んだと伝えられる英雄であり、ネギが探し求める行方知れずの父親がまさか魔法協会に匿われており、その息子が今滞在している街―――麻帆良に居るという事実。

 まるで狐か、狸に化かされているような気分だ。

 少なくともイリヤはそう感じていた。

 何しろ原作では彼の手掛かりを求めてネギは奔走し、京都の別荘を訪れ。学園の地下を探ろうとし。今目の前に居る父の友人の言葉を受けて、故国イギリスを経由して魔法世界にまで赴いたのだ。

 灯台下暗しとは言うが…………――――うん、正直これは無い、とそんな感想が衝撃一杯である頭の隅に浮かんでいた。

 勿論、理由はあるだろうし、イリヤもそれは分からなくはない。イリヤはゆっくりとかぶり振って気を取り直すと、それを確かめる為にアルビレオと近右衛門を半ば問い掛けるように口を開いた。

 

「―――ナギ・スプリングフィールドは生きている。けれど彼は彼で無くなっている……或いは無くなりつつある。事実上、死んでいるのと変わりない。だから死亡した事にし、ネギやネカネといった彼と親しい人達にも何も告げられなかった。それは貴方達にとっても辛い事ではあったとは思う、けど―――」

「はい。そう受け入れるしかありませんでした。無敵だと、最強だと豪語していたナギ自身も覚悟していたのですから」

 

 アルビレオはどこか遠くを見つめるような目をしながら寂しげに言う。

 イリヤは覚悟していたという言葉に、ふと原作で見た武道会の決勝でのこと―――ナギがアルビレオに遺言を託していた事を思い出す。それでサウザンドマスターとも呼ばれた英雄が犠牲なる事を考慮し、本当に覚悟していたのだと理解でき、今のアルビレオの語る言葉に偽りが無いのだと強く感じた。

 

「ですから、彼は死んだものとしてネギ君がどのように成長しようとも、このようなカタチでナギが生存している事は伏せて置こうと考えていました。しかし―――」

「―――6年前、ナギの奴はぼーやの前に姿を現した」

 

 エヴァがアルビレオの言葉に続いた。アレはどういう事なのか? と言わんばかりに彼を見据えて。況してやエヴァはアルビレオのアーティファクトが持つ能力を知っている。

 言外にあるそれを読み取ったのだろう。アルビレオはエヴァの疑問に明確に答えた。

 

「いえ、あの時私は何もしていません。そもそも今言ったように私はナギの生存を伏せておく積もりだったのです」

「では、何だと―――」

 

 エヴァはアルビレオに詰め寄ろうとしたが、それに先んじて近右衛門が応じる。

 

「……うむ。未だ詳細は分からんが考えられる事は一つ、一時ではあるが封印が綻びたという事じゃろう」

 

 近右衛門は結晶樹の方を見詰めながら言う。

 

「あの封印は“造物主”に対抗する為に用意されたものじゃが、(オリジナル)は『封魔の瓶』のような上位悪魔や鬼神などの霊格の高い存在を封じる呪文。それを“奴”専用に特化させて調整したもの……故に、もしナギの意思が“奴”の意思を抑え、その魂もまたナギ寄りに偏在した場合―――つまり存在がナギへと戻る訳じゃから“造物主”を対象にしている呪文の効果は当然薄まり、封印に綻びが生じる可能性は在ると思う。無論、疑問としてネギ君が住んでおった村の襲撃をどのように察知したのかまでは判らん。じゃがナギは感じたのだろう、息子や故郷の者達の危機を。そして封印を一時破り駆け付けた」

「だと思います。そういった理不尽な所は如何にもナギらしいですし」

 

 アルビレオは思わずといった風に苦笑を浮かべる。恐らくナギに関わってから幾度もそういった不条理な場面を見て来たのだろう。

 

「まあ…ともかく、そうしてナギはネギ君に姿を見せてしまいました。しかも形見だと言って自分の杖まで渡した。……正直に言えば、幼い心に負った傷の事もあり、アスナ姫同様にネギ君の記憶も封じるか、消してしまう事も考えましたが…」

 

 語末にどこか濁すかのようにアルビレオは口籠った。逡巡し、迷い、自信が欠けたような…確信の乏しさを感じさせる表情だ。今日初めて顔を会わせたものの、イリヤはそれに何となく彼らしくない印象を覚えた。

 エヴァも同様に感じたのか、怪訝な表情でアルビレオを見る。

 

「……感傷に過ぎないのでしょうね。ナギがネギ君を助けた意味を。“彼自身の口で”我が子に告げた遺言を無かった事するのは躊躇いが大きく、私には出来ませんでした」

 

 選んだその選択が客観的に正しく無いと感じているのか? 迷いを感じさせる声色でアルビレオは言った。

 癒えぬ傷をネギに刻んだままである事。事実上死んだとも言える父親が生きているという希望を与えてしまった事。復讐という黒い感情を放置した事。一方で明日菜に対しては容赦なくそういった処置を行っている事などを思えば、そう感じるのは判らなくはない。

 しかしイリヤは一瞬、そう思い―――ふと或いは……と、自分でも答えは出せない何か引っ掛かる物をアルビレオの言葉に覚えた。

 

 

 

「アル…」

 

 タカミチは嘗ての戦友に複雑な視線を向ける。

 師の遺言に従ったとはいえ、辛く悲しくとも大切な過去(おもいで)を明日菜から封じた為に感じるものがあったのだろう。

 だからその事を責める積もりは無い。だが、

 

「ネギ君の記憶を消さず、ナギが生きている事も明かさなかったのは分かった。でも…それでも僕には話してくれて良かったんじゃないのか? 共に戦った仲間である僕には…ッ!」

 

 タカミチの声は若干荒げていた。同じ赤き翼の一員であるのに……という思いが強いのだろう。何処か裏切られたように感じているのかも知れない。

 そうして詰め寄られたアルビレオは、申し訳なさそうな表情をするも平静な声でタカミチの疑問に答えた。

 

「黙っていた事は謝ります。ですがそれがガトウの望み……いえ、これも遺言ですね」

 

 と。

 師の名前を出され、タカミチは一瞬、え…?と唖然とする。

 

「10年前のあの時。造物主との戦いでナギが犠牲となり、私も満足に動けない状態となり、唯一戦闘可能であったガトウもまた消耗が激しく、残存した(ホムンクルス)を相手にするのは厳しい状況でした」

「彼はのう。その時に決断したそうだ。自らが囮と成りアスナ姫をタカミチ君に託して逃すと。そしてこう言ったそうじゃ」

 

 ―――幼くとも仮にも女一人を守り背負わせるんだ。未熟な弟子(アイツ)にはさぞかし重い荷物になるだろう。だからタカミチの奴には悪いがナギの事は伏せてやって欲しい……多分、俺も逝くだろうしな。聞けば怒るかも知れねえが今のアイツには色々と重くなり過ぎる。いずれ話すにしろ、それはアイツが一人前と成り、あのお嬢ちゃんが立派なレディと成った時の方が良い。

 

「―――とな。まあ、尤も明日菜君は立派なレディと言い難いじゃろうからこの遺言を完全に守れた訳ではないが、現状が現状だしの。それに今のお前さんなら大丈夫じゃろう」

「…………師匠…」

 

 学園長から遺言とも言える言葉を聞き、タカミチは如何なる思いを抱いたのか、何かを噛み締めるような表情を見せた。

 

 

 

「―――それでやっぱりネギ君にはまだ秘密にしとくん?」

 

 再び降りた僅かな沈黙の後、木乃香がそう祖父とアルビレオに尋ねた。

 

「うむ、彼には悪いが…」

 

 近右衛門が答え、アルビレオも静かに首肯する。

 その答えに木乃香は顔を顰める。

 イリヤはその気持ちが判らなくは無かった。先日、アリカの事を聞いた時も同様にネギには秘密にして欲しいと念を押すようにして言われたばかりなのだ。

 ルームメイトという事もあり、幼い彼を傍で見。明日菜と同じく弟のように接して親しくしている木乃香とって思う所は大きいだろう。またその明日菜にも本人に関わる重大な隠し事をしているのだ。

 幾ら義務や責任が伴うとはいえ、大切な友人達に関わる大事を知りながらも告げられないという現実は、十代半ば程度の少女に過ぎない木乃香には心苦しく受け入れ難いものだ。

 勿論、受け入れなくてはならないとも理解しているだろうが……。

 

(……そう、ネギとアスナに関わる事だと言っても、何の考えも無しに迂闊に話せる事じゃないしね)

 

 アリカ女王、造物主、黄昏の姫巫女、英雄サウザンドマスターの現状、どれもこれも魔法社会にとって重大な事柄だ。とてもでも無いが安易に吹聴して良いものでは無い。もし明るみに成れば魔法社会に与える影響も計り知れないのだ。

 無論、未熟なネギ達にとっても受け止めるには重いものだ。ただそれでも―――

 

「―――まあ、いずれはあの子達にも話すべき時が来るでしょう」

 

 アルビレオはそう言った。

 原作の事からもイリヤはそれがそう遠くない時期に訪れると感じ、恐らく今言った彼も同じくそう感じているだろうと思った。

 同時に先程のアルビレオの言葉の引っ掛かりが何なのか理解出来た気がした。だが、あくまでも“気がした”だけで確証は無い。けれど、

 

(―――そうね。その可能性が在るのなら賭けたい…いえ、託したいわよね)

 

 イリヤは、アルビレオの思惑を読み。それを確信する。

 

 

 

 そして考え込み、思考の奥深くにイリヤは意識を沈ませる。その間、近右衛門に促されて一同はこの場を後にする事に成った。

 思索に囚われ、半ば無意識にそれに従い歩くイリヤは気が付かなかったが、扉も無いぽっかりと大きく開いた出入り口である門―――というよりはトンネルを潜る僅かな時間、誰もがナギの方へ視線を振り向かせていた。

 

 封印術式による結晶樹で造られた棺の中で死んだように眠る英雄。

 

 眠るナギを見詰める各々がどのような心境であったのか、思考に没したイリヤにはそれを察することは出来なかった。

 ただアルビレオと近右衛門は無表情を貫き。エヴァはきつい視線を向け。タカミチは強く口を噛み絞め。木乃香は痛ましげな様子で。鶴子は何故か慇懃に頭を下げていた。

 彼を何とか助けられないか、救えないかとは誰も口にしなかった。出来るのであればとうの昔にやっている事ぐらい簡単に想像が付くからだ。

 そして何故この場に自分達が連れて来られ、執拗なまでに説明が繰り返されるかも判っていた。

 敵―――“完全なる世界”の危険性と、彼等が麻帆良を重要視する理由をより強く認識して欲しいからだ。麻帆良の防衛の要であり、信頼出来る人物であるイリヤ、エヴァ、タカミチ、鶴子。そして後継者である木乃香に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イリヤ、さっきから何を考えている?」

「え? ああ、うん。ちょっとね」

「んん? ハッキリしない言いようだな。らしくないぞ」

 

 再度談話室へと向かう道の最中、エヴァがずっと俯き加減なイリヤの様子に気付き尋ねていた。

 勿論、エヴァを含めた他の者達も思う所が大きく、思考に没する所はあったが……いや、だからこそエヴァはイリヤと少し話をしたくて彼女に声を掛けたのかも知れない。

 言葉を濁したイリヤにエヴァは視線を強め、それを感じたイリヤは謝るように軽く頭を下げると、エヴァに確りと答える為に改めて言葉を口にする。

 

「…幾つか気に成る事はあるんだけど、その一つに、先程までの話の中でウェスペルタティアの王都―――オスティアの事が出ていたけど、今は廃墟となったその旧オスティアは、確か麻帆良と繋がっていたわよね」

「ああ」

「…そうじゃが」

 

 エヴァが頷くと同時に近右衛門も答えた。どうやら彼もイリヤが何を考えているのか気になっていたらしい。

 

「この麻帆良―――図書館島の地下には旧オスティアと繋がるゲートがあった。じゃが20年前、旧オスティアが崩壊すると同時に封印……いや、廃墟に埋もれたまま破棄されておる。『終わりと始まりの魔法』による魔力消失現象の影響も長くあり、再度機能させるのも手間であったし、政治的にもまあ…色々とあるからのう―――む、まさか?」

「ええ、もしかすると……ね。旧オスティアは敵の本拠地だったみたいだし」

 

 近右衛門のハッとした声にイリヤは首肯した。

 何度も言うようだが彼女は原作の全てを知ってはいない。その前後は曖昧に成っているがネギ達が墓守の宮殿へ突入した辺りまではそこそこ記憶に在り、“完全なる世界”が原作で旧オスティアのゲートを利用したらしい事は覚えていた。

 尤も仮に知らなくとも、この世界の事を学び、魔法世界と旧世界を繋ぐゲート…ひいては麻帆良と旧オスティアを繋ぐゲートの事を知れば、その程度ことは容易に予想できたと思うが。

 

「なるほど。強固な結界で覆われた麻帆良を外から侵入するのは普通に考えれば至難だ。今回の一件では上手く行ったが、それで警戒と防護が高まれば二度は難しい。しかし破棄され、監視が緩んでいるゲートを使うのであれば裏を掛けるかも知れん」

 

 エヴァが得心するかのように言う。

 しかし、対してアルビレオは首を横に振った。

 

「まあ、在り得なくはないと思いますが、しかしキティが言うほど今もゲートの監視と警戒は弛んでいません。図書館島は一般的に言われている通り、世界中から集められた希少本の他、秘蔵された魔道書などの盗難・盗掘を防ぐ為に無数の対策が敷かれています。地上近辺や階層の浅い部分は兎も角、地下深くにあるそれらは元々ゲートからの侵入者や密航者を想定して施されたもの。その警戒網と防護力は学園結界とそう大差ありません。それに―――」

 

 ―――私の今の住所はそこですから、とアルビレオは己の言葉を締めた。

 

 そういえば、そうだった、とイリヤは内心で呟く。彼がドラゴンと共に図書館島の地下に居るのは、己を保つ為の魔力(マナ)の濃さと大量の本が貯蔵された“図書館の中”という概念的なものだけでなく、ゲートの監視も含まれているのだろう。

 アルビレオが居れば、ゲートからの侵入者が例え“完全なる世界”の一員であろうと容易に突破出来ない筈だ。

 図書館島にある結界がどれ程のものかは判らないが、少なくとも彼の戦力と合わせればこちらが態勢を整えるなり、応援が駆けつけるまでの時間は、英霊が相手でも稼げるかも知れない。

 とはいえ、

 

「それでも油断は禁物よ。判っているとは思うけど」

 

 イリヤとしては、敵のゲートの利用はほぼ確実なのだ。こうして怠らず注意を促しておくに越したことは無く、また可能であれば事が起こる前に先手を打っておきたい。ヘルマンの件での失敗は繰り返したくは無いのだ。

 

「ふむ、そうじゃな。こちらの警戒を強めると同時に話の分かる人間を通じて“本国”の方にも伝えておくべきじゃな」

「……僕もアイツに言っておくべきかな。アイツの事だからそういったゲートの事なんかも視野に入れて新オスティアの総督に成ったんだろうし」

 

 イリヤの忠告を真剣に受け止めた近右衛門を見て、タカミチも頷いた。

 タカミチの言う“アイツ”が何者なのかイリヤは察しが付いたが、今の所それほど気に掛ける必要は無いかな、と取り敢えず聞き流す事にした。

 と、ふいに彼が右肩を擦る様子が目に入った。

 

「タカミチはん、大丈夫どすか?」

「え、ああ、大丈夫です……とは、まあ…はっきり言い辛いんですが」

 

 気付いた鶴子に声を掛けられ、タカミチは若干慌てて擦っていた肩から手を離した。

 声を掛けられた瞬間、肩に視線を落としてハッとした様子を見るにどうも無意識であったらしく、肩を擦っていた事自体自分で気付いていなかったようだ。

 アルビレオはその様子を見て難しげな表情をする。

 

「……話しには聞いていましたが、イリヤさん本当にタカミチ君の治療は無理なのですか?」

「何度も言うようだけど、無理ね」

 

 唐突に話を振られたイリヤは即答する。

 

「呪いの傷を新たな傷で上書きして治癒…っていうのは勿論だけど、腕ごと切り落として再生させたとしても、例え義手にしたとしても、その新たな腕や義手に傷が出来るわ。あの黄槍の概念(のろい)はそれほど強力なの。解呪するには―――」

「―――槍を折るか、本人を倒すしかない、だろ」

 

 タカミチは横から口を挟んだ。

 

「ええ、残念だけど、やっぱり『キャスター』の知識を持ってしてもそれ以外の方法は見つからなかったわ」

「そうか、まあ…仕方ないさ」

 

 イリヤの申し訳なさそうな言葉にタカミチは気にしてないとでも言うような口振りで答えた。

 彼としては、戦う以上こうなる覚悟はあったのだ。それに全く戦えない訳では無い。傷の痛みと出血は…負った傷を焼き、敢えて火傷を治さない事と、魔法技術で造られた特殊な包帯で覆う事で抑えている。

 多少無理をすれば右腕は使えなくは無く―――無論、全力で拳を撃てず、無音拳の威力と速度も半減しているが―――フェイト・アーウェルンクスが相手でも後れを取らない自信が彼にはあった。

 流石に英霊相手は無理だろうが―――……。

 

 一方イリヤは無理と答えたが……実の所、件の『キャスター』を夢幻召喚(インストール)し、彼女(メディア)の知識から治療及び解呪法を探る時に奇妙な違和感を…引っ掛かりを覚えて、彼の治癒に届くのではないかという感覚があるのだ―――が、ノイズが掛かった様にどうしてかその知識までには手が届かず。仕方なく可能性は在れど、無理だと答えていたりする。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 談話室に着いた一同は、先刻と同じ席に着いて軽く休憩を挟んで一服し……。

 

「さて、あの場に赴く前に出された疑問について答えるかの」

「といっても、私が麻帆良に居り、それを今まで隠していた事情は大体見当が付いたでしょうが」

「ああ、忙しいジジイの補佐。封印されたナギ―――いや、造物主とゲートの監視だろう。私達にまで行方を隠していたのは……碌でもない性格のお前達の事だから半分は趣味だろうが…」

 

 近右衛門とアルビレオに答えるエヴァは言葉を切ると一瞬、タカミチの方へ視線を送り、

 

「…ナギの死亡に真実味を与える為だな」

 

 そう、彼女は告げた。

 それにタカミチは、ああ! と今しがた納得したように声を上げた。

 

「そうか、ラカンさんはともかく、同じ旧世界出身で赤き翼の一員である僕がナギさんの死亡に疑いを持たず、アルの行方を全く知らなければその信憑性は大きくなるのか」

「……実際、私がそうだった。今は兎も角、昔のお前は腹芸の出来る人間ではなかったからな。まあ、今も向いているとは言い難いが―――せいぜい、善良なあの小娘を騙し通せる程度か…くく」

 

 タカミチの反応にエヴァは皮肉気に笑う。まんまと騙された自分にか、それとも仲間からも欺かれたタカミチの間抜けさにか、もしくはその両方に対してか。彼女はくつくつと笑った。

 

 

 

 笑うエヴァの姿を見てタカミチはあの頃の事を思い出す。

 十年前、ナギの死亡説が魔法社会に駆け巡った当時、呪術協会の長の座に就いた詠春、そして麻帆良に姿を見せたタカミチに各種メディアやゴシップの取材が殺到した。

 ラカンは隠居し姿を見せない事からその取材攻勢から免れられ、詠春も閉鎖的な西の所属な上、立場が立場ゆえに取材は難しくコメントを出すのも疎らであった為にその分、タカミチの方へマスコミの視線は向けられた。

 

(あの頃は大変だったな)

 

 尊敬する仲間と師を失い。託されたものの重さに心の整理もまだ付かなかった最中にも関わらず、そんな事はお構いなしに取材を求めるメディアに戸惑い、苛立ち、鬱陶しさが積もり、何度もそれを爆発させそうになった。

 

(それでも庇ってくれる学園長や暖かく迎えてくれた同僚たちのお蔭で冷静に対応出来た。……まあ、学園長は先の思惑もあっての事だったんだろうけど、それは別に恨むほどの事でも無い)

 

 訳も理解できるし、過ぎた今となっては敢えて蒸し返す必要は無い。

 タカミチはそう割り切って苦笑し、水に流す事にした。それが出来ない程もう子供では無いし、未熟でも無い積りだ。

 

(でないと、師匠に呆れられそうだ)

 

 

 

 自虐と皮肉が入り混じった笑い見せるエヴァと仕方なさ気に苦笑するタカミチ。

 その二人の様子に思う所はあれど納得したらしいと見て、近右衛門はでは、次の疑問じゃが、と言葉を切りだす。

 

「“完全なる世界”の真の目的に関しては……アル」

「ええ、やはり私からお話した方が良いでしょう。ですが……その前に―――」

 

 アルビレオはイリヤに視線を向ける。エヴァに過去を尋ねた時と同様の神妙な目で。

 

「イリヤさん。まだ何か気に掛かる事があるのではないですか?」

「……突然ね。それは勿論あるけど」

 

 イリヤは向けられた視線に探る物を感じて警戒する。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は静かに見詰め合い。やがて、

 

「では、こちらから尋ねましょうか。ウェスペルタティア前王が―――賢王と讃えられていた彼が自ら進んで治める国を滅ぼしかねない危険を平然と犯したその訳……民を思い遣っていた彼の王が“完全なる世界”などという世界を危機に陥れる秘密結社の幹部となった理由…」

「……」

「貴方はその理由に気付いているのではないですか?」

 

 アルビレオの問い掛けにイリヤは沈黙する。代わって木乃香が口を開いた。

 

「どうゆうことなん? ウェスペルタティアの建国者は“完全なる世界”の黒幕…“始まりの魔法使い”その人やないの。ならその子孫が幹部で組織に協力するのは、そうおかしいことや無いと思うけど」

「いや、だからといって世界を滅ぼし、治まるべき国と守るべき民草を犠牲に強いる事に手を貸すとは限らん。況してや賢王とも言われるほどの施政を敷いていた人格者だったんだ。事実、娘のアリカ女王は納得できず翻意している。これまで聞いた話から察するに王族である彼女は自国に秘められた裏側……“完全なる世界”との関わりに薄々気付いていたようだしな」

 

 木乃香の疑問をエヴァが翻す。遠い過去の事とはいえ、領主の姫君であった彼女には感じる所があるのかも知れない。

 イリヤは、アルビレオの視線を受け止めながら少し考える。

 自分が漫画で描かれたこの世界の事を知っている……いわゆる“原作知識”を持っているなどとは流石に思ってはいないだろう。しかし、どういう訳か自分がこの世界―――魔法世界の真実か…或いはそれに近しい何かを察していると彼は確信しているようだ。

 

「……アルビレオ・イマ。それは貴方の勘かしら」

 

 イリヤは逆に探りを入れるように尋ね返す。

 

「そうですね、それもありますが。イリヤさん…貴女は本当の意味で別世界の人間です。しかも慎重で非常に頭の回りの良い賢い人です。そんな人物ならば突然迷い込んだ異世界…世界観が近しい並行世界とはいえ―――いえ、だからこそ己の世界と異なる未知が在るこの世界を深く客観的に見れ、ふと思わぬ秘密に気付くのでは? とそう思ったのです」

 

 アルビレオの答えにイリヤは本気で言っているのであれば買い被りだなと思い。本当にそう思っているのかという疑念も強く感じていた。

 これも原作知識による影響か、どうも油断ならない胡散臭い印象が拭えない為、彼の言を素直に受け止められない……が、彼相手には下手に誤魔化すのも拙いと思い、イリヤは迂闊に感じながらも素直に応じる事にした。

 

「判ったわ。これはただの推測だけど…」

 

 正直にいう訳にもいかないのでそう嘯きつつ話す。

 

「ウェスペルタティア前王は、絶望していたんだと思う」

「絶望?」

 

 唐突な言いように木乃香が思わず声を零した。

 

「ええ、良き執政を行ない。善政を敷き。万民の為成る王と力を尽くして来たにも拘らず、避けられぬ運命によってすべて水泡に帰すのだと知って」

「……ふふ、流石はイリヤさん、やはり気が付いていましたか。そう、だからこそウェスペルタティア前王は、諦観し全てを造物主に委ねたのです」

 

 イリヤの言葉にアルビレオは感心する。

 しかし木乃香は二人の回りくどい言い方もあって疑問に頭を悩ませるばかりだ。そこに鶴子が姪の悩みを解消させるように口を出した。

 

「ウチにも今一理由は分かりまへんけど、つまり前王は世界が滅びる事は避けられないと知ったんどすな。それも何千、何万年先の遠い時代の事やなく、己が代か、次代の治世で」

「え、滅…びる…? それって“完全なる世界”が滅ぼそうとしているから…という意味やないよね?」

 

 ニュアンスの違いに気付いて木乃香が言う。

 

「そうよ、コノカ。多分だけど魔法世界はそいつらが滅ぼすまでも無く、それ以前に滅びが確定していたんだと思う。それもツルコが言ったようにそう遠くない未来にね」

「ッ―――! そんな!?」

 

 鶴子に答えに続くイリヤの言葉に木乃香は愕然とし、途端、黙って聞いていたエヴァがハッとした様子で顔を上げた。

 

「! そうか…見えて来たぞ! 魔法世界は―――」

 

 そう呟き、エヴァは確かめるようにイリヤの方に視線を向ける。それに彼女は頷き答えた。

 

「人造異界。それも火星一つ丸々依代にした極めて大規模な」

 

 それはイリヤにとって元々は原作の受け売りに過ぎなかった。

 しかし、今は少し違う。原作を前提に考えてイリヤは魔法の研究を進めると共にその事実を確認した。原作と同様、この世界に在る魔法世界も人造異界だという可能性を。

 

「ウェスペルタティアの建国…年代……文明発祥の土地。祖たる始まりの魔法使い…その末裔、黄昏の姫巫女……始まりと黄昏…始まり、終わり……では滅びの儀式というのは―――………確か前世紀の初頭に見た論文に……火星の表面積、質量は?……魔力総量と維持の比率……いや、だとするとおかしい、まだ先の筈だ。何かが足りないのか? あ、そうか、姫巫女が………それと大戦期に行なった儀式で……く、何故今までこれに気付かなかった!」

 

 俯き顎に手を当ててぶつぶつと呟き、エヴァは確信を深めると愕然する。彼女にしても想像の埒外であったのだろう。その衝撃はかなり大きいらしい。

 イリヤは、その様子に少し場違いだと思いつつも原作でネギがその事実に気付いた場面と似ている事から、この師あってあの弟子あり……と、そんな言葉を内心で呟いていた。

 

「イリヤ、お前は何時からこれに気付いていた?」

 

 キッと睨むようにし、やや詰問口調でエヴァはイリヤに尋ねる。

 イリヤは困った。まさかこの世界に来る以前から……とは言えない。取り敢えず当たり障りなく、

 

「京都の一件が終わった後よ。女子中等部の校舎の図書室で気晴らしに手に取った天文学の本…火星の項を読んで引っ掛かりを覚えてね」

 

 原作であった天文部所属のルームメイトを持つ夏美の発言を真似てイリヤは答えた。

 

「それで調べた訳か」

「ええ、地表面積や地形に地名…余りにも重なる部分があったものだから気に成って、で…さらにその後で工房を開く事になった訳だけど、侵入者対策で地下の一部を異界化させる際、参考にこちらのその手の魔法理論を調べる内に……まあ、色々とその可能性に気付いたのよ」

 

 イリヤはそう適当に誤魔化しながら言葉を続けた。

 

「なるほどな。だがそれなら教えてくれても良かっただろうに」

「悪かったわ。けどその時は確証に乏しかったし……それを得たのは今日の話を、アスナや造物主の事を聞いて漸くよ。それにエヴァさんならとっくに気付いているものだと思っていたし、少し意外ね」

 

 エヴァにそう言うも、正直に言えばその疑問は何も彼女だけを対象にしたものでは無い。他の魔法使い達にも言える事だった。何しろ魔法世界に赴いたごく普通の女子中学生が持っていた俄か知識で気付ける程度ものなのだ。

 

「仕方ないだろう。まあ、疑問は全く無かった訳ではないが、魔法世界は私が生まれる前よりも遥か過去、紀元前からあったものなんだ。それがまさか人造異界だなんて誰が思う」

「キティの言う通りですね。魔法世界というのは我々魔法使い……魔法社会にとって謂わば“常識”なのです。遥か遠い昔に発見された旧世界とは異なる次元にある新世界だと」

 

 悪態を吐くように言うエヴァをアルビレオは弁護した。

 

「その固定観念ゆえに大抵の人間は気が付かない訳…か」

「そういう事です。その上、火星…惑星全体を依代にして異界を造るなどという発想自体、狂気の沙汰……普通に考えればとても馬鹿げた話でしょう」

 

 ふむ、と唸りイリヤはアルビレオの言葉に尤もかと納得した。

 確かに魔法使い達にして見れば、遥か昔から当たり前に存在している広大な魔法世界が人工的なものだとは考え難いだろう。旧世界(ちきゅう)の者達は勿論、旧世界を殆ど知らない魔法世界(かせい)の当事者たちならば尚更だ。むしろ原作のように何も知らない一般人の方が気付き易いのかも知れない。

 ネギが気付けたのは、その他にもそれまでに様々なヒントを得ていたからだろうが。

 

「あ、そ、それで火星が魔法世界で、滅びるってどういうことやの? それが本当で避けられないっていうなら王様が絶望するのも判るけど、でも“完全なる世界”は滅びるのに滅ぼそうとしとって…アルビレオはんやネギ君のお父さん達はそれを阻止して滅びから世界を救っとって―――あー、うー、なんか訳判らんようなってきたえ」

 

 余りの事に理解が追い付かないのだろう、木乃香は混乱気味にそう言うと頭を抱える。

 

「つまりじゃな、木乃香。簡単に言えば魔法世界は遥か昔…ウェスペルタティアの建国とほぼ同時に“始まりの魔法使い”達が火星にて創造した物だったのじゃ。創造神や造物主と呼ばれる所以はこれにある。しかし本来ならば滅多に無い事じゃが、“彼ら”の造った人造異界には限界があった」

「…限界?」

「うむ、人造異界というのは言うなればそれ一つが大規模な魔法じゃ、当然魔法である以上魔力が必要に成る。それを造った土地に満ちる魔力…或いは地脈・霊脈が何らかの理由で枯渇し維持に必要な魔力が不足するようになれば―――」

「魔法の効果は消える。そういうことやの?」

「そうじゃ。通常であれば人造異界は大きくとも一地域…地方が精々であり、星の魔力の循環機能やそれに伴う魔力の再生成によってまず消滅する事は無いのじゃが。しかし造物主の造った魔法世界は火星全域に及んでおる。これでは循環機能は働きようが無く、火星(ほし)に巡る魔力は常に消費される一方に成る。その結果は―――言うまでも無かろう」

 

 木乃香の顔が強張る。魔法世界には12億あまりのヒトが住み。数多の動植物が生息しているのだ。

 それが世界諸共消える。

 木乃香の脳裏に大地や空と共に罅割れて砕け、消え行く麻帆良や故郷…京都の凄惨な光景が一瞬浮かんだ。知識だけの見知らぬ世界である為に不意に自分の知る世界と置き換えて考えてしまったのだ。

 

「それじゃあ、本当にいつか…」

「その“いつか”が何時訪れるかは判らんが、今すぐという事は無い。ただ残念ながら止める手立ても無いがのう」

 

 顔色の悪い孫の様子に表情を顰めながらも近右衛門は冷静に答える。

 

「そして、いざ崩壊が訪れたとしても魔法世界の人間全てを旧世界が受け入れる事も難しいじゃろう。他にも問題があるしの」

「……じゃあ、“完全なる世界”がやろうとしている事ってなんなん? エヴァちゃんはさっき滅ぼそうとしとるって言っとったけど、平穏な世界を作ろうとしているとも言っとったよね」

 

 “完全なる世界”の真の目的。木乃香はそこに一抹の希望が在るのでは……と自分でも本気でそう思ったのか定かではなかったが、彼女は気付くとそう口にしていた。

 それは先に尋ねたエヴァもそうだが、イリヤも知りたい事だ。二人は“完全なる世界”の目的にアイリが、抑止力がどう関わっているのか気に掛かっているのだ。

 

「…では魔法世界の真実を知ったことですし、お話しましょう。“完全なる世界”…彼等の目的は―――」

 

 一言でいうのであれば、それは世界の再編です。

 

 そう言い、アルビレオは語った。

 黄昏の姫巫女(あすな)の力によって魔法世界を一度消滅させ、全ての人々を肉体より解脱し、魂に穏やかな眠りを与え、望む夢だけを見て過ごせる世界卵―――小さな箱庭世界へと新生させるのだと。

 

「『始まりと終わりの魔法』。それが叶えば魔法世界の人々は現実で敢えて辛く苦しく生きる必要は無くなり、各々は魔法にて用意された小さな揺り籠のような世界でただ眠り、見せられる幸せな夢の現実に置き換えて生きる事に成る訳か…」

「ふん、前世紀末で見たアニメや映画のような話だな…と、映画の方は昨今続編が出ていたか? まあ、それはいいか。要は場所も取らない狭っ苦しい檻の中に閉じ込めて無理矢理眠らせて、生かさず殺さず目覚めさせぬまま永遠に都合の良い夢だけ見せ続けるってことだな」

「飾らずに言えばそうですね」

 

 イリヤの感想はともかく、身も蓋も無いエヴァの言いようにアルビレオは苦笑する。

 

「まあ、そう言った世界に書き換えれば、確かに魔力の消費は格段に抑えられるし、火星の魔力(マナ)も枯渇する心配も無くなるわね。生成と消費が逆転する訳なんだから」

「…けど、それって……」

「そうね、コノカ。とてもではないけど“生きている”とは言えない。謂わば究極の逃避…もしくはヒキコモリかしらね。今在る魔法世界も結局は崩壊させる訳だし……―――」

 

 とはいえ、イリヤとしては正直な所、その手段を非難する気も否定する積もりも無かった。

 

(争いの無い平穏な世界の実現。お母様が京都で言った言葉に偽りは無かった訳か。……例えそれが夢幻(ゆめまぼろし)で築かれたモノだとしても)

 

 そう、それはそれで最善ではないにしろ、最良の方法ではないかとも思えるのだ。12億やら6700万人もの人間を地球に移住させて途方も無い人口問題や難民問題、人権問題を引き起こし、もしくは100年にも渡る終わりの見えない戦争を勃発させるよりは遥かに良い。しかし、

 

(でも、そのお母様―――アンリマユの残滓が関わる以上、果たして何が起こるか。とてもじゃないけど望む結末が訪れるとは思えない。それに儀式の際に集まる濃密な魔力の事も……少し気に掛かる。まずあり得ないと思うけど…けれど、もしも万が一にでも“汚染”されるような事態が起きたら―――)

 

 イリヤは考え得る最悪の事態を想像し、悪寒と共に全身が身震いするのを感じた。

 もしそうなれば、自分の手には負えなくなる。魔法世界は呪いに溢れて崩壊する前に地獄と化し、恐らくゲートを通じて此方側にも溢れ出すだろう。

 

(やっぱりネギ達と共に“完全なる世界”を…お母様を止めるしかない)

 

 イリヤは覚悟を改める。と同時にふと脳裏に浮かぶものがあった。

 

(……あの子はこの難題。魔法世界の問題をどう解決するのかしら?)

 

 知りようが無かったネギ・スプリングフィールドの―――原作とは異なるのかも知れないが―――物語の行く末を見届けられる可能性に少し思い馳せた。

 物語の中では父の意志を継ぐと言った幼い彼。果たしてこの世界(げんじつ)でもそうなるのか。

 この途方も無い問題を前にして魔法世界の全てを救う道を選べるのか……父の背中を追い続ける彼が、父の目指した道程を信じてその先を歩けるのか。

 

「ネギ君のお父さん…ナギさんは、そんな夢の中に逃避するような事が嫌で戦ったんかなぁ」

「…というよりも、より単純に抗う事を止めて諦めた事が許せなかったんでしょうね」

 

 と、声を耳にして物思いから意識を浮上させると、木乃香とアルビレオがそのネギの父の事を話していた。

 

「アルビレオはんも?」

「さて…どうでしょう? 盟友たる彼の意志には賛同していましたが……」

 

 木乃香の問い掛けに、フフ…と笑みを浮かべながら応じるアルビレオ。そんな彼をイリヤの隣に座るエヴァが胡散臭そうに見ている。

 イリヤは元・同居人であり、この世界で最も頼りしている彼女を見て決断する。

 つい先日、エヴァの原作とは異なる過去を知った後に提案した事をこの機会……危機意識が強まっているこの機に乗じて近右衛門に許可を得ようと。

 

(まあ、人の良いこのお爺さんの事だからそう強く反対はしないと思うけど、立場や食えない所があるし…うん、渋られるのも困るし、条件付けや対価の要求を避ける意味でも今が好機よね)

 

 そう胸中で呟きながらイリヤは近右衛門に口を開く。

 

「学園長、一つお願いがあるんだけど」

「む、何じゃ?」

 

 近右衛門がイリヤの何処となく改まった感じの声を聞いて訝しげな表情をする。そして次に告げられた言葉にその顔が強張ったものとなり、彼は絶句する事と成る。

 

「エヴァさんの封印を解こうと思っているんだけど、関東魔法協会理事としてその許しと尽力を得られないかしら?」

 

 

 




 原作よりも早く“完全なる世界”の残党の暗躍を察知し、ヘルマンの捕獲に伴うMM元老院への警戒も必要な以上、学園長達がイリヤやエヴァ、木乃香などに対して原作同様に多くの秘密を隠すのは不自然に思え。
 また作者的にもキャラクターを通して原作での疑問点を独自解釈で消化しつつ設定を纏めたかった事もあって(お蔭で話の流れに強引な部分が多々出てしまいましたが)当時はこの話を書きました。
 その為、アルビレオの登場とナギの秘密が明らかに成るのが早まりました。

 あと蛇足ですが、木乃香が“始まり魔法使い”に過剰反応したのは……原作の2600年という言葉やら、明日菜と木乃香を差して新旧両世界のお姫様と言ったフェイトの台詞、そしてオスティアに繋がるゲートが麻帆良…というよりも日本にある事から―――まあ、察しの良い方はその理由に気付くと思います。遥か遠縁とはいえ、木乃香がやんなごとなき御方の血を引いている事も含めて。


 次回はネギ達の様子が描かれます。

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