麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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21.5話や前回の幕間その5のように時系列が戻ります。
感想を見るに、困惑されている方も居られるというのに……すみません。


余話その2―――小太郎の去る日の出来事

「え…!?」

「「コレは…!」」

 

 外での用を終わらせて帰宅し、地下工房へ行こうと階段を降りた直後―――イリヤは周囲の景色が一変し、辺り一帯が濃い霧が漂う森…いや、樹海に成った事に驚き、硬直してしまう。

 傍にいる人形(メイド)も同様だ。それが致命的だった。

 

「!?―――いけないっ!」「ッ!? 危ないマスターッ!」

 

 腕から引っ張られてイリヤは、その場から倒れそうになりながら数歩下がり―――目の前をゴウッ、と。重い旋風をたてて人間大以上の巨大な刃が通り過ぎた。

 錨のような形をしたソレは鎖に繋がれて霧で見えない果てなき空からぶら下がり、振り子のように右へ左へと大きく揺れていた。

 

「なっ、なんでっ!? どうして防衛システムが働いているのよ!?」

 

 毒の混じった霧が身体に纏わり付かないように魔術で守り、また念を入れて魔術で“強化”したハンカチで口元を覆いながらイリヤは驚愕混じりに叫んだ。

 そう、この毒霧の樹海―――異界に放り込まれた現状は、工房の対侵入者用の防衛機能(セキュリティ)が起動した事によるものだ。それも何故か主たるイリヤを対象にして。

 しかも間が悪い事にこの数日、魔力消費が多かった事から回復に努める為、夢幻召喚(インストール)を解除していた。

 

「ッ…………」

 

 背筋に冷たいものが伝い、イリヤは思わず今も振り子のように揺れ動く巨大な刃をジッと見詰め、ゴクリと息を呑んだ。

 

「た、助かったわ。ありがとう」

 

 周囲を警戒するように自分を挟んで左右に立っている二体の人形に、先程腕を引っ張ってくれた事を感謝する。あれがなければ冗談抜きで真っ二つとなって無惨に死んでいた所だ。

 

「いえ、当然の事をしたまでですよ」

「姉さんの言う通りです。それよりも早く夢幻召喚(インストール)を……出迎えが来ましたよ」

 

 長い金髪を左右で纏めた、俗に言うツインテールにした双子型の二人が言う。

 その二人の視線の先には霧の中に浮かぶ無数の影の姿が在った。どうやらトラップの類だけでなく、竜牙兵や怨霊、式神などの“兵隊”も起動したらしい。

 状況を察したイリヤは二人に頷く。

 

「そうね―――まったく…!」

 

 頷き、カードを取り出して夢幻召喚を行いながら、イリヤは苛立たしげに念話で弟子であるさよに連絡を試みた。恐らくコレの元凶であろうと予感を覚えて……。

 

 

 イリヤの予感は当たっていた。

 事の切っ掛けは、イリヤが出掛けた後にある。留守を任されたさよは自習に励みながら少しでも早く(イリヤ)の役に立つ為にも工房の器材及び機器の扱いに慣れようと、その与えられた権限―――副管理人として工房に張り巡らされた統括用の術式に接続(アクセス)し、工房に備えられた各々の機能を試していた。特に留守番という事もあってか、侵入者を想定した警戒・防衛システムを集中的に試した。

 頼れる師匠の姿が無い事に勿論不安は在ったが、既にイリヤの指導の下で何度も行っている事なのでそう心配はいらない―――少なくともさよはそう思っていた。しかし、

 

「は、はわはわわ、ど、ど、どうしましょうウルズラさん…!」

 

 工房地下3階の一室。

 さよは縋るような目で事態を察知し、駆け付けて来たウルズラの顔を見ていた。

 だがウルズラは困ったように戸惑い表情を顰めるだけだった。彼女では対処できない事態であるからだろう。その内心では目の前で涙目な少女と同様、焦りで一杯であったが。

 

 それは、イリヤが帰宅した直後だった。

 

 工房の結界(セキュリティ)が感知し、イリヤが帰った事に気付いたさよは出迎えようと意識を逸らし―――うっかり防衛システムの機能を戻すのを忘れてしまった。それも扱い方が悪かったのか、工房の全権限がイリヤからさよへ完全移行する障害(エラー)が発生した為、工房の本来の主であるイリヤを敵と見なしているのだ。

 まるでどこかの“あかいあくま”が引き起こすような大ポカである。

 

「と、とにかく、何とか止めないと…!」

 

 さよは再度意識を集中し統括用の術式(システム)に接続を試みるも、冷静さを失った彼女にまとも扱える訳が無く、イリヤからの念話にも気付かず事態は加速度的に悪化して行き。さよが術式に手を入れる度にイリヤと警護に付いているメイド達の悲鳴が工房内で響く事になった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 小太郎は自分の監察役である鶴子の言い付けを受けて、イリヤと呼ばれる少女の住居へ向かいながら麻帆良の街をゆっくりと眺めるように歩いていた。

 古き良き時代の欧風の建物がそのまま残ったような……正確には再現されたその街並みは小太郎にとって非常に珍しいもので、未だ街に馴染めない彼に飽きさせない新鮮味を与えていた。

 その為か、

 

「西洋ゆうのも、中々悪いもんやないな」

 

 感嘆するように、そう自然と口に出していた。

 

 彼が鶴子の所からイリヤの所へ移る事になったのは一言で言えば、小太郎自身への配慮である。

 というのも、東…関東魔法協会に特使として派遣された鶴子ではあるが、元より“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”へ対する戦力としてのみしか期待されておらず。

 本来特使として必要とされる折衝だとか、調整やらの、そういった交渉能力や事務能力は乏しく―――事実、本人も剣一筋の人生を歩み、学が無い事から認めており―――その実際の業務を担うべく…或いは補佐する為に幾人もの部下が付いた訳なのだが。件の彼ら…或いは彼女達は、日本の裏の行く末を左右する大事な役目を担う自分達の中に、ひょっこりと加わった小太郎に良い感情を持てずにいた。

 無論、東との関係改善が目的である事から開明的・柔軟的な思考を持つ人間が選ばれてはいる。

 しかしそんな特使達一行もテロに加担し、脱獄を計った犯罪者…それも狗族との混血(ハーフ)だという子供は受け入れ難いのだ。加えて言えば、西の面子や政治的事情から脱獄自体をもみ消す意味で、正規の人員として自分達の中に加わった事に対する反発もやはりある。

 そういった事情から特使たる鶴子の傍にいるのは、小太郎にとって望ましくないと判断した近右衛門の提案で新たな監察役を設ける事となり―――イリヤがそれに立候補したのだった。勿論、そこにはイリヤなりの打算や思惑が在る。

 そしてその過程で些か揉め事は在ったものの、程無くしてイリヤに預けられることが正式に決まったのだった。

 

「イリヤ…確かイリヤスフィール言うんやったか…?」

 

 麻帆良の景色を眺めながら小太郎が呟く。

 鶴子から追い出すような形になった事を申し訳なさそうに詫びられ、その白い少女の下へ行く事になったのだが、小太郎は別段不満を感じていなかった。

 そのような扱いはこれまでずっとそうであったのだから。だからむしろ鶴子に頭を下げられた事の方が驚きだった。しかもあの“剣聖”と謳われる最強の剣士に、である。

 正直、名前を聞くまであんな美人で“優しげな”女性が、音に聞く“最強の剣士”だとは思わなかった。無論、初見で感じた佇まいから只者では無いと―――あの“黒い甲冑のバケモン”と同じく、挑む以前に絶対に勝てない相手だとは判ったが。

 

「“アレ”や剣聖と同じくらい強いんやよなぁ、あのイリヤっていうんは……」

 

 不満が無い理由にはそれもあった。

 厳しい環境に置かれ、育まれた彼の価値観にとって“強い”という事は、絶対的な真理であり、唯一の生き甲斐……いや、某神父や金ピカ風に言うなら追い求める愉悦なのだ。

 故に本当は年上だと理解していても、自分と変わらぬ年恰好で且つ女でありながら最強クラスの力を持つというイリヤには非常に興味があるのだ。

 

「へへ……楽しみやな」

 

 と、犬歯を剝き出しにして不敵に笑う程に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「此処か…」

 

 麻帆良の景色を楽しむように歩いた小太郎は、件の喫茶店風の建物の前に辿り着いた。

 おかしなことに不思議と存在感が希薄で、まるで幽霊屋敷を前にしたかのような人気の無さが感じられたが、直ぐにその理由を看破する。

 

「人除けの結界やな。魔法使いの住処やし、当たり前……か?」

 

 一瞬納得しかけ……首を傾げる。

 学園に備えられた広大な認識阻害の結界がある為だ。だというのに更に人目を遠ざける目的の結界が張られているのが奇妙に思えたのだ。

 

「ま、ええわ。ほな邪魔するで」

 

 首を傾げるのも僅かに小太郎は考えても仕方ないと、何故か開けっ放しになっていた扉を潜って中へと入る―――途端、

 

「ひゃっ!?」

「おわっ!?」

 

 目の前にセーラー服姿の少女が飛び込んで来て、ぶつかりそうになった。

 白髪、赤眼とお世話になる少女と似た稀有な特徴(アルビノ)の持ち主だが、風貌は日本人のそれであり、外見も幾分か年上だ。

 十代半ばと思えるその少女は小太郎の存在にかなり驚いているようで、硬直していたが、

 

 ―――サ~~ヨ~~

 

 と、店の奥から聞こえる声にビクリと身体を震わせると、小太郎の背後…つまり開きっ放しの扉の方へ駆け出そうとし―――バタンッ! カランッカランッ!!…と、乱暴な音と共にカウベルが喧しく鳴り響かせながら扉が閉まった。

 同時に店内の壁、天井、床の全てに重苦しさを感じさせる不可視の圧力……魔力が奔り、店全体が内向きの結界に覆われるのを感じた。

 

「あ、あわわ…こ、このままじゃ……」

 

 絶望に満ち、震えた声が少女の口から零れた。

 しかし少女は諦めまいと辺りを見渡すと跳躍して天井へと張り付き。小太郎に視線を向けると、人差し指を口元に当てて、

 

「し~~」

 

 などと静かに黙っていてとジェスチャーを取る。

 小太郎は事態を把握できず、困惑しっぱなしで少女に「一体何なんや?」と尋ねようとしたが……如何なる魔法なのか? 幾秒と経たぬ内に少女の姿は空気に溶けるように見えなくなった。

 直後、

 

 ―――くっ! さすが逃げ足は一流ね。ランサーでも追い付けないなんて…!

 ―――でも、結界は間に合いました。まだ建物の何処かに居る筈です。

 ―――そうね。なら表の方ね。

 ―――確かにさよ様は正直な方ですから、十中八九、正面の出入り口から逃げようとするでしょう。

 

 と、やっぱり店内の奥からそんな話し声が小太郎の優れた聴覚に捉えられた。

 そして幾秒としない内に乱暴にカウンターの向こうに在るドアが開け放たれ、五人の女性が姿を現した。

 

「あ…」

「ん?」

 

 小太郎は彼女達の中心に居る小柄な少女と視線が合い。視線の先の人物は先程の少女のように驚いた表情を見せた―――が、キッと表情を引き締めると、小太郎から視線を逸らして周囲を注意深く見回し、

 

「気配の消し方もやっぱり完璧か。でも……サヨ! 大人しく出て来なさい! 今、出て来るなら少しは大目に見て上げるわ!―――さあっ!!」

 

 言葉始めを小さく呟くと、そう大きく叫んだ。

 シン、と静寂が店内を包み込み……………十秒ほど。何の応答も無かった。

 

「そう。あくまでも逃げようというのね。なら、仕方が無いわね」

 

 小柄な少女は溜息を吐く。

 

「サヨ、忘れているようだけど。貴女と私の間にはパスがあるのよ」

「―――…!」

 

 何処からか息を呑む声が聞こえた。先程、セーラー服の少女が消えた所からだ。

 

「だから、何処に隠れようとも、どんなに上手く気配を消そうとも、私には貴女の居場所が判るの……ふふ」

 

 小柄な少女がクスクスと笑う。いや……嗤う。愉しげに不穏に。そしてある方向へと指を差す。

 

「マグダ! レギ!」

「はい!」

「了~解~」

 

 小柄な少女の両隣にいた金髪ツインテールの二人の女性が、少女の指差した方向へ手にしていた小銃を向け―――火を噴きながら弾丸を吐き出した。

 

「きゃあああぁぁっ―――!!」

 

 店内に銃声及び着弾音と共に悲鳴が響き渡った。

 そして鈍い音を当てて床に何か……さよと呼ばれる少女が天井より落ちた。落下した少女は俯せに倒れ、瀕死の虫の如く手足をもがく様にして必死に動かしているが、

 

「ふふ…」

「か、身体が…? これ、もしかして…」

「そう、対霊用の特殊弾。それも魔術仕様のね。これで動く事は勿論、霊体化も不可能よ。さあ、これで―――」

「ひっ……イ、イリヤさん……ゆ、ゆるし―――」

 

 不敵に嗤う小柄な少女こと…イリヤに、さよは顔面を蒼白にして許しを請うが、

 

 ―――これでもう逃げられないわ。たっぷりお仕置きして(かわいがって)あげるから覚悟しなさい!

 

 叶う筈も無く、無慈悲にそう告げたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギは唖然とするしかなかった。聞かされた奇妙な騒動とイリヤらしくない様相に―――いや、南の島で一度……カモに折檻する姿を見てはいるが、何故か記憶が曖昧な為―――思考が付いて行かないのだ。

 

「はは、俺もそんな感じやったんやろな」

 

 ネギの顔を見て小太郎が言う。

 今、この二人が居るのはイリヤ宅の小太郎の部屋だ。

 放課後の歓迎会の後で魔法社会の勉強と成ったのだが、ついエヴァの別荘に居る気分で行った為、長居し過ぎて帰宅するにはすっかり夜が更けて遅くなってしまい、一泊する事になったのだ。

 それで女性陣は一階の仮眠室へ。ネギは小太郎の部屋に泊まる事が決まり。男二人っきりに為ると彼等は自然とこうして話し込む事と成った。

 話題は前述で判る通り、小太郎がイリヤ宅を訪れた当日の事である。

 

「なんていうか……スゴイね」

「ああ、多分一生忘れんと思うほどインパクトが在ったわ。イリヤ姉ちゃんがもうホンマ怖いこと、怖いこと……今でも思い出すとブルッと来るな」

 

 唖然とした様が抜けないまま感想とも言えない感想を口にするネギに、小太郎は苦笑しつつも身体を震わせながら答えて、その続きを話す。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 さよと呼ばれる少女が金髪ツインなメイド二人に両脇を抱えられ、引き摺られるようにして店の奥へと消えて行く。その顔は涙に塗れ、絶望に染まり、小太郎に助けを求める視線を向けており……何処か哀愁を漂わせるものだった。

 ドナドナ、と言う単語(?)が小太郎の脳裏に浮かぶ。

 

「はあ、まったく要らない苦労をさせてくれるわ。逃げ出した事もそうだけど……ほんと全部元に戻すのに一体どれだけの手間とお金が掛かる事やら…」

「…しかし、さよ様も元はマスターの事を思っての事で。余りきつく当たられるのは…」

「駄目よウルズラ。何も私達への被害や工房の損害だけの事じゃないわ。もしあのまま魔力炉が暴走し、異界化の歪みが拡大し続けていたら麻帆良には大きな穴が開いていたんだから…! 多分、深さ100m、直径1kmぐらいの…」

「…! そ、それほど危険な状況だったのですかっ!?」

 

 何やら不穏な会話がなされ、白い少女のとんでもない話を聞いたウルズラという黒髪のメイドは表情を引き攣らせる。

 小太郎も詳細は判らないが、どうやら恐ろしい災厄が発生しかけていたらしい、と理解して表情を強張らせた。

 

(アカン、俺…もしかしたら、とんでもなくヤバイ所へ来たんちゃうか?)

 

 そう思わざるを得ない。

 

「とにかく、今後私が工房を留守にし、サヨを一人にする時はあの子から目を離さないようにして。勿論、私からもこんな事はもう無いようにきつく―――…ええ、とてもきつく言って置くけど」

「はっ、承知いたしました」

 

 主の言葉を受け、ウルズラは残されたもう一人のメイドと共に深々と頭を下げた。

 と、そこで小太郎の存在に今気付いたかのように視線が向けられる。

 

「悪いわね。見苦しい所を見せて、無視するような事になってしまって」

「あ、いや…」

 

 唐突に話しかけられた事や先程の騒動の事もあって、小太郎は意識が付いて行かず生返事をしてしまう。

 その戸惑いを理解しているのか、いないのか、白い少女―――イリヤは尚も話を続ける。

 

「貴方が今日こっちに来ることはツルコから聞いてる。でも続けて悪いんだけど、見ての通り今は立て込んでいてね。だから部屋は用意してあるから、そこで少しゆっくりして貰えると助かるわ。良いかしら?」

「ああ、うん。別にかまわへんけど…」

 

 尋ねられ、戸惑いが抜け切らない小太郎は思わず頷く。

 イリヤは了解する彼を見ると、何処かホッとしたような笑顔を見せた。

 

「そう、良かったわ。なら……ロッテ」

「はい」

 

 イリヤの呼び掛けに、ウルズラとは別のメイドが答える。

 

「休んでいる間、この子を貴方に付かせるわ。何か入り用が在ったら彼女に言って……それじゃ、お願いね」

 

 そう小太郎に言い、メイドにも言い付けるとイリヤはウルズラを伴って店の奥へと消えた。それを見送ると小太郎は自分の脇に立ち、消えた主の方へ頭を下げるロッテというメイドを見詰める。

 ウルズラと呼ばれたメイドと同じ黒髪だが、長さは首筋に当たる程度のショートで、容貌は冷たい印象しかなかったウルズラよりも幾分柔らかげだ。体付きも豊満なウルズラと正反対でスレンダーである。

 そこまで観察して小太郎は気付く。

 

(ん? コイツ…いや、あの他のメイド達も含めて全員人間やないな。もしかして人形…か)

 

 過去の経験からそう判断する。にしては異様に“良く出来ている”とも思うが。

 だが、それを考える前に頭を上げたメイドが小太郎に仰々しく言う。

 

「では、小太郎様。お部屋をお連れ……いえ、お部屋に案内致します」

 

 何か恐ろしげな事が起こりそうな言い間違いをしつつ、ロッテは小太郎を先導した。

 

 

 

 案内された場所は俗にいう屋根裏部屋だった。普通であれば物置にしか使われない部屋とも呼ばないような場所なのだが、

 

「申し訳ございません。本来ならば確りとしたお部屋を用意すべき所なのですが…」

 

 やはり仰々しく頭を下げてロッテというメイド(にんぎょう)は言う。

 

「何分、余っている部屋は仮眠室を除いて此処か地下にしか無く、地下は大半がマスターの工房施設ですので小太郎様を招くには多々問題が……危険もありますし」

 

 そう頭を下げて事情を説明するロッテだが、小太郎はこれといって不満は抱かなかった。

 確かに採光の窓は小さく、天井も低く、全体的にこじんまりとしているものの部屋の体裁は整えてある。清掃は十分行き届いており、埃は一欠けらも無く、清潔さを感じさせる白い壁紙が張られ、床には厚みのある薄緑色のカーペットも敷かれている。

 その他、家具や調度品も一通り用意され。恐らく突貫であったのだろう、真新しい配線の工事跡が若干見えるが、蛍光灯や換気扇は勿論、テレビ、エアコン、ミニ冷蔵庫などの家電まで在った。

 不満が出よう筈も無い。これまでの彼の生活水準を考えれば恵まれ過ぎているとさえ言えるのだ。

 小太郎は一つ大きく頷くと、申し訳なさそうにするロッテに答える。

 

「いや、十分やわ。これだけ立派なら不満は無いで」

「ありがとうございます。その言葉を頂ければマスターも安堵される事でしょう」

 

 ロッテはホッと息を吐くようにして頭を上げ、

 

「では、私は部屋の外で控えます。御用が在ればお呼び下さい」

 

 そう言うと、彼女はまた深く頭を下げて部屋を退出した。

 小太郎は、パタンと扉が閉まる音を聞きながら部屋を改めて見回した。用意された物に過ぎず、自らの手で勝ち取ったものでは無いとはいえ、“自分の為だけに在る部屋”という物を。

 

「なんか、夢のようやわ」

 

 こじんまりとした部屋が妙に広く思えて、気が付くとそう自然と言葉に出していた。

 

 

 

 イリヤの休んでいてという言葉通り、小太郎は与えられた部屋で寛ぎ、ベッドの上でウトウトと眠りこけていた。

 

「小太郎様。昼食のお時間です。マスターが食堂でお待ちしております」

 

 トントン、とノックの後にドア越しでそう告げる声が聞こえ、小太郎は浅い眠りから目を覚ました。

 眼を擦りながらベッドの脇に置かれた時計に視線を向けて、短針と長針が共に12の数字を若干越えているのを見。もうそんな時間か…と呟くと。

 

「分かった、今出るわ」

 

 そう、ドアの向こうに居るロッテに告げてベッドから起き上がった。

 

 

 

 ロッテに案内されたそこは、元は従業員の休憩室だったという凡そ12畳ほどの長方形の空間に大きな長テーブルが置かれた部屋だ。

 先程の待っているという言葉通りイリヤの姿は既にあり、テーブルに席を着いていた。

 

「改めてまして、こんにちはコタロウ。ロッテから聞いたけど、あの部屋を気に入ってくれたようで何よりだわ」

 

 小太郎はロッテに勧められて席に着くと、イリヤは挨拶混じりにそう口を開いた。

 

「ああ、少し狭いけど。なかなか良い部屋やったし、感謝するで」

 

 イリヤの言葉に小太郎は、少年らしい屈託の無い笑みを見せて素直に感謝を示した。

 そしてメイド達が料理をテーブルに並べる中、二人は話しを続ける。

 

「さて、知っての通り、私はツルコと同じく……いえ、実質、貴方の監察役をツルコに代わって引き継ぐ事になった訳だけど…」

「ん。剣聖の姉ちゃんから聞いとる、俺の立場が色々とややこしいからアンタのとこに押し付ける形になったって」

 

 ピクリ、と。小太郎が首肯して答えると、イリヤの右後ろに控えるメイド―――確かウルズラと言うんやったな―――が、何故か肩を震わせた。

 

「ええ、貴方にとって理不尽な事にね。貴方自身は気にしてはいないみたいだけど」

「何時もの事やからな。気にしてもしゃあないわ」

「……そうなんでしょうね」

 

 先程の笑顔のように屈託なく言う小太郎に、イリヤは何故か溜息を吐きながら相槌を打った。

 彼には判らない事だが「そう考え、捉えてしまう事その物が不幸だというのに、その自覚を持てない…いえ、忘れ、摩耗したと言うべきか」と。この時、イリヤはそう内心で呟き、哀れに感じていたのだ。同時にそうやって哀れむ事が、何の意味の無い同情や感傷だとも理解していたが。

 

「ま。とにかく、その事情から貴方の身柄を預かる事になったけど……とりあえず先ず言って置くわ。私は観察の役割を引き受けたけれど、別段、貴方を監視しようとも行動を縛ろうとも思ってない。妙な事をしない限り過度に干渉する気は無いわ。貴方も自分の立場を弁えているでしょうし……ね」

 

 そうでしょ? と、そう言うようにイリヤは小太郎を見据える。

 

「勿論や、今更アンタに言われんでもそれぐらい分かっとる。この東の連中にもそうやけど、西にも迷惑を掛けるような真似をする気はもう無いで!」

 

 やや探るような目線を受け、心外だと言わんばかりに小太郎は若干憤慨する。麻帆良に来てから似たような言葉を散々言われ、注意された為だ。

 その小太郎の言いようにまたピクリとウルズラは震える。

 

「ええ、それは信用してるわ。貴方は騙され易いだけであって、根は善良だし、賢くは無いけど、バカじゃないから」

「…………それ、褒めとらんやろ」

 

 小太郎はジト目でイリヤを見る。しかしイリヤは彼の視線を気にする事も無く、微笑ましげな様子で平然と言う。

 

「そんなこと無いわよ。常に真っ直ぐで、愚かしくも無く、男らしいって褒めているんだもの」

「…ホンマにそう思っとるんか?」

「ふふ、ホンマよ」

「……………」

 

 小太郎は憮然とする。イリヤの言いようにそれが本音なのか今一つ判断が付かないからだ。いや、むしろ小馬鹿にされているように思えた。

 イリヤはそんな小太郎の感情を察しているのか、いないのか。「さ、これ以上の話は後にして冷める前に食べましょう」と、並び終えた料理を目にしながら食事を促した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――そう、やっぱり“あのお母様”から私の事を聞いているのね」

「ああ、アンタが娘で、本当は二十歳近いらしいって事や“変わった魔法”を使うって事もな」

「……………」

 

 報告書などから小太郎が知る“完全なる世界”の情報を見聞きしてはいるが、それでも一応と言って尋ねるイリヤにそれを話すと、彼女は顎に手を当てて考え込む仕草を見せた。

 

「……私が見た調書には、貴方はその事に触れてなかったけど…?」

「あんま言う必要が無いって思ったからな。そもそも協会が訊いて来るのはあの連中に関する事ばっかりやったし……ってゆうか、本人が此処に居るんやからアンタの事はアンタ自身から聞けばいいだけやろ?」

「…………それもそうね」

 

 小太郎の言葉にイリヤは一応納得したらしい。ただ……若干、眉根は寄ったままだったが。

 その白い少女の表情に小太郎は勘違いをする。話した敵の事……“完全なる世界”の情報がほぼ皆無だからだ。

 そう、先の事件の際、フェイトに協力…いや、協力するフリをした彼だが―――だからこそ態度に出てしまった為に―――与えられた情報は殆ど無く。僅かに知っていたのはネギと明日菜、それとイリヤが標的であった事や京都の事件で雇い主であった天ヶ崎 千草が仲間に加わっている事ぐらいである……というか、フェイトが悪名高きあの“完全なる世界”の一員である事自体、事件後の聴取時に初めて知ったのだ。

 故に小太郎は、自分が満足に情報を持っていない事にイリヤは不満を覚えているのだと勘違いしていた。

 

「それで、他に私の事を何か言ってた?」

「ん? ああ! そうやな、確か―――」

 

 勘違いに気付かぬまま尋ねられた質問に、小太郎はふと脳裏に過るものが在り―――途端、犬歯を剝き出しにした笑みを見せる。

 

「アンタは恐ろしく強いから死にとうなかったら絶対に手を出すな! ヘルマンのオッサンに付いた特別な助っ人……あの黒い甲冑のバケモン…バーサーカーに任せろ!―――ってな事を何度も念を押すように言われたわ」

 

 そう、へへっ…と笑いながら小太郎は不敵に言った。

 その表情に浮かぶのは、新しい玩具を前にした正に子供のような期待に満ちた眼差しだ。ただ敵意に近い、好戦的なモノもその瞳の中で輝いているが。

 イリヤは呆れたように溜息を吐く。小太郎の意図を察した為だ。

 

「聞いた通りのバトルマニアね。何を考えているのか手に取るように判るわ」

「へっ、なら話が早いな。女は殴らん主義やったけど、楓の姉ちゃんや剣聖の事もある。女でも俺より強い奴は幾らでもおるからな」

 

 イリヤが“乗った”と思い嬉しそうに言う。すると感心したような声が返って来る。

 

「へえ、意外ね。もっと固執するものかと思ってたのに……なるほど、さっき言ってはみたけど、本当に愚かでは無いみたいね」

 

 その言葉は先程同様、小馬鹿にしたように思え。小太郎は先程と同じくムッとするものを覚えたが、しかし、

 

「ええ、貴方の言う通りよ。女だからと言って侮るのは良くないわ」

 

 そう言われ、口調から判断するにどうやらイリヤは本当に感心しているらしい。おまけに「これなら…驕りや慢心といった過信も早々に矯正されるかもね」などという何処か期待が篭った小さな呟きも耳に入る。言った本人は聞かれていると思ってないようだが、狗族の聴覚では十分捉えられる声量だ。

 その言葉に引っ掛かる物を覚えたが……小太郎としては中々痛い指摘だった。

 京都の時と言い、先の事件と言い、それら驕りや慢心…つまり過信が原因で不覚を取ったのだ。幸いにも前者は甘ちゃん(ネギ)が相手であり、後者は殺意が無かったお蔭で最悪の事態にこそ成らなかったが。正直、このままでは拙いと思っている。何れ致命的な事になるであろうと。

 だから、ムッとした反発や奇妙な引っ掛かりを覚えたものの言葉を返せなかった。指摘が的を射てる上に自覚こそ在れど、改善…イリヤの言葉を借りれば、矯正できる自信が無いのもある。

 

(…性格つーか癖と言うか。ホンマ、自覚はあるんやけど……)

 

 生来の気性ゆえの自らの浅はかさに落ち込み掛け……内心で慌てて首を振る。アカンアカンそれよりも、と。イリヤを見ながら。

 

「そや、アンタの言う通りや。女ゆうてももう油断はせんし、強いんなら遠慮もせえへん。さあ、勝負や!」

 

 ネギとの再戦をお預けされた分や「忙しゅうて、相手をする暇がありまへん、」と断られた鶴子の分をぶつける様に、小太郎は指を突き付けて言い放った―――が。瞬間、ブチッと何かが切れる音が聞こえた気がし、

 

「無礼なッ!!」

 

 怒声が食堂に響いた。

 

「黙って聞いていれば何処までもつけ上がって…! たかがハーフの……下等な人狼(ウェアウルフ)の分際でマスターに対して何という口の訊き方! 何という態度! いい加減、我慢の限界です!」

 

 先程から小太郎が口を開く度に肩を震わせていた人形(メイド)ことウルズラが吼えるよう言う。何時も無表情である顔を憤怒に歪めて。

 

「ウルズラ、私は別に―――」

「―――成りません! 幾らマスターの御意志でもこれだけは譲れません。彼には己の立場を……高貴なる御方との、イリヤ様との確固たる差……格の違いを理解して頂かなければ…!」

 

 諌めようとするイリヤの事を制してウルズラは尚も言う。

 

「斯様に下賤な者が千年の歴史を有する魔術の大家…由緒正しい貴族であるイリヤ様と対等に口を聞き、好き勝手振る舞うなど! 許されざる事です! そう、例え古の神々が許そうとも、我らを造りし“偉大なる主(グランドマスター)”が許されようとも、この私が許しません!!」

「ウ、ウルズラ……」

 

 イリヤは唖然とし、頭痛を堪えるように額を抑える。いや、実際本当に頭痛を覚えているのかも知れない。小太郎の耳に「……なんか既知感が…ちょっと前にどこかで聞いたような台詞ね」という呟き声が入る。

 

 小太郎が後に聞く話だが、この時イリヤは、ウルズラがこのような選民思想の持ち主だったとは…と。驚くと共に呆れていたらしい。加えて言えば、堅物で融通の利かない性格であるのは判っていたが、その根はそこから派生したモノのようだ、との事で。云わば高貴なる者は斯在るべしと、その風格に相応しい正しい規律を持ち、下々の者はそれを規範として高貴なる者を敬い、従うべきだ―――と。まあ、そのような思考が根付いているのだ。

 無論、そんな理屈が現代の世に通じる訳も無い事は彼女とて承知しており、大抵の事は受け流すか、許容出来るのだが、小太郎の不躾な態度は―――むしろ相性的なものなのかも知れないが―――その限度を容易く踏み越えたのである。

 

「ハッ! 許さんてゆうなら、どうするちゅうんや! 俺はなんも悪い事をしてへん、普段通りの態度で話をしとるだけやで。―――な、お人形はん」

 

 一方、小太郎にしてもカチンと来るものがウルズラに対して在った。その見下し切った視線や目上過ぎる言葉……これまでの生活から慣れっこである筈の侮蔑と差別がこの時、無性に頭に来たのだ。

 魔法使いの道具に過ぎない人形風情が!…という考えもあっただろうが、何よりも“自分の為の部屋”を用意してくれ、分け隔てなく“人間(ヒト)”として扱ってくれ、良い気分に浸っていたのが台無しにされた。それもよりにもよって楽しみにしていた“勝負”を邪魔するようにして、だ。

 

「敢えて言うまでもありませんが。素行が悪く、家畜程度の頭しかない貴方には特別に判るように言って差上げましょう。当然、身を持って判らせるのです!」

「!―――よう言った…上等や! 相手になってやる! 判らせられるもんならやってみい木偶人形ッ!」

 

 明確な敵意を見せるウルズラに、小太郎は勢いよく席を立つと同じく敵意を持って応え―――彼女を鋭く睨んだ。

 ウルズラは嘲笑う。

 

「ふっ、その言葉せいぜい後悔しないように。己の然るべき態度というものを肉体のみならずその魂にまで躾け、刻み込んでさし上げます。……ロッテ。貴女も付き合いなさい」

「え!?」

 

 突然、話しを振られて小太郎の背後、扉の傍で待機していたロッテが驚きの声を上げた。

 その顔には、何故私まで…? と書かれていたが、ウルズラは気に留めずに告げる。

 

「貴女も高貴なるイリヤ様に仕える従者なのです。なら無礼な客人……いえ、居候への躾は当然の仕事でしょう」

「はぁ……分かりました姉さん」

 

 言葉通り、さも当然の如く言う姉にロッテは仕方なさげに頷いた。尤もさほど躊躇が無い所を見ると彼女もまたウルズラと同じく小太郎の態度に思う所が在ったのかも知れない。

 それに小太郎はさらに意気込みを見せて不敵に笑う。

 

「2対1か…へっ、木偶人形相手ならそれぐらい楽なもんや。なんならもっとハンデ付けてええで、イリヤ相手の前の準備運動ぐらいになって貰わんとつまらんからな」

 

 あからさまに挑発だった。その言葉にロッテは本気に成ったようで小太郎の方を厳しい視線を向け始めた。

 バチバチと火花が散ってもおかしくない3つの視線が交錯して食堂は険悪な雰囲気に包まれるが。イリヤはそんな中で考え込むように黙り込み―――彼と従者(メイド)達の決闘を認める。

 

「ふう…仕方ないわね、水を差すのもなんだし……いいわ。なら外に出ましょう。貴方の力もどれ程の物かこの際見せて貰うわ」

 

 そう、小太郎を観察するように見ながら言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……メイドさん達と決闘って…」

 

 小太郎の話を―――勿論、口止めされたイリヤの年齢の事や、表沙汰に出来ない工房暴発未遂の件(通称・さよクライシス事件)は伏せている―――聞いたネギは、またも唖然と……いや、呆れたような顔をした。

 

「んな顔するな! あっちから喧嘩を吹っかけて来たんやぞ!……俺は普通にしとっただけやのに」

「あ、うん…コタロー君の気持ちも分からなくは無いけど、でも先にイリヤに喧嘩を売ろうとしたのは小太郎君だし、それもこの家でお世話になるっていうのに……幾ら何でもソレは失礼じゃないかな?」

 

 うーん、と腕を組んで悩ましげにネギは言った。

 その指摘に小太郎は呻いた。そして考える。今にして思えば、確かに失礼だったと。これから世話になる身でありながら畏まりもない態度であったと。

 まだ一週間程度ではあるが、この家と麻帆良で不自由なく恵まれた生活を送れたのは、間違いなくイリヤを始めとした彼女達のお蔭だ。しかもそれをただ享受する立場でありながら―――

 

(―――うん、確かに無いわ、あの態度は。こんな立派な部屋も用意してくれとったのに……ウルズラが怒るのも無理ないな)

 

 今居る部屋を見回しそう胸の内で呟く。あの時にその事に思い至らなかった事に悔恨を覚えて。

 だが、一応小太郎を弁護すると。これまで独りで誰にも頼る事無く一匹狼で生きてきた彼にして見れば、余計なお世話だという思いもあの時にはあったのだ。

 原作でも麻帆良で暮らす事と成った直後、ネギに独り暮らしする旨を告げて「仕事すれば食い扶持ぐらい稼げる」と言ったように。そういった苦労を当たり前として来たが故、独りでも何とか出来るという自立心…もしくは、自負が年齢不相応に強いのだ。

 その為、感謝の念がありながらもそれを受け入れる事に反発を覚えてしまい。物乞いのように施しをされていると侮辱も感じたのかも知れない―――あの時は。

 

「それで、その後はどうなったの?」

 

 反省し考え込んでいると、ネギが話の続きを尋ねて来た。

 小太郎はそれにバツが悪そうな顔をする。そうつまり決闘の話をする事になるのだ……が、小太郎は盛大に溜息を吐く。

 

「どうにもならんかった」

 

 そう、無念そうにも恥じ入るように言って。

 唐突な言いように当然、ネギは首を傾げる。

 

「? それってどういう意味…?」

「そのまんまや、どうにもならんほどコテンパンに負けたんや」

「え? ええっ…! ま、負けたの!? コタロー君がッ!!」

 

 溜息を吐く小太郎に、ネギは信じられないとばかりに大きく驚きの声を上げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギが初めてエヴァの修行を受け、イリヤが高音と愛衣コンビと模擬戦を行った麻帆良学園の旧市街区。

 朽ちて崩れ、かつて建物であったものが並ぶ廃墟と化した一帯で小太郎はハウスメイドドールと対峙した。売られた喧嘩を買うように意気揚々と挑んだ決闘―――だが、

 

「―――ガッ!?……くっ、このッ!」

「甘い!」

 

 腹に重い剣戟を受け、それでも踏ん張り反撃を試み…左から鋭く伸ばした爪を懐に居るウルズラに振るうも、上体を逸らすようにしてアッサリと避けられ―――

 

「ふっ!」

 

 上体を逸らすと同時に地面から振り上げられた足…鋭い蹴りが小太郎の顎を捉えた。

 

「―――ッ!!?」

 

 顎から頭の芯まで衝撃が伝わり、小太郎は宙へ跳ね上げられながら仰け反り―――受け身も取れずに背中から地面に倒れた。

 卓越した戦闘技能と言う他なかった。己よりもずっと小柄な小太郎の懐へ姿勢を低くして飛び込み、そんな姿勢にもかかわらず膂力と体重を十分に乗せた一撃を入れ。さらに咄嗟の物とはいえ、出された反撃を一撃振り抜いた直後であるのに、余裕で且つ予測していたかのように避けて逆に反撃に繋げたのだ。

 そこには人形であるが故と言うべきか、迷いと澱みが一切無い冷静且つ的確な動作と対応力があった。

 

「なるほど、確かに年齢に見合わない見事な体捌きと気の練りですが―――それだけですね。その場その場で一応考えて動いてはいますが、荒々しさが目立ち本能的過ぎます。人狼(ウェアウルフ)ならではの動物的勘の良さと反応の高さを頼りにした戦法なのでしょう。しかし猛獣、魔獣の類との戦闘を多々経験している者なら十合も交えれば、十分に対処し切れるレベル(ていど)の未熟さです」

 

 倒れた小太郎を見下すように見据えてウルズラが言う。

 

「…況してや“最強”と謳われるグランドマスターに造られた人形達(わたしたち)であれば、その半分…五合もあれば済ませられます。まあ、此度は実戦ではありませんので少々様子を見させて頂きましたが―――ふう、しかし、この程度とは正直呆れました。もう少し善戦できると思っていたのですが。この程度でどうしてマスターに挑もうなどと考えられるのか……イリヤ様の力の一端は目にしているでしょうに」

 

 呆れながらも心底不思議そうに彼女は首を傾げる。小太郎の持つ価値観を今一つ理解できない為だ。そういった戦闘狂という趣向を持つ人間(やから)がいる事自体は認識してはいるのだが。

 

「……く、くそ…」

 

 ウルズラの聞きようによっては叱責とも言える言葉を耳にし、小太郎は悪態を吐き。まだグラグラと揺れる頭で考える。

 油断と慢心は確かに在った。

 魔法使いのたかが小道具に過ぎない人形が相手であり、力量も気配や立ち振る舞いから計る事が出来なかった為と言うのもある。しかしそれは言い訳にはならない。癖のようなものだとはいえ、自覚し矯正しようと心掛けていた矢先の事だし、決闘を始めて幾合か剣と拳を交え、手強さを認識した後は獣化こそしなかったが、それでも本気で挑んだのだ。

 それが全て通用しなかった。

 遠間からの気弾は、躱され、切り払われ、掠りもせず、牽制にもならず。近接では狗族が持つ敏捷性と小柄な体格を活かし、分身まで使って攪乱を仕掛けたが……ヘルマンにも通じたそれは人形故の冷静さに動揺を誘えず。その上、体格的にある意味、優位で在る筈の“避け易さ”“捉え難さ”も、自慢の“速さ”とそれを活かした連撃(ラッシュ)も、それ以上の敏捷力と反応と何よりも“巧さ”で上回られた。

 しかも一方的になり過ぎた為に、途中から2対1から1対1(サシ)で向かい合うという“気遣い”までされた。

 

(在り得へんやろ…こんな人形に、道具なんかに…負けるやなんて……)

 

 思わぬ結果とその戦闘経緯に内心で愚痴る。

 そう考える小太郎には判る筈も無かった。

 

 最初期型であるチャチャゼロから代々継承し蓄積された数百年に及ぶ戦闘経験と、その膨大な年月と共に世代を重ねて発展・改修されてきた人形の性能。その二つが合わさって生み出された彼女達の力を。

 たかが人形だと、魔法使いの造った道具だと言い切るには、それは余りにも規格外の存在なのだ。

 

 それが判らないからこそ彼の受けた衝撃は大きかった。本来なら雑兵に過ぎないそれに及ばず、敗北した事実は文字通り天狗になっていた鼻を折られたようなものだ。

 

 だが、

 

 一方でウルズラにしてみれば、彼の敗北は当然のものであった。

 そう、彼女にとっては小太郎の方こそ雑兵に過ぎないのだ。

 ウルズラは……いや、彼女達“チャチャ・モデルシリーズ”は、彼の“最強の魔法使い(ダークエヴァンジェル)”が手ずから制作し、その眷属に名を連ねる擬似的ながら“魂”をも持つ人形なのだ。

 そう、ビスクドール以前のマネキン人形の発祥とほぼ時を同じくし、現代に於いて“魔法人形の礎”とも言われる“吸血姫(ドールマスター)”が生み出した技術を穢れなく純粋に継承した“姉妹(じぶんたち)”を、有象無象の魔法使いが扱う“紛い物”と一緒にされるなど大きな侮辱である。況してや人狼の小童風情に敗れ、後れを取るなど先ず在りえない。

 故に、そう自負する彼女にとってこの結果は当然であり、別段誇るべき事でも、自慢すべき事でも…否、それ以前に勝利という程の物ですら無かった。

 ただグランドマスター(エヴェンジェリン)が認め、自身も仕えるに値すると忠を誓った高貴なるマスター(イリヤ)に無礼を働いた分を弁えない野良犬を、躾を兼ねて懲らしめただけ。

 

 それだけの事だ。

 

 

 

 倒れ、ウルズラの見下した……侮蔑の籠った視線に小太郎は歯噛みする。

 そんな眼で見られるのは、普段の事で、今更で、とうの昔に慣れっこだ。しかし、

 

(……………)

 

 それは、そういった眼をする奴らの大半は大したモンやないと、自分の方が“強い”のだと、“弱い”連中の負け犬の遠吠えだと、そう思えたからだ。

 そう、生きる為に日々闘争のような毎日を過ごし、何度も何度も地に伏し、血反吐を吐き、死の淵に落ちかけても足掻いて這い上がり、力を付けて“強く”なり―――ある時にふと、それに気が付いたのだ。

 強ければ、侮られる事は無く。差別されようと軽んじられる事も無くなり。何よりも“劣った(よわい)”連中の声なんぞ気にする必要は無いのだと。

 それを理解した時、小太郎の価値観は決定付いた。

 

 ―――“強さ”こそが、この世界で誰もが認める絶対不変の真理なんだと。

 

 十に成るか成らないかの、その短くも過酷な人生で“強さ”を誇る事で自身の価値を示し、日々の糧を得、馬鹿にする連中を黙らせ、襲い来る脅威を払い除けて来た事から小太郎はそう結論していた。

 故に拘った。喧嘩や闘争という単純な力比べに。どちらが上かどちらが下かという強者と弱者の序列に。勝者と敗者という立場に。

 だから、だから―――

 

(認めへん…! こんな簡単に認める訳にはいかん!)

 

 “弱さ(負け)”を認めるという事は、相手に…それとも他所の“誰か”に―――何時か何処かで、薄汚い半妖(ハーフ)の子供だと自分を嘲笑った“誰か達”に侮蔑される事を、差別される事も認めるという事なのだ。彼にとっては。

 そこに矛盾があることは承知している。剣聖と讃えられる鶴子やアイリが従えるバーサーカーという怪物染みた存在や、近右衛門やタカミチを始めとする麻帆良の実力者などの“本物”には及ばない事は理解している。

 しかし実際に戦った訳ではないし、“負け”を認めた積もりは無い。第一、仮に戦い負けたとしてもそれらの人物達(ほんもの)は自分の実力を認め、決して“弱い”とは捉えない―――その筈だ。

 けど、

 

(コイツは違う、この人形はそうは考えん。このまま負けを認めれば、“弱い奴”だとしか俺を見下さへん)

 

 ウルズラの己を見る目線から小太郎にはそれがよく分かった。だから―――

 

「まだ、や…!」

 

 自らのアイデンティティを守る為に脚に力を入れ、未だグラつく視界を堪えて立ち上がりウルズラを見据えた。

 

「ほう―――」

 

 小太郎の闘志の衰えぬ視線を受けてウルズラと―――見守るイリヤも声を漏らした。ただその声色には随分と温度差があったが。

 

「往生際の……いえ、頭の悪い犬ですこと。そこらの野良犬ですら彼我の戦力の差を理解できるでしょうに。ま、だからこそ駄犬なのでしょうが」

 

 ウルズラは心底呆れた様に嘆息する。

 

「そもそも、まだ…と言いますが決着は明らかです。実戦であれば、先程貴方が倒れた時点で止めを刺していますし、それ以前にこの私が手にする剣が刃挽きされず、本身であれば、とっくに貴方は四肢を失い、胴が二つに分かれています」

 

 そう言うと、ウルズラは見せ付ける様にヒュッと左右二対の剣で空を斬り、華麗に舞うように素振りをしてみせる。一流の剣士にも劣らぬ見事な剣筋だ。

 しかしその手に在る刃渡り60cmほどの長剣は彼女の言う通り、刃は潰れて輝きは若干鈍く、見る者が見れば何の迫力や脅威を覚えないものだ。

 もし実戦であれば、それはイリヤ謹製の真銀(ミスリル)の魔剣に代わり、繰り出される剣戟は小太郎程度の気の練りでは一撃であろうとも耐えられなくなる。場合によっては『アーチャー』の力による投影宝具を使う事もあるのだから尚更だろう。

 

「ッ…」

 

 小太郎は口を悔しそうに噤んだ。ウルズラの言葉が正当なものだと思ったからだ。そう、基本的に戦いに二度は無い。実戦であれば尚の事だ。

 例外があるとすれば、引き分けるか、負け切る前に無様であろうと逃げ延びるか。もしくは―――小太郎は悔しげな顔を引っ込めると、一転して不敵に笑う。

 

「…せやな、確かにアンタの言う通りや。俺は倒れ、実戦やったら致命的な隙を晒した。けど、アンタは“見逃した”。勝ったと思い込んで止めを刺さそうともせんかった」

 

 小太郎の言葉にウルズラは眉を微かに寄せる、その言葉の意味に気付いて。

 

「……なるほど、それも道理です。己の力を過信し一時の勝ちに―――優位に驕り、止めを怠る事は実戦でも十分に在り得えます」

「そうや。ついでに言うと、その手に出来る獲物かて今のように万全のモンとは限らんやろ……ま、屁理屈やけど、な」

「ふ、いえ…貴方の言う通りです。確かに武器を常に携行している訳ではありませんし、『取り寄せ(アポーツ)』も妨害される事はあるでしょう。仮に近場に代わりになる物があったとしても、マスターの製作される物に並ぶものなど都合良くないですし…」

 

 何が琴線に触れたのか、ウルズラは微かに笑みを浮かべて小太郎の指摘に同意した。

 

「しかし」

 

 笑みを消し、再び構えを取りながらウルズラは尋ねる。

 

「その想定で敗北を免れ、こうして仕切り直したとして。貴方と私の間に在る力の差は明白です。これを覆すのは容易ではありませんが…さて、どうなさるお積もりです?」

 

 見据えるウルズラに小太郎は沈黙し、直ぐには答えられなかった。

 正直に言えば手は無いのだ。悔しさと認められぬ矜持から立ち上がりはしたものの、勝つビジョンは全く浮かんでこない。

 我武者羅に突っ込んで行ったとしても先の二の舞であるし、獣化してもせいぜい2、3分長く持ちこたえられるかどうかだろう……いや、それも怪しい。先程までの戦いを見るにウルズラは随分と余裕があったのだから。それ程までに自分と彼女の戦力差は大きい。

 それでも諦める気は無く。結局一か八かで今度は初っ端から獣化で我武者羅に…と、分の悪い賭けに出ようとし―――

 

「―――そうね」

 

 と。

 静観していた白い少女が口を挟んだ。

 

「マスター?」

「ウルズラの言う通り力の差は明白。なら条件を代えましょう」

 

 口を出した主に怪訝そうな表情を見せるウルズラに、口を出した本人は構わずに言う。

 

「一撃よ」

「は…?―――! それはもしや…!」

「ええ、この勝負は一撃でもウルズラに入れられたら、コタロウの勝ちとするわ」

 

 イリヤの出した突飛な言葉に一瞬、ウルズラは唖然とするも直ぐにハッとその意味を察し、イリヤはそれに頷き答えた。

 

「ちょっ!? 待てや! そんな勝手に―――」

 

 思わぬ横槍に小太郎はつい抗議の声を上げるが、

 

「―――受け入れなさい、コタロウ」

「ッ!!」

 

 白い少女の鋭い視線とその有無を言わせない迫力に黙らされた。

 

「事実として貴方はウルズラ一人にどうあっても及ばない……少なくとも今はね。なら…及ばないならば、戦力に埋めようの無い差が在って対等の勝負にさえならないのであれば、その差を縮める為の、対等と成る条件を付けるしかない」

「……それは…やけど…」

「ま、貴方の気持ちは大体察しが付くし不満も判るけど、これはこれで実戦でも在り得る事なのよ。一撃当てるだけで致命的なダメージやら状態異常(バッドステータス)なんかを与える魔法具は現実に存在するし、特に人形であるウルズラ達には、天敵と成る武器は結構多いしね。実力が及ばない以上、そういった手段で戦力差や不利を補うのは戦いの基本でしょう」

「……………」

 

 イリヤの提案と言葉に小太郎は即座に反論できなかった。

 白い少女の言う通り不満は色々ある。横槍された事自体そうであるし、道具やらの手段に頼り力の差を埋めるという事への忌避感もある。卑怯だとか男らしくないだとか、そんな思いがあるが……手前勝手に屁理屈を並べ、負けを認めなかった引け目があった為に否定し切れない複雑な感情もあった。

 第一、実際そういった手段(じょうけん)が無ければウルズラには勝つ所か足元にも立てないのだ。

 

「………………………せやな」

 

 長い沈黙の後で小太郎は頷いた。

 よくよく考えるまでも無く。これまでに彼は何度も汚く、石に噛り付いてでも生きる為に“勝ち”を拾ってきた。真っ向勝負にのみ拘るなんぞ今更だ。

 ハッと息を吐き、迷いを振り払うように小太郎は意気込みを高めた。

 

「納得したようね」

 

 イリヤは微笑ましげに言い。この決闘に勝機を見出した彼の中に灯った闘志を更に燃え上がらせる燃料を投じた。

 

「そうそう。そういえばネギも少し前に同様の条件で格上の相手に勝負を挑んで――――勝って見せたわよ」

 

 と、そう告げて。

 

「―――!」

 

 一瞬脳裏にライバル視する同い年の赤毛の少年の顔が浮かび、落雷を受けたかのように硬直し眼を見開き。次の瞬間には口角を吊り上げ、

 

「へっ…なら俺も負ける訳には行かん、なっ!」

 

 獰猛な笑みを浮かべて構えるウルズラに向かって地を蹴った。

 

「うおおらあああっ!!」

 

 勢いよく飛び込んだものの当初の予定と違い獣化は無し、機を見て確実な一撃を入れる為にも体力を温存する積もりだ。

 

「―――おおおおおっ!!」

 

 だが慎重に悠長に様子見に徹しても駄目だ。こんな経験が豊富そうで堅実な相手にそれをやるのは愚策。却って状況を良いように制御されて気付かぬ内に詰みかねない。

 だから攻勢を止めず、相手の手の内に踊らされないようにしなければ――――そう考え、小太郎は拳、足、肘、膝、肩、頭。五肢のすべてを駆使して猛攻を続ける。

 先程の焼き直しのようなものだが、その前の戦闘で唯一有効そうであったのが、この無謀とも言える近接でのラッシュだったのだ。

 

 だが、それ故にウルズラにとってそれは予想出来た展開だ。

 

 彼女は面白げもない様子でさして意味も無い小太郎の猛攻を受け止め―――

 

「―――ハァァアッ!」

 

 彼の五肢を駆使した猛撃を両の剣で捌き、余裕の動作で容易に見出せた相手の間隙に剣戟を叩き込む。

 先と同様、姿勢を低くして懐に入り、小太郎の腹目掛けての払い。それを―――

 

「―――グッ!?」

 

 反応も出来ず、防御もままならずに受け……しかし、先と異なり踏ん張らずに痛みと衝撃に持ってかれそうな意識を引き留め、耐えて、剣戟を受けた勢いを利用して後方へ大きく飛ぶ。

 グラついた態勢でこの場に留まるのは危険だと判断したからだ、が―――

 

「甘い…!」

 

 やはり読まれていたのだろう、下がる小太郎にウルズラは直ぐに追撃を掛け、彼が着地する前に距離を詰めて一気に叩き込もうとし、

 

「―――!」

 

 その彼と彼女の間に出来たほんの僅か数mの距離の間に突如、壁となるように“無数の小太郎”が現われた。

 

「分身!?―――ですがッ!」

 

 一瞬虚を突かれたように見えたウルズラだが、そこはやはり人形。冷静に対処し眼前に現れた分身を瞬く間に斬り捨てる。剣戟をまともに受けて気の練りが不足した事もあるのだろう。一秒と持たずに5体いた分身は全て霞のように消える。だが、

 

「オラァッ!」

 

 その秒にも満たない時間で持ち直したのか、小太郎は分身を切り裂きできたウルズラの僅かな隙を逃さずに瞬動で接近し、最小の動作で最速の一撃たるジャブを打ち込む。威力も碌に無い軽い拳だが、件の勝利条件ならば、これだけで十分である……が―――

 

「―――…ふ」

 

 これも予想範囲で在ったのだろう。最良のタイミングで放たれた最速の一撃は予期していたかのようにあっさりと左の剣で弾かれ―――逆に喉目掛けて右の剣から突きが放たれる。ジャブを放った直後……いや、ほぼ同時の見事なカウンターの為、これは、

 

「! や―――」

 

 ヤバ…と言い掛けて彼は声を上げる事が出来なくなった。

 

「―――――!!!!」

 

 決闘を始めて受けた中でも最大の痛みと苦しみに小太郎は喉を抑えて悶え、地面に転げ回った。当然だ。幾ら刃挽きされた剣とはいえ、その先端の鋭さは殆ど変わらないのだ。

 気のよる防護が在っても貫かれていてもおかしくは無い。だが苦しみ、痛みに悶えている暇は無い。ウルズラが両の剣を逆手に持ち返るのを視界の端で捉えたからだ―――直後、

 

「~~~~!!」

 

 声なき声を上げてその身を捻り、地面を穿つ二本の刃を躱す。ドスッというよりもドガッと重い音を立てて直ぐ近くの地面に刃が突き刺さる音を聞く。しかし実際に突き刺さったのかを確認する余裕は無い。

 捻る勢いに任せて小太郎は瞬時に起き上がる。

 

「ぅ…ゴホ…ッ、い、幾ら何で…も、よ…容赦無さ過ぎやろ!」

 

 漸く声が出、咽ながらも小太郎は抗議の声を上げる。本気で殺す気なのかとでも言うように。

 ウルズラは地面から突き刺さった剣を抜きながらフッと笑い。

 

「何を今更、真剣勝負なのですから当然でしょ―――」

「―――ゴメン、私もちょっと引いた。遠慮しないのは良いんだけど、喉を狙うなんて……それも殺傷力の高い突きで。もしかして殺す気満々なのかと疑わざるを得ないわ」

「―――! マ、マスター…そ、そんな、誤解です!」

 

 観戦するイリヤがジト目に成るのを見てウルズラは酷く動揺する。その脇に控えるロッテも同意するように何度もコクコクと頷いていた。

 

「…………」

 

 出来た相手の思わぬ隙に小太郎はこのまま攻めるか少し悩むが……いやいや、それは流石にアカンやろ、と内心で首を振る。そう若干迷い躊躇していると、何故かキッとウルズラが小太郎を恨めしげに睨んだ。

 

「くっ…貴方の所為でマスターに余計な誤解を与えたでは無いですか! あの程度のカウンターぐらい避けて見せなさい。もしくは耐えなさい。世の中には一流の戦士が振るう剣やら槍やらを幾ら受けても平然としている人間が一人ぐらいはいるのですから!」

「な…無茶言うなや!…っていうか、何やその理不尽な八つ当たりは!?……つーか、それは誰や!? って一人しかおらんのやろ! どんな人間やねん!? いや、気の練りを極めれば出来ん事も無いのかも知れへんけど…!」

 

 ぐぬぬ、と睨み襲い来るウルズラに対応しながら、小太郎は理不尽且つ意味不明な彼女の言葉に関西人の性から突っ込まざるを得なかった。

 幸いにも人形らしくなく冷静さを欠いているので、何とか捌く事が出来たが―――それも冷静さを取り戻すまでだった。

 

 

 どれほどの時間が経過したのか、少なくとも二時間近くは経って居る筈だった。

 

「……粘りますね」

「ハァ、ハ…ァ、当たり前や。負ける訳には行かんのや、アンタみたいな見下した視線の奴には…」

 

 荒く息を吐きながら小太郎は答える。

 

「そ、それにアイツが……ネ、ネギの奴が、同じ条件で勝ちを拾ったって言うんやったら、やったら……お、俺かて」

 

 それ以上の言葉は口から出せなかった、呼吸する事自体もそうだが、喋る事は尚も苦しいし、疲れるのだ。

 

「…………なるほど、その信念は認めます―――が、手は抜けません。いえ……それで手を抜かれても貴方は嬉しくはないのでしょうね」

「………」

 

 ウルズラの言葉に声を出さずに首を僅かに動かして答える。

 正直な所、こうして呼吸が整うのを待って貰っているのだから“手加減”はされているのだろう。

 だが、小太郎はそれを非難しようとは思わなかった。彼女がこの決闘に真面目に応じ始めているのが何となく感じるからだ。

 だから、そうだから……ある意味、小太郎の目的は達していると言えた。ウルズラは小太郎を見下す態度を改めてはいないが、それでも“雑兵”や“弱者”などから一端の“戦士”だと、“強者”たる資格を持つ見込みある少年だと、この決闘を通じて認めたのだから。

 しかし、それとこれは別だ。小太郎が認められようと、認められまいと勝負である以上は決着を付けなくてはならない。

 

 整ってきた呼吸に更に意識を集中し、下腹部の丹田と呼ばれる場所に入って来た息吹(ちから)を流す。

 丹田でまるでエンジンの回転のようにグルグルと回る熱い“流れ”を腹部から徐々に上へ上へと通し、心臓、額に達した所で全身へと行き渡らせる。

 “気”と呼ばれる不可思議な神秘の力。それが全身へと廻り、更に高まったのを感じると。今度は決まった“式”を描いて一部“在りよう”を変える。

 それを自らと相性の良い影を通じて、地面へと周囲へと伝えてソレを完成させる。

 

「また分身ですか、一つ覚えと言いたい所ですが……この短時間でよくもこう錬度と密度を上げられるものです。疲労も蓄積しているでしょうに」

 

 出来上がった“(カタチ)”を持った“気による影”を見、ウルズラは心から感心した。

 彼女がそういった態度を見せるのも無理はないだろう。この長くも無い時間で小太郎は巧みに分身を使いウルズラの鋭い剣戟を凌いできたのだ。

 そう、防御を無数の分身達に一手に引き受けさせ、或いは遠間からの牽制に振り分け、時には相手の動きを封じるようにし、小太郎(ほんたい)は近接での攻撃にのみ徹してウルズラを攻め続けた。

 この戦法を使った当初は、分身は碌にウルズラの動きに付いて行けず、一撃も捌けず、壁にも成れずに霞と成っていたが、時間を経るごとに……それこそ秒を重ねる度にその動きは鋭く成り、ウルズラの動きと剣戟に対応し始め、上がった密度は数度の剣戟を耐えるほどの“固さ”を分身に持たせていた。

 その上、小太郎自身の“気の廻り”は変わらず、練りも2、3段ほど繰り上がっているのだ。

 

「まるでどこかの戦闘民族ね。それともこれが狗族の持つ性質…いえ、コタロウの才能なのかしら?」

 

 観戦していたイリヤもそう思わず唸らずにいられない程の成長ぶりだ。

 その脳裏では彼にとっての修行が実戦を重ねる事らしいとの魔法世界編(げんさく)記憶(きろく)が過ぎり―――狗族は本当に漫画的な戦闘民族なのかも知れない、等と半ば本気でそう思っていた。

 

「……とはいえ、もう限界でしょうね、これ以上は身体が持たない。頑丈な狗族であろうとも」

 

 イリヤのその言葉通り小太郎は限界だった。いや、とうに限界など超えている。二時間にも亘る戦闘と気の酷使と、受け続けたウルズラの剣戟で身体は内外共にボロボロだ。如何に生命力が高く、自然治癒力も高い狗族であろうとこれ以上の無理は確実に後遺症が出る。

 その為、イリヤは次の激突がどのような結果になろうと止める積りだった。例え小太郎が勝利を得られず立ち上がり、尚も決闘の継続を望もうともだ。

 

 

「…………」

「…………」

 

 対峙する二人は機を見計らうように互いの姿を見る。

 衣服の彼方此方が破け、見える肌は痣や擦り傷だらけの小太郎。対して決闘を開始した頃と変わらぬ完璧な従者姿のウルズラ。

 小太郎もウルズラも次が最後だと判っていた。イリヤが見立て通り、小太郎の身体が限界に達するに余りある状態だという事から。

 

「いくで―――!」

「ええ、いざ―――!」

 

 間を合わせる様に互いに声を掛け合う。

 小太郎は何時もの我流スタイルで拳を掲げて構え、ウルズラはだらりと両手を下げた構えとも思えない構えを取り、

 

「「勝負」や!!」

 

 瞬間、両者の立つ地面が爆ぜた。二人の踏み締める力を受け止めて土が勢いよく舞う。まるでロケットの噴射炎のごとく二人の吶喊に力を与える様に。

 

「―――!」

 

 速い…! と。ウルズラは此処に来て小太郎の速度が尚も段違いに上がった事に内心で驚愕する。見ると小太郎の姿が今までの物と異なっていた。

 体格が二回りほど大きく成人男性並みと成り、ボロボロだった衣服が更に破れて、鍛え抜かれた鋼のごとき筋肉で身体が盛り上がっている。髪もすっかり変わり、何処か人の物と異なる艶と色を帯びて長さも腰下まである。よく見れば腕や足の体毛も伸びており、薄い手甲や足甲を身に付けた軽戦士のような印象があった。

 

 ――――獣化!

 

 限界を超えた身体で切り札を切った事にウルズラは、心中で驚き以上に不安が擡げる。同時に怒りも。

 幾ら真剣な勝負とはいえ、こんな所でこんな無茶をするとは! これでもし後遺症が残るような事になったらどうするのか! こんな一戦で己の将来を捨てる気なのか! マスターにまた要らぬ心配を掛けるではないか!

 沈着冷静な彼女の中に烈火の如き感情が駆け巡る。だから―――

 

「―――こんのッ…大馬鹿者がぁ!!!」

 

 らしく無い口調で吼えて、両の剣を思いっ切り上段から振りかぶった。

 

 

 

「ッッ―――!?」

 

 な!? は、速い!! と小太郎は今までにないウルズラの神速の剣戟が迫るのを見、驚愕に眼を見開いた。

 如何なる理由によるものか。会って間もないが、その短い中でも見た事の無いほど眉が吊り上っており、これ以上と無いほどまでに憤怒に顔が染まっていた。

 無礼者!!…と叱責された時や理不尽な八つ当たりをされた時以上の怒りをそこに感じた。同時に背に奔る悪寒と共に本能が凄まじい警告を発しているのを自覚し―――理解した。

 

 ―――手加減抜きの、これがウルズラの全力…!

 

 彼女に余裕があるのは理解していたが、獣化しても辛うじて視認出来……しかし反応すらままならないものだとは思わなかった。

 驚愕と本能が訴える危機感に身体が硬直しそうになるのを必死に制し、もう遅いと判りながらも分身を盾にしようと、そして回避しようと試み……―――痛みすらも通り越した凄まじい衝撃を両肩から胸に受け、

 

「――――………!!?」

 

 声なき悲鳴と言うべきか? 肺から息が抜けて行く音が口元から聞こえたのを最後に小太郎の記憶は此処で途切れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ホンマ、完敗やったわ。あれだけ意気揚々と決闘を挑んで、手も足も出えへんかったんやから」

「……信じられない。あのメイドさん達がそんなに強いなんて…」

「まあ、そうやろうな。俺かて決闘するまで“良く出来てはいる”が、それでもそこいらにある人形とそんな変わらんと思っとったんやし」

 

 もう何度目か、呆然とするネギに小太郎は苦笑を返すしかない。

 

「けど、後で話聞いて納得やけどな」

「え?」

「イリヤ姉ちゃんや本人達が言うには、ウルズラらはあの“真祖”の従者で、作品やってゆうんやから。そらあんだけ強いのも納得やって」

 

 小太郎はあの後……というか、眼を覚ました翌日にその話を聞いて驚くと共に納得した。ウルズラ達は彼の“最強の魔法使い”の従者で“魔法人形の礎”を作ったと言われる“人形遣い(ドールマスター)”が手掛けた正に一級品の魔法具なのだ。

 狗族のハーフで多少実力が在るとはいえ、未熟な子供が端から勝てる相手では無かったのだ。

 

「勿論、負けて悔しいのも確かなんやけどな。お前が出来た事が出来んかった訳やし……はぁ」

「…………」

 

 溜息を吐いて落ち込む小太郎にネギは沈黙するしかなかった。

 確かに自分は同様の条件で茶々丸に挑んで“勝ち”を拾った。けど、しかし、それは―――最後の最後で茶々丸が気を逸らしたお蔭だ。

 あの時は必死だったから気が付かなかったが、後でクラスの皆や師匠(エヴァ)から聞いてネギはそれを知った。勿論、それが不当な結果だという事は無い。そうやって勝ちを得られたのはネギが懸命に粘ったからであり、それで茶々丸が負けたのであれば、気を逸らして隙を見せたその茶々丸本人が悪いのだ。

 それにイリヤの言う通り、格闘戦に限れば茶々丸は確かに格上であったし、魔法無しでは今も勝てる気がしない。だから条件にそれほど違いは無く、気に病むことは無い……のだが、ネギは何処か釈然としないものを覚え、“勝ち”を拾えなかった小太郎に“負けた”と感じていた。

 そんなネギの懊悩とした内心に気付いていないのか、小太郎は悔しげにしながらも笑みを浮かべ。

 

「ま、このまま負けっぱなしも癪やからな、何時か再戦して今度こそ一撃を……いや、きちんとウルズラに勝って見せるわ」

 

 そう快活に笑った。

 それにネギは更に何とも言えない感情が大きくなった……が、思考と感情に整理が付かず、結局それについて何も言うことは出来なかった。

 代わりと言うか、カモが黙り込むネギに気付いていないのか、口を開いた。

 

「にしても流石はエヴァンジェリン……いや、“人形遣い(ドールマスター)”の人形(いっぴん)と言うべきか」

「あ、カモ君居たの?」

「ん、ああ…ついさっき戻ったところですよ兄貴」

 

 先程から姿が見えなかった使い魔の姿が何時の間にかある事にネギは少し驚く。

 

「どこ行ってたの? お風呂の時から見てないけど……ってまさか!?」

「いやいやいや、兄貴! それは誤解ですよ!―――っていうか、お嬢様の家でそんな迂闊なこと言わないで下さいよ! マジで命に関わるから!!」

 

 仕える主人が自分に如何なる疑惑を抱いたのか察し、カモは慌ててそれを否定してネギにそれ以上言わないように懇願する。例え誤解であろうと疑いが掛かり、断罪の魔女(イリヤ)に知られるのは心底勘弁して欲しい。下手すれば冤罪であろうとお仕置きを受けかねない。

 そんなカモの必死な様子にネギは彼にその疑惑は無いと判断する。よくよく考えればイリヤの居る所でカモが不埒な事をする訳が無い。

 

「じゃあ、何処行ってたの?」

「ん…えっと、まあ、ちょっとさよ嬢ちゃんと……その…少し話を……」

「?」

 

 疑惑は晴れたというのに何故かカモはネギから挙動不審な様子で視線を逸らした。言葉も非常に曖昧だが―――

 

「―――兄貴、すまねえ。こればっかりは言えねえ。同類相憐れむ…つーか、同じ境遇に在った奴しか判らねえんで…」

 

 そう言い。申し訳なさそうに頭を下げるカモにネギは黙って頷き、追及を避ける事にした。何となく聞くのは非常に良くない、拙い…いや、近い将来、ナニカ危険な騒動に巻き込まれるような―――とても嫌な予感がしたのだ。

 しかし後にネギはこの時の判断を後悔する事になる。

 もしこの時に話を聞いていれば事態を事前に阻止できたかも知れず、イリヤとエヴァが怒髪天を衝いた鬼神と化すことは無かったのだから―――尤も阻止に失敗すれば確実に厄介な事の中心に立つのだろうが―――幾ら英雄の息子で在ろうと、神ならざる人の身であるネギにそんな未来に起こりうる悲劇…ないし喜劇の事など分かる筈もなかった。

 

「ところでカモ君」

「なんです?」

師匠(マスター)の人形ってそんなにスゴイの? 流石とか言ってたけど……あ、勿論、師匠が凄いのは判ってるんだけど」

 

 未来の事など分からぬネギは覚えた不吉な予感を内心で首を振って追い出し、小太郎の話を聞いて疑問に思った事を訪ねた。

 それに小太郎は意外そうな顔をする。

 

「なんや知らんのか、西洋魔術師なのに。それに弟子なんやろ?」

「う、うん」

 

 小太郎の驚きにネギは気まずそうにする。どうやら余程おかしい事らしい、とネギは思った。

 

「まぁ…仕方ないっすよ。あの“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”の伝説に関わる事だし、魔法学校の子供に教えるにしても怯えさせる事になるでしょうしね。それに兄貴の苦手な歴史の分野ですから、一応」

 

 むむ…と眉を寄せるネギをフォローするようにカモが言う。すると小太郎が、ふーんと若干不思議そうに相槌を打つ。

 

「そないなもんか…?」

「ああ、日本じゃどうか判らねえが、欧州(こっち)じゃ親が子供の躾のダシにして夜な夜な聞かせるくらいだし…」

「……ナマハゲみたいなもんか」

「お、日本の妖怪だな。有名だから聞いた事が在るぜ、“悪い子はいねえかー”って子供を浚う奴だったな。確かにそんな感じだ」

「ほお」

「―――ねえ! それであのメイドさん達…師匠の人形の事なんだけど」

 

 話が脱線して行くのを感じて、ネギが若干語気を強めて二人の会話に割り込む。

 

「と、いけね。その話だった。悪い兄貴」

 

 カモはややばつが悪そうにしてネギに謝り、それじゃあ、と気を取り直して魔法人形の纏わる話を、エヴァの伝説の一端を話した。

 

「兄貴、“人形遣い(ドールマスター)”ってのは知っているよな」

「うん、師匠の数ある二つ名の中の一つだよね」

「ああ、エヴァンジェリンは嘗て数百体にもなる人形の軍勢を従えて中世ヨーロッパの数多くの街と都市、貴族の所領を襲い、火の海へと変えていったんだが……実はソレが別にその名の由来って訳じゃねえんだ」

「…どういう事? 師匠は沢山の魔法人形を従えられたからそう呼ばれたんじゃないの?」

「いや、それがちゃうんやわ。もっと根本的…つーか原点的なものやねん」

 

 ネギの疑問に小太郎が首を振り、カモがああ、と同意する。

 

「そもそも今、魔法使い達が使っとる人形が普及し始めたのは意外にも結構最近なんやわ。えーと確か……何時やったか?」

「1800年代の半ば…19世紀頃だ。それ以前は石や土なんかの鉱物で作ったゴーレムがその手の使い魔の主流だった筈だ」

「そうそう、せやった。んで、その頃に普及し始めた人形―――オートマタとも呼ばれる魔法人形をいっちゃん最初に作ったんが、真祖なんや」

「……え、え!? それほんとなの!?」

 

 魔法使いである自分達にとって身近な道具であるソレの思いがけない事実の判明に、大きく目を見開いてネギは小太郎に問い掛けるが、それに答えたのはカモだった。

 

「ほんとだぜ、兄貴。かくいう俺っちもこれらを知ったのは兄貴がエヴァンジェリンに弟子入りした後なんだが―――」

 

 そう、カモは“小さな知恵者”として、補佐すべき主たるネギが伝説の“闇の福音”に弟子入りしたのを機にエヴァの事を改めて調べたのだ。

 

「それで分かったんだが、ほんと驚いたぜ。“人形遣い”と呼ばれる所以が今や魔法社会で当たり前に使われている魔法人形(マジック・オートマタ)の創始者だってんだから。しかもそうなるとあのチャチャゼロが正真正銘、魔法人形の原典って事になるんだものな」

「チャチャゼロさんが…!?」

「んー…というか、同じく19世紀以降に登場したビスクドールやら球体間接人形なんかは、“(こっち)”の職人が表向きの仕事で制作したのが始まりって話しだから、“表”のそれらを含めての祖先(オリジナル)って事になるのか……まあ、これは言い過ぎなのかも知れねえが」

「………!」

 

 ネギの驚愕は留まる所を知らない。師匠……エヴァンジェリンさんって本当に凄い、としか考えられない。だが、首を振って気を取り直すと、直ぐに疑問に思った事をぶつける。

 

「でも、魔法人形が使われるようになったのは19世紀頃なんだよね。けど師匠が生まれたのは―――」

「ああ、兄貴の言いたい事は判る。エヴァンジェリンが生まれ、“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”としてその名が知られたのは600年前…15世紀の100年戦争と言われる期間の真っ只中だ。チャチャゼロもその頃に作られているし、アイツの姉妹達(モデルシリーズ)の多くも同様だ。普及が始まった時期とズレ過ぎているのは確かなんだが、そこには事情があるんだ」

 

 エヴァは“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”として悪行の限りを尽くし、先程カモが言ったように多くの街と都市を灰塵に変えて、大地を血で赤く染め上げ、骸の絨毯でそれらの土地を覆った。つまり―――

 

「早い話、禁忌…タブー視された訳や。真祖に挑み討たんとする過程で多くの魔法人形が鹵獲されたけど、災厄を招いた悪しき吸血鬼の忌まわしい道具やら技術やらとされて殆どが破棄され、研究も細々としかされんかったらしい」

「で、再び日の目を見たのは、そういった忌まわしい記憶が薄まり、ほとぼりが冷めたその4世紀後だったって訳だ。破棄を逃れたエヴェンジェリンの人形を発見したある魔法使いが新たに研究を始めたことでな」

「じゃあ、“人形遣い”って二つ名もその時代に付いたんだ」

「そうなるな。勿論、過去の…人形の軍勢を引き連れた事も含まれてはいるんだろうが……」

 

 ネギにそう答えるカモだが―――微妙に異なり、実の所“人形遣い(ドールマスター)”という二つ名自体は、中世の頃の時点で既にエヴァに付けられており、“悪しき音信”、“過音の使徒”、“闇の福音”などほどメジャーに成らなかっただけであったりする。

 そしてその異名が注目を浴び、広まったのがエヴァ謹製の人形が発見・研究され、その技術が普及し、爆発的な流行(ブーム)を生んだ19世紀頃であった為、魔法人形の創始者である事実も重なって現在の一般的な魔法使い達にエヴァが“人形遣い”という名が付いたのは、その頃だという“勘違い”ないし“誤認”を引き起こし、込められていた意味も変わって行き、現在ある多くの資料にそう記載されてしまったのだった。

 無論、歴史家……特に“闇の福音を研究する史家”はその“事実”を正しく理解しているが、広まった“誤認”が余りにも大きいが為に是正にまでは至っていない。

 またエヴァ本人もこれといって訂正していない事もその原因……いや、彼女の“本心”を思うに“悪しき吸血鬼としての人形遣い”という忌み名よりも、“魔法人形の祖としての人形遣い”と称賛される方が喜ばしい為に敢えて訂正していないのだろう。その方が自らの罪業を薄められ、贖罪に繋がると考えて。

 

「…本当凄いんだね、師匠もチャチャゼロさん、ウルズラさん達も……あ、茶々丸さんもそうなのかな?」

「あー、それはどうなんだろうな。茶々丸はなんか違う気がするんだが……ロボだし―――って、いやいや! それはそれで凄いんだが…」

「つーか明らかにおかしいやろ、ロボは……色んな意味で。どこかの大企業や有名な大学の研究室でも歩行がやっとの筈やなのに…麻帆良って…」

 

 ネギの感心した言いように、ふと技術的に在り得ない異常な存在が現実に在る事に気付いてカモは愕然とし、小太郎は何処か遠い目をする。

 魔法技術が動力系や兵装以外にこれと言って使われている様子がない事に気付いて…もしくは聞いていたからこその反応だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ウルズラとの決闘の翌日。

 陽が上がってから眼を覚まして、“負けた”事実を聞き、受け入れながらも落ち込んだ彼にイリヤは、

 

「十分大した物よ。手加減していたとはいえ、ウルズラを―――エヴァさんの人形を相手にあれだけ持ち堪えられたのだから。それも10歳という年齢で…うん、合格よ」

 

 と、慰めるように言い。続いて対峙した当人であるウルズラは、

 

「まあ、多々未熟で無茶し過ぎるきらいは在りますが……マスターや私に向かって粋がって吼えるほどの事はあります。ですがそれに驕らず精進を続けるように」

 

 そう褒めているのか、貶めているのか、それとも説教しているのか判らない言いようをする。

 そうして食堂で朝食を取っている中、

 

「で、合格のご褒美なんだけど―――貴方の望み通り相手をしてあげるわ」

「………え…?」

 

 思わぬ言葉に小太郎は直ぐに意味が理解できず若干反応に遅れるも、ポカンと口を開け―――

 

「―――と…っとと!」

 

 口の中の食べ物が零れそうなり、慌てて口元を手で抑えながら閉じる。

 その行儀の悪さにイリヤの後ろで控えるウルズラの眉が危険な角度を描くが、彼女が何かを言う前にイリヤが続けて告げる。

 

「コタロウ、どうやら貴方は常人よりも戦いを…それも手強い相手であればあるほど、その経験を手早く糧に出来るタイプのようだから」

「それは、つまり―――」

 

 口の中のものを飲み込み、小太郎はイリヤの意図する所を言う。

 

「俺に稽古を付ける、って事か」

「ええ、そうよ」

 

 イリヤは微塵の躊躇いもなく頷く。

 

「イリヤ、アンタが直々に―――」

「―――小太郎様!」

 

 眼を見開いて戸惑いながらも歓喜に目を輝かせ、イリヤに何か言おうとした小太郎に鋭い声が掛かる。

 

「う、な…なんや?」

 

 昨日の事もあってか小太郎は僅かに怯み、声の主―――ウルズラの方を見る。

 

「貴方の事を少しは認めましたが、そのマスターに対する不躾な態度まで認める気はありません」

「…ウルズラ。私は…」

「成りません! 昨日も言いましたがマスターが幾ら認めようとこればかりは譲る気は在りません。マスターの弟子であり、友人で在らせられるさよ様さえ、確りと敬意と礼儀を持ってイリヤ様に接しておられるのです。だというのにただの居候である彼がこれでは示しというものがつきません」

 

 イリヤの咎める声にウルズラは己が意見を曲げない。

 その頑固な態度にイリヤは困ったものだと言いたげな表情を覗かせるが、ウルズラの自分を思っての考えも理解できるのだろう。どうしたものかといった様子で考え込む……が、

 

「せやな。うん、わかった。ウルズラの言う事は尤もや」

 

 小太郎は納得して頷き。その物分りの良い意外な言葉にイリヤとウルズラは思わずといった様で小太郎の顔をマジマジと見る。そんな主従二人の視線を気にする事無く小太郎は言葉を続ける。

 

「でも態度はともかく、言葉使いはなぁ……行儀の良い言葉なんて使ったことは無いし」

「……そうね。じゃあ、呼び捨てを止めるだけでも大分違うけど…」

「そっか。それじゃあ―――」

 

 物分りの良い小太郎の態度に少し戸惑いながらもイリヤは提案すると、小太郎はそれに乗り……口の中で小さく「イリヤスフィールさん?…イリヤさん?」と呟くもしっくりと来ず、「年上やし、一応姉ちゃん…なんか?」よし、それなら―――

 

「―――イリヤ姉ちゃん」

 

 と、言葉を告げた瞬間、イリヤは何故か固まった。

 

 「―――――――……」

 

 どうや? と小太郎が続けて言った声など耳に入らない様子でイリヤは眼を見開いている。

 呆然とするイリヤに小太郎は首を傾げるが…………この時、イリヤは、

 

(姉ちゃん、お姉ちゃん…つまりは姉=年上の女性=大人のレディ…)

 

 キタ―――(゜∀゜)―――!!

 

 そう、10歳の少女という立場(せってい)に色々と思う所がある彼女とって、念願籠ったその言葉を―――それも小太郎のような悪ガキ風であるものの中々顔立ちの整った美少年から―――聞き、そんな珍妙な喜びに満ちた叫びがイリヤの脳裏に過っていたのだった。

 それに気付かないウルズラは、小太郎同様に不思議そうに首を傾げる。

 

「マスター…?」

「ハッ…! いえ、何でも無いわ」

 

 ウルズラの声に何処か空虚なものに見えた瞳に光が戻り、イリヤは首を振った……そして、苦々しげな表情を浮かべると頭痛を堪えるように額を指先でグリグリと抑えた。

 そんなイリヤの表情と仕草に小太郎は呼び方が拙かったかと思い、再度尋ねたが、

 

「大丈夫よ。問題無いわ」

 

 とだけ答えた。

 しかし、何故か答えた直後、「なんでこんなフラグ臭の漂う台詞を言ってしまうのか…? いや、言葉自体おかしい所は無いから、そう考えてしまう自分がおかしくなっただけなの…かしら?」とまた額を抑えていた。

 

「と、とにかく。私への態度や呼び方はそれで良いとして…コホン」

 

 額から手を放すとイリヤは咳払いし、話を戻す。

 

「貴方に稽古―――いえ、というよりもひたすら模擬戦というべきかしら、修行としてそれを行なおうと思うのだけど」

「おう! 望むところや! アンタ…じゃない―――イリヤ姉ちゃんと戦えて強くなれるんやったら、何時でも、幾らでもドンと来いや、で」

 

 一瞬、呼び方を間違えてウルズラの視線が怖くなった事に気付いて言い直し、拳を自分の眼前に掲げる。如何にもやる気満々といった感じだ。昨日の今日でイリヤの治癒魔術で怪我は治ったとはいえ、非常に元気だ。

 イリヤはそんな小太郎に満足げに頷き。

 

「良い返事ね。それなら望み通り今日から始めましょう。地下もまだ一部だけど大分安定した事だし―――貴方の目指す“先”と言うものを見せて上げるわ」

 

 そう告げて―――白い少女は、狗族の聴覚でも辛うじて捉えられる小さな声で、

 

 ――――同じ野生の獣の如き強さを持つ“クランの猛犬”の力でね。彼の戦い方は恐らくこの子にとって良い教材(てほん)になるでしょうし。

 

 と、呟くのを聞いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何時までも話し込んでいるのをいい加減見咎め(聞き咎め?)たらしく、例によって例の如くウルズラに注意されて小太郎とネギは布団の中に潜り込んだ。

 当然、小太郎は自分のベッドの上で、ネギは部屋に備えられたソファーで眠っている。

 

「クランの猛犬……か」

 

 それが何の意味を持つか、誰を指すのかは知らない。いや、そもそも人を指してのものかさえも、教養の無い彼には判らなかった。しかし―――

 

「イリヤ姉ちゃんの力がそう言うんか…?」

 

 脳裏に浮かぶ青い衣装を纏う白い少女の姿。無手でも当然で、武器を…特に槍を振るえばより圧倒的で、足元にも及び付かない強大な力を振るう……そう、獣臭すら感じる野性味あふれた戦い方―――それが此処の所、眠りに付く前の小太郎の脳裏に何時も思い浮かんで……いや、

 

「―――眠る前だけやなくて、気付くと最近ずっとそうやな。暇さえあったらその事ばっか考えとる」

 

 イリヤは言った。聞かれたとは思っていないようだが“良い手本”になると。

 確かにその通りだと思う。イリヤが示す戦い方は自分が思い描く理想に近い……のだと感じる。

 だからこそ気に成った。

 

「―――クランの…猛犬」

 

 その言葉を呟く。

 妙に印象に残る響きが…或いは、強い言霊が秘められているのか、イリヤの見せる戦い方と共にこの言葉が小太郎の頭から焼付いたように離れなかった。

 

 どこかその戦い方を、己の戦う姿(スタイル)と重ねて。

 

 




 余話という割には結構長めで、小太郎の強化フラグとその布石のような回となっています。

 人形については簡単にちょっと調べた所、マネキンはエヴァの生まれた時代に重なり、フランス人形や球体間接人形などは19世紀頃らしく、妄想を進めた結果…今回のような設定になりました。

 若干長くなりますが設定の捕捉として、今回目立ったイリヤ宅のメイド長にして長女であるウルズラに付いて少し。
 髪型は波がかった癖のある長髪で黒。目の色は青。顔立ちは言うまでも無く美人ですが眼元が鋭く、冷たく鋭利な印象があります。
 体型は、平均以上にグラマーで身長は165cm程。体重は意外に重く成人男性と近接で競合って負けない為に80kg~90kg程あります。
 性格は非常に生真面目で表向きは冷静沈着そのものですが、その内心は熱血思考。頭は回りますが行動がやや脳筋気味となっています。
 特にマスター至上主義でイリヤにぞっこんなので、イリヤに関わる事となると暴走しかねない危険性が在ります。
 戦闘スタイルは全人形に共通しますが、前衛タイプで一応、武芸十八般に通じるあらゆる武器と格闘術を使えますが、基本はエヴァの記憶と経験から再現されたエミヤ式二刀流の亜種となってます。
 また製造年代が1890年代と茶々丸を除いて最も新しい型なので年代的な神秘性は薄いものの、技術的には新鋭な為にかなり高性能に仕上がってます。

 話に挟む間が無かったエライ事を仕出かしたさよのお仕置きについても一応補足しますと、ラクー○シティ+0な日本屋敷+時計な塔などの世界観が混じった脱出不可能な幻想空間に彼女は放り込まれました。
 幽霊なのにホラーが苦手なさよにとっては正に地獄だったと思います。

 あと活動報告の方に黒化英霊とイリヤのステータス設定とアミュレットの設定みたいなものを載せました。興味がある方は覗いて見て下さい。
 追記。
 設定などを小説ページに載せるか迷っていたのですが、大丈夫だとの意見を頂いたのでステータス設定などは活動報告から小説ページに移しました。

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