麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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改めて見直すと今回は特に詰め込みすぎな気がします。
前回もそうですが、切り分けた方が良かったかも…切りも悪かったですし。


第26話―――封じられた記憶、現在の彼女(後編)

 エヴァ邸の地下に在る“別荘”。その白亜の塔の天頂に在るテラスの中で複数の深い溜息が零れていた。ただし、

 

「―――――――――」

 

 と。

 目の前に在る存在に呑まれ、圧倒された言葉にも声にも成らない非常に静かなものだった。

 

 

 

 その切欠はネギの言葉だった。

 

「イ、イリヤが何を怒っているのか判らないけど……ぼ、僕は見てみたいな。イリヤが大人になった姿を―――」

 

 何を思って彼がそれを口にしたのか? 

 イリヤの怒りを鎮めようとしてなのか、それとも怒らせた刹那に助け舟を出す為であったのか、今一つ判断が付かなかったが、それにほぼ全員が賛同の声を上げた。

 理由の判らない怒りを見せる白い少女への恐れは勿論あったが、それでもやはりこの妖精の如き可憐さと美しさを持つ少女の成長した姿というのは、例え不興を買ってでも見たいものであった。

 イリヤとしては、大人の姿というと今はあの愛する母の姿を持つ“呪詛(アイリ)”が頭に浮かんでしまい、正直躊躇う気持ちは大きかったのだが。向けられる友人達の期待の籠った視線と躊躇こそあれど、薬一つで簡単に大人の姿に……幻術を高度に応用したほぼ実体に近い大人の“身体(にくたい)”を持てるという誘惑は、成長できない我が身の事を考えると非常に抗い難かった……尤も大人の姿を魔術で“被せる”事自体は冬木の地で実は何度か行っているのだが―――それはそれとして、

 

「…はぁ、わかったわ」

 

 溜息を吐くと、半ば諦めるように頷いた。

 すると何故かエヴァが興奮した面持ちでイリヤの方へ身を乗り出した。

 

「よし、ならばさっそく着替えを用意しよう! 木乃香やクー、のどかの姿を見れば分かる通り、そのままの衣服では身体が締め付けられて大変な事になるからな…!」

 

 そう言い。鼻息荒くしてイリヤの手を取ると、テラスの奥…いや、塔の奥へと彼女を引っ張って行った。

 ふふふ…こんな事もあろうと集め、制作していた我がコレクションを見せる時が来た!…と今まで見た事が無いほど明るく楽しげな笑顔を見せて。

 イリヤは妹分のそんな笑顔を見て、この後の自分の身に起きる事を想像し、はは…と若干頬を引き攣らせて苦笑するしかなかった。

 

 そして―――

 

「待たせたわね。どう似合うかしら?」

 

 声と共にテラスに姿を見せたイリヤの姿に一同の時が止まった。

 待つ間に軽く飲み物と菓子に手を付けながら、おしゃべりに興じていたネギと彼女達は一斉に惚け。その手にしていたお茶やジュースの入ったカップやグラスを床へと落とし、口へ運ぼうとしていたクッキーやスコーンを指からポロリと零した。

 

 グラスとカップが床にぶつかって、ガラスと陶器の割れる音すら気に成らなかった。

 

 その目に入ったのは一つの芸術だった。

 何時の間に薬を飲んだのか、白い髪と白皙の美貌を持つ十歳程度の少女は二十歳前後の大人の姿と成り、その身にはウエディングドレスにも、法衣にも似た純白の衣装を纏っていた。

 

 陽の当たった新雪のように輝く銀の髪は、大きな櫛の形を持った金の髪飾りで後頭部に纏められて馬の尾のように背へと流され、前頭部には大きな翠玉と無数のダイヤを飾る黄金のティアラが乗り、両の耳には一粒の桃真珠のピアスを、首には紅玉をあしらったネックレスを、腕には蒼玉が収まった黄金の腕輪を付け。纏う豪奢なドレスは全体に細かな無数の水晶が散らばされており、シルクにも似た不可思議な光沢持った純白な布地と併せて陽光を反射させて輝き、それを纏う女性の美しさを引き立てている。

 

「―――――――――」

 

 誰かが……いや、もしかするとこの場の全員が声無き溜息を零すと、白亜に輝くドレスを纏った女性―――白き女神は優雅に一礼し、

 

「ふふ…」

 

 見る者を蕩けさせる微笑を浮かべた。

 その赤い紅を塗った形の良い唇と、瞼の薄く青いシャドウによって強調された緋色の眼は妖艶で、誰しもが魔的な魅力に囚われ……だというのにその輝くような美貌に神々しさを覚え、畏怖した。

 聖と魔―――相反すべきそれが調和したものが確かにこの場に存在していた。

 黄金と純白で飾り立てたその高貴な清澄な佇まいは神聖さが在り。その整い過ぎるほど整った魅惑的な美貌は、施された化粧でより映えて、魔性めいた危うい色香を纏っている。

 

 そんな彼女の超然とした人の身では決して届かない、天上の至宝に足る美しさを前にしてネギ、明日菜、木乃香、刹那、夕映、のどか、古 菲。そして機械である茶々丸さえ溜息を零して見惚れていた。

 

 そして、魔に魅入られ、神々しさに心が囚われ平伏した彼と彼女達は、そのまま時の流れに取り残されるかと思ったが――――

 

「―――ふ、どうだ。見事なものだろう」

 

 突然テラスに響いた声によって、静止した時の中に飛び込みかけた精神(いしき)を現世へと戻した。

 何処か傲岸さのあるその声に、皆はハッとして何故か互いの姿を確認するように見合わせ。白い女神の如き女性―――イリヤもまた、演技で浮かべていた微笑を消して、はぁぁ…と緊張を解くように深く溜息を吐いた。

 

「ふふ…ははッ、やはり私の見立てに間違いは無かったな。皆、お前に見惚れ、心を奪われていたぞ…! まあ、当然か。私が手にし、仕立てた物の中でも最高級の物を選びとってイリヤの完璧な美貌をより完璧に際立てるように着飾ったのだからな! 心を囚われ、魅入られない方がおかしい…!」

 

 エヴァは、ネギ達の知る普段通りの態度と口調で自身の生み出した芸術品を自慢するように言う―――が、その心の中は「どう、私の作った衣装を纏ったお姉ちゃんは? 綺麗? 綺麗よね。勿論、綺麗でしょう!」と言わんばかりにはしゃいでいる状態であったりする。

 衣装を選び、着替え、自分の姿を見た時のエヴァの―――興奮して何度も綺麗、綺麗だと、流石は私のお姉ちゃん(イリヤ)などと子供のように喜ぶ―――様相を知るイリヤは、そんな彼女の胸の内を正確に把握していた。

 

(なんていうか……本当に自慢の姉を紹介しているような感じよね)

 

 シロウの意識と接触したあの日以降……自分の態度にも原因はあるのだろうが、二人っきりのときに「またお姉さんぶって」などとムッとして文句を言う事が多々ある癖に、その内面ではすっかり妹気分なのだ。

 その所為で、ここ最近のイリヤのエヴァに対するイメージは大幅に変わってしまっていた。だからこそ昼休みのような話が成される訳なのだが……。

 

「まあ、いいんだけどね」

 

 エヴァがそれで喜んでくれるのなら、シロウの望む幸せを得るべき本来の彼女に戻りつつあるという事で自分も嬉しくあるし……それに、伝説と謳われる“最強の魔法使い”として頼りになる事実は変わっていないのだから。

 

 エヴァがドヤ顔で胸を張り、イリヤがそんなエヴァの様子を半ば呆きれながらも微笑ましく見ていると。

 

「な、なんていうか。こんな事って本当にあるんだ」

「せ、せやね。じ、時間が止まるゆーか。意識がハッキリしとるのに不確かになるってゆーか…」

「はい。呼吸すら忘れ、心臓が止まり、まるで全てが自分の物じゃなくなるかのような……生の実感が確かに在るというのに、生きた心地がなくなったかのようでした」

 

 明日菜、木乃香が動揺するように言い。刹那が恐れをも含んだ声色で言う。

 

「…目にした物に心を奪われるなどという言葉は、本なんかでも良く見ましたが……こんな感じなのですね」

「うん、凄かった。苦しくないのに…苦しいっていうか、心臓が止まっちゃったかと思った」

 

 夕映とのどかが互いに頷き合った。

 

「…ホントにコレは在り得ないほどの反則ネ。不意打ちにも程があるヨ」

「ハイ、イリヤさんの今の姿は男女問わず……いえ、意思あるモノであれば、何であろうと意識を取られ、眼を止めずにいられないと思います」

 

 古 菲が褒めているか判らない言いようで僅かに顔を赤くしてイリヤを見。茶々丸もイリヤに視線を固定して深く頷いた。

 

「みんな大袈裟ね」

 

 明日菜達の感想にイリヤはそう謙遜して言うが、褒められるのは悪くないし…実の所、こう言うのもなんだが、彼女達の反応に納得していた。

 メイドに任せず、エヴァ自ら着飾った己の姿を鏡で確認した瞬間、見違えたなと、我が事ながら見惚れたのだから。

 ユスティーツァという原型(オリジナル)が在り、その系譜(コピー)―――正確には発展型(バージョンアップモデル)―――である事は判ってはいるが、それでもやっぱり自分は素晴らしく美人なんだなぁ…と正直思った。

 そんな本音が今の言葉に滲み出ていたのか、明日菜が若干ジロリとした表情でイリヤを睨む。

 

「イリヤちゃん、それ本気で言ってないでしょ?」

「あ、判る?」

「うん。言葉だけで態度が全然謙遜してないんだもの」

 

 イリヤが少し意外そうに言うと、明日菜は大きく頷き、むぅ…僅かに頬膨らませた。どうやらイリヤの態度が鼻持ちならないと感じたらしい。驚きが薄れた事で今更ながらに絶対的な容姿の格差に女としてのプライドが刺激されたのだろう。

 明日菜の性格であれば、容貌・容姿の差など気にしないと思っていたイリヤは本当に意外だと感じた……が、それは結局の所、持てる者(しょうしゃ)の余裕に過ぎない。

 

 確かに明日菜はそう言った事を気にする性質では無いが……やはり女性としての性は在り、全く皆無という訳では無いのだ。

 ガサツで可愛げの無い性格だという自覚もあるが、これでも女として髪やら肌やらに気を使っているし、あやかと千鶴を筆頭とした様々なタイプのきれい所が揃う3-Aの生徒達の中でもそう劣ってはいない、負けてはいない、とスタイルや顔立ちに相応の自信があったのだ。

 だというのに―――

 

「ホント、綺麗すぎるよイリヤちゃん。いや、うん……判ってた事なんだけどさ」

 

 まさに女神の如き超絶的な美貌を前にして、明日菜は欠けなしの自信が砕ける音を聞こえたような気がした。

 勿論、エヴァの手掛けた衣装や装飾品の他、薄くも施された化粧のお蔭もあるのだろうが……自分が同じように着飾ってもイリヤのように成れるとは絶対に思えなかった――――というか、より無残な現実を叩き付けられかねない。

 そうしてがっくりと肩を落とす明日菜に、気持ちはとても判るといった表情をした木乃香と刹那が慰めるようにその落ち込んだ肩にそっと手を置いた。

 残りの面々も、エヴァと茶々丸の主従コンビを除いて深々と同意するように頷いて―――…?

 明日菜は女性陣がそうしている気配を感じつつ、そういえばネギとカモは…と。この場に居た男性二名のことを思い出した。

 衝撃的なイリヤの登場もあるが、彼等が一切言葉を出さないものだから忘れていた。

 

「ネ―――」

 

 ―――ギ、と。彼の方を振り向いて名を呼ぼうとして、明日菜は口を噤んだ。

 

「――――――――」

 

 幼い彼は未だ無言で立ち佇み、首と目線だけを動かしてイリヤの動く姿を視線で追い駆けている。ついでに言うとその肩に乗るカモも似たような放心状態だ。

 先程までそうであった己の姿を客観的に見せられて明日菜は絶句し、同様にそれを見た木乃香は、あちゃ~、とでも言うように明日菜とはまた異なった意味で額に手をやっているが、明日菜は親友のそんな仕草など気付かず、

 

「ちょっと! ネギ、大丈夫。確りしなさいよ!」

 

 心神喪失とも言える状態のネギが心配になり、慌てて駆け寄って声を掛ける……が、

 

「―――――――」

「ちょっ―――!?」

 

 ネギは呼び掛けに何の反応を示さず、明日菜は愕然して焦る。

 これは、いよいよヤバイ!とそう感じ。明日菜は自分でも何故そうしようと思ったのか判らなかったが、咄嗟に身体を動かし―――

 

「―――ぬおっ!?」

 

 目の前のネギの肩に乗る放心状態のオコジョを掴み―――突然のそれに驚き、ハッとするカモの叫びを無視し、

 

「うりゃあ…!!」

 

 勢いよく惚けて開きっ放しになっていた彼の口の中へ、毛むくじゃらの白いオコジョの身体を頭から突っ込んだ。

 

「――――! …!? ……!!?」

「………!? ――――! …!? …!!?」

 

 突然、口の中に物が張り込んだ違和感と口内へ広がった得体の知れない感覚にネギは驚愕に目を見開き、モガモガと喘ぎ。

 モガモガとネギが喘ぐ度にカモは、主人たるネギの口から飛び出ている足と尻尾をばたつかせる。恐らく彼は何が起こっているかも判っていないだろう。

 掴まれ、振り被られて視界が高速で動いた為に、ネギの口に放り込まれた事どころか、明日菜に掴まれた事すら気付かず。純白の女神に見惚れていたと思ったら突然、暗闇に閉ざされ、何故か生暖かい……しかも生々しく動く穴倉へと頭から身体の半分近くが入っていた…という謎の状態なのだ。

 一方、ネギにしても口の中に在る異物がなんなのか理解していない―――というか、カモと同様、大人の姿になったイリヤに見惚れていたと思ったら、良く判らない毛むくじゃらで……それもモゾモゾと動くモノを口にしていたと、訳の分からない状況なのだ。

 

「―――…! ぷはぁ…!」

「!?―――どはぁ…!」

 

 喘ぎながらもネギは訳の分からないモノを吐きだし。カモは謎の状態から解放されて硬い石質の床へと叩きつけられる。

 

「!―――え、カモ君ッ!?」

「痛…―――…って! 兄貴ッ!?」

 

 若干、コホコホとせき込みながらも口から出た物に確認したネギと、叩き付けられながらも自分が何処から落ちたのか見上げたカモが互いの姿を見て驚きの声を上げる。

 

「「なっ…なんでッ!?」」

 

 正気に戻り、驚愕する二人を見つつ明日菜以外の面々は唖然としていた。

 

「あ、明日菜…?」

「何で、あ、あんな…カモを……?」

 

 自失状態であったネギとカモの正気に戻す為とはいえ、明日菜の取った行動が余りにもイミフ…もとい不可解だったからだ。本当に漫画の世界で在れば、眼が点になっていた所だ。

 そんな疑問と困惑の目線を皆から一点に受ける明日菜は、正気の戻ったネギを見てホッと安堵の溜息を吐いて、これまた何故か一仕事を終えた後のような額を拭う仕草をしていた。

 

 

 

「まったく、ひでぇぜ姐さん」

「そうですよ、明日菜さん」

 

 怒りの籠った口調と視線で一人と一匹は明日菜の顔を睨む。

 一人は、別荘に常駐するハウスメイドの持って来た水でうがいをしては洗面器に吐き出す事を繰り返しながら。

 一匹は唾液に濡れた自身の毛並みを同じくメイドが持って来た濡れタオルで拭いながら。

 

「ハハ…ゴメンゴメン」

 

 居候たる男子二名のジロリとした視線に明日菜は苦笑して軽く頭を下げる。

 一見すると、反省していないように見えるが……その苦笑は何故あんな突飛な―――カモをネギの口にねじり込むという奇妙なことを仕出かした自分に向けられていた。

 

(…本当どうしてなんだろう?)

 

 そう首を捻るしかない。正気に戻す方法なら他にも幾らでもあるだろうに……しかし、ああするのが一番だと、手っ取り早いと自分は思ったのだ、あの時は。

 事実、身に起こった余りにも不可解なその出来事…いや、インパクトのある衝撃のお蔭でネギとカモは一発で浮世から離れかけた意識を取り戻した。

 

「まあ、気持ちは判るけど、そんなに怒らないで。こう見えてもアスナは反省しているみたいだし……ね」

 

 苦笑しつつも不思議そうに首を捻っている明日菜を見かねてか、イリヤが仲裁に入る。

 イリヤとて明日菜の突飛な行動には驚きはしたが、悪気や邪気が在ってのものでなく、今も反省の念がある事が判るからだろう。「…ね」と語尾で微笑みながら優しくネギを宥めた。

 

「…! イ、イリヤ…」

 

 未だ、美しく着飾った二十前後の姿を持つ白い少女に傍に寄られて顔を近付けられ……ネギは顔を赤くし、真正面で合いそうになる視線を逸らした。

 

「う、うん…わ、わかったよ」

 

 たどたどしくそう言うのが精一杯だった。その肩に乗るカモはまたも惚けている。

 イリヤは視線を逸らしたネギに少し不思議そうにするも、ネギの返事を聞いてホッとしたようだ。

 

「やっぱりネギは素直で良い子ね」

 

 そう、ネギの心情を察する事も無く微笑んだまま言い。こういった所で素直に寛容な態度を取れる彼の心根を褒めた。この年齢の男子であれば変に根を持ったり、意固地になったりする子が少なくないからだ。

 同時にもう少し子供らしく我が侭であっても良いんだけど、とも思わなくもないが―――

 

(―――いや、我が侭な所も相応に在るかな…?)

 

 原作でのムキになったり、変に我を張ったりする場面(すがた)を思い出して少し訂正した。それでも、それ以上に周りに遠慮している所が多いので子供らしくなくて困ったものだとも、立派だとも思ってしまうが。

 

 そうして微笑むイリヤの顔をネギは真っ直ぐには見られないものの、チラチラと見やり。明日菜は挙動不審な……いや、イリヤに見惚れるネギの姿にこんな一面があるんだと驚きを覚えるが……その意味を考える前に横から木乃香が感慨深げに言った言葉に気を取られる。

 

「それにしても……ホンマ、イリヤちゃんキレイやわぁ~。それに何時もよりもなんか様になっとるし」

「そうですね。言われてみればこちらの方が自然に感じますね」

 

 木乃香の言葉に刹那が同意して頷く。

 そう、華美に着飾っている事は兎も角、大人になったイリヤの立ち振る舞いは何時も以上に“らしく”見えるのだ。

 普段から仕草や言動が大人の物である為、幼い少女然とした姿の時よりも威厳に確かさがあるというか、実感が強まったというか、説得力やカリスマが増しているように思えたのである。

 木乃香と刹那はイリヤの実年齢を知っているから尚更に。

 イリヤはイリヤで、その二人の言葉に「普段はどう見ても子供だ」「無理に大人を演じている」と言われているようで先の刹那の失言と同質の不快さを覚えたが……二度目という事もあり、此処は怒りを抑えた。無論、後々追及する積もりだが。

 

 一方、他の皆も木乃香と刹那の言葉の意味を察したらしく。

 

「確かに今のイリヤちゃんは、本当に大人だよね」

「ですね。こうしてみるとやはりネギ先生と同じ歳だとは……いえ、ネギ先生も確りしているとは思うのですが…その、ともかく……私達よりも年下だとはとても思えないです」

「ウム、普段の子供の姿の方が魔法を使った変身だと疑ってしまうネ」

 

 事情を知らないのどか、夕映、古 菲の三人が口々に言う。

 事情を知るエヴァはその三人の反応に何とも言い難いものを感じて内心で苦笑し、茶々丸は無表情・無言であるが内心では主人と同じく苦笑した思いがあるの知れない。

 明日菜も茶々丸同様に無言であったが、むしろエヴァちゃんと同じで子供に見えるだけで本当は……などと、正解に近い事を考えていた。

 

 そして当の本人は自分に集まる視線に少し辟易したものと、今更ながらに気恥ずかしさを覚えた。

 幾ら自分の容姿に自信が在り、貴族として人前に立つ事に臆することなど無いはいえ、友人だと思う少女達から観察するようにマジマジと見詰められるというのは………流石に気後れしてしまう。

 

 そうイリヤが、先程の惚けた物とは異なった集中する視線に僅かに表情を引き攣らせていると。木乃香が突然元気よく声を上げる。

 

「そや! 折角やから写真に撮らせ―――」

「―――駄目だ!」

 

 スカートのポケットから携帯を取り出そうとする木乃香の声を遮ってエヴァが即却下する。青い眼を鋭くし、正に射殺さんばかりにギロリとした視線で。しかも見ると彼女周囲には無数の氷の矢が浮かんでいる。下手に携帯を取り出そうすれば即射貫かれかねない……いや、木乃香自身では無く、携帯の方だが。

 

「エ、エヴァちゃん…?」

「今のイリヤの姿を写真に収めるだと…? そんな事を私が許すと思ったか? 馬鹿め…!」

 

 唖然とする木乃香に構わずエヴァは静かな怒りを込めてそう言い放った。

 

「え、えっと…エヴァちゃん。い、一体何に怒ってるの?」

 

 機嫌が良かったエヴァの、突然の謎の豹変に周囲はドン引きするも、勇気を出して明日菜が恐る恐るといった様子で尋ねた。

 それに木乃香から明日菜へとギロリとした視線を移し、その怒気の篭った眼に「ひっ」と怯え後ずさる彼女へエヴァは答えた。

 

「何に…か。決まっているだろう。私に無断でイリヤの写真を撮る事に、だ!」

「え? え~と…?」

「判らないか? なら聞くが今のイリヤの姿を写真に収めてどうする? それをどうしようというんだ!?」

 

 エヴァの剣幕に明日菜は「え? え?」と困惑するしかない。

 そりゃあ、写真に撮るって事は今見た物なんかを思い出にするって事で、他に何が在るのか? 明日菜にはエヴァの言う事が…いや、抱く危惧がさっぱり判らなかった。無論、明日菜だけでは無い。他の皆も同様だ。

 

「あ~、う~ん……もしかして魔法を知らないクラスの皆に見せびらかす事を心配してるの? だったら心配いらないわよ。幾ら見習いに成ったばかりの私達でも、それぐらいの分別は―――」

「―――そんなのは当然だ! 未だそのような事を理解していないようであれば、とっくに串刺しにしている!……勿論、殺しはしないが、地べたに這い付くぐらいの目には遭って貰う」

 

 エヴァは周囲に浮かぶ氷の矢を数十本とさらに増やして冷酷に告げる。

 それに流石に拙いと思ったのだろう、イリヤが宥めに掛かる。

 

「エヴァさん、落ち着いて…っていうか、本当に何に怒っているのよ。私を写真に撮る、撮らないかなんかで……?」

「なっ!?」

 

 イリヤの言葉を聞いてエヴァが愕然とする。当の彼女本人が理解していない事にショックといった様で。

 

「イリヤ、判らないのか!? 本当に!?」

「……………ゴメン、エヴァさん。貴女が何を不安に…心配に思っているのか、私には判らないわ」

 

 そのイリヤの困惑した言葉が更にショックだったのか、エヴァは呻きよろめく。

 

「アー、御主人。ソレハ流石ニ如何カト思ウゼ」

 

 そこに何時から居たのかチャチャゼロが塔内に続くテラスの奥から姿を見せて、感情の無い声で…しかし何処か呆れた様子で己の主人に向かって言った。

 

「チャチャゼロ? 一体エヴァさんは何を…?」

 

 幼児程の小柄な人形の突然の登場に少し驚くも、イリヤは短い脚でちょこちょこと自分達の所へ歩いて来る彼女に尋ねた。

 

「アア、御主人ガ心配シテルノハ、ソノアレダ。今ノオ前ノ姿ヲ写真ニ収メタラ……イヤ、今ノ姿ジャナクテモカモ知レネーガ。色々ト“我慢”出来ナクナルッテ思ッテルンダロウヨ」

「…??」

「ン、コウ言ッテモ判ンネーノカ? ツマリヨ。写真ニ収メタ連中ハキット事アル毎ニ、オ前ノ姿ガ写ッタソレヲ見詰メテハ、ニヤニヤシタリハァハァト息荒ク可笑シナ妄想ヲスルンジャネーノカッテ事ダヨ」

 

 今ノイリヤ嬢ハ特ニ綺麗ダカラナ、マア、俺ダッタラ、ンナ事ニ使ウヨリモ、色欲旺盛ナ男ドモニ売リ捌イテ一稼ギスルケドナ、などともケケケと笑いながら変態な事をのたまい。イリヤは「ハアァッ!?」と眼を見開いて叫んだ。

 そして直後、明日菜達の方を見る。何処か身震いし怖気の篭った眼で。

 チャチャゼロの言葉もあってその視線の意味を直ぐに察し、明日菜と木乃香達は首をブンブンと思いっ切り横に振る。

 

「「「「「「いやいやいや…!? そんな可笑しな事に使わない(です)(ネ)から!!」」」」」」

 

 息を合わせたかのように彼女達は一斉に同じ言葉を言う。

 ネギはそれをハテナ顔で見、カモは「気持ちは判らなくもねぇがなぁ」と内心で呟くだけに留めていた。

 少年は幼いが故に性的な感覚が今一つ判らず、小動物(オコジョ)の彼はそんな目でイリヤを見るなど恐れ多いからだ。

 

「…そ、そうよね」

 

 皆の必死の否定にイリヤは胸に手を当てて、ほぅ…と安堵の息を吐く。何故か息が熱く艶めかしい感じで……本人にはその気は全く無いのだが、明日菜達はイリヤの見せた仕草にそのようなナニカを掻き立てる感覚(しげき)を覚え―――知らず内にゴクリと生唾を呑んだ。

 

 結い上げられた髪のお蔭で良く見える白いうなじは齧ると如何にも甘そうな汁が滴りそうで。

 息が零れた紅い唇もまるで甘い果実のようであり。

 手が置かれた胸元は品の良い色香を演出する為に大きく開かれてこそいないが、双丘の豊かな膨らみは明らかで、覆う布地の質の高さもあってか、その暖かな柔らかさは見るからに伝わってくる。

 その胸元の上に置かれた細く白い指とて、爪に塗られた桃色のマニキュアとの色合いもあって可憐な花ようで、舐めると甘い蜜を吸える気がする。

 

 だからこそ思う。この白き女神のような女性―――否、穢れなき純白の少女を決して逃れられないように力の限り抱き締め、抱き寄せてそれを味わってみたいと。甘く匂い立つ白いうなじと赤い唇にむしゃぶりつき、豊満な双丘に手を這わせ、顔を埋めて暖かな柔らかさを堪能し、その桃色に染まった指先にある蜜を思うがさまに啜ってみたいと。

 いや、出来る事ならその白い衣装の下に隠された肢体を見て―――と。そう、口内に溢れる唾液を呑み、咽を鳴らして十代半ばの少女達は考えてしまった。気付かぬ内にイリヤの身体を舐めるように上から下まで見て……無意識に。

 だが―――

 

「―――ふん、どうだかな」

 

 イリヤの安堵に反して発せられるエヴァの不穏な気配と言葉。そしてジロリと向けられる視線に無意識に抱いていた嫌らしい考えに気付かされて、明日菜達はビクリと身体を震わせる事と成る。

 そして、怒りを滲ませる吸血姫(エヴァ)と視線は合わせていないが、その気配と言葉は否応なく悟らせる。

 

『イリヤの美貌に見惚れるのは良い。美しさに平伏すのも良い。しかし嫌らしい……情欲に塗れた穢れた眼で見る事は絶対に許さん。それ以上そのような眼で“私の”イリヤを見るというなら無残な死を覚悟しろ。世に生まれた事を後悔するほどこの上なく残酷に殺してやる…!』

 

 と。

 エヴァがそう無言で告げているのを―――その為、

 

「や、やっぱ写真は止めとこ」

「そ、そうね。もしかしたらやっぱりクラスの誰かに見付かったら騒ぎになるかも知れないし」

 

 木乃香は携帯のカメラにイリヤの姿を収めるのを止め、明日菜も即同意した。刹那や夕映達も「はい」「です」「うん」等と深く頷き合った……思わぬ事で迫った濃厚な死の気配を回避する為に、必死に。

 しかし、エヴァの気配(さつい)が異様なまでに指向性を持っていたのでイリヤは気付かずに、

 

「…別に良いのに? 見付かっても言い訳なんて幾らでも出来るんだから」

 

 そう、可愛らしく傾げて言い。明日菜達はその仕草に再び刺激を受け、悶々と葛藤させたが―――

 

「―――いいんだ!」

 

 何時になく力強く言うエヴァの言葉にイリヤは「まあ、いいか」と納得する事にし。明日菜達は今度こそ諦めた……諦める事が出来た。

 

 のだが―――

 

「だ、誰ですか!? って、ええっ!? もしかしてイリヤさんですか!?」

「わっ!? 何その綺麗な人…ッ!? えっ? い、イリヤちゃんなの!?」

 

 遅れて別荘に姿を見せたさよ、和美の二人の騒ぎが切っ掛けで……エヴァの懸命の反対によって“イリヤだけ”を撮る事はできなかったものの、京都に在ったナギの隠れ家の時のように集合写真と言うカタチで女神とも言うべき大人となったイリヤの姿は、和美のカメラ……とても学生が持つような物では無い、高価な一眼レフへと収められた。

 尤も、エヴァだけはきっちりと写真…というよりも、立体投影用の魔法具にイリヤの姿を記録していたりするのだが……それが明らかに成るのは後の事である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 滲ませた怒りが発散されず籠ってしまった為か、それともお仕置きであったのか、本日の別荘での修行は何時も以上に厳しいものと成り、ネギと明日菜達は精根尽き果てて深く眠りに付く事と成った―――のだが、

 

「やっぱ、流石に頑張り屋のネギでも今日は無理だったか」

 

 疲労困憊の身体に鞭打って明日菜は鍛錬場に一人赴いていた。

 そして塔の屋上とも言えるテラス前の広場の端の方まで歩き、高く空を見上げた。

 

「何時見ても綺麗よねぇ。とても魔法で作った人工の世界だなんて思えな…―――ううん、魔法だからこそ、か」

 

 思わず呟く。

 夜空は星々と月で明るく彩られ、初めてこの別荘を訪れたあの日―――ネギの過去を知った時に見た光景と変わらないものだった。

 そうして、瞬く星々と銀に輝く月が作る美しい情景を楽しみながら明日菜は待つ。

 何となくだがあの日、自分がネギと神妙に話す事と成ったように今日此処に来れば、今度は自分がこの胸に抱えたものを晴らせるように思えたのだ。

 そう、頼るになるあの不思議な白い少女が、頭痛と共に残る“モノ”が強い今日に限って此処を訪れたのだから。

 

 ―――その予感は当たり、

 

「眠れないの? 随分疲れているように思ったけど…」

 

 思った通り、背後から良く通る綺麗な声が明日菜の耳へと入った。

 

「……イリヤちゃん」

「…いえ、お待たせ、と言った方が良いのかしらね」

 

 声に振り返って少女の姿を見とめて名を呼ぶと、彼女の方もまた自分とこの場で会う事を予期していたように言った。

 いや……実際待っていると判っていたのだろう。修行中の合間に何度も彼女へ意味あり気に視線を送っていたのだから。

 

(高畑先生だけじゃなく、イリヤちゃんにまで……ほんと情けないなぁ)

 

 勇気を出せずに声を掛けられなかったのに、こうして意図察してくれた事に感謝しつつも消沈する。

 そんな事を思っている間に白い少女は自分の直ぐ隣まで歩いて来て……明日菜はドキリとし、鼓動がトクトクと早く胸を打つのを自覚した。何故なら―――

 

「…やっぱり此処の星空は綺麗ね。麻帆良じゃあ都会程じゃないけれど、地上の光が強いもの」

 

 そう言って、隣に立った彼女は撫でる風によって銀の髪を揺らす。

 何故なら、そのイリヤの姿は変わらず大人のままだからだ。ただ今は流石に着飾っても居らず、化粧もしてはいないが、それでも透けるように薄い白のナイトガウンは彼女によく似合い、その薄さゆえに身体の線が際だって非常に魅惑的であり、その美貌は化粧が無くとも…いや、無いが故に魔性的な印象が失せて自然な美しさだと思えた。

 

(ホントすっごい美人よね。それにエヴァちゃんが言うにはこの姿は魔法による幻術だけど、イリヤちゃんが成長した場合のものをほぼ偽りなく反映したものだっていうし、くーへぇじゃないけど……うん、在り得ないほどの反則よね)

 

 生来の眼の良さと明るい月明かりのお蔭でハッキリと見えるイリヤの姿に、明日菜は相談すべき事を一時忘れてそんな事を思う。絶世の美女っていうのはこの少女(イリヤちゃん)のような人の事を言うのだろう、とも内心で呟いて。

 その見惚れた視線に気付いたのか、イリヤは微かに苦笑を浮かべる。

 

「御免なさい。確かにちょっとこの姿は話し辛いわね。普段とは印象が違うでしょうし、でもエヴァさん特性の魔法薬だから効果が切れなくて…」

「あ、うん、大丈夫よ。気にしないでイリヤちゃん」

 

 イリヤの言う通り、彼女が大人の姿のままなのは着飾る際にエヴァ自前の詐称薬を呑まされた為だ。それももう暫く大人のイリヤを見ていたいという我が侭から解呪も許されていなかった。

 

「ふふ…まったく困ったものよね」

「そうね、最近のエヴァちゃんは特に…ううん、元から困った所はあったから特に…じゃなくて別の意味で、かな?」

 

 愛らしい金髪の少女の姿を脳裏に浮かべて、二人はクスクスと笑い合う。

 明日菜も理由は知らないが何となく判る。最近エヴァが丸くなっていて、何故かイリヤに甘えているような感じなのが。だから木乃香は昼休みの時に変な勘違いをしたのだ……まあ、それを含めてエヴァにその態度を指摘すると後が怖そうなので黙ってはいるが。

 

「ふふ、エヴァさんに聞かれると大変だし……この話題はここまでにしましょうか―――」

 

 イリヤは一頻り笑うと、微笑ましげな表情をやや真剣なものに切り替え、

 

「―――で、私に何か話したい事があるの、アスナ?」

 

 そう明日菜を赤い宝石のような目で見据えた。

 

 

 

 ジッと向けられる赤い眼に明日菜は直ぐに口を開くことは出来なかった。

 当然だ。

 そんな簡単に言える事であれば、こんな何時までもウジウジと葛藤する訳が無い。例え言うべき相手が“違っていても”。

 

 けど―――

 

(それじゃあ、本当に何時まで経っても何も変わらない。あのネギだって覚悟を決めて自分の過去を…口にするのも辛い出来事を話したんだから。なら私だって―――)

 

 知らず内に胸元に置いていた両の手をグッと握り、明日菜は一度深呼吸してその重たい口を開いた。静かに己の言葉を待つ…いや、待っていてくれる白い少女に向かって。

 

「……夢を見るんだ」

「夢…?」

「うん、夢。最近……ううん、本当はずっと昔からかも知れない。そんな感じがする不思議でおかしな夢―――」

 

 そうして明日菜はゆっくりと、

 

「それを自覚したのは、きっと大変だった修学旅行が終わった後―――」

 

 一つ一つ確かめるかのように語って行く。

 

「ホントおかしな夢なの、私は見た事もない所に居て、写真でしか見た事がない人と―――」

 

 無表情なのに、何処か泣いているかのように、

 

「…人達と、高畑先生に似た渋いオジサンと、あのネギのお父さんだと思う人と―――」

 

 泣きそうなのに、何処か嬉しそうにも見える顔で―――

 

「子供の私は、その二人と一緒に色んな所を旅しているんだ」

 

 寂しく、懐かしそうに語った。

 

 その夢の内容は他愛のないものだった。

 ある時は、星空を天蓋に寝具も碌に無い場所で夜を明かし。

 ある時は、その日の食事にも困り、適当に狩って来たネズミやモグラ、もしくは雑草にしか見えない野草を食べ。

 ある時は、ネギのお父さんが馬鹿をやって、それをオジサンが呆れ怒って、後ろから追い駆けて来た猛獣やら怪獣から逃げまどい。

 ある時は、見知らぬ街の中で迷子になり、自分を見つけた彼等に勝手に動き回るなと叱られ。

 ある時は、些細な事で珍しく怒った自分に大の大人の二人が情けなくも平謝りしていて。

 ある時は―――

 ある時は―――

 ある時は―――

 

 そんな、他愛のない日常が続く夢だ。

 

 けれど―――

 

「―――うん。他愛のない日々だけど、楽しそうなんだその二人は。きっと私も……子供の私も顔には出してないけど、楽しいって思っていたんだと思う」

 

 泣きそうで、嬉しそうで、寂しそうで、懐かしそうで、色んな感情の混じった複雑な声と表情で明日菜はそう締めるように言った。

 そして、

 

「何時もなら起きて暫くしたら忘れちゃうのに、何だか今日はハッキリと覚えているんだ。だから楽しい、楽しかったって確かに思えるんだと思う。ねえ、イリヤちゃん―――」

 

 明日菜はイリヤを見詰め、一転してまるで感情の欠いた光の無い瞳と真っ白な紙のような無表情な顔で尋ねる。

 

「これってなんなのかな? 本当に夢なのかな?」

 

 と。

 

 

 

「ッ―――!」

 

 その能面のような感情の無い顔を見た途端、イリヤはゾワッと背筋に寒気が奔るのを感じた。あらゆる感情を削ぎ落した無色の……まるで人形のような顔に。その癖、そこには幼子が疑問を口にするような無邪気な“色”があるのだ。

 正直、得体の知れない怪物を目の前にしたような恐怖が在った。

 そう、下手な答えを返せば、取り返しの付かない事が起こってしまう怖さみたいなものがあった。

 

(…いえ、“みたい”じゃなくて事実そうね)

 

 イリヤはそれを確かな予感として覚えた。

 修学旅行の事件が切っ掛けなのか、それとも先のヘルマンの一件が決定的だったのか、明日菜の記憶の封印は確実に綻んでおり、己自身への疑問とタカミチ達への疑惑、そしてそこに在る多くの感情(おもいで)と共に溢れだそうとしている。

 恐らくは、壊れかけた堤防やダムのように神楽坂 明日菜という今の(かのじょ)亀裂(ひび)を入れて。ほんの少し力を入れて叩くだけで簡単に決壊し(こわれ)てしまう程に。

 

(尤もそれ自体は予想していたんだけど……ここまでなんて。思った以上に酷い状態ね)

 

 明日菜の様相にイリヤは内心で愚痴り、歯噛みする。もっと早くに話をすべきだったと、自分もそうだが、タカミチと学園長にアルビレオもだ。忙しさを理由にのんびりし過ぎた。いや、その内、一名は暇人なのだが……それは兎も角、原作知識による先入観や元気そうな彼女の様子からまだ余裕があると見ていたのもその原因だった。

 

(ユエとノドカが此方の道を進む事に覚悟した時に多少は吹っ切れたように見えたけど―――私の観察力もまだまだね。アレは一時凌ぎ…空元気に過ぎなかったって事か)

 

 空元気も元気の内…なんて言いもするけど、当てになるものじゃないという事なのだろう、とも思う。

 やや消沈し、気分が落ち込むも。そうもしてられないとイリヤは気を入れ直す―――が、

 

「―――イリヤちゃんは知っているんじゃないの?」

 

 イリヤが返答を考えるよりも先に、明日菜の方が続けて再度問い掛けて来た。

 

「この夢の事、私の力の事……ううん、どうして孤児(みなしご)なのか? 昔の事も……私がどんな過去を持っているのか? 全部知っているんじゃないの? だってイリヤちゃんは魔法協会の正規の職員で、学園長の信頼も厚いんだもの―――」

 

 ガラス玉のような色の無い無感情の眼で、されど色濃い疑問と疑惑の籠った声色で明日菜は言う。

 

「―――ねえ、イリヤちゃん。どうなの? 本当の所を教えて…?」

 

 明日菜の問い掛けにイリヤは数秒ほど顔を伏せて考え……うん、と一つ頷く。誤魔化さずに真っ正直に思うままに話す事にした。それが自分にとって今の彼女に出来る最善の事であると信じて。

 

 

 

「―――ええ、知っているわ。貴女の見る夢が何であるのか、その力がどのような物か、孤児である理由も、その過去も…全部」

 

 僅かに伏せていた顔を上げて彼女はそう言った。

 そして真っ直ぐ向けられる緋色の瞳に明日菜は、あ…と小さく声を零した。

 ただしかし、尋ねた事、知りたい事、それらを全部知っていると言われて、次にどうすべきか、何を言うべきかは判っていなかった。

 疑問に思っていた事の答えが直ぐそこに……目の前の白い少女が持っているというのに、その答えを促す為の言葉が出せなかった。

 そう、踏ん切りを付けようと、勇気を出して一歩踏み出そうとしたのに躊躇してしまった。恐らく判っているのだろう…自分でも。そこへ踏み出したらもう戻れないと。

 

(けど、進まなきゃ行けない。私は知らないといけない。だってそうじゃないと…)

 

 夢の事をイリヤに話した所為か、何時になく胸に強い焦燥感があり、何かに急かされるようにそう思う。

 しかし―――

 

(でも、敢えて進む必要なんて無い。知る必要なんて無い。だってそうでないと…)

 

 頭の芯から響く痛みが今までに無いほど強く、急かす心を引き留めようと訴えて来る。

 

(だって、だって―――)

 

 ―――そうじゃないと、

 

 ―――そうでないと、

 

(―――あの“二人”が、“彼等”が……ギセイとなって、シアワセを願ってくれた“あの人達”が報われないもの)

 

 明日菜の中で相反しつつも願いを同じくする想いが鬩ぎ合う。ギシギシと音を立てて、互いにもう片方の想いを潰そうとするかのように。

 その葛藤と鬩ぎ合いの結果がその双方の想いを共倒れに押し潰し、己を破綻させてしまう事になるとは気付かずに。

 

 明日菜は胸の苦しさと頭痛……自覚出来ないその葛藤故に問うべき言葉を出せず。イリヤはそれに気付いているのか、いないのか……いや、ある程度察しは付いているのだろう―――が、気付かない様子で躊躇する明日菜に構わずに言葉を続けた。

 

「けど、私からは言えない。教える事は簡単だけど……出来ないわ」

「え…?」

 

 思わぬ言葉に明日菜は惚けた。胸に在る苦しさと頭痛も安堵するかのように一時消える。

 

「それは私の役割じゃないから…―――この意味、判るわよね」

「あ…」

 

 再度声を零した。同時に理解出来るその“意味”に胸の苦しさと頭の痛みも疼いた。

 明日菜は再発したソレに堪えられず、右の手で頭を、左の手で胸を抑える。そんな辛そうな様子を伺いつつもイリヤは尚も言った。

 

「アスナ、貴女はそれを知りたいと思っているし、知りたくも無いと思っているんだと思う。私は知っているから判る。その迷いと葛藤が、貴女が何に怯え、何に急かされているのか…が」

「イ、イリヤちゃん…」

 

 苦しさと痛みに何とか堪えて伏せそうになる顔を上げて、助言者たらんとする白い少女の顔を見詰める。

 大人の姿となった事で普段とはまた違う、非常に大人びた貫録に満ちた彼女の顔。真っ直ぐ見詰め返して来る紅玉のような綺麗な瞳に吸い込まれそうで……明日菜は苦しさと痛みを忘れる事が出来、その整った唇から出る言葉に落ち着いて耳を傾けられた。

 

「だから良く聞いて、考えて―――」

 

 吸い込まれそうなほど綺麗な眼で見詰められ、

 

「怯え、急かされ、迷い、葛藤するそれはとても大事なモノだから―――」

 

 心地良く入ってくる声に気が楽に成り、

 

「大事なそれは、これから行く貴女の運命を決めるモノだから―――」

 

 母の(かいな)の中に居るように落ち着けられた。

 

「拒絶せず、否定せずに、向き合いなさい。進みたいと思うのなら。受け入れず、忘れ、今在るものにだけに眼を向けなさい。それが本当に願いだと思うのなら。この二つの選択が運命を決める分岐点。進む事を選べば、貴女の在る世界は一変する。或いはそれが願いだと選ぶのであれば、“夢”となって貴女の世界は戻る」

 

 だから良く聞けて、考えられた。この不思議な白い少女が言う抽象的な言葉の数々の意味を理解して。

 

 前者を取れば、後に引けない運命へと、平穏な世界に戻れなくなり、己に課せられた原罪の道へと流転するのだと。

 

 後者を取れば、何も知らない春先の頃へと、平穏な世界へと戻り、今日まで在った騒がしかった全ての日々が泡沫の夢になるのだと。

 

「イ、リヤ、ちゃん…」

「“アスナ”、どちらを取るかは貴女の自由よ。タカハタ先生に向き合うか、それとも無かったモノとして背を向けるか……結局、私にはそれしか言えない。貴女に在る問題は、貴女自身とタカハタ先生の二人が答えを出すモノだから」

 

 そう言い、白い少女は自分に頭を下げた。何処か申し訳なさそうな辛そうな顔で。

 彼女が言う通り、結局はそういうモノなのだから。明日菜とタカミチが決めるべき事であり、不人情だと言われようとイリヤが勝手に答えを口にするのは不義理なのだと。

 明日菜……“アスナ”は、そんな少女の考えを「もう勝手に決めてくれれば良いのに」「だったら楽なのに」「だから話したのに」と頑なだと不満に思ったが、

 

「ありがとう、イリヤ」

 

 気付くとそう感謝の言葉を口にしていた。頑なであろうとそれが少女の優しさと誠意だと感じた故に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――ありがとう、イリヤ」

 

 感謝の言葉に驚き、頭を上げるとそのオッドアイの少女は既に背を向けており、夢遊病者のようなフラフラとした足取りで鍛錬場を後にしようと、テラスの方へ向かっていた。

 そして、背中越しに彼女は言う。

 

「“明日菜”と話して彼女に全部任せる。“わたし”はもう邪魔しない」

 

 と。

 更に驚かせることを。

 

「―――!?」

 

 驚愕に目を見開いたイリヤは一瞬どう返事をしたものか迷ったが……別段、返事を求めての事では無いのだと直ぐに察し、そのまま黙って少女の背中を見送った。

 

「はぁぁ―――」

 

 明日菜の背中が視界から消えると、イリヤは大きく息を吐いた。

 どうやら良い結果に向かいそうだと…いや、それはまだ判らないが、どうにか“アスナ達”を壊さずに済んだと安堵したのだ。

 途中、辛そうな彼女に危うさを覚え、今の状態ならば抵抗される事は無いだろうと『暗示』を使ったのだが、

 

「もしかすると、それが上手く作用したのかしらね」

 

 確かに明日菜のみならず、アスナにも呼び掛ける積もりで言葉を掛けたが、まさかこうもハッキリと表に出て来るとは思わなかった。

 

「やっぱりそれだけ記憶の封印が綻んでいたって事…か」

 

 呟き、それを意味する事を思う。

 封じられていた筈のそれが…記憶が零れ、(なか)に在る過去の彼女―――アスナに目覚めつつ…いや、戻りつつあった状態であるにも拘らず、今日まで明日菜に僅かな影響しか及ぼしていなかったのは……。

 

「多分、内に在る過去の“あの子”自身がそれを望んでいたって事…」

 

 神楽坂 明日菜として何も知らない普通の女の子として生きて行きたかった、と。

 

「でも……今在るあの子はそれを望まなかった」

 

 解れた封印の影響で見た夢によってアスナ(かこ)の事を気付いた明日菜が捨てては行けない、忘れては行けない大事なモノだと無意識ながらも受け入れようとしたのだろう。

 

「なんていうか…矛盾というか、皮肉というか」

 

 普通の女の子として“平穏に生きて来た自分自身”が、よりにもよって否定する普通じゃない“平穏に生きられない自分”を大事だというのだから。

 イリヤは思わず肩を竦める。如何にもあの真っ直ぐな性格を持った明日菜らしい事だと。まあ、ともあれ―――

 

「“あの子”が納得した以上、明日菜は前を進む事を選ぶでしょうね。なら後は―――」

 

 ―――“彼”次第だ。

 

「…頑張りなさいよ」

 

 イリヤは放課後……別荘を訪れる前に自分の所へ姿を見せたその“彼”に声援を送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは放課後の自分の撮影が終わった後の事だ。

 夕陽も半ば沈んだ黄昏が深まった時分の事である。

 

「…イリヤ君、話があるんだけど、少し良いかな」

「タカハタ先生…?」

 

 帰り支度を終えた自分の前に、灰色に近い銀髪を持った彼が教室に姿を見せた。

 教室に居る生徒は自分だけで、先程まで一緒だったエヴァと茶々丸は先に昇降口へ向かっており、今頃は校舎の前で自分が出て来るのを待っている筈だ。

 最近の様子を思うと、今か今かと昇降口とこの教室の方へ視線を交互に向けながら自分が彼女の視界に姿を見せるのを待っている事だろう。

 正直、それなら一緒の教室を出ればいいと思わなくも無いのだが、それで支度が遅れた自分を教室で待つというのは、どうもエヴァ的には如何にも一緒に下校したがっていると、あからさまなようで恥ずかしいらしい。

 イリヤには今一つ理解出来ない事だが、年上の妹分の心情は何とも複雑である。

 

「良いけど、何の用かしら?」

「うん……」

 

 イリヤはエヴァの事を頭の片隅に置いてタカミチに向き合い。彼はホッとした様子で頷くも……なかなか口を開こうとしない。

 その様子にイリヤは眉を顰めるが、何とも言い辛そうな表情である為、黙って待つ事にする。

 数十秒の沈黙の後、タカミチは一度溜息を吐くと、何処か呆れたような表情をし……次に苦い表情を浮かべて話を切り出した。

 

「明日菜君の事なんだけど…最近の彼女は……その、どうなのかな、と思ってね」

「…………」

 

 今度はイリヤが沈黙する。具体性の欠いた問いに意図が解らなかった訳では無い。彼と明日菜の関係やその過去の事情を知っていれば、考えるまでも無い事だ。

 加えて、先の襲撃事件の事もある。

 あの事件で明日菜は自分の持つ力の事を知った。無論、全てでは無い。ウェスペルタティア王族の末裔たる“黄昏の姫巫女”である事は知らない―――が、それでも彼女は自分の持つチカラが極めて異質だと気付いた…いや、敵の標的にされ、人死にまでも出た事件の引き金となった為に気付かされた。

 イリヤはその場に居合わせた事もあり、明日菜が疑問を抱いた事を知っている。それに事件後の彼女の聴取や報告書でもそういった疑問を抱いている様子が見受けられたとも聞いていた。

 ちなみに明日菜のみならず、事件に巻き込まれたネギパーティー一同の調書を取ったのは、近右衛門の信任が厚い協会の幹部クラスである明石と弐集院だ。その為、情報漏洩の心配は無い……その代わりに件の二人は色々と気付く事になったが。

 

 考えるまでの無い事であったが、イリヤは最近の明日菜の様子を少し思い返してタカミチの問いに答える。

 

「そうね。元気に振る舞ってはいるけど、思い悩んでいるようでもあるわ。あと…頭を押さえている姿を此処の所よく見るわね。コノカも気付いていないフリをしているけど、随分心配しているわ」

「…そうか」

 

 軽く息を吐きながらタカミチはイリヤの言葉に頷いた。

 

「実はさっき、久し振りに明日菜君と会ってね。だから彼女が思い悩んでいるのは分かっていたんだ」

 

 明石教授と弐集院さんからも話は聞いているし、一応報告書にも目を通したし…とタカミチは続ける。しかし、

 

「―――ふう」

 

 再度息を吐くと彼はそのまま沈黙した。その姿は如何にも迷い悩んでいます、と言ったさまだ。そんな良い歳した中年男性の情けない有様に今度はイリヤが溜息を吐いた。

 

(それで私の所に来た訳か…)

 

 明日菜の身近にいる人間の中でも詳しい事情を知り、最も頼りに成る自分の所へ彼女の様子を伺う事をついで…いえ、それを建前にして相談に来たのだ。このオジサンは…。

 そんな事を思った為か、イリヤの眼はやや鋭くなり、そのジロリとした視線にタカミチは思わず半歩後ずさって「う…」と呻いた。

 それを見るに今の己が……三十路近い―――いや、“別荘”での修業期間を含めると事実、30過ぎているオッサンが10歳程度(見た目は)の少女に頼ろうという情けない姿に自覚があるのだろう。

 イリヤは二度(にたび)溜息を吐くが、こうして相談に来た彼を無碍に扱えないと、また明日菜の為でもあるので仕方なく真面目に応じる事にした。

 

「…まったく、判ったわ。取り敢えず相談に乗って上げる」

「す、すまない。自分でも情けないのは判っているんだが……」

「いいわよ。貴方の気持ちは判らなくもないし、こうして頼られるのは嫌いじゃないしね。…でも貸しよ、これは。無償で引き受けるほど私はお人好しじゃないから」

「ああ、それでも助かるよ」

 

 応じるイリヤにタカミチはホッと息を吐きながらも苦笑した。

 

「それじゃあ、先ず肝心なのは貴方がどうしたいのか…ね。アスナにこのまま何も教えないのか? それとも教えるのか? 教えるにしても全てなのか? 一部なのか?」

 

 苦笑するタカミチをイリヤはジッと探るように見詰めた。

 しかしイリヤは実の所、だいたいどのような結論を出しているのかは察しが付いている。原作では何故かおざなりになってしまったが、彼は明日菜との学祭デートの最中に教えるような事を仄めかしていた。

 こうして相談している事といい、迷いを見せている事といい、色々と原作とは異なる事が多いこの世界だが、恐らく根本にあるこの考えは変わらないだろうとイリヤは思っている。

 何故なら襲撃事件以降、“頭痛を覚える明日菜”にタカミチも近右衛門も“何もしていない”のだ。自分に尋ねるまでも無くとっくに“ソレ”に気が付いている筈なのに、何か対処しようとする動きが一切無い。

 ならそれを意味するのは―――

 

「―――話そうと思う……全てを」

 

 逡巡するように口を噛み、それを振り払うように左右にゆっくりと頭を振った後で彼はそう答えた。けれど……。

 

「……けど、それでも迷っているのね。決めたのに、そう結論を出したのに」

「ああ、だから今日何とか彼女と顔を合わせたというのに……本当に良い歳して情けない。全てを話すにしても学祭前にしておけば、後の学祭で騒いで落ち込んだ気分が少しは晴れると思ったんだ」

「…微妙な判断ね」

「うん、正直そうも思うよ」

 

 楽しい学祭前に重い話をされて楽しく騒げるか?…と聞かれればYESとは言い難い。むしろマイナスな気がする。況してや今はその準備で忙しい盛りである。ここで明日菜に落ち込まれたら3-Aクラス一同の今日までの頑張りが無駄になりかねない。

 かといってタカミチの言葉もまた否定は出来ない。落ち込んだ時に忙しく、また楽しく騒げば気分が楽になる場合も確かにあるのだから。

 

「まあ、それは良いわ…とは言えないか。出来るなら前よりも学祭の最中か、後にした方が良いわね」

「…確かにその方が良さそうだね。クラスの出し物は上映会で…その撮影を頑張っているようだし…」

「ええ、お願い。それに水を差す事になったら、それこそアスナが後悔するだろうから…」

 

 イリヤの念の押しにタカミチは首肯する。

 

「……それで、話す事を決めたのに、貴方はいざそうしようとしても怖じ気づく、と」

「うん、何度も言うようだけど……情けない事に、ね」

 

 イリヤが改めて尋ねると、タカミチは自嘲ぎみに答えた。

 

「…話す事自体は良いんだ。それで僕が非難されようと、記憶を奪った事や過去の事を黙っていた事で明日菜君が僕を責めるのは……いや、卑怯だな。責められた方が楽になれるとさえ、僕はそう何処かで思ってしまっている。それでこの重石を下ろす事が出来るのならって……勿論、嫌われ、避けられる事を考えると辛くもあるけど」

 

 目線を伏せてタカミチは尚も語る。

 

「だけど、やはり怖いんだ。僕が傷付くよりも、楽になれるって卑しい感情よりも……それ以上に明日菜君が笑えなくなるのが…」

 

 そこで彼は何かを深く思うように一拍黙り、

 

「全てを知って思い出す事で、その過去に…重い運命に翻弄にされて、もし押し潰されてしまったら……ナギさんと師匠が命を掛けて守った彼女が、あの二人が願った幸せを明日菜君が…アスナ姫が得られなくなるかも知れない事が……怖い」

 

 ギリッと歯を鳴らす音が聞こえた。

 

「確かに記憶を…大切な思い出を消そうとしたのは大きな罪なのかも知れない。師匠の…いや、もしかするとナギさんもかも知れない。残した遺言が在ったとはいえ、それは僕が行い、背負った罰だ。安易に許される事じゃない…! けどそれは必要な事だったと思う。でないとアスナ姫はあの時に生きる意欲を失い、心を完全に閉ざしていただろうから…!」

 

 グッと拳を握りしめてタカミチは、思いの丈をぶつける様にしてそう静かながらも熱く語った。だがその直後にまたも目を伏せて自嘲する。

 

「…しかしこれは、エゴなの…かな? 勝手な思い込み、身勝手な押し付け、逃避の言い訳なのかな…?」

 

 そう言い、表情に影を落とした。

 イリヤはそれに頷くと同時に、首を横に振った。

 

「そうね。でも間違ってもないでしょうね。あの子が麻帆良で今こうして屈託なく笑っていられるのは、忘れられていたお蔭なのだから」

 

 重い運命、許されぬ罪、過酷な過去を背負った黄昏の姫巫女であった“アスナ”に救いの手を伸ばし、希望を…生きる意味を与えようとしてくれた大切な人達を目の前で失ったのだ。その絶望と傷心を思えば、記憶を消してでも救いたい、幸せにしたいと思う気持ちは判らなくはない。

 

(…そう、ただでさえ、“物”として扱われ、“何も無かった”と言って心を殺していた子供だったというのに……そんな絶望に晒されたら、それこそネギどころか、シロウのように本当に心が死んで“歪”になりかねなかったと思う。だからガトウ・カグラか、ナギ・スプリングフィールドか、その二人の判断は間違っていない。アスナの将来を思えば……でも、)

 

 最愛のシロウ(おとうと)のどうしようもない事例が在るからイリヤは思う。けれど……否、だからこそ思う。そんな過酷な過去から眼を背けず、歪ながらも歩んだ弟の事を知るからこそ―――それでも何が大切か、幸せの意味を確かに掴んだ“自分が別れを告げた(あのせかいの)”シロウを知っているからこそ言う。

 

「それを清算し、向き合う時が来た…って事でしょうね」

「それは……判っているよ。ネギ君と関わり、こちらの世界に足を踏み込んで…“奴ら”も動いているんだ。何時までも知らないままでは居られない」

 

 タカミチは暗い表情のまま、イリヤに答えるが…彼の言葉にイリヤは再度首を横に振った。

 

「いえ、それは違うわ……ううん、違わなくも無いけど、私が言いたいのはそれとは別の意味でよ」

「…?」

「はぁ……存外鈍いというか、見えていないというか、考えが足りない―――いえ、考え過ぎて見えなくなっているというべきか……まったく」

 

 何を…? という訝しげに首を傾げるタカミチに、イリヤは「シロウといい、ネギといい、何で私の回りにいる男の人達はそんなのばかりなのか」と溜息を吐く。

 

「師の遺言を果たす時が来たって事よ。貴方は聞いたでしょ? 学園の地下でアルビレオと学園長から……ま、残したガトウ・カグラはもっと大人になってからと思っていたんでしょうけどね……多分」

「…ッ」

 

 イリヤの言葉にタカミチはハッとする。

 

「師匠の遺言…」

「ええ、アルビレオと学園長の話を聞く限り、ガトウ・カグラもまたアスナに何れは話す時が……彼女が全てを受け入れるほどの“強さ”を持つ時が……知ったとしてもそんな辛い過去(こと)には負けない、“何も無かった”あの子が負けずにそれを望めるだけの、手にしたモノを手離したくないと思うほど、幸せの意味を理解する時が来る…って信じたのよ、きっと」

「…!」

「魔法を使えず、才能が無くとも諦めず努力を続ける貴方が―――タカハタ・T・タカミチが立派に成長し、何時か遠くない未来に、ただの称号や資格としてでは無く。自分達のような本当の意味で世の為、人の為となる“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”なると信じた様にね」

「……イリヤ、君」

 

 タカミチは呆然とした表情でイリヤを見詰める。

 そんな彼の表情を見。イリヤは正直、喋り過ぎたかな? と思わなくもない。ガトウなる人物を知っている訳でも、明日菜の過去を姿や言葉を見た訳でも聞いた訳でも無いのに、それを知りもしないと言えない事を口にしているのだ。

 しかしイリヤは言葉を止める積もりは無かった。迷いを抱えた彼を見てられない、もどかしいと思ったのだろう。これで自分が奇異の視線で見られるかも知れないというのに……。

 

(さっきはあんな事を言っておいて……ほんと随分とお人好しになったものね…私も。他人をこうも気に掛けるなんて…)

 

 イリヤは内心で溜息を吐くが気付いていない。エヴァや明日菜達と同様、タカミチを自分の友人……身内として捉えている事を。幾ら変わろうと本当に他人と考えているのであれば、気には掛けてもイリヤはここまでしない。或いはネギと同様、何処か自己を置き去りにしている彼に士郎と似通ったものを感じた為か。

 それに気付かぬまま、イリヤは言う。

 

「―――で、聞くけど、タカハタ……いえ、タカミチ。貴方はアスナを信じる事が出来る? 師が望んだ幸せの意味を理解し、過去を乗り越えられる程の大人…とはまだ言えないけど、強い少女になったと思う? それとも―――」

 

 スッとやや目線を鋭くしてイリヤは告げる。

 

「―――貴方にとってはまだ彼女はあの頃のままなのかしら。“何も無かった”頃の達観したように全てを…自分の明日さえも信じられないと諦観していた幼い子供のままなの?」

 

 

 

 タカミチは直ぐに答えることは出来なかった。

 まるで弾劾するかのようなその眼と、言葉に。

 

 ―――そんなことは無い!

 

 と。

 反論しようとしたが出来なかった。

 そう、今にしてタカミチは思い知らされたのだ。自分は彼女を守る対象として、その傍で成長をする姿を見守って来たというのに……いや、だからこそ自分はあの頃と変わらない、守るべき幼い子供としてしか見てなかった。

 

「ああ…そうか、なんて」

 

 思わず言葉を零す。

 本当の意味で彼女の見せる幸せそうな笑顔と、その成長を理解してなかったと。

 

「…未熟、無様なんだろう、僕は……」

 

 嘗ての頃と比べ物になれない程の力を身に付け、多くの経験を得て、酸いも甘いも知り、とうに大人と呼ばれるほどの歳を過ぎているというのに――――……自分は全く成長出来ていなかった。

 赤き翼(アラルブラ)の皆に憧れた頃の……憧れた彼等の背中を追っていた頃と、師と死別した頃となんら変わっていなかった。

 しかし―――

 

「―――別に良いんじゃないのかしら? それでも」

 

 それを気付かせた、弾劾してきた筈の白い少女が言った。

 

「…未熟、無様だと思っていたからこそ貴方は強くなれた。努力出来た。師が望んだ“偉大なる魔法使い”の姿になれた。例えそれが“何も出来なかった”贖罪の気持ち(おもい)からのモノであっても、それが貴方を成長させた」

「……イリヤ君」

「ええ、貴方は確りと成長出来ているわ、立派にね。その未熟な少年のままの心で。だからこそ真っ直ぐにね」

 

 ま、多少過去を引き摺り過ぎているのが玉に瑕だけど…とも言うが、

 

「だってそうだからこそ、アスナはあんなにも明るく元気な良い子に育ったんだもの。そう頑張って来た貴方の…親代わりだった人の背中を見てね」

 

 優しい笑顔でイリヤはタカミチを称賛した。そして―――

 

「―――だから貴方も勇気を…自信を持って向き合いなさい。自分を見て育った彼女がどんな少女に育ったか、本当に強くなれたのか、過去に押し潰されないぐらいに幸せに笑えるようになったかを、しっかりと理解する為に」

 

 そう、笑顔のまま厳しく叱咤するように言われた。そこに―――

 

『やれやれ、男なら何時までもウジウジと悩むんじゃねえ…それでも俺の弟子か! 一人前の男に成ったってんならそれらしくバシッと決めやがれ。そしてあの嬢ちゃんを紳士らしく立派なレディに成ったって褒めてやれ。それをお前が守り育てたんだ!…って自信を持ってな』

 

 そう怒る亡き師の姿を見た。

 白い少女の背後に立つように……無論、それは錯覚に過ぎず、自分が勝手に都合良く思い浮かべた妄想(まぼろし)なのだろう。未熟を脱せない自分が師の言葉による後押しを欲しての。

 けれど、

 

(はい! 師匠…!)

 

 例え錯覚でも、妄想でも、未熟さから来る弱さでも…いや、だからこそ己に負けない為に、師に向かってタカミチは心中で力強く答えた。

 その返事に納得したのか、それとも死んだ後も面倒掛けさせやがって、と呆れたのか、幻の師は「フ…」と口元を不敵そうに歪めて……消えていった。

 愛飲の煙草を咥えて、紫煙を燻らせながら振り返って背を見せ、その場から立ち去るように…軽く手を振りながら。

 

(ありがとうございます。師匠…)

 

 消え行く師の姿にタカミチは目礼し、その背中を見送った。

 

「ありがとうイリヤ君。こんな情けない僕の話を聞いてくれて…だけど、もう大丈夫だ。明日菜君ときちんと向き合うよ。不出来とはいえ、親としては子供に無様な所は見せられないから、確りと自信を持ってね」

「ええ…頑張ってね」

 

 明るい笑顔を浮かべてタカミチは言い。イリヤも笑顔で応援した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「でも凄いなイリヤ君は。色んな事が見えて……まるでナギさんやアルのようだったよ」

「そう? 貴方や学園長、アルビレオから聞いた話から感じた事、思った事を言っただけなんだけど…」

 

 余り疑問に思っていないようだが先程のイリヤの言葉をやはり不思議に感じたのだろう。何処か妙なものを見る視線で言うタカミチにイリヤは適当に嘯いた。探る様子の無い彼の態度に警戒する必要は無いと思ったのだ。

 恐らく彼の言葉にある通り、ナギという“勘で物事の本質を当てる”人間と、アルビレオという“一を知り十を知る”という諺を体現したヒトを前例として知っている為だろう。それに先日の地下での事もある。

 

「これでまだ18だって言うんだから……ホントどちらが年上なのやら―――……もしかして本当はもっと年上だとか、僕よりも…」

 

 嘯くイリヤにタカミチは一瞬苦笑し―――ハッとしてそんなことを言う。張り詰めていたものが切れて気が緩んだせいだろう。イリヤはその言葉にピクリと眉を動かす。

 

「それは、私がオバサンっぽいとか、お婆さんっぽいとか言いたい訳…? 子供扱いされるのは慣れたものだけど…ふふ、中々新鮮な言われようで―――…こう、“捻り”たくなるわ」

「なっ…何を、何をひね…!? い、いや…じゃなくて、別にそういう意味じゃあ…」

 

 笑顔なのに黒いオーラを感じさせる顔を見て、タカミチは慌てて首を振った。

 慌てる彼の姿にイリヤは気を落ち着ける。タカミチの言葉に自分なりにふと思う所が在った為だ。

 

「まあ、良いわ。勘弁して上げる。自分でも此処の所、老成してきたような気がしていたし……アインツベルンの最後のさ…コホン、継承者として受け継いだものが多すぎるしね」

 

 作品(ホムンクルス)と言いそうになり、イリヤは咳払いし、訂正して言った。

 その言葉にイリヤが自分の事を語る事に珍しさを感じたのか、それとも単なる興味か、好奇心を露わにタカミチが尋ねる。

 

「確か千年を超える魔法使い…いや、魔術師の一門だったね。やっぱり色々と多く…学ぶ物があるのかい?」

「学ぶ…か、そうであったらまだ良かったのかもね」

「…どういう意味だい?」

 

 タカミチの問いにイリヤは眼を閉じて微かに考える。秘密主義な魔術師の一族たる自分が何でこんな事を話す気分でいるのか、を。

 

(ま、考えるまでも無いか。こんな世界に来て、ネギ達の助けになるって決めた事もそうだけど―――)

 

 僅かな間に結論を出してイリヤはタカミチの疑問に答える事にする。

 

「学ぶまでも無く識っているって事よ。生まれた時から…いえ、生まれる前……母の胎内に居た時からね」

「!―――そ、それって…」

「ええ、だいたい想像通りよ。そういう風に私達は世に誕生すると決まった瞬間から手を加えられるの。後の世代に相応しい…或いは先代が望んだ機能・性能を発揮出来るように必要な知識と力を与えられるのよ」

「ッ…、だがイリヤ君! それは…ッ!」

 

 イリヤの答えを聞いて驚愕の表情を浮かべたタカミチは、直ぐに険しい表情でイリヤを見据えた。

 温和な彼が怖いと思うくらいの表情。その怒りが何に向けられているのかは明らかだ。アインツベルンという魔術一族であり、それを平然と受け入れているイリヤ自身にだ。

 だが、イリヤはそれを苦笑するだけで受け流す。

 

「だけど勘違いしないで、魔術師の家系が何処も彼処もそうしている訳では無いわ。私達…アインツベルンが特更、特殊なだけ…」

「いや、問題はそういう事じゃないだろ…!」

「判っているわ。世の為に在らんとする貴方達魔法使いにして見れば異常だと、非人道的だって言うのは……けど、魔術師っていうのはそういうものなの。極端に行ってしまえばその一族、家系そのものが道具なのよ。魔術を成し、根源へ至る為の手段や装置、或いは機械……もしくは工場かしらね。だからそれが効率的だと、目的に近付ける最善の方法だと言うなら、それを何よりも優先するわけ。そこに人道…道徳観、倫理観なんていう人間性(モノ)は余分なの」

「そ、そんな事は、しかし…だが―――くっ…!」

 

 苦笑し冷然と言うイリヤの言葉にタカミチは反論しようとしたが―――悔しそうな表情をするだけで歯を噛み締めるだけに留めた。

 あくまで並行世界の事であり、自分達と価値観(ルール)が違うといってしまえばそれまでの事なのだ。

 そしてタカミチから見れば、その非人道的な行いの被害者とも言えるイリヤが納得しているのであれば……彼も受け入れるしかない―――少なくともこの時はそう思った。

 そして、十秒ほどして彼が深く息を吐き、気を落ち着かせたと見たイリヤは話を続ける。

 

「さっきも言ったけど、特に私の家系はその極致に在るのよ。だからイリヤスフィール(わたし)は生まれた後も色々と、幾度も繰り返し調整を受けて来た。その用いる千年にも亘る技術の粋を結集して、アインツベルンという工場が造るモノの“最後の後継者(ラストオーダー)”として」

「……………」

「…受け継いだっていうのはそういう事なの。私には一族が千年掛けて研鑽し、積み重ねた経験・知識・技術といった“歴史”が文字通り身体に刻まれている……いえ、7割がそういった魔術的なモノで構成されているって言った方が良いかな? 残り3割の部分に余分(にんげん)の機能を付加して、一族の悲願を叶えるために、ね―――だけど…」

 

 だけど、と思う。

 結局そんなモノに意味なんて無かった。そこまでしても目指した奇跡(ヘブンズフィール)は成らず、望んだ人類(ニンゲン)の救済は出来ず、何も結果を出せず、時代遅れの価値の無いモノだと私達(アインツベルン)は結論された。

 だから私…わたしは、せめて…この世界で―――

 

「だけど…?」

「―――いえ、何でも無いわ」

 

 苦い表情を浮かべながらも途切れた言葉の続きを問い掛けるタカミチに、イリヤは静かにかぶりを振った。

 これは言う必要が無い事だからだ。極めて個人的で、そうであって欲しい、在りたいという身勝手なネガイなのだから。

 

(ま、そのネガイの為にこんな話をしておいてなんだけどね)

 

 そう、思わなくも無かったが……ホント身勝手よね、とイリヤは自嘲した。

 

 

 

 イリヤが黙った為に重い沈黙が二人の間に漂う。

 タカミチとしては、興味があったが故にイリヤの話を聞いた訳なのだが……若干それに後悔しつつも思う。イリヤが何故こんな話をしたのか判らない、と。

 彼女の様子を見るに“何となく”と言った感じだが、魔術師が秘密主義だという事を聞いていた事もあり、正直あまり統合性の無いようにも思え、今一納得し難かった。

 だからどのような言葉を返すべきか、判断しかねた……いや、“何となく”話した事に返事など求めてはいないのだろうが、少しでも軽い空気に換える為に強張っていた表情を緩めて口を開く。

 

「…つまりイリヤ君には千年分の経験があるも同然って訳だ。成程ね…」

 

 なるべく明るい口調で、やや冗談めかしたように。

 

「納得したよ。それじゃあやっぱり僕よりも年上な訳だ…ある意味。うん、」

「?…タカハタ先生……」

 

 明るい表情で、うんうん、と頷くタカミチにイリヤは訝しげな表情をする。不思議なものを見るように。

 タカミチはそんな小首を傾げるイリヤに、彼女にしては察しが悪いな、と思いつつ言葉を続ける。

 

「タカミチで良いよこれからは。イリヤ君にそう、“先生”なんて呼ばれるのは何だかこそばゆいしね」

「…ん、そう?」

「うん、僕なんかよりもずっと大人っぽいし、教師姿も似合いそうだしね」

「…あ、―――ふふ、どうかしらね。こんなナリだし、無理じゃないかしら?」

 

 一瞬、ポカンとし―――クスクス笑ったイリヤにどうやら意図を察しくれたとタカミチはホッとする。

 重くなった空気を換えようと、また少しながら気分を沈ませていたイリヤを励まそうとしたのだ、タカミチは。

 

「見た目なんて問題じゃないよ。ネギ君だって出来ているんだ。ならイリヤ君が出来ないことは無いだろう」

「そうかもね。でも人に教えるなんて本当に柄じゃないから遠慮しておくわ。教え子ならサヨとアスナ達だけで十分よ」

「それは残念、実に惜しいね。イリヤ君ならきっと…少なくとも僕よりはずっと立派な教師に成れるのに」

 

 自分に合わせて冗談めいた口調で話すイリヤに、タカミチは本音も織り交ぜる。

 いや、本当にこの白い少女なら見事に教師役を熟し、教壇に立つ姿が似合うだろうと。今後も…これからも麻帆良で彼女が過ごすのなら、表の立場としてそれも悪くないのではないかと。工房主や宝飾店のオーナーとしてだけでなく、そんな将来も在っても良いのではないかと思って。

 

(うん、今度学園長に提案してみよう)

 

 だからタカミチはそう思った。自分の冗談に付き合って楽しげに笑顔を見せるイリヤの顔を見て。また―――

 

(―――これで外見も年齢通りだったら、僕も放って置かなかったんだけど…)

 

 と、若干俗な事も思った。

 この白い少女ならこんな自分でも良き道を示し、支えてくれるだろうと感じて……思いを寄せる女性が居ながら、目の前にいる少女が魅力的だと気が付いた為か、浮気心が出て、ついそんな事を考えてしまった。

 

 

 

「それにあのエヴァが頼りにする理由も判ったよ」

 

 冗談染みた何気ない会話にクスクスと応じる自分にタカミチはそうも言った。

 

「千年…十世紀分の経験を持っているも同然だっていうなら、600年の時を生きる彼女も年下のようなものだからね」

「あー、タカハ……タカミチもそれに気付いているんだ」

 

 それはエヴァが妹分として自分に甘えている、という事までは流石に判らないだろうが…多分。それでも以前よりも親しげな様子だという事がそれとなく知られているという意味だ。

 タカミチは頷く。

 

「まあね。エヴァがすっかり君に懐いているようだって事は結構広まっているから……ここだけの話、エヴァを警戒する以上に協会には彼女のファンも……非公式なファンクラブがあるからね。あと君のも最近出来たっていう噂も…」

「ああ、やっぱり…―――え゛…?」

 

 頷くタカミチの予想通りの返答と―――予想外な返事にイリヤは変な声を出してしまう。

 まったく想像だにしない事に驚いてギョッとするイリヤにタカミチは再度頷き、そして顎に手を当てて何処か神妙な様子で考え込む。

 

「エヴァが気付いていないとは思えないんだけど……いや、うーん…どうなのかな? そういうのは無頓着そうだし……ああ、そういえばイリヤ君も最近ウチの協会に入ったばかりだ……それなら一応言って置いた方が良いのかな?」

「何? どういう事…?」

 

 イリヤは、非常に嫌な予感しながらも尋ねる。

 

「なんていうか。麻帆良…いや、麻帆良だけじゃなく各国の協会には水面下に幾つかの非公式な会員制のクラブ組織みたいなものがあってね。その大半が余り口に出せないような……勿論、犯罪では無い…いやいや、やっぱ犯罪か? ま、まあ…兎も角、表に出せないというか、表沙汰にしたくない活動をしているんだ…“色んな意味”で、“ある意味”のだけど―――――――だから…まあ……その、イリヤ君も気を付けた方が良いよ」

 

 そう、歯切れの悪い口調で言い。何とも言い難い表情してタカミチは、呆れた様なのに真剣という奇妙な表情でイリヤの肩にポンと手を置いた。

 

 

 

「―――アレって、結局どう意味だったのかしら…?」

 

 回想を終え。彼との別れる前の会話を思いだして、イリヤは星々と月が輝く夜空の下で首を捻って呟いた。

 背筋に奇妙な悪寒を覚えながら、その“意味(こたえ)”が既に直ぐ傍に…好奇心の塊のような“彼女”が伴っている事に気付かずに。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 気付くと明日菜はそこに居た。

 ぼんやりとした暗くセピア色の不可思議に景色が広がる空間。ぼやけて霞む光景の為、地平線さえ在るのか無いのかハッキリしない場所。

 ただ何となく見覚えがあるような気がした。

 見た事の無い様式の造りを持つ強大な宮殿の一室から、窓ガラス越しにこれまた古めかしい欧風とアジア風が入り混じり、調和した不可思議な建築様式を持った町並みを見下ろしている。

 

「ここは…?」

 

 呟くも返る返事は無い。人気は一切ないのだから当然だ。だが―――

 

「…明日菜」

 

 突然の背後の気配と声に明日菜は驚き振り返る。

 

「―――貴女は…!」

 

 そこに居たのは自分だった。夢で見た自身の幼い頃の小さな少女。

 

「初めまして…ううん、久し振りだね、明日菜」

 

 驚き固まる明日菜に構わず少女は挨拶する。無表情で何も映していないような空虚な目で。

 明日菜はそれに何て答えたらいいのか、どう反応すれば良いのか判らず、驚愕に目を見開いたまま少女を見つめるだけで―――

 

「―――ん、」

 

 握手するように無造作に出されたその小さな手を、思わず反射的に握り返し―――

 

「あ!…――――あああああああっ!!!?」

 

 その手から流れ込むように頭に入り込むソレに悲鳴を上げた。

 

 

 

 物心が付くか、付かないかの幼い時分に兵器として価値を見出され、その価値を維持する為に文字通り氷のように冷たい結晶の中で眠らされた日々。

 故郷たる国に危機が訪れ、その度に兵器として駆り出された日々。敵も味方も、どちらも多くの命が消えるのを見た。

 それを幾度も、何度も繰り返し……ある時、彼等と出会った。

 

「よう、嬢ちゃん。名前は?」

「ナ、マエ…?」

 

 兵器として扱われ、ずっと姫巫女と呼ばれていたからナマエ……名前を訪ねられたのは随分と久しぶりだった。だから直ぐに意味は解らず、答える事が出来なかった。

 それでも、

 

「アスナ……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア」

 

 それでも忘れずにいた、長い自分の名前を間違えられずに口にする事が出来た。

 彼も同様に長いと思ったようだが、

 

「なげーなオイ。けど…アスナか、良い名前だ」

 

 正直、名前に良いも悪いのか在るのか判らなかったが、褒めてくれたのは悪くない気がした。それだけが“何も無かった”自分に唯一“在ったモノ”だったから。

 出会ったのはそんな短いやり取りをした僅かな時間だ。けど―――

 

「―――よし、アスナ待ってな。直ぐに終わらせてくる」

 

 そう約束でも無い言葉を残して、彼は戦場に数多くいる敵に立ち向かって行った。

 そうそれは、約束でも何でも無かった。何気ない会話…言葉のやり取りだった。なのに―――

 

「待たせたな、アスナ」

 

 そう言って、ほぼ全てを終わらせて来た彼は……もう青年と呼べる程成長していた赤毛の彼は、自分を冷たい結晶(ろうごく)から解放した。もう眠る必要も無いと言って、多くの人達と同じように楽しく笑って幸せに生きて行けるとでも言うように。

 だけど、私は知っている。

 私の為に多くのヒトが争い。死んで行き。多くの命と国が……自分の生まれた国さえも犠牲に成った事を。

 

「それは嬢ちゃんの所為じゃねえよ」

 

 何時も私が嫌いな煙草ばかりを吸っている人…ガトウが言った。

 

「確かに力を持っているのは嬢ちゃんだ。だが本当に悪いのはそれを都合よく利用した連中の方さ。何の選択権も無く、抵抗も出来なかった嬢ちゃんが責任を感じる必要はねえ」

 

 そうなのだろうか? 私が居るだけで、生きているだけで多くのヒトが、命が消えて行ったのに。不幸になったのに。今も苦しんでいるのに。

 そう言うと、ガトウは何も言わずに私の頭を撫でるだけだった。ただ―――

 

「思いやりのある優しい子ですね。そして賢い。きっと良い子に育つでしょう」

 

 傍で見ていた怪しい、そうとても怪しいヒト…アルビレオが何時ものように「フフフ…」と胡散臭くて作ったような笑みを浮かべて言った。

 だから私はその言葉を信じなかった。だって本当に怪しいから。

 自分が優しいだなんて思わなかったし、頭が良いとも、人に褒めて貰えるほど良い子に成るとは思えなかった。そう思ったのに―――

 

「ああ、アスナはきっと良い女に育つぜ。この俺が保証してやる。男なら誰もが放って置かない程の優しくてとびっきりの美人になるってな」

 

 私を救ってくれた、誰よりも信じられる赤毛の彼―――ナギが当然のように言った。何時ものように考え無しの馬鹿っぽい笑顔で。

 そう、だから。ナギがそう言うなら信じてみようと思った。彼が言った事は決して間違わないから…いや、時々、スゴク間違っている事もあるけど……きっと私は彼の言う通り、優しい美人な女性になるのだろう。

 

 そうして暫くは彼等と一緒に色んな所を見て回った。

 私を狙って追い駆けて来るあの“カナシイヒト”が造った“モノ”や信望する人達が来たり、それ以外のどこかのソシキの追っ手が襲ってきたりした事が在ったけど、怖くは無かった。誰かが犠牲になる事も、命が消える事も無かった。

 だってナギ達はそれだけ強かったから。カナシイヒトのモノには容赦は無かったけれど、それ以外のヒトには敵であろうと優しかった。

 きっと私に命が消える所を余り見せたくなかったのだ。

 

 そんな優しく強い彼等が居たから何の心配もいらなかった。辛く苦しく大変な時もあったけれど、楽しく彼等が見せる光景を見て、色んな事を知る事が出来た。

 

 けど…けど……けど………ゴメンナサイ。

 

「ゴメンナサイ…わたしの、私の所為で」

 

 イスタンブールという何処かの国の古い都での休息を最後に――――カナシイヒトにナギが……そしてアルも動けなくなって、

 

「私の所為で………ゴメンナサイ……もっと私が、わたしが上手く…チカラを……私が上手く出来なかったから…」

 

 二人が居なくなって、生き残ったモノから私を庇って――――ガトウが、

 

「幸せに成る資格があるって言ってくれたけど……私にそんな資格なんて―――」

 

 ―――チガウ…ちがう、違う……だからって、皆が犠牲に成ったからって、そうやって否定したら良いの? 違うでしょ! 犠牲になって、命を掛けて守ってくれたのにそうやって諦めてどうするの? それじゃあ、それこそ意味が無い! 何のためにナギさんとガトウさんは犠牲に成ったの? 魔法の国で消えた人達に…私の力が原因で不幸になった人達にどうやって償うっていうの? 不幸ぶって悲劇のヒロインを気取って塞ぎ込んでいたら何も出来ないじゃない!!

 

「だから私は諦めない。そうやって塞ぎ込んでいたって何も解決しないから。幸せに成る事だって……ううん、今こうして幸せだって思える事を手離すなんてしない! 犠牲に成った人達に報いる事も、幸せを掴む事も諦めない! 絶対に! ぜったいに―――諦めないんだからッ!!」

 

 長い記憶の旅から戻った明日菜はセピア色の世界に戻って叫んだ。しかし……

 

「ッ――――――」

 

 今見たモノの殆どが叫んだ途端に記憶から抜け落ちていた。まるで強い風に捲かれた砂のようにザラッと頭から零れて行った。

 何時ものように大切な思い出(モノ)を見たという感覚だけを残して。

 

「そう、それが明日菜(わたし)の答えなんだ」

 

 目の前の小さい自分が言った。

 

「貴女…」

「そっか。ナギとアル、ガトウが言った通り、優しくて良い子になったんだわたしは…」

 

 小さい自分が無表情で寂しそうに…けれど、嬉しそうに言う。

 明日菜は、それにやはり戸惑うしかない。この小さな自分が何なのかを理解しながらも言葉が出せない。

 

「ありがとう。明日菜(わたし)。幸せに成ってくれて。そう言えるように空っぽだったわたしに色んなモノ(こと)を詰めてくれて……―――本当にありがとう」

「……貴女」

 

 無表情な顔に微笑が浮かぶ。

 明日菜はそれに何を言うべきか、記憶を持たない自分は直ぐに言えずにいて、それでも考え、考えて………ようやくそれが見つかった。

 

「ううん、私の方こそありがとう。アスナ(わたし)。こんな独りっきりの場所に置き去りにしたのに消えずに、ずっと忘れずにいてくれて。貴女が此処に居てくれたお蔭で私はきっと幸せを知る事が出来たんだから……―――だから、ホントにありがとう」

 

 そう、想いを込めてとびっきりの笑顔を昔の自分へと向けた。

 未だ自分には過去の記憶は無い。なのにそう言えた。それが不思議だったが―――いや、何も不思議なことは無い。二重人格のように別れてしまってはいるが、決してそうでは無い。自分達は同じ精神(こころ)に住まう者同士(アスナ)なのだから。別れているように見えても繋がっているのだろう、私達は。

 

「ううん、貴女からのお礼はまだ早い。私はまだ此処に残るから……貴女が向き合って彼と―――タカミチと話すまでは…」

「…そっか。うん、そうだね。その方が良いのかもね。いや…まあ、私には判んないんだけど……」

「それはわたしも同じ。でも…きっとそうした方が良いんだと思う。明日菜(わたし)とタカミチの為にも」

 

 お互いに要領を得ないまま何となく頷き合う。そっか、と。

 記憶の無い明日菜は、タカミチが当事者の一人だという実感が乏しいが為に。

 記憶を持つアスナは、タカミチが当事者である事を知るも、今の明日菜との関係が今一つ判らない為に。

 しかし互いに納得した。今しばらくは……タカミチから全てを話してくれるまでは―――別れていようと。

 

 そして納得した明日菜は、この夢から醒めようとした―――が、

 

「明日菜、それと―――」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――それと……なんだっけ?」

 

 塔内の一室…皆と一緒に与えられた寝室で明日菜は呟いた。

 ボンヤリとした思考のまま、セピア色の世界で幼い自分とあった事、これまで見続けた夢の意味を知った事は理解している。

 無論、まだ記憶は戻ってはいない。けどそれは良い。納得しているから。

 なのに―――

 

「…っ、うぅ…くぅっ!」

 

 胸から強い、とても強い痛みがあった。

 どうしようもなくて、苦しくて、辛い哀しい痛みが。

 けれど、それが何なのか判らない。それがもどかしかった。大切な、自分の過去や記憶とは違う何か大事なことを教えられた…識った筈なのに。

 それが判らない筈なのに、思い出せないのに、とても哀しくて、悲しくて明日菜は眼から溢れ出る熱い涙を止められなかった。

 

「…っっ、くっ、ぅ…うあああああっ!!」

 

 泣き出して眠っている皆を起してしまう程に。哀しくて、悲しくて、辛くて、どうしようもないくらいに。

 

 なのに―――明日菜は結局思い出すことは出来なかった。その時が来て、過ぎ去った後にも、この日、夢で識った事を…………。

 

 

 




 原作よりもかなり早く明日菜が自分の過去と向き合いました。

 年齢詐称薬はイリヤが飲んだ場面にもっと上手い見せ方があるような気がして何となく不完全な気がします。ただ今後も飲ませる予定があるので、その時にリベンジしたいと思ってます。

 少し蛇足のような感がありますが補足しますと、元の世界…もとい聖杯戦争中に魔術で大人に姿を取った事が在るというのは、独自解釈です……ヒントはアイリのベンツ。流石にお子様の姿でそれは拙いと思いましたので。



 活動報告の方へも書きましたが、一応ここに書いておきます。

 自宅のPCが逝ってしまいました。
 購入してから五年ほどたっていましたので、おそらく寿命だと思います。
 前回と今回は前後編の話でしたので、何とかこの一話だけでも投稿しようと今回はネット喫茶から投稿しました。
 しかし、このまま続けてネット喫茶通いというの難なので、しばらく更新は無理だと思います。
 多分、再開できるのは2ヵ月後だと自分は考えています。

 それとバックアップを確認した所、向こうでの掲載分の最後の数話が保存されていませんでした。
 一応サルベージを試みますが、望みは薄いと思われます。これもあってさらに遅れるかもしれません。
 

 楽しみにされている方には申し訳ありませんが、どうかご理解ください。




 あと、感想返しなどはスマホから行いますので問題ありません。

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