麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

4 / 46
幕間その1―――その日の爺と少女

 

 白い少女がフリルの付いたドレスのような白いワンピースに身を包み、居候先に背を向けて出掛けて行くのを近右衛門はリビングの窓から微笑ましそうに眺めていた。

 その彼の背中に声が掛かる。

 

「いいのか?」

 

 声はこの家の主であるエヴァンジェリンの物だった。

 

「構わんじゃろう。ま、そう心配する事はあるまい」

 

 問い掛けの意味を察して近右衛門は答えた。

 白い少女はつい先日、この麻帆良に張り巡らされていた幾重もの結界を抜けて侵入を果たした不審人物だった。

 記憶喪失ということもあり、一先ずこの麻帆良で保護してはいるが、何処かの敵対する勢力ないし組織の間者か、工作員である可能性は否定出来ず。加えて詳細こそ不明であるも危険な力を持つとされ、その力を狙う者も存在する可能性も憂慮される、要注意・要監視対象者である。

 にも拘らず、近右衛門は麻帆良郊外への外出を許可した。

 勿論、彼なりに理由はあるし、対策も打ってある。

 

「出掛け先には、木乃香も付いて行くようだしのう」

 

 この言葉にエヴァは言わんとする事を理解する。

 近衛 木乃香―――近右衛門の孫である彼女には影に護衛が付いている。

 エヴァの脳裏に一人のクラスメイトの顔が過ぎった。

 それに近右衛門の口ぶりから察するに、今回は“護衛の彼女”だけが付いている訳ではなさそうだった。大方、そのルームメイト辺りにも依頼しているのだろう。

 そのようにエヴァは考えた。

 色々と甘いとは思うが、エヴァの見立てでもあの居候は自分の立場を弁えている。監視が付くことぐらい理解しているだろうし、馬鹿な真似をする事はまず無いと考えられた。

 

(…まあ、どうでも良いがな)

 

 自分には余り関係無い些末事かと思考をそこで斬り捨てた。

 家や麻帆良に居る内ならば、エヴァは義理を果たす為に気に掛けて対処しただろうが、此度の事は近右衛門が許可したのだ。何かあったとしても責任は目の前のジジイに在る―――そういう事だった。

 それよりも、

 

「で、この前に続いて珍しく何の用だ。ただ無粋に飯を食いに来た訳じゃないんだろ?」

 

 エヴァが気に掛かるのは、前回同様ジジイが態々自分の家に訪れた事だ。

 近右衛門は「ふむ」と一つ頷くと、リビングの窓から離れてソファーに座ってからエヴァに答えた。

 

「大した事では無いんじゃが…そうじゃのう? 先ずはお主らが上手くやっておるのか見に来た…という所かの? 先程見た限り問題は無さそうじゃが…」

「ふん、子守らしく丁重に扱う、と言っただろう。問題なぞある筈が無い」

 

 エヴァは鼻を鳴らして小馬鹿にしたように応じるが、その眼には若干鋭さがあり、対面に座る近右衛門を強く睨んでいた。

 私が一度交わした約束を違えると思っているのか、と。その眼は語っている。

 

「そう怒るな、預けた身としては心配するのは当然じゃろう」

 

 エヴァの鋭い視線を受けて近右衛門はそう言いながら、やれやれと言わんばかりに嘆息する…が、次いで言葉を出す時には彼女同様、近右衛門の眼は鋭さを帯びており、真剣な表情でエヴァを見据えていた。

 

「お主に問題は無いのは判っておる。でなければ最初から頼まんよ。で―――」

 

 近右衛門は一度言葉を切って尋ねる。

 

「―――実際の所はどうなんじゃ? お主の見立てであ奴の方に問題は無いのか?」

 

 真剣な表情を作って自分を見る近右衛門を前にして、エヴァは逆に視線を逸らして上向かせ、ボンヤリと天井を見つめながら気の無い様子で応じた。

 

「……つまらん、と思うほど問題が無いな。麻帆良(ここ)への侵入者というから、多少緊張感がある生活が楽しめるかと期待したんだが…」

 

 そう言ってエヴァは、天井へ向けた視線を茶々丸の方へ送る。

 

「ハイ。現在の所、彼女の素行や言動にこれといった問題は見当たりません。夜間……主に就寝前に彼女の部屋から魔力反応が観測されますが、事前に鍛錬の為と申告されておりますし、恐らくその通り魔法の練習ないし実験を行っているものかと思われます。なお念話の類の魔法使用は無く。不審な電波の類も彼女からは感知されず。“外”への連絡や通信などは一切確認出来ませんでした」

 

 エヴァの命を受けて、麻帆良に現れた白い少女と最も行動を共にしている機械仕掛けの少女が主人の意を察して答えた。

 エヴァも続けて口を開く。

 

「ということだ。私も今の所、アレがどこぞの工作員だとは思えんな。勘を信じるならば…ジジイ、お前と同様だ。仮に何かあるとしても、アイツは麻帆良に害意を持っていないと私は見ている」

 

 2人の話を聞き、近右衛門は表情を和らげて「そうか」と軽く頷いた。何処となく納得したといった感じだ。

 しかし、エヴァはそんな近右衛門に眉を顰める。

 居候の件が聞きたいだけならこの家を態々訪問する必要はない。平日の放課後にでも呼び出して尋ねるだけで事は済む。

 それにだ。そもそもあの少女が現われ、預かってからまだほんの数日……一週間も経っていない。そんな短い時間で判断が付くことではない。

 だからエヴァは近右衛門に尋ねる。

 

「用件はそれだけか?」

 

 尋ねられた近右衛門は僅かに沈黙してから口を開いた。

 

「…………もう一つ。お前さんがタカミチに頼み、先日彼女を預かった時に渡された物の…事―――」

 

 突如、見えざる凄まじい圧迫感(プレッシャー)を全身に覚え、近右衛門は言葉を封じられた。

 

「―――お前には関係ない物だ」

 

 圧迫感は、近右衛門の対面に座るエヴァからは発せられていた。

 

「―――ッ!!」

 

 近右衛門は全身が総毛立ち、額から嫌な汗が流れるのを自覚する。

 目の前のエヴァが発する圧力は、物理的な域にまで達しかねない程の濃密な気迫だった。まるで熱を……いや、極寒に閉ざされたかの如く空気と部屋全体が凍て付き、軋んでいるようにさえ錯覚する。

 対して、その気迫を放つ本人は、表情も静かで先に放った言葉も同様に冷静だが、対応を誤ればまず間違いなく恫喝程度に止まっているこれは、氷刃のような冷たく鋭い殺意へと転化するだろう。

 近右衛門は久々に目の前に居る人物が、彼の“最強の魔法使い”にして600年の時を生きる最高位の魔物の一種である“真祖の吸血鬼”だという事実を実感した。

 例え封印され、全盛期とは程遠い最弱状態であろうと、この目の前の魔物は本気で殺すと誓えば、どのような手段を講じても必ずそれを果たすだろう。

 近右衛門はこの十数年の付き合いでそれをよく理解していた。

 

「……ま、まあ、落ち着け」

 

 それでも近右衛門はなんとか言葉を絞り出した。しかし目の前の濃密な冷たい圧力は減じない。

 

「私は落ち着いているが」

「そ、そうじゃな、ではそのまま落ち着いて聞いて欲しい」

 

 何処か冷酷さを感じる口調で告げ、処刑執行人のような眼をするエヴァに怖気を覚えながらも近右衛門は話を続ける。

 一度深く呼吸してから彼は言葉を紡いだ。

 

「タカミチがアレをお主に渡す前、悪いと思ったが一応中身を確認させて貰ったのじゃが、」

「ほう―――」

「―――まて! まてっ! 冷静に…! 冷静に聞くんじゃぞっ!!」

 

 近右衛門の話す言葉の中に気に入らなかった部分があったのか、エヴァは声を漏らすと共に気配をより濃密にし、近右衛門は焦った。

 

「そ、それでじゃ、わしはあのアレと同じ感じをさせる魔法具を見た事が在って―――」

「―――! 何っ! なんだと…ッ!?」

 

 途端、怖気さえ覚える濃密な気配が消えて冷静だったエヴァの顔も驚愕に染まる。

 近右衛門は唐突に圧力から解放された為、呆気にとられ……気付くとエヴァに詰め寄られていた。

 

「それは本当かっ!? どこだ! どこで見た!」

「ぐ」

 

 近右衛門は詰め寄るエヴァに襟を掴まれて呻く。

 しかし若干の苦しさを覚えるものの、今まで見た事が無いほど焦燥を抱いているエヴァの様子を見。事態を分析する為に彼は冷静に思考を働かせた。

 

 どうやら彼女は知らないらしいし、まだ見ていないようだ、と。そう内心で呟き―――結論付けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 襟を締め続けるエヴァンジェリンを茶々丸が諌め、解放された近右衛門は、

 

「近い内に分かるじゃろう」

 

 と。歳に似合わない悪戯小僧のような顔をしながら茶目っ気の含んだ口調で告げ、引き留めようとするエヴァを静かに見据えてからエヴァ邸を後にした。

 エヴァはなおも問い詰めたい様子であったが、「チッ」と舌打ちして引き下がった。

 先程までの我を忘れた行動が失態だと考え、これ以上近右衛門を家に置いておいては、より致命的な失態を招きかねないと直感したのだろう。

 

 

 帰り道、近右衛門はこれからを思い考えながら、ふと一人呟いた。

 

「……彼女が此処へ現れたのは案外、あ奴が何やら持つ因果によるものかも知れぬのう」

 

 近右衛門がエヴァに自分が知っている事実を教えなかったのは、その方がこの地へ現れた白い少女と、少女を預かるエヴァとの関係が良好に成るかも知れないと考えたからだ。

 その方が面白い事態になりそうだ、と思ったのもあるが。

 そう思うと知らずの内に何時もの「フォフォフォ」と彼特有の笑い声が口から漏れた。

 

「まあ…しかし、アレが何であるのか確認できなかったのは、少々気掛かりじゃが……」

 

 あ奴は幾ら問い詰めようが決して語らんじゃろうな、と途中から言葉を内心で続ける。

 だが収穫はあった。アレがエヴァにとって大切な……そう、あの裏社会にて伝説として語られるエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルにとって譲れないナニカだという確信を得られたのだから。

 

 先日、タカミチが渡した時に尋ねようとすれば声を上げて遮り、従者である茶々丸に早々追い出される事になった程の代物だ。何か在るとは思っていたが予想以上の反応をエヴァは示した。

 

 今日態々訪問したのも呼び付けるよりは、そうした方がまだ印象的に口が軽くなると思っての事だ。無論、大した差ではないが、学園と自らの住処では警戒心というか心持ちが異なる。或いは隙が出来るものだ。

 自身の住居(テリトリー)に入られるという警戒感と、自身の住居(テリトリー)に居るという安心感のほんの僅かな心の隙間……そこを突こうとした訳である。

 容易い相手ではないが…いや、だからこそ僅かにでも付け入れる所があるならやっておくべきだろう。相手が秘して置きたい事を探るのであれば、尚更に。

 

「尤も、あの様子を見るに呼び付けたとしても、変わらぬ反応を示したかもしれんが、な」

 

 だが徒労とは思わなかった。

 それはあくまで可能性であり、今日尋ねたからこそあのような反応を現したのかも知れないのだ。

 それにエヴァンジェリンが自分の預けた居候と上手くやっているのかを直接確認出来たのも無駄ではない。

 

「ふむ…」

 

 そっちの方はエヴァの言う通り問題は無い。しかし良好とも言えないと言ったところだ。

 ギクシャクした感じは見受けられなかったが、2人の間の会話が少なすぎる。むしろ従者である茶々丸との方が仲良さ気で会話が多かった。

 

 若干憂いが無い訳では無いが、同居が始まってからまだほんの数日であり、先程も思ったが進展する機会は近い内にあると近右衛門は見ている。

 どう転ぶかは未知数であるものの、そう大きく心配する必要は少なくとも現状では無かった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。