麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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今回は半ばぐらいまで冗長かな?と思いつつも投稿。


第28話―――武芸とある技法の話 福音の失態

 幻想空間から現実へと戻り、眠っていたイリヤ達は眼を覚ますとテラスへと場を移し軽く休憩を取る事にした。

 幻想空間内の事とはいえ、現実の肉体にも影響は幾分か在り、五度に渡る“極めて実戦的な模擬戦(ゲーム)”は精神的な疲労をそれなりに蓄積させるものだ。況してやイリヤは格上のエヴァを相手に緊張感を強いられ、四度も殺されている。

 

「ホント、何度経験しても慣れないものよね。中々にキツイわ」

 

 イリヤはふう…と。テーブルを囲んだ椅子に腰を下ろして、そう呟きながら軽く息を吐いた。

 シロウが目覚めた時に言ったようにイリヤは彼に幻想空間で幾度か稽古を付けて貰っていた。そして今の言葉からも判る通り、イリヤはシロウ相手に何度も敗北し“死”を体験している。

 そのイリヤの言葉を聞き、明日菜がうぇぇ…と年頃の娘が出すべきでない声を漏らす。

 

「イリヤちゃん。あんなのを今回だけじゃなくて、もう何度もやってるんだ」

「まあ、ね」

 

 明日菜の問い掛けに頷くと、イリヤは視線を彼女の方へ向ける。その顔は、どこか引いたようなウンザリとしたものではあったが、ひどく感心しているようでもあった。

 明日菜としては、あの見るからに痛く辛そうな…いや、そんな程度では済まない体験はまさに“死んでも”御免ではあるのだが、同時にネギのパートナーを続ける限り―――そして己が過去の清算の為にも―――何れ必要ではあるし、恐らく…いや、絶対にあのエヴァちゃんの事だから自分達もアレを体験させられると確信的に予想でき、それを平然と熟す白い少女の事をやっぱりイリヤちゃんは凄いなぁ、と思ったのだ。

 

「それにしても改めて感服致しました。善戦されたイリヤさんもそうですが、流石はエヴァンジェリンさんです。最強の魔法使いと謳われる実力…その技巧。噂高いそれをあのような形で拝見できるとは。…とても勉強に成りました。このような機会を頂けて誠に嬉しく思います」

 

 言葉通り心底感服しているのだろう。刹那は椅子から立ち上がるとエヴァの傍に膝を着いて頭を下げる。

 

「う、ウム…まあ、当然だが…」

 

 膝を着く刹那に対してエヴァはどう答えたものか、曖昧に言葉を濁してその表情を引き攣らせた。

 普段ならそう褒め称えられれば、不敵な笑みを浮かべて見せて、さも当然と言わんばかりに尊大に受け止める所なのだが、刹那の大仰な態度や称賛は却ってやり辛いものが在る。いや……というか、むしろ恥ずかしい。針の蓆に立たされたような感じだ。

 六百年前、まだ領主の姫君だった頃は、日常のようにその様な礼を使える騎士やら従者やら民草から受けてはいたが、今の時代でそんな中世の芝居めいた事は―――いや…もうほんとに勘弁して欲しい。

 周囲の少年少女達から向けられる奇異な視線と居心地の悪さに、エヴァは内心で若干赤面しながらそう思った。

 

「ま、まあ…刹那の気持ちは判らないでもないアルな」

 

 そんな大袈裟な反応をするのはどうかとも思うが…などとも小さく呟きながら、古 菲が刹那に続いて口を開く。

 

「最強の魔法使いと聞くからてっきり魔法だけかと思たガ、ホント驚いたヨ。日本の武術ダカラ流派は流石に判らないケド、全く見事な功夫だったネ。いや、いつも無駄のない自然な呼吸をして、身体の重心にブレも無い事からかなり出来るとは思てたガ…」

 

 これほどとは…と。古 菲は深く感心する。

 

「肉体に練り込む気……いや、魔力の扱いもそうだったガ、その技…技量もワタシは愚か、故郷(くに)の我が師をも遥かに凌駕しているヨ」

「そ、そうなんですか!?」

 

 仲間内で無手において並ぶ者は居ないと思っていた古 菲の言葉にネギが驚く。

 

「ウム、これ程に武を極めた者ならあの時…ネギ坊主がワタシに弟子入りすると言って怒るのも無理無いアル。正直、余計な事をしたというか、教えるべき事を横取りしたというか、分を弁えない事をしたようで申し訳ない気分と恥ずかしい気持ちで一杯ネ」

 

 エヴァの方へ顔向けて敬意を示しながら、古 菲は謝るようにしゅんと頭を下げる。

 

「…いや、そう気にする必要は無い。あの時も…弟子入りテストが終わった時にも言ったが、理屈っぽいぼーやにはお前の拳法の方が似合っている。同じ東洋の武術とはいえ、無手で私が扱う武……柔術という奴は永き修練よる“理合”を掴んでこそモノだ。“合理的”に動きを繋げるだけでも“技”と成せる中国拳法とは似て異なる」

「……かも知れないが、我等が中国拳法もその“理”を()る事で“技”から“術”と成るネ。だから―――」

「―――なるほど、だからそれを直弟子として学ぶ貴重な機会を奪った事に悔いる訳か」

 

 言いたい事を察して言葉を続けたエヴァに古 菲はコクリと頷く。

 

「だが、お前も武に携わる…いや、純粋にその道一筋を極めんとする者だ。だから判るだろう。ぼーやにはそれは無理だ、と。私に師事した所で理合を識ることは出来ない、と」

「…………」

「先程も言ったがこのぼーやは理屈っぽい、非常にな。頭の回転が恐ろしく早く柔軟な発想や応用力もあるが……それだからこそか。直感を信じ感覚を頼りにするよりも思考する事を優先する。無論、それを持たない訳ではないし、思考も大事だろうが、やはりそれ以上に考える事を先にし、物事の解を得てしまう」

「だから拳法の方が合っている、アルか?」

「ああ、長い歴史の中で生まれた多種多様な型と套路を身に沁み込ませ、合理的に解法を導くように拳闘を行う大陸発祥の拳法がな。無論、私の扱う日本の武も相応に歴史は在り、大陸にも劣らぬほど多様に型はあるが……見ての通り、在りし解法をなぞる理合を識らなければ型も活かせぬし技にすらまま成らん。事実、ここ百年余りの歴史で誕生し、理合の極致とも言える合気を実戦に通じるまでに活かせた者は私を含めて僅か3、4人程だ。恐らく稀代の武術家であろうお前でもそこまでは至れまい」

 

 突然始まった武術談義に周囲はどう口を挟んだものか、判らないと言った様相で表情を顰める。ただ刹那は納得した様子でうむうむと頷き、ネギも真面目な様子で理解しようと努めていた。しかしネギは理解に及ばない言葉もあり、難解そうにそれを口にする。

 

「理合…合理的とは違うのかな?」

 

 まさに日本語の難しさに直面した外国人のように呟く。

 

「合理っていうのは“理に合っている”という事で、理合っていうのは“合っている理”って事よ。文字の並びは逆だけど、そういう意味らしいわ」

 

 同じ外国人でもあるイリヤが意外に答えた事でネギは「え?」と驚いた表情を彼女に向ける。

 

「武術で言えば、合理はその通り最適な体の動きを取る事で、理合はより適した状況・状態を見出すって所かしら。」

「………?」

「まあ、そうよね。こう言った所で分かり難いわよね」

 

 眉を寄せるネギにイリヤは嘆息するように言う。生粋の武術家ではないイリヤにしてもこういった事は正直理解が及ばない。

 が、及ばないなりにネギになんとか説明する。

 

「私も詳しい事は判らないけど、日本の武術…武道には“剣の理合”というものが在るわ。刀を扱う時の操法。重心の取り、構え、呼吸、握り、間合い、狙い、振り、それぞれに定まった道筋…必ず功を成せる(ことわり)が在り、それを身に付けさえすれば自然と剣を、武を扱える型と動作が成り。身に付かなければ全く扱えず型にも成らないって考え、或いは概念。禅にも通じる思想じゃないかしら?」

 

 そう言うと、イリヤは「どう?」とでも尋ねるようにその道に詳しい刹那の方へ顔を向ける。すると刹那は頷き。

 

「はい。イリヤさんの解釈は大体合っています。古来、日本の武道というのは刀の操法から始まり、そこから様々な武芸へと派生して行き、全ての武芸に刀の操法の応用が利きます。つまり剣の理合を知る事は剣術のみならず、徒手を含め、槍術、杖術などその他、全ての武芸の入り口に立つという事でもあります。そういった意味でも刀が武士の魂というのは正しくその通りな訳です。故に我が神鳴流を始め由緒ある古流武術の門下生は正しい刀の操法…剣の理合を身に付ける術を先ず教わります。ですが…」

「ああ、これがまた言うが易しというか、奥が深いと言うか。正しい操法が身に成り、数多の技術を身に付け、一人前に扱えるように成ったと思ってもそこで終わりが無い」

 

 刹那の話にエヴァが続く。

 

「ふとある時に気付くんだ。鍛錬の中で何百、何千と鯉口を切り、抜刀し、剣を振る事を繰り返す内に“身に成ったと思った操法が以前よりも今の方が正しく出来ている、これまでのモノは正しいものでは無かった”と。同時に“今正しいと思ったものが本当に正しい操法なのか? 理合であるのか?”と。先程イリヤが言った通り禅だ。悟りを開くために延々と終わりの無い瞑想を行なうような。……何処までも続く先の見えない道を進むようなものだ。そしてその果ての無い道を一歩、また一歩と踏み締める毎に“理”が掴め、己が武の技巧が深まり高まる。無手であろうと、剣以外の武器術であろうとも選別なく、だ」

「…………」

 

 イリヤ、刹那、そして続いたエヴァの話にネギの表情は難しげになるばかりだ。何と無く型稽古を繰り返せば身に付くものだとは思うのだが……

 

「やはりネギ坊主には判らないアルか」

 

 ネギの表情を見て取り、古 菲が嘆くように言う。

 

「だから理屈っぽいと言っただろう。教えれば頭で概要までは理解できるだろうが、理合はそれだけで身に成るモノじゃない。長い修練の中で“掴む”モノだ。しかしぼーやでは型にしろ、套路にしろ、攻守の為に合理的に体を動かす為の最適解としか捉えられない。勿論、精神の鍛練という意味合いも分かっているのだろうが、それだって集中力の向上の為だと解釈している。そういう風にしか理解できないんだ。なまじそれが間違っておらず、妙に“嵌まって”しまうから尚更にな」

「……だとすると、京都の件で中国武術に興味を持てたのは幸いだったのかも知れませんね。型に重きを置いた合理が先にある大陸由来の拳法と、観点による理合から入る日本武道との違いを思うと」

「同感だな。もし私に武道を学ぶ事になっていたらモノに成るまでどれ程の時間が掛かるか。況してやこの合気という奴は特更、理合を追求したものだ。まあ、最低限のイロハは教えられると思うが、…それでもぼーやには日本武道は合わなかっただろう。こう言うのもなんだが、そういった意味ではあの白髪のガキには感謝だな」

 

 刹那の言葉を受けてエヴァは同意しつつも複雑そうに溜息を吐いた。

 イリヤは三人の話を聞き、ふむ、と思う。正直な所、エヴァ達の話す内容は理解できない。ただなんとなくだが中国武術は型から始まる合理から道筋である理合へ繋げ、日本武道は道筋たる理合を経て合理たる型へと成るものなのだと考えられた。

 

(中国武術は型を学んで身に沁み込ませてからそれを相対する敵へ活かす術を教わり。日本武道は敵に相対する概要を学び理解してからそれに合った型を身にする。……とそんな感じかしらね)

 

 無論、一概にそうとは言えないのだろうが、多分、中国武術と日本武道はほぼ全般的にそうなのだろう。そして互いに逆の方向から同じ結果へと至る道を進んでいる。

 合理と理合。日本にしても中国にしても武の目指す先の究極―――肉体を通じて天地陰陽との……自己と自然との“合一”は同じ筈なのに入る向きがこうも異なるとは。文化的に近しい東洋の国々なのに若干不思議に感じてしまう。

 

(ま、それを言ったら“合一”…すなわち“根源”に至ろうとする私達も同じ魔術の道を歩みながら各々によって至る手段が違いすぎるんだけどね)

 

 そんな事も思った。

 

「……うーん」

 

 尊敬する先達達から評を下されたネギは相も変わらず難しげにしていた。

 それを見、エヴァはやれやれと肩を竦める。

 

「色々と言った手前悩むのは仕方ないが難しく考える必要は無い。ぼーやはぼーやの思うままに拳法に打ち込めば良い。或いはその先でそれを掴む時が来るかも知れないからな」

 

 まあ、無理に掴む必要は無いという事だ…とも付け加えながら、エヴァはそうネギを諭す。それに刹那も古 菲も頷く。

 

「ええ、ネギ先生の求める戦う力には、それは必ずしも身に付けなくてはならないという事では無いでしょうし」

「そうアルな。ネギ坊主の才能ならば武道家…いや、格闘家としてはそれだけで十分強くなれるネ。下手に今聞いた事を考えるよりもこれまでのように身体を動かし、型と套路を身に沁み込ませる事を考えるがヨロシ。それがネギ坊主が強くなる一番の近道アル」

「ハ、ハイ!」

 

 取り敢えずといった様子だがネギはエヴァ達三人の言葉に力強く返事した。悩み過ぎる彼の事だからそれでも考えてしまうのだろうが、エヴァと古 菲の二人の師の忠告を含んだ言葉の意味は理解出来ている筈だ。

 迷いは在れど、力強い弟子の返事にエヴァは頷き返す。

 

「では、その意気込みを確かめる為にも本日の修行の締めと行くか。今回は特別講習として魔法無しの近接戦だ。ぼーや、広場へ出ろ! 短くも今日まで積んだその功夫で私から見事一本取っても見せろ! イリヤのようにな!」

「はい! 精一杯やらせて頂きます。宜しくお願いします! 師匠!」

 

 檄を飛ばすようにエヴァが告げると、ネギは先と同様に…いや、それ以上の意気を見せて大きく頷き、師へ礼をした。

 

 

 

  ◇

 

 

 結局、ネギはエヴァから一本取ることは出来なかった。

 

「痛ぅ…」

「……フン」

 

 自分に遅れて身体を引き摺るようにしてテラスに戻ったネギをエヴァが不機嫌そうに一瞥する。

 別段、一本取る事を期待していた訳ではない。自分とネギの技量差は比べるまでも無く明らかなのだ。幾ら反則的に恵まれた才能があるとはいえ、この一月程度の鍛錬で成せる功などたかが知れている。

 だから彼女が不機嫌なのはそれ以外に理由がある。

 

「ネギ君、今治すえ」

 

 散々痛めつけられて辛そうにするネギに木乃香が駆け寄って治癒魔法を施す。

 木乃香が呪文を唱えると、外から差し込む日の光で今一つ見え難いが、柔らかな光が杖に灯りネギの身体を徐々に覆って行く。

 先の事件以降、エヴァの別荘に入るようになってから彼女はこのように率先してネギを始め、仲間が修行で負った傷を癒やす役目を担っていた。

 よほど酷いものでない限り、アーティファクトには頼らず自力で治癒を行っているお陰か、此処暫くで木乃香の治癒魔法はメキメキと上達している。

 

「ん、これで大体は良うなったかな?」

「はい、もう大丈夫です。何時もありがとうございます」

 

 一、二分ほどすると身体に見えていた傷や痣はすっかり消え、ネギは確かめるように腕や足を動かしながら木乃香に礼を言う。

 

「……それにしてもナントいうか…」

「ああ、実力差こそ大きく一方的ではあったが、ネギ先生の動きは“良く出来ている”から傍から見れば如何にもといった感じの中国拳法と日本武道の異種格闘技対決……と。中々に見応えのある一戦だったのだが……」

「ええ、最後のアレはちょっとねぇ。意表を突かれたというか、予想斜めというか―――」

 

 古 菲が弟子の様子を伺いながら言うと刹那がそれに頷き。イリヤも二人に同意するように歯切れ悪く言葉を紡ぐと―――ポツリと夕映がそれを口にした。

 

「―――バックドロップ」

 

 と。

 その言葉を耳にした古 菲、刹那、イリヤ。そして告げた夕映を含めた四人は苦みを帯びた表情で互いの視線を交わした。何というか見た目甘そうなお菓子を口に入れたら渋い苦みがしたというか、思い描いた期待と異なるものを見た為、不満に似た感情が彼女達の胸の内に漂っていた。

 そう、彼女達…正確には模擬戦を行っていた当人達を除いた一同は、その予想外な最後に釈然としない思いを抱いていた。

 何しろ嵐のように怒涛の如く激しい“動”を持った拳法で攻めるネギを、柳のような沈着な“静”を持って受け流し返すエヴァという、正に活劇やアクション映画にでもある殺陣の見本とでもいえる光景を観戦していたのだ。

 そうなると当然、その最後もそれに沿った相応しい決着であるべきだと。「御見事!」と言いたくなる場面(ラストシーン)を想像していたのだが……

 

「……ホント、なんでそこでプロレス技になるのよ?」

 

 明日菜が不満ありありと言った様相で眉を寄せた。見応えのある試合が色々と台無しだ、と言わんばかりに―――というも、このバックドロップも一般的にはプロレス技という印象が強いものの、日本武術にも裏投げとして列記される投げ技の一種である。

 だが、それを知らない明日菜としてはそれを見た時、本当に唖然としてしまい。はぁ?…と乙女らしくなくあんぐりと大きく口を開けてしまった。

 刹那と古 菲は無論、裏投げだという事は理解してはいるが…しかし、エヴァに攻撃を捌かれ、いなされ、返されて、ダメージが蓄積し動きにも精彩を欠き。限界近いネギがここまでだと次で決まりだと思った瞬間―――合気の技で投げられて地に沈むネギの姿を思い浮かべたのだが…何故か? どうしてか? それまでの洗練された動作を打ち捨てるようにエヴァは強引にネギの背後に回り込み、両腕で彼の腰を挟み込むと「ふんぬっ!」といった感じで反り返ったのだ。見惚れるような整った体捌きとは一転、ただ力任せに乱暴にネギを頭から地面に叩き付けた。

 そんな何処か雑というか技とは言えない荒々しかない決め手だったので、刹那としても古 菲にしても先の模擬戦に微妙な評価をせざるを得ないのだった。

 これがエヴァという完成された武の持ち主で無ければ、また違った評を出せたのかも知れないが……やはり刹那も古 菲も何処か納得できない惜しさが先の試合にあった。

 ちなみにその決め手の際、

 

 ――――淑女のフォークリフト…!?

 

 イリヤの口からそんな良く判らない謎の言葉が零れていたが、予想外な結果と頭半分を地面に埋めるネギの姿に唖然とし過ぎて、皆その言葉の意味を問うことは出来なかった。

 

「まったくね。エヴァさんの機嫌も悪いようだし……何かあったの?」

 

 そのイリヤが明日菜の言葉に続けるようにしてエヴァに若干不可解そうに聞く。

 

「む? イリヤ、気が付かなかったのか? ……刹那もクーもか?」

 

 イリヤの問い掛けにエヴァは不機嫌なナリを潜めて意外そうな様相を見せる。それに刹那と古 菲は互いに顔を見合わせてから首肯すると、エヴァは「そうか。確かに近くで見なければ気付かんかも知れんな」と言いながら軽く溜息を吐く。

 そして彼女はジロリとネギに視線を向けると心底呆れた様子で言った。

 

「このぼーやはな。私の真似をしようとしたのさ」

 

 視線を受けて「う…」と気まずげに唸る弟子を無視してエヴァは話す。

 

「身体強化に使う魔力供給呪文…『戦いの歌』を解除して魔力を体内で“練ろう”としたんだ」

「へ?」

「それはつまり…」

「魔力をワタシや刹那が使う気のように使おうとした…という事アルか?」

 

 イリヤ、刹那に続く古 菲の言葉にエヴァは頷く。

 

「ああ、馬鹿な事にな。大方、私のそれを見てそっちの方が効果的且つ効率的だと思ったんだろうが―――」

 

 エヴァは目を吊り上げてギロリとネギを睨む。

 

「―――戦士でも武術家でもない。拳法を学び始めたばかりの半端者がっ…! そんな小難しい理屈先行型魔法使いのお前にそれが出来ると思ったのか!? この戯けめッ!」

 

 怒鳴り、エヴァはガシッとネギの顔をアイアンクローで掴むと、凄まじい握力でギリギリと締め付けて彼の身体を持ち上げる。

 

「あうあうぅ……す、すみませんっ!…ごめんなさい師匠(マスター)!」

 

 足が床から離れ、宙に手をバタつかせながらネギは必死に声を上げて謝罪する。頭蓋が割れんばかりに軋んで痛むので本当に必死だ。

 

「そうやってなんでも謝れば許されると思うか…ああ! 物分り良さそうに返事をして置きながら……オ・マ・エという奴はぁ!」

「ひ…ひぃ!?」

 

 エヴァの指が更に食い込み、痛みが増すと共にミリミリと嫌な音が耳に入ってネギは悲鳴を上げて更に手足をバタつかせた。

 

 

 

 

 

「…ったく」

 

 数分後、エヴァはイリヤの宥めによって漸く落ち着きを見せた。

 ただしそれはイリヤにしてもネギの為というよりは、あわあわと怯えるのどかやオロオロとする茶々丸の為であった。イリヤもネギに対して少し呆れた気持ちが大きかったのだ。

 

「まあ、そういった何事にも挑もうとする精神(スピリッツ)自体は嫌いでは無いがな。しかしもう少し事を考え、地力を活かせる土壌を持ってからにしろ。今のお前ではアレはナマクラ刀…いや、付け焼刃以下の棒切れのようなものにしかならん……というか余計な事をせず普通に供給呪文を使え」

「はい。すみませんでした」

 

 改めて落ち着いて説教するエヴァにネギはひたすら頭を下げ続ける。

 ネギが反省したのを見て取りエヴァはふう…と一息つくと、彼女に横から声が掛かった。

 

「それでどういう事なのです? 魔力を気のように使うと言ってたですが?」

 

 夕映だ。魔法使いに成る決意が固く。向上心旺盛な彼女としては気に掛かる話題だったのだろう。

 

「うん? まあ、言葉通りの意味だが……そうだな」

 

 フム…と。エヴァは顎に手を当てて考え込むような仕草をしながら答える。

 

「座学の方で魔力を制御するには精神力。気を扱うには体力任せな所が在る…と。入りにそう大まかに教えた事があっただろう」

「はい」

 

 それは、

 魔力は、大気中にある“大源(マナ)”の取り込みと操作に常に念じるような高い集中力と感応力が必要であり。

 気は、自らの体内にある“小源(オド)”を己が肉体の一部…身体に当然としてある一つの器官(ないぞう)として捉える高度な感覚力を得る必要がある。

 というような事だ。

 

「更に詳しく言えば、魔法という現象は呪文詠唱と共に術式構築のイメージを描きながら、精霊と交信し外界に働き掛けて制御し形にする……要は常に思考し続けて脳を働かせているようなものだ。それに対して気を使った技法は身体に力を籠めて筋肉を硬く膨張させるかのように練り上げ、俗にチャクラとも言われる体内全体にある霊的経路を通して己が筋力のように伝達させて形にする……正に自身の肉体の一部ないし延長、もしくはその物として扱う訳だ。西の呪術や楓の分身技のような例外はあるが」

 

 話を聞き、夕映は納得したように頷く。

 

「つまり精神…思考する事で動かしていた魔力を、体力…肉体の動作そのものとして動かすという事ですか」

「…ざっくり言えばな」

 

 夕映の言葉に頷き返すエヴァ。しかし夕映は再び疑問を呈する。

 

「しかしそんな事が可能なのですか? 例えるならそれは頭で思考する事でしか解けない複雑な計算問題を筋力だけで解くと言っているようなものなのですが?」

「それはそれだ。例えのような物だからな。数式である魔法であればそうだが、純粋なエネルギーである魔力なら別だ。魔法による現象は言わばエネルギーをより効率的且つより効果的に変換した結果であり、術者はそれを成す術式を…演算処理を行う電子制御を導入した原動機だと思えばいい」

「なるほど。では術式に頼らずに(エネルギー)を扱う刹那さんや古 菲さんは完全機械式と言った所ですか」

「…まあそうだな。ただ機械式といってもこの二人の技量ならば、電子制御式にも負けない恐ろしく精緻かつ効率的な原動機という事になるがな」

 

 それでも流石に出力は大源(マナ)を取り込む電子制御式(まほうつかい)には及ばないが……どこぞの世界に居る“筋肉馬鹿(チートバグ)”は兎も角として、ともエヴァは言う。

 

「…でだ。魔力を気のように扱うというのは、無意識的な部分も含めてこれまで(せいしん)や術式に任せていた魔力というエネルギーの運用をそれから切り離して完全に肉体(たいりょく)の制御下に置いたと言った所だ。私ほどになると分けているという方が厳密には正しいのだろうが、取り敢えずはそう考えた方が良いだろう」

 

 ちなみに無意識的な部分というは、ネギも普段から行っている魔力の水増しによる簡易的な身体強化の事や、魔法使いが常時展開している魔法障壁などの事である。

 

「ふーん。でも聞くと結構簡単そうに思えるんだけど。いや、勿論、桜咲やクーみたいに体を鍛えて厳しい修練を積む必要はあるのは判ってるけど。拳法をやって体を鍛えているネギ君ならそのうち出来るんじゃ? どうもエヴァちゃんの話す様子を見るとそれも無理って言っているように思えるんだよね。…どうしてなの?」

 

 そう言ったのは和美だ。彼女は不思議そうにエヴァの説明に小首を傾げている。

 

「…無理とは言わんが、ぼーやのような生粋の魔法使いには向かん。慣れと言うか日常的に(せいしん)でそう魔力を扱っているからな。それも便利な電子(じゅつしき)制御というサポート付きでこれまでずっとだ。なのにいきなりそれを捨てて使おうとしても無理だろう。それに魔力は己が内にある小源(まりょく)を呼び水にし、大源(マナ)という文字通り余所にある大きな源泉からエネルギーを汲み取っているんだ。高位の魔法使いであろうと碌に訓練も無く、そんなでかいエネルギーを術式などのサポート無しで扱えば身体がただではすまん。過剰供給で魔力暴走(オーバーロード)を起すのが関の山だ。そうなれば身体の一部を壊すだけならまだしも、最悪半身不随やら全身不随やらの植物状態になる」

 

 答えるエヴァのその表情は非常に不愉快げだ。致命的な後遺症を残す可能性が在るのだから当然だろう。

 

「そもそもぼーやには必要ないんだ。魔法使いとして高い素養があり、魔力にも恵まれている以上はな」

 

 …どこかの不良教師と違ってな、と小さく呟きつつ言葉を続ける。

 

「だから無駄な事をしてリソースを割く必要は無い。もしそれをやるなら余生の楽しみにとっておけ。私とて身体強化の可能性を探る一つとして思い付き、暇潰しで行なっていた事だ。ま、それでも懸命に打ち込んだが、モノに出来るまで60年程掛かったな…」

 

 どこか懐かしそうに言いつつエヴァはネギの方を見る。

 ネギはその視線を受けてすみませんと頭を再度下げるが、今のエヴァの言葉が気になったのだろう。

 

「……でもそう言うって事は、その魔力を扱い方って師匠独自の技法なんですね」

 

 それを聞き、エヴァは微かに苦笑する

 

「いや、そうでもない。同じような事を考える奴はやはりいる者でな。尤もそいつは私とは別の意図……ある高等技法をより高める為に始めたそうだが。結局、私はその人物に教えを乞う事でモノに出来た」

 

 もう400年ほど前の事だ、とエヴァは言う。

 普段通りの口調だが、言葉にはその人物に対して強い尊敬の念が感じられた。

 

「へぇ、エヴァさんの師って訳ね」

「ああ、その一人だ。中でもそいつは飛び抜けた実力者だった。私の知る限り戦士や武芸者としては最高峰の頂点に立つ。当然、その時代に亡くなってはいるが、もし存命しており、再び立ち合う事になったら……遠間は兎も角。正直、近接戦では今の私でも勝てる気がせんな。とはいえ、あいつ相手に何時までも距離を維持できるとは思えんし……チャチャゼロ達で前衛を固めれば十分勝ち得るだろうが、単独ではやはり難しいな」

「そ、それほど…なの。……どんな化け物よ」

 

 敬意を見せるエヴァに珍しげにイリヤが尋ねると、誇らしげに言うエヴァのとんでもない返答にイリヤは表情を引き攣らせた。

 投影宝具をCランクまでに制限を掛けていたとはいえ、エヴァに一方的に追い詰められたイリヤにして見れば「本当にそれはどんな化け物だ」としか言えない。時代的に件の“人物(えいゆう)”が何者なのか、幾つか心当たりが無い訳ではないのだが……何となく訊くのが怖かった。

 同様に周囲の面々も…特に刹那と古 菲は驚愕を通り越して愕然としている。

 

「しかしなるほど。という事はアレは気弾と同じなのね」

「ん? アレって?」

 

 引き攣った表情を収めてイリヤが呟くと、ネギが怪訝な表情をする。

 

「幻想空間の模擬戦でエヴァさんは、私や私が持つ剣に打ち込みを入れる度に魔力を叩き付けていたんだけど、ただの魔力放出にしては何ていうか、異様に指向性があって重かったから……つまり―――」

「―――その通りだ。術式を介した魔法ではアミュレット等の加護に無力化されるし、遠間では直線的なそれは容易に躱されるからな。零距離から直にぶつけさせて貰った。それでも幾分か軽減されてしまったがな」

 

 エヴァの言葉にイリヤはやっぱりと呟き。

 

「魔力だけを純粋に固めて撃ち出す物理攻撃…か、まったく器用な事をするわね。そんな何も意味やカタチを持たせられない事を…よくもまあ」

 

 イリヤは感心したような、呆れたような声を零す。

 魔術師として、何の加工も施さない魔力をよくそんなに上手く扱えるものだという感嘆が在り、等量にそんな非効率的な勿体無い事をよく出来るものだという憤りがあった。

 無加工な魔力に方向性を持たせる難しさは勿論だが、なによりソレを成せる程の魔力があるなら加工してもっと効率的に意味を持たせて効果的に使うものだ、という思いがそこにある。

 

「まあ、そうする理由も判るんだけど…」

 

 外套…聖骸布とアミュレットの守りの事を考えてそうも思った。あと一撃一撃にセイバーの魔力放出に匹敵する重さが乗せられている事にも納得できた。

 

「…えっと……?」

 

 イリヤとエヴァのやり取りに今一つ意味が掴めないのかネギが首を傾げる。するとエヴァが席を立ち、

 

「こういう事だ」

 

 そう言うと手の平を前方に向け、

 

「波っ!!」

 

 叫びと共に彼女の手から拳大くらいの大きさの光弾が放たれ、外にある広場の石柱の一つを砕いて半ばから圧し折った。

 

「わっ!」

「ひゃ!?」

「こ、これは…!?」

 

 風圧と衝撃を伴いテラスの中を駆けて飛び出した光弾そのものに対してか、それとも石柱を砕いた結果によるものかそれぞれの面々が驚きの声を上げる。

 

「ぼーやも話から想像は付いていただろう」

「は、はい。でも本当に無詠唱どころか何の術式も使わずにこんな魔法の矢みたいな事が……」

「原理はさっき説明した通りだ。気のように体力面から魔力を練り上げ、方向性を持たせて放出している」

 

 エヴァの行いに驚愕するネギに、エヴァは彼の“近くに合った席”に座ると再度教え諭すように言う。

 

「だが、何度も言うようだが真似をしようとは思うな。エネルギーが大きく扱いが難しい大源(マナ)を用いた魔力でこんな事をすれば身体がもたん。ただの人間がこれをするには長い肉体の鍛錬は勿論、その為の独特の修練が必要だ。オマケに使いこなせれば供給呪文よりも身体強化こそは格段に“上”になるが、術式制御のような安定性は無く今のように砲弾として放つ場合の効率も悪い。アレ一つに並の戦士が使う平均的な気弾と同量に当たる魔力を籠めたが、術式や呪文の補助を加えればもっと大きな威力が出せる……並の魔法使いの中位相当か、それ以上の呪文に成る」

 

 同じ量のエネルギーでの結果の違い。それだけ外界への干渉では術式と精霊による相乗効果は大きいという事だ。この部分が―――大源(マナ)から魔力を汲み取り、術式による効率・最適化への演算処理ができ。精霊契約による高い火力を生み出せる所が―――彼等、魔法使いが“砲台”といわれる由縁だ。

 

「私のように長い時を生き、多くの鍛錬と修練を積んだものであればいいが、そうでなければ身体を壊す事になるし精神面と体力面での制御を分ける技術は得られん。仮に今モノに出来たとしてもどっちつかずの不完全なモノにしかならんだろう」

 

 魔法使いは魔法使いとしての方法で強くなるべきだ、という事だ。

 

「…………」

 

 ネギは無言ながらも頷く。さっき真似をしようとし失敗した事を思い出したのだ。

 確かにあの時ヤバイものを感じた。一瞬であったが全身に熱い鉛が注ぎ込まれたような痛みがあった。もしあのまま師匠が強引にでも止めなければ……と、そこまで考えて背筋に寒くなった。

 ただしかし、それなりの計算は在ったのだ。先の事件でもエヴァと同じ事をしていた人物を相手にし、先程の模擬戦でエヴァがやはり可能としていた事で出来ると思った。

 それを訪ねると―――

 

「…成程、あの時は私も眠らされていたからな」

 

 ネギからその事を聞いてエヴァは若干決まり悪げに顔を顰める。その相手に不覚を取った為だ。その彼女の“頭の上で”イリヤも同様に顔を顰めた。その責任の一端が自分にあると思ったからだ。

 

「…だが奴は、ヘルマンなる男は悪魔だ」

「そうね。ネギが真似をしようと思うのは間違いよね」

 

 そう、“悪魔”。

 あの事件で現世に関与する為に肉体こそ持っていたが、その正体と本質の形無き精神…もしくは想念などの霊体だ。

 

「それを容れる実体を持った肉体自体が魔力を凝固したもの。だから―――」

「―――奴らの行うその動作、高い身体能力自体が肉体を構成する魔力の流動の結果だ。己が肉体のように魔力を扱うのは当然の話だ」

 

 在り方自体、肉に頼る人間と違うのだ。ただ呼吸一つするだけで大量の魔力を動かし、手足を一挙一動させるだけで魔法めいた奇跡や神秘を自然に行使できる精霊に似て異なる存在。

 

「…………お前も悪魔がどのような存在か学んでいるだろうに」

 

 エヴァが心底呆れた様子で言う。

 ネギがそれに項垂れる。それを見てエヴァは仕方なさそうに肩を竦める。

 

「まあ、既に散々注意したし迂闊に弟子の前で技を見せた私にも責任は在るか。これ以上責めるのは酷だな」

 

 そう呟いて“柔らかく暖かな背凭れ”に背中を預けながらエヴァは師として反省する。

 そうして気持ちを切り替えて、今度は先の不始末部分を除いた模擬戦でのネギの反省会を行なおうとし―――

 

「―――ところでマスター」

 

 茶々丸がその前に口を挟んだ。

 ん?…と。従者の無遠慮な横やりに訝しげにするエヴァだが、それに構わず無機質な口調で茶々丸は尋ねる。

 

「どうして“そのような所”へ座っておられるのですか?」

「…?」

 

 エヴァは首を傾げる。この鉄面尾な従者の言う事の意味が判らないからだ。

 それは誰も尋ねたくても尋ねられなかった事だ。

 相手が相手だけにという事もあるが、迂闊に突っ込んではいけないというか、気にしたら負けという雰囲気があったからだ。

 しかしそこは空気を読めない……いや、敢えて読まない所がある機械仕掛け(ロボット)の彼女だ。例え主であろうと容赦なく踏む込むところは踏み込む。

 

「もしかして気付いておられないのですか?」

「…何が言いたいんだ?」

「やはりそうなのですか」

 

 エヴァの不可解そうな表情にちらりと一瞬だけ、茶々丸は彼女の頭上に視線を移し―――己が仕える主に告げる。

 

「どうしてイリヤさんの“膝の上”に腰を掛けておられるのですか?」

 

 と。

 

 ――――――――――――――。

 

 

 数秒ほど時が凍ったような雰囲気が辺りに漂った。

 

「…………」

「…………」

 

 エヴァは視線を……首の角度を限界まで上げて、その背を預ける相手…イリヤの俯いて此方を見る緋色の瞳と目線を交わせる。そのように小柄なエヴァの目線が上向く通り、イリヤは未だ大人の姿であった。

 先程の模擬戦、幻想空間では本来の子供の姿ではあったが、現実では昨日―――別荘内時間にて―――からずっと詐称薬を呑んだままの状態が続いていた。

 理由は言うまでもない。エヴァの我が侭からだ。このままの姿の方が甘え甲斐があるのだ。その嬉しくも恥ずかしい感情は昨晩べったりとくっ付いて、同衾してから高まるばかりである。

 こうして大きく暖かく柔らかく身を包んでくれる安らぎは逃すには惜しく、非常に離れ難いのだ。

 

「…………―――――」

 

 気が付くとこうしてイリヤ(おねえちゃん)の間近に身を置いてしまう程に。

 

「―――――!!!」

 

 指摘されて己の状況に気付いた瞬間、エヴァは自分の顔からボンッと湯気が立ち昇る錯覚に陥り、耳まで顔が真っ赤に染まったのを自覚した。

 

「あう…こっ…これっ……ち、違…くて……」

 

 見上げた視線の先にある緋色の双眸を見詰めながら、エヴァは言葉にならない声を零しながら口をパクパクとさせる。

 

「エ、エヴァ…落ち着い―――」

「――――だ、だ…から違……! そ、んな気は無く…てっ!!」

 

 顔のみならず首まで赤く染め、接触するエヴァの身体の体温が急速に上がるのを感じてイリヤは落ち着かせようと声を掛けるも、エヴァは揺れる感情と沸騰する頭で耳に貸せる状態にない。

 

「だからッ! 気が付いたらっ、で…!」

 

 彼女は必死に何か弁明しようと声を上げ、手をあわあわと宙を泳がせてパニックと陥り。

 

「師匠!?」

「エ、エヴァちゃん!?」

 

 そんな姿を見たネギと明日菜他、イリヤを除いた面々が驚く。

 その驚きの声にエヴァは「ヒッ…!」と今更ながら周囲にネギ達がいる事に気付いたように肩をビクッと震わせる。いや、気付いてはいた筈だ。だからこうして羞恥心でエヴァは一杯一杯になっているのだ。

 

「違…! だ、だから違う…ぅ!」

 

 取り繕おうとするも顔は熟したトマトのようになり、完全に芯まで沸騰した頭では碌に言葉にならない。

 大人姿のイリヤの膝の上であわあわと落ち着きなく手を振り、首を振り、何度も「違、違う、違くて」という意味の無さない言葉を繰り返している。

 もはや普段の彼女はそこには居なかった。殻の剥けて隠れた少女の面影がひょっこりと出ているような状態だ。

 

「か…かわええ……」

「うん……可愛い…」

 

 狼狽えるエヴァを見てどう思ったのか、木乃香とのどかが思わずといった感じでそんな言葉をポロッと零した。同意なのかやはりイリヤを除いた女性陣全員が無意識にもコクリと頷いていた。

 ただ、ネギとカモはこの世のものとは思えない。何か恐ろしいものを見たように青い顔をして表情を引き攣らせていたが……

 

「…ッ!」

 

 男性二人(一人と一匹?)を除き、向けられる何処か暖かな視線にエヴァはまたも肩を震わせる―――途端、俯き。

 

「…ク、ラク…ック・…イラック」

「あ! エ…エヴァ!?」

 

 イリヤは気付く。膝の上で項垂れた姿勢でいるエヴァが小さく震えながらも呪文を唱えているのを…!

 

「ちょっ!…待ち―――!!」

 

 イリヤは、エヴァが詠唱を終えるのを阻止しようと口を塞ごうとするも―――

 

「―――――き、記憶を失えーーーーーッ!!!」

 

 遅く。エヴァの渾身の叫び声が別荘全域に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あれ?」

 

 ネギは唐突に首を傾げる。

 

「兄貴?」

「ん。どうしたんネギ君?」

「あ、いえ。別に何でもありません」

 

 手には飲みかけの紅茶があり、目の前にはテーブルを挟んで談笑を楽しむ彼の生徒達が姿があった。

 別段何もおかしいことは無い。馬鹿な真似をして師の叱責を受け、その後でその失態を除いた模擬戦の反省会を行なってもう一人の師である古 菲も交えて改善点と今度の訓練方針を確認した……のだ?

 

「その筈……だよね?」

「…?」

「んん?」

「あ、いえ」

 

 思わず呟き、再び怪訝そうな顔をする木乃香とカモにネギはまたも何でも無いように首を振る。

 

「…変なネギ君」

 

 木乃香が可笑しそうに笑うと、その隣に居た刹那が心配そうな顔を見せる。

 

「もしや今になって頭を打った影響が…?」

「ム、それはいけないネ」

「大丈夫ですかネギ先生?」

「辛いなら横になった方が良いですよ」

 

 刹那の言葉を聞いた古 菲とのどか、夕映が続いて心配げに声を掛けて来る。

 

「それなら木乃香か、イリヤちゃんに見て貰った方が良いんじゃない?」

「ならまずウチが…」

 

 和美も気に成った様子でネギの顔を覗き込みながら言うと、朗らかな笑みから一転して真剣な表情と成った木乃香がネギの方に手を伸ばす。

 ネギはそんな彼女達に慌てて首を振る。

 

「いえ、ちょっとボーっとしただけで本当に大丈夫ですから…!」

「…そう? けど一応見とくえ」

「…あ、すいません」

 

 ネギの言葉を今一信用しなかったのか木乃香はネギの頭に手を触れた。ネギは無茶をする己に自覚があるのか大人しくそれを受け入れる。

 

 

 

 

 

 それをテラスの隅から見詰める四人。

 

「エヴァ…」

「エヴァちゃん」

「マスター」

「す、すまない」

「は、ははは…」

 

 イリヤ、明日菜、茶々丸にエヴァ。そしてさよ。

 前者の三人は何処となくエヴァを責める様子であり、その当人は居た堪れない様子で俯いている。さよは自分も良く騒動を起こす事もあってか苦笑を浮かべるしかないといった様相だ。

 

(でも、本当……大変だったなぁ)

 

 さよは苦笑しつつ内心で呟く。

 あの後…思い余ったエヴァが忘却魔法を行使した後。対象外だったイリヤは当然として、明日菜は持ち前の異能から。茶々丸は機械の体と電脳故に。そしてさよはイリヤの弟子と成っているのは伊達では無く、膨大な魔力で上位魔法に匹敵する形で放たれたソレを無事抵抗(レジスト)できた。

 しかし―――

 

「一時はどうなる事かと思ったわよ。皆が皆、記憶喪失になるなんて…」

 

 心底疲れたように明日菜が呟く。

 それにさよは深く頷くも、同時にやや否定的にも思う。

 

(うん、けど記憶喪失なんて生易しいものじゃないよね。あれは……)

 

 さよの内心を呼んだのかイリヤが同意するように言う。

 

「そんな可愛いものじゃないわよ。あれは記憶“喪失”っていうよりも記憶“全失”よ」

「……或いは幼児退行というべきかも知れません。皆赤ん坊のような状態でしたから」

 

 イリヤに続いて茶々丸がそう言った。

 その言葉の通りエヴァの魔法を受けたネギとカモと少女達は、記憶の何もかも全てを失って精神が真っ白の赤ん坊となってしまった。

 

「ですね。本当大変でした。此処が別荘で良かったです」

 

 茶々丸の言葉に頷いてさよも口を開いた。

 

「そうね。あとサヨが居た事も幸いだったわ。私一人だけだったらもっと手間が掛かってたもの」

「お役に立てて何よりです」

「……こんなことで役に立てる気は無かったんだけどね。でも、貴女を弟子に取っていてホント良かったわ」

 

 イリヤは僅かに苦い表情を浮かべつつはぁぁ…と、息を吐くようにして安堵の表情を作った。

 

「……本当にすまない。特にイリヤとさよには迷惑を掛けて……」

 

 エヴァが身を縮めて頭を下げる。

 記憶を全失して魔法を受けた面々が幼児退行を起こした事に気付いたイリヤは、未だ混乱しているエヴァと慌てる明日菜とオロオロする茶々丸を余所に、さよを叱咤して共に記憶を失った皆の精神を直ぐに幻想空間に隔離し肉体を冬眠状態に置いた。

 そして肉体の管理を明日菜と吸血鬼主従に任せ、さよと一緒に記憶全失したネギカモコンビと少女達の“治療”を幻想空間で行った。

 

「……まったくよね」

 

 頭を下げるエヴァにイリヤは安堵の表情を引っ込めると嘆息した。

 その呆れきった声に内心でエヴァは泣きそうになる。

 

 ――――ううう…お姉ちゃんが許してくれない。

 

 と。

 だがそれも仕方が無い。別荘時間で丸一日を費やしてイリヤとさよは治療を行なったのだ。その数倍の体感時間……いや、複数名の記憶の為にそれ以上に時間を伸ばして二人は皆の治療に当たった。

 その体感時間は凡そ三ヶ月にもなる。イリヤが呆れ切って簡単に許さないのも当然だ。

 

「もう少しここで休みます?」

「……帰るわ。一応外はまだ夕刻だし食事も睡眠も取れるから…」

 

 さよが尋ねるとイリヤはそう疲れた声で返事をした。疲労の為に酷く落ち込んだ様子でいるエヴァに気付かずに。

 

 

 ◇

 

 

 別荘を出てイリヤや明日菜などの一部を除いた者達は、何故か“二時間”も過ぎている事に疑問の表情を見せていたが、「別荘の機能に不具合が出ていたらしい」「古いものだし仕方が無い」「チェックしておく」などのイリヤとエヴァの誤魔化しに納得したようで気にする事無く帰路に付いた。

 

 そして―――

 

「―――で、どうしたら良いかな?」

 

 夕食と風呂を頂いた後、エヴァは自室のベッドの上で彼女には大きすぎるように思える愛用の枕を胸に抱えて、誰よりも頼りにする“彼”にそう尋ねていた。

 

『どう?…と言われてもな』

 

 エヴァの不安気な声に彼は若干困ったように応じる。

 

『確かにイリヤは呆れたかも知れんが怒ってもいなかった。そう気にすることはないと思う。というか彼女自身もう気にしてはいまい』

「そ、そうかなぁ。あれから帰るまでずっと不機嫌そうに眉を寄せていたし……」

 

 赤い宝石から返る声にエヴァは納得できないように顔を俯かせる。

 そんな彼女を見て赤い宝石こと…シロウは溜息を吐く。いや…身体は無いから気持ち的にだ。

 

(ふむ……)

 

 事態は見させて貰ってはいた。

 学校では眠っている彼だが、それ以外ではシロウは基本的に起きている。

 だが、声を出すことは無いし思念でエヴァと会話する事も稀だ。迂闊に声を掛けると彼女は素の姿をネギ達などの前で出しかねないからだ。先程テンパった時のように。

 正直、別に明らかにしても良いのではないか、と思わなくもないのだが。素の自分をまだ隠しておきたいというエヴァの意向を汲み取るならば、シロウはそうするしかない。

 それにネギ達のこれからの成長と育成を鑑みても、威厳のある彼女のままでいた方がプラスだというエヴァとイリヤの意見も判るのだ。

 

(時間も無く未熟な彼と彼女らを急ぎ鍛える必要がある事を考えれば、直ぐ傍に頼れる先達…或いは先導者がいる事は非常に重要だ。あの振る舞いのエヴァとそしてイリヤはそれに適任だろう。外見的な要素……変に大人という意識をさせない所は特に…)

 

 そう、大人に対する配慮やら遠慮を覚えさせないのは大きな利点だ。同年代の少女的な外見やクラスメイトという身近な立場……つまり親身さが持てるのだ。

 無論、先達や師たる者に敬いを持たなくなる弊害も出そうだが、エヴァの威厳とイリヤの振る舞いからその心配は余りない。幻想空間で行った模擬戦の効果も出ているだろう。

 

(そうなると自分が余り表に出て、あれやこれやと口に出すのはやはり避けるべきか)

 

 シロウの存在をネギ達に教えてアドバイスを貰い易くした方が良いのでは?…という意見も一時は出されたが、エヴァの素面を隠す必要性もあって様子見的に保留しており、シロウは改めてまだ当面現状を維持すべきだと判断する。

 

(それに……あれから六百年だ。あの幼かったエヴァも成熟した魔法使いと成り、戦闘経験も…少なくとも生前のオレよりは豊富だ。そんな彼女なら指導を誤ることは無いだろう)

 

 感慨深げに…そして複雑そうに胸中で呟く。

 娘のように思っていた少女の成長した姿を見られた喜び。その成長を見届けられなかった無念。過酷な道程を歩ませた悔い…それらを混ぜて。

 

「シロウ…聞いているの?」

『ん? いや……すまない。少しぼうっとしていたようだ』

 

 過去に思い馳せていた所為で彼女の話しを耳から素通りさせてしまったようだ。

 

「むう」

 

 エヴァが頬を膨らませて宝石を睨む。

 怒ってはいるが可愛らしい表情を見せるのでシロウは苦笑してしまう。が、真面目にも答える。

 

『それほど気になるのであれば、明日にでももう一度イリヤに謝りに行ってはどうだ? それに休日なのだろう。謝罪を兼ねて何か遊びに誘うのも手だ―――と、待て。そう言えばイリヤには仕事があるのだったか?』

「あ…うん。明日は丸一日時間が空くからそれを目一杯使って協会の仕事を片付ける、って確かイリヤもそう言ってた」

 

 疑問への答えを聞きシロウは、むむ…と唸る。

 学祭が近いことからこれまた急ぎの仕事なのだ。何かとイリヤが無理を重ねているのを知っているので止めたい気持ちはあるが、学祭時期に伴う厄介な問題を理解する為に止むを得ないという複雑な感情があった。

 

『是非もないか』

 

 シロウが呟くとエヴァはがっくりと肩を落とす。先程のシロウのアイディアに非常に乗り気だったからだ。お姉ちゃんとの折角のデートの機会が…と小さく残念そうな声が聞こえた。

 シロウはそんなエヴァに微笑ましいものを感じながら、それなら、と。次の解決案を出す。

 

『では、その手助けをするというのはどうだ。朝一に謝りに行って迷惑を掛けた分、仕事を手伝わせて欲しいと』

「あ…」

 

 再度出された案を聞き、沈んでいたエヴァの表情が綻ぶ。

 

「うん! それ良い! ちょっと面倒だけど……それならきっとイリヤも許してくれるよね」

 

 明るい笑顔でそう言い。

 

「じゃあ、今日は早めに寝よっと……ありがとうシロウ」

 

 相談してくれたシロウに礼を告げてエヴァはベッドへ横になった。

 

 




 武術の話は個人的な解釈によるにわか知識です。本気で受け止めないで頂けると助かります。

 魔力と気の運用法に関しては一応後々の為の布石になってます。

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