麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第29話―――見習い少女の立ち直り

 翌日。

 元喫茶店である宝飾店アインツベルンことイリヤ宅をエヴァは訪れたのだが―――

 

「……………」

「……………」

「……………」

 

 店前で自分を見、強張った表情をする二人の人物と睨み合っていた。

 一人は長い金髪の白人であやかに似たお嬢様めいた雰囲気を持つ少女。もう一人はツインテールした栗色掛かった髪を頭に飾る可愛らしい容貌を持つ日本人の少女だ。

 前者は休日でありながら聖ウルスラの制服を着ているのに対して、後者は休日らしく朱色の薄手のカーディガンに桃色のワンピースという組み合わせの私服姿である。

 

「「「――――――――」」」

 

 睨み合って幾ほど経ったか……エヴァは溜息を一つ吐くと。

 

「何なんだ。お前らは…?」

 

 そう、今更ながらに尋ねた。そもそも何故に自分達は……いや、むしろ2人が一方的に睨んでくるのかという疑問もある。

 まあ、大体想像はつくのだが……ともエヴァは内心で呟く。

 その予想は当たっていた。金髪の少女が険しい表情でエヴァを殊更睨み、

 

闇の福音(ダークエヴァンジェル)……貴方こそ、どうして此処に?」

 

 エヴァの問いに答えずそう忌み名を口にした。

 

「…………」

 

 エヴァは思わず顔を顰めそうになった。

 イリヤやネギなどの親しい者や一部を除き、エヴァはそれらの異名で呼ばれたくないのだ。彼女と彼等以外はその名を口にするたびに明らかな恐怖、畏怖、敵意が込めてくるのだから。

 心が硬い殻に覆われているからこそそれに耐えられるが、それでも贖罪と幸福を望むただ一人の少女(エヴァンジェリン)としては中々に辛いものが在る。

 

 特に昨今においてはイリヤという優しい理解者を得たから尚更に。

 

 エヴァは少女達から向けられる怯えと敵意に耐えながら再度問い返す。

 

「人にものを訪ねるならそれなりの態度があるだろう。先ずは名乗れ、お前達は私の事を知っているが、私はお前達が何者か知らん。協会に属する見習い魔法使いだとは判るが……それだけだ」

「何故、貴方などに…?」

「……嫌うのは勝手だがな。これでも私は正規の協会職員だ。言わばお前達の先達であり、直接ではないが一応上司でもあるんだ」

 

 なら判るだろう、と言うようにエヴァは言葉を続けずに金髪の少女に視線だけを向ける。するとその隣にいる日本人の少女は肩を震わせ、金髪の少女も怯みを大きくして半歩下がったが……エヴァの言葉が道理だと理解したのか、納得したように頷く。

 

「…確かにそうですね。……失礼致しました。私は高音・D・グッドマンと申します。隣にいるのは私のパートナーの佐倉 愛衣。お察しの通りこの麻帆良で見習いとして修行中の身であります。以後お見知りおきを」

「よ、宜しくお願いします。エヴァンジェリンさん」

 

 見習い魔法使いの少女達は揃って頭を下げる。そこにはエヴァに対する恐怖や畏怖などだけでなく、不躾な己への確かな自省が在った。

 己が非を理解してくれたらしく、エヴァはそんな素直な彼女達に最初の印象を修正して好感を抱く。

 

「ああ、宜しく。で、どうして此処に?……と。これはそっちが先にした質問だったな」

 

 エヴァは二人の挨拶に鷹揚に頷くと、先の質問に答える。

 

「まあ、察しは付いているだろうが。此処の宝飾店……というより工房主に用があってな」

 

 やや不遜であるが、その穏やかなエヴァの口調と反応が意外に思えたのだろう。見習いの二人は驚いた表情を浮かべる。それに構わず今度はエヴァが問い掛ける。

 

「それでそっちは? 魔法具の製作依頼か? だがこういうのもなんだが見習いの立場では―――」

「―――あ、いえ、違います。それとは別に自分達も工房主に用がありまして」

 

 金髪の少女こと高音が驚きの表情のまま、エヴァの言葉を遮って訂正するように答える。

 

「ふむ…もしかして協会の仕事での件か?」

「そうです。だからイリヤちゃ……じゃなくて工房主さんに資料を届けに来たんです」

 

 エヴァに対してどのような印象変化が起きたのか、怯みが完全に失せて人懐っこい明るい笑顔で愛衣が答えた。

 その笑顔を見てエヴァも表情を綻ばせる。ただイリヤの名を親しげに呼ぼうとしたのが……とても気に掛かった。

 

「…もしかしてイリヤと知り合いなのか?」

「はい! お友達です!」

「ええ…まあ、」

 

 快活に愛衣が言い。高音は何処か躊躇いがちに首肯する。それにエヴァは―――

 

「……………そうか」

 

 少し間を置いてからそう短く返事をした。

 表には出さなかったがその内面では、何か面白くないという釈然としない感情を抱えて。

 

 

 ◇

 

 

 

 店を訪れたエヴァ、高音、愛衣たち三人の姿にイリヤは意外そうな表情をする。

 

「…随分珍しい組み合わせね」

「ああ…―――いや、店の前で偶々一緒になっただけだ」

 

 イリヤの問い掛けに一瞬頷き掛け―――首を振って答えるエヴァ。

 

「ふーん、茶々丸は?」

「アイツは別の用があるそうだ。……その方が都合が良いだろうからな」

「…? まあ、いいわ。と…挨拶がまだだったわね。おはようエヴァさん、タカネ、メイ」

 

 エヴァの言葉にイリヤは少し首を傾げるが、挨拶が遅れた事を思いだして三人の客人に頭を下げる。

 

「ん。おはよう」

「おはようございます」

「おはよう。今日はよろしくね。イリヤちゃん」

 

 イリヤの挨拶にエヴァは首肯を返し、高音と愛衣はイリヤと同じく頭を下げた。

 場所は既に応接室で。高価な調度品で整えられた室内に慣れた様子のエヴァと高音は兎も角、愛衣は珍しさが未だ抜けないのか、チラチラと彼方此方に視線を移している。

 イリヤはそんな友人の様子を気にする事無くメイドが用意した紅茶を啜り、口内を潤してから三人に話し掛けた。

 

「それで、タカネとメイが此処へ来た理由は判るけど。エヴァさんが来たのは?」

「む、それは……」

 

 テーブルに向かいに座るイリヤからの問い掛けにエヴァは言葉に詰まる。

 理由は言うまでも無く、昨日の失態への謝罪だ。だが……横目でチラリとエヴァは隣で自分と同じソファーに腰掛ける見習いの少女達を見る。

 この少女達の前でそれを言うのは憚られ、僅かに躊躇するも―――エヴァは確りと頭を下げた。

 

「昨日の事だ。イリヤには本当に迷惑を掛けた。……すまない」

 

 失態の事自体は言わずにそう謝罪の言葉を口にした。

 

「別に気にしなくても良いのに。誰だって失敗はあるんだから、大事なのは過ちを繰り返さないように確りと反省する事であって、エヴァさんはそれが出来る人でしょ」

 

 イリヤは若干驚いたような、謝られた事が意外だとでもいうような様子だ。

 シロウの言う通りイリヤはエヴァの失態を既に気にしていないのだ。アレは偶々な出来事であり、またエヴァがあのような事を何度も起こす訳が無いと、敢えて怒り叱りつける必要も無いと信頼していた。

 

「……イリヤ」

 

 それを―――イリヤの言葉に込められた想いを感じてエヴァの肩が震えた。お姉ちゃんが怒っていない、許してくれた! それどころか信じてくれている…!と。もう感激の余りに飛び上がらんばかりの感情に耐えていた。

 もし此処に高音と愛衣、そして控えているメイド達の姿が無ければエヴァはイリヤの胸に飛び込んでいただろう。それがとても惜しい…エヴァは心の底からそう思うも我慢する。

 

「イリヤ…それでもケジメは付けたい。だから迷惑を掛けた分、今日はお前の為に働かせて貰おうと思う」

 

 飛び付きたい感情を我慢して言うと。イリヤは大きく首を傾げて「成程、だから茶々丸は来なかったのか……うーん」と小さく呟きつつも唸り、

 

「分かったわ。それでエヴァさんの気が済むなら。私も助かるしね」

 

 了承した。

 エヴァが思いの外、昨日の事を気にしているのを察したらしい。イリヤの口調からそれを感じ取り、エヴァは少し忸怩たる思いを抱いた。

 昨日の件を改めて謝罪し、イリヤの助けになる為に来たというのに……返って気を遣わせてしまったと。

 だが、エヴァはその事を口には出さなかった。出せばイリヤと堂々巡りの会話を繰り返すだけだし、なら気を遣わせてしまった分も行動で返せば良いと考えたのだ。

 

 

 

 そのやり取りを見て、高音と愛衣はどう思ったのか。

 

(なんだか、思ったよりも良い人みたいですね。エヴァンジェリンさん)

(ええ、悪名高い真祖の吸血鬼がどのように恐ろしいヒトなのかと警戒しましたが…どうやら確りとした良識を持たれる御方のようですね)

 

 念話でそのようにこっそりと会話する二人。若干礼を欠いた事のようにも思われるが別段咎められる事では無い。こういった内緒話はお偉方の会談の場でもままある事だ。

 

(……元々は普通の人間で意図せずに吸血鬼となってしまって、已む無く悪行に手を染めた…って説もありますし)

(魔女狩りや異端審問から逃れる為にという奴ですね。正直、今を生きる魔法使い(わたしたち)には実感が薄いものですが、あの当時は魔法社会への風当たりも相当だったようですし、吸血鬼である彼女に対しては尚更苛烈だったでしょう)

 

 そう思うと二人はエヴァに同情を覚えた。迫害を受けた被害者を目にしたように。

 勿論、それでエヴァが魔王と恐れられるまで至った罪業が許されるものでは無いとも思うが、同時にやはり遠い過去の出来事に過ぎず、当時の事を知識としてしか知らず、現実感を持てない以上は彼女を強く非難する気には成れなかった。

 況してや会話を交わし穏やかな姿を見、今もイリヤに対して何やら反省して頭を下げているのだ。

 

(風聞だけで判断出来るものではありませんね)

(そうですね)

 

 罪を犯しはしたが決して悪人ではない。まだ一面しか見てはいないが取り敢えずエヴァに対して彼女達はそう結論付けた。

 

 ただし、イリヤと出会わずシロウと再会していなければ……この評価を得られたかは分からない。

 

 

 

 

 そして高音は尚も思う。イリヤに謝罪し頭を下げるエヴァを見て―――先日の事を。

 

 凡そ一月前、学園が正体不明のテロリスト―――表向きにはそうなっている―――の襲撃を受けたあの日。高音は愚かな失態を演じた。

 己が実力も理解出来ず、高慢にもそれが可能だと考えて実行し…………一人の少女を危機へ陥れてしまった。

 

 その日から高音は無気力になってしまった。

 何をするにしても身に入らず、機械のようにただ黙々と眼の前にある出来事を片付ける日々。

 学校の授業も、魔法の修行も、協会の仕事も……淡々と。

 何処かこの世に在るもの全てが希薄に思えた。

 

 ―――己自身さえも………。

 

 価値が無いと思ったのだ。

 持って生まれた才覚も、これまでの努力も、それを活かそうと願った信念も。

 だからそれらを向ける世界(しゃかい)にも興味(かち)が無くなった。

 

 心の底からそう思った―――同時に眩しくも思った。

 

 己と違い、成果を上げた相棒の愛衣が。

 危機に陥った……己が陥らせた友人(イリヤ)を助けに行き、見事役目を果たしたという妹分が。

 

 だから疎ましく思った。

 無気力な自分を気に掛け、心配し、励まそうとする彼女が。

 自分程ではないにしろ才覚に恵まれ、努力を怠らずそれが実った愛衣が。

 

 所謂、魔法先生達…正規の魔法職員達の評価は絶賛だった。

 未熟な見習いと自覚しながらも友人の危機と見過ごせずに考え、動き、そして機を得て大役を果たしたのだから当然だろう。

 

 ―――彼女こそ“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を夢見る幼き魔法使い達の鑑。彼の偉大なる英雄の息子…ネギ・スプリングフィールドと並び我らが魔法使いの将来を担う貴重な人材だ。

 

 そのような声さえ一部では上がっているという。

 そんな多くに認められる価値ある少女が、価値の無い自分を支えようとする事実。

 

 だから…だから……だから疎ましくて、励まそうとする彼女の眼がまるで価値が無い自分を哀れんでいるように見えて。惨めさを覚え、増して―――

 

『愛衣、もう私の事は放って置いて下さい。ええ…無能な自分に何時までも構っていては損でしょう。貴女は私と違って期待されているのです。だから……もう解消しましょう。そして貴女は貴女に相応しい優れたパートナーを新しく見つけなさい。あの噂の子供先生(えいゆうのむすこ)のような…』

 

 目に入れるには眩しく、傍に居られるのが疎ましくて。遠ざける為に自分を心配する彼女にそう言った。

 ただ本音を言えば、もっときつく当り散らしたかった。

 

 ―――そんな心配したふりをして周囲に良い眼で見られたいだけでしょう! 同情し哀れんでいながら本当は優越感に浸っているのでしょう! そんな嫌らしい目的で私を見るな! 傍に侍るな! もう貴女の顔など見たくもありません!

 

 等と、そう感情の赴くまま罵りたかった。

 でもそれは…それだけは越えてはならない一線だと、己に言い聞かせて暴発しそうになる感情を抑制した。

 しかし先の言葉もまた言ってはいけない事だった。

 

 愕然とした愛衣の顔を思い出す。

 パートナー解消という言葉から……もう自分と二度と関わるなという疎ましさを感じ取ったのだろう。或いはそれを聞くまでもなくそれまでの態度から薄々感じていたのかも知れない。

 そんな感情を直に向けられてショックを受けた愛衣は顔を青白くして涙を浮かべ、信じられないものを見るような目で自分を見詰め―――取り返しの付かない言葉を口にした事に気付いた自分は、逃げるようにして彼女に背中を向けてその場から去った。

 

 そして後悔しながらも反省は出来ず、そんな自分に嫌気も覚え。どうしたら良いのか判らずに悶々と自室で一人孤独にソファーに項垂れていたら……あの子が来た。

 ドカンッと蹴破るような勢いで部屋のドアが開け放たれ、ズカズカと誰かが上がり込んで来たと思ったら―――目の前に白い少女がいた。

 

 その少女―――イリヤと顔を合せるのは高音は怖かった。

 だからあの事件の在った日から決して会わないように彼女の住居がある繁華街は避け、女子中等部本校にも近付かず、登校時以外はなるべく外を出歩かなかった。

 会えば否応なくそれを思い出してしまうから。犯した過ちを突き付けられるから。どうしても頭から離れない…夢だと、性質の悪い夢だと思いたい光景―――無残に漆黒の剣で貫かれた幼い少女の姿―――が現実だと思い知らされるから。

 

 そんな言いように無い恐怖と……そして自責に怯える高音に彼女は怒鳴った。

 

「いい加減にしなさいっ!!」

 

 その怒声にビクリと身体が震えて委縮すると同時に、高音はこの寮の部屋が一人部屋で良かったなどと場違いな事を思ってしまった。

 もし他の部屋同様にルームメイトがいたら何事かと思われ、迷惑を掛けていた筈だ。それ程までに少女の声は大きく。怒りの様相は凄まじかった。

 

「貴女が自分の失態に傷付き、落ち込んでいるのは知っていた。それに気付いていながら今日までフォローしなかった私も悪かったわ。けど―――!」

 

 グイッと襟を掴まれてソファーから腰が持ち上がり、顔が近づいて高音は至近でイリヤと赤い双眸を見る事になる。

 十歳の少女とは思えない力だ、と。身体を持ち上げられて高音はそんな事を思いつつ、赤い眼から目線を逸らそうとし…

 

「何、その無様な有様は!」

 

 襟を掴む右手の反対、彼女の左手で逸らそうとした顔を…顎を掴まれて抑えられた。

 

「タカネ、私は貴女がそんな人間だとは思わなかった。もっと責任感の強い。義を重んじる誠実な人だと思ってた! だから遠くない内に私の所に来るものだと思っていた!」

 

 緋色の双眸が強く睨んでくる。

 

「なのに―――そんな何もかも、物事の全部に眼を逸らして逃げようとするなんて! 挙句にメイに“八つ当たり”までして!」

「―――…!」

 

 高音の身体がまたもビクリと震えた。

 

「め…愛衣が……言った、のですか」

「ええ、今さっき聞いたわ」

 

 信頼する相棒だった妹分に告げ口のような真似をされた事が…それもよりにもよってこの白い少女に――――それが衝撃的だった。だがそれ以上に“見抜かれた”事が怖かった。感情を抑えてやんわりと関係解消を告げたその真意を察しられた事が。どうしようもない卑屈な本音が知られた事が。

 

「泣いていたわよあの子。貴女に嫌われた、ただ元の貴女に戻って欲しかっただけなのに、もうどうしたらいいのか判らないって…」

「…………」

 

 高音は、きつく睨んでくる赤い眼から目を逸らした。顎を掴まれているので眼だけを動かして。

 

「…ふん、自分に非があるって事は判っているようね」

 

 後ろめたそうな高音の態度にイリヤは言う。

 

「なら分かるわね。自分がどうすべきか」

 

 そう告げるとイリヤは高音から手を放す。ポフッとソファーの上に高音の腰が落ちる。

 そうして暫く無言で時が過ぎ。高音は気まずげにソファーの上で俯いたまま、イリヤはそんな高音を立ったまま見下ろしていた。

 そして―――

 

「判っています。あの娘は…愛衣が何も悪くないという事は。だからあの娘には謝ります。ですが―――」

 

 高音は五分ほど経過した後、俯いたまま小さく呟くように言った。

 

「―――………パートナーの解消を、撤回する気はありません」

 

 それを告げるとこの白い少女は再び怒るかと思った為、若干躊躇ったが―――それでも言った。少し震える声で口にした。しかし意外にも少女に怒り気配は無かった。

 

「どうして?」

 

 ただそう短く尋ねられた。

 

「…………自信が無いのです。もう…」

 

 高音はポツリと口を開き、

 

「…愛衣に合わせる顔が無いというものありますが……そう、私は魔法使いとしてやっていける気が、これまでのように“偉大なる魔法使い”を目指して行ける自信が無いのです」

 

 静かに言葉を続ける。

 

「そんな自分が傍に居ては、頑張っているあの娘には迷惑にしかならないでしょう。だから愛衣には別の……」

「…………」

 

 最後まで続けずに高音は言葉を切った。そんな彼女にイリヤは考えるように沈黙する。そして一分程して、

 

「タカネ、自信が無くなったっていうのは本当なのでしょうね。でもそれ以上に貴女は怖くなったんじゃない?」

「―――!?」

 

 微かに沈黙したイリヤがそれを告げた途端、高音は胸に押さえられるような苦しさを感じてドキリとした。

 それは恐らく無意識に理解していながらも、表層では気付いていなかった心の深奥を指摘された驚き。

 

「そうね。考えてみれば当然よね。貴女は自分の起こした行動の所為で私に危機を招いて―――最悪、死なせるところだったんだもの」

「あ―――」

 

 高音は息を呑み、胸の苦しさが強くなったのを自覚する。

 

「だから貴女は自分の行いに……それに伴う結果に恐怖した。そしてそれをまた繰り返すんじゃないかと更に恐れた。協会の魔法使いとしての仕事、役目、任務……“偉大なる魔法使い”を目指す過程で望まぬ結果(しっぱい)に出くわす事が怖くなった。今回、私は助かったから取り返しは付いた。けれど今度は…またはいずれは本当に取り返しの付かない事になるかも知れないと。自分の行いで助けようと思った誰かが…或いは仲間が傷付き、救えず、死ぬ事になるのでは―――という理想から離れた“現実”を感じた」

 

 そう、高音は“現実”を知った。

 自己と周囲の求める理想が高く。その理想に応え、叶えるだけの力と才覚をなまじ持っていた為に挫折も失敗も殆ど経験する事無く。これまで順風満帆に過ごしてきた彼女は、此処に来て世の中は甘いそれだけで出来ている訳ではないという過酷な現実を味わい。辛く苦いそれを再び口にする事を恐れた。

 イリヤという壁はまだ良かった。辛くもそれを試練だと、目指すべき目標だと考えられたから。

 だが、此度の失態は違う。誰にも非難されるであろう大きな失敗。一人の人間を……いや、もしかするとより多くの人間を不幸に落としたかも知れず、取り返しの付かない事態に招く可能性が高かった。だから重すぎるソレを受け止めきれず、直視する事が出来ず―――逃げた。

 

 求める理想とは異なる過酷な現実から……心を空虚にする事で。自信を失ったという言い訳で。そんな現実へと引き戻そうとする愛衣を遠ざける事で逃避した。

 両親、家族、親族らが寄せる期待と理想に応えて来た過去も。“偉大なる魔法使い”を志し重ねた研鑽の日々も。同年代や後輩が寄せる信頼も。

 こんな苦い現実を味わうくらいならと捨てようとした。諦めて楽になろうとした。

 

「あ―――…!」

 

 そんな醜い卑劣な本心を、逃避していたが故に自覚してなかった図星を突かれ……

 

「…ああああぁぁ――――!!!」

 

 高音は言葉にならない慟哭の叫びを上げた。

 

 

 

(これまでの人生が順調……安易過ぎたのです。“失敗は誰にでもある”。先程イリヤさんが言った言葉。当たり前の事なのに、私はそんな当たり前のことを経験した事が無かった。……いえ、全く無かった訳ではありませんが、気に留めるほども無い小さく些細なものでした。だから本当の意味で重い…他人(ひと)に迷惑が及ぶ失敗は凡庸で浅慮な人間が犯すもので、自分とは無縁なものだと、心の何処かで私はそう考えていた)

 

 イリヤに頭を下げるエヴァの姿を見て、反芻するように高音は思う。

 

(何と高慢で愚かな事だったか。そんなだから私は初めて経験した本当の意味での失敗に……それもとても大きな、大きな過ぎる失敗に心が挫けてしまった。それまでの懸命に努力し積み重ねてきた日々を、志した信念を捨てようとして、大事なパートナー…掛け替えのない親友である愛衣に八つ当たりしてしまう程に自棄に成って拗ねたのだ。本当に馬鹿馬鹿しいことに自身の愚行と失敗を直視せず、イリヤさんにも謝りに行かずに―――幼い子供のように逃避してしまった)

 

 或いは世間知らずの箱入りお嬢様が思い通りに行かない出来事を前に癇癪を起しているようなものだろうか? 高音は自分の出自的にそっちの例えの方がしっくりくるように思えた。

 

(そしてそれに気付かされた時、私はショックの余りにただ叫び、嗚咽を零して泣く事しか出来なかった)

 

 どうしようもなく卑怯で卑劣で醜い自分の心に、感情と思考を処理できなくなったのだ。

 そんな自分に彼女…イリヤは言った。

 

『貴女はそのままで良いの? 本当に諦めて良いの? 怖いから…自分の行いが正しいものでは無く、過ちとなるかも知れないから、必ずしも理想に届く訳でもないからってこれまでの努力した日々を……頑張って来た自分を捨てるの? 否定して良いの?』

 

 と。

 そして白い少女は自分の腹の辺りを撫ぜて、

 

『―――私を傷付けた事を、あの時の判断を反省せずに、私に謝らずにいたいの?』

 

 そんなとても…自分にとってとても辛く、心に痛い言葉を向けて部屋を後にした。

 今度は塞ぎ込んだふりなどせず、自らの行いを確り直視して考えて答えを出しなさい…と。まるでそう告げるかのように。

 

 今にして考えると、その言葉には冷たさと温かさの両方があったように思う。

 突き放すようでありながら励ましているようであり、非難するようでありながら労わりがあり、選択を強制されているようでそうでは無かった。

 

(恐らくどのような答えを出そうと、イリヤさんは責めずに受け入れたと思う)

 

 例え諦め、捨てる方を選んだとしても仕方ないと残念そうに言いつつ、愛衣を説得してくれて自分が麻帆良を去るのを優しく見送ってくれただろう―――高音は何となくそう思った。

 けど、そうはならなかった。

 

(そう、私は“立ち上がった”)

 

 部屋に閉じこもり、白い少女の言う通りに自分の仕出かした事を向き合い直視して、二日、三日と泣いて悩んで悔やんで……出した答えは諦めない事だった。

 

 取り返しの付かない程の失敗であろうと…まだ一度の失敗。それに失敗したのであれば次で取り返せば良い! いや、その失敗以上の働きを示すべきだ! 塞ぎ込んだまま、逃げたままではそれは出来ない! それにこのままでは本当にイリヤに顔向けできないし、愛衣との友情もお終いだ。そんなのは我慢できないし、このまま愚かな自分で居るのは嫌だ!

 

 自問自答を繰り返し、己が精神を建て直して行く内に―――そのように逃避した惨めで情けない自分が許せなくなり、元来の気丈さを取り戻した高音は、立ち直ったその日の内に愛衣とイリヤに会って頭を下げた。

 

 愛衣にはパートナー解消を撤回して心配を駆けた事、疎ましく思い遠ざけようとした事を謝った。

 イリヤには今回の事と事件での無謀を反省した旨を告げて、危機に陥れた事を確りと謝罪した。

 

 二人とも笑って許してくれて、立ち直った自分の姿を見て喜んでくれさえした。

 

「………………」

「…お姉様?」

 

 思い耽っていた高音に愛衣が怪訝な様子で声を掛ける。

 

「あ、何でもありませんよ愛衣。少し考え事をしていただけ…」

 

 適当に取り繕って答えると愛衣は尚も不思議そうに首を傾げたが、そうですか、と。頷いてそれ以上は尋ねて来なかった。

 

(本当、良い娘ですわね)

 

 何か察して気を使ってくれたのだろう、と。そう思い―――

 

(そんな愛衣のためにも確りしなくては…)

 

 ―――とも。

 優しい彼女…妹分が麻帆良内で名が高まり、有望視されるようになった事も考え…誓うように改めて強くそう思った。

 


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