麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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読者の皆様、誤字報告ありがとうございます。自分は本当に多いので非常に助かってます。
特にイルイル様、アシマ様、多くの報告感謝いたします。


第31話―――布石 Ⅱ

 

 ガンドルフィーニの返事に納得したように頷いたイリヤだったが、彼が自分に抱く複雑な内心にはある程度察しが付いていた。

 魔術なるこの世界の魔法とは系統が異なる神秘の存在。聖杯戦争という愚かしい儀式の事。英霊と呼ばれる霊長最強の力を持つ存在。

 SFめいた並行世界の事を隠したとはいえ、それでもそれらの事柄は信じ難いものだった筈だ。

 しかし、現実として黒化英霊というモノが京都の事件と先の襲撃事件で現われ。英霊の力を宿した自分の戦いぶりを見。今もこうして破格の神秘を見せ付けられて、信じざるを得ないのだ。

 だが、それらを明かしてそれほど時間を経ているとは言い難く。まだ色々と思い、悩み、動揺する気持ちが抜けないのだろう。

 

(学園長やコノカのお蔭だけでなく。多分、そういった所も私の意見が通り易くなった要因なんでしょうね)

 

 訳の分からない儀式を行った一族の人間で、得体の知れない高度な技術を持ち、英霊の強大な力を扱える自分にどう接すれば良いのか、無碍にするのは拙いといったような恐怖や畏怖を感じている為。

 そしてそれを覚えるガンドルフィーニを始めとした麻帆良の幹部クラス達の持つ雰囲気や態度が、他の職員に敏感に伝わっている為に。

 

(麻帆良で動き易くなったのは良いけど。…あんまり良い気分じゃないわね)

 

 襲撃事件で黒化英霊と対峙した神多羅木と葛葉の様子や事件の渦中でランサーの力を行使した場面を見られた事から、全て隠しておくのは不興や不信を買いかねないと考えて部分的ながらも明かしたのだが……どうも自分は隔意的な感情を買ってしまったらしい。

 イリヤはそう思った―――実際は違うのだが。

 

(まあ…良いわ。不興やら不信なんかを買うよりはずっとマシだし、一応信用はされているようだし…ね)

 

 ガンドルフィーニの向ける気遣わしげな視線に気付かなかった彼女は、取り敢えずそう前向きに考える事にした。

 

「それよりも今は……と」

 

 やるべき仕事を思い出してイリヤは魔法陣中央にある台座に近付き、浮かぶ翡翠色の光球を見詰めて台座へ軽く手を触れる。

 途端、黒曜石で出来た台座を囲うように環状の魔術式が奔り、上昇しながら球形の魔法陣と成って台座の上にある光球を包み込んだ。その直後、光球の放つ翡翠色の輝きが一瞬強まり―――

 

 ―――ピシッ…と。何か硬い物が罅割れるような音が大きく響いた。

 

 音と共に球状の魔法陣が消えて光球も消失し……代わりに台座の上にあるのは翡翠色の透明な宝石だった。ただし形は原石そのままのように整っておらず、大きさも人間の拳大の一回りぐらいと在り得ないサイズだ。

 

「…ふむ」

 

 イリヤは慎重にそれを手に取り―――質感、色、透明度、屈折率を見て出来を確かめる。

 

「問題無し…」

 

 技術的に自信はあったがやはり問題は無い。レポートで確認した物と同様、上質な“結晶”と成っている。

 

「イリヤ姉ちゃん。それは…?」

 

 背後から小太郎の声が掛かる。

 イリヤは振り返ると彼は傍に寄ってきて、彼女の肩越しに手にした翡翠色の結晶を見詰めた。

 

「…綺麗なもんやな」

 

 男らしさに妙な拘りを持ち、こういった光物に興味が無さそうな彼の意外な台詞。何処か見惚れるようなその声色にイリヤは少し同意する。

 魔法陣の放つ仄かな光に照らされる結晶は、確かに宝石のような美しい輝きを見せている。男女問わず少なからず魅了されるものがあるだろう。そしてそれが何であるか知り、価値を理解する魔術師や魔法使いであれば尚魅力的に映るだろう。小太郎は魔法に関わる人間として本能的にそれを察知したのかも知れない。

 

「これは魔力……此処の霊的スポットに溜まる世界樹の魔力と大気中の大源(マナ)を凝縮したものだよ」

 

 僅かに思考が逸れた内にさよも傍に寄って来て、イリヤに代わって小太郎の疑問に答えた。

 

「…つまり魔力が固まって形に成ったモノって事か?」

「ええ、魔力の結晶…さしずめ“マナプリズム”と言った所かしら」

「なっ…!?」

 

 答えを聞き、なお興味深げに結晶を見詰める小太郎にイリヤが頷くと、高音の驚愕の声が狭いオブジェクトの中で響いた。

 

「魔力…いえ、大気中のマナを純粋な形に……物質化したというのですか…?」

 

 続く呆然とした彼女の声。それにイリヤは首肯する。

 

「…魔力の物質化自体は現象としては普通の魔法でも起こせる事よ。火や水、雷なんかも言ってしまえば魔力が物質化した物だし、地魔法なんて特にそうね。だからそれほど驚くような事では―――」

「―――そんな訳ないでしょう! アレは魔法式と精霊の力のよる一時的な現象……ものによって半永久的な物もありますが、基本的に“魔力を対価とした起きた結果”であって、魔力という燃料を魔法式によって加工し変化・変質させた別物です。魔力そのものではありません。イリヤさん、それでは薪で起こした火を薪だと言っているようなものです!」

「そうね。だからそれほど驚くような事では無い―――と、言いたい所だけど…」

 

 抗議する高音にイリヤは意地悪そうにくすりと笑って言葉を続ける。その笑みを見た高音はイリヤにちょっとした悪戯を仕掛けられたのだと気付く。同時に大袈裟に驚く自分をそれで落ち着かせようとしたのでは……とも彼女は思った。

 事実、一度抗議の為に激昂しかけたというのに意地悪そうなイリヤの笑みの所為で、激しかけたそれが呆れたような気の抜けた感情に置き換わっていた。

 

「……こうして魔力を純粋に物質化させる事は通常では無理ね」

 

 更にそう続く白い少女の言葉に、高音は軽く嘆息して応じる。

 

「……はい。天然に取れる宝石や一部鉱石などが魔力物質などと呼ばれる事はありますが…あくまで石や金属に魔力が付随したものですし、何かしらの方向性や性質もある為に純粋とは言えません。一応これまでの研究や実験でもマナの物質化―――結晶化の成功例はありますが、その為に必要となる儀式場の規模に資材、詠唱時間、そしてその儀式を行う為の魔力。どれも途方もないほど大きく、長く、消費が伴います。しかしそれほどのコストを掛けても―――」

「―――得られる結果、イリヤが今手にしている結晶には遠く及ばない。ちょっとした砂粒程度…良くても小石ほどのものがやっとだ。つまり採算に全く見合わない…というか大赤字だな。いや、それすらも生温い有様だ」

 

 高音の言葉にエヴァが続いた。現象としては“魔術”よりも効率的・効果的という“魔法”でもその辺りの技術的難解さは余り変わりないのだ。

 

「そもそも魔力というのは大気中はもとより、万物のあらゆるものに大なり小なりとあるものだが、我々魔法使いが持つ霊的視覚はともかく、普通の眼には捉える事はできない。二十二年に一度ある世界樹の発光…その魔力の光とて先程グッドマンが言った“魔力を対価にして起きた結果”に過ぎない。視認可能な魔力などというものの正体の大体がそれだ。一見、肉眼で魔力が見えているようで実はそうではない」

「錬金術の科目でそう習いましたね…確か」

「まあ、謂わば特定の環境下や条件にて発生した化学反応を見て、見えている気になったといった所だ。観測手段としてはそれで十分なのだろうがな。ついで言えば霊的視覚というのはそういった反応や変化を捉えやすい特殊機材だと思えば良い。物理的な干渉を及ぼす魔力は見様によっては物質的なエネルギーでもあるが、やはり基本構造は霊的寄りだからな。……だが、これ以上詳しく知りたいなら錬金術を専攻する奴に訊くべきだ」

 

 エヴァの説明を聞いて愛衣が首を傾げると。少し説明するも面倒だとも思ったのか、エヴァは中途半端に切って此処に居ない誰かへと投げた。勿論、イリヤはその錬金術の専門家なのだが……意図的としてか? エヴァはイリヤの名前を出さなかった。

 

「…やったらイリヤ姉ちゃんの手にあるこれはどういう事なんや? 確かに此処に在るし、確りと普通に眼に見えとるで」

「それは―――」

「―――それは簡単な話だが……まったく少しは考えろ」

 

 次に小太郎に投げ掛けられる問い掛けにさよが答えようとするが、エヴァは呆れたような言葉と溜息に遮られる。

 イリヤはそんな彼女をまあまあ…と宥めながら、さよとエヴァに代わって説明する。

 

「普通は眼には見えない。けど魔法と言う現象が起こる以上、魔力がそこにあるのは確実。なら単純な話しよ。見えないのはそれだけ細かくて密度が薄いって事」

「……空気のようなもんって事か?」

「―――…そのような物って事ね。まあ、実際はそう単純な物じゃないし、それ以上に細かい特殊な粒子なんだけど」

 

 イリヤは小太郎の例えに何か言いたげにしたが、あながち間違いでは無いので取り敢えず首肯した。

 

「つまりそんだけ細かくて薄いもんを見えるようになるまでに集めて固めた訳やろ。なんや始めに俺が言った事やないか。ホンマに簡単な話しやん」

「……貴方にとってはそれで良いんでしょうけどね。まったく…」

 

 小太郎のあっさりとした言いように今度は高音が溜息を吐いた。

 

「分かっているのですか? その魔力……細かく密度も碌に無い特殊な粒子は一応、私達では観測も出来ますし、干渉し掴まえる事も出来ますが。しかし観測方法は兎も角、干渉し掴まえる方法はその粒子自体を大量に消費してしまい、さらには別の状態に変質させてしまいます。ですから粒子本来が持つ性質や状態のままで形に……霊的構造を維持したまま裏返して確かな物質として手にする事は、とても難しい…いえ、ほとんど不可能なのですよ!」

 

 小太郎に半ば詰め寄るようにして高音は言う。

 

「う…いや、でもだからイリヤ姉ちゃんはこうして……」

「だから驚いているのではないですか! 幾ら精緻で高度な魔法式とはいえ、こんな場所に収まる程度の魔法陣で、大した労力も設備も魔力も必要とせずにあっさりと純粋な魔力結晶を作ったのですから! それもこんな大の大人の拳ほどもある大きさで…!」

「お、お姉さま…す、少し落ち着いて」

「そ、そうですよ。高音さん…落ち着きましょう」

 

 先程、抑えられた感情は何処に行ったのか、高音は吼えるような勢いで後ずさる小太郎に詰め寄り。愛衣がそんな高音を落ち着けようと声を掛け、さよも小太郎を庇おうと彼女の前に出ようとする―――が、

 

「まあ、そこまでだ。気持ちは判るが、愛衣君と相坂さんの言う通り少し落ち着こう高音君」

 

 パンパンッと軽く拍手するように両の手の平を打ち、小太郎と高音の間にガンドルフィーニが割って入った。

 

「で、ですが、ガンドルフィーニ先生…!」

「もう一度言う。気持ちは判る。僕もこれを初めて見た時は非常に驚いたのだから。いや、僕だけじゃないそこにいる瀬流彦君達もだ」

 

 食って掛かろうとする高音から視線を外して、彼は周囲に居る瀬流彦と他、三人の同僚達に目を向ける。視線を受けた彼等は一様に首肯して同意を示す。

 

「今まで困難…不可能事とされていた事がイリヤ君。彼女の持つ技術はそれを可能とする。そう考えて納得する他ないよ。少なくとも今はね。細かい議論や検証は後々にしよう」

 

 そう、彼は生徒に優しく諭すように言うと、高音はしゅんとした様子で「はい。申し訳ありませんでした。犬上君も…」と尊敬する教師であり先達であるガンドルフィーニと後輩たる小太郎に素直に頭を下げた。

 

「…私は技術を開示する積もりは無いけどね」

「判っている。見て学べ…いや、盗めるものなら盗んでみろって事だろう」

「ええ、見て解析するだけでもある程度は、“そちら”の“今”の技術でも応用や参考に出来るものが在るでしょうし、ね」

 

 イリヤは丁寧な敬語ではなく、普段の口調でガンドルフィーニに釘を刺すように…また期待するようにも言った。

 

「……それにしても本当にこの純度でこれだけの結晶が取れるなんて。世界樹の事は聞いていたし、“錬成陣(これ)”を仕掛けた私が言うのもなんだけど。…確かこれより前に結晶化を行なったのは半日前なのよね?」

「ああ、今は……午前八時。今回は君が来る予定だったから二時間遅れになるが。前回は手順に従って昨夕十八時に結晶化を行なった」

 

 理論と技術的な事は殆ど分からないものの、魔法陣…もとい錬成陣の使用方法はイリヤから教わり、手引書も用意されている。彼を含めた協会職員はそれに従って錬成陣が設置された一昨日の晩から十二時間置きに集まった魔力の結晶化を行なっていた。

 

「たった半日程でこれか…」

 

 人の拳…ソフトボールほどの大きさを持つ高純度の結晶を改めて見詰め、イリヤは感嘆したように…呆れたようにも呟いた。

 

「そうだ。しかも学祭当日……最終日に近付くにつれて魔力の集まりは大きくなる。二十二年…いや、二十一年前のデータを参考にすると一日目、二日目は三倍。三日目の最終日はこの五倍ほどになると見られている」

「それは…また凄いわね。それはもう―――……」

 

 神代の頃に近いわね…という言葉飲み込みながらイリヤは言葉を続ける。

 

「けどそれなら一日、二日目は四時間置きに。最終日は二時間置きに結晶化を行った方が良さそうね。錬成陣に問題は起きないと思うけど、他の結界には影響が出ると思うし、結晶の回収もその方が楽でしょうし」

「同感だな。そうしよう」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニは大きく頷いた。

 大き過ぎる魔力の渦はイリヤの言う通り、この一帯に張り巡らせた結界に悪影響を出し兼ねず。普通の石と殆ど重さが変わらない魔力結晶もこれ以上大きくなられてはいちいち手にするのもちょっとした苦労になるだろう。置き場所や外への運搬は空間圧縮と重量軽減を掛けた鞄なり、箱なりを使うから問題は無いのだが。

 

「あと折角の対策なのに、それが無駄になるかも知れませんしね」

「そうだな。広域への影響はそれでも抑えられるだろうが、この広場はそうなりかねんな」

 

 イリヤとガンドルフィーニの首肯を見て瀬流彦がそう言うと。その意見にまたもガンドルフィーニは頷いた。

 するとそれらやり取りを見ていた他の一同の中で愛衣がハタっとした様子で口を開いた。

 

「対策……やっぱりそれって例の“恋愛関連に置いては絶対に叶ってしまう”っていう世界樹の魔力の事ですよね?」

「は? なんやそれ…!?」

 

 愛衣は、先程までの話の内容もあるがこの場所―――魔力溜まり来た時からそれを予想していたのだろう、世界樹関係の問題の事を。だがその言葉の内容が思いもよらないものだったのか、横から小太郎が驚きと呆れが混じった声を上げた。

 そしてその件を知らなかった小太郎は説明を聞いて、さらに驚きつつも完全に呆れた表情を見せた。

 

「なんやねんそれは…一体どういう理屈や? 即物的な願いは叶わんゆうのに、事恋愛に関しては絶対…って?」

 

 神木つーのはアホなんか?とさえ小太郎は言ったが、ガンドルフィーニを始め瀬流彦や他の職員もこれと言って咎めなかった。恐らく同意する思いが少なからずあるのだろう。

 

「…まあ、そうよね」

 

 イリヤも小さく呟いて同意するも、如何なる理由でそんなおかしな方向に世界樹が…ある種の願望器ともいえる機能が歪められたのか大体察しが付いていた。

 聖杯程に無いにしろ、人の願いを叶える程の代物なのだ。即物的というよりも悪質な願いを叶えるのを阻止する為の改変であり、またこの世界に嘗てあったと思われる“温泉旅館だった某女子寮の別館”と同じく、時の権力者や有力者などの政略結婚に利用していたのだろう―――イリヤはそのように当たり付けていた。

 また近右衛門にこれを訊ねた時に彼は明言こそしなかったが、微妙な表情で気まずげに目を逸らしていた事からもほぼ正解に近いと思われる。

 

「コホン…兎も角だ。そんな心を捻じ曲げるような事は、倫理的に道徳的にも許せるものでは無いから、我々はイリヤ君に協力して貰っているんだ」

 

 ガンドルフィーニもあの時の近右衛門のように微妙な様相で気まずげにそう言った。瀬流彦もその説明に続いて口を開く。

 

「それでこの魔法陣って訳だね。そのままにして置くとこの溜まり場(スポット)から拡散してしまう世界樹の魔力をこうしてイリヤ君が敷いた魔法陣で集めて防ぎ、尚且つ有効活用しよう…って考え」

 

 そう、その為にイリヤは神代の魔術―――『キャスター』の知識を使って錬成陣を敷いた。

 告白阻止などという重要だが、馬鹿馬鹿しい問題に協会の人員が割かれてしまう事と超 鈴音の思惑……最終日に仕掛けられる彼女の計画を阻止する為に。

 無論、瀬流彦の言ったようにこれだけの魔力が集まるのをただ座視するのが勿体無かったという面もある。ただ世界樹…神木・蟠桃その物には強固な神秘性と物理的な要因もあって錬成陣を敷く事は無理だったが、それでも結界で対策はしてある。

 

「しかしそれで対処できるのであれば、似たような方法でこれまでの事も防げたのでは? 聞いた話では二十二年前…前回の発光現象の時は相当大騒ぎだったようですが? 当時は大戦という有事の問題もありましたし…」

 

 高音は当然の疑問としてそれを訪ねた。イリヤの錬成陣のように魔力の結晶化は無理でも拡散を防ぐ事は可能だったのでは?…と。

 だが、瀬流彦は頭を横に振る。

 

「無理だったらしいよ。世界樹…神木が学園都市全体に張り巡らせる根による……自然か意図的かは不明だけど、その根が構築する複雑な霊脈的繋がりの所為か、神木その物が持つ神秘性の所為か、或いはその両方があってか、そういった試みは一度も成功しなかったそうだ。僕達の使う既存の魔法と技術では神木の魔力を抑えこむ様な干渉は無理なんだ」

「他にも、集めたり抑制する事が無理なら消費してしまおうという考えもあったそうだが……神木が宿し学園全域に広がる濃密且つ膨大な魔力を消費し続けられる魔法出力をどのような方法で持って来るかが問題だったとの事だ。複数人必要であろう高位の術者達を如何に確保するかもそうだが、やはり技術的にも非常に難解だったらしい。それにそれ程の魔力を如何なる魔法(カタチ)とするのかも問題だ。あと魔力炉へ転換するのも同様に出力的な観点から無理だそうだ」

 

 瀬流彦の返答に補足するようにして、難しげな表情でガンドルフィーニもそう高音に言う。

 

「………それでイリヤさんの協力、ですか」

 

 高音は納得したように頷くも複雑な顔してイリヤの方を一瞥した。

 

「……そうだ。彼女が持つ魔法技術ならどちらの方法も可能ではないか?と。学園長が考えてね」

 

 高音の心境を察してガンドルフィーニもまた複雑な様相で告げた。不可能を可能とする奇跡的な御業を有する白い少女へ向ける心情に共感して。

 尤もガンドルフィーニはイリヤの事情をある程度知る為、高音ほど不可解さ、異質さを抱いていない……その代わり、より複雑で且つ深刻な悩みと思いがあるのだが。

 

 

 

 イリヤはその二人の雰囲気を感じて肩を竦めたい気分を覚えた。

 

(気持ちは判らなくもないけど、ね)

 

 彼等の心情を大袈裟だと呆れて溜息を吐きたい所だが、神代の魔術なんてモノを持って来た以上、無理はないとも思った。

 千年の歴史を誇り、永く研鑽を続けてきたアインツベルンの最高傑作にして集大成たる自分でも理解し切れない理論と神秘の塊なのだ。ただ『キャスター』を夢幻召喚(インストール)した影響もあってか、理論は完全に理解出来なくとも技術的な再現はほぼ完璧に行えるのだが。

 

(そう、夢幻召喚をしていない今の状態でも…)

 

 『キャスター』を夢幻召喚している状態なら理論すらも完全な状態だが、それを解除した時はそういった知識の多くが霞掛かったかのようにおぼろげになる。

 ただそれでも、先にもいったように感覚的に……技術的側面からは彼女―――王女メディアの魔術を扱うことは可能だ。小聖杯としての特異な機能があるお陰か、それとも自分以外の凡百の魔術師やこの世界の魔法使いであろうと同様なのかは判らない。少なからず魔術回路や起源特性と属性に左右されるとは考えられる。

 しかし夢幻召喚時には王女メディアが持つ魔術回路も外付けのハードディスクのように接続される感覚があるので正確な事は何とも言えない。解除した後もそこからコピペ形式のように知識・技能が己が脳や精神、魔術回路にある程度写っている可能性も否定できないのだ。

 さよという信頼出来る弟子もいるので、彼女を使って色々と確かめたいという思いもあるのだが……躊躇う気持ちの方が大きい。

 

(後々の事を考えると、やっぱり識って置いた方が良いとは思うのだけど……迂闊に伝えて良いものでは無いでしょうし。それになりたての見習いだし)

 

 内心でそう呟く。それを考えるのはもう何度目か、これもまたイリヤの抱える大きな悩みの一つだ。答えとしてはさよの成長をもう少し待つ。見守ってからと決めてはいるのだが―――今後の事を考えると焦燥が出てしまう為にどうも迷いがあった。

 また『ランサー』にも同様の事が起きている。“影の国”を守り統べる女王から数多の武術と魔術―――原初のルーンを学んだ彼の知識もまたイリヤの頭の中に刻まれていた。

 

「…………」

 

 聖杯という道具として生まれ、聖杯戦争という一大儀式の為に調整された“器物(モノ)”とはいえ、仮にもイリヤは魔術師だ。だからそのような神秘の深奥を識れるのは本来なら喜ぶべき事の筈だ。

 自分にとって大きな力となり、ネギ達の助けにも成る。けど―――

 

(―――不安にもなる。英霊の力を行使して置きながら今更だし、覚悟も決めているけど。それでも大き過ぎる力を持つというのは……とても、そうとても…)

 

 …怖いもの。

 

 そう強く不安に感じる。

 ただ、そのように感じられる内はきっと大丈夫なのだろうとも思う。慢心せずに慎重で居られ、過信せずに自分を戒められ、誤った事には使うことは無いだろうと。

 

 

 ◇

 

 

 愛衣は高音とガンドルフィーニと、そしてイリヤ自身が纏った隔意的な雰囲気を感じて胸中にもやっとした嫌な感覚が沸き立つのを覚えた。

 勿論、愛衣も分かっている。イリヤが持つ異質さは。

 けれど、彼女はそんな色眼鏡をしてイリヤを見るのが嫌だった。

 自分では及びもつかない力と知識を持っているとはいえ、それでもイリヤを信じているからだ。

 

(うん…友達と言ってもそんな深い付き合いがある訳じゃない。学園を案内した事もあったけど、学校の休み時間や電話で時折会話し、メールなんかで軽くやり取りをするぐらいの関係だ。でも―――)

 

 ――――とても良い子なんだって私は知っている。

 

(あの模擬戦の後で私達を気に掛けてくれた事もそうだけど。この前の事件でもお姉様を見捨てようとはしなかった)

 

 愛衣は確かにあの時、それを聞いた。

 敬愛する姉貴分が無謀を試みて、その所為でイリヤは危機に瀕して串刺しにされたというのに…「逃げて」と動かない高音に懸命に呼び掛けたのを。

 だから愛衣はイリヤを優しい良い子なんだと心から思えて、そんな子を助ける為に恐怖で震えそうになる身体を堪えて、無理を言って神多羅木に同行をした。

 

(それに…そう)

 

 事件の後に愛衣は知った。

 事件当初で目撃したあの戦闘は、確かにイリヤは不利であったが決定な勝敗はまだ着いておらず、逆転の眼が合ったというのを。そして無謀を行なった高音を庇わずに見捨てていればそれが成せた可能性が高く。もっと楽に事件が片付いたというのを。

 しかしイリヤは庇い見捨てなかった。

 庇った結果、敗北した敵の手に落ち。麻帆良から連れ去られるかも知れないというのに―――それが判っていたのにイリヤは見捨てなかった。

 

(自分の事よりもお姉様を守る事を取って、気に掛けてくれたイリヤちゃん。だから私はそんなイリヤちゃんを信じたい。……ううん、信じる!)

 

 あんな風に誰かを…友達を守って気に掛けてくれた人を疑うなんて真似はしたくない―――愛衣はそう思うのだ。

 

 だが、それは世の中を知らない子供で居られるからこそ、清濁を併せ呑む大人の考えをまだ知らないからこそ、持てるモノなのだろう。

 十四歳に成るか成らないかの少女が持つ純真さ。或いは潔癖さ。そんなとても綺麗で真っ白な心の在り方。

 もしイリヤやガンドルフィーニなどの大人が知れば、思わず目を逸らし己を恥じ入ってしまうような眩しい心根。もしくは歪んだ大人であれば、馬鹿にして嘲笑するであろう幼い無垢な情動。

 だがそれは、何時までもそうではいられない事が判っていながらも、そうでありたいと願い思う。清く正しく優しいという、ヒトが本来在るべき…或いは目指すべき姿なのかも知れない。

 

 そんな少女らしい素直さを持つ愛衣は、尊敬する教師と姉貴分と信頼する友人であるイリヤの三人が纏う雰囲気を祓うように明るい口調で話し掛けた。

 

「本当凄いねイリヤちゃんは。先生やお姉様もそう思いますよね?」

 

 そう、なるべく無邪気に装って。

 

「ん? まあ…」

「え、ええ…」

 

 唐突な愛衣の明るい声に不意を突かれたのか、ガンドルフィーニと高音の二人は若干戸惑った様子を見せる。そこに瀬流彦が愛衣の言葉に首肯して続いた。

 

「うん、うん。まったく同感だよ。さっきも言ったけど流石だよね。正直、一族の秘儀じゃなければ教えを乞いたいくらいだ。まあ、イリヤ君のような子供に大人の僕が師事するなんてシュールな光景なのかも知れないけどさ」

 

 その声色は、若者らしいハキハキとした口調で先の愛衣のような無邪気があり、イリヤに対する真っ直ぐな尊敬と信頼が感じられた。そこに疑惑や隔意は全くない。

 それを確かに覚えて愛衣は少し驚いた。若手とはいえ、やり手の魔法職員である瀬流彦がイリヤに負に近い感情を一切向けない事にだ。

 しかし同時に彼らしいとも思った。自分の通う女子校の教諭という事もあって、話す機会の多いからその為人は大体知っている積もりだ。

 学園でも有名な鬼の新田と呼ばれる厳しい教師とは正反対で、生徒が悪さをしても怒らずに優しく許してしまう教師なのだ。勿論、注意はするし、余程悪質であったり、繰り返したりすれば罰を受けさせられる……という話だが、愛衣は彼が怒った所を見た事は無かった。

 そんな温和な性格でどこか包容力のある彼の事だから、異質で疑わしい部分も含めて割り切って受け入れているのかも知れない。それはそれ、これはこれといった感じで。

 

「……瀬流彦先生」

「うん?」

「あ、いえ。なんでもありません」

 

 瀬流彦がイリヤに向ける確かな信頼に、同様に信頼している愛衣は少し感極まって彼を思わず見詰めてしまったが、訝しげな顔をされたので誤魔化した。

 

「はぁ…やれやれ」

「ふう…そうですね」

 

 愛衣以上に邪気のない声を聞き、毒気を抜かれたような顔を見せて、何やら納得した様子のガンドルフィーニと高音。

 二人にしても多少疑惑を持ったり、複雑な心情を抱いたりしても、イリヤを信頼しているのも確かなのだ。変に疑問を抱いてそれに囚われても仕方が無いと考えを改めたり、思い直したのだろう―――そう、余りにも邪気の無い瀬流彦の様子に呆れながらも自省しているようだった。

 

(良かった)

 

 愛衣は二人の隔意的な雰囲気が消えて密かに安堵の息を吐いた。そしてイリヤの方を見ると彼女も何だか困ったように苦笑して瀬流彦を見ていた。

 瀬流彦の―――若い青年が向ける邪気の無い感情と尊敬というか憧れるような目に、こそばゆいものを感じているのかも知れない。それにも愛衣は安堵する。

 ただ、

 

(何だか良い所を持って行かれたような気も…?)

 

 そう、瀬流彦の言動のお蔭といった感じな為、そんな不満めいた感情が残ってしまったが。

 

 


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